(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2025036133
(43)【公開日】2025-03-14
(54)【発明の名称】イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法
(51)【国際特許分類】
A01G 22/22 20180101AFI20250306BHJP
A01G 7/00 20060101ALI20250306BHJP
【FI】
A01G22/22 Z
A01G7/00 603
【審査請求】未請求
【請求項の数】5
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2024113680
(22)【出願日】2024-07-16
(31)【優先権主張番号】P 2023139913
(32)【優先日】2023-08-30
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【新規性喪失の例外の表示】新規性喪失の例外適用申請有り
(71)【出願人】
【識別番号】501203344
【氏名又は名称】国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構
(71)【出願人】
【識別番号】000201641
【氏名又は名称】全国農業協同組合連合会
(74)【代理人】
【識別番号】100088155
【弁理士】
【氏名又は名称】長谷川 芳樹
(74)【代理人】
【識別番号】100128381
【弁理士】
【氏名又は名称】清水 義憲
(74)【代理人】
【識別番号】100211199
【弁理士】
【氏名又は名称】原田 さやか
(72)【発明者】
【氏名】馬橋 美野里
(72)【発明者】
【氏名】岡▲崎▼ 圭毅
(72)【発明者】
【氏名】古園 修治
(72)【発明者】
【氏名】山下 耕生
(72)【発明者】
【氏名】加藤 直人
(57)【要約】
【課題】イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法を提供すること。
【解決手段】イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法であって、前記イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量を測定すること、及び/又は前記イネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比を測定すること、を含む、方法。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法であって、
前記イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量を測定すること、及び/又は
前記イネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比を測定すること、
を含む、方法。
【請求項2】
前記方法がイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量を測定することを含み、測定されたmyo-イノシトールの含有量が、対照のイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量よりも少ない場合に、硫黄欠乏状態であると診断される、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記方法がイネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比を測定することを含み、測定されたグリシンとアラニンの含有量の比が、対照のイネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比よりも大きい場合に、硫黄欠乏状態であると診断される、請求項1に記載の方法。
【請求項4】
前記対照のイネ属植物が、硫黄欠乏状態でないイネ属植物である、請求項2又は3に記載の方法。
【請求項5】
前記イネ属植物が、水稲である、請求項1~3のいずれか一項に記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
硫黄欠乏は、水稲栽培地域の一部において近年その発生が報告されている、イネ属植物における生育を阻害する要因になる状態の一つである。近年、水田の土壌中の硫化水素が引き起こす秋落ち対策のために無硫酸根肥料が連用され、また硫黄を含む酸性雨が減少したことによって、水稲に対する硫黄の供給量の減少が生じているといわれている。
【0003】
硫黄欠乏を生じた水稲では、葉の黄化及び茎数の減少といった症状が見られることが知られている。しかし、これらの症状は、同じくイネ属植物の生育を阻害する状態の一つである窒素欠乏の症状と類似しているため、外観からの判断は困難である場合が多い。実際に、外観の特徴から窒素欠乏であると判断され、窒素肥料を施用したものの生育の改善が見られなかった圃場において、硫黄資材を施用すると生育が回復するケースも報告されており、このような潜在的な硫黄欠乏による収量の低下が懸念されている。
【0004】
硫黄欠乏を生じたイネ属植物に関し、例えば非特許文献1においては、硫黄欠乏を生じた水稲及び該水稲に資材を施用した場合における硫黄含有量と窒素含有量の測定が行われている(非特許文献1)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】辻藤吾、「水稲の硫黄欠乏による栄養障害と硫黄吸収特性」、日本土壌肥料学会雑誌、第71巻、第4号、第464~471頁、2000年
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
水稲を始めとしたイネ属植物において使用されている硫黄欠乏の診断方法の一つとして、外観等の特徴から硫黄欠乏が疑われる圃場の一部に実際に硫黄資材を施用し、施用したイネ属植物において生育の回復が見られた場合に、該圃場におけるイネ属植物が硫黄欠乏状態に置かれていると判断する方法がある。しかし、圃場の一部に硫黄資材を施用してから、施用した箇所の植物において生育の回復が見られたかを外観から判別するためには通常7日~14日の期間を要してしまう。そのため、この方法によって硫黄欠乏状態にあると診断した後に該圃場に硫黄資材を施用したとしても、外観等の特徴から硫黄欠乏が疑われてから硫黄欠乏状態にあると診断されるまでにタイムラグが生じてしまう。そうすると、イネ属植物が茎数を増やしていく生育段階である数十日程度の分げつ期の何割かの期間において植物を硫黄欠乏状態のまま栽培せざるを得なくなってしまい、収量の大幅な低下を引き起こすことも懸念される。
【0007】
また、水稲を始めとしたイネ属植物において使用されている硫黄欠乏の診断方法のもう一つとして、水田における硫黄量を測定することが挙げられ、より具体的には水田の土壌における可給態硫黄含量及び/又は灌漑水における硫黄濃度を測定することによって、硫黄欠乏が発生しやすい水田であるかを判断する方法も知られている。しかし、イネ属植物が利用できる硫黄の状態は限られているところ、土壌中の硫黄の一部は金属と硫化物を形成して植物が利用できない状態となるため、水田の土壌中の可給態硫黄含量のみからでは、水田における硫黄欠乏の発症の有無を説明(診断)できないことも多い。
【0008】
他方、施用試験又は土壌をサンプルとした試験によらず、イネ属植物の一部又は全体をサンプルとして採取し、該サンプルを分析することによってイネ属植物の硫黄欠乏を診断することができれば、イネ属植物における硫黄欠乏を迅速かつ直接的に分析することができる可能性がある。
【0009】
本開示は、イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者らは、イネ属植物において、代謝物の一種である、myo-イノシトールの含有量を測定すること、及び/又は同じく代謝物であるグリシンとアラニンの含有量の比を測定することによれば、イネ属植物における硫黄欠乏が診断できることを見出し、本開示を完成させた。
【0011】
本開示は、例えば、以下に関する。
[1]イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法であって、
上記イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量を測定すること、及び/又は
上記イネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比を測定すること、
を含む、方法。
[2]上記方法がイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量を測定することを含み、測定されたmyo-イノシトールの含有量が、対照のイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量よりも少ない場合に、硫黄欠乏状態であると診断される、[1]に記載の方法。
[3]上記方法がイネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比を測定することを含み、測定されたグリシンとアラニンの含有量の比が、対照のイネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比よりも大きい場合に、硫黄欠乏状態であると診断される、[1]に記載の方法。
[4]上記対照のイネ属植物が、硫黄欠乏状態でないイネ属植物である、[2]又は[3]に記載の方法。
[5]上記イネ属植物が、水稲である、[1]~[3]のいずれか一つに記載の方法。
【発明の効果】
【0012】
本開示の一実施形態によれば、イネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。本開示の一実施形態によれば、イネ属植物における硫黄欠乏の診断のためのデータを取得することができる。
【0013】
本開示の一実施形態によれば、植物の一部分(例えば葉身)をサンプルとして、イネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。そうすると、イネ属植物における硫黄欠乏を簡便に診断することができる。
【0014】
本開示の一実施形態によれば、短時間(例えば1日以内)にイネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。また、本開示の一実施形態によれば、植物の一部分(例えば葉身)をサンプルとして、短時間(例えば1日以内)にイネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。そうすると、イネ属植物における硫黄欠乏を、診断に要する時間に起因した収量の減少を抑えながら、診断することができる。
【0015】
本開示の一実施形態によれば、外観によらずとも、イネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。本開示の一実施形態によれば、イネ属植物における硫黄欠乏と窒素欠乏を弁別することができる。そうすると、外観では硫黄欠乏の症状を呈していない、あるいは外観では窒素欠乏と硫黄欠乏を弁別することができないイネ属植物について、硫黄欠乏を診断することができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【
図1】
図1は、実施例1において、硫黄不足の条件下で水耕栽培した水稲における代謝物量を示す図である。
【
図2】
図2は、実施例2において、硫黄不足の条件下で水耕栽培した水稲における硫黄濃度及び窒素濃度を示す図である。
【
図3】
図3は、実施例3において、2020年、2021年及び2022年における、硫黄欠乏が発生した現場圃場において栽培した水稲における代謝物量を示す図である。
【
図4】
図4は、実施例3において、2023年における、硫黄欠乏が発生した現場圃場において栽培した水稲における代謝物量を示す図である。
【
図5】
図5は、実施例4において、硫黄不足の条件下で水耕栽培した水稲におけるグリシン/アラニン比を示す図である。
【
図6】
図6は、実施例5において、2020年、2021年及び2022年における、硫黄欠乏が発生した現場圃場において栽培した水稲におけるグリシン/アラニン比を示す図である。
【
図7】
図7は、実施例5において、2023年における、硫黄欠乏が発生した現場圃場において栽培した水稲におけるグリシン/アラニン比を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0017】
以下に本開示を実施するための形態について説明するが、本開示は以下の実施形態に限定されるものではない。
【0018】
本開示において、特別な記載がない限り、アミノ酸はL体のアミノ酸を表す。例えば、本開示において、「アラニン」及び「L-アラニン」との用語はL体のアラニンを表し、「D-アラニン」との用語はD体のアラニンを表す。
【0019】
<イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法>
本開示の一実施形態は、イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法であって、上記イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量を測定すること(myo-イノシトール測定)、及び/又は上記イネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比を測定すること(グリシン/アラニン比測定)、を含む、方法、である。すなわち、本開示の一実施形態は、イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法であって、myo-イノシトール測定を含む方法、であり、本開示の他の一実施形態は、イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法であって、グリシン/アラニン比測定を含む方法であり、本開示のさらに他の一実施形態は、イネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法であって、myo-イノシトール測定及びグリシン/アラニン比測定を含む方法である。また、本開示の一実施形態は、イネ属植物における硫黄欠乏を診断するためのデータを取得する方法であって、myo-イノシトール測定及び/又はグリシン/アラニン比測定を含む方法でもあり得る。
【0020】
<イネ属植物>
本開示において、「植物」は、特段の限定がない限り、植物全体、植物細胞、植物プロトプラスト、植物カルス、又は植物の部分、例えば、胚、花粉、胚珠、配偶子、種子、葉、花、枝、果実、茎、根、葯等を含む。
【0021】
本開示において、「イネ属植物」とは、イネ目イネ科イネ属(Oryza)に属する植物を意味する。イネ属植物に属する代表的な植物としては、アジアイネ(Oryza sativa)及びアフリカイネ(Oryza glaberrima)が知られており、これらは食用として広く栽培されている。本開示に係るイネ属植物は、例えば、アジアイネ又はアフリカイネであってよく、この場合におけるアジアイネはジャポニカ種(O. sativa subsp. japonica)、インディカ種(O. sativasubsp. indica)又はジャバニカ種(O. sativa subsp. javanica)のいずれであってもよく、例えばジャポニカ種であってもよい。一実施形態において、本開示に係るイネ属植物は、水稲であってよい。
【0022】
<硫黄欠乏>
硫黄欠乏とは、イネ属植物における生育を阻害する要因になる状態の一つである。硫黄が欠乏したイネ属植物は、外観上は葉の黄化及び茎数の減少といった症状を呈する。また、外観に症状が現れない、又は外観に症状が現れたものの窒素欠乏であると誤診されてしまうなどといった、潜在的な硫黄欠乏による収量の低下が懸念されている。
【0023】
硫黄欠乏を生じているイネ属植物は、硫酸カルシウム又は又は硫酸苦土肥料等の硫黄資材を施用することによって、生育が回復する。換言すると、本開示の一実施形態において、イネ属植物に対して硫黄資材を施用した場合に、生育が回復するイネ属植物が、硫黄欠乏を生じているイネ属植物であるということができる。これらの場合における「生育が回復する」とは、例えば硫黄資材を施用することによって硫黄欠乏の外観的な特徴である葉の黄化及び/又は茎数の減少が改善又は消失すること、又は同一のイネ属植物に対して硫黄資材を施用しなかった場合と比較して、硫黄資材を施用したイネ属植物において良好な生育(例えば茎数が多い、及び/又は葉が黄化した面積が小さい)を示すことであってよい。また、これらの場合における「生育が回復した」か否かは、例えば硫黄資材を施用してから5日以上30日以下経過時点で判断された結果であってよく、具体的な一例としては7日後、10日後、12日後又は14日後に判断された結果であってもよい。
【0024】
本開示に係るイネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法は、一実施形態において、イネ属植物における硫黄資材による生育回復効果(改善効果)を予測する(又は測定若しくは診断する)方法でもあり得る。すなわち、本開示の一実施形態は、イネ属植物における硫黄資材による生育回復効果を予測する方法であって、myo-イノシトール測定及び/又はグリシン/アラニン比測定を含む方法でもあり得る。
【0025】
本開示における「硫黄資材」とは、可溶性硫黄を保証できる資材(肥料中に希塩酸で抽出される硫黄が1%以上含まれていることを保証できる資材、例えば、イネ属植物が利用(吸収)可能な態様で硫黄を供給することができる資材)であれば特に限定されず、例えば硫酸アンモニア、被覆窒素肥料、過りん酸石灰、重過りん酸石灰、被覆りん酸肥料、加工りん酸肥料、硫酸加里、硫酸加里苦土、被覆加里肥料、加工家きんふん肥料、乾燥菌体肥料、被覆複合肥料、硫酸カルシウム、硫酸苦土肥料、加工苦土肥料、被覆苦土肥料、硫酸マンガン肥料、加工マンガン肥料及び加工ほう素肥料等並びにこれらを原料とした化成肥料、配合肥料及び指定混合肥料等を挙げることができ、具体的な成分としては硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カリウム、硫酸アンモニウム等を含む資材(肥料)を挙げることができる。
【0026】
本開示に係るイネ属植物における硫黄欠乏を診断する方法によって硫黄欠乏状態にあると診断されたイネ属植物は、硫黄資材の施用によって生育が回復する可能性がある。このような硫黄資材の施用方法としては、イネ属植物の生育が回復する方法であれば特に限定されないが、例えば全層施肥法、側条施肥法及び育苗箱全量施肥法(苗箱施肥法)等を挙げることができる。
【0027】
<硫黄欠乏の診断>
本開示に係る硫黄欠乏を診断する方法では、イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量を測定すること(myo-イノシトール測定)及び/又はイネ属植物におけるグリシンとアラニンの含有量の比を測定すること(グリシン/アラニン比測定)によって、該イネ属植物における硫黄欠乏を診断する。
【0028】
本開示において、イネ属植物におけるmyo-イノシトール測定及びグリシン/アラニン比測定は、通常、イネ属植物の器官等の部分を採取し、該部分におけるmyo-イノシトールの含有量又はグリシンとアラニンの含有量比を測定することによって行われる。本開示においてmyo-イノシトール測定又はグリシン/アラニン比測定に用いられるイネ属植物の器官等の部分は、硫黄欠乏を診断できるものであれば特に限定されず、例えば胚、花粉、胚珠、配偶子、種子、葉、花、枝、果実、茎、根、葯等であってよく、好ましくは胚、花粉、胚珠、配偶子、種子、葉、花、枝、果実、茎又は葯であり、より好ましくは葉又は茎であり、さらに好ましくは葉である。また、葉を用いる場合の葉の部位としては特に限定されず、例えば葉身、葉鞘、葉耳又は葉舌であってよく、具体的な一例としては葉身であってよい。
【0029】
イネ属植物の器官等の部分におけるmyo-イノシトール測定及びグリシン/アラニン比の測定は、イネ属植物の器官等の部分からmyo-イノシトール、アラニン及びグリシンを含む代謝物を抽出し、該抽出物におけるmyo-イノシトール、アラニン及び/又はグリシンの含有量を測定することによって、行うことができる。イネ属植物の器官等の部分からの代謝物の抽出方法は、myo-イノシトールを抽出可能な方法並びに/又はアラニン及びグリシンを抽出可能な方法であれば特に限定されず、当業者が通常用いる方法に従って行うことができる。このような抽出方法としては、例えば、採取したイネ属植物の器官等の部分を、必要に応じて凍結乾燥した後に、破砕し、得られた破砕物に対して水系溶液(例えば水、メタノール及びクロロホルムの混合溶液)を添加してインキュベートすることによって代謝物を溶液中に溶出させた後、遠心分離又はろ過等によって不溶性成分を除去する方法を挙げることができる。一実施形態において、イネ属植物の器官等の部分からの代謝物の抽出は、ペプチダーゼ活性を有する酵素によって処理することを含まなくてもよい。
【0030】
本開示における、myo-イノシトール、アラニン及びグリシン等の代謝物の含有量を測定することは、代謝物の含有量として例えば植物の器官の単位質量あたりの含有量(例えば質量又は物質量)又は該器官における濃度(例えば体積モル濃度、質量モル濃度又は質量パーセント濃度)を測定することであってよく、代謝物の含有量の指標となるパラメータを取得することであってもよいが、測定の簡便性の観点から、好ましい一実施形態においては代謝物の含有量の指標となるパラメータを取得することであってもよい。換言すると、本開示において使用する代謝物の「含有量」との用語は、該代謝物の含有量及び該代謝物の含有量の指標となるパラメータの値(大きさ)の両方を含む概念であり、好ましい一実施形態において、代謝物の「含有量」は、該代謝物の含有量の指標となるパラメータの値(大きさ)であってもよい。このような含有量の指標となるパラメータとしては、例えば質量分析又は光学測定におけるピーク強度又はピーク面積を挙げることができる。また、そのようなパラメータを取得することができる測定方法としては、特に限定されるものではないが、例えばGC-MS解析、LC-MS解析、LC-MS/MS解析又はHPLCにおける吸光度若しくは蛍光強度測定であってよく、また例えば示差屈折率検出器(RID)、蒸発光散乱検出器(ELSD)、電気化学検出器(ECD)又は荷電化粒子検出器(CAD)等におけるシグナル強度であってもよい。
【0031】
<myo-イノシトール測定>
本開示に係る硫黄欠乏を診断する方法は、一実施形態において、myo-イノシトールの含有量を測定することを含む。myo-イノシトールは、シクリトールの一種であり、アメリカ化学会が定める化合物番号であるCAS登録番号が87-89-8である化合物である。植物における代謝物として、植物中において遊離状態あるいは結合状態で広く存在し、膜成分を構成する役割、及びフィチン酸(イノシトール6リン酸、IP6)を形成してリン酸を貯蔵する役割など、多くの役割を果たすことが知られている。他方、硫黄欠乏に応じてイネ属植物におけるmyo-イノシトール量が変動することはこれまでに知られていなかった。
【0032】
本開示に係る硫黄欠乏を診断する方法の一実施形態では、イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量が少ない場合に、硫黄欠乏状態であると診断されてよい。一実施形態において、イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量が対照のイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量よりも少ない場合に、硫黄欠乏状態であると診断されてよい。対照のイネ属植物としては、例えば硫黄欠乏状態でないイネ属植物であってよく、具体的な一例としては、硫黄欠乏を診断されるイネ属植物と同じ品種の、硫黄欠乏状態でないイネ属植物であってもよい。また、対照のイネ属植物としては、例えば硫黄欠乏抵抗性のイネ属植物であってよく、該硫黄欠乏抵抗性のイネ属植物は、例えば、硫黄欠乏抵抗性の遺伝子が導入された、硫黄欠乏を診断されるイネ属植物と同じ品種のイネ属植物であってよく、また例えば、硫黄不足の圃場において栽培されても硫黄欠乏状態に陥らない又は陥りにくいことが知られるイネ属植物であってもよい。
【0033】
本開示の一実施形態において、イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量が対照のイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量よりも少ないとは、例えば、診断されるイネ属植物において測定したmyo-イノシトールの含有量が、複数の対照のイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量の平均値又は中央値よりも少ないことであってよく、より具体的には例えば該平均値又は中央値の1.00倍未満、0.95倍以下、0.90倍以下、0.85倍以下、0.80倍以下、0.75倍以下、0.70倍以下又は0.50倍以下であることであってもよい。また例えば、イネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量が対照のイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量よりも少ないとは、例えば、診断されるイネ属植物から採取した複数のサンプルにおいて測定したmyo-イノシトールの含有量が、1つ又は複数の対照のイネ属植物から採取した複数のサンプルにおいて測定したmyo-イノシトールの含有量よりも有意に少ないことであってよく、この場合における有意に少ないとは、例えばmyo-イノシトールの含有量の平均値が対照のイネ属植物におけるmyo-イノシトールの含有量の平均値よりも小さく、かつ両者の間で行ったdunnett検定におけるp値が0.05未満、0.01未満又は0.001未満であることであってよい。
【0034】
<グリシン/アラニン比測定>
本開示に係る硫黄欠乏を診断する方法は、一実施形態において、グリシンとアラニンの含有量の比(グリシン/アラニン比)を測定することを含む。グリシン及びアラニンは、植物を含む生物において普遍的に存在するα-アミノ酸である。生物におけるグリシン及びアラニンは、タンパク質の酵素分解によって生じる他、生合成によっても生じる。なお、本開示に係るグリシン/アラニン比とは、イネ属植物において遊離状態で存在するグリシン及びアラニンの含有量の比を意味するものであり、イネ属植物に存在するペプチド及びタンパク質等に含まれるグリシン残基及びアラニン残基も含めたグリシンの総量とアラニンの総量との比を意味するものではない。
【0035】
本開示に係る「グリシンとアラニンの含有量の比」及び「グリシン/アラニン比」との用語は、アラニンの含有量で規格化したグリシンの含有量を意味する。換言すると、本開示に係る「グリシンとアラニンの含有量の比」及び「グリシン/アラニン比」との用語は、グリシンの含有量をアラニンの含有量で除した値を意味する。
【0036】
本開示に係るグリシン/アラニン比は、植物の器官の単位質量あたりの含有量(例えば質量又は物質量)の比又は該器官における濃度(例えば体積モル濃度、質量モル濃度又は質量パーセント濃度)の比であってよく、代謝物の含有量の指標となるパラメータの比であってもよい。グリシン/アラニン比の具体的な例としては、植物の器官等の部分からの抽出物に含まれるグリシンとアラニンの質量比、濃度比及び物質量比を挙げることができる。また、他のグリシン/アラニン比の具体的な例としては、植物の器官等の部分からの抽出物をGC-MS解析、LC-MS解析、LC-MS/MS解析又はHPLCにおける吸光度若しくは蛍光強度測定等で分析した際の、グリシン由来のシグナルとアラニン由来のシグナルのピーク面積比及びシグナル強度比を挙げることができ、この場合におけるピーク面積は、横軸を保持時間(retention time)とし、縦軸をシグナル強度として表示した場合のピーク面積であってよい。
【0037】
本開示に係る硫黄欠乏を診断する方法の一実施形態では、グリシンとアラニンの含有量の比(グリシン/アラニン比)が大きい場合に、硫黄欠乏状態であると診断されてよい。一実施形態において、イネ属植物におけるグリシン/アラニン比が、対照のイネ属植物におけるグリシン/アラニン比よりも大きい場合に、診断されるイネ属植物が硫黄欠乏状態であると診断されてよい。対照のイネ属植物としては、例えば硫黄欠乏状態でないイネ属植物であってよく、具体的な一例としては、硫黄欠乏を診断されるイネ属植物と同じ品種の、硫黄欠乏状態でないイネ属植物であってもよい。また、対照のイネ属植物としては、例えば硫黄欠乏抵抗性のイネ属植物であってよく、該硫黄欠乏抵抗性のイネ属植物は、例えば、硫黄欠乏抵抗性の遺伝子が導入された、硫黄欠乏を診断されるイネ属植物と同じ品種のイネ属植物であってよく、また例えば、硫黄不足の圃場において栽培されても硫黄欠乏状態に陥らない又は陥りにくいことが知られるイネ属植物であってもよい。
【0038】
本開示の一実施形態において、イネ属植物におけるグリシン/アラニン比が対照のイネ属植物におけるグリシン/アラニン比よりも大きいとは、例えば、診断されるイネ属植物において測定したグリシン/アラニン比が、複数の対照のイネ属植物におけるグリシン/アラニン比の平均値又は中央値よりも大きいことであってよく、より具体的には例えば該平均値又は中央値の1.0倍超、1.2倍以上、1.4倍以上、1.6倍以上、1.8倍以上、2.0倍以上、2.5倍以上、3.0倍以上、5.0倍以上又は10倍以上であることであってもよい。また例えば、イネ属植物におけるグリシン/アラニン比が対照のイネ属植物におけるグリシン/アラニン比よりも大きいとは、例えば、診断されるイネ属植物から採取した複数のサンプルにおいて測定したグリシン/アラニン比が、1つ又は複数の対照のイネ属植物から採取した複数のサンプルにおいて測定したグリシン/アラニン比よりも有意に大きいことであってよく、この場合における有意に大きいとは、例えばグリシン/アラニン比の平均値が対照のイネ属植物におけるグリシン/アラニン比の平均値よりも大きく、かつ両者の間で行ったdunnett検定におけるp値が0.05未満、0.01未満又は0.001未満であることであってよい。
【0039】
<代謝物のラベル化>
含有量及び/又は含有量の指標となるパラメータの測定において、myo-イノシトール、アラニン及び/又はグリシンは、必要に応じて、ラベル化されてもよく、該ラベル化は、プレカラム誘導体化又はポストカラム誘導体化のいずれであってもよい。このようなラベル化に用いるラベル化剤としては、当業者が通常使用するものを用いることができ、例えばGC-MSによる測定を行う場合には、myo-イノシトール、アラニン及び/又はグリシンは、例えばN-メチル-N-トリメチルシリルトリフルオロアセトアミド(MSTFA)、N,O-ビス(トリメチルシリル)トリフルオロアセトアミド(BSTFA)又はN,O-ビス(トリメチルシリル)アセトアミド(BSA)を用いてラベル化されていてよい。また例えば、HPLCによって分離したmyo-イノシトール、アラニン及び/又はグリシンの吸光度又は蛍光強度を測定する場合には、これらは、例えばo-フタルアルデヒド、フェニルイソチオシアネート又はダンシルクロライド等の、光学計で検出可能な波長領域に吸収体及び/又は蛍光波長を有するラベル化剤を用いてラベル化されていてよい。
【0040】
<診断の対象となるイネ属植物の栽培方法及び生育段階>
本開示に係る硫黄欠乏を診断する方法によって診断されるイネ属植物の栽培方法は特に限定されず、水田で栽培されたイネ(水稲)、水耕栽培されたイネ、及び畑で栽培されたイネ(陸稲)のいずれであってもよいが、無硫酸根肥料の連用によって硫黄欠乏がより生じやすい観点から、好ましい一実施形態においては水田で栽培されたイネ(水稲)又は水耕栽培されたイネであってよく、より好ましい一実施形態においては水田で栽培されたイネ(水稲)であってもよい。
【0041】
本開示に係る硫黄欠乏を診断する方法における、myo-イノシトール量及び/又はグリシン/アラニン比が測定されるイネ属植物の生育段階は、特に限定されるものではないが、一実施形態においては、分げつ期であってよく、例えば有効分げつ期、又は最高分げつ期の直前の所定の日数(1日、2日、3日、5日、7日、10日又は14日)の期間であってもよい。本開示において分げつ期とは、茎数が増加する生育段階を意味する。本開示において有効分げつ期とは、分げつ期の中でも特に茎数が急増する期間を意味し、より具体的には分げつを開始してから、幼穂形成期の開始時における茎数と同数の茎数に初めて達するまでの期間を意味する。最高分げつ期とは、単位面積当たりの茎数が最大になる生育段階を意味する。硫黄欠乏を上記の時期に診断することによって、イネ属植物の硫黄欠乏状態を把握し、適切に硫黄資材を施用することができれば、茎数の増加が盛んな分げつ期に硫黄欠乏に陥る期間を最小限にとどめ、収量の減少を避けることができる。
【0042】
<作用・効果>
【0043】
本開示の一実施形態によれば、イネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。
【0044】
本開示の一実施形態によれば、植物の器官等の部分をサンプルとして、イネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。そうすると、イネ属植物における硫黄欠乏を簡便に診断することができる。
【0045】
本開示の一実施形態によれば、迅速かつ簡便にイネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。また、本開示の一実施形態によれば、植物の器官等の部分をサンプルとして、迅速かつ簡便にイネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。そうすると、イネ属植物における硫黄欠乏を、診断に要する時間(タイムラグ)に起因した収量の減少を抑えながら、診断することができる。
【0046】
本開示の一実施形態によれば、外観によらずとも、イネ属植物における硫黄欠乏を診断することができる。本開示の一実施形態によれば、イネ属植物における硫黄欠乏と窒素欠乏を弁別することができる。そうすると、外観では硫黄欠乏の症状を呈していない、あるいは外観では窒素欠乏と硫黄欠乏を弁別することができないイネ属植物について、硫黄欠乏を診断することができる。
【0047】
<他の実施形態>
本開示の他の一実施形態は、本開示の一実施形態に係る硫黄欠乏を診断する方法によって診断されたイネ属植物を育てて得られるイネ属植物でもあり得る。
【実施例0048】
以下に実施例を用いて本開示をより具体的に説明するが、本開示は以下の実施例に限定されるものではない。
【0049】
<実施例1:硫黄不足の条件下で水耕栽培した水稲における代謝物量>
2020年、2021年の2年間において、水稲を硫黄不足でない条件(正常培養液、正常)又は硫黄不足の条件(硫黄欠乏培養液、S欠)の下で栽培し、それらの代謝物について評価した。
【0050】
2020年における栽培では、表1に示した正常培養液(正常)又は硫黄欠乏培養液(S欠)を用いて培養を行った。これらの培養液としては、水耕栽培に用いる培養液として知られる木村氏B液に対して、不足する成分を追加し、かつpHを5.0~5.5に調整したものを使用した。また、2020年における栽培では、水稲を、これらの培養液を用いて、全期間硫黄欠乏条件区(移植後全期間を硫黄欠乏培養液で栽培)、硫黄十分条件区(移植後全期間を正常培養液で栽培)、生育後期硫黄欠乏条件区(移植時は正常培養液、分げつ開始約1週間後から硫黄欠乏培養液で栽培)、生育前期硫黄欠乏条件区(移植時は硫黄欠乏培養液、分げつ開始約1週間後から正常培養液で栽培)の4条件で栽培した。なお、試薬としては特級試薬を使用し、溶媒としては脱イオン水を用いた。また、SiO2・xH2Oは、ケイ素ナトリウム水溶液を陽イオン交換樹脂(アンバーライト(登録商標)、IR120B)に通過させ、ナトリウムイオンを除去することによって調製したものを用いた。また、塩素濃度は、正常培養液で52ppm、硫黄欠乏培養液で65ppmであった。
【0051】
【0052】
2021年における栽培では、表2に示した4つの培地を用いて、水稲を、硫黄濃度が0ppm(S0区、S無区)、0.087ppm(0.01倍区)、0.87ppm(0.1倍区)及び8.7ppm(正常区、通常区)の4水準の硫黄濃度条件で栽培した。これらの条件における培養液としては、水耕栽培に用いる培養液として知られる木村氏B液に対して、不足する成分を追加し、かつpHを5.0~5.5に調整したものを使用した。なお、試薬としては特級試薬を使用し、溶媒としては脱イオン水を用いた。また、SiO2・xH2Oは、ケイ素ナトリウム水溶液を陽イオン交換樹脂(アンバーライト(登録商標)、IR120B)に通過させ、ナトリウムイオンを除去することによって調製したものを用いた。また、塩素濃度は、通常区で45mg/L、0.1倍区で63mg/L、0.01倍区で65mg/L、S無区で65mg/Lであった。
【0053】
【0054】
このようにして2020年又は2021年に得られた水稲について、最上位の完全展開葉を採取することによってサンプリングした。採取した最上位の完全展開葉を、凍結乾燥した後粉砕し、凍結乾燥試料を得た。
【0055】
抽出用溶液(メタノール:クロロホルム:水=3:1:1)800μLを凍結乾燥試料5mg対して添加して混合し、10分間インキュベートして水溶性の代謝物を抽出した。その混合液にさらに水を170μL添加して混和し、4℃の条件下において14000rpmで5分間遠心分離した。上清を回収し、4℃の条件下において14000rpmで7分間さらに遠心分離した。上清を回収し、減圧遠心することによって乾固し、抽出試料とした。抽出試料に対して、20mg/mLのメトキシアミン塩酸塩水溶液を60μL添加し、35℃で90分間インキュベートして抽出試料を溶解させた。そこに、N-メチル-N-トリメチルシリルトリフルオロアセトアミド(MSTFA)を30μL添加し、35℃で30分間インキュベートして代謝物を誘導体化した後、室温の条件下において14000rpmで5分間遠心分離し、その上清をGC-MSの分析試料とした。分析には、GCMS-QP2010 Ultra(島津製作所)を用いた。なお、以降の実施例において、GC-MSの結果における縦軸はピーク面積として表した。
【0056】
結果を
図1に示す。
図1におけるデータは、平均値±標準誤差(n=3)で示されており、図中における*、**及び***は、dunnett検定におけるp値がそれぞれ0.05未満、0.01未満及び0.001未満であったことを示す。
図1によれば、全期間硫黄欠乏(2020年)及び硫黄濃度0ppm(2021年)の条件において、代謝物のうち、グルタミン、セリン及びグリシンの含有量が有意に多く、特にグリシンにおいて硫黄不足でない群に対する含有量の倍率が大きかった。また、全期間硫黄欠乏(2020年)及び硫黄濃度0ppm(2021年)の条件において、myo-イノシトール量の含有量が有意に少なかった。他方で、アラニン及びチロシンでは、以上で観察されたような、全期間硫黄欠乏(2020年)及び硫黄濃度0ppm(2021年)の条件における代謝物量の有意な変動は見られなかった。
【0057】
<実施例2:硫黄不足の条件下で水耕栽培した水稲における硫黄濃度及び窒素濃度>
イネ属植物における硫黄欠乏の診断における指標としての利用の可能性が知られているパラメータの一つとして、水稲の葉身における硫黄濃度と窒素濃度の比率が知られている。そこで、硫黄不足でない条件(正常培養液、正常)又は硫黄不足の条件(硫黄欠乏培養液、S欠)の下で栽培した水稲の葉身について、硫黄濃度と窒素濃度を測定した。
【0058】
実施例1と同様に調製した凍結粉砕試料に対して硝酸を十分量添加し、90℃まで加熱して分解するまでインキュベートした。その後、硝酸濃度が3%となるように水で希釈し、混合した後一晩以上静置した。上清を回収し、水で5倍希釈した溶液を、ICP-MS(7700x ICP-MS、Agilent社製)によって硫黄濃度を測定した。また、秤量した凍結粉砕試料について、乾式燃焼法を用いたスミグラフ(NC-22F,住化分析センター社製)を使用して窒素濃度を測定した。
【0059】
結果を
図2に示す。
図2におけるデータは、平均値±標準誤差(n=3)で示されており、図中における*及び***は、dunnett検定におけるp値がそれぞれ0.05未満及び0.001未満であったことを示す。
図2によれば、培養液中の硫黄濃度に対して、葉身中の硫黄濃度と窒素濃度は類似した依存性を示し、その比を指標として硫黄欠乏の診断を行うことは必ずしも容易でない可能性が示唆された。
【0060】
<実施例3:現場圃場において栽培した水稲における代謝物量>
実施例1の結果を踏まえ、硫黄欠乏症の発生が懸念される水田で、複数の条件で硫黄処理を行って水稲を栽培し、代謝物量を測定した。2020年の圃場Aでは、「にじのきらめき」が供試品種として栽培され、硫黄は硫酸カルシウム(「畑のカルシウム」)として全層施用され、0kg/10a、40kg/10a、60kg/10aの3水準で処理された。2020年の圃場Bでは、「ゆめおばこ」が栽培され、硫黄は硫酸カルシウムとして、育苗箱への箱施用として、0g/箱、125g/箱、500g/箱の3水準で処理された。2021年の圃場Aでは、「にじのきらめき」が栽培され、硫黄は硫酸カルシウムとして全層施用され、0kg/10a、40kg/10a、60kg/10aの3水準で処理された。2021年の圃場Cは、「ゆめおばこ」が栽培され、硫黄は硫酸カルシウムとして育苗箱への箱施用で0g/箱、250g/箱、500g/箱の3水準で処理された。2022年の圃場Dは「あきたこまち」が栽培され、硫黄は無処理、全層施用100kg/10a、箱施用500g/箱の3つの条件で処理された。2023年の圃場では、「美山錦」が供給品種として栽培され、硫黄は硫酸カルシウムとして、40kg/10a又は100kg/10aでの全層施用又は250g/箱での育苗箱への箱施用で施用された。
【0061】
このように得られた水稲について、最上位の完全展開葉を採取することによってサンプリングした。採取した最上位の完全展開葉を、凍結乾燥した後粉砕し、凍結乾燥試料を得た。得られた凍結乾燥試料について、実施例1と同様に代謝物の量を分析した。
【0062】
2020年、2021年及び2022年の結果を
図3に示す。2023年の結果を
図4に示す。
図3及び
図4におけるデータは、平均値±標準誤差(n=3)で示されており、図中における*、**及び***は、dunnett検定におけるp値がそれぞれ0.05未満、0.01未満及び0.001未満であったことを示す。
図3及び
図4によれば、代謝物のうち、グリシンについて、硫黄欠乏症の発症が懸念される全ての圃場で、土壌中の硫黄量が少ないとグリシン量が多くなる傾向があった。他方、アラニンについては、土壌中の硫黄量が応じた量の変動が小さい傾向があった。さらに、代謝物のうち、myo-イノシトールについて、全ての圃場で、土壌中の硫黄量が少ないとmyo-イノシトール量が少なくなる傾向があった。この結果から、myo-イノシトールの含有量を測定することによって、イネ属植物の硫黄欠乏を診断できることが明らかとなった。
【0063】
<実施例4:硫黄不足の条件下で栽培した水稲におけるグリシン/アラニン比>
実施例1及び実施例3の結果を踏まえて、グリシンの含有量をアラニンの含有量で規格化した指標(グリシン/アラニン比、Gly/Ala比)によって、イネ属植物の硫黄欠乏を診断可能か検討した。
【0064】
実施例1の水耕栽培における各条件のグリシン由来のピーク面積を、それぞれの条件のアラニン由来のピーク面積で除した値であるグリシン/アラニン比の結果を
図5に示す。実施例3の現場圃場での栽培における各条件のグリシン由来のピーク面積を、それぞれの条件のアラニン由来のピーク面積で除した値であるグリシン/アラニン比の結果を、2020年、2021年及び2022年の結果について
図6に、2023年の結果について
図7に、それぞれ示す。
図5、
図6及び
図7によれば、水耕栽培及び現場圃場での栽培に関して、硫黄欠乏でない条件と比較して、硫黄欠乏の条件において栽培したイネ属植物のグリシン/アラニン比が大きくなった。この結果から、グリシンとアラニンの含有量の比を測定することによって、イネ属植物の硫黄欠乏を診断できることが明らかとなった。