(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2021-12-10
(45)【発行日】2022-02-15
(54)【発明の名称】毛様体周縁部様構造体の製造法
(51)【国際特許分類】
C12N 5/071 20100101AFI20220207BHJP
C12N 5/0735 20100101ALI20220207BHJP
C12N 5/10 20060101ALN20220207BHJP
【FI】
C12N5/071
C12N5/0735
C12N5/10
(21)【出願番号】P 2019042043
(22)【出願日】2019-03-07
(62)【分割の表示】P 2015552354の分割
【原出願日】2014-10-16
【審査請求日】2019-04-05
(31)【優先権主張番号】P 2013255836
(32)【優先日】2013-12-11
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【前置審査】
(73)【特許権者】
【識別番号】000002093
【氏名又は名称】住友化学株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】503359821
【氏名又は名称】国立研究開発法人理化学研究所
(74)【代理人】
【識別番号】100080791
【氏名又は名称】高島 一
(74)【代理人】
【識別番号】100136629
【氏名又は名称】鎌田 光宜
(72)【発明者】
【氏名】桑原 篤
(72)【発明者】
【氏名】笹井 芳樹
【審査官】伊達 利奈
(56)【参考文献】
【文献】特開2013-128474(JP,A)
【文献】国際公開第2013/077425(WO,A1)
【文献】特開2013-128477(JP,A)
【文献】特開2013-128476(JP,A)
【文献】特開2013-128475(JP,A)
【文献】特開2013-201943(JP,A)
【文献】T.Nakano, et al,Cell Stem Cell,2012年,Vol.10,p.771-785
【文献】T.Inoue, et al,STEM CELLS,2006年,Vol.24,p.95-104
【文献】S.Fuhrmann,Organogenesis,2008年,Vol.4, Issue 2,p.60-67
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 5/00
PubMed
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
網膜組織を含むヒト多能性幹細胞由来の細胞凝集体であり、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が20%以上100%以下である細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中で、3日間~14日間培養し、網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が
30%から0%の範囲内にまで減少し、MITF陽性細胞を
その網膜組織における存在割合が3%を超えて含む細胞凝集体を得る工程を含む、網膜色素上皮細胞を含む細胞凝集体の製造方法、
ここで、該Wntシグナル経路作用物質は、Wntにより媒介されるシグナル伝達を増強し得るものである。
【請求項2】
網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が3
%以下に減少する、請求項1記載の方法。
【請求項3】
Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中での培養期間が3日間~6日間である、請求項1
又は2に記載の製造方法。
【請求項4】
網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が減少し、MITF陽性細胞を含む細胞凝集体が、MITF陽性細胞の存在割合が80
%である細胞凝集体である、請求項1~
3のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項5】
Wntシグナル経路作用物質が、Wnt3a、6-Bromoindirubin-3'-oxime(BIO)、CHIR99021およびKenpaulloneからなる群より選択される1以上である、請求項1~
4のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項6】
FGFシグナル経路阻害物質が、SU-5402、AZD4547およびBGJ398からなる群より選択される1以上である、請求項1~
5のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項7】
前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が20%以上100%以下である細胞凝集体が、下記(A)及び(B)の工程を含む方法により調製され得る細胞凝集体である、請求項1~
6のいずれか一項に記載の製造方法
(A)ヒト多能性幹細胞を無血清培地中で浮遊培養することによりヒト多能性幹細胞の凝集体を形成させる工程;及び
(B)工程(A)で形成された凝集体を、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含まずBMPシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜前駆細胞を含む細胞凝集体を得る工程、
ここで、該ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質は、ソニック・ヘッジホッグにより媒介されるシグナル伝達を増強し得る物質であり、該BMPシグナル伝達経路作用物質はBMPにより媒介されるシグナル伝達経路を増強し得る物質である。
【請求項8】
BMPシグナル伝達経路作用物質が、BMP2、BMP4、BMP7およびGDF7からなる群から選択される1以上である、請求項
7記載の製造方法。
【請求項9】
前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が20%以上100%以下である細胞凝集体が、下記(C)、(D)及び(E)の工程を含む方法により調製され得る細胞凝集体である、請求項1~
6のいずれか一項に記載の製造方法
(C)ヒト多能性幹細胞を、Wnt シグナル経路阻害物質を含む無血清培地中で浮遊培養することによりヒト多能性幹細胞の凝集体を形成させる工程;
(D)工程(C)で形成された細胞凝集体を、基底膜標品を含む無血清培地中で浮遊培養する工程;及び
(E)工程(D)で培養された細胞凝集体を、血清培地中で浮遊培養する工程。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、毛様体周縁部様構造体の製造方法等に関する。
【背景技術】
【0002】
生体網膜の毛様体周縁部(Ciliary Marginal Zone、CMZ)は網膜組織の構造形成や維持に重要な働きをしていることが知られており(例えば、非特許文献1参照)、毛様体周縁部の遺伝子マーカーとして例えばRdh10遺伝子(非特許文献2)及びOtx1遺伝子(非特許文献1)が知られている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0003】
【文献】DEVELOPMENTAL DYNAMICS, Volume:239, Pages:2066-2077 (2010)
【文献】Development, Volume:136, Pages:1823-1833 (2009)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
毛様体周縁部様構造体を高効率に製造する方法の開発が切望されていた。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明は、網膜組織を含む細胞凝集体から毛様体周縁部様構造体を製造する方法等を提供する。
即ち、本発明は、
項1.網膜組織を含む細胞凝集体であり、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が20%以上100%以下である細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中で、RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間中に限り、培養した後、得られた「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」を、Wntシグナル経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地中で培養する工程を含む、毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体の製造方法(以下、本発明製造方法と記すこともある。);
項2.RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体が、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が30%から0%の範囲内である細胞凝集体である前項1記載の製造方法;
項3.得られた「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」を、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が30%以上になるまで、Wntシグナル経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地中で培養する前項1または2記載の製造方法;
項4.前記網膜組織がヒト多能性幹細胞由来である前項1から3のいずれか一項に記載の製造方法;
項5.前項1から4のいずれか一項に記載の製造方法により製造される毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体の毒性・薬効評価用試薬としての使用;
項6.前項1から4のいずれか一項に記載の製造方法により製造される毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体に被検物質を接触させ、該物質が該構造体又は該凝集体に及ぼす影響を検定することを含む、該物質の毒性・薬効評価方法;
項7.前項1から4のいずれか一項に記載の製造方法により製造される毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体の移植用生体材料としての使用;
項8.前項1から4のいずれか一項に記載の製造方法により製造される、有効量の毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体を、移植を必要とする対象に移植することを含む、網膜組織の障害に基づく疾患の治療方法;及び
項9.毛様体周縁部様構造体の障害に基づく疾患の治療における使用のための前項1から4のいずれか一項に記載の製造方法により製造される毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体;
等を提供する。
【発明の効果】
【0006】
本発明製造方法によれば、毛様体周縁部様構造体を高効率に製造することが可能となる。本発明製造方法により製造された毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体において、毛様体周縁部様構造体はProgress zoneとして機能し、当該毛様体周縁部様構造体に近接して、層構造をもち連続した神経網膜が高頻度に形成され得る。
【図面の簡単な説明】
【0007】
【
図1】
図1は、網膜組織を含む細胞凝集体(浮遊培養開始後18日目)の凍結切片の染色像である。"A"がRax遺伝子発現細胞のGFP蛍光像、"B"がChx10陽性細胞の免疫染色像、"C"が細胞核のDAPI染色像である。
【
図2】
図2は、網膜組織を含む細胞凝集体(浮遊培養開始後18日目)を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地で、6日間すなわち浮遊培養開始後24日目まで(A,B)、または、17日間すなわち浮遊培養開始後35日目まで(C,D)、浮遊培養して得られた細胞凝集体の凍結切片の染色像である。"A"及び"C"がChx10陽性細胞の免疫染色像、"B"及び"D"がMITF陽性細胞の免疫染色像である。
【
図3】
図3は、網膜組織を含む細胞凝集体(浮遊培養開始後18日目)を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地で6日間すなわち浮遊培養開始後24日目まで浮遊培養して得られた細胞凝集体(A,B)、及び、前記細胞凝集体(浮遊培養開始後24日目)をさらにWntシグナル経路作用物質を含みFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地で11日間すなわち浮遊培養開始後35日目まで浮遊培養して得られた細胞凝集体(C,D)、の凍結切片の染色像である。"A"及び"C"がChx10陽性細胞の免疫染色像、"B"及び"D"がMITF陽性細胞の免疫染色像である。
【
図4】
図4は、網膜組織を含む細胞凝集体(浮遊培養開始後18日目)を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地で6日間すなわち浮遊培養開始後24日目まで浮遊培養して得られた細胞凝集体(A,B)、前記細胞凝集体(浮遊培養開始後24日目)をさらにWntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地で11日間すなわち浮遊培養開始後35日目まで浮遊培養して得られた細胞凝集体(C,D)、の凍結切片の染色像である。"A"及び"C"がChx10陽性細胞の免疫染色像、"B"及び"D"がMITF陽性細胞の免疫染色像である。
【
図5】
図5は、網膜組織を含む細胞凝集体(浮遊培養開始後18日目)を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地で6日間浮遊培養し、さらにWntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地で39日間すなわち浮遊培養開始後63日目まで浮遊培養して得られた細胞凝集体の凍結切片の染色像である。"A"(Rx)がRax遺伝子発現細胞のGFP蛍光像、"B"がOtx1陽性細胞の免疫染色像、"C"がRdh10陽性細胞の免疫染色像である。
【
図6】
図6は、網膜組織を含む細胞凝集体(浮遊培養開始後18日目)を、実施例4に記載の3条件(A,B,C)でそれぞれ浮遊培養して得られた浮遊培養開始後35日目の細胞凝集体における、神経網膜のみを含む細胞凝集体の割合(灰色棒グラフ)、毛様体周縁部様構造体と連続した神経網膜を含む細胞凝集体の割合(黒棒グラフ)、神経網膜を含まず網膜色素上皮その他の組織を含む細胞凝集体の割合(白棒グラフ)を示したグラフである。
【
図7】
図7は、網膜組織を含む細胞凝集体(浮遊培養開始後18日目)を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地で6日間すなわち浮遊培養開始後24日目まで浮遊培養して得られた細胞凝集体(A,B)の凍結切片の染色像である。"A"が細胞核のDAPI染色像、"B"がRPE65陽性細胞の免疫染色像である。
【発明を実施するための形態】
【0008】
以下、本発明を実施するための形態について詳細に説明する。
【0009】
本発明において「幹細胞」としては、例えば、細胞分裂を経ても同じ分化能を維持する細胞であり、組織が傷害を受けたときにその組織を再生することができる細胞を挙げることができる。ここで「幹細胞」は、胚性幹細胞(ES細胞)若しくは組織幹細胞(組織性幹細胞、組織特異的幹細胞又は体性幹細胞ともいう)又は人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)であり得るが、それらに限定されない。幹細胞由来の組織細胞は、組織再生が可能なことから分かるように生体に近い正常な細胞に分化できることが知られている。
【0010】
本発明における「多能性幹細胞」としては、例えば、インビトロにおいて培養することが可能で、且つ、胎盤を除く生体を構成するすべての細胞(三胚葉(外胚葉、中胚葉、内胚葉)由来の組織)に分化しうる能力(多能性(pluripotency))を有する幹細胞を挙げることができる。胚性幹細胞(ES細胞)もこれに含まれる。「多能性幹細胞」は、受精卵、クローン胚、生殖幹細胞、組織内幹細胞から得られる。「多能性幹細胞」は、体細胞に数種類の遺伝子を導入することにより、胚性幹細胞に似た多能性を人工的に持たせた細胞(人工多能性幹細胞ともいう)も含む。多能性幹細胞は、自体公知の方法で作製することが可能である。人工多能性幹細胞の作製方法としては、例えば、Cell 131(5)pp.861-872 (2007)、Cell 126(4)pp.663-676 (2006)等に記載される方法を挙げることができる。
【0011】
本発明における「胚性幹細胞(ES細胞)」としては、例えば、自己複製能を有し、多分化能(特に、多能性「pluripotency」)を有する幹細胞であり、初期胚に由来する多能性幹細胞を挙げることができる。胚性幹細胞は、1981年に初めて樹立され、1989年以降ノックアウトマウス作製にも応用されている。1998年にはヒト胚性幹細胞が樹立されており、再生医学にも利用されつつある。
【0012】
本発明における「人工多能性幹細胞」としては、例えば、線維芽細胞等の分化した細胞をOct3/4、Sox2、Klf4、Myc等の数種類の遺伝子の発現により直接初期化して多分化能を誘導した細胞を挙げることができる。2006年、山中らによりマウス細胞で人工多能性幹細胞が樹立された(Takahashi K, Yamanaka S.Cell. 2006, 126(4), p663-676)。人工多能性幹細胞は、2007年にヒト線維芽細胞でも樹立され、胚性幹細胞と同様に多分化能を有する(Cell, 2007, 131(5),p861-872; Science, 2007, 318(5858), p1917-1920; Nat Biotechnol., 2008, 26(1), p101-106)。
【0013】
多能性幹細胞は、所定の機関より入手でき、市販品を購入することもできる。例えば、ヒト胚性幹細胞であるKhES-1、KhES-2及びKhES-3は、京都大学再生医科学研究所より入手可能である。マウス胚性幹細胞であるEB5細胞は独立行政法人理化学研究所より、D3株はATCCより、それぞれ入手可能である。
多能性幹細胞は、自体公知の方法により維持培養できる。例えば、ヒト幹細胞は、KnockoutTM Serum Replacement(KSR)を用いて培養することにより維持できる。例えば、マウス幹細胞は、牛胎児血清(fetal bovine serum, FBS)、白血病阻止因子(leukemia inhibitory factor, LIF)を添加し無フィーダー下に培養することにより維持できる。
【0014】
本発明における「凝集体」としては、培地中に分散していた細胞が集合して形成した塊を挙げることができ、本発明における「凝集体」には、浮遊培養開始時に分散していた細胞が形成した凝集体と浮遊培養開始時に既に形成されていた凝集体とが含まれる。
「凝集体を形成させる」とは、細胞を集合させて細胞の凝集体を形成させて浮遊培養させる際に、「一定数の分散した幹細胞を迅速に凝集」させることで質的に均一な細胞の凝集体を形成させることをいう。例えば、多能性幹細胞を迅速に集合させて多能性幹細胞の凝集体を形成させると、形成された凝集体から分化誘導される細胞において上皮様構造を再現性よく形成させることができる。
凝集体を形成させる実験的な操作としては、例えば、ウェルの小さなプレート(96穴プレート)やマイクロポアなどを用いて小さいスペースに細胞を閉じ込める方法、小さな遠心チューブを用いて短時間遠心することにより細胞を凝集させる方法などが挙げられる。
【0015】
本発明における「組織」としては、例えば、形態や性質が異なる複数種類の細胞が一定のパターンで立体的に配置した構造を有する細胞集団の構造体を挙げることができる。
【0016】
本発明における「網膜組織」としては、例えば、生体網膜において各網膜層を構成する視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、網膜節細胞、これらの前駆細胞または網膜前駆細胞等の細胞が、少なくとも複数種類、層状で立体的に配列した網膜組織等を挙げることができる。それぞれの細胞がいずれの網膜層を構成する細胞であるかについては、公知の方法、例えば、細胞マーカーの発現有無若しくはその程度等により確認することができる。
本発明における「網膜組織」としては、例えば、網膜への分化に適した条件下で多能性幹細胞の凝集体を浮遊培養することにより当該細胞凝集体の表面に形成され得る、網膜前駆細胞又は神経網膜前駆細胞を含む上皮組織を挙げることもできる。
【0017】
本発明における「網膜層」とは、網膜を構成する各層を意味し、具体的には、網膜色素上皮層、視細胞層、外境界膜、外顆粒層、外網状層、内顆粒層、内網状層、神経節細胞層、神経線維層および内境界膜を挙げることができる。
【0018】
本発明における「網膜前駆細胞(retinal progenitor cell)」としては、神経網膜及び網膜色素上皮を構成するいずれの成熟な網膜細胞にも分化しうる前駆細胞を挙げることができる。
「神経網膜前駆細胞(neural retinal progenitor)」としては、眼杯(optic cup)の内層となる運命の細胞であって、神経網膜を構成するいずれの成熟な細胞にも分化しうる前駆細胞を挙げることができる。
【0019】
網膜細胞マーカーとしては、網膜前駆細胞で発現するRax及びPAX6、神経網膜前駆細胞で発現するChx10、視床下部ニューロンの前駆細胞では発現するが網膜前駆細胞では発現しないNkx2.1、視床下部神経上皮で発現し網膜では発現しないSox1、視細胞の前駆細胞で発現するCrxなどが挙げられる。網膜層特異的神経細胞のマーカーとしては、双極細胞で発現するChx10及びL7、節細胞で発現するTuJ1及びBrn3、アマクリン細胞で発現するCalretinin、水平細胞で発現するCalbindin、視細胞で発現するRhodopsin及びRecoverin、色素上皮細胞で発現するRPE65及びMitf、杆体細胞で発現するNrl、錐体細胞で発現するRxr-gammaなどが挙げられる。
【0020】
本発明における「毛様体周縁部(ciliary marginal zone;CMZ)」としては、例えば、生体網膜において網膜組織(具体的には、神経網膜)と網膜色素上皮との境界領域に存在する組織であり、且つ、網膜の組織幹細胞(網膜幹細胞)を含む領域を挙げることができる。毛様体周縁部は、毛様体縁(ciliary margin)または網膜縁(retinal margin)とも呼ばれ、毛様体周縁部、毛様体縁及び網膜縁は同等の組織である。毛様体周縁部は、網膜組織への網膜前駆細胞や分化細胞の供給や網膜組織構造の維持等に重要な役割を果たしていることが知られている。毛様体周縁部のマーカー遺伝子としては、例えば、Rdh10遺伝子(陽性)及びOtx1遺伝子(陽性)を挙げることができる。
【0021】
本発明における「Progress zone(進行帯)」としては、例えば、組織の一部分に限局して存在する未分化細胞の集合体であり、発生や再生の過程において持続的に増殖して組織全体の成長に寄与する性質、及びまたは、増殖因子等を分泌することにより周辺組織の成長に寄与する性質をもつ細胞の集合体を挙げることができる。Progress zoneの具体例としては肢芽(Limb bud)の先端部における未分化細胞の集合体が挙げられる。
【0022】
本発明において用いられる「培地」は、動物細胞の培養に用いられる培地を基礎培地として調製すればよい。基礎培地としては、例えば、BME培地、BGJb培地、CMRL 1066培地、Glasgow MEM培地、Improved MEM Zinc Option培地、IMDM培地、Medium 199培地、Eagle MEM培地、αMEM培地、DMEM培地、ハム培地、F-12培地、DMEM/F-12培地、RPMI 1640培地、Fischer’s培地、又は、これらの混合培地等、動物細胞の培養に用いることができる培地を挙げることができる。
【0023】
本発明における「無血清培地」としては、例えば、無調整又は未精製の血清を含まない培地を挙げることができる。本発明では、精製された血液由来成分や動物組織由来成分(例えば、増殖因子)が混入している培地も、無調整又は未精製の血清を含まない限り、無血清培地に含まれる。
【0024】
無血清培地は、血清代替物を含有していてもよい。血清代替物としては、例えば、アルブミン、トランスフェリン、脂肪酸、コラーゲン前駆体、微量元素、2-メルカプトエタノール又は3’チオールグリセロール、或いは、これらの均等物等を適宜含有するもの等を挙げることができる。かかる血清代替物は、例えば、WO98/30679等に記載される方法により調製すればよい。また血清代替物としては、市販品を利用してもよい。かかる市販の血清代替物としては、例えば、KnockoutTM Serum Replacement(Invitrogen社製:以下、KSRと記すこともある。)、Chemically Defined Lipid Concentrate(Gibco社製)、Glutamax(Gibco社製)を挙げることができる。
【0025】
浮遊培養で用いられる「無血清培地」は、例えば、脂肪酸、脂質、アミノ酸(例えば、非必須アミノ酸)、ビタミン、増殖因子、サイトカイン、抗酸化剤、2-メルカプトエタノール、ピルビン酸、緩衝剤、無機塩類等を含有してもよい。
【0026】
調製の煩雑さを回避するという観点からは、かかる無血清培地として、例えば、市販のKSRを適量(例えば、約1%から約20%)添加した無血清培地(GMEMもしくはDMEM培地に、0.1mM 2-メルカプトエタノール、0.1mM 非必須アミノ酸Mix、及び1mM ピルビン酸ナトリウムを添加した培地;又は、F-12培地とIMDM培地の1:1混合液に450μM 1-モノチオグリセロールを添加した培地等)を好ましく挙げることができる。
【0027】
本発明における「血清培地」としては、例えば、無調整又は未精製の血清を含む培地を挙げることができる。当該培地は、脂肪酸、脂質、アミノ酸(例えば、非必須アミノ酸)、ビタミン、増殖因子、サイトカイン、抗酸化剤、2-メルカプトエタノール、ピルビン酸、緩衝剤、無機塩類等を含有してもよい。
【0028】
本発明において培地に添加される「血清」として、例えば、牛血清、仔牛血清、牛胎児血清、馬血清、仔馬血清、馬胎児血清、ウサギ血清、仔ウサギ血清、ウサギ胎児血清、ヒト血清等哺乳動物の血清等を挙げることができる。
【0029】
本発明において、「物質Xを含む培地」とは、外来性(exogeneous)の物質Xが添加された培地または外来性の物質Xを含む培地を意味し、「物質Xを含まない培地」とは、外来性の物質Xが添加されていない培地または外来性の物質Xを含まない培地を意味する。ここで、「外来性の物質X」とは、その培地で培養される細胞または組織にとって外来の物質Xを意味し、その細胞または組織が産生する内在性(endogenous)の物質Xはこれに含まれない。
例えば、「Wntシグナル経路作用物質を含む培地」とは、外来性のWntシグナル経路作用物質が添加された培地または外来性のWntシグナル経路作用物質を含む培地である。「FGFシグナル経路阻害物質を含まない培地」とは、外来性のFGFシグナル経路阻害物質が添加されていない培地または外来性のFGFシグナル経路阻害物質を含まない培地である。
【0030】
本発明における「浮遊培養」としては、例えば、細胞凝集体を培地中において、細胞培養器に対して非接着性の条件下で行われる培養等を挙げることができる。
【0031】
浮遊培養で用いられる培養器としては、細胞の浮遊培養が可能なものであれば特に限定されない。このような培養器としては、例えば、フラスコ、組織培養用フラスコ、ディッシュ、ペトリデッシュ、組織培養用ディッシュ、マルチディッシュ、マイクロプレート、マイクロウェルプレート、マイクロポア、マルチプレート、マルチウェルプレート、チャンバースライド、シャーレ、チューブ、トレイ、培養バック、ローラーボトル等を挙げることができる。好ましい培養器としては、細胞非接着性の培養器を挙げることができる。
細胞非接着性の培養器としては、培養器の表面が細胞との接着性を向上させる目的で人工的に処理(例えば、細胞外マトリクス等によるコーティング処理)されていないもの等を使用することがよい。細胞非接着性の培養器としては、培養器の表面が細胞との接着性を低下させる目的で人工的に処理(例えば、超親水処理)されたもの等を使用してもよい。
【0032】
本発明製造方法は、網膜組織を含む細胞凝集体であり、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が20%以上100%以下である細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中で、RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間中に限り、培養した後、得られた「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」を、Wntシグナル経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地中で培養する工程を含むことを特徴とする。そして本発明製造方法により製造された「毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体」は、化学物質等の毒性や薬効の評価に使用するための試薬や、細胞治療等を目的とした試験や治療に使用するための材料として有用である。
【0033】
本発明製造方法でスタート原料として用いられる「網膜組織を含む細胞凝集体」は、当該網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が20%以上100%以下である細胞凝集体である。前記「Chx10陽性細胞の存在割合」としては、好ましくは40%以上を挙げることができ、より好ましくは60%以上を挙げることができ、特に好ましくは70%以上を挙げることができる。
【0034】
本発明製造方法でスタート原料として用いられる「網膜組織を含む細胞凝集体」は、例えば多能性幹細胞(好ましくはヒト多能性幹細胞)から調製することができる。多能性幹細胞としては、胚性幹細胞や人工多能性幹細胞が挙げられる。
【0035】
本発明製造方法でスタート原料として用いられる「網膜組織を含む細胞凝集体」は、具体的には、例えば下記(A)及び(B)の工程を含む方法により調製することができる:
(A)多能性幹細胞を無血清培地中で浮遊培養することにより多能性幹細胞の凝集体を形成させる工程;及び
(B)工程(A)で形成された凝集体を、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含まずBMPシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜前駆細胞を含む細胞凝集体を得る工程。
【0036】
多能性幹細胞を無血清培地中で浮遊培養することにより多能性幹細胞の凝集体を形成させる工程(A)について説明する。
【0037】
工程(A)において用いられる無血清培地は、上述したようなものである限り特に限定されない。例えば、市販のKSR等の血清代替物を適量添加した無血清培地(例えば、IMDMとF-12の1:1の混合液に10% KSR、450μM 1-モノチオグリセロール及び1x Chemically Defined Lipid Concentrateが添加された培地)を挙げることができる。無血清培地へのKSRの添加量としては、例えばヒトES細胞の場合は、通常約1%から約20%であり、好ましくは約2%から約20%である。
工程(A)における培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定できる。培養温度は、例えば約30℃から約40℃、好ましくは約37℃である。CO2濃度は、例えば約1%から約10%、好ましくは約5%である。
【0038】
工程(A)における多能性幹細胞の濃度は、多能性幹細胞の凝集体をより均一に、効率的に形成させるように適宜設定することができる。例えば96穴マイクロウェルプレートを用いてヒトES細胞を浮遊培養する場合、1ウェルあたり約1×103から約1×105細胞、好ましくは約3×103から約5×104細胞、より好ましくは約5×103から約3×104細胞、最も好ましくは約1.2×104細胞となるように調製した液をウェルに添加し、プレートを静置して細胞凝集体を形成させる。
【0039】
細胞凝集体を形成させるために必要な浮遊培養の時間は、細胞を均一に凝集させるように、用いる多能性幹細胞によって適宜決定可能であるが、均一な細胞凝集体を形成するためにはできる限り短時間であることが望ましい。例えば、ヒトES細胞の場合には、好ましくは約24時間以内、より好ましくは約12時間以内に細胞凝集体を形成させる。この細胞凝集体形成までの時間は、細胞を凝集させる用具や、遠心条件などを調整することにより適宜調節することが可能である。
多能性幹細胞の凝集体が形成されたことは、細胞凝集体のサイズおよび細胞数、巨視的形態、組織染色解析による微視的形態およびその均一性、分化および未分化マーカーの発現およびその均一性、分化マーカーの発現制御およびその同期性、分化効率の細胞凝集体間の再現性などに基づき判断することが可能である。
【0040】
工程(A)で形成された細胞凝集体を、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含まずBMPシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜前駆細胞を含む細胞凝集体を得る工程(B)について説明する。
【0041】
工程(B)において用いられる培地は、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質が添加されておらずBMPシグナル伝達経路作用物質が添加された無血清培地又は血清培地であり、基底膜標品を添加する必要は無い。
かかる培地に用いられる無血清培地又は血清培地は、上述したようなものである限り特に限定されない。例えば、市販のKSR等の血清代替物を適量添加した無血清培地(例えば、IMDMとF-12の1:1の混合液に10% KSR、450μM 1-モノチオグリセロール及び1x Chemically Defined Lipid Concentrateが添加された培地)を挙げることができる。無血清培地へのKSRの添加量としては、例えばヒトES細胞の場合は、通常約1%から約20%であり、好ましくは約2%から約20%である。
工程(B)で用いられる無血清培地は、工程(A)で用いた無血清培地をそのまま用いることもできるし、新たな無血清培地に置き換えることもできる。工程(A)で用いた無血清培地をそのまま工程(B)に用いる場合、BMPシグナル伝達経路作用物質を培地中に添加すればよい。
【0042】
ソニック・ヘッジホッグ(以下、Shhと記すことがある。)シグナル伝達経路作用物質とは、Shhにより媒介されるシグナル伝達を増強し得る物質である。Shhシグナル伝達経路作用物質としては、例えば、Hedgehogファミリーに属する蛋白(例えば、Shh)、Shh受容体、Shh受容体アゴニスト、Purmorphamine、又はSAGなどが挙げられる。
【0043】
BMPシグナル伝達経路作用物質とは、BMPにより媒介されるシグナル伝達経路を増強し得る物質である。BMPシグナル伝達経路作用物質としては、例えばBMP2、BMP4もしくはBMP7等のBMP蛋白、GDF7等のGDF蛋白、抗BMP受容体抗体、又は、BMP部分ペプチドなどが挙げられる。BMP2蛋白、BMP4蛋白及びBMP7蛋白は例えばR&D Systemsから、GDF7蛋白は例えば和光純薬から入手可能である。
BMPシグナル伝達経路作用物質の濃度は、多能性幹細胞の凝集体を形成する細胞の網膜細胞への分化を誘導可能な濃度であればよい。例えばBMP4の場合は、約0.01nMから約1μM、好ましくは約0.1nMから約100nM、より好ましくは約1.5nMの濃度となるように培地に添加する。
【0044】
BMPシグナル伝達経路作用物質は、工程(A)の浮遊培養開始から約24時間後以降に添加されていればよく、浮遊培養開始後数日以内(例えば、15日以内)に培地に添加してもよい。好ましくは、BMPシグナル伝達経路作用物質は、浮遊培養開始後1日目から15日目までの間、より好ましくは1日目から9日目までの間、更に好ましくは6日目に培地に添加する。
BMPシグナル伝達経路作用物質が培地に添加され、多能性幹細胞の凝集体を形成する細胞の網膜細胞への分化誘導が開始された後は、BMPシグナル伝達経路作用物質を培地に添加する必要は無く、BMPシグナル伝達経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地を用いて培地交換を行ってよい。これにより、培地に掛かる経費を抑えることができる。網膜細胞への分化誘導が開始された細胞は、例えば、当該細胞におけるRax遺伝子の発現を検出することにより確認することができる。GFP等の蛍光レポータータンパク質遺伝子がRax遺伝子座へノックインされた多能性幹細胞を工程(A)で用いて形成された細胞凝集体を、網膜細胞への分化誘導に必要な濃度のBMPシグナル伝達経路作用物質の存在下に浮遊培養し、発現した蛍光レポータータンパク質から発せられる蛍光を検出することにより、網膜細胞への分化誘導が開始された時期を確認することもできる。工程(B)の実施態様の一つとして、工程(A)で形成された細胞凝集体を、Rax遺伝子を発現する細胞が出現し始めるまでの間、網膜細胞への分化誘導に必要な濃度のBMPシグナル伝達経路作用物質を含みソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜前駆細胞を含む細胞凝集体を得る工程、を挙げることができる。
【0045】
工程(B)における培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定できる。培養温度は、例えば約30℃から約40℃、好ましくは約37℃である。またCO2濃度は、例えば約1%から約10%、好ましくは約5%である。
【0046】
網膜前駆細胞を含む細胞凝集体が得られたことは、例えば、網膜前駆細胞のマーカーであるRax又はPAX6を発現する細胞が凝集体に含まれていることを検出することにより確認することができる。上記の(A)及び(B)の工程を含む方法により得られる「網膜前駆細胞を含む細胞凝集体」は、本発明製造方法において、スタート原料である「網膜組織を含む細胞凝集体」として用いることができる。
【0047】
本発明製造方法でスタート原料として用いられる「網膜組織を含む細胞凝集体」は、具体的には、例えば下記(C)、(D)及び(E)の工程を含む方法により調製することもできる:
(C)多能性幹細胞を、Wntシグナル経路阻害物質を含む無血清培地中で浮遊培養することにより多能性幹細胞の凝集体を形成させる工程;
(D)工程(C)で形成された細胞凝集体を、基底膜標品を含む無血清培地中で浮遊培養する工程;及び
(E)工程(D)で培養された細胞凝集体を、血清培地中で浮遊培養する工程。
【0048】
工程(C)で使用するWntシグナル経路阻害物質としては、Wntにより媒介されるシグナル伝達を抑制し得るものである限り特に限定されない。Wntシグナル経路阻害物質としては、例えば、Dkk1、Cerberus蛋白、Wnt受容体阻害剤、可溶型Wnt受容体、Wnt抗体、カゼインキナーゼ阻害剤、ドミナントネガティブWnt蛋白、CKI-7(N-(2-アミノエチル)-5-クロロ-イソキノリン-8-スルホンアミド)、D4476(4-{4-(2,3-ジヒドロベンゾ[1,4]ジオキシン-6-イル)-5-ピリジン-2-イル-1H-イミダゾール-2-イル}ベンズアミド)、IWR-1-endo(IWR1e)、IWP-2などが挙げられる。Wntシグナル経路阻害物質の濃度は、多能性幹細胞の凝集体が形成する濃度であればよい。例えばIWR1e等の通常のWntシグナル経路阻害物質の場合は、約0.1μMから約100μM、好ましくは約1μMから約10μM、より好ましくは3μM前後の濃度で添加する。
【0049】
Wntシグナル経路阻害物質は、浮遊培養開始前に無血清培地に添加されていてもよく、また、浮遊培養開始後数日以内(例えば、5日以内)に無血清培地に添加してもよい。好ましくは、Wntシグナル経路阻害物質は、浮遊培養開始後5日以内、より好ましくは3日以内、最も好ましくは浮遊培養開始と同時に無血清培地に添加する。また、Wntシグナル経路阻害物質を添加した状態で、浮遊培養開始後18日目まで、より好ましくは12日目まで浮遊培養する。
【0050】
工程(C)における培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定できる。培養温度は特に限定されるものではないが、例えば約30℃から約40℃、好ましくは約37℃前後である。またCO2濃度は、例えば約1%から約10%、好ましくは約5%前後である。
【0051】
工程(C)における多能性幹細胞の濃度は、多能性幹細胞の凝集体をより均一に、効率的に形成させるように当業者であれば適宜設定することができる。細胞凝集体形成時の多能性幹細胞の濃度は、幹細胞の均一な凝集体を形成可能な濃度である限り特に限定されないが、例えば96穴マイクロウェルプレートを用いてヒトES細胞を浮遊培養する場合、1ウェルあたり約1×103細胞から約5×104細胞、好ましくは約3×103細胞から約3×104細胞、より好ましくは約5×103細胞から約2×104細胞、最も好ましくは9×103細胞前後となるように調製した液を添加し、プレートを静置して細胞凝集体を形成させる。
【0052】
細胞凝集体を形成させるために必要な浮遊培養の時間は、細胞を迅速に凝集させることができる限り、用いる多能性幹細胞によって適宜決定可能であるが、均一な細胞凝集体を形成するためにはできる限り短時間であることが望ましい。例えば、ヒトES細胞の場合には、好ましくは24時間以内、より好ましくは12時間以内に細胞凝集体を形成させることが望ましい。この細胞凝集体形成までの時間は、細胞を凝集させる用具や、遠心条件などを調整することで当業者であれば適宜調節することが可能である。
【0053】
多能性幹細胞の凝集体が形成されたことは、細胞凝集体のサイズおよび細胞数、巨視的形態、組織染色解析による微視的形態およびその均一性、分化および未分化マーカーの発現およびその均一性、分化マーカーの発現制御およびその同期性、分化効率の細胞凝集体間の再現性などに基づき、当業者であれば判断することが可能である。
【0054】
工程(D)で使用する基底膜標品としては、その上に基底膜形成能を有する所望の細胞を播種して培養した場合に、上皮細胞様の細胞形態、分化、増殖、運動、機能発現などを制御する機能を有するような基底膜構成成分を含むものをいう。ここで、「基底膜構成成分」とは、動物の組織において、上皮細胞層と間質細胞層などとの間に存在する薄い膜状をした細胞外マトリックス分子をいう。基底膜標品は、例えば基底膜を介して支持体上に接着している基底膜形成能を有する細胞を、該細胞の脂質溶解能を有する溶液やアルカリ溶液などを用いて除去することで作成することができる。好ましい基底膜標品としては、基底膜成分として市販されている商品(例えばMatrigelTM(ベクトン・ディッキンソン社製:以下、マトリゲルと記すこともある))や、基底膜成分として公知の細胞外マトリックス分子(例えばラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン、エンタクチンなど)を含むものが挙げられる。
【0055】
MatrigelTMは、Engelbreth Holm Swarm (EHS)マウス肉腫由来の基底膜調製物である。MatrigelTMの主成分はIV型コラーゲン、ラミニン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン、エンタクチンであり、これらに加えてTGF-β、線維芽細胞増殖因子(FGF)、組織プラスミノゲン活性化因子、EHS腫瘍が天然に産生する増殖因子が含まれる。MatrigelTMの「growth factor reduced (GFR)製品」は、通常のMatrigelTMよりも増殖因子の濃度が低い。本発明では、GFR製品の使用が好ましい。
【0056】
工程(D)における浮遊培養で無血清培地に添加される基底膜標品の濃度としては、神経組織(例えば網膜組織)の上皮構造が安定に維持される限り特に限定されないが、例えばMatrigelTMを用いる場合には、好ましくは培養液の1/20から1/200の容量、より好ましくは1/100前後の容積を挙げることができる。基底膜標品は幹細胞の培養開始時に既に培地に添加されていてもよいが、好ましくは、浮遊培養開始後5日以内、より好ましくは浮遊培養開始後2日以内に無血清培地に添加される。
【0057】
工程(D)で用いられる無血清培地は、工程(C)で用いた無血清培地をそのまま用いることもできるし、新たな無血清培地に置き換えることもできる。
工程(C)で用いた無血清培地をそのまま本工程に用いる場合、「基底膜標品」を培地中に添加すればよい。
【0058】
工程(D)における培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定できる。培養温度は特に限定されるものではないが、例えば約30℃から約40℃、好ましくは約37℃前後である。またCO2濃度は、例えば約1%から約10%、好ましくは約5%前後である。
【0059】
工程(E)で用いられる血清培地は、工程(D)で培養に用いた無血清培地に血清を直接添加したものを用いてもよいし、新たな血清培地におきかえたものを用いてもよい。
【0060】
血清の添加は、浮遊培養開始後7日目以降、より好ましくは9日目以降、最も好ましくは12日目に行う。血清濃度については、約1%から約30%、好ましくは約3%から約20%、より好ましくは10%前後で添加する。
【0061】
工程(E)において、血清に加えてShhシグナル経路作用物質を添加することで網膜組織の製造効率を上昇させることが出来る。
【0062】
Shhシグナル経路作用物質としては、Shhにより媒介されるシグナル伝達を増強し得るものである限り特に限定されない。Shhシグナル経路作用物質としては、例えば、Hedgehogファミリーに属する蛋白(例えば、Shh)、Shh受容体、Shh受容体アゴニスト、Purmorphamine、SAGなどが挙げられる。
【0063】
本工程に用いられるShhシグナル経路作用物質の濃度は、例えばSAG等の通常のShhシグナル経路作用物質の場合は、約0.1nMから約10μM、好ましくは約10nMから約1μM、より好ましくは100nM前後の濃度で添加する。
【0064】
このようにして培養された細胞凝集体において、網膜組織は、細胞凝集体の表面を覆うように存在する。網膜組織は、免疫染色法等により確認することができる。上記の(C)、(D)及び(E)の工程を含む方法により得られる細胞凝集体は、本発明製造方法において、スタート原料である「網膜組織を含む細胞凝集体」として用いることができる。
【0065】
上記の(A)及び(B)の工程を含む方法、又は、上記の(C)、(D)及び(E)の工程を含む方法により得られる細胞凝集体が、網膜組織を含むことは、以下のようにして確認することもできる。例えば、上記方法で得られた細胞凝集体を、血清培地中で浮遊培養する。浮遊培養で用いられる培養器としては、上述のものが挙げられる。浮遊培養における培養温度、CO2濃度、O2濃度等の他の培養条件は適宜設定できる。培養温度は、特に限定されるものではないが、例えば約30℃から約40℃、好ましくは約37℃である。また、CO2濃度は、例えば約1%から約10%、好ましくは約5%である。一方O2濃度については、例えば約20%から約70%、好ましくは約20%から約60%、より好ましくは約30%から約50%である。培養時間は特に限定されないが、通常48時間以上であり、好ましくは7日間以上である。
浮遊培養終了後、細胞凝集体をパラホルムアルデヒド溶液等の固定液を用いて固定し、凍結切片を作製する。得られた凍結切片を免疫染色し、網膜組織の層構造が形成されていることを確認する。網膜組織は、各層を構成する網膜前駆細胞(視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、網膜節細胞)がそれぞれ異なるため、これらの細胞に発現している上述のマーカーに対する抗体を用いて免疫染色することにより、層構造が形成されていることを確認することができる。
【0066】
上記のようにして調製された細胞凝集体に含まれる網膜組織における「Chx10陽性細胞の存在割合」は、例えば、以下のような方法により調べることができる。
(1)まず、「網膜組織を含む細胞凝集体」の凍結切片を作製する。
(2)次いで、Raxタンパク質の免疫染色を行う。Rax遺伝子を発現する細胞でGFP等の蛍光タンパク質が発現するように改変された遺伝子組換え細胞を用いた場合には、前記蛍光タンパク質の発現を、蛍光顕微鏡等を用いて観察する。得られた免疫染色像または蛍光顕微鏡像において、Rax遺伝子を発現する網膜組織領域を特定する。
(3)Rax遺伝子を発現する網膜組織領域が特定された凍結切片と同じ切片又は隣接する切片を試料として、DAPI等の核染色試薬を用いて核を染色する。そして、上記で特定されたRax遺伝子を発現する網膜組織領域の中において、染色された核の数を計測することにより、網膜組織領域の細胞数を測定する。
(4)Rax遺伝子を発現する網膜組織領域が特定された凍結切片と同じ切片又は隣接する切片を試料として、Chx10タンパク質の免疫染色を行う。上記で特定された網膜組織領域におけるChx10陽性細胞中の核の数を計測する。
(5)上記(3)及び(4)で計測された各々の核の数に基づいて、Chx10陽性細胞中の核の数を、上記で特定されたRax遺伝子を発現する網膜組織領域の核の数で除することにより、「Chx10陽性細胞の存在割合」を算出する。
【0067】
本発明製造方法においては、まず、網膜組織を含む細胞凝集体であり、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が20%以上100%以下である細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中で、RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間中に限り、培養する。
ここで、好ましい培養としては、浮遊培養を挙げることができる。
無血清培地としては、基礎培地にN2またはKSRが添加された無血清培地を挙げることができ、より具体的には、DMEM/F-12培地にN2 supplement(N2,Invitrogen社)が添加された無血清培地を挙げることができる。血清培地としては、基礎培地に牛胎児血清が添加された血清培地を挙げることができる。
【0068】
培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定すればよい。培養温度としては、例えば、約30℃から約40℃の範囲を挙げることができる。好ましくは、例えば、約37℃前後を挙げることができる。また、CO2濃度としては、例えば、約1%から約10%の範囲を挙げることができる。好ましくは、例えば、約5%前後を挙げることができる。
【0069】
上記「網膜組織を含む細胞凝集体」を、無血清培地又は血清培地中で培養する際、該培地に含められるWntシグナル経路作用物質としては、Wntにより媒介されるシグナル伝達を増強し得るものである限り特に限定されない。具体的なWntシグナル経路作用物質としては、例えば、Wntファミリーに属するタンパク質(例えば、Wnt3a)、Wnt受容体、Wnt受容体アゴニスト、GSK3β阻害剤(例えば、6-Bromoindirubin-3'-oxime(BIO)、CHIR99021、Kenpaullone)等を挙げることができる。
【0070】
無血清培地又は血清培地に含まれるWntシグナル経路作用物質の濃度としては、CHIR99021等の通常のWntシグナル経路作用物質の場合には、例えば、約0.1μMから約100μMの範囲を挙げることができる。好ましくは、例えば、約1μMから約30μMの範囲を挙げることができる。より好ましくは、例えば、3μM前後の濃度を挙げることができる。
【0071】
上記「網膜組織を含む細胞凝集体」を、無血清培地又は血清培地中で培養する際、該培地に含められるFGFシグナル経路阻害物質としては、FGFにより媒介されるシグナル伝達を阻害できるものである限り特に限定されない。FGFシグナル経路阻害物質としては、例えば、FGF受容体、FGF受容体阻害剤(例えば、SU-5402、AZD4547、BGJ398)、MAPキナーゼカスケード阻害物質(例えば、MEK阻害剤、MAPK阻害剤、ERK阻害剤)、PI3キナーゼ阻害剤、Akt阻害剤などが挙げられる。
【0072】
無血清培地又は血清培地に含まれるFGFシグナル経路阻害物質の濃度は、多能性幹細胞の凝集体を形成する細胞の網膜細胞への分化を誘導可能な濃度であればよい。例えばSU-5402の場合、約0.1μMから約100μM、好ましくは約1μMから約30μM、より好ましくは約5μMの濃度で添加する。
【0073】
本発明製造方法において「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間中に限り、培養」するとは、RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間の全部又はその一部に限り培養することを意味する。つまり、培養系内に存在する前記「網膜組織を含む細胞凝集体」が、RPE65遺伝子を実質的に発現しない細胞から構成されている期間の全部又はその一部(任意な期間)に限り培養すればよく、このような培養を採用することにより、RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体を得ることができる。「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」には、「RPE65遺伝子を発現する細胞が全く出現していない細胞凝集体」及び「RPE65遺伝子を発現する細胞が実質的に出現していない細胞凝集体」が含まれる。「RPE65遺伝子を発現する細胞が実質的に出現していない細胞凝集体」としては、当該細胞凝集体に含まれる網膜組織におけるRPE65陽性細胞の存在割合が約1%以下である細胞凝集体を挙げることができる。
このような特定な期間を設定するには、前記「網膜組織を含む細胞凝集体」を試料として、当該試料中に含まれるRPE65遺伝子の発現有無又はその程度を、通常の遺伝子工学的手法又は生化学的手法を用いて測定すればよい。具体的には例えば、前記「網膜組織を含む細胞凝集体」の凍結切片をRPE65タンパク質に対する抗体を用いて免疫染色する方法を用いてRPE65遺伝子の発現有無又はその程度を調べることができる。
【0074】
「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間」としては、例えば、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中での前記細胞凝集体の培養開始時よりも減少し、30%から0%の範囲内になるまでの期間を挙げることができる。「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」としては、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が30%から0%の範囲内である細胞凝集体を挙げることができる。
【0075】
「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間」の日数はWntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質の種類、無血清培地又は血清培地の種類、他培養条件等に応じて変化するが、例えば、14日間以内を挙げることができる。より具体的には、無血清培地(例えば、基礎培地にN2が添加された無血清培地)が用いられる場合、前記期間として、好ましくは、例えば、10日間以内を挙げることができ、より好ましくは、例えば、3日間から6日間を挙げることができる。血清培地(例えば、基礎培地に牛胎児血清が添加された血清培地)が用いられる場合、前記期間として、好ましくは、例えば、12日間以内を挙げることができ、より好ましくは、例えば、6日間から9日間を挙げることができる。
【0076】
次いで、上述のようにして培養して得られた「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」を、Wntシグナル経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地中で培養する。
ここで、好ましい培養としては、例えば、浮遊培養を挙げることができる。
無血清培地としては、基礎培地にN2またはKSRが添加された培地を挙げることができる。血清培地としては、基礎培地に牛胎児血清が添加された培地を挙げることができ、より具体的には、DMEM/F-12培地に牛胎児血清が添加された血清培地を挙げることができる。
前記無血清培地又は血清培地に、既知の増殖因子、増殖を促進する添加剤や化学物質等を添加してもよい。既知の増殖因子としては、EGF、FGF、IGF、insulin等を挙げることができる。増殖を促進する添加剤として、N2 supplement(N2,Invitrogen社)、B27 supplement(Invitrogen社)、KSR等を挙げることができる。増殖を促進する化学物質としては、レチノイド類(例えば、レチノイン酸)、タウリンを挙げることができる。
【0077】
好ましい培養時間としては、例えば、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が、Wntシグナル経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地中での前記細胞凝集体の培養開始時よりも増加し、30%以上になるまで行う培養時間を挙げることができる。
【0078】
培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定すればよい。培養温度としては、例えば、約30℃から約40℃の範囲を挙げることができる。好ましくは、例えば、約37℃前後を挙げることができる。また、CO2濃度としては、例えば、約1%から約10%の範囲を挙げることができ、好ましくは、例えば、約5%前後を挙げることができる。
【0079】
「毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体」を得られるまでの上記の培養日数は無血清培地又は血清培地の種類、他培養条件等に応じて変化するが、例えば、100日間以内を挙げることができる。前記培養日数として、好ましくは、例えば、20日間から70日間を挙げることができ、より好ましくは、例えば、30日間から60日間を挙げることができる。
【0080】
このようにして製造された「毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体」においては、毛様体周縁部様構造体にそれぞれ隣接して、網膜色素上皮と網膜組織(具体的には、神経網膜)とが同一の細胞凝集体内に存在している。当該構造については顕微鏡観察等で確認することが可能である。具体的には例えば、Rax遺伝子座にGFP遺伝子がノックインされた多能性幹細胞(RAX::GFPノックイン細胞)から作製した細胞凝集体の場合、蛍光実体顕微鏡(例えば、オリンパス社製SZX16)を用いれば、RAX::GFP強陽性部分である神経網膜、透過光にて色素化が観察される上皮組織である網膜色素上皮、及び、神経網膜と網膜色素上皮の境界領域に位置する特徴的な構造を有する毛様体周縁部様構造体の存在を確認することができる。
このようにして製造された「毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体」においては、毛様体周縁部様構造体が、2つの神経網膜組織の間の領域に形成される、すなわち、神経網膜組織と毛様体周縁部様構造体ともう一つの神経網膜組織とが連続した組織が形成されることもある。この場合、毛様体周縁部様構造体の部分が隣接する神経網膜組織に比べて薄いという特徴から、顕微鏡観察等で毛様体周縁部様構造体の存在を確認することが可能である。
【0081】
前記「毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体」からピンセット等を用いて、網膜組織(具体的には、神経網膜)を物理的に切り出すことにより、高純度な網膜組織(具体的には、神経網膜)を調製することが可能である。高純度な網膜組織(具体的には、神経網膜)は、それが有する組織構造を良好に維持したまま、更に培養を継続すること(具体的には例えば、60日以上の長期培養)が可能である。尚、培養温度、CO2濃度、O2濃度等の培養条件としては、通常の組織培養で用いられるものを挙げることができる。また、この際、血清、既知の増殖因子、増殖を促進する添加剤や化学物質等の存在下で培養してもよい。既知の増殖因子としては、例えば、EGF、FGF等を挙げることができる。増殖を促進する添加剤として、例えば、N2 supplement(Invitrogen社)、B27 supplement(Invitrogen社)等を挙げることができる。
【0082】
本発明は、本発明製造方法により製造される毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体の毒性や薬効の評価用試薬としての使用や、本発明製造方法により製造される毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体の移植用生体材料としての使用等も含む。
【0083】
<毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体の毒性・薬効評価用試薬としての使用>
本発明製造方法により製造された毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体は、網膜細胞の障害に基づく疾患の治療薬のスクリーニング、疾患研究材料、創薬材料として利用可能である。本発明製造方法により製造された毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体は、化学物質等の毒性や薬効の評価においても、光毒性、神経毒性等の毒性研究、毒性試験等に活用可能である。例えば、本発明製造方法により製造された毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体に被検物質を接触させ、該物質が該細胞又は該組織に及ぼす影響を検定することにより、該物質の毒性または薬効を評価する。
【0084】
<毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体の移植用生体材料としての使用>
本発明製造方法により製造された毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体は、細胞損傷状態において、障害を受けた組織自体を補充する(例えば、移植手術に用いる)ため等に用いる移植用生体材料として用いることができる。例えば、本発明製造方法により製造された、有効量の毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体を、移植を必要とする対象に移植することにより、網膜組織の障害に基づく疾患を治療する。
【実施例】
【0085】
以下、本発明を実施例により更に詳しく説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0086】
実施例1 (ヒトES細胞を用いた網膜組織を含む細胞凝集体の製造例)
RAX::GFPノックインヒトES細胞(KhES-1由来;Nakano, T. et al. Cell Stem Cell 2012, 10(6), 771-785)を「Ueno, M. et al. PNAS 2006, 103(25), 9554-9559」、「Watanabe, K. et al. Nat Biotech 2007, 25, 681-686」に記載の方法に準じて培養した。培地にはDMEM/F-12培地(Sigma)に20% KSR(Knockout
TM Serum Replacement;Invitrogen)、0.1mM 2-メルカプトエタノール、2mM L-グルタミン、1x 非必須アミノ酸、8ng/ml bFGFを添加した培地を用いた。培養された前記ES細胞を、TrypLE Express(Invitrogen)を用いて単一分散した後、単一分散されたES細胞を非細胞接着性の96穴培養プレート(スミロン スフェロイド プレート,住友ベークライト社)の1ウェルあたり1.2×10
4細胞になるように100μlの無血清培地に浮遊させ、凝集体を速やかに形成させた後、37℃、5% CO
2で培養した。その際の無血清培地には、F-12培地とIMDM培地の1:1混合液に10% KSR、450μM 1-モノチオグリセロール、1x Chemically Defined Lipid Concentrate、20μM Y27632を添加した無血清培地を用いた。浮遊培養開始後6日目に終濃度1.5nMのBMP4を添加して浮遊培養を継続した。ウェル内の培養液の半量を3日おきに、BMPシグナル伝達経路作用物質を添加していない上記培地に交換した。
このようにして調製された浮遊培養開始後18日目の細胞凝集体を4% パラホルムアルデヒド固定し凍結切片を調製した。調製された凍結切片につき、GFP蛍光像の蛍光顕微鏡観察(
図1A)及び神経網膜前駆細胞のマーカーの1つであるChx10の免疫染色(
図1B)、又は、細胞の核を染色するDAPI染色(
図1C)を行った。網膜組織細胞の全体の存在を示す
図1Aと、Chx10陽性細胞の存在を示す
図1Bとの比較から、上記のようにして製造された細胞凝集体に含まれる網膜組織には、Chx10陽性細胞が80%程度存在していることが確認された(
図1)。
【0087】
比較例1(Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地での、網膜組織を含む細胞凝集体の培養)
実施例1に記載された方法により製造された浮遊培養開始後18日目の網膜組織を含む細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地(DMEM/F-12培地に、10% 牛胎児血清、1% N2 supplement、0.5μM レチノイン酸、及び100μM タウリンが添加された培地)で6日間すなわち浮遊培養開始後24日目まで(
図2A,B)、又は、17日間すなわち浮遊培養開始後35日目まで(
図2C,D)浮遊培養した。
得られた細胞凝集体を4% パラホルムアルデヒド固定し凍結切片を調製した。調製された凍結切片につき、神経網膜前駆細胞のマーカーの1つであるChx10の免疫染色(
図2A,C)、又は、網膜色素上皮細胞のマーカーの1つであるMITFの免疫染色(
図2B,D)を行った。浮遊培養開始後24日目でも浮遊培養開始後35日目でも、細胞凝集体に含まれる網膜組織は80%程度がChx10陽性細胞であり(
図2A,C)、MITF陽性細胞の存在割合は3%以下である(
図2B,D)ことがわかった。
【0088】
実施例2(Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地での、網膜組織を含む細胞凝集体の培養)
実施例1に記載された方法により製造された浮遊培養開始後18日目の網膜組織を含む細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質(3μM CHIR99021)及びFGFシグナル経路阻害物質(5μM SU5402)を含む無血清培地(DMEM/F-12培地に、1% N2 supplementが添加された培地)で6日間すなわち浮遊培養開始後24日目まで(
図3A,B)浮遊培養し、さらにWntシグナル経路作用物質(3μM CHIR99021)を含みFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地(DMEM/F-12培地に、1% 牛胎児血清及び1% N2 supplementが添加された培地)で11日間すなわち浮遊培養開始後35日目まで(
図3C,D)浮遊培養した。
得られた細胞凝集体を4% パラホルムアルデヒド固定し凍結切片を調製した。調製された凍結切片につき、神経網膜前駆細胞のマーカーの1つであるChx10の免疫染色(
図3A,C)、網膜色素上皮細胞のマーカーの1つであるMITFの免疫染色(
図3B,D)を行った。浮遊培養開始後24日目でも浮遊培養開始後35日目でも、細胞凝集体に含まれる網膜組織は80%程度がMITF陽性細胞であり(
図3B,D)、Chx10陽性細胞の存在割合は3%以下であることわかった(
図3A,C)。浮遊培養開始後24日目の細胞凝集体には、RPE65遺伝子を発現する細胞は出現していない。
図2と
図3の比較から、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地で培養する操作により、細胞凝集体に含まれる網膜組織において、Chx10陽性の神経網膜から、MITF陽性の網膜色素上皮(RPE)様組織への運命転換が起きたことが示唆された。
【0089】
実施例3(Wntシグナル経路作用物質を含まない血清培地中での、「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」の浮遊培養 その1)
実施例2に記載された方法により調製された浮遊培養開始後24日目の細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地(DMEM/F-12培地に、10% 牛胎児血清、1% N2 supplement、0.5μM レチノイン酸、及び100μM タウリンが添加された培地)で、40% O
2条件下で更に11日間すなわち浮遊培養開始後35日目までまたは39日間すなわち浮遊培養開始後63日目まで浮遊培養し、得られた細胞凝集体を4% パラホルムアルデヒド固定し凍結切片を調製した。
浮遊培養開始後24日目の細胞凝集体(
図4A,B)、35日目の細胞凝集体(
図4C,D)から調製された凍結切片につき、Chx10の免疫染色(
図4A,C)、MITFの免疫染色(
図4B,D)を行った。浮遊培養開始後24日目では、細胞凝集体に含まれる網膜組織は80%程度がMITF陽性細胞であり(
図4B)、Chx10陽性細胞の存在割合は3%以下であった(
図4A)ことから、浮遊培養開始後24日目の細胞凝集体に含まれる網膜組織は網膜色素上皮様の性質をもつことがわかった。浮遊培養開始後24日目の細胞凝集体には、RPE65遺伝子を発現する細胞は出現していない。浮遊培養開始後35日目では、細胞凝集体に含まれる網膜組織は80%程度がChx10陽性細胞であり(
図4C)、MITF陽性細胞の存在割合は3%以下であった(
図4D)ことから、浮遊培養開始後35日目の細胞凝集体に含まれる網膜組織は、Chx10陽性の神経網膜の性質を持つことがわかった。
図3と
図4の比較から、浮遊培養開始後24日目から35日目の間に、細胞凝集体に含まれる網膜組織において、網膜色素上皮様組織から神経網膜様組織への運命転換が起きたことが示唆された。
浮遊培養開始後63日目の細胞凝集体から調製された凍結切片(
図5A,B,C)につき、Rax::GFP蛍光像の蛍光顕微鏡観察(
図5A)、毛様体周縁部のマーカーの1つであるOtx1の免疫染色(
図5B)、又は、毛様体周縁部のマーカーの1つであるRdh10の免疫染色(
図5C)を行った。
図5A,Bの比較から、Rax陽性の神経網膜の一部がOtx1共陽性であることがわかり、
図5Cから、さらにRdh10陽性細胞があることがわかる。上記のようにして、Wntシグナル経路作用物質を含まない血清培地で39日間浮遊培養した後の細胞凝集体において、網膜組織(具体的には、神経網膜)と網膜色素上皮との境界領域に存在する組織の中には、Otx1及びRdh10のいずれか又は両方の染色が陽性である細胞(即ち、毛様体周縁部様構造体のマーカー遺伝子であるOtx1及びRdh10遺伝子のいずれか又は両方を発現する細胞)が略均一な群領域として存在しており(
図5B,C)、毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体が高効率で製造されたことが確認された。
【0090】
実施例4 (Wntシグナル経路作用物質を含まない血清培地中での、「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」の浮遊培養 その2)
網膜組織を含む細胞凝集体を以下の3条件でそれぞれ浮遊培養し、浮遊培養開始後35日目の細胞凝集体を調製した。
(培養条件A)実施例1に記載された方法により調製された浮遊培養開始後18日目の網膜組織を含む細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地(DMEM/F-12培地に、10% 牛胎児血清、1% N2 supplement、0.5μM レチノイン酸、及び100μM タウリンが添加された培地)で17日間すなわち浮遊培養開始後35日目まで浮遊培養した(
図6A)。
(培養条件B) 実施例1に記載された方法により調製された浮遊培養開始後18日目の網膜組織を含む細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質(3μM CHIR99021)及びFGFシグナル経路阻害物質(5μM SU5402)を含む無血清培地(DMEM/F12培地に、1% N2 supplementが添加された培地)で3日間すなわち浮遊培養開始後21日目まで培養した。この浮遊培養開始後21日目の細胞凝集体には、RPE65遺伝子を発現する細胞は出現していない。さらに、当該浮遊培養開始後21日目の細胞凝集体をWntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地(DMEM/F-12培地に、10% 牛胎児血清、1% N2 supplement、0.5μM レチノイン酸、及び100μM タウリンが添加された培地)で14日間すなわち浮遊培養開始後35日目まで浮遊培養した(
図6B)。
(培養条件C)実施例1に記載された方法により調製された浮遊培養開始後18日目の網膜組織を含む細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質(3μM CHIR99021)及びFGFシグナル経路阻害物質(5μM SU5402)を含む無血清培地(DMEM/F-12培地に、1% N2 supplementが添加された培地)で5日間すなわち浮遊培養開始後23日目まで浮遊培養した。この浮遊培養開始後23日目の細胞凝集体には、RPE65遺伝子を発現する細胞は出現していない。さらに、当該浮遊培養開始後23日目の細胞凝集体をWntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含まない血清培地(DMEM/F-12培地に、10% 牛胎児血清、1% N2 supplement、0.5μM レチノイン酸、及び100μM タウリンが添加された培地)で12日間すなわち浮遊培養開始後35日目まで浮遊培養した(
図6C)。
得られた浮遊培養開始後35日目の細胞凝集体をそれぞれ、蛍光実体顕微鏡(オリンパス社製SZX16)にて観察した。RAX::GFP強陽性部分である神経網膜、透過光にて色素化が観察される上皮組織である網膜色素上皮、神経網膜と網膜色素上皮の境界領域に位置する特徴的な構造を有する毛様体周縁部様構造体の有無を観察し、神経網膜のみを含む細胞凝集体の割合(
図6、灰色棒グラフ)、毛様体周縁部様構造体と連続した神経網膜を含む細胞凝集体の割合(
図6、黒棒グラフ)、神経網膜を含まず網膜色素上皮その他の組織を含む細胞凝集体の割合(
図6、白棒グラフ)を調べた。
その結果、毛様体周縁部様構造体と連続した神経網膜を含む凝集塊の割合が、培養条件Aでは3%以下であったのに対して、本発明製造方法である培養条件Bでは30%、培養条件Cでは39%と増大することがわかった。
【0091】
実施例5(Wntシグナル経路作用物質及びFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地での、網膜組織を含む細胞凝集体の培養)
実施例1に記載された方法により製造された浮遊培養開始後18日目の網膜組織を含む細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質(3μM CHIR99021)及びFGFシグナル経路阻害物質(5μM SU5402)を含む無血清培地(DMEM/F-12培地に、1% N2 supplementが添加された培地)で6日間すなわち浮遊培養開始後24日目まで浮遊培養した。
得られた細胞凝集体を4% パラホルムアルデヒド固定し凍結切片を調製した。調製された凍結切片につき、細胞核を染めるDAPI染色(
図7A)、成熟網膜色素上皮細胞のマーカーの1つであるRPE65の免疫染色(
図7B)、及び網膜色素上皮細胞マーカーの1つであるMitfの免疫染色を行った。浮遊培養開始後24日目では、細胞凝集体に含まれる網膜組織におけるRPE65陽性細胞の存在割合は1%以下であることわかった(
図7A,B)。このとき、当該細胞凝集体に含まれる網膜組織は80%程度がMITF陽性細胞であった。
【0092】
参考例1(人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いた網膜組織を含む細胞凝集体の製造例)
ヒトiPS細胞株201B7(独立行政法人理化学研究所バイオリソースセンター又はiPSアカデミアジャパン株式会社から入手可能)を「Ueno, M. et al. PNAS 2006, 103(25), 9554-9559」、「Watanabe, K. et al. Nat Biotech 2007, 25, 681-686」に記載の方法に準じて培養する。培地にはDMEM/F-12培地(Sigma)に20% KSR(KnockoutTM Serum Replacement;Invitrogen)、0.1mM 2-メルカプトエタノール、2mM L-グルタミン、1x 非必須アミノ酸、5ng/ml bFGFを添加した培地を用いる。培養された前記iPS細胞を、TrypLE Express(Invitrogen)を用いて単一分散した後、非細胞接着性の96穴培養プレート(スミロン スフェロイド プレート,住友ベークライト社)の1ウェルあたり1.2×104細胞になるように100μlの無血清培地に浮遊させ、37℃、5% CO2で浮遊培養する。その際の無血清培地には、F-12培地とIMDM培地の1:1混合液に10% KSR、450μM 1-モノチオグリセロール、1x Chemically Defined Lipid Concentrate、20μM Y27632を添加した無血清培地を用いる。浮遊培養開始1日目から15日目の何れかの時点に、終濃度1.5nMのヒト組み換えBMP4(R&D)、終濃度100ng/mlのBMP2(R&D)、終濃度100ng/mlのBMP7(R&D)、終濃度100ng/mlのGDF7(R&D)のうちの何れかを添加して浮遊培養を行う。ウェル内の培養液の半量を、BMPシグナル伝達経路作用物質をいずれも添加していない上記培地に3日おきに交換する。浮遊培養開始18日目に凝集体を一部回収し、4% パラホルムアルデヒドで固定処理を実施し凍結切片を作製する。作製された凍結切片につき、神経網膜前駆細胞マーカーの一つであるChx10の免疫染色を行うことにより、上記のようにして製造された細胞凝集体に含まれる網膜組織におけるChx10の発現を確認する。
このようにして製造された「網膜前駆細胞を含む細胞凝集体」を、スタート原料である「網膜組織を含む細胞凝集体」として用いて、本発明製造方法により、毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体を製造できる。
【0093】
本出願は、2013年12月11日付で日本国に出願された特願2013-255836を基礎としており、ここで言及することによりその内容は全て本明細書に包含される。
【産業上の利用可能性】
【0094】
本発明製造方法によれば、高効率に毛様体周縁部様構造体を製造することが可能となる。