(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-03-23
(45)【発行日】2022-03-31
(54)【発明の名称】フィードバックキャンセラ及びそれを備えた補聴器
(51)【国際特許分類】
H04R 3/02 20060101AFI20220324BHJP
H04R 25/00 20060101ALI20220324BHJP
【FI】
H04R3/02
H04R25/00 H
(21)【出願番号】P 2017212905
(22)【出願日】2017-11-02
【審査請求日】2020-10-08
(73)【特許権者】
【識別番号】000115636
【氏名又は名称】リオン株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】504165591
【氏名又は名称】国立大学法人岩手大学
(74)【代理人】
【識別番号】100110881
【氏名又は名称】首藤 宏平
(72)【発明者】
【氏名】春原 政浩
(72)【発明者】
【氏名】昼間 信彦
(72)【発明者】
【氏名】春田 智穂
(72)【発明者】
【氏名】西山 清
【審査官】冨澤 直樹
(56)【参考文献】
【文献】特表2007-525917(JP,A)
【文献】特開2002-135171(JP,A)
【文献】特開2010-263567(JP,A)
【文献】再公表特許第2007/119766(JP,A1)
【文献】再公表特許第2005/015737(JP,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H04R 3/02
H04R 25/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
電気信号を音に変換する第1の変換手段と、
音を電気信号に変換する第2の変換手段と、
FIRフィルタ及び係数更新部により構成され、前記第1の変換手段から前記第2の変換手段へのフィードバック伝達関数を適応的に推定する適応フィルタと、
前記第2の変換手段の出力信号から前記適応フィルタの出力信号を減算して第1の信号を生成する減算部と、
前記第1の信号に所定の信号処理を施して、前記第1の変換手段に入力される第2の信号を生成する信号処理部と、
前記第1の信号を白色化する第1の白色化フィルタと、
前記第1の白色化フィルタと共通の白色化フィルタ係数により、前記第2の信号を白色化する第2の白色化フィルタと、
を備え、
前記係数更新部は、前記第1及び第2の白色化フィルタのそれぞれの出力信号に基づき、下記の(1)、(2)、(3)、(4)式で表されるフィルタリングアルゴリズムに従って、前記適応フィルタの係数を更新するハイパーH
∞フィルタを含んで構成されており、
【数12】
前記ハイパーH
∞フィルタの評価基準は、下記の(6)、(7)、(8)式で表される状態空間モデルに対し、フィルタ誤差に対応する項T1と、初期状態の誤差に対応する項T2と、システム雑音に対応する項T3と、観測雑音に対応する項T4と、評価関数の重みρとを用いた次の(10)式、
(T1/ρ)/(T2+T3+T4/ρ) (10)
の最大値が、予め与えられた上限値(γ
f
2)より小さく抑えるように設定され
、
前記係数更新部は、前記ハイパーH
∞
フィルタを用いた第1の係数更新部と、NLMS(Normalized Least Mean Square)を用いた第2の係数更新部とを並列に接続して構成されることを特徴とするフィードバックキャンセラ。
【数13】
ただし、
x
k:状態ベクトル(または状態)
x
0:初期状態
w
k:システム雑音
v
k:観測雑音
y
k:観測信号
z
k:出力信号
H
k:観測行列
x^
k|k:観測信号y
0~y
kまでを用いた時刻kの状態x
kの状態推定値
x^
0|0:状態の初期推定値
K
s,k+1:フィルタゲイン
Σ
w k:システム雑音の共分散行列に対応
P^
k|k-1:x^
k|k-1の誤差の共分散行列に対応
P^
1|0:初期状態の誤差の共分散行列に対応
「フィルタ誤差」:(1)式のz
v
k|kと(8)式のz
k=H
kx
kの差((5)式のe
f,iに対応)の重み付きノルムの2乗の和
「初期状態の誤差」:時刻k=0のときの(6)式の状態x
kの初期値x
0とその推定値の差の重み付きノルム
「システム雑音に対応する項」:(6)式のシステム雑音w
kの重み付きノルムの2乗の和
「観測雑音に対応する項」:(7)式の観測雑音v
kの重み付きノルムの2乗の和
【請求項2】
前記第1及び第2の白色化フィルタの各々は、NLMS又はLMSによる適応アルゴリズムに従って動作する線形予測フィルタであることを特徴とする請求項
1に記載のフィードバックキャンセラ。
【請求項3】
前記ハイパーH
∞フィルタは、下記の(11)乃至(19)式で表される演算を実行し、前記適応フィルタの係数を更新する高速H
∞フィルタ(FHF)であることを特徴とする請求項1
又は2に記載のフィードバックキャンセラ。
【数14】
ここで、m
k:N×2行列、μ
k:1×2行列であり、
c
k:2×N行列C
k=[c
k,・・・,c
k-N+1]の第1列ベクトルである。
ただし、c
k-i=0、k-i<0と仮定する。
また、0<ρ=1-χ(γ
f)≦1、γ
f>1とし、χ(γ
f)は、
χ(1)=1、χ(∞)=0を満たす任意の単調減少関数である。
また初期値は、
K
-1=0、a
-1=0、S
-1=1/ε
0、ε
0>>0、b
-1=0、x^
-1|-1=0である。
【請求項4】
前記ハイパーH
∞フィルタは、下記の(22)乃至(28)式で表される演算を実行し、前記適応フィルタの係数を更新するJ-高速H
∞フィルタ(J-FHF)あることを特徴とする請求項
1又は2に記載のフィードバックキャンセラ。
【数15】
ただし、
【数16】
であり、diag{・}は対角行列、R
e,k(1,1)は行列R
e,kの(1,1)成分を表す。
【請求項5】
前記ハイパーH
∞フィルタは、入力信号としてM次(M:整数)の自己回帰信号を用いることにより計算量を削減したP-高速H
∞フィルタ(P-FHF)であることを特徴とする請求項
3に記載のフィードバックキャンセラ。
【請求項6】
前記P-FHFは、前記自己回帰信号を使用しない(M=0)設定とすることにより白色化した白色化高速H
∞フィルタ(WFHF)であることを特徴とする請求項
5に記載のフィードバックキャンセラ。
【請求項7】
前記第1及び第2の白色化フィルタの収束速度に関わる動作パラメータは、前記ハイパーH
∞フィルタの収束速度に応じた所定の範囲内で適宜に予め調節可能であることを特徴とする請求項1から
6のいずれか1項に記載のフィードバックキャンセラ。
【請求項8】
前記動作パラメータは、前記第1及び第2の白色化フィルタにおける前記適応アルゴリズムで用いるステップサイズパラメータであることを特徴とする請求項
7に記載のフィードバックキャンセラ。
【請求項9】
請求項1から
8のいずれか1項に記載のフィードバックキャンセラを備え、
前記第1の変換手段はレシーバであり、
前記第2の変換手段はマイクロホンであり、
前記信号処理部は、前記第1の信号に所定の補聴処理を施す補聴処理部である、
ことを特徴とする補聴器。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ハウリングの発生を抑制可能な構成を備えるフィードバックキャンセラ及び補聴器に関する。
【背景技術】
【0002】
一般的な補聴器は、外部空間から伝わる音を収集するマイクロホンと、使用者の外耳道に音を出力するレシーバとを具備する。補聴器の使用時には、レシーバから出力された音が外耳道内から外部空間に漏れてマイクロホンにフィードバックすることにより、ハウリングが発生する場合がある。このようなハウリングの発生を抑制するための手段として、フィードバック伝達関数を適応的に推定する適応フィルタを用いたフィードバックキャンセラが広く知られている。この種のフィードバックキャンセラは、通常のハウリングの発生を抑圧するには有効であるが、周期的な信号が入力されたときに適応動作の不具合を招く場合がある。すなわち、適応フィルタへの入力信号が周期性を有する(自己相関が高い)場合、いわゆるエントレインメントを生じ、その入力信号が歪んで、異音を発生する現象が知られている。このようなエントレインメントに対する対策としては、例えば、適応フィルタの入力側に、白色化フィルタ(周波数等化ユニット)を挿入し、入力信号を白色化する構成が提案されている(例えば、特許文献1参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
前述したように、白色化フィルタを用いて適応フィルタへの入力信号を白色化することにより、フィードバックキャンセラにおけるエントレインメント(異音)の発生を抑制することができる。しかし、フィードバックキャンセラにおいてハウリングが発生した場合を想定すると、通常は適応フィルタの収束速度に比べて白色化フィルタの収束速度が速いために、まだ適応フィルタが収束しない時点でハウリング成分が白色化される状態になり、ハウリングの抑制が不十分となってハウリング抑制時間が長くなるという問題がある。一方、この問題を回避するため、白色化フィルタの収束速度が十分に遅くなるように制御する対策は可能であるが、この場合、ハウリングを抑制できたとしても、前述のエントレインメント耐性が大きく劣化するため、異音の発生が避けらない。
【0005】
本発明はこれらの問題を解決するためになされたものであり、白色化フィルタと後述のハイパーH∞フィルタを用いたシンプルな構成により、複雑な制御を行うことなく、ハウリングの抑制とエントレインメント耐性の向上を両立し得るフィードバックキャンセラ及び補聴器を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
上記課題を解決するために、本発明のフィードバックキャンセラは、電気信号を音に変換する第1の変換手段(11)と、音を電気信号に変換する第2の変換手段(12)と、FIRフィルタ(13)及び係数更新部(14)により構成され、前記第1の変換手段から前記第2の変換手段へのフィードバック伝達関数を適応的に推定する適応フィルタ(20)と、前記第2の変換手段の出力信号から前記適応フィルタの出力信号を減算して第1の信号を生成する減算部(17)と、前記第1の信号に所定の信号処理を施して、前記第1の変換手段に入力される第2の信号を生成する信号処理部と、前記第1の信号を白色化する第1の白色化フィルタ(15)と、前記第1の白色化フィルタと共通の白色化フィルタ係数により、前記第2の信号を白色化する第2の白色化フィルタ(16)とを備え、前記係数更新部は、前記第1及び第2の白色化フィルタのそれぞれの出力信号に基づき、後述の(1)、(2)、(3)、(4)式で表されるフィルタリングアルゴリズムに従って、前記適応フィルタの係数を更新するハイパーH∞フィルタを含んで構成されており、前記ハイパーH∞フィルタの評価基準は、後述の(6)、(7)、(8)式で表される状態空間モデルに対し、フィルタ誤差に対応する項T1と、初期状態の誤差に対応する項T2と、システム雑音に対応する項T3と、観測雑音に対応する項T4と、評価関数の重みρとを用いた後述の(10)式の最大値が、予め与えられた上限値(γf
2)より小さく抑えるように設定されることを特徴としている。
【0007】
本発明のフィードバックキャンセラによれば、第1及び第2の白色化フィルタの動作によりエントレインメント(異音)の発生を抑制するとともに、ハウリングが発生した場合にはハイパーH∞フィルタのフィルタリングアルゴリズムにより短時間で適応フィルタが収束するので、ハウリング成分が完全に白色化される前に適応フィルタにより迅速かつ確実にハウリングを抑制することができる。よって、白色化フィルタの複雑な動作制御を行うことなく、ハウリングの抑制性能とエントレインメント耐性の両方を向上させることが可能となる。
【0008】
本発明の係数更新部は、ハイパーH∞フィルタを用いた第1の係数更新部(14)と、NLMS(Normalized Least Mean Square)を用いた第2の係数更新部(41)とを並列に接続して構成される。このような構成により、従来のNLMSアルゴリズムと、本発明に特徴的なハイパーH∞フィルタとの両方の特性を反映させつつ適応フィルタ(40)を動作させることができる。
【0009】
本発明の第1及び第2の白色化フィルタとして、NLMS又はLMSによる適応アルゴリズムに従って動作する線形予測フィルタを採用することができる。例えば、遅延部(30)と、適応フィルタ(31)と、減算部(32)とにより構成される線形予測フィルタを適応白色化フィルタとして用いることができる。
【0010】
本発明の係数更新部に用いるハイパーH∞フィルタとして、多様な下位概念のフィルタを採用することができる。例えば、後述の(11)~(19)式で表される演算を実行し、適応フィルタの係数を更新する高速H∞フィルタ(FHF)を用いることができる。また例えば、後述の(22)~(28)式で表される演算を実行し、適応フィルタの係数を更新するJ-高速H∞フィルタ(J-FHF)を用いることができる。また例えば、FHFへの入力信号としてM次(M:正の整数)の自己回帰信号を用いることにより計算量を削減したP-高速H∞フィルタ(P-FHF)を用いることができる。また例えば、P-FHFにおける自己回帰信号を使用しない(M=0)設定とすることにより白色化した白色化高速H∞フィルタ(WFHF)を用いることができる。
【0011】
本発明の第1及び第2の白色化フィルタの収束速度に関わる動作パラメータは、ハイパーH∞フィルタの収束速度に応じた所定の範囲内で適宜に予め調節しておくことが望ましい。これにより、第1及び第2の白色化フィルタは、そのエントレインメント抑制を維持する範囲内で、ハイパーH∞フィルタの収束速度に適合する収束速度で動作させることができる。この場合、第1及び第2の白色化フィルタにおける適応アルゴリズムで用いるステップサイズパラメータを典型的な動作パラメータの1つとして挙げることができる。
【0012】
また、上記課題を解決するために、本発明の補聴器は、いずれかの前記フィードバックキャンセラを備え、前記第1の変換手段はレシーバであり、前記第2の変換手段はマイクロホンであり、前記信号処理部は、前記第1の信号に所定の補聴処理を施す補聴処理部であることを特徴としている。本発明の補聴器によれば、前述のフィードバックキャンセラの作用効果に基づき、エントレインメントによる異音の発生を防止し、かつ十分なハウリング抑制を確保することで、使用者にとって快適な補聴器を実現することができる。
【発明の効果】
【0013】
以上述べたように、本発明によれば、エントレインメント対策として白色化フィルタを設けることに加え、白色化フィルタと適応フィルタの収束速度の違いに起因するハウリング成分の白色化を防ぐべく、係数更新部にハイパーH∞フィルタを導入したため、迅速かつ確実なハウリングの抑制とエントレインメント耐性の向上の両方を実現することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【
図1】本発明を適用した第1実施形態の補聴器に関し、ディジタル信号処理に関連する具体的な構成例を示すブロック図である。
【
図2】
図1の白色化フィルタの具体例として、適応白色化フィルタの構成を示す図である。
【
図3】本発明を適用した第2実施形態の補聴器に関し、ディジタル信号処理に関連する具体的な構成例を示すブロック図である。
【
図4】第1実施形態の補聴器において、
図1の構成例に関しての一変形例を示すブロック図である。
【
図5】第2実施形態の補聴器において、
図3の構成例に関しての一変形例を示すブロック図である。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下、本発明を適用した2つの実施形態について添付図面を参照しながら説明する。以下の各実施形態では、フィードバックキャンセラを備えた補聴器に対して本発明を適用する例について説明する。
【0016】
[第1実施形態]
図1は、本発明を適用した第1実施形態の補聴器に関し、ディジタル信号処理に関連する具体的な構成例を示すブロック図である。
図1の構成例には、補聴処理部10と、レシーバ11と、マイクロホン12と、FIR(Finite Impulse Response)フィルタ13及び係数更新部14からなる適応フィルタ20と、2つの白色化フィルタ15、16と、減算部17とが示されている。このうち、レシーバ11及びマイクロホン12以外の構成要素は、例えば、ディジタル信号処理を実行可能なDSP(Digital Signal Processor)による信号処理によって実現することができる。
図1の各構成要素は、補聴器の内部に搭載された電池(不図示)から供給される電源により動作する。なお、図示は省略しているが、レシーバ11の入力側には、ディジタル信号をアナログ信号に変換するDA変換器が設けられ、マイクロホン12の出力側には、アナログ信号をディジタル信号に変換するAD変換器が設けられる。
【0017】
以上の構成において、補聴処理部10は、減算部17から出力される誤差信号e(n)を増幅するとともに、各々の使用者に適合して個別に設定された所定の補聴処理を施し、補聴処理後の信号s(n)を出力する。補聴処理部10による補聴処理は、
図1に示す伝達関数G(z)で表す。補聴処理部10によって適用可能な補聴処理としては、誤差信号e(n)に対する所定のゲインの付与に加えて、例えば、誤差信号e(n)に対するマルチバンドコンプレッション、ノイズリダクション、トーンコントロール、出力制限処理など、補聴器の使用者の聴力特性や使用環境に合わせた多様な処理を挙げることができる。
【0018】
なお、補聴処理部10に入力される誤差信号e(n)は、本発明の第1の信号に相当し、補聴処理部10から出力される信号s(n)は、本発明の第2の信号に相当する。
【0019】
レシーバ11(本発明の第1の変換手段)は、例えば、使用者の外耳道内に設置され、補聴処理部10から出力される前述の信号s(n)を音に変換して外耳道内の空間に出力する。レシーバ11としては、例えば、電磁型のレシーバを用いることができる。また、マイクロホン12(本発明の第2の変換手段)は、補聴器の外部空間から伝わる音を収集して電気信号に変換し、それを所望信号d(n)として出力する。マイクロホン12としては、MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)やコンデンサ型のマイクロホンを用いることができる。
【0020】
図1において、マイクロホン12には外部の環境音のみが入力されるのが理想的であるが、実際にはレシーバ11から出力される音が外耳道から外部空間を経由してマイクロホン12に回り込み、フィードバック音となる。このとき、レシーバ11の入力からマイクロホン12の出力に至るフィードバック経路におけるフィードバック伝達関数F(z)を想定することができる。なお、レシーバ11及びマイクロホン12もそれぞれ固有の伝達関数を有するが、いずれもフィードバック伝達関数F(z)に含めて考えることができる。フィードバック伝達関数F(z)は、例えば、補聴器の構造、使用者の挙動(例えば、使用者が補聴器に手を近づける場合)、周囲の環境(例えば、自動車内)などに応じて変化し、補聴器のハウリングの要因となる。第1実施形態では、補聴器におけるハウリングの発生を抑制するために、後述するように、フィードバック伝達関数F(z)を推定することでフィードバック成分をキャンセルする構成を有するが、詳細は後述する。
【0021】
適応フィルタ20のうちのFIRフィルタ13は、補聴処理後の信号s(n)に対し、係数更新部14から供給される係数W(n)を用いて、前述のフィードバック伝達関数F(z)に対応する伝達関数W(z)を適応的に推定するフィルタ演算を行い、出力信号y(n)を生成する。FIRフィルタ13は、所定のタップ数(例えば、32タップ)を有して構成される。なお、減算部17は、所望信号d(n)からFIRフィルタ13の出力信号y(n)を減算し、それを前述の誤差信号e(n)として出力する。一方、FIRフィルタ13と一体的に適応フィルタ20を構成する係数更新部14は、FIRフィルタ13のフィルタ演算に用いる前述の係数W(n)を順次更新する。
【0022】
本発明の適用に際しては、係数更新部14として、一般的なNLMS(Normalized Least Mean Square)又はLMS(Least Mean Square)に基づくアルゴリズムを用いた構成に比べ、より収束速度の高速化が可能なハイパーH∞フィルタを採用する。なお、ハイパーH∞フィルタの具体的なアルゴリズム及びバリエーションについては後述する。
【0023】
また、1対の白色化フィルタ15、16の主な役割は、無相関化された信号に応じて係数更新部14を動作させることにより、エントレインメントに起因する異音の発生を抑制することにある。一方の白色化フィルタ15は、誤差信号e(n)を入力し、誤差信号e(n)を白色化(無相関化)した出力信号を生成し、他方の白色化フィルタ16は、信号s(n)を入力し、信号s(n)を白色化(無相関化)した信号を生成し、1対の白色化フィルタ15、16のそれぞれの出力信号が係数更新部14に供給される。一方の白色化フィルタ15に設定された白色化フィルタ係数は、他方の白色化フィルタ16に対しても同様に設定されるので、2つの白色化フィルタ15、16は同一の特性を有している。白色化フィルタ15、16の具体的な構成例については後述する。
【0024】
以下、
図1の係数更新部14としてのハイパーH
∞フィルタのアルゴリズムについて具体的に説明する。まず、以下の説明で用いる記号を、次のように定義する。
x
k:状態ベクトル(または状態)
x
0:初期状態
w
k:システム雑音
v
k:観測雑音
y
k:観測信号
z
k:出力信号
H
k:観測行列
x^
k|k:観測信号y
0~y
kまでを用いた時刻kの状態x
kの状態推定値
x^
0|0:状態の初期推定値
K
s,k+1:フィルタゲイン
Σ
w k:システム雑音の共分散行列に対応
P^
k|k-1:x^
k|k-1の誤差の共分散行列に対応
P^
1|0:初期状態の誤差の共分散行列に対応
【0025】
上記記号のうち、xk、x0、wk、vk、zkはいずれも未知であり、yk、Hkはいずれも既知である。なお、上記各記号に対し、上部に付される“^”は、推定値であることを意味し、入力の都合上、記号の右上に記載しているが、実際には以下の数式に示すように記号の真上に記載される。また、L、H、P、K等は行列を意味し、原則として大文字で記載している。
【0026】
第1実施形態のハイパーH
∞フィルタの基本的なフィルタリングアルゴリズムは、下記の(1)、(2)、(3)、(4)式で表すことができる。なお、(2)式はフィルタ方程式であり、(3)式はフィルタゲインの式であり、(4)式はリカッチ方程式である。
【数1】
ここで、(1)~(4)式において、下記の(5)式を前提とする。
【0027】
また、次の(6)、(7)、(8)式で表される状態空間モデルを考える。
【数2】
【0028】
上記の状態空間モデルに対して、次の(9)式で表すH
∞評価基準を想定する。
【数3】
【0029】
(9)式のH∞評価基準を簡潔化すると、フィルタ誤差に対応する項T1と、初期状態の誤差に対応する項T2と、システム雑音に対応する項T3と、観測雑音に対応する項T4と、評価関数の重みρとを用いた次の(10)式の最大値が、予め与えられた上限値(γf
2)より小さく抑えるように設定することに対応する。
(T1/ρ)/(T2+T3+T4/ρ) (10)
ただし、「フィルタ誤差」とは、(1)式のzv
k|kと(8)式のzk=Hkxkの差((5)式のef,iに対応)の重み付きノルムの2乗の和であり、「初期状態の誤差」とは、時刻k=0のときの(6)式の状態xkの初期値x0とその推定値の差の重み付きノルムであり、「システム雑音に対応する項」とは、(6)式のシステム雑音wkの重み付きノルムの2乗の和であり、「観測雑音に対応する項」とは、(7)式の観測雑音vkの重み付きノルムの2乗の和である。
【0030】
前述のハイパーH∞フィルタは、その下位概念として、基本的な原理を共通としつつ異なる特徴を有する多様なバリエーションが存在する。以下では、ハイパーH∞フィルタ(Hyper H∞ Filter)のバリエーションとして、高速H∞フィルタ(Fast H∞ Filter)、J-高速H∞フィルタ(J-Fast H∞ Filter)、P-高速H∞フィルタ(Predictor-Based Fast H∞ Filter)、白色化高速H∞フィルタ(Whiten Fast H∞ Filter)の4つについて説明する。なお、基本概念であるハイパーH∞フィルタについての詳細は、例えば、特許第4067269号に記載されている。
【0031】
まず、高速H
∞フィルタ(以下、「FHF」という)は、前述のハイパーH
∞フィルタと厳密に等価であって、ハイパーH
∞フィルタのゲイン行列K
kの更新により、単位時間当たり11Nの乗算回数で実行可能とすることで計算量を削減したアルゴリズムである。具体的には、FHFのアルゴリズムにおいては、下記の(11)~(19)式で表される演算を実行する。なお、FHFについての詳細は、例えば、特許第4067269号に記載されている。
【数4】
【0032】
ここで、mk:N×2行列、μk:1×2行列であり、ck:2×N行列Ck=[ck,・・・,ck-N+1]の第1列ベクトルである。ただし、ck-i=0、k-i<0と仮定する。また、0<ρ=1-χ(γf)≦1、γf>1とし、χ(γf)は、χ(1)=1、χ(∞)=0を満たす任意の単調減少関数である。例えば、χ(γf)=γf
-2である。初期値は、K-1=0、a-1=0、S-1=1/ε0、ε0>>0、b-1=0、x^-1|-1=0である。
【0033】
また、FHFの存在条件は、次の(20)式に示すスカラーの不等式と等価である。
【数5】
ここで、(20)式中のρ及びΞ^
iは、次の(21)式で定義される。
【数6】
【0034】
次に、J-高速H
∞フィルタ(以下、「J-FHF」という)は、前述のハイパーH
∞フィルタと厳密に等価であって、前述のFHFよりも更に計算量を削減したアルゴリズムである。具体的には、J-FHFのアルゴリズムにおいては、下記の(22)~(28)式で表される演算を実行する。なお、J-FHFについての詳細は、例えば、特許第4444919号に記載されている。
【数7】
ただし、
【数8】
であり、diag{・}は対角行列、R
e,k(1,1)は行列R
e,kの(1,1)成分を表す。
【0035】
次に、P-高速H∞フィルタ(以下、「P-FHF」という)は、前述のFHFへの入力信号をM次(M:正の整数)の自己回帰信号を用いることにより、FHFよりも更に計算量を削減したアルゴリズムである。なお、P-FHFについての詳細は、例えば、特許第5196653号に記載されている。
【0036】
次に、白色化高速H
∞フィルタ(以下、「WFHF」という)は、前述のP-FHFにおいて、自己回帰信号を用いない0次(M=0)に設定した場合のアルゴリズムである。また、M=0のときのP-FHFに対応する次の(34)式のWFHFも提案されている。
【数9】
ここで
【数10】
ただし、S
-1=ε
0
-1である。
【0037】
以下、
図1の白色化フィルタ15、16の具体例について説明する。例えば、白色化フィルタ15、16としては、
図2に示す構成を有する適応白色化フィルタを採用することができる。
図2に示す適応白色化フィルタは線形予測フィルタとして機能し、遅延部30と、適応フィルタ31と、減算部32とにより構成され、入力信号si(n)を白色化した出力信号so(n)を生成する。遅延部30は、入力信号si(n)を1サンプルだけ遅延させた信号si(n-1)を出力する。適応フィルタ31は、遅延部30からの信号si(n)に対し、例えば、NLMS(Normalized Least Mean Square)アルゴリズムを用いてWa(z)を適応的に推定し、信号sa(n)を生成する。減算部32は、入力信号si(n)から、適応フィルタ31の信号sa(n)を減算し、それを前述の出力信号so(n)として出力する。
【0038】
ここで、
図2の適応フィルタ31におけるフィルタ係数Wa(n)は、例えば、次の(35)式に従って順次更新される。
【数11】
なお、(35)式に含まれるステップサイズμaは、
図1の適応フィルタ20の収束速度とのバランスを勘案して適切な値に設定される。一例として、μ=0.005に設定することができる。
【0039】
従来のNLMSアルゴリズムを用いて係数更新を行う場合に対して、前述のFHF、J-FHF及びWFHFを用いて係数更新を行う場合では、パスチェンジ性能及び耐エントレインメント性能をより向上することができる。
【0040】
耐エントレインメント性能は、主に白色化フィルタ15、16の動作に基づくものである。一方、ハウリング抑制性能(パスチェンジ性能)は、従来のNLMSと比べて収束速度が格段に早いFHF、J-FHF及びWFHFを用いて適応フィルタ20を構成したことで向上したものである。例えば、NLMSを用いて適応フィルタ20を構成した場合には、仮にエントレインメント対策として白色化フィルタ15、16を用いたとしても、適応フィルタ20の収束速度が遅くなるため、ハウリング成分が白色化されてしまい、ハウリング抑制が不十分となってハウリング抑制時間が長くなる弊害がある。このように、本発明の構成を採用すれば、ハウリング状態の検出等の複雑な制御を行うことなく、ハウリングの抑制性能とエントレインメント耐性の両方を向上可能であることが確認された。
【0041】
[第2実施形態]
次に
図3は、本発明を適用した第2実施形態の補聴器に関し、ディジタル信号処理に関連する具体的な構成例を示すブロック図である。
図3の構成例において、補聴処理部10、レシーバ11、マイクロホン12、FIRフィルタ13、係数更新部14、2つの白色化フィルタ15、16、減算部17に関しては、第1実施形態と共通であり、それぞれの説明を省略する。
図3のうち、
図1と異なるのは、ハイパーH
∞フィルタを用いた係数更新部14に対し、NLMSを用いた係数更新部41を並列させた点である。
【0042】
具体的には、
図3に示すように、FIRフィルタ13及び2つの係数更新部14、41により、適応フィルタ40が構成される。すなわち、第2実施形態では、ハイパーH
∞フィルタを用いた係数更新部14(本発明の第1の係数更新部)とNLMSアルゴリズムを用いた係数更新部41(本発明の第2の係数更新部)を組み合わせて、FIRフィルタ13のフィルタ演算に用いる係数W(n)を更新する。また、1対の白色化フィルタ15、16の各々の出力信号は、並列する係数更新部14、41の両方に入力される。そして、FIRフィルタ13に供給される係数W(n)は、2つの係数更新部14、41から供給されるそれぞれの係数の和で表すことができる。
【0043】
第2実施形態の構成によれば、適応フィルタ40のフィルタ演算に用いる係数W(n)が、ハイパーH∞フィルタとNLMSアルゴリズムの両方に依存して決定されるので、適応フィルタ40の動作には、第1実施形態のハイパーH∞フィルタの特性と従来のNLMSアルゴリズムの両方の特性が反映されることになる。ハイパーH∞フィルタを用いた係数更新部14としては、例えば、収束速度の高速化と計算量の削減の両面で最も優位性がある前述のWFHFを採用することができる。第2実施形態の構成の基本的な効果は第1実施形態と概ね共通であるが、フィードバックパス変化によるハウリング抑制性能と、エントレインメント発生の抑制性能とのそれぞれの達成目標に応じて、第1実施形態と第2実施形態とを適切に使い分けることができる。
【0044】
[変形例]
本発明の第1実施形態及び第2実施形態の補聴器を構成する場合、
図1及び
図3の構成例に限られることなく、多様な変形が可能である。
図4は、第1実施形態の補聴器において、
図1の構成例に関しての一変形例を示すブロック図である。
図4の変形例においては、
図1とは接続形態が変更されており、補聴処理部10と、レシーバ11と、マイクロホン12と、2つのFIRフィルタ13、50と、係数更新部14と、2つの白色化フィルタ15a、16と、2つの減算部17、51とが示されている。本変形例では、
図1とは異なり、マイクロホン12の出力側の構成が2系統に分岐している。
【0045】
すなわち、所望信号d(n)が白色化フィルタ15aを介して所望信号d’(n)に変換され、減算部51は、所望信号d’(n)からFIRフィルタ50の出力信号y’(n)を減算し、それを誤差信号e’(n)として出力する。係数更新部14は、誤差信号e’(n)と白色化フィルタ16から出力される信号s’(n)とに基づいて、FIRフィルタ50におけるフィルタ演算に用いる係数W(n)を更新する。
図4において、一方の白色化フィルタ15aに設定された白色化フィルタ係数は、他方の白色化フィルタ16に対しても同様に設定されるとともに、一方のFIRフィルタ50に対して設定された係数W(n)は、他方のFIRフィルタ13に対しても同様に設定される。なお、
図4において、FIRフィルタ13及び係数更新部14が
図1の適応フィルタ20に対応すると同時に、FIRフィルタ50及び係数更新部14も
図1の適応フィルタ20に対応する。
【0046】
次に
図5は、第2実施形態の補聴器において、
図3の構成例に関しての一変形例を示すブロック図である。
図5の変形例においても、
図3とは接続形態が変更されているが、
図4の変形例と比べた場合、ハイパーH
∞フィルタを用いた係数更新部14に対し、NLMSを用いた係数更新部41を並列させた点のみが異なっている。従って、2つの係数更新部14、41を並列させる構成は、
図3で説明した通りである。他の構成要素に関しても、
図4と共通であり、説明を省略する。なお、
図5において、FIRフィルタ13及び2つの係数更新部14、41が
図3の適応フィルタ40に対応すると同時に、FIRフィルタ50及び2つの係数更新部14、41も
図3の適応フィルタ40に対応する。
【0047】
以上のように、
図1の構成に代えて、
図4の変形例を採用する場合であっても、第1実施形態と同様の作用、効果を得ることができる。また、
図3の構成に代えて、
図5の変形例を採用する場合であっても、第2実施形態と同様の作用、効果を得ることができる。
【0048】
以上、本実施形態に基づき本発明の内容を具体的に説明したが、本発明は前述の実施形態に限定されるものではなく、その要旨を逸脱しない範囲で多様な変更を施すことができる。例えば、本実施形態では、フィードバックキャンセラを備えた補聴器に対して本発明を適用する場合を説明したが、本発明のフィードバックキャンセラを備えていれば、多様な機器やシステムに対しても広く本発明を適用することができる。例えば、本発明のフィードバックキャンセラをエコーキャンセラ(会議システム)に対しても適用することができる。また、レシーバは、音を発するレシーバに限らず、頭蓋骨などの振動を通じて知覚するための骨伝導レシーバであってもよい。その他の点についても上記実施形態により本発明の内容が限定されるものではなく、本発明の作用効果を得られる限り、上記実施形態に開示した内容には限定されることなく適宜に変更可能である。
【符号の説明】
【0049】
10…補聴処理部
11…レシーバ
12…マイクロホン
13、50…FIRフィルタ
14、41…係数更新部
15、15a、16…白色化フィルタ
17、51…減算部
20、40…適応フィルタ
30…遅延部
31…適応フィルタ
32…減算部