(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-10-07
(45)【発行日】2022-10-18
(54)【発明の名称】網膜組織の製造方法
(51)【国際特許分類】
C12N 5/071 20100101AFI20221011BHJP
C12N 5/079 20100101ALI20221011BHJP
C12N 5/10 20060101ALI20221011BHJP
【FI】
C12N5/071
C12N5/079
C12N5/10
(21)【出願番号】P 2021076738
(22)【出願日】2021-04-28
(62)【分割の表示】P 2017538523の分割
【原出願日】2016-09-08
【審査請求日】2021-05-27
(31)【優先権主張番号】P 2015176897
(32)【優先日】2015-09-08
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000002912
【氏名又は名称】住友ファーマ株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】000002093
【氏名又は名称】住友化学株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】503359821
【氏名又は名称】国立研究開発法人理化学研究所
(74)【代理人】
【識別番号】100080791
【氏名又は名称】高島 一
(74)【代理人】
【識別番号】100136629
【氏名又は名称】鎌田 光宜
(74)【代理人】
【識別番号】100125070
【氏名又は名称】土井 京子
(74)【代理人】
【識別番号】100121212
【氏名又は名称】田村 弥栄子
(74)【代理人】
【識別番号】100174296
【氏名又は名称】當麻 博文
(74)【代理人】
【識別番号】100137729
【氏名又は名称】赤井 厚子
(74)【代理人】
【識別番号】100151301
【氏名又は名称】戸崎 富哉
(72)【発明者】
【氏名】安藤 覚
(72)【発明者】
【氏名】黒田 貴雄
(72)【発明者】
【氏名】笹井 芳樹
【審査官】平林 由利子
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2015/025967(WO,A1)
【文献】国際公開第2015/068505(WO,A1)
【文献】国際公開第2014/121077(WO,A2)
【文献】国際公開第2013/077425(WO,A1)
【文献】特表2012-519005(JP,A)
【文献】国際公開第2015/178498(WO,A1)
【文献】Nature, 2008, Vol.453, pp.519-523, Supplementary information
【文献】第33回日本分子生物学会年会第83回日本生化学会大会合同大会講演要旨集, 2010, 4P-0894
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 1/00- 7/08
C12Q 1/00- 3/00
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記工程(1)
、(2)
及び(3)を含む、Oct3/4、Sox1、Sox2、N-cadherin、TP63、Nestin及びOtx2からなる群から選択される1以上を発現する細胞を含む細胞凝集体の製造方法;
(1)哺乳動物の多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下で、未分化維持因子を含みMEK阻害物質を含まない培地で、維持培養又は拡大培養する第一工程、
(
2)
第一工程で得られた多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下で、1)未分化維持因子、及び2)MEK阻害物質を含む培地で、
4日間~6日間培養する第
二工程、及び
(
3)第
二工程で得られた細胞を
、無血清培地にて12時間~72時間浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させる第
三工程。
【請求項2】
第
二工程において、培地が、更にPKC阻害物質又はB-Raf阻害物質を含む、請求項1に記載の製造方法。
【請求項3】
第
二工程が、無血清条件下で行われる、請求項1又は2に記載の製造方法。
【請求項4】
第
二工程が接着培養法で行われる、請求項1~
3のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項5】
未分化維持因子が、FGFシグナル伝達経路作用物質及び/又はTGFβファミリーシグナル伝達経路作用物質である、請求項1~
4のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項6】
未分化維持因子が、FGFシグナル伝達経路作用物質である、請求項1~
4のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項7】
FGFシグナル伝達経路作用物質が、bFGFである、請求項
5又は
6に記載の製造方法。
【請求項8】
MEK阻害物質が、PD0325901、PD184352、PD98059、U0126、MEK162及びSL327からなる群から選ばれる1以上の物質である、請求項1~
7のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項9】
MEK阻害物質が、PD0325901である、請求項1~
7のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項10】
PKC阻害物質が、Go6983である、請求項2~
9のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項11】
B-Raf阻害物質が、SB590885である、請求項2~
10のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項12】
第
二工程において、ROCK阻害物質の存在下で細胞を培養することを特徴とする、請求項1~
11のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項13】
ROCK阻害物質が、Y-27632である、請求項
12に記載の製造方法。
【請求項14】
第
三工程において、第
二工程で得られた細胞を分散させてから浮遊培養することを特徴とする、請求項1~
13のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項15】
第
三工程において、細胞をソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地中で浮遊培養することを特徴とする、請求項1~
14のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項16】
ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質がSAGである、請求項
15に記載の製造方法。
【請求項17】
第
三工程において、培養期間が12時間~48時間である、請求項
1~16のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項18】
第
三工程において、均一な凝集体を形成する、請求項1~
17のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項19】
多能性幹細胞が人工多能性幹細胞である、請求項1~
18のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項20】
多能性幹細胞が、ヒト多能性幹細胞である、請求項1~
19のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項21】
細胞凝集体が、網膜細胞又は網膜組織へ分化する能力を有する細胞凝集体である、請求項1~
20のいずれか一項に記載の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、多能性幹細胞から、網膜細胞又は網膜組織を製造する方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
多能性幹細胞から網膜組織等の神経組織 (neural tissue)を製造する方法として、均一な多能性幹細胞の凝集体を無血清培地中で形成させ、これを浮遊培養した後、分化誘導用の培地中、適宜分化誘導因子等の存在下で浮遊培養し、多能性幹細胞から目的とする神経系細胞(neural cells)へ分化誘導をすることにより、神経組織を製造する方法が報告されている(特許文献1及び非特許文献1)。例えば、多能性幹細胞から多層の網膜組織を得る方法(特許文献2及び非特許文献2)、均一な多能性幹細胞の凝集体を、Wntシグナル経路阻害物質を含む無血清培地中で形成させ、これを基底膜調製物の存在下において浮遊培養した後、血清培地中で浮遊培養することにより、多層の網膜組織を得る方法(特許文献3及び非特許文献3)が知られている。また、多能性幹細胞から視床下部組織への分化誘導方法(特許文献4及び非特許文献4)、及び多能性幹細胞から神経前駆細胞への分化誘導方法(非特許文献5及び6)についても報告されている。多能性幹細胞の凝集体を、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含まず、BMPシグナル伝達経路作用物質を含む培地中で浮遊培養することにより、網膜関連細胞や網膜組織を製造する方法が報告されている(特許文献5及び非特許文献10)。
これらの製造法の出発材料である多能性幹細胞は、特に霊長類多能性幹細胞の場合、フィーダー細胞存在下で、未分化維持因子が添加され未分化状態が維持される条件(未分化維持培養法)で培養されていた。近年、未分化維持培養法の改良が進み、霊長類多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下(フィーダーフリー条件下)で、未分化維持因子添加条件にて培養する手法が報告されている(非特許文献7、非特許文献8及び非特許文献9)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】国際公開第2009/148170号
【文献】国際公開第2011/055855号
【文献】国際公開第2013/077425号
【文献】国際公開第2013/065763号
【文献】国際公開第2015/025967号
【非特許文献】
【0004】
【文献】Cell Stem Cell, 3, 519-32 (2008)
【文献】Nature, 472, 51-56 (2011)
【文献】Cell Stem Cell, 10(6), 771-775 (2012)
【文献】Nature, 480, 57-62 (2011)
【文献】Nature Biotechnology, 27(3), 275-80 (2009)
【文献】Proc Natl Acad Sci USA, 110(50), 20284-9 (2013)
【文献】Nature Methods, 8, 424-429 (2011)
【文献】Scientific Reports, 4, 3594 (2014)
【文献】In Vitro Cell Dev Biol Anim., 46, 247-58 (2010)
【文献】Nature Communications, 6 (2015), Article number:6286
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明が解決しようとする課題は、フィーダー細胞非存在下(フィーダーフリー条件下)で調製又は維持培養された多能性幹細胞から網膜細胞又は網膜組織を効率的に製造する方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らは、上記課題を解決すべく検討を重ねたところ、多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下(フィーダーフリー条件下)に、(1)未分化維持因子、及び(2)MAPキナーゼキナーゼ阻害物質(MEK阻害物質)を含有する培地中で培養してから、浮遊培養に付すことにより、網膜細胞を含む細胞凝集体を高効率で形成できることを見出した。
また、多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下(フィーダーフリー条件下)に、(1)未分化維持因子と、(2)MAPキナーゼキナーゼ阻害物質(MEK阻害物質)、並びに(3)PKC阻害物質又はB-Raf阻害物質、を含有する培地中で培養してから、浮遊培養に付すことにより、網膜細胞を含む細胞凝集体を高効率で形成できることを見出した。そしてこの細胞凝集体を用いれば、網膜細胞及び網膜組織を高い効率で誘導できることを見出し、本発明を完成するに至った。
すなわち、本発明は以下に関する:
【0007】
[1]下記工程を含む、網膜細胞又は網膜組織の製造方法;
(1)哺乳動物の多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下で、1)未分化維持因子、及び2)MEK阻害物質を含む培地で、30日を超えない期間培養する第一工程、
(2)第一工程で得られた細胞を浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させる第二工程、及び
(3)第二工程で得られた凝集体を、BMPシグナル伝達経路作用物質の存在下に浮遊培養し、網膜細胞又は網膜組織を含む凝集体を得る第三工程。
[2]第一工程において、培地が、更にPKC阻害物質又はB-Raf阻害物質を含む、[1]の製造方法。
[3]第一工程が、無血清条件下で行われる、[1]又は[2]の製造方法。
[4]第一工程において、培養期間が0.5日間~8日間である、[1]~[3]のいずれかの製造方法。
[5]第一工程において、培養期間が1日間~6日間である、[4]の製造方法。
[6]第一工程において、培養期間が4日間~6日間である、[5]の製造方法。
[7]第一工程が接着培養法で行われる、[1]~[6]のいずれかの製造方法。
[8]未分化維持因子が、FGFシグナル伝達経路作用物質である、[1]~[7]のいずれかの製造方法。
[9]FGFシグナル伝達経路作用物質が、bFGFである、[8]の製造方法。
[10]MEK阻害物質が、PD0325901である、[1]~[9]のいずれかの製造方法。
[11]PKC阻害物質が、Go6983である、[2]~[10]のいずれかの製造方法。
[12]B-Raf阻害物質が、SB590885である、[2]~[11]のいずれかの製造方法。
[13]第一工程において、ROCK阻害物質の存在下で細胞を培養することを特徴とする、[1]~[12]のいずれかの製造方法。
[14]ROCK阻害物質が、Y-27632である、[13]の製造方法。
[15]第二工程において、細胞をソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地中で浮遊培養することを特徴とする、[1]~[14]のいずれかの製造方法。
[16]ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質がSAGである、[15]の製造方法。
[17]BMPシグナル伝達経路作用物質がBMP2、BMP4、BMP7及びGDF7からなる群から選ばれる1以上の蛋白質である、[1]~[16]のいずれかの製造方法。
[18]BMPシグナル伝達経路作用物質がBMP4である、[17]の製造方法。
[19]第二工程における培地中のソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質濃度がSAG 10nM~700nMのソニック・ヘッジホッグシグナル伝達作用に相当する濃度である、[1]~[18]のいずれかの製造方法。
[20]第三工程において、第二工程の開始後1日目から9日目の間にBMPシグナル伝達経路作用物質が培地に添加される、[1]~[19]のいずれかの製造方法。
[21]第三工程において、第二工程開始後3日目から6日目の間にBMPシグナル伝達経路作用物質が培地に添加される、[20]に記載の製造方法。
[22]第二工程において、均一な凝集体を形成する、[1]~[21]のいずれかの製造方法。
[23]浮遊培養が、基底膜調製物非存在下で行われる、[1]~[22]のいずれかの製造方法。
[24]多能性幹細胞が人工多能性幹細胞である、[1]~[23]のいずれかの製造方法。
[25]人工多能性幹細胞が、ヒト人工多能性幹細胞である、[24]の製造方法。
[26][1]~[25]のいずれかの方法により製造される網膜細胞又は網膜組織の有効量を、移植を必要とする対象に移植することを含む、網膜細胞若しくは網膜組織の障害に基づく疾患の治療方法。
[27]網膜細胞若しくは網膜組織の障害に基づく疾患の治療における使用のための、[1]~[25]のいずれかの方法により製造される網膜細胞又は網膜組織。
[28][1]~[25]のいずれかの方法により製造される網膜細胞又は網膜組織を有効成分として含有する、医薬組成物。
[29]網膜細胞が網膜前駆細胞及び/又は網膜層特異的神経細胞である、[28]の医薬組成物。
[30][1]~[25]のいずれかの方法により製造される網膜細胞又は網膜組織に被検物質を接触させ、該物質が該細胞又は該組織に及ぼす影響を検定することを含む、該物質の毒性・薬効評価方法。
【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、フィーダー細胞非存在下に培養された多能性幹細胞から、網膜細胞に分化し得る細胞凝集体、並びに網膜細胞及び網膜組織を高効率に製造することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【
図1】ヒトiPS細胞を、MEK阻害物質、及びPKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質を含む培地で培養する工程を含む、網膜組織の製造法で製造された、ヒトiPS細胞由来網膜前駆細胞を含む細胞凝集体の顕微鏡像。201B7: ヒトiPS細胞(201B7株)を使用。浮遊培養後20日目。1231A3: ヒトiPS細胞(1231A3株)を使用。浮遊培養後21日目。Chx10: 網膜前駆細胞マーカー。DAPI: 細胞核染色。MEKi: MEK阻害物質(1 μM PD0325901)、PKCi: PKC阻害物質(2 μM Go6983)、B-Raf i: B-Raf阻害物質(0.5 μM SB590885)。
【
図2】ヒトiPS細胞を、MEK阻害物質、又はMEK阻害物質及びPKC阻害物質を含む培地で培養する工程、及び得られた細胞をソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含む培地で培養する工程を含む、網膜組織の製造法で製造された、ヒトiPS細胞由来網膜前駆細胞を含む細胞凝集体の顕微鏡像。1231A3: ヒトiPS細胞(1231A3株)を使用。浮遊培養後10日目。MEKi: MEK阻害物質(1 μM PD0325901)、PKCi: PKC阻害物質(2 μM Go6983)、SAG: ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(30 nM SAG)。
【
図3】ヒトiPS細胞を、MEK阻害物質±PKC阻害物質を含む培地で培養する工程、及び得られた細胞をソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含む培地で培養する工程を含む、網膜組織の製造法で製造された、ヒトiPS細胞由来網膜前駆細胞を含む細胞凝集体の顕微鏡像。1231A3: ヒトiPS細胞(1231A3株)を使用。浮遊培養後22日目。Pax6: 網膜前駆細胞マーカー。Chx10: 網膜前駆細胞マーカー。DAPI: 細胞核染色。MEKi: MEK阻害物質(1 μM PD0325901)、PKCi: PKC阻害物質(2 μM Go6983)、SAG: ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(30 nM SAG)。
【発明を実施するための形態】
【0010】
1.定義
本発明において、「幹細胞」とは、分化能及び分化能を維持した増殖能(特に自己複製能)を有する未分化な細胞を意味する。幹細胞には、分化能力に応じて、多能性幹細胞(pluripotent stem cell)、複能性幹細胞(multipotent stem cell)、単能性幹細胞(unipotent stem cell)等の亜集団が含まれる。多能性幹細胞とは、インビトロにおいて培養することが可能で、かつ、三胚葉(外胚葉、中胚葉、内胚葉)に属する細胞系列すべてに分化し得る能力(分化多能性(pluripotency))を有する幹細胞をいう。複能性幹細胞とは、全ての種類ではないが、複数種の組織や細胞へ分化し得る能力を有する幹細胞を意味する。単能性幹細胞とは、特定の組織や細胞へ分化し得る能力を有する幹細胞を意味する。
【0011】
多能性幹細胞は、受精卵、クローン胚、生殖幹細胞、組織内幹細胞等から誘導することができる。多能性幹細胞としては、胚性幹細胞(ES細胞:Embryonic stem cell)、EG細胞(Embryonic germ cell)、人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)等を挙げることが出来る。
胚性幹細胞は、1981年に初めて樹立され、1989年以降ノックアウトマウス作製にも応用されている。1998年にはヒト胚性幹細胞が樹立されており、再生医学にも利用されつつある。ES細胞は、内部細胞塊をフィーダー細胞上又はLIFを含む培地中で培養することにより製造することが出来る。ES細胞の製造方法は、例えば、WO96/22362、WO02/101057、US5,843,780、US6,200,806、US6,280,718等に記載されている。胚性幹細胞は、所定の機関より入手でき、また、市販品を購入することもできる。例えば、ヒト胚性幹細胞であるKhES-1、KhES-2及びKhES-3は、京都大学再生医科学研究所より入手可能である。いずれもマウス胚性幹細胞である、EB5細胞は国立研究開発法人理化学研究所より、D3株はATCCより、入手可能である。
【0012】
ES細胞の一つである核移植ES細胞(ntES細胞)は、細胞株を取り除いた卵子に体細胞の細胞核を移植して作ったクローン胚から樹立することができる。
【0013】
本発明における「人工多能性幹細胞」(iPS細胞ともいう)とは、体細胞を、公知の方法等により初期化(reprogramming)することにより、多能性を誘導した細胞である。具体的には、線維芽細胞や末梢血単核球等分化した体細胞をOct3/4、Sox2、Klf4、Myc(c-Myc、N-Myc、L-Myc)、Glis1、Nanog、Sall4、lin28、Esrrb等を含む初期化遺伝子群から選ばれる複数の遺伝子の組合せのいずれかの発現により初期化して多分化能を誘導した細胞が挙げられる。好ましい、初期化因子の組み合わせとしては、(1)Oct3/4、Sox2、Klf4、及びMyc(c-Myc又はL-Myc)、(2)Oct3/4、Sox2、Klf4、Lin28及びL-Myc(Stem Cells, 2013;31:458-466)等を挙げることができる。
人工多能性幹細胞は、2006年、山中らによりマウス細胞で樹立された(Cell, 2006, 126(4) pp.663-676)。人工多能性幹細胞は、2007年にヒト線維芽細胞でも樹立され、胚性幹細胞と同様に多能性と自己複製能を有する(Cell, 2007, 131(5) pp.861-872;Science, 2007, 318(5858) pp.1917-1920;Nat. Biotechnol., 2008, 26(1) pp.101-106)。人工多能性幹細胞の誘導方法についてはその後も様々な改良が行われている(例えば、マウスiPS細胞:Cell. 2006 Aug 25;126(4):663-76、ヒトiPS細胞: Cell. 2007 Nov 30;131(5):861-72)。
遺伝子発現による直接初期化で人工多能性幹細胞を製造する方法以外に、化合物の添加などにより体細胞より人工多能性幹細胞を誘導することもできる(Science, 2013, 341 pp. 651-654)。
また、株化された人工多能性幹細胞を入手する事も可能であり、例えば、京都大学で樹立された201B7細胞、201B7-Ff細胞、253G1細胞、253G4細胞、1201C1細胞、1205D1細胞、1210B2細胞、1231A3細胞、Ff-I01細胞又はQHJI01細胞等のヒト人工多能性細胞株が、国立大学法人京都大学又はiPSアカデミアジャパン株式会社より入手可能である。
【0014】
人工多能性幹細胞を製造する際に用いられる体細胞としては、特に限定は無いが、組織由来の線維芽細胞、血球系細胞(例えば、末梢血単核球やT細胞)、肝細胞、膵臓細胞、腸上皮細胞、平滑筋細胞等が挙げられる。線維芽細胞としては、真皮由来のもの等が挙げられる。
【0015】
人工多能性幹細胞を製造する際に、数種類の遺伝子の発現により初期化する場合、遺伝子を発現させるための手段は特に限定されない。前記手段としては、ウイルスベクター(例えば、レトロウイルスベクター、レンチウイルスベクター、センダイウイルスベクター、アデノウイルスベクター、アデノ随伴ウイルスベクター)を用いた感染法、プラスミドベクター(例えば、プラスミドベクター、エピソーマルベクター)を用いた遺伝子導入法(例えば、リン酸カルシウム法、リポフェクション法、レトロネクチン法、エレクトロポレーション法)、RNAベクターを用いた遺伝子導入法(例えば、リン酸カルシウム法、リポフェクション法、エレクトロポレーション法)、タンパク質の直接注入法等が挙げられる。
【0016】
本発明に用いられる多能性幹細胞は、好ましくはES細胞又は人工多能性幹細胞であり、より好ましくは人工多能性幹細胞である。
【0017】
遺伝子改変された多能性幹細胞は、例えば、相同組換え技術を用いることにより作製できる。改変される染色体上の遺伝子としては、例えば、細胞マーカー遺伝子、組織適合性抗原の遺伝子、網膜細胞の障害に基づく疾患関連遺伝子などがあげられる。染色体上の標的遺伝子の改変は、Manipulating the Mouse Embryo,A Laboratory Manual,Second Edition,Cold Spring Harbor Laboratory Press(1994);Gene Targeting,A Practical Approach,IRL Press at Oxford University Press(1993);バイオマニュアルシリーズ8,ジーンターゲッティング,ES細胞を用いた変異マウスの作製,羊土社(1995);等に記載の方法を用いて行うことができる。
【0018】
具体的には、例えば、改変する標的遺伝子(例えば、細胞マーカー遺伝子、組織適合性抗原の遺伝子や疾患関連遺伝子など)を含むゲノムDNAを単離し、単離されたゲノムDNAを用いて標的遺伝子を相同組換えするためのターゲットベクターを作製する。作製されたターゲットベクターを幹細胞に導入し、標的遺伝子とターゲットベクターの間で相同組換えを起こした細胞を選択することにより、染色体上の遺伝子が改変された幹細胞を作製することができる。
【0019】
標的遺伝子を含むゲノムDNAを単離する方法としては、Molecular Cloning,A Laboratory Manual,Second Edition,Cold Spring Harbor Laboratory Press(1989)やCurrent Protocols in Molecular Biology,John Wiley & Sons(1987-1997)等に記載された公知の方法があげられる。ゲノムDNAライブラリースクリーニングシステム(Genome Systems製)やUniversal GenomeWalker Kits(CLONTECH製)などを用いることにより、標的遺伝子を含むゲノムDNAを単離することもできる。ゲノムDNAの代わりに、標的蛋白質をコードするポリヌクレオチドを用いることもできる。当該ポリヌクレオチドは、PCR法で該当するポリヌクレオチドを増幅することにより取得することができる。
【0020】
標的遺伝子を相同組換えするためのターゲットベクターの作製、及び相同組換え体の効率的な選別は、Gene Targeting, A Practical Approach, IRL Press at Oxford University Press(1993);バイオマニュアルシリーズ8,ジーンターゲッティング,ES細胞を用いた変異マウスの作製,羊土社(1995);等に記載の方法にしたがって行うことができる。ターゲットベクターは、リプレースメント型又はインサーション型のいずれでも用いることができる。選別方法としては、ポジティブ選択、プロモーター選択、ネガティブ選択、又はポリA選択などの方法を用いることができる。
選別した細胞株の中から目的とする相同組換え体を選択する方法としては、ゲノムDNAに対するサザンハイブリダイゼーション法やPCR法等があげられる。
【0021】
本発明における「哺乳動物」には、げっ歯類、有蹄類、ネコ目、霊長類等が包含される。げっ歯類には、マウス、ラット、ハムスター、モルモット等が包含される。有蹄類には、ブタ、ウシ、ヤギ、ウマ、ヒツジ等が包含される。ネコ目には、イヌ、ネコ等が包含される。本発明における「霊長類」とは、霊長目に属する哺乳動物をいい、霊長類としては、キツネザルやロリス、ツバイなどの原猿亜目と、サル、類人猿、ヒトなどの真猿亜目が挙げられる。
【0022】
本発明に用いる多能性幹細胞は、哺乳動物の多能性幹細胞であり、好ましくはげっ歯類(例、マウス、ラット)又は霊長類(例、ヒト、サル)の多能性幹細胞であり、より好ましくはヒト多能性幹細胞である。
【0023】
本発明に用いる多能性幹細胞は、最も好ましくは、ヒト人工多能性幹細胞(ヒトiPS細胞)である。
【0024】
本発明における「浮遊培養」あるいは「浮遊培養法」とは、細胞又は細胞の凝集体が培養液に浮遊して存在する状態を維持しつつ培養すること、及び当該培養を行う方法を言う。すなわち浮遊培養は、細胞又は細胞の凝集体を培養器材等に接着させない条件で行われ、培養器材等に接着させる条件で行われる培養(接着培養、あるいは、接着培養法)は、浮遊培養の範疇に含まれない。この場合、細胞が接着するとは、細胞又は細胞の凝集体と培養器材の間に、強固な細胞-基質間結合(cell-substratum junction)ができることをいう。より詳細には、浮遊培養とは、細胞又は細胞の凝集体と培養器材等との間に強固な細胞-基質間結合を作らせない条件での培養をいい、「接着培養」とは、細胞又は細胞の凝集体と培養器材等との間に強固な細胞-基質間結合を作らせる条件での培養をいう。
浮遊培養中の細胞の凝集体では、細胞と細胞が面接着する。浮遊培養中の細胞の凝集体では、細胞-基質間結合が培養器材等との間にはほとんど形成されないか、あるいは、形成されていてもその寄与が小さい。一部の態様では、浮遊培養中の細胞の凝集体では、内在の細胞-基質間結合が凝集塊の内部に存在するが、細胞-基質間結合が培養器材等との間にはほとんど形成されないか、あるいは、形成されていてもその寄与が小さい。
細胞と細胞が面接着(plane attachment)するとは、細胞と細胞が面で接着することをいう。より詳細には、細胞と細胞が面接着するとは、ある細胞の表面積のうち別の細胞の表面と接着している割合が、例えば、1%以上、好ましくは3%以上、より好ましくは5%以上であることをいう。細胞の表面は、膜を染色する試薬(例えばDiI)による染色や、細胞接着因子(例えば、E-cadherinやN-cadherin)の免疫染色により、観察できる。
【0025】
浮遊培養を行う際に用いられる培養器は、「浮遊培養する」ことが可能なものであれば特に限定されず、当業者であれば適宜決定することが可能である。このような培養器としては、例えば、フラスコ、組織培養用フラスコ、ディッシュ、ペトリデッシュ、組織培養用ディッシュ、マルチディッシュ、マイクロプレート、マイクロウェルプレート、マイクロポア、マルチプレート、マルチウェルプレート、チャンバースライド、シャーレ、チューブ、トレイ、培養バック、スピナーフラスコ又はローラーボトルが挙げられる。これらの培養器は、浮遊培養を可能とするために、細胞非接着性であることが好ましい。細胞非接着性の培養器としては、培養器の表面が、細胞との接着性を向上させる目的で人工的に処理(例えば、基底膜調製物、ラミニン、エンタクチン、コラーゲン、ゼラチン等の細胞外マトリクス等、又は、ポリリジン、ポリオルニチン等の高分子等によるコーティング処理、又は、正電荷処理等の表面加工)されていないものなどを使用できる。細胞非接着性の培養器としては、培養器の表面が、細胞との接着性を低下させる目的で人工的に処理(例えば、MPCポリマー等の超親水性処理、タンパク低吸着処理等)されたものなどを使用できる。スピナーフラスコやローラーボトル等を用いて回転培養してもよい。培養器の培養面は、平底でもよいし、凹凸があってもよい。
接着培養を行う際に用いられる培養器としては、培養器の表面が、細胞との接着性を向上させる目的で人工的に処理(例えば、基底膜調製物、ラミニン、エンタクチン、コラーゲン、ゼラチン、マトリゲル、シンセマックス、ビトロネクチン等の細胞外マトリクス等、又は、ポリリジン、ポリオルニチン等の高分子等によるコーティング処理、又は、正電荷処理等の表面加工)されたものが挙げられる。
【0026】
本発明において細胞の培養に用いられる培地は、動物細胞の培養に通常用いられる培地を基礎培地として調製することができる。基礎培地としては、例えば、BME培地、BGJb培地、CMRL 1066培地、Glasgow MEM培地、Improved MEM Zinc Option培地、IMDM培地、Medium 199培地、Eagle MEM培地、αMEM培地、DMEM培地、F-12培地、DMEM/F12培地、IMDM/F12培地、ハム培地、RPMI 1640培地、Fischer’s培地、又はこれらの混合培地など、動物細胞の培養に用いることのできる培地を挙げることができる。
【0027】
本発明における「無血清培地」とは、無調整又は未精製の血清を含まない培地を意味する。本発明では、精製された血液由来成分や動物組織由来成分(例えば、増殖因子)が混入している培地も、無調整又は未精製の血清を含まない限り無血清培地に含まれる。
【0028】
「無血清条件」とは、無調整又は未精製の血清を含まない条件、具体的には、無血清培地を使用する条件を意味する。
無血清培地は、血清代替物を含有していてもよい。血清代替物としては、例えば、アルブミン、トランスフェリン、脂肪酸、コラーゲン前駆体、微量元素、2-メルカプトエタノール又は3’チオールグリセロール、あるいはこれらの均等物などを適宜含有するものを挙げることができる。かかる血清代替物は、例えば、WO98/30679に記載の方法により調製することができる。血清代替物として市販品を利用してもよい。かかる市販の血清代替物としては、例えば、KnockoutTM Serum Replacement(Life Technologies社製:以下、KSRと記すこともある。)、Chemically-defined Lipid concentrated(Life Technologies社製)、GlutamaxTM(Life Technologies社製)、B27(Life Technologies社製)、N2(Life Technologies社製)が挙げられる。
【0029】
浮遊培養で用いる無血清培地は、適宜、脂肪酸又は脂質、アミノ酸(例えば、非必須アミノ酸)、ビタミン、増殖因子、サイトカイン、抗酸化剤、2-メルカプトエタノール、ピルビン酸、緩衝剤、無機塩類等を含有してもよい。
【0030】
調製の煩雑さを回避するために、かかる無血清培地として、市販のKSR(ライフテクノロジー(Life Technologies)社製)を適量(例えば、約0.5%から約30%、好ましくは約1%から約20%)添加した無血清培地(例えば、F-12培地とIMDM培地の1:1混合液に10% KSR及び450μM 1-モノチオグリセロールを添加した培地)を使用してもよい。また、KSR同等品として特表2001-508302に開示された培地が挙げられる。
【0031】
本発明における「血清培地」とは、無調整又は未精製の血清を含む培地を意味する。当該培地は、脂肪酸又は脂質、アミノ酸(例えば、非必須アミノ酸)、ビタミン、増殖因子、サイトカイン、抗酸化剤、2-メルカプトエタノール、1-モノチオグリセロール、ピルビン酸、緩衝剤、無機塩類等を含有してもよい。また、本発明により製造された網膜細胞又は網膜組織を維持する工程において、血清培地を使用することができる(Cell Stem Cell, 10(6), 771-775 (2012))。
【0032】
本発明における培養は、好ましくはゼノフリー条件で行われる。「ゼノフリー」とは、培養対象の細胞の生物種とは異なる生物種由来の成分が排除された条件を意味する。
【0033】
本発明において、「物質Xを含む培地」又は「物質Xの存在下」とは、外来性(exogenous)の物質Xが添加された培地、外来性の物質Xを含む培地、又は外来性の物質Xの存在下を意味する。すなわち、当該培地中に存在する細胞又は組織が当該物質Xを内在的(endogenous)に発現、分泌若しくは産生する場合、内在的な物質Xは外来性の物質Xとは区別され、外来性の物質Xを含んでいない培地は内在的な物質Xを含んでいても「物質Xを含む培地」の範疇には該当しないと解する。
例えば、「未分化維持因子を含む培地」とは、外来性の未分化維持因子が添加された培地又は外来性の未分化維持因子を含む培地である。
【0034】
本発明において、フィーダー細胞とは、幹細胞を培養するときに共存させる当該幹細胞以外の細胞のことである。多能性幹細胞の未分化維持培養に用いられるフィーダー細胞としては、例えば、マウス線維芽細胞(MEF)、ヒト線維芽細胞、又は、SNL細胞等が挙げられる。フィーダー細胞としては、増殖抑制処理したフィーダー細胞が好ましい。増殖抑制処理としては、増殖抑制剤(例えば、マイトマイシンC)処理、γ線又はUV照射等が挙げられる。多能性幹細胞の未分化維持培養に用いられるフィーダー細胞は、液性因子(好ましくは未分化維持因子)の分泌や、細胞接着用の足場(細胞外基質)の作成により、多能性幹細胞の未分化維持に貢献する。
【0035】
本発明において、フィーダー細胞非存在下(フィーダーフリー条件下)とは、フィーダー細胞非存在下にて培養することである。フィーダー細胞非存在下とは、例えば、フィーダー細胞を添加していない条件、又は、フィーダー細胞を実質的に含まない(例えば、全細胞数に対するフィーダー細胞数の割合が3%以下)の条件が挙げられる。
【0036】
本発明において、細胞の「凝集体」(Aggregate)とは、培地中に分散していた細胞が集合して形成された塊であって、細胞同士が接着している塊をいう。細胞塊、胚様体(Embryoid body)、スフェア(Sphere)、スフェロイド(Spheroid)も細胞の凝集体に包含される。好ましくは、細胞の凝集体において、細胞同士が面接着している。一部の態様において、凝集体の一部分あるいは全部において、細胞同士が細胞-細胞間結合(cell-celljunction)及び又は細胞接着(cell adhesion)、例えば接着結合(adherence junction)、を形成している場合がある。本発明における「凝集体」として具体的には、上記本発明[1]の第二工程で生成する、浮遊培養開始時に分散していた細胞が形成する凝集体や、上記本発明[1]の第三工程で生成する、多能性幹細胞から分化誘導された網膜細胞を含む凝集体が挙げられるが、「凝集体」には、上記本発明[1]の第二工程開始時(すなわち浮遊培養開始時)に既に形成されていた凝集体も含まれる。第二工程で生成する細胞の凝集体は、「胚様体」(Embryoid body;EB)を包含する。
【0037】
本発明において、「均一な凝集体」とは、複数の凝集体を培養する際に各凝集体の大きさが一定であることを意味し、凝集体の大きさを最大径の長さで評価する場合、均一な凝集体とは、最大径の長さの分散が小さいことを意味する。より具体的には、凝集体の集団全体のうちの75%以上の凝集体が、当該凝集塊の集団における最大径の平均値±100%、好ましくは平均値±50%の範囲内、より好ましくは平均値±20%の範囲内であることを意味する。
本発明において、「均一な凝集体を形成させる」とは、細胞を集合させて細胞の凝集体を形成させ浮遊培養する際に、「一定数の分散した細胞を迅速に凝集」させることで大きさが均一な細胞の凝集体を形成させることをいう。
分散とは、細胞や組織を酵素処理や物理処理等の分散処理により、小さな細胞片(2細胞以上100細胞以下、好ましくは50細胞以下)又は単一細胞まで分離させることをいう。一定数の分散した細胞とは、細胞片又は単一細胞を一定数集めたもののことをいう。多能性幹細胞を分散させる方法としては、例えば、機械的分散処理、細胞分散液処理、細胞保護剤添加処理が挙げられる。これらの処理を組み合わせて行ってもよい。好ましくは、細胞分散液処理を行い、次いで機械的分散処理をするとよい。
機械的分散処理の方法としては、ピペッティング処理又はスクレーパーでの掻き取り操作が挙げられる。
【0038】
細胞分散液処理に用いられる細胞分散液としては、例えば、トリプシン、コラゲナーゼ、ヒアルロニダーゼ、エラスターゼ、プロナーゼ、DNase又はパパイン等の酵素類や、エチレンジアミン四酢酸等のキレート剤のいずれかを含む溶液を挙げることができる。市販の細胞分散液、例えば、TripLE Select (Life Technologies社製)やTripLE Express (Life Technologies社製)を用いることもできる。
多能性幹細胞を分散する際、又は分散した細胞が凝集塊を形成するまでの間に、細胞保護剤で処理することにより、凝集塊を形成していない多能性幹細胞の細胞死を抑制してもよい。細胞保護剤処理に用いられる細胞保護剤としては、FGFシグナル伝達経路作用物質、ヘパリン、ROCK(Rho-associated coiled-coil forming kinase/Rho結合キナーゼ)阻害物質、血清、又は血清代替物を挙げることができる。好ましい細胞保護剤としては、ROCK阻害物質が挙げられる。ROCK阻害物質としては、Y-27632、Fasudil又はH-1152が挙げられる。ROCK阻害物質の濃度は、当業者であれば適宜設定できるが、例えばY-27632約50nM~200μMに相当するROCK阻害活性を示す濃度の範囲から設定できる。
例えば、多能性幹細胞を分散させる方法として、多能性幹細胞のコロニーを、細胞保護剤としてROCK阻害物質の存在下、細胞分散液(TrypLE Select)で処理し、さらにピペッティングにより分散させる方法が挙げられる。
【0039】
本発明の製造方法においては、多能性幹細胞を迅速に集合させて多能性幹細胞の凝集体を形成させることが好ましい。このように多能性幹細胞の凝集体を形成させると、形成された凝集体から分化誘導される細胞において上皮様構造を再現性よく形成させることができる。凝集体を形成させる実験的な操作としては、例えば、ウェルの小さなプレート(例えば、ウェルの底面積が平底換算で0.1~2.0 cm2程度のプレート)やマイクロポアなどを用いて小さいスペースに細胞を閉じ込める方法、小さな遠心チューブを用いて短時間遠心することで細胞を凝集させる方法が挙げられる。ウェルの小さなプレートとして、例えば24ウェルプレート(面積が平底換算で1.88 cm2程度)、48ウェルプレート(面積が平底換算で1.0 cm2程度)、96ウェルプレート(面積が平底換算で0.35 cm2程度、内径6~8mm程度)、384ウェルプレートが挙げられる。好ましくは、96ウェルプレートが挙げられる。ウェルの小さなプレートの形状として、ウェルを上から見たときの底面の形状としては、多角形、長方形、楕円、真円が挙げられ、好ましくは真円が挙げられる。ウェルの小さなプレートの形状として、ウェルを横から見たときの底面の形状としては、外周部が高く内凹部が低くくぼんだ構造が好ましく、例えば、U底、V底、μ底が挙げられ、好ましくはU底又はV底、最も好ましくはV底が挙げられる。ウェルの小さなプレートとして、細胞培養皿(例えば、60mm~150mmディッシュ、カルチャーフラスコ)の底面に凹凸、又は、くぼみがあるもの(例えばEZSPHERE(旭テクノグラス))を用いてもよい。ウェルの小さなプレートの底面は、細胞非接着性の底面、好ましくは前記細胞非接着性コートした底面を用いるのが好ましい。
【0040】
多能性幹細胞の凝集体が形成されたことや、凝集体において上皮様構造が形成されたことは、凝集体の巨視的形態、組織染色解析による微視的形態、分化及び未分化マーカーを発現する細胞の分布などに基づき確認することが可能である。
【0041】
本発明における「組織」とは、形態や性質が異なる複数種類の細胞が一定のパターンで立体的に配置した構造を有する細胞集団の構造体をさす。
【0042】
本発明における「網膜組織」とは、生体網膜において各網膜層を構成する視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、網膜神経節細胞、これらの前駆細胞、又は網膜前駆細胞などの細胞が、少なくとも複数種類、層状で立体的に配列した組織を意味する。それぞれの細胞がいずれの網膜層を構成する細胞であるかは、公知の方法、例えば細胞マーカーの発現の有無若しくはその程度等により確認できる。
【0043】
本発明における「網膜層」とは、網膜を構成する各層を意味し、具体的には、網膜色素上皮層、視細胞層、外境界膜、外顆粒層、外網状層、内顆粒層、内網状層、神経節細胞層、神経線維層及び内境界膜を挙げることができる。
【0044】
本発明における「網膜前駆細胞」とは、視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、網膜神経節細胞及び網膜色素上皮細胞のいずれの成熟な網膜細胞にも分化しうる前駆細胞をいう。
視細胞前駆細胞、水平細胞前駆細胞、双極細胞前駆細胞、アマクリン細胞前駆細胞、網膜神経節細胞前駆細胞及び網膜色素上皮前駆細胞とは、それぞれ、視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、網膜神経節細胞及び網膜色素上皮細胞への分化が決定付けられている前駆細胞をいう。
【0045】
本発明における「網膜層特異的神経細胞」とは、網膜層を構成する細胞であって網膜層に特異的な神経細胞を意味する。網膜層特異的神経細胞としては、双極細胞、網膜神経節細胞、アマクリン細胞、水平細胞、視細胞が挙げられ、視細胞としては、杆体細胞及び錐体細胞を挙げることができる。
本発明における「網膜細胞」には、上述の網膜前駆細胞、網膜層特異的神経細胞及び網膜層特異的神経細胞の前駆細胞が包含される。
【0046】
網膜細胞マーカーとしては、網膜前駆細胞で発現するRx(Raxとも言う)、PAX6、及びChx10、視床下部ニューロンの前駆細胞では発現するが網膜前駆細胞では発現しないNkx2.1、視床下部神経上皮で発現し網膜では発現しないSox1、視細胞の前駆細胞で発現するCrx、Blimp1などが挙げられる。網膜層特異的神経細胞のマーカーとしては、双極細胞で発現するChx10、PKCα及びL7、網膜神経節細胞で発現するTuJ1及びBrn3、アマクリン細胞で発現するCalretinin、水平細胞で発現するCalbindin、成熟視細胞で発現するRhodopsin及びRecoverin、杆体細胞で発現するNrl、錐体細胞で発現するRxr-gamma、網膜色素上皮細胞で発現するRPE65及びMitfなどが挙げられる。
【0047】
2.網膜細胞又は網膜組織の製造方法
本発明の製造方法は、下記工程を含む、網膜細胞又は網膜組織の製造方法である:
(1)哺乳動物の多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下で、1)未分化維持因子、及び2)MEK阻害物質を含む培地で30日を超えない期間培養する第一工程、
(2)第一工程で得られた細胞を浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させる第二工程、及び
(3)第二工程で得られた凝集体を、BMPシグナル伝達経路作用物質の存在下に浮遊培養し、網膜細胞又は網膜組織を含む凝集体を得る第三工程。
【0048】
〔1〕第一工程について
第一工程における好ましい多能性幹細胞として、人工多能性幹細胞、更に好ましくはヒト人工多能性幹細胞が挙げられる。ここで人工多能性幹細胞の製造方法には特に限定はなく、上述のとおり当業者に周知の方法で製造することができるが、人工多能性幹細胞の作成工程(すなわち、体細胞を初期化し多能性幹細胞を樹立する工程)もフィーダーフリー条件下で行うことが望ましい。
第一工程で用いられる多能性幹細胞を得るための維持培養・拡大培養は、上述のとおり当業者に周知の方法で実施することができる。多能性幹細胞の維持培養・拡大培養は、接着培養でも浮遊培養でも実施することができるが、好ましくは接着培養で実施される。多能性幹細胞の維持培養・拡大培養は、フィーダー存在下で実施してもよいしフィーダーフリー条件下で実施してもよいが、好ましくはフィーダーフリー条件下で実施される。
【0049】
本発明の製造方法は、多能性幹細胞をフィーダーフリー条件下で維持し、フィーダーフリー条件下で維持された多能性幹細胞を提供する工程を工程(1)の前に含んでいてもよい。フィーダーフリー条件下での維持期間は、本発明の方法により網膜細胞又は網膜組織が製造され得る限り特に限定されないが、通常1日以上、好ましくは3日以上、より好ましくは7日以上である。フィーダーフリー条件下での維持期間の上限値は理論的には無く、適切な培養条件下で、半永久的に、多能性を維持したまま、フィーダーフリー条件下で多能性幹細胞を培養し拡大させることが可能であるが、多能性幹細胞を長期間維持すると、分化し、多能性を失ってしまうリスクが増大する恐れがある。従って、フィーダーフリー条件下での維持期間は、例えば6ヶ月以内、好ましくは3ヶ月以内程度、継代数としては例えば30継代以内、好ましくは20継代以内に留めることが好ましい。フィーダーフリー条件下での維持培養は、培地にMEK阻害物質、PKC阻害物質又はB-Raf阻害物質が含まれないことを除き、下記に詳述する第一工程の培養条件により実施することが出来る。
【0050】
フィーダーフリー条件下で維持培養された多能性幹細胞を回収する際には、分散操作により、分散した多能性幹細胞を調製する。多能性幹細胞の分散操作は、前述した、機械的分散処理、細胞分散液処理又は細胞保護剤添加処理を含んでよい。これらの処理を組み合わせて行ってもよい。好ましくは、細胞保護剤添加処理と同時に、細胞分散液処理を行い、次いで機械的分散処理をするとよい。
細胞保護剤添加処理に用いられる細胞保護剤としては、ヘパリン、血清、又は血清代替物を挙げることができる。また、分散により誘導される細胞死(特に、ヒト多能性幹細胞の細胞死)を抑制するために、分散の際に、Rho-associated coiled-coilキナーゼ(ROCK)の阻害物質を添加してもよい。ROCK阻害物質としては、Y-27632、Fasudil(HA1077)、H-1152等を挙げることができる。
細胞分散液処理に用いられる細胞分散液としては、トリプシン、コラゲナーゼ、ヒアルロニダーゼ、エラスターゼ、プロナーゼ、DNase又はパパイン等の酵素類や、エチレンジアミン四酢酸等のキレート剤のいずれかを含む溶液を挙げることができる。市販の細胞分散液、例えば、TrypLE Select (Life Technologies社製)やTrypLE Express (Life Technologies社製)を用いることもできる。
機械的分散処理の方法としては、ピペッティング処理又はスクレーパーでの掻き取り操作が挙げられる。
分散された多能性幹細胞を、新たな培養容器に播種し、第一工程に供する。
分散により誘導される細胞死(特に、ヒト多能性幹細胞の細胞死)を抑制するために、多能性幹細胞を、新たな培養容器に播種した後に、ROCK阻害物質存在下で、フィーダーフリー条件下の維持培養を継続し、その後第一工程を開始してもよい。ROCK阻害物質処理の期間は、分散により誘導される細胞死が抑制できる限り特に限定されないが、通常、12~24時間程度である。
【0051】
未分化維持因子は、多能性幹細胞の分化を抑制する作用を有する物質であれば特に限定はないが、通常哺乳動物由来の未分化維持因子である。未分化維持因子は、哺乳動物の種間で交差反応性を有し得るので、培養対象の多能性幹細胞の未分化状態を維持可能な限り、いずれの哺乳動物の未分化維持因子を用いてもよいが、好適には培養する細胞と同一種の哺乳動物の未分化維持因子が用いられる。
当業者に汎用されている未分化維持因子としては、プライムド多能性幹細胞(Primed pluripotent stem cells)(例えば、ヒトES細胞やヒトiPS細胞)の場合、FGFシグナル伝達経路作用物質、TGFβファミリーシグナル伝達経路作用物質等を挙げることができる。FGFシグナル伝達経路作用物質として具体的には、線維芽細胞増殖因子(例えば、bFGF、FGF4やFGF8)が挙げられる。また、TGFβファミリーシグナル伝達経路作用物質としては、TGFβシグナル伝達経路作用物質、Nodal/Activinシグナル伝達経路作用物質が挙げられる。TGFβシグナル伝達経路作用物質としては、例えばTGFβ1、TGFβ2が挙げられる。Nodal/Activinシグナル伝達経路作用物質としては、例えばNodal、Activin A、Activin Bが挙げられる。ヒト多能性幹細胞(ヒトES細胞、ヒトiPS細胞)を培養する場合、未分化維持因子は好ましくはbFGFである。
【0052】
本発明に用いる未分化維持因子は、好ましくは単離されている。「単離」とは、目的とする成分や細胞以外の因子を除去する操作がなされ、天然に存在する状態を脱していることを意味する。従って、「単離されたタンパク質X」には、培養対象の細胞や組織から産生され細胞や組織又は培地中に含まれている内在性のタンパク質Xは包含されない。「単離されたタンパク質X」の純度(総タンパク質重量に占めるタンパク質Xの重量の百分率)は、通常70%以上、好ましくは80%以上、より好ましくは90%以上、更に好ましくは99%以上、最も好ましくは100%である。従って、一態様において、本発明は、単離された未分化維持因子を提供する工程を含む。
また、一態様において、第一工程に用いる培地中へ、単離された未分化維持因子を外来性(又は外因性)に添加する工程を含む。あるいは、第一工程に用いる培地に予め未分化維持因子が添加されていてもよい。具体的には、前述の基礎培地に未分化維持因子を添加した培地、又は、市販されている、未分化維持因子を含む幹細胞若しくはiPS細胞等の未分化細胞培養用の培地を第一工程において用いることができる。
【0053】
第一工程において用いられる培地中の未分化維持因子濃度は、培養する多能性幹細胞の未分化状態を維持可能な濃度であり、当業者であれば、適宜設定することができる。例えば、具体的には、未分化維持因子として、フィーダー細胞非存在下でbFGFを用いる場合、その濃度は、通常4ng~500ng/mL程度、好ましくは10ng~200ng/mL、より好ましくは30ng~150ng/mL程度である。
【0054】
MEK阻害物質とは、MEKファミリーの発現又は活性を阻害する物質であれば特に限定はなく、蛋白質、核酸、低分子化合物のいずれであってもよい。ここで、代表的なMEKファミリーとしてMEK1、MEK2、MEK3等が挙げられ、MEK阻害物質はこれらMEKファミリーの1つ、複数又は全部の発現又は活性を阻害する物質である。当該物質として例えば、各種MEKをコードする遺伝子の発現を抑制する物質(例えば、アンチセンスオリゴヌクレオチド、siRNA等)、各種MEKの酵素活性を阻害する物質が挙げられる。MEK阻害物質としては、具体的には、PD0325901(N-[(2R)-2,3-ジハイドロキシプロポキシ]-3,4-ジフルオロ-2-[(2-フルオロ-4-イオドフェニル)アミノ]-ベンズアミド)、PD184352(2-(2-クロロ-4-インドフェニルアミノ)-N-シクロプロピルメトキシ-3,4-ジフルオロベンズアミド)、PD98059(2’-アミノ-3’-メトキシフラボン)、U0126(1.4-ジアミノ-2,3-ジシアノ-1,4-ビス[2-アミノ-フェニルチオ]ブタジエン)、MEK162(5-[(4-Bromo-2-fluorophenyl)amino]-4-fluoro-N-(2-hydroxyethoxy)-1-methyl-1H-benzimidazole-6-carboxamide)、SL327(α-[アミノ[(4-アミノフェニル)チオ]メチレン]-2-(トリフルオロメチル)ベンゼンアセトニトリル)等の低分子化合物が挙げられるが、これらに限定されない。ここで、PD0325901、PD184352、PD98059、U0126、MEK162及びSL327は公知のMEK阻害物質であり、市販品等を適宜入手可能である。MEK阻害物質は、好ましくはPD0325901、PD184352又はU0126であり、より好ましくはPD0325901である。
本発明の方法において、培地中に含まれるMEK阻害物質の濃度は、本発明の方法により哺乳動物の網膜細胞又は網膜組織を製造し得る限り特に限定されず、MEK阻害物質の種類に応じて適宜設定することができる。例えば、MEK阻害物質の濃度として、PD0325901の0.001~10μM、好ましくは0.005~5μM、特に好ましくは0.01~2.5μMのMEK阻害活性に相当する濃度の範囲が挙げられる。
【0055】
本発明の方法においては、第一工程において用いる培地が、未分化維持因子及びMEK阻害物質に加えて、PKC阻害物質又はB-Raf阻害物質を含んでいてもよい。PKC阻害物質又はB-Raf阻害物質の添加により、網膜細胞に分化し得る細胞凝集体、或いは網膜細胞及び網膜組織の製造効率の向上が期待できる。
【0056】
PKC阻害物質とは、プロテインキナーゼC(PKC)の発現又は活性を阻害し得る物質であれば特に限定はなく、蛋白質、核酸、低分子化合物のいずれであってもよい。ここで、PKCとは、少なくとも10種類以上のアイソザイムから構成されるタンパク質ファミリーであり、PKC阻害物質はこれらの1つ、複数又は全部の発現又は活性を阻害する物質である。当該物質として例えば、PKCをコードする遺伝子の発現を抑制する物質(例えばアンチセンスオリゴヌクレオチド、siRNA等)、PKCの酵素活性を阻害する物質[例えばGo6983(但し「o」はウムラウト)(3-[1-[3-(Dimethylamino)propyl]-5-methoxy-1H-indol-3-yl]-4-(1H-indol-3-yl)-1H-pyrrole-2,5-dione)等の低分子化合物等]等が挙げられるが、これらに限定されない。Go6983は公知のPKC阻害物質であり、市販されているため容易に入手可能である。PKC阻害物質は、好ましくはGo6983である。
本発明の方法において、第一工程の培地がPKC阻害物質を含む場合、培地中に含まれるPKC阻害物質の濃度は、本発明の方法により哺乳動物の網膜細胞又は網膜組織を製造し得る限り特に限定されず、PKC阻害物質の種類に応じて適宜設定することができる。例えば、PKC阻害物質の濃度として、Go6983 0.05~10μM、好ましくは0.25~5μM、より好ましくは、0.5~2.5μMのPKC阻害活性に相当する濃度の範囲が挙げられる。
【0057】
B-Raf阻害物質とは、B-Rafの発現又はセリン/スレオニンキナーゼ活性を阻害する物質であれば特に限定はなく、蛋白質、核酸、低分子化合物のいずれであってもよい。当該物質として例えば、B-Rafをコードする遺伝子の発現を抑制する物質(例えばアンチセンスオリゴヌクレオチド、siRNA等)、B-Rafの酵素活性を阻害する物質[例えば、抗B-Raf抗体、SB590885(5-[2-[4-[2-(ジメチルアミノ)エトキシ]フェニル]-5-(4-ピリジニル)-1H-イミダゾール-4-イル]-2,3-ジヒドロ-1H-インデン-1-オン オキシム)等の低分子化合物等]等が挙げられるが、これらに限定されない。B-Raf阻害物質は、好ましくはSB590885である。
本発明の方法において、第一工程の培地がB-Raf阻害物質を含む場合、培地中に含まれるB-Raf阻害物質の濃度は、本発明の方法により哺乳動物の網膜細胞又は網膜組織を製造し得る限り特に限定されず、B-Raf阻害物質の種類に応じて適宜設定することができる。例えば、B-Raf阻害物質の濃度として、SB590885 0.05~10μM、好ましくは0.25~5μM、より好ましくは、0.5~2.5μMのB-Raf阻害活性に相当する濃度の範囲が挙げられる。
【0058】
第一工程における多能性幹細胞の培養は、浮遊培養及び接着培養のいずれの条件でおこなわれてもよいが、好ましくは、接着培養により行われる。
【0059】
第一工程において用いられる培地は、血清培地であっても無血清培地であってもよいが、化学的に未決定な成分の混入を回避する観点から、好ましくは、無血清培地であり、更に好ましくは、上述の血清代替物を含む無血清培地である。
【0060】
第一工程において用いられる培地は、化学的に未決定な成分の混入を回避する観点から、好ましくは、含有成分が化学的に決定された培地である。
【0061】
第一工程において用いられる培地は、1)未分化維持因子、及び2)MEK阻害物質(並びに、任意的に3)PKC阻害物質又はB-Raf阻害物質)を含む培地である限り、フィーダーフリー条件下で、多能性幹細胞の未分化維持培養を可能にする培地(フィーダーフリー培地)であれば、特に限定はない。
【0062】
第一工程におけるフィーダー細胞非存在下(フィーダーフリー条件下)とは、フィーダー細胞を実質的に含まない(例えば、全細胞数に対するフィーダー細胞数の割合が3%以下)の条件を意味する。
【0063】
フィーダーフリー培地として、多くの合成培地が開発・市販されており、例えばEssential 8培地が挙げられる。Essential 8培地は、DMEM/F12培地に、添加剤として、L-ascorbic acid-2-phosphate magnesium (64 mg/l), sodium selenium(14 μg/1), insulin(19.4mg /l), NaHCO3(543 mg/l), transferrin (10.7 mg/l), bFGF (100 ng/mL)、及び、TGFβファミリーシグナル伝達経路作用物質(TGFβ1(2 ng/mL) 又はNodal (100 ng/mL))を含む(Nature Methods, 8, 424-429 (2011))。市販のフィーダーフリー培地としては、例えば、Essential 8(Life Technologies社製)、S-medium(DSファーマバイオメディカル社製)、StemPro(Life Technologies社製)、hESF9(Proc Natl Acad Sci U S A. 2008 Sep 9;105(36):13409-14)、mTeSR1 (STEMCELL Technologies社製)、mTeSR2 (STEMCELL Technologies社製)、TeSR-E8(STEMCELL Technologies社製)が挙げられる。またこの他に、フィーダーフリー培地としては、StemFit(味の素社製)が挙げられる。上記第一工程においてこれらのいずれかの培地に、(i)MAPキナーゼキナーゼ阻害物質(MEK阻害物質)を添加した培地、又は(ii)MEK阻害物質及びPKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質を添加した培地を用いることにより、本発明を実施することが出来る。一態様として、上記第一工程においてこれらのいずれかの培地に、MEK阻害物質を添加した培地、MEK阻害物質及びPKC阻害物質を添加した培地、又は、MEK阻害物質及びB-Raf阻害物質を添加した培地を挙げることができる。
【0064】
第一工程において用いられる培地は、未分化維持因子に加えて、MEK阻害物質を含む。又は第一工程において用いられる培地は、未分化維持因子に加えて、MEK阻害物質、及びPKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質を含む。例えば、
(i)未分化維持因子及びMEK阻害物質を含み、PKC阻害物質及びB-Raf阻害物質を含まない培地、
(ii)未分化維持因子及びMEK阻害物質を含み、PKC阻害物質、B-Raf阻害物質、TGFβファミリーシグナル伝達経路阻害物質及びソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含まない培地、
(iii) 未分化維持因子、MEK阻害物質、及びPKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質を含む培地、
(iv)未分化維持因子、MEK阻害物質、及びPKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質を含み、TGFβファミリーシグナル伝達経路阻害物質及びソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含まない培地、
等が用いられる。
第一工程の後に第二工程において浮遊培養に付すことにより、多能性幹細胞の状態が変わり、細胞凝集体を高効率で製造することができる。例えば、第一工程の後に第二工程において浮遊培養に付すことにより、多能性幹細胞の状態が変わり、凝集体の質が向上し、丸く、表面が滑らかで、凝集体の内部が密な細胞凝集体を高効率で製造することが期待できる。第一工程に用いる培地は、本発明の製造方法による網膜細胞若しくは網膜組織の製造効率を著しく(例えば、第一工程を行わない場合の効率と同程度又はそれ以下まで)低減させない限り、さらなる成分(例えば、任意のシグナル伝達経路の作用又は阻害物質)を含むことができる。
【0065】
第一工程におけるフィーダーフリー条件での多能性幹細胞の培養においては、フィーダー細胞に代わる足場を多能性幹細胞に提供するため、適切なマトリクスを足場として用いてもよい。足場であるマトリクスにより、表面をコーティングした細胞容器中で、多能性幹細胞を接着培養する。
【0066】
足場として用いることのできるマトリクスとしては、ラミニン(Nat Biotechnol 28, 611-615 (2010))、ラミニン断片(Nat Commun 3, 1236 (2012))、基底膜調製物 (Nat Biotechnol 19, 971-974 (2001))、ゼラチン、コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン、エンタクチン、ビトロネクチン(Vitronectin)等が挙げられる。
【0067】
「ラミニン」とは、α、β、γ鎖からなるヘテロ三量体分子であり、サブユニット鎖の組成が異なるアイソフォームが存在する細胞外マトリックスタンパク質である。具体的には、ラミニンは、5種のα鎖、4種のβ鎖及び3種のγ鎖のヘテロ三量体の組合せで約15種類のアイソフォームを有する。α鎖(α1~α5)、β鎖(β1~β4)及びγ鎖(γ1~γ3)のそれぞれの数字を組み合わせて、ラミニンの名称が定められている。例えばα5鎖、β1鎖、γ1鎖の組合せによるラミニンをラミニン511という。本発明においては、好ましくはラミニン511が用いられる(Nat Biotechnol 28, 611-615 (2010))。
【0068】
本発明で用いるラミニンは、通常哺乳動物のラミニンである。哺乳動物としては、上記のものを挙げることができる。ゼノフリー条件を達成する観点から、好適には培養する細胞と同一種の哺乳動物のラミニンが用いられる。例えば、ヒト多能性幹細胞の培養には、ヒトラミニン(好ましくは、ヒトラミニン511)が用いられる。
【0069】
本発明で用いるラミニン断片は、多能性幹細胞への接着性を有しており、フィーダーフリー条件での多能性幹細胞の維持培養を可能とするものであれば特に限定されないが、好ましくは、E8フラグメントである。ラミニンE8フラグメントは、ラミニン511をエラスターゼで消化して得られたフラグメントの中で、強い細胞接着活性をもつフラグメントとして同定されたものである(EMBO J., 3:1463-1468, 1984、J. Cell Biol., 105:589-598, 1987)。本発明においては、好ましくはラミニン511のE8フラグメントが用いられる(Nat. Commun. 3, 1236 (2012)、Scientific Reports 4, 3549 (2014))。本発明に用いられるラミニンE8フラグメント(ラミニン511-E8)は、ラミニンのエラスターゼ消化産物であることを要するものではなく、組換え体であってもよい。未同定成分の混入を回避する観点から、本発明においては、好ましくは、組換え体のラミニン断片が用いられる。ラミニン511のE8フラグメントは市販されており、例えばiMatrix-511(ニッピ株式会社)等を購入可能である。
【0070】
本発明において用いられるラミニン又はラミニン断片は、好ましくは単離されている。
【0071】
本発明における「基底膜調製物(基底膜標品)」とは、その上に基底膜形成能を有する所望の細胞を播腫して培養した場合に、上皮細胞様の細胞形態、分化、増殖、運動、機能発現などを制御する機能を有する基底膜構成成分を含むものをいう。例えば、本発明により製造された網膜細胞・網膜組織を分散させ、更に接着培養を行う際には、基底膜調製物存在下で培養することができる。ここで、「基底膜構成成分」とは、動物の組織において、上皮細胞層と間質細胞層などとの間に存在する薄い膜状をした細胞外マトリックス分子をいう。基底膜調製物は、例えば基底膜を介して支持体上に接着している基底膜形成能を有する細胞を、該細胞の脂質溶解能を有する溶液やアルカリ溶液などを用いて支持体から除去することで作製することができる。基底膜調製物としては、基底膜調製物として市販されている商品(例えば、MatrigelTM(ベクトン・ディッキンソン社製:以下、マトリゲルと記すこともある))やGeltrexTM(Life Technologies社製)、基底膜成分として公知の細胞外マトリックス分子(例えば、ラミニン、IV型コラーゲン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン、エンタクチンなど)を含むものが挙げられる。
【0072】
MatrigelTMは、Engelbreth Holm Swarn(EHS)マウス肉腫から抽出された基底膜調製物である。MatrigelTMの主成分はIV型コラーゲン、ラミニン、ヘパラン硫酸プロテオグリカン及びエンタクチンであり、これらに加えてTGFβ、FGF、組織プラスミノゲン活性化因子及びEHS腫瘍が天然に産生する増殖因子が含まれる。MatrigelTMの「growth factor reduced製品」は、通常のMatrigelTMよりも増殖因子の濃度が低く、その標準的な濃度はEGFが<0.5ng/ml、NGFが<0.2ng/ml、PDGFが<5pg/ml、IGF1が5ng/ml、TGFβが1.7ng/mlである。
【0073】
未同定成分の混入を回避する観点から、本発明においては、好ましくは、単離されたラミニン又はラミニン断片が用いられる。
【0074】
好ましくは、第一工程におけるフィーダーフリー条件での多能性幹細胞の培養においては、単離されたラミニン511又はラミニン511のE8フラグメント(最も好ましくは、ラミニン511のE8フラグメント)により、表面をコーティングした細胞容器中で、多能性幹細胞を接着培養する。
【0075】
第一工程における多能性幹細胞の培養時間は、第二工程において形成される凝集体の質を向上させる効果が達成可能な範囲で特に限定されないが、通常30日を超えない期間、好ましくは0.5~8日間、更に好ましくは1~6日間、より好ましくは4~6日間である。即ち、第二工程開始の30日前、好ましくは0.5~8日前、更に好ましくは1~6日前、より好ましくは4~6日前に第一工程を開始し、第一工程を完了した後、引き続き第二工程が行われる。
【0076】
一態様において、第一工程における培地が、未分化維持因子及びMEK阻害物質を含み、かつPKC阻害物質及びB-RAF阻害物質のいずれも含まない(例えば、分化誘導に影響を与え得る他の因子を含まない)場合、第一工程における多能性幹細胞の培養時間を4~6日間(例、5日間)とする。
一態様において、第一工程における培地が、未分化維持因子、MEK阻害物質、及びPKC阻害物質若しくはB-RAF阻害物質を含む場合、第一工程における多能性幹細胞の培養時間を1~6日間(例、1~5日間)とする。
【0077】
第一工程における培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定できる。培養温度は、例えば約30℃から約40℃、好ましくは約37℃である。またCO2濃度は、例えば約1%から約10%、好ましくは約5%である。
【0078】
好ましい態様において、第一工程により得られる細胞集団は、多能性様性質(pluripotent-like state)を維持する細胞が含まれる細胞集団であり、その意味で多能性様性質が維持された細胞集団であるという事ができる。多能性様性質とは、多能性を含む、多能性幹細胞に共通する多能性幹細胞に特有の形質の少なくとも一部を維持している状態を意味する。多能性様性質には厳密な多能性は要求されない。具体的には、多能性性質(pluripotent state)の指標となるマーカーの全て又は一部を発現している状態が、「多能性様性質」に含まれる。多能性様性質のマーカー(未分化マーカー)としては、Oct3/4陽性、アルカリフォスファターゼ陽性などが挙げられる。一態様において、多能性様性質が維持された細胞は、Oct3/4陽性である。Nanogの発現量がES細胞若しくはiPS細胞に比べて低い場合であっても「多能性様性質を示す細胞」に該当する。すなわち、第一工程は多能性幹細胞の未分化状態を維持可能な培養条件ではないが、少なくとも複数種類の外胚葉系細胞に分化可能な多能性様性質を維持可能な培養条件で行われる。第一工程を通じて多能性様性質は維持される。
【0079】
第一工程により得られる細胞は、網膜細胞及び網膜組織へ分化する能力を有する。一態様において、第一工程により得られる細胞は、網膜細胞(網膜前駆細胞、網膜層特異的神経細胞及びその前駆細胞を含む)及び網膜組織へ分化する能力を有する幹細胞である。
【0080】
好ましい態様において、ヒト多能性幹細胞(例、iPS細胞)を、フィーダー細胞非存在下で、(i) MEK阻害物質及びbFGFを含有する無血清培地、又は(ii)MEK阻害物質、PKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質、及びbFGFを含有する無血清培地で、接着培養する。具体的な組み合わせとしては、MEK阻害物質(例、PD0325901)及びbFGFの組み合わせ;MEK阻害物質(例、PD0325901)、PKC阻害物質(例、Go6983)及びbFGFの組み合わせ;MEK阻害物質(例、PD0325901)、B-Raf阻害物質(例、SB590885)及びbFGFの組み合わせ等が挙げられる。
上記の当該接着培養は、好ましくは、ラミニン511又はラミニン511のE8フラグメントで表面をコーティングした細胞容器中で実施される。
【0081】
例えば、ヒト多能性幹細胞(例、ヒトiPS細胞)を、フィーダー細胞非存在下で、bFGFを含む無血清培地中で維持培養する。当該維持培養は、好ましくは接着培養により行われる。当該接着培養は、好ましくは、ビトロネクチン、ラミニン511又はラミニン511のE8フラグメントで表面をコーティングした細胞容器中で実施される。そして、この培養中へ(i) MEK阻害物質、又は(ii)MEK阻害物質、及びPKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質(具体的には、PD0325901;PD0325901及びGo6983の組み合わせ;PD0325901及びSB590885の組み合わせ等が挙げられる)を添加し、培養を継続する。
このようにして第一工程により得られる細胞は、少なくとも網膜組織、網膜細胞、網膜前駆細胞、又は網膜層特異的神経細胞へ分化する能力を有する。好ましくは、第一工程により得られる細胞は、少なくとも網膜組織、網膜細胞、網膜前駆細胞、又は網膜層特異的神経細胞へ分化する能力を有する幹細胞を含む。
【0082】
〔2〕第二工程について
第一工程で得られた細胞を培地中で浮遊培養することにより細胞の凝集体を形成させる第二工程について説明する。
【0083】
第二工程において用いられる培地は、上記定義の項で記載したようなものである限り特に限定されない。第二工程において用いられる培地は血清含有培地又は無血清培地であり得る。化学的に未決定な成分の混入を回避する観点から、本発明においては、無血清培地が好適に用いられるが、未分化維持因子、MEK阻害物質、PKC阻害物質及びB-Raf阻害物質がいずれも添加されていない無血清培地を使用することができる。調製の煩雑さを回避するには、例えば、市販のKSR等の血清代替物を適量添加した無血清培地(例えば、IMDMとF-12の1:1の混合液に10% KSR、450μM 1-モノチオグリセロール及び1 x Chemically Defined Lipid Concentrateが添加された培地、又は、GMEMに5%~20%KSR、NEAA、ピルビン酸、2-メルカプトエタノールが添加された培地)を使用することが好ましい。無血清培地へのKSRの添加量としては、例えばヒト多能性幹細胞の場合は、例えば約1%から約30%であり、好ましくは約2%から約20%である。
【0084】
凝集体の形成に際しては、まず、第一工程で得られた細胞の分散操作により、分散された細胞を調製する。分散操作により得られた「分散された細胞」としては、例えば7割以上が単一細胞であり2~50細胞の塊が3割以下存在する細胞集団が挙げられる。分散された細胞は、好ましくは、8割以上が単一細胞であり、2~50細胞の塊が2割以下存在する細胞集団である。一態様として、分散された細胞として、細胞同士の接着(例えば面接着)がほとんどなくなった状態の細胞集団を挙げることができる。一部の態様において、分散された細胞として、細胞-細胞間結合(例えば、接着結合)がほとんどなくなった状態の細胞集団を挙げることができる。
第一工程で得られた細胞の分散操作は、前述した、機械的分散処理、細胞分散液処理、細胞保護剤添加処理を含んでよい。これらの処理を組み合わせて行ってもよい。好ましくは、細胞保護剤添加処理と同時に、細胞分散液処理を行い、次いで機械的分散処理をするとよい。
細胞保護剤添加処理に用いられる細胞保護剤としては、ヘパリン、血清、又は血清代替物を挙げることができる。また、分散により誘導される細胞死(特に、ヒト多能性幹細胞又はヒト多能性幹細胞から派生した細胞の細胞死)を抑制するために、Rho-associated coiled-coilキナーゼ(ROCK)の阻害物質を第二工程培養開始時から添加してもよい。ROCK阻害物質としては、Y-27632、Fasudil(HA1077)、H-1152等を挙げることができる。
細胞分散液処理に用いられる細胞分散液としては、トリプシン、コラゲナーゼ、ヒアルロニダーゼ、エラスターゼ、プロナーゼ、DNase又はパパイン等の酵素類や、エチレンジアミン四酢酸等のキレート剤のいずれかを含む溶液を挙げることができる。市販の細胞分散液、例えば、TrypLE Select (Life Technologies社製)やTrypLE Express (Life Technologies社製)を用いることもできる。
機械的分散処理の方法としては、ピペッティング処理又はスクレーパーでの掻き取り操作が挙げられる。
分散された細胞は上記培地中に懸濁される。
【0085】
そして、分散された細胞の懸濁液を、上記培養器中に播き、分散させた細胞を、培養器に対して、非接着性の条件下で培養することにより、複数の細胞を集合させて凝集体を形成する。
【0086】
この際、分散された細胞を、10cmディッシュのような、比較的大きな培養器に播種することにより、1つの培養器中に複数の細胞の凝集塊を同時に形成させてもよいが、こうすると凝集塊ごとの大きさにばらつきが生じる。そこで、例えば、96穴マイクロプレートのようなマルチウェルプレート(U底、V底)の各ウェルに一定数の分散された幹細胞を入れて、これを静置培養すると、細胞が迅速に凝集することにより、各ウェルにおいて1個の凝集体が形成される。この凝集体を複数のウェルから回収することにより、均一な凝集体の集団を得ることができる。
【0087】
第二工程における細胞の濃度は、細胞の凝集体をより均一に、効率的に形成させるように適宜設定することができる。例えば96穴マイクロウェルプレートを用いてヒト細胞(例、第一工程においてヒトiPS細胞から得られた細胞)を浮遊培養する場合、1ウェルあたり約1×103から約1×105細胞、好ましくは約3×103から約5×104細胞、より好ましくは約4×103から約2×104細胞、更に好ましくは、約4×103から約1.6×104細胞、最も好ましくは約8×103から約1.2×104細胞となるように調製した液をウェルに添加し、プレートを静置して凝集体を形成させる。
【0088】
第二工程における培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定できる。培養温度は、例えば約30℃から約40℃、好ましくは約37℃である。CO2濃度は、例えば約1%から約10%、好ましくは約5%である。
【0089】
第二工程において、培地交換操作を行う場合、例えば、元ある培地を捨てずに新しい培地を加える操作(培地添加操作)、元ある培地を半量程度(元ある培地の体積量の30~90%程度、例えば40~60%程度)捨てて新しい培地を半量程度(元ある培地の体積量の30~90%、例えば40~60%程度)加える操作(半量培地交換操作)、元ある培地を全量程度(元ある培地の体積量の90%以上)捨てて新しい培地を全量程度(元ある培地の体積量の90%以上)加える操作(全量培地交換操作)が挙げられる。
ある時点で、特定の成分を添加する場合、例えば、終濃度を計算した上で、元ある培地を半量程度捨てて、特定の成分を終濃度よりも高い濃度で含む新しい培地を半量程度加える操作(半量培地交換操作)を行ってもよい。
ある時点で、元の培地に含まれる成分を希釈して濃度を下げる場合、例えば、培地交換操作を、1日に複数回、好ましくは1時間以内に複数回(例えば2~3回)行ってもよい。また、ある時点で、元の培地に含まれる成分を希釈して濃度を下げる場合、細胞又は凝集体を別の培養容器に移してもよい。
培地交換操作に用いる道具は特に限定されないが、例えば、ピペッター、マイクロピペット、マルチチャンネルマイクロピペット、連続分注器、などが挙げられる。例えば、培養容器として96ウェルプレートを用いる場合、マルチチャンネルピペットマンを使ってもよい。
【0090】
細胞の凝集体を形成させるために必要な浮遊培養の時間は、細胞を均一に凝集させるように、用いる細胞によって適宜決定可能であるが、均一な細胞の凝集体を形成するためにはできる限り短時間であることが望ましい。分散された細胞が、細胞凝集体が形成されるに至るまでの工程は、細胞が集合する工程、及び集合した細胞が細胞凝集体を形成する工程にわけられる。分散された細胞を播種する時点(すなわち浮遊培養開始時)から細胞が集合するまでは、例えば、ヒト細胞(例、第一工程においてヒトiPS細胞から得られた幹細胞)の場合には、好ましくは約24時間以内、より好ましくは約12時間以内に集合した細胞を形成させる。分散された細胞を播種する時点(すなわち浮遊培養開始時)から細胞凝集体が形成されるまでの時間は、例えば、ヒト多能性幹細胞(例、ヒトiPS細胞)の場合には、好ましくは約72時間以内、より好ましくは約48時間以内である。この凝集体形成までの時間は、細胞を凝集させる用具や、遠心条件などを調整することにより適宜調節することが可能である。
【0091】
細胞の凝集体が形成されたことは、凝集体のサイズ及び細胞数、巨視的形態、組織染色解析による微視的形態及びその均一性、分化及び未分化マーカーの発現及びその均一性、分化マーカーの発現制御及びその同期性、分化効率の凝集体間の再現性などに基づき判断することが可能である。
【0092】
凝集体が形成された後、そのまま、凝集体の培養を継続してもよい。第二工程における浮遊培養の時間は、通常12時間~6日間、好ましくは12時間~48時間程度である。
【0093】
一態様において、第二工程において用いられる培地は、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含む。すなわち、第二工程において、第一工程で得られた細胞を、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含む培地(好適には無血清培地)中で浮遊培養に付して凝集体を形成させることにより、凝集体の質が、更に向上した細胞の凝集体を高効率で形成できる。例えば、凝集体の質が、更に向上した、丸く、表面が滑らかで、形がくずれていない、凝集体の内部が密な細胞の凝集体の高効率での形成が期待できる。
【0094】
ソニック・ヘッジホッグシグナル(以下、Shhと記すことがある。)伝達経路作用物質とは、Shhにより媒介されるシグナル伝達を増強し得る物質である。Shhシグナル伝達経路作用物質としては、例えば、Hedgehogファミリーに属する蛋白質(例えば、ShhやIhh)、Shh受容体、Shh受容体アゴニスト、Purmorphamine、又はSAG(Smoothened Agonist;N-Methyl-N'-(3-pyridinylbenzyl)-N'-(3-chlorobenzo[b]thiophene-2-carbonyl)-1,4-diaminocyclohexane)等が挙げられる。Shhシグナル伝達経路作用物質は、好ましくはSAGである。
SAGのソニック・ヘッジホッグシグナル伝達促進活性は、当業者に周知の方法、例えばGli1遺伝子の発現に着目したレポータージーンアッセイにて決定することができる(Oncogene (2007) 26, 5163-5168)。
培地中のソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質の濃度は、上述の効果を達成可能な範囲で適宜設定することが可能である。SAGは、通常、1~2000nM、好ましくは1~1000nM、好ましくは10nM~700nM、20nM~500nM、更に好ましくは100nM~500nMの濃度で使用される。SAG以外のソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を用いる場合には、上記SAGの濃度と同等のソニック・ヘッジホッグシグナル伝達促進活性を示す濃度で用いられることが望ましい。
【0095】
ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を培地に添加するタイミングは、上記効果を達成できる範囲で特に限定されないが、早ければ早い方が効果が高い。ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質は、第二工程開始から、通常6日以内、好ましくは3日以内、より好ましくは1日以内、最も好ましくは第二工程開始時に、培地に添加される。
培地中のソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質の濃度は、第二工程の期間中変動させてもよい。例えば、第二工程の開始時において、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を上記範囲とし、2~4日間につき、40~60%減の割合で、徐々に又は段階的に該濃度を低下させてもよい。
【0096】
好ましい態様において、第二工程においては、第一工程で得られたヒト細胞(例、第一工程によりヒトiPS細胞から得られた細胞)を回収し、これを、単一細胞、又はこれに近い状態にまで分散し、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例、SAG)を含む無血清培地中で浮遊培養に付し、凝集体を形成する。ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質は、好ましくは、浮遊培養開始時から培地に含まれる。培地には、ROCK阻害物質(例、Y-27632)を添加してもよい。培養時間は12時間~6日間、好ましくは12時間~48時間である。形成される凝集体は、好ましくは均一な凝集体である。
【0097】
例えば、第一工程で得られたヒト細胞(例、第一工程によりヒトiPS細胞から得られた細胞)を回収し、これを、単一細胞、又はこれに近い状態にまで、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例、SAG)を含む無血清培地中に分散し、浮遊培養に付す。該無血清培地は、ROCK阻害物質(例、Y-27632)を含んでいても良い。ヒト多能性幹細胞(例、ヒトiPS細胞)から得られた細胞の懸濁液を、上述の非接着性培養器中に播き、複数の細胞を集合させて凝集体を形成する。培養時間は12時間~6日間、好ましくは12時間~48時間である。形成される凝集体は、好ましくは均一な凝集体である。
また、基底膜調製物非存在下に凝集体を浮遊培養することも、本発明の範疇である。
【0098】
好ましい態様において、第一工程における培地が、未分化維持因子及びMEK阻害物質を含み、かつPKC阻害物質及びB-RAF阻害物質のいずれも含まない(例えば、分化誘導に影響を与え得る他の因子を含まない)培地である場合、第二工程においてソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例えば、SAG)を含む培地が用いられる。即ち、以下の工程を含む網膜細胞又は網膜組織の製造方法が提供される:
(1)哺乳動物の多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下で、1)未分化維持因子、及び2)MEK阻害物質を含み、3) PKC阻害物質及びB-RAF阻害物質のいずれも含まない(例えば、分化誘導に影響を与え得る他の因子を含まない)培地で、30日を超えない期間、好ましくは0.5~8日間、より好ましくは1~6日間培養する第一工程、
(2)第一工程で得られた細胞を、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地中で浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させる第二工程、及び
(3)第二工程で得られた凝集体を、BMPシグナル伝達経路作用物質の存在下に浮遊培養し、網膜細胞又は網膜組織を含む凝集体を得る第三工程。
【0099】
また、好ましい態様において、第一工程における培地が、未分化維持因子及びMEK阻害物質を含み、かつPKC阻害物質及びB-RAF阻害物質のいずれも含まない(例えば、分化誘導に影響を与え得る他の因子を含まない)培地である場合、第一工程の培養期間が4~6日間(例、5日間)であり、かつ第二工程においてソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例えば、SAG)を含まない培地が用いられる。即ち、以下の工程を含む網膜細胞又は網膜組織の製造方法が提供される:
(1)哺乳動物の多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下で、1)未分化維持因子、及び2)MEK阻害物質を含み、3) PKC阻害物質及びB-RAF阻害物質を含まない(例えば、分化誘導に影響を与え得る他の因子を含まない)培地で、4~6日間(例、5日間)培養する第一工程、
(2)第一工程で得られた細胞を、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含まない無血清培地中で浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させる第二工程、及び
(3)第二工程で得られた凝集体を、BMPシグナル伝達経路作用物質の存在下に浮遊培養し、網膜細胞又は網膜組織を含む凝集体を得る第三工程。
【0100】
また、好ましい態様において、第一工程における培地が、未分化維持因子、MEK阻害物質、及び、PKC阻害物質若しくはB-RAF阻害物質のいずれかを含む培地(例えば、未分化維持因子、MEK阻害物質、及び、PKC阻害物質若しくはB-RAF阻害物質のいずれかを含み、かつ他の分化誘導に影響を与え得る因子を含まない培地)である場合、第二工程においてソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例えば、SAG)を含む又は含まない培地が用いられる。即ち、以下の工程を含む網膜細胞又は網膜組織の製造方法が提供される:
(1)哺乳動物の多能性幹細胞を、フィーダー細胞非存在下で、1)未分化維持因子、2)MEK阻害物質、及び3)PKC阻害物質若しくはB-RAF阻害物質のいずれかを含む培地(例、1)未分化維持因子、2)MEK阻害物質、及び3)PKC阻害物質若しくはB-RAF阻害物質のいずれかを含み、かつ4)他の分化誘導に影響を与え得る因子を含まない培地)で、30日を超えない期間培養する第一工程、
(2)第一工程で得られた細胞を、ソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例えば、SAG)を含む又は含まない無血清培地中で浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させる第二工程、及び
(3)第二工程で得られた凝集体を、BMPシグナル伝達経路作用物質の存在下に浮遊培養し、網膜細胞又は網膜組織を含む凝集体を得る第三工程。
【0101】
このようにして、第二工程を実施することにより、第一工程で得られた細胞、又はこれに由来する細胞の凝集体が形成される。本発明はこのような凝集体の製造方法をも提供する。第二工程で得られる凝集体は、第一工程において、(i)MEK阻害物質、又は(ii)MEK阻害物質、及びPKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質を含む培地で処理しない場合よりも、高い品質を有しており、本発明は品質の向上した細胞凝集体を高効率で製造する方法を提供するものである。具体的には、例えば、丸く、表面が滑らかで、凝集体の内部が密であり、形が崩れていない凝集体の割合に富んだ、凝集体の集団を得ることが期待出来る。一態様において、第二工程開始から6日目、好ましくは10日目に無作為的に凝集体(例えば、100個以上)を選出した際に、崩れていない凝集体の割合及び/又は嚢胞化していない凝集体の割合の和が、例えば70%以上、好ましくは80%以上である。
【0102】
第二工程で得られる凝集体は、網膜細胞(網膜前駆細胞、網膜層特異的神経細胞及びその前駆細胞を含む)又はこれを含む網膜組織へ分化する能力を有する。
第一工程で得られた、網膜細胞(網膜前駆細胞、網膜層特異的神経細胞及びその前駆細胞を含む)又はこれを含む網膜組織へ分化する能力を有する細胞を第二工程で用いることにより、網膜細胞(網膜前駆細胞、網膜層特異的神経細胞及びその前駆細胞を含む)又はこれを含む網膜組織へ分化する能力を有する細胞を含む凝集体を得ることができる。第二工程で得られる凝集体は高い品質を有しているため、当該凝集体を、適切な分化条件下で培養することにより、種々の網膜細胞や網膜組織を高い効率で誘導することが出来る。
【0103】
一態様において、第一工程で得られた、少なくとも網膜細胞(網膜前駆細胞、網膜層特異的神経細胞及びその前駆細胞を含む)又はこれを含む網膜組織へ分化する能力を有する幹細胞(好ましくは、少なくとも網膜組織、網膜細胞、網膜前駆細胞、又は網膜層特異的神経細胞へ分化する能力を有する細胞)を第二工程で用いることにより、少なくとも網膜細胞(網膜前駆細胞、網膜層特異的神経細胞及びその前駆細胞を含む)又はこれを含む網膜組織へ分化する能力を有する細胞を含む凝集体を得ることができる。
【0104】
一態様において、第二工程で得られる凝集体には、第一工程終了時に得られる多能性様性質を保持した細胞(具体的には、Oct3/4を発現している)、及び/又は網膜細胞等の神経系細胞との間の、中間段階の細胞に相当する細胞が含まれる。当該細胞は、多能性性質マーカーOct3/4、外胚葉マーカー(Sox1、Sox2、N-cadherin、TP63)、神経外胚葉マーカー(Sox1、Sox2、Nestin、N-cadherin、TP63、Otx2)、前述の神経系細胞マーカーのいずれかを発現している。即ち、一態様において、第二工程で得られる凝集体には、多能性性質マーカーOct3/4、外胚葉マーカー(Sox1、Sox2、N-cadherin、TP63)、神経外胚葉マーカー(Sox1、Sox2、Nestin、N-cadherin、TP63、Otx2)、前述の神経系細胞マーカーのいずれかを発現している細胞の混合物が含まれる。すなわち、第二工程で得られる凝集体は、少なくとも網膜細胞又は網膜組織へ分化する能力を有する幹細胞、及び/又は網膜細胞又は網膜組織の前駆細胞を含む。当該前駆細胞は、公知の適切な培養条件で培養すれば、前述の網膜細胞マーカーを発現する能力(competence)があることを特徴とする。従って、一態様において、第二工程で得られる凝集体には、Oct3/4陽性の、少なくとも網膜細胞又は網膜組織へ分化する能力を有する幹細胞、及び/又は網膜細胞又は網膜組織の前駆細胞を含む。第二工程で得られる凝集体に含まれる細胞の一部が、上述の網膜組織マーカーを発現していてもよい。
【0105】
第二工程で得られる凝集体は、網膜細胞や網膜組織へ分化する能力を有する。第二工程で得られる凝集体は高い品質を有しているため、当該凝集体を、以下の第三工程の条件下で培養することにより、網膜細胞や網膜組織を含む凝集体を高効率で製造することが出来る。
【0106】
〔3〕第三工程について
第二工程で得られた凝集体から、網膜細胞又は網膜組織を含む凝集体を誘導する第三工程について説明する。
【0107】
第三工程において用いられる培地は、例えば、BMPシグナル伝達経路作用物質が添加された無血清培地又は血清培地(好ましくは、無血清培地)である。かかる培地には、基底膜調製物を添加してもよく、しなくてもよい。基底膜調製物としては、上述のものを使用することができる。基底膜調製物を添加する場合の濃度は、例えば、Matrigelを用いる場合、体積濃度で0.1%~10%、より好ましくは0.5%から2%である。化学的に未同定な物質の混入を回避する観点からは基底膜調製物を添加しない。すなわち本発明は第三工程における浮遊培養が、基底膜調製物非存在下で行われる培養方法を包含する。
かかる培地に用いられる無血清培地又は血清培地は、上述したようなものである限り特に限定されない。調製の煩雑さを回避するには、例えば、市販のKSR等の血清代替物を適量添加した無血清培地(例えば、IMDMとF-12の1:1の混合液に10%KSR、450μM 1-モノチオグリセロール及び1 x Chemically Defined Lipid Concentrateが添加された培地)を使用することが好ましい。無血清培地へのKSRの添加量としては、例えばヒト多能性幹細胞(例、iPS細胞)由来の細胞の場合は、通常約1%から約20%であり、好ましくは約2%から約20%である。
第三工程で用いられる培地(好ましくは、無血清培地)は、第二工程で用いた培地(好ましくは、無血清培地)をそのまま用いることもできるし、新たな培地(好ましくは、無血清培地)に置き換えることもできる。第二工程で用いた、BMPシグナル伝達経路物質を含まない培地をそのまま第三工程に用いる場合、BMPシグナル伝達経路作用物質を培地中に添加すればよい。
【0108】
第三工程に用いる、BMPシグナル伝達経路作用物質としては、例えばBMP2、BMP4若しくはBMP7等のBMP蛋白、GDF7等のGDF蛋白、抗BMP受容体抗体、又は、BMP部分ペプチドなどが挙げられる。BMP2蛋白、BMP4蛋白及びBMP7蛋白は例えばR&D Systemsから、GDF7蛋白は例えば和光純薬から入手可能である。BMPシグナル伝達経路作用物質として、好ましくはBMP4が挙げられる。
BMPシグナル伝達経路作用物質の濃度は、上記の凝集体を形成する細胞の網膜細胞への分化を誘導可能な濃度であればよい。例えばヒトBMP4の場合は、約0.01nMから約1μM、好ましくは約0.1nMから約100nM、より好ましくは約1.5nM(55ng/mL)の濃度となるように培地に添加する。BMP4以外のBMPシグナル伝達経路作用物質を用いる場合には、上記BMP4の濃度と同等のBMPシグナル伝達促進活性を示す濃度で用いられることが望ましい。
【0109】
培地中のBMPシグナル伝達経路作用物質の濃度は、第三工程の期間中変動させてもよい。例えば、第三工程の開始時において、BMPシグナル伝達経路作用物質を上記範囲とし、2~4日につき、40~60%減の割合で、徐々に又は段階的に該濃度を低下させてもよい。
【0110】
BMPシグナル伝達経路作用物質は、第二工程の浮遊培養開始から約24時間後以降に添加されていればよく、浮遊培養開始後数日以内(例えば、15日以内)に培地に添加してもよい。好ましくは、BMPシグナル伝達経路作用物質は、浮遊培養開始後1日目から15日目までの間のいずれかの時点、より好ましくは1日目から9日目までの間のいずれかの時点、更に好ましくは3日目から8日目までの間のいずれかの時点、より更に好ましくは3日目から6日目までの間のいずれかの時点に培地に添加する。
【0111】
BMPシグナル伝達経路作用物質が培地に添加され、凝集体を形成する細胞の網膜細胞への分化誘導が開始された後は、BMPシグナル伝達経路作用物質を培地に添加する必要は無く、BMPシグナル伝達経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地を用いて培地交換を行ってよい。一態様において、網膜細胞への分化誘導が開始された後、BMPシグナル伝達経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地による培地交換により、培地中のBMPシグナル伝達経路作用物質濃度を、2~4日につき、40~60%減の割合で、徐々に又は段階的に低下させる。網膜細胞への分化誘導が開始された細胞は、例えば、当該細胞における網膜前駆細胞マーカー遺伝子(例、Rx遺伝子(別名Rax)、Pax6遺伝子、Chx10遺伝子)の発現を検出することにより確認することができる。GFP等の蛍光レポータータンパク質遺伝子がRx遺伝子座へノックインされた多能性幹細胞を用いて第二工程により形成された凝集体を、網膜細胞への分化誘導に必要な濃度のBMPシグナル伝達経路作用物質の存在下に浮遊培養し、発現した蛍光レポータータンパク質から発せられる蛍光を検出することにより、網膜細胞への分化誘導が開始された時期を確認することもできる。第三工程の実施態様の一つとして、第二工程で形成された凝集体を、網膜前駆細胞マーカー遺伝子(例、Rx遺伝子、Pax6遺伝子、Chx10遺伝子)を発現する細胞が出現し始めるまでの間、網膜細胞への分化誘導に必要な濃度のBMPシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜前駆細胞を含む凝集体を得る工程、を挙げることができる。
【0112】
第三工程において、培地交換操作を行う場合、例えば、元ある培地を捨てずに新しい培地を加える操作(培地添加操作)、元ある培地を半量程度(元ある培地の体積量の40~80%程度)捨てて新しい培地を半量程度(元ある培地の体積量の40~80%)加える操作(半量培地交換操作)、元ある培地を全量程度(元ある培地の体積量の90%以上)捨てて新しい培地を全量程度(元ある培地の体積量の90%以上)加える操作(全量培地交換操作)が挙げられる。
ある時点で特定の成分(例えば、BMP4)を添加する場合、例えば、終濃度を計算した上で、元ある培地を半量程度捨てて、特定の成分を終濃度よりも高い濃度で含む新しい培地を半量程度加える操作(半量培地交換操作)を行ってもよい。
ある時点で、元の培地に含まれる成分を希釈して濃度を下げる場合、例えば、培地交換操作を、1日に複数回、好ましくは1時間以内に複数回(例えば2~3回)行ってもよい。また、ある時点で、元の培地に含まれる成分を希釈して濃度を下げる場合、細胞又は凝集体を別の培養容器に移してもよい。
培地交換操作に用いる道具は特に限定されないが、例えば、ピペッター、マイクロピペット、マルチチャネルマイクロピペット、連続分注器、などが挙げられる。例えば、培養容器として96ウェルプレートを用いる場合、マルチチャネルマイクロピペットを使ってもよい。
【0113】
一態様において、第二工程で培地中に添加するShhシグナル伝達経路作用物質の濃度が比較的低濃度(例えば、SAGについては700nM以下、他のShhシグナル伝達経路作用物質については、前記濃度のSAGと同等以下のShhシグナル伝達促進活性を示す濃度)の場合、培地交換を行う必要はなく、第三工程においては、第二工程で用いた培地にBMPシグナル伝達経路作用物(例、BMP4)を添加すればよい。
一方、Shhシグナル伝達経路作用物質の濃度が比較的高濃度(例えば、SAGについては700nM超、好ましくは1000nM以上、他のShhシグナル伝達経路作用物質については、前記濃度のSAGと同等のShhシグナル伝達促進活性を示す濃度)の場合には、BMPシグナル伝達経路作用物質添加時に残存するShhシグナル伝達経路作用物質の影響を抑制するために、BMPシグナル伝達経路作用物質(例、BMP4)を含む新鮮な培地に交換することが望ましい。
【0114】
好ましい態様において、第三工程で用いられる培地中のShhシグナル伝達経路作用物質の濃度は、SAGのShhシグナル伝達促進活性換算で700nM以下、好ましくは300nM以下、より好ましくは10 nM以下、更に好ましくは0.1 nM以下であり、最も好ましくは、Shhシグナル伝達経路作用物質を含まない。「Shhシグナル伝達経路作用物質を含まない」培地には、Shhシグナル伝達経路作用物質を実質的に含まない培地、例えば、網膜前駆細胞及び網膜組織への選択的分化に不利な影響を与える程度の濃度のShhシグナル伝達経路作用物質を含有しない培地、も含まれる。「Shhシグナル伝達経路作用物質が添加されていない」培地には、Shhシグナル伝達経路作用物質が実質的に添加されていない培地、例えば、網膜前駆細胞及び網膜組織への選択的分化に不利な影響を与える程度の濃度のShhシグナル伝達経路作用物質が添加されていない培地、も含まれる。
【0115】
第三工程における培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定できる。培養温度は、例えば約30℃から約40℃、好ましくは約37℃である。またCO2濃度は、例えば約1%から約10%、好ましくは約5%である。
【0116】
かかる培養により、第二工程で得られた凝集体を形成する細胞から網膜前駆細胞への分化が誘導され、網膜前駆細胞を含む凝集体を得ることが出来る。本発明は、このような網膜前駆細胞を含む凝集体の製造方法をも提供する。網膜前駆細胞を含む凝集体が得られたことは、例えば、網膜前駆細胞のマーカーであるRx、PAX6又はChx10を発現する細胞が凝集体に含まれていることを検出することにより確認することができる。第三工程の実施態様の一つとして、第二工程で形成された凝集体を、Rx遺伝子を発現する細胞が出現し始めるまでの間、網膜細胞への分化誘導に必要な濃度のBMPシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜前駆細胞を含む凝集体を得る工程、を挙げることができる。一態様において、凝集体に含まれる細胞の20%以上(好ましくは、30%以上、40%以上、50%以上、60%以上)が、Rxを発現する状態となるまで、第三工程の培養が実施される。
【0117】
一態様において、第三工程で得られる凝集体において、第二工程開始から、18日~25日目、例えば22日目において、Rxを発現している凝集体の割合が、例えば60%以上、好ましくは80%以上である。
また、一態様において、第二工程で得られる凝集体において、第二工程開始から、18日~25日目、例えば22日目において、Pax6及び/又はChx10が発現している凝集体の割合が、例えば60%以上、好ましくは80%以上である。
【0118】
網膜前駆細胞及び/又は網膜組織を製造する上での好ましい態様において、第一工程にて、ヒト多能性幹細胞(例、ヒトiPS細胞)を、フィーダー細胞非存在下で、bFGF、MEK阻害物質(例、PD0325901)、及びPKC阻害物質(例、Go6983)を含有する無血清培地で、30日を越えない期間、好ましくは0.5日間~8日間、更に好ましくは1日間~6日間接着培養し、第二工程にて、第一工程で得られた細胞をソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例、SAG)を含有する無血清培地中で浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させ、第三工程にて、第二工程で得られた凝集体をBMPシグナル伝達経路作用物質(例、BMP4)を含有する無血清培地で浮遊培養する。
また、網膜細胞及び/又は網膜組織を製造する上での別の好ましい態様において、第一工程にて、ヒト多能性幹細胞(例、ヒトiPS細胞)を、フィーダー細胞非存在下で、bFGF、MEK阻害物質(例、PD0325901)、及びB-Raf阻害物質(例、SB590885)を含有する無血清培地で、30日を越えない期間、好ましくは0.5日間~8日間、更に好ましくは1日間~6日間接着培養し、第二工程にて、第一工程で得られた細胞をソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例、SAG)を含有する無血清培地で浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させ、第三工程にて、第二工程で得られた凝集体をBMPシグナル伝達経路作用物質(例、BMP4)を含有する無血清培地で浮遊培養する。
【0119】
網膜前駆細胞及び/又は網膜組織を製造する上での好ましい態様において、第一工程にて、ヒト多能性幹細胞(例、ヒトiPS細胞)を、フィーダー細胞非存在下で、bFGF及びMEK阻害物質(例、PD0325901)を含有し、PKC阻害物質(例、Go6983)及びB-Raf阻害物質(例、SB590885)を含有しない無血清培地で、30日を越えない期間、好ましくは0.5日間~8日間、更に好ましくは1日間~6日間、更に好ましくは4日間~6日間接着培養し、第二工程にて、第一工程で得られた細胞をソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例、SAG)を含有しない無血清培地中で浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させ、第三工程にて、第二工程で得られた凝集体をBMPシグナル伝達経路作用物質(例、BMP4)を含有する無血清培地で浮遊培養する。
【0120】
また、網膜前駆細胞及び/又は網膜組織を製造する上での好ましい態様において、第一工程にて、ヒト多能性幹細胞(例、ヒトiPS細胞)を、フィーダー細胞非存在下で、bFGF及びMEK阻害物質(例、PD0325901)を含有し、PKC阻害物質(例、Go6983)及びB-Raf阻害物質(例、SB590885)を含有しない無血清培地で、30日を越えない期間、好ましくは0.5日間~8日間、更に好ましくは1日間~6日間接着培養し、第二工程にて、第一工程で得られた細胞をソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質(例、SAG)を含有する無血清培地中で浮遊培養し、細胞の凝集体を形成させ、第三工程にて、第二工程で得られた凝集体をBMPシグナル伝達経路作用物質(例、BMP4)を含有する無血清培地で浮遊培養する。
【0121】
得られた網膜前駆細胞を含む凝集体は、そのまま毒性・薬効評価用試薬として用いてもよい。網膜前駆細胞を含む凝集体を分散処理(例えば、トリプシン/EDTA処理又はパパイン処理)し、得られた細胞をFACS又はMACSを用いて選別することにより、高純度な網膜前駆細胞を得ることも可能である。
【0122】
更に、網膜前駆細胞を含む凝集体を無血清培地又は血清培地で引き続き培養することにより、網膜層特異的神経細胞を含む神経上皮構造様の網膜組織を製造することができる。
【0123】
かかる培地に用いられる無血清培地又は血清培地は、上述したようなものである限り特に限定されない。例えば、DMEM-F12培地に10%ウシ胎児血清、N2サプリメント、100μMタウリン、500nM レチノイン酸を添加した血清培地、又は、市販のKSR等の血清代替物を適量添加した無血清培地(例えば、IMDMとF-12の1:1の混合液に10%KSR、450μM 1-チオグリセロール(又はモノチオグリセロール)及び1xChemically Defined Lipid Concentrateを添加した培地)等を挙げることができる。
【0124】
網膜前駆細胞から網膜層特異的神経細胞を含む網膜組織を誘導する際の培養時間は、目的とする網膜層特異的神経細胞によって異なるが、例えば約7日間から約200日間である。
【0125】
網膜組織は凝集体の表面を覆うように存在する。浮遊培養終了後、凝集体をパラホルムアルデヒド溶液等の固定液を用いて固定し、凍結切片を作製した後、層構造を有する網膜組織が形成されていることを免疫染色法などにより確認すればよい。網膜組織は、各層を構成する網膜層特異的神経細胞(視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、網膜神経節細胞)の前駆細胞がそれぞれ異なるため、これらの細胞に発現している上述のマーカーに対する抗体を用いて、免疫染色法により、層構造が形成されていることを確認することができる。一態様において、網膜組織はRx又はChx10陽性の神経上皮構造である。
凝集体の表面に存在する網膜組織を、ピンセット等を用いて、凝集体から物理的に切り出すことも可能である。この場合、各凝集体の表面には、網膜組織以外の神経組織が形成される場合もあるため、凝集体から切り出した神経組織の一部を切り取り、これを用いて後述の免疫染色法等により確認することにより、その組織が網膜組織であることを確認することが出来る。
一態様において、第三工程で得られる凝集体は、網膜組織を含み頭部非神経外胚葉を実質的に含まない。網膜組織を含み頭部非神経外胚葉を実質的に含まない凝集体では、例えば、上述の凝集体凍結切片の免疫染色像において、Rx陽性の組織が観察され、その外側にRx陰性の組織が観察されない。
第三工程の実施態様の一つとして、第二工程で形成された凝集体を、Rx又はPax6遺伝子を発現する細胞が出現し始めるまでの間、網膜細胞への分化誘導に必要な濃度のBMPシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜前駆細胞を含む凝集体を得て、該網膜前駆細胞を含む凝集体を網膜組織が形成されるまで、引き続き無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜組織を含む凝集体を得る工程、を挙げることができる。網膜前駆細胞を含む凝集体を網膜組織が形成されるまで、引き続き無血清培地又は血清培地中で浮遊培養する際、BMPシグナル伝達経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地による培地交換により、網膜前駆細胞を誘導するために培地中に含まれていたBMPシグナル伝達経路作用物質濃度を、2~4日につき、40~60%減の割合で、徐々に又は段階的に低下させてもよい。一態様において、凝集体に含まれる細胞の20%以上(好ましくは、30%以上、40%以上、50%以上、60%以上)が、Chx10を発現する状態となるまで、網膜前駆細胞を含む凝集体の浮遊培養が実施される。
【0126】
また、第三工程の実施態様の一つとして、第二工程で得られた凝集体、又は第二工程で得られた凝集体を上記方法により浮遊培養した凝集体を、接着培養に付し、接着凝集体を形成させてもよい。該接着凝集体を、Rx又はPax6遺伝子を発現する細胞が出現し始めるまでの間、網膜細胞への分化誘導に必要な濃度のBMPシグナル伝達経路作用物質を含む無血清培地又は血清培地中で接着培養し、網膜前駆細胞を含む凝集体を得る。該網膜前駆細胞を含む凝集体を網膜組織が形成されるまで、引き続き無血清培地又は血清培地中で接着培養し、網膜組織を含む凝集体を得る。一態様において、細胞の10%以上(好ましくは、20%以上、30%以上、40%以上、50%以上)が、Chx10を発現する状態となるまで、網膜前駆細胞を含む凝集体の接着培養が実施される。
【0127】
本発明の製造方法により、多能性幹細胞から高効率で網膜組織を得ることができる。本発明の製造方法により得られる網膜組織には、網膜層のそれぞれに特異的なニューロンが含まれることから、視細胞、水平細胞、双極細胞、アマクリン細胞、網膜神経節細胞又は、これらの前駆細胞など網膜組織を構成する細胞を入手することも可能である。得られた網膜組織から入手した細胞がいずれの細胞であるかは、自体公知の方法、例えば細胞マーカーの発現により確認できる。
得られた網膜組織を含む凝集体は、そのまま毒性・薬効評価用試薬として用いてもよい。網膜組織を含む凝集体を分散処理(例えば、トリプシン/EDTA処理)し、得られた細胞をFACS又はMACSを用いて選別することにより、高純度な網膜組織構成細胞、例えば高純度な視細胞を得ることも可能である。
【0128】
本発明の製造方法で得られた網膜組織を含む細胞凝集体から、当業者に周知の方法を用いて、毛様体周縁部様構造体を製造できる(例えば、WO2013/183774、WO2015/087614、WO2015/107738)。具体的には、下記工程(A)及び工程(B)に記載の方法が挙げられる。
【0129】
本発明における毛様体周縁部様構造体とは、毛様体周縁部と類似した構造体のことである。「毛様体周縁部(ciliary marginal zone;CMZ)」としては、例えば、生体網膜において網膜組織(具体的には、神経網膜)と網膜色素上皮との境界領域に存在する組織であり、且つ、網膜の組織幹細胞(網膜幹細胞)を含む領域を挙げることができる。毛様体周縁部は、毛様体縁(ciliary margin)又は網膜縁(retinal margin)とも呼ばれ、毛様体周縁部、毛様体縁及び網膜縁は同等の組織である。毛様体周縁部は、網膜組織への網膜前駆細胞や分化細胞の供給や網膜組織構造の維持等に重要な役割を果たしていることが知られている。毛様体周縁部のマーカー遺伝子としては、例えば、Rdh10遺伝子(陽性)及びOtx1遺伝子(陽性)及びZic1(陽性)を挙げることができる。
【0130】
まず、工程(A)として、本発明の製造方法で得られた網膜組織を含む細胞凝集体であり、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が20%以上100%以下である細胞凝集体を、Wntシグナル経路作用物質、及び/又は、FGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中で、RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間中に限り、培養する。
ここで、工程(A)の好ましい培養としては、浮遊培養を挙げることができる。
工程(A)で用いる無血清培地としては、基礎培地にN2又はKSRが添加された無血清培地を挙げることができ、より具体的には、DMEM/F12培地にN2 supplement(Life Technologies社)が添加された無血清培地を挙げることができる。血清培地としては、基礎培地に牛胎児血清が添加された血清培地を挙げることができる。
【0131】
工程(A)の培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定すればよい。培養温度としては、例えば、約30℃から約40℃の範囲を挙げることができる。好ましくは、例えば、約37℃前後を挙げることができる。また、CO2濃度としては、例えば、約1%から約10%の範囲を挙げることができる。好ましくは、例えば、約5%前後を挙げることができる。
【0132】
工程(A)にて、上記「網膜組織を含む細胞凝集体」を、無血清培地又は血清培地中で培養する際、該培地に含められるWntシグナル経路作用物質としては、Wntにより媒介されるシグナル伝達を増強し得るものである限り特に限定されない。具体的なWntシグナル経路作用物質としては、例えば、Wntファミリーに属するタンパク質(例えば、Wnt1、Wnt3a、Wnt7a)、Wnt受容体、Wnt受容体アゴニスト、GSK3β阻害物質(例えば、6-Bromoindirubin-3'-oxime(BIO)、CHIR99021、Kenpaullone)等を挙げることができる。
工程(A)の無血清培地又は血清培地に含まれるWntシグナル経路作用物質の濃度としては、CHIR99021等の通常のWntシグナル経路作用物質の場合には、例えば、約0.1μMから約100μMの範囲を挙げることができる。好ましくは、例えば、約1μMから約30μMの範囲を挙げることができる。より好ましくは、例えば、3μM前後の濃度を挙げることができる。
【0133】
工程(A)の上記「網膜組織を含む細胞凝集体」を、無血清培地又は血清培地中で培養する際、該培地に含められるFGFシグナル経路阻害物質としては、FGFにより媒介されるシグナル伝達を阻害できるものである限り特に限定されない。FGFシグナル経路阻害物質としては、例えば、FGF受容体、FGF受容体阻害物質(例えば、SU-5402、AZD4547、BGJ398)、MAPキナーゼカスケード阻害物質(例えば、MEK阻害物質、MAPK阻害物質、ERK阻害物質)、PI3キナーゼ阻害物質、Akt阻害物質などが挙げられる。
工程(A)の無血清培地又は血清培地に含まれるFGFシグナル経路阻害物質の濃度は、凝集体の毛様体周縁部様構造への分化を誘導可能な濃度であればよい。例えばSU-5402の場合、約0.1μMから約100μM、好ましくは約1μMから約30μM、より好ましくは約5μMの濃度で添加する。
【0134】
工程(A)における「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間中に限り、培養」するとは、RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間の全部又はその一部に限り培養することを意味する。つまり、培養系内に存在する前記「網膜組織を含む細胞凝集体」が、RPE65遺伝子を実質的に発現しない細胞から構成されている期間の全部又はその一部(任意な期間)に限り培養すればよく、このような培養を採用することにより、RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体を得ることができる。
このような特定な期間を設定するには、前記「網膜組織を含む細胞凝集体」を試料として、当該試料中に含まれるRPE65遺伝子の発現有無又はその程度を、通常の遺伝子工学的手法又は生化学的手法を用いて測定すればよい。具体的には例えば、前記「網膜組織を含む細胞凝集体」の凍結切片をRPE65タンパク質に対する抗体を用いて免疫染色する方法を用いてRPE65遺伝子の発現有無又はその程度を調べることができる。
【0135】
工程(A)の「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間」としては、例えば、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合がWntシグナル経路作用物質及び/又はFGFシグナル経路阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中での前記細胞凝集体の培養開始時よりも減少し、30%から0%の範囲内になるまでの期間を挙げることができる。「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」としては、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が30%から0%の範囲内である細胞凝集体を挙げることができる。
工程(A)の「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現するに至るまでの期間」の日数はWntシグナル経路作用物質及び/又はFGFシグナル経路阻害物質の種類、無血清培地又は血清培地の種類、他培養条件等に応じて変化するが、例えば、14日間以内を挙げることができる。より具体的には、無血清培地(例えば、基礎培地にN2が添加された無血清培地)が用いられる場合、前記期間として、好ましくは、例えば、10日間以内を挙げることができ、より好ましくは、例えば、3日間から6日間を挙げることができる。血清培地(例えば、基礎培地に牛胎児血清が添加された血清培地)が用いられる場合、前記期間として、好ましくは、例えば、12日間以内を挙げることができ、より好ましくは、例えば、6日間から9日間を挙げることができる。
【0136】
次いで、工程(B)として、上述のようにして培養して得られた「RPE65遺伝子を発現する細胞が出現していない細胞凝集体」を、Wntシグナル経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地中で培養する。
工程(B)で好ましい培養としては、例えば、浮遊培養を挙げることができる。
工程(B)の無血清培地としては、基礎培地にN2又はKSRが添加された培地を挙げることができる。血清培地としては、基礎培地に牛胎児血清が添加された培地を挙げることができ、より具体的には、DMEM/F12培地に牛胎児血清が添加された血清培地を挙げることができる。
工程(B)の前記無血清培地又は血清培地に、既知の増殖因子、増殖を促進する添加剤や化学物質等を添加してもよい。既知の増殖因子としては、EGF、FGF、IGF、insulin等を挙げることができる。増殖を促進する添加剤として、N2 supplement(Life Technologies社製)、B27 supplement(Life Technologies社製)、KSR(Life Technologies社製)等を挙げることができる。増殖を促進する化学物質としては、レチノイド類(例えば、レチノイン酸)、タウリンを挙げることができる。
【0137】
工程(B)の好ましい培養時間としては、例えば、前記網膜組織におけるChx10陽性細胞の存在割合が、Wntシグナル経路作用物質を含まない無血清培地又は血清培地中での前記細胞凝集体の培養開始時よりも増加し、30%以上になるまで行う培養時間を挙げることができる。
工程(B)の培養温度、CO2濃度等の培養条件は適宜設定すればよい。培養温度としては、例えば、約30℃から約40℃の範囲を挙げることができる。好ましくは、例えば、約37℃前後を挙げることができる。また、CO2濃度としては、例えば、約1%から約10%の範囲を挙げることができ、好ましくは、例えば、約5%前後を挙げることができる。
工程(B)の「毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体」を得られるまでの上記の培養日数は無血清培地又は血清培地の種類、他培養条件等に応じて変化するが、例えば、100日間以内を挙げることができる。前記培養日数として、好ましくは、例えば、20日間から70日間を挙げることができ、より好ましくは、例えば、30日間から60日間を挙げることができる。
【0138】
上述の工程(A)、(B)により調製された「毛様体周縁部様構造体を含む細胞凝集体」においては、毛様体周縁部様構造体にそれぞれ隣接して、網膜色素上皮と網膜組織(具体的には、神経網膜)とが同一の細胞凝集体内に存在している。当該構造については顕微鏡観察等で確認することが可能である。具体的には例えば、顕微鏡観察により、透明度が高い網膜組織から、色素沈着が見える網膜色素上皮との間に形成される、網膜側が厚く網膜色素上皮側が薄い上皮構造として毛様体周縁部様構造体の存在を確認することができる。また、凝集体の凍結切片の免疫染色によって、Rdh10陽性、Otx1陽性、又は、Zic1陽性として、毛様体周縁部様構造体の存在を確認することができる。ここで得られる毛様体周縁部様構造体から、網膜組織を切り出して、移植用の網膜組織として用いることもできる。
【0139】
本発明の製造方法等で得られた網膜組織を含む細胞凝集体から、下記工程(C)により網膜色素上皮細胞を製造できる。下記工程(C)で得られた網膜色素上皮細胞から、下記工程(D)により網膜色素上皮シートを製造できる。
【0140】
本発明における「網膜色素上皮細胞」とは生体網膜において神経網膜組織の外側に存在する上皮細胞を意味する。網膜色素上皮細胞であるかは、当業者であれば、例えば細胞マーカー(RPE65(成熟した網膜色素上皮細胞)、Mitf(幼若な又は成熟した網膜色素上皮細胞)など)の発現や、メラニン顆粒の存在、多角形の特徴的な細胞形態などにより確認できる。
【0141】
まず、工程(C)として、本発明の製造方法で得られた網膜組織を含む細胞凝集体を、BMPシグナル伝達経路作用物質を含まずWntシグナル経路作用物質を含む無血清培地又は血清培地中で浮遊培養し、網膜色素上皮細胞を含む凝集体を得る。
工程(C)で用いる無血清培地としては、基礎培地にN2又はKSRが添加された無血清培地を挙げることができ、より具体的には、DMEM/F12培地にN2 supplement (Life Technologies社)が添加された無血清培地を挙げることができる。血清培地としては、基礎培地に牛胎児血清が添加された血清培地を挙げることができる。
工程(C)で用いる無血清培地に、前述のWntシグナル経路作用物質に加えて、前述のNodal/Activinシグナル経路作用物質、及び/又は、前述のFGFシグナル経路阻害物質を含んでもよい。
ここで、工程(C)の好ましい培養としては、浮遊培養を挙げることができる。
【0142】
次いで、本発明工程(C)で得られた凝集体を分散し、得られた細胞を接着培養する工程(D)について説明する。
【0143】
工程(D)は、工程(C)の実施開始から60日以内、好ましくは30日以内、より好ましくは3日後に実施する。
【0144】
工程(D)における接着培養に用いられる無血清培地又は血清培地としては、上述したような培地を挙げることができる。調製の煩雑さを回避するには、市販のKSR等の血清代替物を適量添加した無血清培地(例えば、DMEM/F-12とNeurobasalの1:1混合液に1/2 x N2サプリメント、1/2 x B27サプリメント及び100μM 2-メルカプトエタノールが添加された培地)を使用することが好ましい。無血清培地へのKSRの添加量としては、例えばヒトiPS細胞由来細胞の場合は、通常約1%から約20%であり、好ましくは約2%から約20%である。
【0145】
工程(D)において前述の、ROCK阻害物質を含む無血清培地又は血清培地中で細胞を培養することが好ましい。
【0146】
工程(D)において、Wntシグナル経路作用物質、FGFシグナル経路阻害物質、Activinシグナル経路作用物質及びBMPシグナル伝達経路作用物質からなる群から選ばれる1以上の物質を更に含む無血清培地又は血清培地中で細胞を培養することがより好ましい。
【0147】
Activinシグナル経路作用物質とは、Activinにより媒介されるシグナルを増強し得る物質である。Activinシグナル経路作用物質としては、例えば、Activinファミリーに属する蛋白(例えば、Activin A,Activin B,Activin C,Activin ABなど)、Activin受容体、Activin受容体アゴニストが挙げられる。
工程(D)で用いられるActivinシグナル経路作用物質の濃度は、網膜色素上皮細胞の均一なシートを効率的に形成させることができる濃度であればよい。例えばRecombinant Human/Mouse/Rat Activin A (R&D systems社 #338-AC)の場合、約1ng/mlから約10μg/ml、好ましくは約10ng/mlから約1μg/ml、より好ましくは約100ng/mlの濃度となるように添加する。
Activinシグナル経路作用物質は、工程(D)の開始から例えば18日以内、好ましくは6日目に添加する。
工程(D)において、培養基質で表面処理された培養器材上で接着培養を行うことが好ましい。工程(D)における培養器材の処理に用いられる培養基質としては、凝集体由来細胞の接着培養と網膜色素上皮シートの形成を可能とする細胞培養基質が挙げられる。
【0148】
3.毒性・薬効評価方法
本発明の製造方法により製造された、網膜細胞又はこれを含む網膜組織は、網膜組織の障害に基づく疾患の治療薬のスクリーニングや、毒性評価における、疾患研究材料、創薬材料として有用であるので、被検物質の毒性・薬効評価用試薬とすることができる。例えば、網膜組織の障害に基づく疾患、特に遺伝性の障害に基づく疾患のヒト患者から、iPS細胞を作成し、このiPS細胞を用いて本発明の方法により、網膜細胞又はこれを含む網膜組織を製造する。網膜細胞又はこれを含む網膜組織は、その患者が患っている疾患の原因となる網膜組織の障害をインビトロで再現し得る。そこで、本発明は、本発明の製造方法により製造される網膜細胞又はこれを含む網膜組織に被検物質を接触させ、該物質が該細胞又は該組織に及ぼす影響を検定することを含む、該物質の毒性・薬効評価方法を提供する。
例えば、本発明の製造方法により製造された、特定の障害(例、遺伝性の障害)を有する網膜細胞又はこれを含む網膜組織を、被検物質の存在下又は非存在下(ネガティブコントロール)で培養する。そして、被検物質で処理した網膜細胞又はこれを含む網膜組織における障害の程度を、ネガティブコントロールと比較する。その結果、その障害の程度を軽減した被検物質を、当該障害に基づく疾患の治療薬の候補物質として、選択することができる。例えば、本発明の製造方法で製造した網膜細胞又はこれを含む網膜組織の生理活性(例えば、生存促進又は成熟化)をより向上させる被検物質を、医薬品の候補物質として探索することができる。あるいは、網膜組織の障害を有する疾患等の特定の障害を呈する遺伝子変異を有する体細胞から人工多能性幹細胞を調製し、当該細胞を本発明の製造方法で分化誘導させて製造した網膜前駆細胞若しくは網膜層特異的神経細胞に被検物質を添加し、前記障害を呈するか否かを指標として当該障害の治療薬・予防薬として有効な被検物質の候補を探索することができる。
【0149】
毒性評価においては、本発明の製造方法により製造された網膜細胞又はこれを含む網膜組織を、被検物質の存在下又は非存在下(ネガティブコントロール)で培養する。そして、被検物質で処理した網膜細胞又はこれを含む網膜組織における毒性の程度を、ネガティブコントロールと比較する。その結果、ネガティブコントロールと比較して、毒性を示した被検物質を、網膜細胞又はこれを含む網膜組織に対する毒性を有する物質として判定することが出来る。
すなわち、本発明は、以下の工程を含む、毒性評価方法を包含する。
(工程1)本発明の製造方法により製造された網膜細胞又はこれを含む網膜組織を、生存可能な培養条件で、一定時間、被検物質の存在下で培養した後、細胞の傷害の程度を測定する工程、
(工程2)本発明の製造方法により製造された網膜細胞又はこれを含む網膜組織を、生存可能な培養条件で、一定時間、被検物質の非存在下又はポジティブコントロールの存在下で培養した後、細胞の傷害の程度を測定する工程、
(工程3)(工程1)及び(工程2)において測定した結果の差異に基づき、工程1における被検物質が有する毒性を評価する工程。
ここで、「被検物質の非存在下」とは、被検物質の代わりに培養液、被検物質を溶解している溶媒のみを添加することを包含する。また、「ポジティブコントロール」とは、毒性を有する既知化合物を意味する。細胞の傷害の程度を測定する方法としては、生存する細胞数を計測する方法、例えば細胞内ATP量を測定する方法、又は、細胞染色(例えば細胞核染色)と形態観察により生細胞数を計測する方法等が挙げられる。
工程3において、被検物質が有する毒性を評価する方法としては、例えば、工程1の測定値と工程2におけるネガティブコントロールの測定値を比較し、工程1の細胞の傷害の程度が大きい場合に当該被検物質が毒性を有すると判断できる。また、工程1の測定値と工程2におけるポジティブコントロールの測定値を比較し、工程1の細胞の傷害の程度が同等以上の場合に当該被検物質が毒性を有すると判断できる。
【0150】
4.医薬組成物
本発明は、本発明の製造方法により製造される網膜細胞又はこれを含む網膜組織の有効量を含む医薬組成物を提供する。
該医薬組成物は、本発明の製造方法により製造される網膜細胞又はこれを含む網膜組織の有効量、及び医薬として許容される担体を含む。
医薬として許容される担体としては、生理的な水性溶媒(生理食塩水、緩衝液、無血清培地等)を用いることが出来る。必要に応じて、移植医療において、移植する組織や細胞を含む医薬に、通常使用される保存剤、安定剤、還元剤、等張化剤等を配合させてもよい。
本発明の医薬組成物は、製造方法により製造される網膜細胞又はこれを含む網膜組織を、適切な生理的な水性溶媒で懸濁することにより、懸濁液として製造することができる。必要であれば、凍結保存剤を添加して、凍結保存し、使用時に解凍し、緩衝液で洗浄し、移植医療に用いても良い。
本発明の製造方法で得られる網膜組織を、ピンセット等を用いて適切な大きさに細切し、シート剤とすることもできる。
また、本発明の製造方法で得られる細胞は、分化誘導を行う第三工程で接着培養を行うことにより、シート状の細胞に成形し、シート剤とすることもできる。
【0151】
本発明の医薬組成物は、網膜細胞又はこれを含む網膜組織の障害に基づく疾患の治療薬として有用である。
【0152】
5.治療薬及び治療方法
本発明の製造方法により製造される網膜細胞又はこれを含む網膜組織の障害に基づく(起因する)疾患の移植医療に有用である。そこで、本発明は、本発明の製造方法により製造される網膜細胞又はこれを含む網膜組織を含む、当該網膜組織の障害に基づく疾患の治療薬及び当該治療薬を患者に投与することを含む治療方法を提供する。当該網膜組織の障害に基づく疾患の治療薬として、或いは、当該網膜組織の損傷状態において、該当する損傷部位を補充するために、本発明の製造方法により製造された網膜細胞又はこれを含む網膜組織を用いることが出来る。移植を必要とする、網膜組織の障害に基づく疾患、又は網膜組織の損傷状態の患者に、本発明の製造方法により製造された網膜細胞又はこれを含む網膜組織を移植し、障害を受けた網膜組織自体を補充することにより、網膜組織の障害に基づく疾患、又は網膜組織の損傷状態を治療することが出来る。網膜組織の障害に基づく疾患としては、例えば、網膜変性症、網膜色素変性症、加齢黄斑変性症、有機水銀中毒、クロロキン網膜症、緑内障、糖尿病性網膜症又は新生児網膜症などが挙げられる。
【0153】
移植医療においては、組織適合性抗原の違いによる拒絶がしばしば問題となるが、移植のレシピエントの体細胞から樹立した多能性幹細胞(例、人工多能性幹細胞)を用いることで当該問題を克服できる。即ち、好ましい態様において、本発明の方法において、多能性幹細胞として、レシピエントの体細胞から樹立した多能性幹細胞(例、誘導多能性幹細胞)を用いることにより、当該レシピエントについて免疫学的自己の神経組織又は神経系細胞を製造し、これが当該レシピエントに移植される。
また、レシピエントと免疫が適合する(例えば、HLA型やMHC型の一部又は全部が適合する)他者の体細胞から樹立した多能性幹細胞(例、人工多能性幹細胞)から、アロの網膜組織又は網膜細胞を製造し、これが当該レシピエントに移植されてもよい。
【実施例】
【0154】
以下に実施例を挙げて本発明を詳細に説明するが、本発明は何らこれらに限定されるものではない。
【0155】
実施例1:MEK阻害物質、及びPKC阻害物質若しくはB-Raf阻害物質を含む培地で培養する工程を含む、ヒトiPS細胞を用いた網膜組織の製造
Cell Applications, Inc.のhuman dermal fibroblasts(HDF)から樹立したヒト真皮線維芽細胞由来iPS細胞(201B7株、京都大学)、及び、Cellular Technology LimitedのePMBC(登録商標)から樹立したヒト末梢血由来単核球由来iPS細胞(1231A3株、京都大学)を使用した。これらiPS細胞のフィーダー細胞フリー条件下での未分化維持培養は、「Nakagawa, M. et. al., Sci. Rep. 2014 Jan 8; 4: 3594」に記載の方法に従い行った。培地は「StemFit(登録商標)」AK03培地(味の素)、培養基質にはiMatrix-511(ニッピ)を使用した。
MEK阻害物質、及びPKC阻害物質又はB-Raf阻害物質で培養する工程を含む網膜組織の製造は以下の通り行った。未分化維持培養していたヒトiPS細胞を0.5 x TrypLE select [TrypLE select(Life Technologies)と0.5 mM EDTA/PBS(-)を等量混合]で処理後、セルスクレーパーを用いて剥離し、ピペッティングで単一分散後、iMatrix-511(0.5 μg/cm
2)でコーティングした6穴培養プレートに、1穴あたり1.2 x 10
4細胞播種し、ROCK阻害物質としてY-27632(和光純薬)(最終濃度10 μM)を含有するStemFit培地で、37℃、5% CO
2条件下で培養した。播種翌日に、MEK阻害物質としてPD0325901(SIGMA)(最終濃度1 μM)及びPKC阻害物質としてGo6983(SIGMA)(最終濃度2 μM)を添加し6日間培養、又は、播種2日後に、PD0325901(最終濃度1 μM)及びGo6983(最終濃度2 μM)を添加し5日間培養、或いは、播種6日後に、PD0325901(最終濃度1 μM)とB-Raf阻害物質としてSB-590885(SIGMA)(最終濃度0.5 μM)を添加し1日間培養した(工程1終了)。上記阻害物質を含む培地で培養した細胞を、0.5 x TrypLE selectで処理後、セルスクレーパーを用いて剥離し、ピペッティングで単一分散後、96穴培養プレート(PrimeSurface 96V底プレート、住友ベークライト)に1穴あたり1.2 x 10
4細胞になるようY-27632(最終濃度20 μM)を含んだ100 μlのgfCDM+KSR培地[45% IMDM(Life Technologies)、45% F12(Life Technologies)、10% KSR(Life Technologies)、1% Chemically defined lipid concentrate(Life Technologies)、450 μM 1-Thioglycerol(SIGMA)]に播種し、37℃、5% CO
2条件下で浮遊培養した。浮遊培養開始後2日目(すなわち、浮遊培養開始2日後)までに細胞凝集体が形成された(工程2終了)。浮遊培養開始後3日目(すなわち、浮遊培養開始3日後)に、ROCK阻害物質を含まず、ヒト組み換えBMP4(R&D Systems)(4.5 nM)を含むgfCDM+KSR培地を用いて、外来性のヒト組み換えBMP4の終濃度が1.5 nM(55 ng/ml)になるように、1穴あたり50 μl追加した(工程3開始)。浮遊培養開始後6日目(すなわち、浮遊培養開始6日後)、9日目(9日後)、12日目(12日後)、15日目(15日後)には、ROCK阻害物質、及び、ヒト組み換えBMP4を含まないgfCDM+KSR培地を用いて半量培地交換し、浮遊培養開始後18日目(浮遊培養開始18日後)に、細胞凝集体を15 ml DMEM/F12+N2培地(DMEM/F-12, GlutaMAX(Life Technologies)、1 x N2 supplement(Life Technologies)、100 U/ml ペニシリン-100 μg/mlストレプトマイシン)を含んだ90 mm培養皿(浮遊培養用シャーレ、住友ベークライト)に移し、37℃、5% CO
2条件下で浮遊培養を続けた。浮遊培養開始後20日目(浮遊培養開始20日後)、又は、21日目(21日後)に、細胞凝集体を4% パラホルムアルデヒドで固定し、凍結切片を作成した。これらの凍結切片に関し、網膜前駆細胞マーカーであるChx10に対する免疫染色を、抗Chx10抗体(Exalpha)を用いて行った結果、Chx10陽性細胞が確認された(
図1)。
【0156】
実施例2:MEK阻害物質±PKC阻害物質を含む培地で培養する工程、及びソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質を含む培地で培養する工程を含む、ヒトiPS細胞を用いた網膜組織の製造
Cellular Technology LimitedのePMBC(登録商標)から樹立したヒト末梢血由来単核球由来iPS細胞(1231A3株、京都大学)を使用した。これらiPS細胞のフィーダー細胞フリー条件下での未分化維持培養は、「Nakagawa, M. et. al., Sci. Rep. 2014 Jan 8; 4: 3594」に記載の方法に従い行った。培地は「StemFit(登録商標)」AK03培地(味の素)、培養基質にはiMatrix-511(ニッピ)を使用した。
MEK阻害物質、PKC阻害物質、又はソニック・ヘッジホッグシグナル伝達経路作用物質で培養する工程を含む網膜組織の製造は以下の通り行った。未分化維持培養していたヒトiPS細胞を0.5 x TrypLE select [TrypLE select(Life Technologies)と0.5 mM EDTA/PBS(-)を等量混合]で処理後、セルスクレーパーを用いて剥離し、ピペッティングで単一分散後、iMatrix-511(0.5 μg/cm
2)でコーティングした6穴培養プレートに、1穴あたり1.2 x 10
4細胞播種し、ROCK阻害物質としてY-27632(和光純薬)(最終濃度10 μM)を含有するStemFit培地で、37℃、5% CO
2条件下で培養した。播種2日後に、MEK阻害物質としてPD0325901(SIGMA)(最終濃度1 μM)及びPKC阻害物質としてGo6983(SIGMA)(最終濃度2 μM)を添加し5日間培養、又は、播種6日後に、PD0325901(最終濃度1 μM)を添加し1日間培養した(工程1終了)。上記阻害物質を含む培地で培養した細胞を、0.5 x TrypLE selectで処理後、セルスクレーパーを用いて剥離し、ピペッティングで単一分散後、96穴培養プレート(PrimeSurface 96V底プレート、住友ベークライト)に1穴あたり1.0 x 10
4細胞になるようY-27632(最終濃度20 μM)を含んだ100 μlのgfCDM+KSR培地[45% IMDM(Life Technologies)、45% F12(Life Technologies)、10% KSR(Life Technologies)、1% Chemically defined lipid concentrate(Life Technologies)、450 μM 1-Thioglycerol(SIGMA)]に播種(第二工程SAG(-))又は、gfCDM+KSR培地にSAG(Enzo)(最終濃度30 nM)を添加した培地に播種(第二工程SAG(+))し、37℃、5% CO
2条件下で浮遊培養した。浮遊培養開始2日後までに細胞凝集体が形成された(工程2終了)。浮遊培養開始3日後に、ROCK阻害物質、及び、SAGを含まず、ヒト組み換えBMP4(R&D Systems)(4.5 nM)を含むgfCDM+KSR培地を、外来性のヒト組み換えBMP4の終濃度が1.5 nM(55 ng/ml)になるように、1穴あたり50 μl追加した(工程3開始)。浮遊培養開始6日後、9日後、12日後、15日後、及び18日後には、ROCK阻害物質、SAG、及びヒト組み換えBMP4を含まないgfCDM+KSR培地を用いて半量培地交換を実施した。浮遊培養開始10日後、細胞凝集体を顕微鏡で観察した結果(
図2)、無処理、及び、MEK阻害物質1日処理では、第二工程SAG(-)で凝集体の崩れが見られたのに対し、第二工程SAG(+)では凝集体の崩れはほとんど見られなかった。MEK阻害物質5日処理、及び、MEK阻害物質+PKC阻害物質5日処理では、第二工程のSAG有無に関わらず凝集体の崩れは見られなかった。浮培養開始22日後に、細胞凝集体を4% パラホルムアルデヒドで固定し、凍結切片を作成した。これらの凍結切片に関し、網膜前駆細胞マーカーであるPax6、及び、Chx10に対する免疫染色を、抗Pax6抗体(Covance)、抗Chx10抗体(Exalpha)を用いて行った結果、Pax6、Chx10共陽性細胞が確認された(
図3)。
【産業上の利用可能性】
【0157】
本発明の製造方法により、フィーダー細胞非存在下において、多能性幹細胞から効率的に網膜細胞への分化誘導を行い、網膜組織を製造することが可能になる。本発明の製造方法は、網膜組織を用いて医薬品候補化合物、その他化学物質の毒性・薬効評価や、網膜組織移植治療用移植材料への応用のための、試験や治療に使用するための材料となる網膜組織を製造できる点で有用である。
【0158】
本出願は、日本で出願された特願2015-176897(出願日:2015年9月8日)を基礎としており、その内容は本明細書に全て包含されるものである。