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特許7209997近赤外分光法プローブ、及び当該プローブを用いた近赤外光法解析方法
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-01-13
(45)【発行日】2023-01-23
(54)【発明の名称】近赤外分光法プローブ、及び当該プローブを用いた近赤外光法解析方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 21/77 20060101AFI20230116BHJP
   G01N 21/359 20140101ALI20230116BHJP
   G01N 31/22 20060101ALI20230116BHJP
【FI】
G01N21/77 B
G01N21/359
G01N31/22 122
【請求項の数】 9
(21)【出願番号】P 2018140196
(22)【出願日】2018-07-26
(65)【公開番号】P2019053043
(43)【公開日】2019-04-04
【審査請求日】2021-06-28
(31)【優先権主張番号】P 2017145599
(32)【優先日】2017-07-27
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 1.ウェブサイトの掲載日 2017年3月3日 ウェブサイトのアドレス https://nenkai.csj.jp/Proceeding/index/year/2017 2.開催日 2017年3月16日から2017年3月19日(公開日は2017年3月16日) 集会名、開催場所 日本化学会第97春季年会(2017).
(73)【特許権者】
【識別番号】519135633
【氏名又は名称】公立大学法人大阪
(74)【代理人】
【識別番号】110000796
【氏名又は名称】弁理士法人三枝国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】篠田 哲史
【審査官】伊藤 裕美
(56)【参考文献】
【文献】特開2016-074787(JP,A)
【文献】国際公開第2005/035823(WO,A1)
【文献】篠田 哲史 ほか,トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体の三元錯体形成特性を活用する分離分析システムの構築 ,分析化学,2012年,61(3),169-176,https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunsekikagaku/61/3/61_3_169/_pdf
【文献】TSUKUBE, H. et al.,Near-Infrared Luminescence Sensing of Glutamic Acid, Aspartic Acid, and Their Dipeptides with Tris(β-diketonato)lanthanide Probes,Helvetiva Chimica Acta,2009年11月24日,92,11,2488-2496,https://doi.org/10.1002/hlca.200900112
【文献】PEREIRA, V.M. et al.,Synthesis, structure and physical properties of luminescent Pr(III) β-diketonate complexes,Spectrochimica Acta Part A: Molecular and Biomolecular Spectroscopy,2017年02月05日,172,25-33,https://doi.org/10.1016/j.saa.2016.06.025
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 21/00- G01N 21/83
G01N 33/48- G01N 33/98
G01N 31/00- G01N 31/22
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含む、近赤外分光法プローブ
(ただし、ランタノイドがPr、Sm又はEuである近赤外分光法プローブを除く)
【請求項2】
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が、式(1):
【化1】
(式中、Lnはランタノイド原子を示し、R、R、及びRは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、
及びRは、互いに結合して、ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基で置換されていてもよい飽和炭素環を形成してもよく、
該環を形成する2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物である、
請求項1に記載の近赤外分光法プローブ。
【請求項3】
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が、式(1a):
【化2】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1a及びR3aは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示す。)
で表される化合物であるか、あるいは
式(1b):
【化3】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1bは、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R、Rii、Riii、及びRivは、同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R~Rivが結合する炭素原子のうち2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物である、
請求項2に記載の近赤外分光法プローブ。
【請求項4】
ランタノイドが、Nd、Pm、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbである、請求項1~3のいずれかに記載の近赤外分光法プローブ。
【請求項5】
アニオン又はランタノイド配位子検出用である、請求項1~4のいずれかに記載の近赤外分光法プローブ。
【請求項6】
(I)トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含み、且つアニオン又はランタノイド配位子を含むか含む可能性のある被験溶液の、近赤外線吸収度を求める工程、並びに(II)既知アニオン又は既知ランタノイド配位子と前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とを含む溶液について予め測定した近赤外線吸収度と、(I)で求めた近赤外線吸収度とを比較する工程、
を含む、被験溶液中のアニオン又はランタノイド配位子を検出する方法。
【請求項7】
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が、式(1):
【化4】
(式中、Lnはランタノイド原子を示し、R、R、及びRは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、
及びRは、互いに結合して、ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基で置換されていてもよい飽和炭素環を形成してもよく、
該環を形成する2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物である、
請求項6に記載の方法。
【請求項8】
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が、式(1a):
【化5】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1a及びR3aは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示す。)
で表される化合物であるか、あるいは
式(1b):
【化6】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1bは、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R、Rii、Riii、及びRivは、同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R~Rivが結合する炭素原子のうち2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物である、
請求項7に記載の方法。
【請求項9】
ランタノイドが、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbである、請求項6~8のいずれかに記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、近赤外分光法プローブ、及び当該プローブを用いた近赤外光法解析方法等に関する。
【背景技術】
【0002】
近赤外線分光法は、近赤外線領域での分光法である。測定対象に近赤外線を照射し、吸収された度合い(吸光度)の変化によって成分を算出する。特長として、近赤外線は中赤外線・遠赤外線と比較して吸収が極めて小さいため、切片等を作成することなく、非破壊・非接触での測定が可能なことが挙げられる。さらには、多成分を即時に同時定量できるという利点も兼ね備えている。このため、例えば食品の成分分析や、医薬品の原材料検査等、幅広い分野で利用されている。
【0003】
しかし、吸収強度が弱い、あるいは振動吸収を持たない物質(例えばイオン)については、近赤外線分光法による検出感度は極めて低く、このような物質を測定するためには高濃度試料が必要となるか、又は検出が難しかった。
【0004】
ランタノイド錯体は、磁性体や発光体、医療診断剤や触媒など機能物質として実用に供されるとともに、戦略元素を含む資源化合物としても重要性を増している。最近、理論的な理解も深まってきており、バイオサイエンスをはじめ多方面への展開が図られている。
【0005】
また、β-ジケトナト配位子は古くからランタノイドイオンの抽出試薬として用いられ、生成されるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体の構造や特性も研究されてきている。当該錯体中には、有機スペクトル解析において核磁気共鳴法(NMR)シフト試薬や円二色性分光法(CD)キラリティープローブとして利用されてきたものが知られている。また、不斉なβ- ジケトナト配位子を含む当該錯体のいくつかは、不斉触媒やアミノ酸の不斉抽出試薬として働くことが知られている。また、当該錯体の中には、エレクトロルミネスセンス材料として用いられるものも存在する(非特許文献1)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【文献】BUNSEKI KAGAKU Vol.61, No.3, pp.169-176(2012)
【文献】H. Tsukube, M. Hosokubo, M. Wada,S. Shinoda, H. Tamiaki: Inorg. Chem., 2001, 40 (4), 740-745
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、従来は近赤外線分光法により検出が困難であった物質を、近赤外線分光法により検出可能とする手法を開発することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは、特定のランタノイド錯体を近赤外分光法プローブとして用いることにより、各種物質(特にアニオン及びランタノイド配位子)を近赤外線分光法により検出可能であることを見出し、さらに改良を重ねて、本発明を完成させるに至った。
【0009】
本発明は例えば以下の項に記載の主題を包含する。
項1.
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含む、近赤外分光法プローブ。
項2.
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が、式(1):
【0010】
【化1】
【0011】
(式中、Lnはランタノイド原子を示し、R、R、及びRは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、
及びRは、互いに結合して、ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基で置換されていてもよい飽和炭素環を形成してもよく、
該環を形成する2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物である、
項1に記載の近赤外分光法プローブ。
項3.
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が、式(1a):
【0012】
【化2】
【0013】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1a及びR3aは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示す。)
で表される化合物であるか、あるいは
式(1b):
【0014】
【化3】
【0015】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1bは、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R、Rii、Riii、及びRivは、同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R~Rivが結合する炭素原子のうち2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物である、
項2に記載の近赤外分光法プローブ。
【0016】
項4.
ランタノイドが、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbである、項1~3のいずれかに記載の近赤外分光法プローブ。
【0017】
項5.
アニオン又はランタノイド配位子検出用である、項1~4のいずれかに記載の近赤外分光法プローブ。
【0018】
項6.
(I)トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含み、且つアニオン又はランタノイド配位子を含むか含む可能性のある被験溶液の、近赤外線吸収度を求める工程、並びに(II)既知アニオン又は既知ランタノイド配位子と前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とを含む溶液について予め測定した近赤外線吸収度と、(I)で求めた近赤外線吸収度とを比較する工程、
を含む、被験溶液中のアニオン又はランタノイド配位子を検出する方法。
【0019】
項7.
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が、式(1):
【0020】
【化4】
【0021】
(式中、Lnはランタノイド原子を示し、R、R、及びRは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、
及びRは、互いに結合して、ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基で置換されていてもよい飽和炭素環を形成してもよく、
該環を形成する2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物である、
項6に記載の方法。
【0022】
項8.
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が、式(1a):
【0023】
【化5】
【0024】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1a及びR3aは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示す。)
で表される化合物であるか、あるいは
式(1b):
【0025】
【化6】
【0026】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1bは、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R、Rii、Riii、及びRivは、同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R~Rivが結合する炭素原子のうち2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物である、
項7に記載の方法。
【0027】
項9.
ランタノイドが、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbである、項6~8のいずれかに記載の方法。
【発明の効果】
【0028】
本発明によれば、被験溶液中に存在する物質(特にアニオン又はランタノイド配位子)を近赤外線分光法により高感度かつ高精度で検出することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0029】
図1a】Yb(TFC)を10、20、40、50、又は100mMの各濃度になるようにアセトニトリルに溶解させ、得られた溶解液の近赤外吸収スペクトルを測定した結果を示す。
図1b図1aの10233cm-1の各濃度における吸光度プロットを示す。
図2a】4種のYb3+錯体(Yb(TFC)、Yb(HFA)、Yb(FOD)、及びYb(HFC))の近赤外吸収スペクトルの全体の重ね書きを示す。
図2b】Yb3+イオンの吸収帯付近(図2aの四角枠部分)の拡大図を示す。
図3a】Yb(TFC)にテトラブチルアンモニウム塩酸塩tBuNClを加えて、近赤外吸収スペクトルを測定した結果を示す。
図3b】Yb(TFC)にテトラブチルアンモニウム塩酸塩tBuNClを加えて、近赤外吸収スペクトルを測定した結果を示す。(図3aの一部拡大図)
図4a】Yb(FOD)と各種アニオンとから生成するアニオン性錯体について赤外吸収スペクトルを測定した結果を示す。
図4b】Yb(HFA)と各種アニオンとから生成するアニオン性錯体について赤外吸収スペクトルを測定した結果を示す。
図4c】Yb(HFC)と各種アニオンとから生成するアニオン性錯体について赤外吸収スペクトルを測定した結果を示す。
図5】各Yb錯体と7種類のアニオンとから生成するアニオン性錯体についての赤外吸収スペクトルから4波数を取り出したときの相対強度比較図を示す。
図6】3種類のYb3+錯体(1はYb(FOD)、2はYb(HFA)、3はYb(HFC))及びClが含まれるサンプルを調製し、近赤外吸収スペクトルを測定した結果を示す。
図7】CaFの立方晶サイトを占有するYb3+のf軌道の電子遷移を示す。
図8a】アミノ酸(3種類)存在下でのYb(FOD)の吸収スペクトル(差分)を示す。
図8b】アミノ酸(3種類)存在下でのYb(FOD)の吸収スペクトル(差分)を示す。
図9a】カルボン酸(4種類)存在下でのYb(FOD)の吸収スペクトル(差分)、又はYb(FOD)のみの吸収スペクトル(差分)を示す。
図9b】カルボン酸(4種類)存在下でのYb(FOD)の吸収スペクトル(差分)、又はYb(FOD)のみの吸収スペクトル(差分)を示す。
図10】各カルボン酸の近赤外吸収スペクトルに基づき、各波数における2次微分スペクトルの相対強度(錯体のみの場合のシグナル強度を1とする)を円形チャートにしたものを示す。
図11a】Nd(FOD)のみ又はYb(FOD)のみを含む溶液の吸収スペクトル(差分)を示す。
図11b】Nd(FOD)のみ又はYb(FOD)のみを含む溶液の吸収スペクトル(差分)を示す。
図12a】カルボン酸(4種類)存在下でのNd(FOD)の吸収スペクトル(差分)、又はNd(FOD)のみの吸収スペクトル(差分)を示す。
図12b】カルボン酸(4種類)存在下でのNd(FOD)の吸収スペクトル(差分)、又はNd(FOD)のみの吸収スペクトル(差分)を示す。
図12c】カルボン酸(4種類)存在下でのNd(FOD)の吸収スペクトル(差分)、又はNd(FOD)のみの吸収スペクトル(差分)を示す。
図13】各カルボン酸の近赤外吸収スペクトルに基づき、各波数における2次微分スペクトルの相対強度(錯体のみの場合のシグナル強度を1とする)を円形チャートにしたものを示す。
図14a】Yb(TFC)とアニオン性基質(グルタミン酸)との溶液内での錯形成について滴定実験により確認した結果を示す。
図14b】Yb(TFC)とアニオン性基質(酢酸)との溶液内での錯形成について滴定実験により確認した結果を示す。
【発明を実施するための形態】
【0030】
以下、本発明の各実施形態について、さらに詳細に説明する。
【0031】
本発明に包含される近赤外分光法プローブは、トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含む。
【0032】
トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体におけるランタノイドとしては、一般的な近赤外分光で利用される近赤外領域(4,000~13,000cm-1)に吸収帯をもつPr、Nd、Pm、Sm、Eu、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbが好ましく、中でも溶媒分子(例えばアセトニトリルや水)の吸収が弱い、Pr、Nd、Sm、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbがより好ましく、Yb(イッテルビウム)又はNd(ネオジム)が特に好ましい。
【0033】
本発明に用いるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体としては、式(1):
【0034】
【化7】
【0035】
(式中、Lnはランタノイド原子を示し、R、R、及びRは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、
及びRは、互いに結合して、ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基で置換されていてもよい飽和炭素環を形成してもよく、
該環を形成する2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物が好ましい。
【0036】
ランタノイド原子としては、上述したように、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbが好ましく、Pr、Nd、Sm、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbがより好ましく、Yb又はNdが特に好ましい。
【0037】
本明細書において、低級アルキル基は炭素数1~8(1、2、3、4、5、6、7、又は8)のアルキル基であり、炭素数1~6のアルキル基が好ましく、1~4のアルキル基がより好ましい。また、低級アルキル基は、直鎖状又は分岐鎖状であってよい。
【0038】
ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基におけるハロゲン原子としては、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、ヨウ素原子が挙げられ、フッ素原子又は塩素原子が好ましく、フッ素原子がより好ましい。ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基において、置換ハロゲン原子数は特に制限されないが、例えば、低級アルキル基の水素原子が全てハロゲン原子に置換されていてもよい。また例えば、低級アルキル基の1~11(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、又は11)個の水素原子がハロゲン原子に置換されていてもよい。1つの低級アルキル基において置換ハロゲン原子は1種又は2種以上であり得るが、1つの低級アルキル基における置換ハロゲン原子は全て同じハロゲン原子(すなわち1種)であることが好ましい。
【0039】
ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基としては、特に制限はされないが、具体的には、-CH、-CHCH、-CHCHCH、-CH(CH)CH、-CHCHCHCH、-CH(CH)CHCH、-CHCH(CH)CH、-C(CH、-CF、-CFCF、-CFCFCF、-CF(CF)CF、-CFCFCFCF、-CF(CF)CFCF、-CFCF(CF)CF、-C(CF、等が好ましく例示される。
【0040】
及びRは、互いに結合して、飽和炭素環を形成してもよい。当該飽和炭素環は、R及びRは、これらが結合する炭素原子と共に、互いに結合して、3~12(3、4、5、6、7、8、9、10、11、又は12)員環を形成することが好ましく、4~8員環を形成することがより好ましく、6員環を形成することがさらに好ましい。
【0041】
また、当該飽和炭素環は、ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基で置換されていてもよい。当該低級アルキル基による置換数は、飽和炭素環を形成する炭素原子数にもよるが、例えば1~6(1、2、3、4、5、又は6)であってよく、1~4、1~3、又は1~2であってもよい。
【0042】
またさらに、当該飽和炭素環においては、当該環を形成する2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。アルキレン基により結合される2個の炭素原子は、隣接していても非隣接であってもよく、非隣接であることが好ましい。また、アルキレン基としては、炭素数1~12(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、又は12)のアルキレン基が挙げられる。
また、当該アルキレン基は直鎖又は分岐鎖状であってよい。炭素数1~8のアルキレン基が好ましく、1~6のアルキレン基がより好ましく、1~3のアルキレン基がさらに好ましい。アルキレン基としては、特に制限はされないが、具体的には、-CH-、-CHCH-、-CHCHCH-、-CH(CH)CH-、-CHCHCHCH-、-CH(CH)CHCH-、-CHCH(CH)CH-、-C(CHCH-、>CHCH、>CHCHCH、>C(CH)CH、>CHCHCHCH、>C(CH)CHCH、>CHCH(CH)CH、等が例示できる。中でも-CH-、>CHCH、>C(CH)CH等が好ましく、>C(CH)CHが特に好ましい。
【0043】
式(1)で表される化合物の中でも、特に式(1a):
【0044】
【化8】
【0045】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1a及びR3aは同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示す。)
で表される化合物、あるいは
式(1b):
【0046】
【化9】
【0047】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1bは、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R、Rii、Riii、及びRivは、同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、R~Rivが結合する炭素原子のうち2個の炭素原子が、アルキレン基を介して結合していてもよい。)
で表される化合物が好ましい。
【0048】
式(1a)及び(1b)における、ハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基、及びアルキレン基は、上述したのと同じである。
【0049】
また、R、Rii、Riii、及びRivは、全てが水素原子であってもよく、1つが水素原子で3つがハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基であってもよく、2つが水素原子で2つがハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基であってもよく、3つが水素原子で1つがハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基であってもよく、全てがハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基であってもよい。特に制限はされないが、3つが水素原子で1つがハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基であることがより好ましい。本発明において、これら水素原子及びハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基のR、Rii、Riii、及びRivにおける結合位置は、全ての可能性を包含する。
【0050】
また、式(1b)において、アルキレン基を介して結合していてもよい2個の炭素原子は、R~Rivが結合する炭素原子のうちの2個であれば、特に制限はされないが、非隣接の炭素原子であることが好ましく、Rが結合する炭素原子及びRivが結合する炭素原子であることがより好ましい。アルキレン基を介して結合する2個の炭素原子が、Rが結合する炭素原子及びRivが結合する炭素原子である場合、式(1b)で表される化合物は、特に式(1b’):
【0051】
【化10】
【0052】
(式中、Lnは前記に同じであり、R1bは前記に同じであり、R、Rii、Riii、及びRivは、前記に同じであり、Zはアルキレン基を示す。)
で表される化合物である。Zで示されるアルキレン基は、上述したアルキレン基についての説明がそのまま当てはまる。
【0053】
特に制限はされないが、式(1b)及び(1b’)において、R及びRivは、同一又は異なって、水素原子、又はハロゲン原子で置換されていてもよい低級アルキル基を示し、Rii及びRiiiは水素原子を示すことが、より好ましい。
【0054】
本発明に用いるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体(上述した特定の化合物を含む)は、公知の化合物であるか、又は公知の化合物から当業者が容易に製造することができる。β-ジケトナト配位子は古くからランタノイドイオンの抽出試薬として用いられており、生成されるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体の構造や特性の研究も進んできている。ランタノイドイオンは3価の正の電荷を有する(3+)ため、1価の負の電荷を有する(1-)β-ジケトナト配位子3分子と結合して、「トリス」(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を生成し得る。このため、トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体はβ-ジケトン骨格をもつ分子とランタノイド塩から容易に合成することができる。また、市販のトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を購入して用いることもできる。例えば、Aldrich社などから、NMR測定用試薬等として販売されている。
【0055】
当該近赤外分光法プローブの検出対象となる物質(被験物質)は、前記ランタノイド錯体(特に、当該錯体に含まれるランタノイド)と相互作用する物質であることが好ましい。強い相互作用を有する物質ほど、前記ランタノイド錯体の近赤外線吸収度をより大きく変化させることができるため、より高精度に検出できる可能性が高まる。
【0056】
このような被験物質としては、例えばアニオン又はランタノイド配位子が好ましい。アニオンとしては、例えば、無機アニオン、有機アニオンであってよい。無機アニオンとしては、例えばCl、Br、NO 、HSO 、HPO 、SCN、PF 等が挙げられる。また、有機アニオンとしては、例えば有機カルボン酸アニオンが挙げられる。より具体的には例えばアミノ酸アニオン、ペプチドアニオン等が挙げられる。アミノ酸アニオンとしては例えば、アラニン、アルギニン、アスパラギン、アスパラギン酸、システイン、グルタミン、グルタミン酸、グリシン、ヒスチジン、イソロイシン、ロイシン、リジン、メチオニン、フェニルアラニン、プロリン、セリン、トレオニン、トリプトファン、チロシン、及びバリンのアニオンが挙げられ、特にアスパラギン酸アニオンやグルタミン酸アニオン等が好ましく挙げられる。また例えば、脂肪酸(飽和脂肪酸及び不飽和脂肪酸)、ヒドロキシ酸、芳香族カルボン酸、ジ若しくはトリカルボン酸、オキソカルボン酸等の各種カルボン酸のアニオンが挙げられる。脂肪酸としては例えば、炭素数1~18の飽和脂肪酸(例えばギ酸、酢酸、プロピオン酸、酪酸、吉草酸、カプロン酸、エナント酸、カプリル酸、カプリン酸、ラウリン酸、ミリスチン酸、パルミチン酸、ステアリン酸等)、及び、炭素数18又は20の不飽和脂肪酸(例えばオレイン酸、リノール酸、リノレン酸、アラキドン酸等)等が挙げられ、ヒドロキシ酸としては例えば、乳酸、リンゴ酸、クエン酸等が挙げられ、芳香族カルボン酸としては例えば、安息香酸、フタル酸、イソフタル酸、テレフタル酸、サリチル酸、ケイヒ酸等が挙げられ、ジカルボン酸としては例えば、シュウ酸、マロン酸、コハク酸、アジピン酸、フマル酸、マレイン酸等が挙げられ、トリカルボン酸としては例えば、トリカルバリル酸、アニコット酸等が挙げられる。
【0057】
また、本発明において、アニオンは、負電荷を有するイオンを意味し、負電荷を有するイオンであって全体として電荷がマイナスか0であるイオンを好ましく包含し、また、負電荷のみを有するイオンも好ましく包含する。従って例えば両性イオンも包含する。例えば、両性アミノ酸イオン(例えばアラニンイオン)は、負電荷を有するため、本発明におけるアニオンに該当する。
【0058】
また、ランタノイド配位子としては、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、又はYbの配位子であることが好ましく、ランタノイドイオンに対して5員環キレートを形成可能な分子が好ましく、なかでも式:
1c-CH(R3c)-CH(R4c)-R2c
(式中、R1c及びR2cは、同一又は異なって、ヒドロキシル基又はアミノ基を示し、R3c及びR4cは、同一又は異なって、水素原子又は炭素数1、2若しくは3のアルキル基示す。)
で表される化合物が好ましい。R3c及びR4cは、同一であることが好ましく、特に両方とも水素原子であることが好ましい。ランタノイド配位子としては、より具体的には、1,2-エタンジオールや、1,2-ジアミノエタン、エタノールアミン等が好ましく例示される。
【0059】
前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を被験溶液に含ませ、当該被験溶液の近赤外吸収を測定し、予め測定しておいた既知物質(特に既知アニオン又は既知ランタノイド配位子)と前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とを含む溶液の近赤外光吸収度と比較することで、被験溶液に含まれる物質を検出することができる。予め測定しておいた既知物質の種類や濃度等のデータと比較する場合には、被験溶液に含まれる物質を同定すること、さらには当該物質の濃度を決定すること、等も可能となりえる。
【0060】
本発明は、次の工程(I)及び(II)を含む、被験溶液中の被験物質(特に既知アニオン又は既知ランタノイド配位子)を検出する方法をも包含する。なお、当該検出方法は、好ましくは被験溶液中の物質の測定方法であり、当該測定には物質の種類の特定や濃度決定が好ましく含まれ得る。
(I)トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含み、且つ被験物質を含むか含む可能性のある被験溶液の、近赤外線吸収度を求める工程
(II)既知被験物質と前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とを含む溶液について予め測定した近赤外線吸収度と、(I)で求めた近赤外線吸収度とを比較する工程
当該方法で用いるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体としては、上述したものと同じである。
【0061】
また検出対象となる被験物質は、アニオン又はランタノイド配位子が好ましい。好ましいアニオン及びランタノイド配位子としては、前記に同じである。
【0062】
なお、(I)に記載の被験溶液及び(II)に記載の溶液(既知被験物質と前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とを含む溶液)については、溶媒として例えば水、有機溶媒、又はこれらの混合液等を用いることができるが、被験物質によっては水が存在すると配位力が弱まる場合があるため、この点に留意して適宜溶媒を選択及び調製することが好ましい。溶媒としては、例えばアセトニトリル、又は、水及びアセトニトリルの混合液が好ましい。アセトニトリル、又は、水及びアセトニトリルを溶媒として用いる場合には、水及びアセトニトリル混合比は体積比で0:100~20:80程度が好ましく、0:100~15:85程度又は0:100~10:90程度がより好ましい。
【0063】
工程(I)では、被験溶液の近赤外線吸収度を求める。被験溶液は、被験物質を含むか含む可能性があり、これに加えて、トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含む。また、被験溶液に被験物質が含まれているか否かは判明していなくともよい。つまり、被験溶液は、被験物質を含む可能性がある溶液であってもよい。また、1つの被験溶液に含まれるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体は1種だけであることが好ましい。
【0064】
被験物質が当該錯体に配位すれば、当該錯体に含まれるランタノイドイオンの配位子場に影響が出るため,ランタノイドイオンの近赤外線吸収のエネルギー及び強度が変化し、これにより被験物質(より具体的には当該錯体と被験物質との結合)が検出可能となる。
【0065】
工程(II)では、既知被験物質と前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とを含む溶液について予め測定した近赤外線吸収度(本明細書において「検量用吸光度」ということがある)と、(I)で求めた近赤外線吸収度(本明細書において「被験用吸光度」ということがある)とを比較する。なお、(I)に記載の被験溶液の溶媒と(II)に記載の溶液の溶媒とは同一のものを用いることが好ましい。また、(I)に記載の被験溶液に含まれるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体と、(II)に記載の溶液に含まれるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とは同一のものを用いることが好ましい。
【0066】
被験溶液に含まれるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体と、同じトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体が用いられた既測定データとを比較し、同じ測定データを示すものが存在すれば、その既測定データが取得された、既知アニオンとトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体との組み合わせにおける既知アニオンが、被験溶液に含まれるアニオンであると決定できる。上述したように、予め測定しておいた既知アニオンの種類や濃度等のデータと比較する場合には、被験溶液に含まれるアニオンを同定すること、さらには当該アニオンの濃度を決定すること、等も可能となりえる。このため、できるだけ多くの種類の既知アニオンとトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体との組み合わせについて、そのアニオン種や濃度等のデータをも取得しながら、近赤外線吸収度を測定しておくことが好ましい。このようなデータの集合体(データベース)や、このようなデータを解析(好ましくは多変量解析)して得られる検量モデルについても、本発明は好ましく包含する。また、これらを記録した記録媒体や、これらを利用する機器等をも含む。
【0067】
また、検量用吸光度と、被験用吸光度との比較は、同じ波長における吸光度どうしを比較する。例えば、検量用吸光度スペクトルと被験用吸光度スペクトルとを同じ波長域に渡って比較してもよいし、1又は複数の波長における検量用吸光度と被験用吸光度とを比較してもよい。特に制限はされないが、複数の波長における検量用吸光度と被験用吸光度とを比較することが好ましく、例えば2~10(1、2、3、4、5、6、7、8、9又は10)の波長において比較することが好ましい。比較波長数を増やすほど、検出対象アニオン特定の確実性を向上させることができる。
【0068】
さらにまた、検量用吸光度データの取得のためには、異なる種類のトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体と、既知アニオンとを含む溶液を複数用意することが好ましい。例えば、トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体として3種(例えばα、β、γとする)を、既知アニオンとしてClを、それぞれ用いて「α及びCl」溶液、「β及びCl」溶液、及び「γ及びCl」溶液、を調製し、それぞれの組み合わせにおける検量用吸光度を測定しておけば、被験溶液として「α及び検出対象アニオン」溶液、「β及び検出対象アニオン」溶液、及び「γ及び検出対象アニオン」溶液を用いてそれぞれの被験用吸光度を測定し、「α及びCl」検量用吸光度と「α及び検出対象アニオン」被験用吸光度との比較、「β及びCl」検量用吸光度と「β及び検出対象アニオン」被験用吸光度との比較、並びに「γ及びCl」検量用吸光度と「γ及び検出対象アニオン」被験用吸光度との比較、が可能となり、これらの比較全てで同様の吸光度が示された場合には、より確実に検出対象アニオンがClであるということができる。このように、用いるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体の種類を増やすほど、検出対象アニオン特定の確実性を向上させることができる。
【0069】
また、用いるトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体の種類や、アニオンの種類を増やした場合には、当該錯体とアニオンの組み合わせによる近赤外光吸収の違いについて、例えば多変量解析やディープラーニングを用いることにより、各種アニオンに対する予測モデルを作成することができる。すなわち、データを収集し、当該データを多変量解析して、あるいはディープラーニングの教師データとして用いて、モデルを作成し、被験溶液の近赤外光吸収データについて当該モデルを適用することで、被験溶液中に含まれるアニオンを検出することができる。
【0070】
多変量解析には、例えば、重回帰分析、PCR(Partial Component Regression)、PLS(Partial Least Squares)等を用いることができる。中でも、PLSが好ましい。
【0071】
ランタノイド錯体の構造によって、それぞれアニオン種に対する認識特性は異なるため、種々のランタノイド錯体種により微量成分に対する応答が異なる。よって、その応答情報を処理することによって成分分析が可能となる。また、特にランタノイドイオンは近赤外領域に複数の電子遷移を持ち、よって振動遷移に比べて極めて大きな強度を持つため、検出感度が大幅に向上し得る。さらに、短時間(通常、数10秒程度)で多くの波長の吸光度変化を測定し得る。通常の近赤外分光法では基質のもつ近赤外吸収を測定するところ、前記のように本発明においてはトリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体に付加(結合)して生成する複合体におけるランタノイドイオンの吸収を測定する。 本発明の範囲を限定することを望むものではないが、本発明の好ましい一態様が奏する効果について次により詳しく説明する。カルボキシル基をもつ分子(アニオン)は尿や血しょうなど生体内に多種類存在しており、その濃度分析が重要である。本発明の好ましい一態様では、トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とこれら分析試料(各種カルボン酸イオンその他を含む混合水溶液)を混合し、近赤外吸収測定を行うことにより成分分析を行うことが可能となる。近赤外領域での吸光測定であるため、生体色素による着色などの影響を受けにくい。測定は基質自身のもつ吸収ではなく、ランタノイドイオンの吸収の変化を利用して行うため、観測範囲が基質に関わらず常に一定であり有利である。さらに、基質自体の近赤外吸収に比べて強度が桁違いに大きいことから、基質の吸収による測定への影響は少ない。
【0072】
なお、(I)工程では、トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含み、且つ被験物質を含むか含む可能性のある被験溶液の近赤外線吸収度が求められ、また、(II)工程では、既知被験物質及び錯体(トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体)を含む溶液について予め測定した近赤外線吸収度と(I)で求めた近赤外線吸収度とが比較されるところ、これらの近赤外線吸収度は比較の前に比較しやすいように調整されてもよい。例えば、錯体及び被験物質を含有し得る被験溶液の近赤外線吸収スペクトルや、錯体及び既知被験物質を含有溶液の近赤外線吸収スペクトルについて、(i)2次微分処理を行う、及び/又は、(ii)当該溶液のみ(つまり溶媒のみ)の近赤外線吸収スペクトルを差し引く(すなわち、差スペクトルを求める)、といった操作が行われてもよい。これらの操作を行う場合には、特に各溶液の溶媒が同じであることが好ましい。
【0073】
工程(I)及び(II)を含む、被験溶液中の被験物質(特に既知アニオン又は既知ランタノイド配位子)を検出する方法の好ましい一態様として、次の各工程を含む方法が挙げられる。なお、当該方法において、(I-i)及び(II-i)はオプションである。
【0074】
(I)トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含み、且つ被験物質を含むか含む可能性のある被験溶液の、近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)を求める工程
(I-i)求めた近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)について、2次微分処理を行う工程
(I-ii)求めた近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)から、被験溶液の溶媒のみの近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)を、差し引いて差スペクトルを求める工程
(II’)既知被験物質と前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とを含む溶液について近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)を求める工程
(II-i)求めた近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)について、2次微分処理を行う工程
(II-ii)求めた近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)から、当該溶液の溶媒のみの近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)を、差し引いて差(特に差スペクトル)を求める工程
(II-iii)(II-ii)で求めた差(特に差スペクトル)と、(I-ii)で求めた差(特に差スペクトル)とを比較する工程
【0075】
また、例えば次の各工程を含む方法も、工程(I)及び(II)を含む、被験溶液中の被験物質(特に既知アニオン又は既知ランタノイド配位子)を検出する方法の好ましい一態様として挙げられる。
【0076】
(I)トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体を含み、且つ被験物質を含むか含む可能性のある被験溶液の、近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)を求める工程
(I-ii)求めた近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)から、被験溶液の溶媒のみの近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)を、差し引いて差スペクトルを求める工程
(II’-iii)既知被験物質と前記トリス(β-ジケトナト)ランタノイド錯体とを含む溶液について求めた近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)から、当該溶液の溶媒のみの近赤外線吸収度(特に近赤外線吸収スペクトル)を差し引いて求めた差(特に差スペクトル)と、(I-ii)で求めた差(特に差スペクトル)とを比較する工程
【0077】
ランタノイドイオンは、f軌道内の電子配置の違いによって数多くの異なるエネルギー状態を取りうる。可視から近赤外領域の光を吸収してこれらの電子状態間の遷移がおこるため、ランタノイドイオンの種類によってそれぞれ異なる波長に吸収がおこる。同じ軌道間(f軌道からf軌道)への電子遷移は基本的には禁制であるため、電子遷移の中では最も弱い部類である。しかし、通常分子(例えば溶媒分子)に見られる近赤外吸収は振動の高次の倍音や結合音であり、その吸収は極めて弱いものであるため、低濃度(例えば10mM以下の濃度)条件下で測定対象基質の近赤外吸収を直接観測することは困難である。一方、ランタノイドイオンの吸収は非常に線幅が狭く、するどいピークとして現れる。また、配位子の種類によらず常に同じ位置に現れることから、シグナルとして観測しやすい。一方、遷移金属イオンにもd軌道電子の遷移により近赤外領域に吸収をもつものが多いが、波長は不定(配位子によって変化する)であり、非常にブロードで強度の弱い吸収となるため、近赤外分光には適さない。
【0078】
ランタノイドイオンの電子遷移について、Yb3+を例として用いてより詳細に説明する。図7にCaFの立方晶サイトを占有するYb3+のf軌道の電子遷移を示す。Yb3+はf13配置をとるためf軌道に1つ残ったスピンの配向によって2つの異なるスペクトル項(7/2の基底状態と5/2の励起状態)をもつが、各項において異なる電子配置によるわずかなエネルギー差が生じる。基底項の存在確率はボルツマン分布に従う。基底項のYb3+が光の吸収による電子遷移によって励起項に移るが、この際、図の矢印で示すように10000cm-1付近の複数の吸収線となってスペクトル上に現れる。配位子場により各項のエネルギー分裂の仕方が変化するため、吸収ピークのエネルギーや強度も変化する。アニオンがYb3+に配位すれば配位子場に影響が出るため、Yb3+の吸収の変化によってアニオンとの結合が検出可能となる。
【0079】
なお、本明細書において「含む」とは、「本質的にからなる」と、「からなる」をも包含する(The term "comprising" includes "consisting essentially of” and "consisting of.")。
【実施例
【0080】
以下、本発明をより具体的に説明するが、本発明は下記の例に限定されるものではない。
【0081】
使用試薬及び解析方法
以下の式で表される4種のトリス(β―ジケトナト)Yb3+錯体(錯体全体として電荷は0)を検討に用いた。本明細書では、これらの錯体を、それぞれ、Yb(TFC)、Yb(HFA)、Yb(FOD)、及びYb(HFC)と呼ぶことがある。なお、これら4種の錯体のうち、Yb(HFA)はStrem Chemicals Inc.から、その他はSigma-Aldrichから、それぞれ購入して用いた。
【0082】
【化11】
【0083】
アセトニトリル(ナカライテスク社)を測定用溶媒とし、3mlメスフラスコを用いてランタノイド錯体溶液、テトラブチルアンモニウム塩(tBuNX;X=Cl、Br、NO 、SCN、HSO 、HPO 、又はPF )の母液を調製し、一定濃度の混合溶液を1mlメスフラスコを用いて調製した。円筒型(内径6mm)のガラス製容器に移し、Bruker社のMPA Multi Purpose FT-NIR Analyzerで近赤外吸収スペクトルを以下の条件で測定した。
【0084】
分解能:4cm-1
光路長:6mm
サンプルスキャン回数:16回
バックグラウンドスキャン回数:16回
測定波数領域:12500~4000cm-1
【0085】
なお、錯形成は瞬時におこるため、溶液調製後、すぐにスペクトル測定を行った。また、スペクトルの時間変化は見られなかった。
【0086】
データ解析については、カモソフトウエア社製の多変量解析用ソフトウエア The Unscrambler X (ver10.3)を使用した。近赤外スペクトルで得られた波長、吸光度データ、及びサンプルの濃度データを入力して解析した。
【0087】
Yb 3+ 錯体の近赤外吸収スペクトル
近赤外吸収スペクトル測定における最適濃度を決定するために、Yb(TFC)を10、20、40、50、又は100mMの各濃度になるようにアセトニトリルに溶解させ、それぞれ測定した。
【0088】
結果を図1aに示す。4000~6000cm-1、7200cm-1付近、及び8200cm-1付近に溶媒であるアセトニトリルの強い近赤外吸収が見られた。4000~6000cm-1における吸収強度は溶媒のモル濃度が大きいために吸光度(Abs)>3を示す波数領域が多い。一方、11000cm-1付近に見られる吸収は、錯体濃度に依存をして変化しており、その形状からもYb3+による吸収であることが分かった。10mMでもYb3+由来の吸収が確認できたため、最小限のサンプル量となる10mMの錯体濃度で以下の検討を行うこととした。
【0089】
図1bは、図1aの10233cm-1の各濃度における吸光度プロットを示す。ランベルトベールの法則に従う直線性が見られ、その傾きから10233cm-1の吸収ピークの吸光係数はε=0.0016(dm/mol・cm)と求められた。溶媒に用いたアセトニトリルの吸光係数は5803cm-1においてε=0.00007(dm/mol・cm)と求められた。
【0090】
このことから、通常分子(例えばアセトニトリル)の近赤外吸収に比べて、ランタノイド錯体は2桁以上強い吸収を示すことが分かった。従って、錯体プローブを用いた方が、より低濃度の基質の検出が可能となることが確認できた。
【0091】
Yb 3+ 錯体4種類の近赤外吸収スペクトルの比較
配位子の種類によるYb3+イオンの吸収の違いを調べるために4種のYb3+錯体の近赤外吸収スペクトルを比較した。図2aにスペクトル全体の重ね書きを示す。また、図2bにYb3+イオンの吸収帯付近(図2aの四角枠部分)の拡大図を示す。10233cm-1における強度比はYb(HFC):Yb(HFA):Yb(FOD):Yb(TFC)=0.11:0.03:0.09:0.10であった。Yb(HFA)は他の錯体ほど大きな吸収が見られなかった。なお、11140cm-1、11200cm-1(*)におけるAbs≒0.025の吸収は溶媒由来のものである。
【0092】
Yb 3+ 錯体と無機アニオンとの会合による、近赤外吸収スペクトルの変化の検討
Yb3+錯体にアニオンを加えるとYb3+の近赤外吸収がどのように変化するのかを調べるために、錯体とアニオンの混合試料の測定を行った。Yb(TFC) (10mM)にテトラn-ブチルアンモニウム塩酸塩ntBuNClを1当量加えて測定を行った。なお、以下の検討においても、特に断らない限り、錯体とアニオンの使用量は同様とした。比較結果を図3a及び図3bに示す。図3bは図3aのYb3+イオンの吸収帯付近の拡大図である。なお、図3a及び図3b中、「Cl」はYb(TFC) とClとの1:1アニオン性錯体のスペクトルを示す。
【0093】
図3bでは、10233cm-1における強度比がYb(TFC):Cl=15:8であった。また、Clを加えるとYb3+の吸収が10600cm-1から10520cm-1に、10896cm-1から10800cm-1に、それぞれシフトし、また相対強度比も異なっており、明確に形状の異なるスペクトルが得られた。
【0094】
Yb3+錯体に7種類のアニオンを加えた場合にスペクトルパターンにどのような違いが表れるかを調べた。スペクトル変化を図4a~cに示す。図4aはYb3+錯体としてYb(FOD) を、図4bはYb3+錯体としてYb(HFA)を、図4cはYb3+錯体としてYb(HFC)を、それぞれ用いた場合の結果である。また、図中、凡例番号は、1:Cl、2:Br、3:NO 、4:HSO 、5:HPO 、6:SCN、又は7:PF 、とYb3+錯体との1:1アニオン性錯体を表す。
【0095】
なお、アニオンとしては、以下の試薬を用いた。
【0096】
【表1】
【0097】
また、Yb3+錯体とアニオンとから、1:1アニオン性錯体が生成する反応の概要(水和水は省略)を次に示す。なお、用いたYb3+錯体はいずれもアニオンと1:1錯体を形成することがすでに知られている。
【0098】
【化12】
【0099】
各錯体のアニオンに対する応答を比較するために,Yb3+の吸収が特に見られる4波数における強度をグラフに示した(図5)。なお、当該4波数は次の通りである。
【0100】
【表2】
【0101】
図5において、水色がYb3+錯体1~4のみの場合の強度であり、100%に規格化している。赤はCl、灰色はBr、黄色はNO 、青色はSCN、緑色はHSO 、紫色はHPO 、茶色はPF を1当量加えた時の各波数における強度を示している。また、1はYb(TFC)を、2はYb(FOD)を、3はYb(HFC)を、4はYb(HFA)を用いたことを表す。
【0102】
各波数において各アニオン性錯体の吸光度がそれぞれ違う値を示した。このことから、アニオンの種類が異なれば、生成するアニオン性錯体の吸光度パターン形成が異なること、従って当該パターン形成の相違を利用してアニオンの同定(パターン認識)が可能であることが分かった。このことから、Yb3+錯体がアニオン検出のための近赤外分光法プローブとして有用であることもわかった。特に、Yb(FOD)を用いたときに最も大きな変化が見られたことから、Yb(FOD)が中でも好ましいことがわかった。
【0103】
検量モデルの作成
得られたスペクトルデータから検量モデルを作成した。各アニオンの濃度情報を以下のようにデータ行列として入力した。単位はmMである。
【0104】
【表3】
【0105】
各Yb3+錯体につき4波長での吸光度データ(下記表4に示す)を解析に用いた。表4では、各Yb3+錯体をアルファベット小文字で表しており、Yb(FOD)をd、Yb(HFA)をa、Yb(HFC)をcと表記する。なお、アルファベット小文字の後に波数を示し、セル中の数値は吸光度を表す。
【0106】
【表4】
【0107】
これらのデータ入力により、sample1~7のそれぞれに対して計12点の吸光度データを与えた。当該入力データに基づき回帰モデルを作成した。回帰モデルは、部分最小二乗法(PLS法)により当該データを多変量解析して作成した。
【0108】
解析用に用いた12点の波数において7種類のアニオンはわずかながらもそれぞれ異なる吸光度変化を示しているため、原理的に、この7種のアニオンの混合試料において、各成分を検出するのみならず、各成分の濃度をも求めることができる。ただし、例えばYb3+錯体の濃度が10mMの場合、アニオンの濃度が合計10mMを超えると変化が飽和するため、10mMが測定できるアニオン濃度の上限となる。
【0109】
検量モデルを用いたアニオン検出
試験用のアニオン溶液(単独または2種類のアニオンの混合物)を用いて回帰モデルの予測精度について検討した。3種類のYb3+錯体並びにClが含まれるサンプルを調製し、近赤外吸収スペクトルを測定した。結果を図6に示す。図6では、1はYb(FOD)、2はYb(HFA)、3はYb(HFC)を示す。
【0110】
得られたスペクトルから、解析モデルに用いた時と同じ4波数の吸光度を抜きだし(データTest1;下記表5に示す)予測モデルに入力し7種類のアニオン濃度の予測を行った。モデルが正確であれば[Cl]=10mM、[それ以外のアニオン]=0mMとなるはずである。
【0111】
【表5】
【0112】
PLS回帰分析を行ったアニオンの濃度予測値を因子の数別に下記表6に示す。一般には因子の数を増やすほど(最大5つ)精度は向上する。
【0113】
【表6】
【0114】
因子を5にした場合において,Clの予測値が9.98mM、その他のアニオンは0に近い値を示していることが分かる。特定の因子5を選択することによって10mMとの誤差が0.02となり、良好な結果を得ることができた。当該結果から、当該モデルを用いてアニオン種及び濃度を検出することが可能であることが確認できた。
【0115】
Yb 3+ 錯体と有機カルボン酸アニオンの会合による、近赤外吸収スペクトルの変化の検討
有機カルボン酸アニオンの測定が可能かを検討した。有機カルボン酸アニオンは有機カルボン酸塩を水に溶解して電離させることで生じる。そこで、測定用溶媒をアセトニトリルから水及びアセトニトリルの混合液(混合体積比は水:アセトニトリル=10:90)に変更し、さらに当該測定溶媒に有機カルボン酸塩(具体的には、グルタミン酸、アスパラギン酸、アラニン、酢酸、安息香酸、若しくは乳酸のナトリウム塩)を溶解させ、近赤外吸収スペクトルを測定した。より具体的には、次のようにして測定した。ランタノイド錯体の20mM溶液Aと各種カルボン酸の100mM水溶液B(1M NaOHを用いてpHを7付近に調整したもの)を調製した。溶液Aと水溶液Bを混合し、測定用の溶液を調製した。最終的なランタノイド錯体の濃度は5.0 mMとした。この溶液をネジ口ガラスサンプル瓶(容量10mL、光路長1.8cm)に入れ、Bruker社の近赤外測定装置(MPA)で測定した。測定範囲は4000~12500cm-1、積算回数は256回とした。
【0116】
(1)ランタノイド錯体とアニオンを混合した溶液、(2)ランタノイド錯体のみを含む溶液、及び(3)溶媒のみ、の測定を行い、それぞれ得られたスペクトルに対して2次微分処理を行った後(測定ごとのベースラインの変動(縦軸のずれや傾き)成分の影響を除くため)、(1)と(2)との差スペクトル(以下、「差スペクトル(1-2)」ということがある)、あるいは(1)と(3)との差スペクトル(以下、「差スペクトル(1-3)」ということがある)を作成し、これをアニオンに対する応答成分とした。アミノ酸3種類の結果(差スペクトル(1-2))を図8a及び8bに示す。また、グルタミン酸、酢酸、安息香酸、及び乳酸の結果(差スペクトル(1-3))、並びにランタノイド錯体のみの結果((2)と(3)との差スペクトル;以下「差スペクトル(2-3)」ということがある)を、図9a及び9bに示す。
【0117】
図8a及び8bからわかるように、アミノ酸3種類(グルタミン酸(赤)、アスパラギン酸(青)、アラニン(緑))に対する応答成分を比較すると、グルタミン酸、アスパラギン酸は10250cm-1付近のシグナルに大きな変化を示したのに対し、アラニンではシグナル変化が小さかった。アラニンはpH7付近では両性イオンとして存在し、トータルの電荷が0であるため、希土類錯体への結合が十分に起こらなかったためと考えられる。グルタミン酸とアスパラギン酸はアミノ酸側鎖にもカルボキシル基を有するため、pH7付近では負電荷をおびる。両者のシグナル変化は極めて類似しており、用いた錯体ではこれら2種類の区別は困難であった。また10300~11100cm-1の範囲にもYb由来の遷移による小さいシグナルが多数存在するが、この部分も基質の添加に伴って変化していることがわかった。
【0118】
図9a及び9bからわかるように、いずれの基質に対しても近赤外吸収においてシグナル変化が観察され、その変化の仕方は基質によって異なっていた。なお、図9a及び9bにおいて、グルタミン酸、酢酸、安息香酸、及び乳酸の結果は、それぞれこの順に青、赤、緑、及び黄色で表される。また、ランタノイド錯体のみの結果は、灰色で表される。
また、グルタミン酸、酢酸、安息香酸、及び乳酸の測定結果(差スペクトル(1ー3))について、各波数における2次微分スペクトルの相対強度(錯体のみの場合(差スペクトル(2-3))のシグナル強度を1とする)を円形チャートにしたものを図10に示す。波数ごとに応答が異なっていることがより明確にわかった。
【0119】
トリス(β―ジケトナト)Nd 3+ 錯体を用いた検討
ランタノイドイオンとして、以下の式で表されるトリス(β―ジケトナト)Nd3+錯体(錯体全体として電荷は0)を次の検討に用いた。本明細書では、当該錯体をNd(FOD)(あるいは錯体5)と呼ぶことがある。
【0120】
【化13】
【0121】
Nd(FOD)について、上記「Yb3+錯体と有機カルボン酸アニオンの会合による、近赤外吸収スペクトルの変化の検討」と同様にして、(2)Nd(FOD)のみを含む溶液(溶媒は上記と同じ水及びアセトニトリルの混合液)、(1)Nd(FOD)に加え更にグルタミン酸、酢酸、安息香酸、又は乳酸を加えた溶液、並びに(3)溶媒のみ、について近赤外吸収スペクトルを測定し、2次微分処理を行った後、これらの差スペクトル(差スペクトル(1-3)又は差スペクトル(2-3))を作成し、これをアニオンに対する応答成分とした。
【0122】
図11a及び11bに、Yb(FOD)のみ及びNd(FOD)のみの結果(差スペクトル(2-3))を示す。Nbの吸収帯はYbとは異なり、特に11428cm-1、11561cm-1、及び12450cm-1の3箇所に特徴的なシグナルが現れた。
図12a、12b、及び12cに、グルタミン酸、酢酸、安息香酸、及び乳酸の結果(差スペクトル(1-3))、並びにNd(FOD)ののみの結果(差スペクトル(2-3))を示す。
【0123】
また、グルタミン酸、酢酸、安息香酸、及び乳酸の測定結果(差スペクトル(1ー3))について、各波数における2次微分スペクトルの相対強度(錯体のみの場合(差スペクトル(2-3))のシグナル強度を1とする)を円形チャートにしたものを図13に示す。 いずれの基質に対しても近赤外吸収においてシグナル変化が観察され、その変化の仕方は基質によって異なることがわかった。また、円形チャートであると、波数ごとに応答が異なっていることがより明確にわかった。
【0124】
このように、基質によって変化のパターンが異なることから、Nd錯体も近赤外プローブとして有効であることがわかった。また、ランタノイド錯体であれば、近赤外分光法プローブとして有用であることも強く示唆された。中心金属(ランタノイドイオン)の種類と配位子の種類を掛けあわせることによりプローブの種類を容易に増やすことができるため、検出対象とする基質混合物に応じたプローブの選択の自由度が高まり、よって有用性が非常に高いことも理解される。
【0125】
会合定数の検討
用いた錯体(具体的にはYb(TFC)錯体)とアニオン性基質との溶液(10%HO-90%CHCN)内での錯形成について滴定実験により確認した。実験結果をグラフにして図14a及び14bに示す。滴定実験は、より詳細には次のようにして行った。
【0126】
Yb(TFC)錯体の濃度を一定(1.0 mM)にし、グルタミン酸や酢酸の濃度をYb(TFC)錯体に対し、モル比で0から3当量まで変化させた溶液を多数調製し、近赤外吸収スペクトルを測定した。2次微分スペクトルのYb3+由来のピーク強度の大きい波数を選び、その波数における値を当量に対してプロットすると1当量付近で飽和する曲線(図14a及び14bにおける青い点)が得られたことから、Yb(TFC)錯体あたり、1分子のアニオンが可逆的に結合していることがわかった。1:1の錯形成を仮定した理論式を元にカーブフィッティングを行うと実線(図14a及び14bにおける青線)のようになり、比較的良い一致が見られた。なお、理論曲線と実測値とのずれは図14a及び14bでは赤い点で示されているが、やや系統的な誤差が見られるため、1:1錯体以外の錯体がわずかに形成されている可能性はある。この実験結果から得られた会合定数Kは10~10であり、実験に用いた濃度条件ではアニオンがほぼ定量的にYb錯体に結合することがわかった。
図1a
図1b
図2a
図2b
図3a
図3b
図4a
図4b
図4c
図5
図6
図7
図8a
図8b
図9a
図9b
図10
図11a
図11b
図12a
図12b
図12c
図13
図14a
図14b