(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-08-08
(45)【発行日】2023-08-17
(54)【発明の名称】カオス振動発生装置
(51)【国際特許分類】
H03H 9/24 20060101AFI20230809BHJP
B81B 3/00 20060101ALI20230809BHJP
【FI】
H03H9/24 Z
B81B3/00
(21)【出願番号】P 2020083223
(22)【出願日】2020-05-11
【審査請求日】2022-07-27
(73)【特許権者】
【識別番号】000004226
【氏名又は名称】日本電信電話株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】304021417
【氏名又は名称】国立大学法人東京工業大学
(74)【代理人】
【識別番号】100098394
【氏名又は名称】山川 茂樹
(74)【代理人】
【識別番号】100153006
【氏名又は名称】小池 勇三
(74)【代理人】
【識別番号】100064621
【氏名又は名称】山川 政樹
(74)【代理人】
【識別番号】100121669
【氏名又は名称】本山 泰
(72)【発明者】
【氏名】山口 浩司
(72)【発明者】
【氏名】ホウリ サミール
(72)【発明者】
【氏名】浅野 元紀
(72)【発明者】
【氏名】ルドビコ ミナティ
(72)【発明者】
【氏名】吉村 奈津江
(72)【発明者】
【氏名】小池 康晴
【審査官】志津木 康
(56)【参考文献】
【文献】特表2016-507898(JP,A)
【文献】特開2015-207032(JP,A)
【文献】特開平11-330629(JP,A)
【文献】米国特許第5914553(US,A)
【文献】Alexander Jimenez-Triana et al.,Chaos synchronization of an electrostatic MEMS resonator in the presence of parametric uncertainties,Proceedings of the 2011 American Control Conference,米国,IEEE,2011年06月,pp.5115-5120
【文献】Lin He et al.,A state-space phase-noise model for nonlinear MEMS oscillators employing automatic amplitude control,IEEE TRANSACTIONS ON CIRCUITS AND SYSTEMS,米国,IEEE,2010年01月,Vol.57,No.1,pp.189-199
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B81B1/00-7/04
B81C1/00-99/00
H03H3/007-H03H3/10
H03H9/00-H03H9/76
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
基板から浮いた状態で振動可能なように形成された機械振動子と、
前記機械振動子を励振するように構成された励振部とを備え、
前記励振部は、前記機械振動子の共振周波数での振動を起こす第1の励振信号と、前記第1の励振信号によって起きる安定な振動状態の近傍で、前記機械振動子が秤動運動を起こす第2の励振信号とに応じて前記機械振動子を励振することを特徴とするカオス振動発生装置。
【請求項2】
請求項1記載のカオス振動発生装置において、
前記機械振動子の振動を電気信号に変換するように構成された検出部をさらに備えることを特徴とするカオス振動発生装置。
【請求項3】
請求項1または2記載のカオス振動発生装置において、
前記第1の励振信号の周波数は、前記機械振動子の共振周波数またはその整数倍の周波数であり、
前記第2の励振信号の周波数は、前記第1の励振信号の周波数から前記秤動運動の周波数分だけ離調した周波数であることを特徴とするカオス振動発生装置。
【請求項4】
請求項1または2記載のカオス振動発生装置において、
前記第1の励振信号の周波数は、前記機械振動子の共振周波数またはその整数倍の周波数であり、
前記第2の励振信号の周波数は、前記秤動運動の周波数であることを特徴とするカオス振動発生装置。
【請求項5】
請求項1乃至4のいずれか1項にカオス振動発生装置において、
前記機械振動子を構成する材料として圧電材料を用い、
前記励振部は、前記第1、第2の励振信号に応じた圧電効果による力によって前記機械振動子を励振することを特徴とするカオス振動発生装置。
【請求項6】
請求項1乃至5のいずれか1項にカオス振動発生装置において、
前記機械振動子は、Duffing振動子であることを特徴とするカオス振動発生装置。
【請求項7】
請求項1乃至5のいずれか1項にカオス振動発生装置において、
前記機械振動子は、パラメトリック振動子であることを特徴とするカオス振動発生装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、振動発生装置に係り、特にカオス振動を発生させることが可能なカオス振動発生装置に関するものである。
【背景技術】
【0002】
情報処理装置において、周期的で安定な信号を生成する振動子は、民生機器用装置、通信用装置として広く用いられている。特に、振動子を構成する材料の機械的な変形あるいは弾性的な変形を用いた機械振動子は、薄膜振動子や表面弾性波振動子、MEMS(Microelectromechanical System)振動子として、低消費電力動作が必要とされる携帯端末などの情報処理装置において幅広く用いられている。
【0003】
通常の振動子は、決まった周波数の振動を起こす。これに対して、単純な周期振動ではなく、カオス振動と呼ばれる、より複雑な振動状態を生成する振動子の重要性が、昨今注目を集めている。カオス振動の1つの重要な応用例は機械学習であり、カオスの前駆状態(Edge of Chaos)と呼ばれる状態を用いることにより、リザバー計算と呼ばれる機械学習の手法を効率化できることが知られている。また、疑似乱数発生や秘匿通信技術などへのカオス振動の応用も提案されている。このようなカオス振動を、低消費電力が必要とされる携帯端末等の情報処理装置において効率良く発生させるうえで、機械振動子を用いたカオス振動の発生技術は重要である。
【0004】
図6に、これまでに提案された機械振動子を用いたカオス振動発生装置の代表例の構造を示す。このカオス振動発生装置は非特許文献1に開示されている。機械振動子11は、図示しないシリコン基板の上に形成された支持部12~15によって四隅が支えられている。機械振動子11は、シリコン基板から離間した状態で固定されているので、
図6の矢印Dの方向に変位することが可能である。機械振動子11は、導電性を有する。支持部12~15に形成された電極16~19のいずれかに加える電圧により、機械振動子11の電位を調整することができる。
【0005】
機械振動子11には、櫛形電極22,23が設けられている。シリコン基板上に形成された支持部26,27には、櫛形電極22,23と相対する位置に櫛形電極24,25が設けられている。支持部26,27に形成された電極20,21を通じて外部から櫛形電極24,25に電圧を加えることが可能である。外部から電極16~19のいずれかと電極20あるいは電極21とに加えた直流電圧ならびに交流電圧によって、機械振動子11の従う運動方程式を以下の形にすることが可能である。
【0006】
【0007】
ここで、tは時間、z(t)は機械振動子11の矢印D方向の変位、v(t)は機械振動子11の速度である。β,δ,εは、外部から加える電圧と櫛形電極22~25の形状によって決まる係数である。f(v(t),z(t),t)は、v(t),z(t),tの関数であり、外部から加える電圧と櫛形電極22~25の形状によって決まる関数である。通常、電圧がかけられていない状態では、β<0,δ=0,ε=0であるが、櫛形電極22~25の相対的な形状を調整することにより、係数β,δを正の値とすることが可能である。
【0008】
説明を簡単にするために時間と共に変化する外部からの擾乱がない場合について説明する。すなわちε=0の場合について説明する。この場合においては、機械振動子11は、v(t),z(t)の位相空間におけるハミルトニアンに対する正準方程式に従う。v(t),z(t)の位相空間におけるハミルトニアンを式(3)に示し、正準方程式を式(4)に示す。
【0009】
【0010】
式(3)、式(4)が、ε=0としたときの式(1)、式(2)を導くことは明白である。係数β,δを正の値とした場合に、式(3)で与えられるハミルトニアンH
0(z,v)の関数の形状と、式(4)によって許される機械振動子11の変位z(t)と速度v(t)の軌道の例を
図7に示す。
図7の例では、β=2、δ=1としている。式(4)に従い、機械振動子11の状態を表す2つの変数v(t),z(t)は、ハミルトニアンH
0(z,v)の値が一定となる等エネルギー軌道を巡回する。
【0011】
この軌道には、振動しない安定な状態に対応する2つの安定位置P21,P22と、不安定な鞍部点S21とが存在する。仮に外部から励振力が加わらなければ、機械振動子11は、最もエネルギー的に低い安定位置P21あるいはP22で静止している。この状況は、機械振動子11が、式(3)の右辺第2項で与えられる負のエネルギーにより、電圧がかかっていない場合の静止位置から少しずれた状態で静止していることを意味する。すなわち、機械振動子11は、櫛形電極22~25にかけた電圧により、
図6中の矢印Dで示す2方向のうちどちらか一方に変位した状態で静止することになる。
【0012】
静止している機械振動子11に式(2)の右辺第3項の摂動力εf(v(t),z(t),t)が加わり、この摂動力が角周波数ω0に共鳴すると、変数v(t),z(t)は、安定位置P21あるいはP22から離れ、有限の振動エネルギーを持った等エネルギー軌道に沿って変化することになる。
【0013】
例えば
図7中のO21は、そのような変数v(t),z(t)の軌道の例を表している。この軌道の半径は、摂動力εf(v(t),z(t),t)が大きくなると増加する。例えば
図7中のO22で示されているように、摂動力εf(v(t),z(t),t)の増大により変数v(t),z(t)の軌道が鞍部点S21に近づくと、カオス振動が発生することが知られている(非特許文献2参照)。
【0014】
非特許文献2に開示された方法は、静電力によって機械振動子が振動しない安定点P21あるいはP22を作り出す手順と、安定点P21あるいはP22近傍での振動周波数に共鳴する励振信号を外部から与えることにより、鞍部点S21の近傍を通るように変数v(t),z(t)の軌道を拡大させる手順、という2つの手順でカオス振動を生成していることが特徴である。
【0015】
しかしながら、非特許文献2に開示された従来の方法を用いて、MEMS振動子の安定点と鞍部点とを作り出すためには、数十ボルト以上の高い電圧を電極に印加する必要があり、安定で低エネルギーの動作が困難であるという問題点があった。この問題点の原因は、振動子の静止位置として安定点を作り出すために、外部からのノイズに打ち勝つ十分な大きさの弾性変形を振動子に生じさせる必要があり、高い電圧が必要になるからである。
【0016】
従来のMEMS技術では、静電力以外にも圧電力や光照射による熱膨張力など、様々な力が弾性変形に用いられてきた。しかしながら、圧電力や熱膨張力を用いる場合においても、大きな電圧印加や強い光の照射が必要であり、安定で低エネルギーの動作は困難であった。また、静電力によって振動子の弾性変形を起こすためには、櫛形電極という大きな構造を作製する必要があり、集積化に適していないという問題点もあった。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0017】
【文献】Barry E.DeMartini et al.,“Chaos for a Microelectromechanical Oscillator Governed by the Nonlinear Mathieu Equation”,Journal of Microelectromechanical Systems,Vol.16,No.6,pp.1314-1323,2007
【文献】Francis C.Moon,“Fractal Boundary for Chaos in a Two-State Mechanical Oscillator”,Physical Review Letters,Vol.53,No.10,pp.962-964,1984
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0018】
本発明は、上記課題を解決するためになされたもので、集積化が可能で、従来よりも小さい電圧で駆動できるカオス振動発生装置を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0019】
本発明のカオス振動発生装置は、基板から浮いた状態で振動可能なように形成された機械振動子と、前記機械振動子を励振するように構成された励振部とを備え、前記励振部は、前記機械振動子の共振周波数での振動を起こす第1の励振信号と、前記第1の励振信号によって起きる安定な振動状態の近傍で、前記機械振動子が秤動運動を起こす第2の励振信号とに応じて前記機械振動子を励振することを特徴とするものである。
また、本発明のカオス振動発生装置の1構成例は、前記機械振動子の振動を電気信号に変換するように構成された検出部をさらに備えることを特徴とするものである。
【0020】
また、本発明のカオス振動発生装置の1構成例において、前記第1の励振信号の周波数は、前記機械振動子の共振周波数またはその整数倍の周波数であり、前記第2の励振信号の周波数は、前記第1の励振信号の周波数から前記秤動運動の周波数分だけ離調した周波数である。
また、本発明のカオス振動発生装置の1構成例において、前記第1の励振信号の周波数は、前記機械振動子の共振周波数またはその整数倍の周波数であり、前記第2の励振信号の周波数は、前記秤動運動の周波数である。
また、本発明のカオス振動発生装置の1構成例は、前記機械振動子を構成する材料として圧電材料を用い、前記励振部は、前記第1、第2の励振信号に応じた圧電効果による力によって前記機械振動子を励振することを特徴とするものである。
また、本発明のカオス振動発生装置の1構成例において、前記機械振動子は、Duffing振動子である。
また、本発明のカオス振動発生装置の1構成例において、前記機械振動子は、パラメトリック振動子である。
【発明の効果】
【0021】
本発明によれば、励振部が、機械振動子の共振周波数での振動を起こす第1の励振信号と、第1の励振信号によって起きる安定な振動状態の近傍で、機械振動子が秤動運動を起こす第2の励振信号とによって機械振動子を励振することにより、集積化が可能で、従来よりも桁違いに小さな電圧で駆動できるカオス振動発生装置を実現することができる。
【図面の簡単な説明】
【0022】
【
図1】
図1は、本発明における擬ハミルトニアンの関数の形状と、直交位相振幅の軌道の例を示す図である。
【
図2】
図2は、本発明の実施例に係るカオス振動発生装置の構造を示す斜視図である。
【
図3】
図3は、本発明の実施例における擬ハミルトニアンの関数の形状と、直交位相振幅の軌道の例を示す図である。
【
図4】
図4は、本発明の実施例において交流電圧の角周波数を変化させたときの機械振動子の振動振幅の変化を示す図である。
【
図5A-5C】
図5A-
図5Cは、本発明の実施例において第1の励振信号と第2の励振信号を電極間に加えた場合の機械振動子の直交位相振幅の軌跡を示す図である。
【
図6】
図6は、従来のカオス振動発生装置の構造を示す斜視図である。
【
図7】
図7は、ハミルトニアンの関数の形状と、機械振動子の変位と速度の軌道の例を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0023】
[発明の原理]
本発明においては、(A)カオス振動生成に必要な安定点ならびに鞍部点を、静止状態ではなく振動状態として実現する、(B)安定点からのずれ運動として、安定振動状態の近傍における秤動運動を用いる、という2つの方法により上記の課題を解決する。
【0024】
ある共振角周波数ω0を持つ機械振動子の運動は、以下の式で記述される。
【0025】
【0026】
ここで、z(t)は機械振動子の変位、X(t),Y(t)は直交位相振幅と呼ばれるものである。機械振動子がほぼ共振角周波数ω0における単振動に近い運動をすることより、直交位相振幅X(t),Y(t)は共振角周波数ω0に比較して十分遅い速度で変化すると考えてよい。特に、機械振動子に速度に比例する摩擦があり、外部より共振角周波数ω0と正確に一致する角周波数の励振信号が加わっている場合、直交位相振幅X(t),Y(t)は定数となり、時間と共に変化しない。
【0027】
直交位相振幅X(t),Y(t)が定数となる状態において、機械振動子は共振角周波数ω0で振動している。機械振動子の運動を直交位相振幅X(t),Y(t)を用いて記述することにより、一定の振幅と位相を持つ調和振動が、時間に対して依存性を持たない直交位相振幅X(t),Y(t)によって記述される点が、従来手法における力学変数z,vを用いた記述と異なる点である。
【0028】
外部から加わる励振信号の角周波数が機械振動子の共振角周波数ω0と一致していない場合や、励振信号の振幅が大きく、機械振動子の非線形特性が無視できない場合などにおいては、直交位相振幅X(t),Y(t)は時間の関数となる。この直交位相振幅X(t),Y(t)の変化は、拡張された正準運動方程式で記述される。正準運動方程式は次式となる。
【0029】
【0030】
ここで、h0[X,Y]は擬ハミルトニアンと呼ばれる量である。式(6)式から分かるように、直交位相振幅X(t),Y(t)は、擬ハミルトニアンh0[X,Y]が一定の値をとるような軌道に沿って変化する。
【0031】
機械振動子に非線形性が存在する場合、擬ハミルトニアンh
0[X,Y]にも、X,Yを力学変数とした安定点および鞍部点が出現する。具体的な例は実施例において示すが、擬ハミルトニアンh
0[X,Y]の関数の形状と、直交位相振幅X(t),Y(t)の軌道の例を
図1に示す。
図1では、P31が安定点、S31が鞍部点である。
【0032】
図1は、一見、
図7と同じに見える。非特許文献2に開示された従来の方法との重要な違いは、安定点P31においても機械振動子は決まった周波数で振動しており、この振動の直交位相振幅、すなわち振動振幅と位相とが時間と共に変化しない状況が安定点P31であり、外部から摂動が加わることにより、機械振動子が安定点P31の近傍で、振幅ならびに位相に関する周期的な運動状態になることである。この安定点P31の近傍での周期的運動は秤動運動として知られている。例えば地球を公転する月がある周波数で揺らいで見える現象は、秤動運動として理解されている。
【0033】
従来の方法からの類推から理解されるように、外部からの摂動が秤動運動と共鳴する周波数成分を持つと、例えば
図1の軌道O31で示すように、機械振動子の振動状態は安定点P31から離れて(X,Y)平面における秤動運動の状態になる。この秤動運動が十分大きな軌道半径を持ち、鞍部点S31の近傍に達する状態(
図1の軌道O32)においてカオス振動が発生する。
【0034】
すなわち、本発明では、静止した安定点や鞍部点の代わりに、機械振動子の決まった振動振幅と位相を持つ振動によって安定点ならびに鞍部点を実現し、機械振動子に安定点からずれた周期的運動、すなわち秤動運動をさせることにより、カオス振動を発生させることが特徴である。
以上をまとめると、本発明においては、以下の(I)、(II)の2つの点に特徴がある。
【0035】
(I)機械振動子の安定点における振動を起こすために、共振周波数における振動を起こす第1の励振信号を外部から加える。
(II)第1の励振信号によって起こされた安定な振動状態の近傍で、秤動運動を起こす第2の周波数の励振振動(摂動)を外部から加えることにより、カオス振動を発生させる。
【0036】
すなわち、本発明では、従来のように機械振動子の変数v(t),z(t)を時間と共に変化させる方法の代わりに、機械振動子の直交位相振幅X(t),Y(t)を時間と共に変化させる方法を用い、v-z平面における安定位置P21,P22ならびに鞍部点S21の代わりに、X-Y平面における安定位置P31ならびに鞍部点S31によって規定される運動状態によってカオス振動を発生させる点に特徴がある。
【0037】
なお、同様に機械振動子において、複数の周波数の交流電圧を加えて論理演算を行う方法が特許第5451512号公報に示されているが、本発明では、外部から加える複数の信号が合成されて作り出す周波数成分に、秤動運動の周波数と一致するものが含まれている点が特徴となっている。
【0038】
本発明における決まった振動振幅と位相を持つ振動状態は、機械振動子が持つ共鳴現象を使って起こすことができるため、従来の方法における静的な弾性変形に比べて、桁違いに小さな電圧で安定点を作り出すことができる。また、本発明では、櫛形電極やレーザ等の構造を組み込む必要がなく、従来の方法に比べて桁違いに安定で、消費電力が小さく、かつ集積度の高いカオス振動子を作製することが可能である。
【0039】
[実施例]
以下、本発明の実施例について図面を参照して説明する。
図2は本発明の実施例に係るカオス振動発生装置の構造を示す斜視図である。本実施例では、化合物半導体を用いたカオス信号発生装置の例について説明する。
【0040】
カオス振動発生装置は、例えば面方位が(001)のGaAsからなる基板41の上に、単結晶のAl0.7Ga0.3Asからなる犠牲層42と、シリコンがドープされた単結晶の導電性GaAsからなる導電層43と、単結晶のAl0.3Ga0.7Asからなる絶縁層44とから構成される積層構造体を備えている。
【0041】
カオス振動発生装置には、上述した積層構造体により、支持部100と,支持部101と、支持部100,101によって両端が支持された梁状の機械振動子102とが形成されている。機械振動子102は、導電層43と絶縁層44とから構成される。機械振動子102は、下面が基板41の表面より離間し、機械振動子102と基板41との対向面の間に空間を形成している。このように基板41から離間した状態で固定することにより、機械振動子102は、積層構造体が形成された基板41の主面に対して垂直な方向に振動可能なようになっている。
【0042】
一方の支持部100の絶縁層44の上には、電極46aが形成されている。他方の支持部101の上には、電極46bが形成されている。これら電極46a,46bは、半導体よりなる絶縁層44に対してショットキー接合を形成する金属材料から構成され、例えば、Ti層とこの上に形成されたAu層との積層構造体からなる。また、支持部100の一部の絶縁層44を除去することで露出した導電層43の上には、電極47が形成されている。電極47は、導電層43にオーミック接続する金属材料から構成され、例えば、AuGeNi合金からなる。
以上のようなカオス振動発生装置の梁構造の作製方法の詳細については、例えば特許第5006402号公報に開示されている。
【0043】
電極46aには、交流電圧発生器48の出力端子が接続される。電極46bには、電圧増幅器49の入力端子が接続される。電極47は、グラウンドに接続される。支持部100の絶縁層44と電極46a,47と交流電圧発生器48とは、機械振動子を励振する励振部103を構成している。支持部101の絶縁層44と電極46bと電圧増幅器49とは、機械振動子の振動を電気信号に変換する検出部104を構成している。
【0044】
交流電圧発生器48は、電極46aと電極47の間にω1,ω2の2つの角周波数成分を持つ交流電圧VACを、それぞれの振幅V1,V2の大きさで印加する。交流電圧VACは、次式のように表すことができる。
VAC=V1cosω1t+V2cosω2t ・・・(7)
【0045】
このように交流電圧VACを印加すると、圧電材料(絶縁層44)が有する圧電効果により、機械振動子102は励振される。機械振動子102が振動すると、絶縁層44が有する圧電効果により、振動振幅に比例した電圧信号が電極46bに発生する。電圧増幅器49は、電極46bで発生した電圧信号を増幅して出力する。
【0046】
図2に示した梁構造の機械振動子は、Duffing振動子として振る舞うことが良く知られている。すなわち、外部から加えられる電圧をV(t)としたとき、機械振動子102の変位z(t)は、摩擦を無視すると、次式によって記述される。
【0047】
【0048】
σは係数、v(t)は機械振動子102の速度である。特に機械振動子102に張力がかかっていない場合には、係数σは正の値をとる。式(8)、式(9)より、電圧V(t)がかかっていない場合のハミルトニアンH0(z,v)を求めると、次式となる。
【0049】
【0050】
式(3)と異なる点は、式(10)の右辺第2項の符号である。この符号が正であるため、式(3)とは異なり、変数v(t),z(t)を用いて記述した場合、安定点はz=v=0のみにしか存在しない。したがって、機械振動子102の構造では、従来と同じ方法でカオス振動を発生させることはできない。
【0051】
次に、
図2の電極46aと電極47の間に第1の励振信号V(t)=V
1cosω
1tを加えた場合を考える。機械振動子102の運動方程式は、式(8)、式(9)より次式のように記述される。
【0052】
【0053】
機械振動子102の変位z(t)を式(5)で表し、式(11)、式(12)が式(6)と一致するような擬ハミルトニアンh0[X,Y]を求めると、次式で記述される。
【0054】
【0055】
ここでは、Δ=(ω
1-ω
0)/ω
0とした。ω
0は機械振動子102の共振角周波数である。式(13)の擬ハミルトニアンh
0[X,Y]の関数の形状と、直交位相振幅X(t),Y(t)の軌道の例を
図3に示す。
図3に示す形状は
図1とは異なるが、擬ハミルトニアンh
0[X,Y]は、
図7と同様に安定点P51,P52と鞍部点S51とを有することが分かる。したがって、機械振動子102は、外部からω
1=ω
0(1+Δ)の周波数で励振信号が加えられた場合、2つの異なる振幅の振動状態が生じることになる。
【0056】
電圧V(t)の角周波数ω
1が機械振動子102の共振角周波数ω
0に近い値の場合、共鳴現象により機械振動子102は有限の大きさで振動する。摩擦の効果を考慮に入れ、角周波数ω
1を連続的に変化させた場合の機械振動子102の振動振幅の振る舞いを
図4に示す。
【0057】
図4から明らかなように、外部から加える交流電圧の角周波数ω
1を減少させた場合(
図4の61)と、角周波数ω
1を増加させた場合(
図4の62)で、機械振動子102の振動振幅は、異なる周波数依存性を示すことが分かる。
図4のω
Aの近傍において交流電圧の角周波数ω
1を減少させた場合、機械振動子102はP61で示される小さな振動振幅で振動する。ω
Aの近傍において交流電圧の角周波数ω
1を増加させた場合、機械振動子102はP62で示される大きな振動振幅で振動する。P61,P62は、それぞれ擬ハミルトニアンh
0[X,Y]の2つの安定点P51,P52に対応する。すなわち、振動振幅が異なる2つの状態が現れる。
【0058】
次に、外部から加える交流電圧の角周波数をこのような双安定状態が現れるω
Aに固定し、一方の安定状態、例えば
図3のP51(すなわち
図4における振動振幅P61)から出発し、第2の角周波数の励振振動を与える第2の励振信号V
2cosω
2tを電極46aと47の間に加える。
【0059】
通常、交流電圧の角周波数ω
2の値が機械振動子102の共振角周波数ω
0と大きく異なっている場合、第2の励振信号V
2cosω
2tは機械振動子102の振動にほとんど効果を与えない。しかし、機械振動子102の直交位相振幅X(t),Y(t)が
図3の安定点P51の周りを周回する軌道、例えばO51の軌道と一致するような第2の励振信号V
2cosω
2tを加えた場合、機械振動子102に秤動運動が起こる。Duffing振動子の場合、秤動運動の周波数Ω
Lは次式で与えられる。
【0060】
【0061】
ここで、A
0は安定点における機械振動子102の振動振幅である。第1の励振信号として振幅V
1=3V、角周波数ω
1=2π×1566.63kHzの交流電圧を電極46aと47の間に加え、同時に第2の励振信号として振幅V
2=2.1V、角周波数ω
2=ω
1±2π×δfの交流電圧を加えた場合の機械振動子102の直交位相振幅X(t),Y(t)の軌跡を
図5A~
図5Cに示す。δfは第1の励振信号と第2の励振信号の周波数差である。
図5Aはδf=4Hz、
図5Bはδf=3.2Hz、
図5Cはδf=2Hzの場合を示している。P71,P72は安定点、S71は鞍部点である。
【0062】
三角関数の加法定理から明らかなように、δfの周波数成分の励振力が機械振動子102に加わることになる。秤動運動の周波数Ω
Lは、本実施例のカオス振動発生装置において凡そ2Hzである。
図5A~
図5Cによれば、δfが2Hzに近づくにつれて、機械振動子102の秤動運動が大きな軌道を描き、最終的にはカオス的な振る舞いを示すことが確認された。
【0063】
このように、本実施例では、角周波数が機械振動子102の共振角周波数ω0と等しい第1の励振信号と、角周波数が第1の励振信号の角周波数から秤動運動の周波数分だけ離調した第2の励振信号とを電極46aと47間に加えることにより、Duffing形の機械振動子102にカオス振動を発生させることに成功した。本実施例のカオス振動発生装置を動作させるのに必要な第1、第2の励振信号の電圧は、本実施例において僅か1~2V程度である。したがって、本実施例では、櫛形電極などの大きな構造を用いずに、従来の方法よりも桁違いに小さな電圧でカオス振動を生成することができる。
【0064】
本実施例においては、第1の励振信号の角周波数を機械振動子102の共振角周波数ω0に設定し、第2の励振信号の角周波数を第1の励振信号の角周波数から機械振動子102の秤動運動の角周波数分だけ離調した周波数に設定した。しかし、2つあるいはそれ以上の励振信号が合成されることにより、機械振動子102の秤動運動に対応する周波数が生み出される如何なる周波数の励振振動を加えることも可能である。
【0065】
例えば、第1の励振信号の角周波数を機械振動子102の共振角周波数ω0の整数倍に設定した場合においても、系の持つ非線形特性により、秤動運動に対応する周波数が生み出され、カオス振動を発生させることが可能になる。具体的には、第1の励振信号の角周波数を機械振動子102の共振角周波数ω0の整数倍に設定し、第2の励振信号の角周波数を第1の励振信号の角周波数から機械振動子102の秤動運動の角周波数分だけ離調した周波数に設定してもよい。また、第1の励振信号の角周波数を機械振動子102の共振角周波数ω0またはその整数倍に設定し、第2の励振信号の角周波数を機械振動子102の秤動運動の角周波数に設定してもよい。
【0066】
また、本実施例においては、機械振動子102としてDuffing振動子を用いたが、これに限定されるものではない。非線形振動子として用いられており、擬ハミルトニアンh0が安定点ならびに鞍部点を有するパラメトリック振動子を機械振動子102として用いても、カオス振動を発生させることが可能である。
【0067】
また、本実施例においては、両持ち梁構造の機械振動子102を用いたが、秤動運動が引き起こされる非線形振動子であれば、片持ち梁構造の機械振動子や、ねじり梁構造の機械振動子、周辺が固定された薄膜構造の機械振動子など、あらゆる形態の機械振動子の利用が可能であることはいうまでもない。
【0068】
また、本実施例においては、圧電効果を用いて機械振動と電気信号との間の変換を行う例を示したが、機械振動子102の機械振動を電気信号に変換する方法として、静電結合、半導体の変形ポテンシャル効果、トンネル電流やピエゾ抵抗効果など、あらゆる変換手法を用いることができる。
また、本実施例においては、機械振動の励振、検出あるいは結合に電極を用いる例を示したが、半導体表面近傍に形成した導電層、特に導電性半導体薄膜を電極として用いることができる。
【0069】
また、本実施例においては、機械振動子102を励振する方法として圧電効果による共振周波数の変化を用いたが、機械振動子と電極との間に発生する静電力による共振周波数の変化など、他の方法を用いて機械振動子を励振することも可能である。
【0070】
また、本実施例においては、支持部100,101と機械振動子102の材料として、犠牲層42を構成するAl0.7Ga0.3Asと、導電層43を構成する導電性GaAsと、絶縁層44を構成するAl0.3Ga0.7Asとを用いたが、本発明の趣旨を逸脱しない範囲において、InAs,InP,InSb,InN,GaP,GaSb,GaN,AlP,AlSb,AlNなどを始めとしたあらゆる化合物半導体などの半導体材料を用いてもよい。また、SiやGeなどの単体半導体、あるいはSiNやSiO2、グラフェンやダイヤモンドなど、半導体以外の任意の固体材料を用いてもよい。
【産業上の利用可能性】
【0071】
本発明は、カオス振動を利用する技術に適用することができる。
【符号の説明】
【0072】
41…基板、42…犠牲層、43…導電層、44…絶縁層、46a,46b,47…電極、48…交流電圧発生器、49…電圧増幅器、100,101…支持部、102…機械振動子、103…励振部、104…検出部。