(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-08-10
(45)【発行日】2023-08-21
(54)【発明の名称】量子コンピュータおよびその制御方法、量子もつれ検出装置および量子もつれ検出方法、並びに分子特定装置および分子特定方法
(51)【国際特許分類】
G06N 10/20 20220101AFI20230814BHJP
G06N 10/40 20220101ALI20230814BHJP
G06F 7/38 20060101ALI20230814BHJP
B82Y 10/00 20110101ALI20230814BHJP
【FI】
G06N10/20
G06N10/40
G06F7/38 510
B82Y10/00
(21)【出願番号】P 2021565700
(86)(22)【出願日】2020-12-21
(86)【国際出願番号】 JP2020047703
(87)【国際公開番号】W WO2021125355
(87)【国際公開日】2021-06-24
【審査請求日】2022-06-15
(31)【優先権主張番号】P 2019230969
(32)【優先日】2019-12-20
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】504176911
【氏名又は名称】国立大学法人大阪大学
(73)【特許権者】
【識別番号】504145342
【氏名又は名称】国立大学法人九州大学
(74)【代理人】
【識別番号】110000338
【氏名又は名称】弁理士法人 HARAKENZO WORLD PATENT & TRADEMARK
(72)【発明者】
【氏名】谷口 正輝
(72)【発明者】
【氏名】多田 朋史
【審査官】坂庭 剛史
(56)【参考文献】
【文献】特開2015-059824(JP,A)
【文献】HARNEIT, W., et al.,"Architectures for a spin quantum computer based on endohedral fullerenes",physica status solidi (b),Vol.233, No.3,2002年
【文献】MODAK, A.,"Possibility of using Quantum Tunnelling for Quantum Computing",ResearchGate [online],2018年,[2021年01月07日検索], Internet: <URL: https://www.researchgate.net/publication/ 329060090_Possibility_of_using_Quantum_Tunnelling_for_Quantum_Computing>
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G06N 10/00-10/80
G06F 7/38
B82Y 10/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
複数の電極と、
全部または一部が前記複数の電極間に設けられた分子と、
前記分子を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出する検出部とを備え、
前記分子は量子計算を行う量子回路として機能することを特徴とする量子コンピュータ。
【請求項2】
前記トンネル電流の電子が前記分子に入射または出射する複数の位置を量子ビットの列とすることを特徴とする請求項1に記載の量子コンピュータ。
【請求項3】
前記トンネル電流に関する複数の電流レベルを量子ビットの列とすることを特徴とする請求項1に記載の量子コンピュータ。
【請求項4】
前記量子回路に基づき、前記トンネル電流の時系列データを量子ビットの列にエンコードするエンコーダをさらに備えることを特徴とする請求項1に記載の量子コンピュータ。
【請求項5】
複数の電極と、
該複数の電極間に設けられた分子またはその一部を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出する検出部と、
前記トンネル電流に基づくコンダクタンスの値が、高レベルと低レベルとの中間である場合、量子もつれの状態が発生していると判断する判断部とを備えることを特徴とする量子もつれ検出装置。
【請求項6】
複数の電極と、
該複数の電極間に設けられた分子またはその一部を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出する検出部とを備え、
前記分子は、複数の量子ゲートを有する量子回路として機能し、
前記トンネル電流の時系列データを量子ビットの列にエンコードするエンコーダと、
前記複数の量子ゲートの情報を、既知の複数の分子ごとに記憶する記憶部と、
該記憶部から読み出した前記複数の量子ゲートに基づいて、前記量子ビットの列に対し量子計算を行う別の量子回路と、
前記量子計算の結果に基づいて、前記複数の電極間に設けられた分子またはその一部を特定する特定部とをさらに備えることを特徴とする分子特定装置。
【請求項7】
全部または一部の分子が複数の電極間に設けられ、前記分子は量子計算を行う量子回路として機能する量子コンピュータの制御方法であって、
前記分子を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出するステップと、
前記トンネル電流の時系列データに基づき量子ビットの列にエンコードするステップとを含むことを特徴とする量子コンピュータの制御方法。
【請求項8】
複数の電極間に設けられた分子またはその一部を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出するステップと、
前記トンネル電流に基づくコンダクタンスの値が、高レベルと低レベルとの中間である場合、量子もつれの状態が発生していると判断するステップとを含むことを特徴とする量子もつれの検出方法。
【請求項9】
複数の電極間に設けられた分子またはその一部を特定する分子特定方法であって、
複数の量子ゲートを有する量子回路として機能する前記分子またはその一部を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出するステップと、
前記トンネル電流の時系列データを量子ビットの列にエンコードするステップと、
前記複数の量子ゲートの情報を、既知の複数の分子ごとに記憶する記憶部から読み出した前記複数の量子ゲートに基づいて、前記量子ビットの列に対し量子計算を行うステップと、
前記量子計算の結果に基づいて、前記分子またはその一部を特定するステップとを含むことを特徴とする分子特定方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、量子コンピュータおよびその制御方法、量子もつれ検出装置および量子もつれ検出方法、並びに分子特定装置および分子特定方法に関する。
【背景技術】
【0002】
量子コンピュータは、量子力学的な状態の重ね合わせを用いた計算(量子計算)を行うものである。量子コンピュータは、従来のコンピュータ(古典コンピュータ)に比べて、計算速度が著しく速いという特徴を有している。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0003】
【文献】T. D. Ladd, F. Jelezko, R. Laflamme, Y. Nakamura, C. Monroe, J. L. O'Brien, Nature, 464, 45 (2010)
【文献】M. A. Nielsen and I. C. Chuang, Quantum Computation and Quantum Information, Cambridge University Press, Cambridge (2000)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
従来の量子コンピュータは、量子ビットとして、電子、光子等の素粒子を利用するもの、イオンを利用するもの、超電導状態を利用するもの、に大別できる。このような量子ビットを生成し量子計算を行うためには、核磁気共鳴、量子光学、量子ドット、超伝導素子、レーザー冷却などを用い、量子ビットを極低温状態とし、環境からの外乱を受けないように量子状態を堅牢に保持することが必要となる。このため、従来の量子コンピュータは、科学的・工学的に困難な課題に直面している。
【0005】
本発明の一態様は、量子計算を容易に実行できる量子コンピュータを実現することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
上記の課題を解決するために、本発明の一態様に係る量子コンピュータは、複数の電極と、全部または一部が前記複数の電極間に設けられた分子と、前記分子を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出する検出部とを備え、前記分子は量子計算を行う量子回路として機能することを特徴としている。
【0007】
本願発明者らの実験によると、前記トンネル電流を計測した結果、数桁ほども異なる前記複数のコンダクタンスレベルの状態が観測されただけでなく、コンダクタンスレベル間の新奇な中間状態が観測された。この結果を考察したところ、前記中間状態は、後述のように、前記トンネル電流の複数経路を重ね合わせた状態に該当することが判明した。このことから、前記分子は、前記トンネル電流に基づいて量子計算を行う量子回路として機能することになる。前記分子を量子回路として利用することにより、既存の量子コンピュータにて必要であった超伝導状態等が不要となり、その結果、量子計算を容易に行うことができる。
【0008】
また、本態様に係る量子コンピュータでは、前記トンネル電流の電子が前記分子に入射または出射する複数の位置を量子ビットの列とすることが好ましい。この場合、前記分子の構造と、分子軌道(特にフロンティア軌道)と、量子トンネリングに関する分子の軌道ルールとに基づき、前記分子に対応する複数の量子ゲートからなる量子回路を理論的に特定することができる。
【0009】
なお、前記トンネル電流に関する複数の電流レベルを量子ビットの列としてもよい。
【0010】
また、本態様に係る量子コンピュータでは、前記量子回路に基づき、前記トンネル電流の時系列データを量子ビットの列にエンコードするエンコーダをさらに備えることが好ましい。この場合、前記エンコーダは、前記トンネル電流の値によっては複数の量子ビットの重ね合わせ状態についてもエンコードすることが可能である。
【0011】
ところで、上述の重ね合わせた状態は、量子もつれの状態も含有していると考えられる。
【0012】
そこで、本発明の別の態様に係る量子もつれ検出装置は、複数の電極と、該複数の電極間に設けられた分子またはその一部を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出する検出部と、前記トンネル電流に基づくコンダクタンスの値が、高レベルと低レベルとの中間である場合、量子もつれの状態が発生していると判断する判断部とを備えることを特徴としている。
【0013】
上記の構成によると、量子もつれの状態を破壊することなく、量子もつれの状態を検出することができる。
【0014】
本発明のさらに別の態様に係る分子特定装置は、複数の電極と、該複数の電極間に設けられた分子またはその一部を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出する検出部とを備え、前記分子は、複数の量子ゲートを有する量子回路として機能し、前記トンネル電流の時系列データを量子ビットの列にエンコードするエンコーダと、前記複数の量子ゲートの情報を、既知の複数の分子ごとに記憶する記憶部と、該記憶部から読み出した前記複数の量子ゲートに基づいて、前記量子ビットの列に対し量子計算を行う別の量子回路と、前記量子計算の結果に基づいて、前記複数の電極間に設けられた分子またはその一部を特定する特定部とをさらに備えることを特徴としている。
【0015】
上述のように、前記分子は、量子計算を行う量子回路として機能する。また、前記分子を流れるトンネル電流の経路から量子ビットを特定することにより、前記分子は、複数の量子ゲートを有する量子回路として機能する。
【0016】
従って、上記の構成によると、複数の電極間に設けられた未知の分子についてエンコードされた量子ビットの列に対し、既知の分子に関する複数の量子ゲートに基づいて量子計算を行うことにより、前記未知の分子またはその一部を特定することができる。量子計算は極めて迅速に行うことができるので、未知の分子またはその一部を迅速に特定することができる。なお、前記別の量子回路は、既存の量子コンピュータにて利用されるものであってもよいし、量子回路として機能する分子であってもよい。
【0017】
本発明のさらに別の態様に係る量子コンピュータの制御方法は、全部または一部の分子が複数の電極間に設けられ、前記分子は量子計算を行う量子回路として機能する量子コンピュータの制御方法であって、前記分子を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出するステップと、前記トンネル電流の時系列データに基づき量子ビットの列にエンコードするステップとを含むことを特徴としている。
【0018】
上記の方法によれば、上述の量子コンピュータの効果と同様の効果を奏することができる。
【0019】
本発明のさらに別の態様に係る量子もつれの検出方法は、複数の電極間に設けられた分子またはその一部を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出するステップと、前記トンネル電流に基づくコンダクタンスの値が、高レベルと低レベルとの中間である場合、量子もつれの状態が発生していると判断するステップとを含むことを特徴としている。
【0020】
上記の方法によれば、上述の量子もつれ検出装置の効果と同様の効果を奏することができる。
【0021】
本発明の他の態様に係る分子特定方法は、複数の電極間に設けられた分子またはその一部を特定する分子特定方法であって、複数の量子ゲートを有する量子回路として機能する前記分子またはその一部を介して前記電極間を流れるトンネル電流を検出するステップと、前記トンネル電流の時系列データを量子ビットの列にエンコードするステップと、前記複数の量子ゲートの情報を、既知の複数の分子ごとに記憶する記憶部から読み出した前記複数の量子ゲートに基づいて、前記量子ビットの列に対し量子計算を行うステップと、前記量子計算の結果に基づいて、前記分子またはその一部を特定するステップとを含むことを特徴としている。
【0022】
上記の方法によれば、上述の分子特定装置の効果と同様の効果を奏することができる。
【発明の効果】
【0023】
本発明の一態様によれば、量子計算を容易に実行できる量子コンピュータを実現できるという効果を奏する。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【
図1】本発明の一実施形態に係る量子コンピュータの概略構成を示すブロック図である。
【
図2】上記量子コンピュータにおけるコンダクタンス計測部が計測したコンダクタンスの時間変化を示すグラフである。
【
図3】上段は、アデニン分子のHOMOおよびLUMOを示す模式図であり、下段は、量子トンネリングの協調的干渉および相殺的干渉に関する透過関数を示すグラフである。
【
図4】上段が分子の電極間単一配置におけるトンネリング経路の重ね合わせを示す模式図であり、下段が透過関数を示すグラフである。
【
図5】上段が分子の電極間複数配置の重ね合わせを示す模式図であり、下段が透過関数を示すグラフである。
【
図6】上記量子コンピュータにおける上記アデニン分子に対応する複数の量子ゲートからなる量子回路の図である。
【
図7】上記量子回路における量子演算の例を示す図である。
【
図8】本発明の別の実施形態に係る量子もつれ検出装置の概略構成を示すブロック図である。
【
図9】本発明の他の実施形態に係る1分子シークエンサーの概略構成を示すブロック図である。
【
図10】
図2に示す現象に関する考察の理論的裏付けを説明するための図である。
【発明を実施するための形態】
【0025】
以下、本発明の実施の形態について、詳細に説明する。なお、説明の便宜上、各実施形態に示した部材と同一の機能を有する部材については、同一の符号を付記し、適宜その説明を省略する。
【0026】
〔実施形態1〕
本発明の一実施形態について、
図1~
図5を参照して説明する。
【0027】
(量子コンピュータの概要)
図1は、本実施形態に係る量子コンピュータの概略構成を示すブロック図である。
図1に示すように、量子コンピュータ10は、トンネル電流発生部11、電源12、電流センサ13(検出部)、電圧センサ14、コンダクタンス計測部15、および量子エンコーダ16(エンコーダ)を備える構成である。
【0028】
トンネル電流発生部11は、ナノサイズの電極間距離を有する2つの電極20・21の間に1分子22を設けた構成である。電極20・21の間に電源12が適切な電圧を印加することにより、1分子22を介して電極20・21の間を流れるトンネル電流を発生することができる。
【0029】
なお、トンネル電流発生部11は、室温で動作可能である。また、1分子22は、トンネル電流が流れやすい環状化合物であることが好ましいが、これに限定されるものではない。また、1分子22の例としては、ベンゼン、ナフタレン、アントラセン等の芳香族化合物が挙げられ、かつ、DNA(デオキシリボ核酸)の塩基分子であるアデニン、チミン、シトシン、グアニン、およびこれら分子の末端構造が化学的に修飾された類似分子が挙げられるが、これらに限定されるものではない。
【0030】
電流センサ13は、上記トンネル電流を検出するものである。電圧センサ14は、電極20・21の間の電圧を検出するものである。電流センサ13および電圧センサ14のそれぞれは、検出した検出信号をコンダクタンス計測部15に送出する。
【0031】
コンダクタンス計測部15は、電流センサ13および電圧センサ14からの検出信号に基づいて、トンネル電流に関する1分子22のコンダクタンス(電気伝導度)を計測するものである。コンダクタンス計測部15は、コンダクタンスの計測値を量子エンコーダ16に送出する。なお、コンダクタンス計測部15は、コンダクタンスを計測する代わりに上記トンネル電流を計測してもよい。
【0032】
図2は、コンダクタンス計測部15が計測した上記コンダクタンスの時間変化を示すグラフである。
図2の例では、1分子としてアデニンを使用している。
図2を参照すると、コンダクタンスは、低レベルと高レベルとの間を大きく変動していることが理解できる。また、低レベルのコンダクタンスと、高レベルのコンダクタンスとの間に中間レベルのコンダクタンスが出現していることが理解できる。
【0033】
本願発明者らは、
図2に示す現象について鋭意検討を続けた結果、後述の考察を経て下記の結論に到達した。すなわち、1分子22は、トンネル電流の電子(トンネリング電子)が入射または出射する1分子22の位置(サイト)を量子ビットとして、量子計算を行う量子回路として機能し、上記中間レベルでは、上記量子ビットどうしによる量子もつれ状態が発生している。
【0034】
この結論に基づき、量子エンコーダ16は、コンダクタンス計測部15からのコンダクタンスの時系列データを、上記量子ビットの列にエンコードする。量子エンコーダ16は、エンコードした上記量子ビットの列と、後述の量子回路におけるユニタリゲートの回転角の分布とのセットを、上記量子計算の結果として出力する。
【0035】
(考察)
図2に示す現象について、
図3~
図7を参照して考察する。
【0036】
電極20・21間に設けられる物体が巨視的な大きさである場合、上記トンネル電流は、単にオームの法則によって特徴づけられる。一方、上記物体が、例えばナノサイズ~メソサイズの環または分子のような、極めて小さい大きさである場合、上記トンネル電流の経路(電流経路)に関して重ね合わせ状態が出現する。上記電流経路における量子干渉は、超伝導デバイスにおいては、SQUID(Superconducting Quantum Interference Device)として使用されている。
【0037】
一方、分子のシステムでは、上記重ね合わせ状態は少し複雑になっている。分子の「トンネル軌道」(電極との接触位置が明示された状態でのフロンティア軌道)の重ね合わせ状態は、トンネル電流発生部11にて発生するトンネル電流を理解する適当な分子理論である。上記トンネル電流は、1分子22における量子干渉として認識される。すなわち、小サイズのシステムでは、トンネリングの状態は、重ね合わせ状態を含む固有の量子状態である。該量子状態は、量子情報の単位、すなわち量子ビットであり得る。
【0038】
ここで、
図2に示すコンダクタンスの数桁に及ぶ大きな変動を理解するために、量子トンネリングに関する分子の軌道ルールを簡潔に説明する。上記軌道ルールに従うと、上記コンダクタンスは、上記トンネリング電子の入射および出射の位置(すなわち、1分子22におけるサイト)と強い相関を有する。上記軌道ルールから導出される重要な結論は、上記コンダクタンスが増加する協調的な(constructive)位置と、上記コンダクタンスが低減する相殺的な(destructive)位置とが存在することである。これらの位置は、1分子22の分子軌道(MO)によって簡便に予測できる。
【0039】
図3の上段は、上記アデニン分子の最高占有軌道(Highest Occupied Molecular Orbital:HOMO)と、最低非占有軌道(Lowest Unoccupied Molecular Orbital:LUMO)とを示す模式図である。同図において、色の違いは、上記HOMOおよび上記LUMOのMO係数の符号(波動関数の位相のプラス/マイナス符号)の違いに対応する。
【0040】
上記軌道ルールを用いると、量子トンネリングにおける協調的干渉は、上記2つの位置(すなわち、入射位置および出射位置)における2つのHOMO係数の積の符号が、上記2つの位置における2つのLUMO係数の積の符号と異なる場合に発生する。一方、量子トンネリングにおける相殺的干渉は、上記2つのHOMO係数の積の符号が、上記2つのLUMO係数の積の符号と同じである場合に発生する。上記軌道ルールは上記分子のグリーン関数から直接的に導出される。当該グリーン関数は次式で表される。該式において、E、Ei、およびψiは、それぞれ、1分子22におけるトンネリング電子のエネルギ、i番目のMOエネルギ、およびi番目の波動関数である。
【0041】
【数1】
図3の上段の例では、「In」の位置と「Out1」の位置とのペアが、上記協調的干渉に対応し、「In」の位置と「Out2」の位置とのペアが、上記相殺的干渉に対応する。
【0042】
図3の下段は、上記協調的干渉および上記相殺的干渉に関するグリーン関数に基づいてそれぞれ算出された透過関数Tc(E)・Td(E)を示すグラフである。同図では、上記協調的干渉の透過関数Tc(E)が実線で示され、上記相殺的干渉の透過関数Td(E)が一点鎖線で示されている。上記グリーン関数の式により、透過関数Tc(E)・Td(E)の2つのピークはHOMOおよびLUMOに由来することが理解できる。
【0043】
小さな物体に関するコンダクタンスを与えるランダウアモデルによると、トンネル電流発生部11の電極20・21間に小さなバイアス電圧を印加して発生したトンネル電流のコンダクタンスは、電極20・21のフェルミレベルにおける透過関数に比例する。通常、電極20・21のフェルミレベルは、HOMOおよびLUMOの中間付近に位置するので、上記協調的干渉および上記相殺的干渉間のコンダクタンスの差は、著しく大きくなり得る。従って、
図2に示すコンダクタンスの大きな変動は、上記協調的干渉および上記相殺的干渉の結果として認識される。
【0044】
図2に示すコンダクタンスの変動について、コンダクタンスの最大値は、トンネリングにおける上記協調的干渉に由来する一方、コンダクタンスの最小値(
図2では協調的干渉の値より約2桁以上小さい)は、トンネリングにおける上記相殺的干渉に由来することが認識できる。なぜなら、
図3の下段におけるコンダクタンス(フェルミレベルにおける透過係数)は、上記協調的干渉および上記相殺的干渉の間のコンダクタンスの差が数オーダ以上になるからである。
【0045】
次に、中間のコンダクタンスについて検討する。まず、「古典的な」観点から考察する。電極20・21間の1分子22のコンダクタンスは、分子の振動に由来する変化と、分子構造の大きな変形による変化とがある。しかしながら、分子振動に由来するコンダクタンスの変化はコンダクタンスを大きく変えるものではないことが分かっている。よって、分子構造の大きな変形について考察する。
【0046】
当該変形は、上記中間のコンダクタンスを説明する候補の1つとなり得る。しかしながら、当該変形の場合、変形した構造として幾つかのバリエーションを予想でき、従って、上記中間のコンダクタンスとして、広範囲の値が観察される必要がある。これに対し、
図2に示す中間のコンダクタンスは、比較的限定された値である。従って、分子構造の大きな変形は、上記中間のコンダクタンスを説明するには不十分である。
【0047】
次に、「量子的な」観点から考察する。トンネリングに関する上記軌道ルールでは、1つのサイトを「In」または「Out」の位置として選択すると仮定している。しかしながら、上記仮定は、1つの量子(すなわち電子)が、1分子に入射し、或いは、1分子から出射する場合に、1つのサイトを常に選択する必要があることを意味する。このことは、量子トンネル効果において稍簡便過ぎる仮定である。
【0048】
図4は、上段が分子の電極間単一配置におけるトンネリング経路の重ね合わせを示す模式図であり、下段が透過関数T(E)を示すグラフである。同図では、上記協調的干渉の透過関数Tc(E)が実線で示され、上記相殺的干渉の透過関数Td(E)が一点鎖線で示され、上記重ね合わせを考慮して算出された透過関数Ts(E)が二点鎖線で示されている。
【0049】
量子力学では、
図4の上段に示すように、In-Out1のトンネリング経路とIn-Out2とのトンネリング経路との重ね合わせが容易に実現されると考えられる。一方、
図4の下段を参照すると、意外にも、上記重ね合わせを考慮して算出された透過関数Ts(E)は、上記協調的干渉の透過関数Tc(E)と略同じである。このため、上記重ね合わせにおける結果のコンダクタンスは、上記協調的干渉と略同じコンダクタンスとなり、中間のコンダクタンスとはならない。
【0050】
次に考慮されるべき量子的観点は、2つの電極20・21に対する1分子22の相対的配置(configuration)の重ね合わせである。なぜなら、原子核もまた、安定的な位置の間のトンネリングを示す量子力学的な粒子であるからである。
【0051】
図5は、上段が分子の電極間複数配置の重ね合わせを示す模式図であり、下段が透過関数T(E)を示すグラフである。同図では、上記協調的干渉の透過関数Tc(E)が実線で示され、上記相殺的干渉の透過関数Td(E)が一点鎖線で示され、上記重ね合わせを考慮して算出された透過関数Ts(E)が二点鎖線で示されている。
【0052】
図5において、上段左側の模式図は、上段右側の模式図に比べて、1分子22の相対的配置が異なり、その他の構成は同様である。トンネル電流の電子は、
図5の上段左側の相対的配置ではIn-Out1のトンネリング経路にて流れ、
図5の上段右側の相対的配置ではIn-Out2のトンネリング経路にて流れる。
【0053】
量子力学では、
図5の上段左側に示す相対的配置と、
図5の上段右側に示す相対的配置との重ね合わせが容易に実現されると考えられる。そして、
図5の下段を参照すると、上記重ね合わせを考慮して算出された透過関数Ts(E)は、上記協調的干渉の透過関数Tc(E)と上記相殺的干渉の透過関数Td(E)との間に位置している。従って、上記重ね合わせにおける結果のコンダクタンスは、上記中間のコンダクタンスとなる。なお、上記考察の理論的裏付けについては後述する。
【0054】
その結果、下記の結論に達した。すなわち、高いコンダクタンスのデータは、協調的干渉の状態に割り当てられ、かつ、低いコンダクタンスのデータは、相殺的干渉の状態に割り当てられることができる。そして、中間のコンダクタンスのデータは、1分子22の相対的配置の重ね合わせによる協調的-相殺的干渉間の重ね合わせ状態に割り当てられることができる。
【0055】
次に、重ね合わせ状態を含む複数の量子状態をビット列にエンコードする手法について説明する。重ね合わせ状態をエンコードする前に、協調的(すなわち高いコンダクタンス)なトンネリングと相殺的(すなわち低いコンダクタンス)なトンネリングとを、純粋状態として|0>および|1>の二進数を利用してエンコードする必要がある。
図3の上段および
図5の上段に示すトンネリングのプロセスによると、3つのサイトのそれぞれが量子ビットとなり、3つのサイトからなるビット列が最小モデルである。サイト1・2・3は、それぞれ、
図3の上段および
図5の上段に示すIn、Out1、およびOut2のサイトに対応する。
【0056】
ここで、初期のビット列は|100>で表されると仮定する。ここで、第1、第2、および第3のビットは、それぞれ、サイトIn、サイトOut1、およびサイトOut2を示している。従って、|100>は、トンネル電子がサイトInに入射されたことを示している。
【0057】
電子のトンネリングの後は、ビット列として幾つかのパターンが考えられる。例えば、InからOut1への上記トンネリングプロセスを|110>としてエンコードすることができ、InからOut2への上記トンネリングプロセスを|101>としてエンコードすることができる。一方、|110>と|101>との重ね合わせ状態は、|110>+|101>であり、すなわち量子もつれ状態である。
【0058】
ここで注目すべきことは、上記純粋状態|110>、|101>と上記重ね合わせ状態|110>+|101>とを生成できる量子ゲートのシーケンス(量子回路)を構築できることにある。
【0059】
図6は、上記量子コンピュータにおける上記アデニン分子に対応する複数の量子ゲートからなる量子回路の図である。また、
図7は、上記量子回路における量子演算の例を示す図である。
図6および
図7に示すように、上記量子ゲートは、ユニタリゲートおよび制御NOTゲートによって構成される。
【0060】
図7は、上段から順番に、高レベルのコンダクタンス状態、低レベルのコンダクタンス状態、および中間レベルのコンダクタンス状態における量子ビットの列の出力を示している。これら3つの状態は、それぞれ、協調的なトンネリングプロセス、相殺的なトンネリングプロセス、上記重ね合わせのトンネリングプロセスに対応する。すなわち、上記トンネリングプロセスおよびコンダクタンスの計測は、
図6の量子回路に基づく量子コンピュータにおける操作(operation)および読み出しにそれぞれ対応する。そして、注目すべきことは、重ね合わせ状態が重ね合わせ状態として観測されることにある。
【0061】
また、
図6および
図7に示す量子ゲートでは、回転角θで定義されるユニタリゲートが存在する。
図7の結果から容易に理解できるように、回転角θを用いて、上記重ね合わせ状態における上記協調的干渉および上記相殺的干渉の任意の重みづけ(実数)を実現することができる。換言すれば、回転角θの分布は、1分子22の量子力学的特徴の痕跡(signature)を示すことになる。
【0062】
すなわち、中間レベルのコンダクタンスの時系列データをフーリエ変換して、中間のコンダクタンスの度数分布を取得し、取得した度数分布に基づき、回転角θの分布を特定することができる。
【0063】
(効果)
以上より、本実施形態の量子コンピュータ10は、既存の量子コンピュータにて必要であった超伝導状態、極低温等が不要となる。その結果、量子計算を容易に実行することができる。また、トンネル電流発生部11が室温で動作可能であることから、量子コンピュータ10は、室温で量子計算を実行することができる。
【0064】
また、トンネル電流の電子が1分子22に入射または出射する複数の位置を量子ビットの列とし、入射の有無をそれぞれ1および0に対応させ、出射の有無をそれぞれ1および0に対応させている。この場合、1分子22の構造と、上記分子軌道と、上記分子の軌道ルールとに基づき、1分子22に対応する複数の量子ゲートからなる量子回路(
図6および
図7を参照)を理論的に特定することができる。
【0065】
なお、
図6および
図7を参照すると、サイトInの量子ビットは、トンネル電流を流すための電圧の有無に対応すると考えることもできる。また、サイトOut1の量子ビットは、コンダクタンスが高レベルであるか否かに対応し、かつ、サイトOut2の量子ビットは、コンダクタンスが低レベルであるか否かに対応すると考えることもできる。従って、トンネル電流に関する複数の電流レベル、または該複数の電流レベルに対応する複数のコンダクタンスのレベルを量子ビットの列とすることもできる。
【0066】
また、量子エンコーダ16が回転角θの分布と量子ビットの列を出力するので、コンダクタンス計測部15が計測するコンダクタンスの計測値によっては、複数の量子ビットの重ね合わせ状態についてもエンコードすることができる。なお、上記電圧が所定の値であれば、前記コンダクタンスの値を前記トンネル電流の値に置換することができる。
【0067】
(付記事項)
なお、上記考察では、電極20・21間の1分子22の状態を、緩く束縛された状態、すなわち、微小な運動を許容する状態としているが、これに限定されるものではない。例えば、1分子22の状態が、堅く束縛された状態、すなわち、1分子22の両側が2つの電極20・21にそれぞれ接続している、いわゆる1分子接合の状態であってもよい。
【0068】
また、電極20・21間に配置する分子は、トンネル電流の電子が入射または出射するサイト(量子ビット)の候補(複数指定可)が特定できるのであれば、或いは、上記中間レベルのコンダクタンスが出現するのであれば、複数の分子でもよいし、1分子22の全部または一部でもよい。また、トンネル電流発生部11が3つ以上の電極を備えていてもよい。
【0069】
また、トンネル電流の電子が入射するサイト(量子ビット)を1つとし、当該電子が出射するサイト(量子ビット)を2つとしているが、これに限定されるものではない。入射するサイトの数、および、出射するサイトの数は、1分子22の構造および分子軌道に依存する。
【0070】
また、上記実施形態では、ゲート方式を利用している。一方、アニール方式も原理的には量子ゲート方式と同等の処理が可能であると言われている。従って、上記実施形態がアニール方式でも実現可能であることが予想される。
【0071】
〔実施形態2〕
本発明の別の実施形態について、
図8を参照して説明する。
【0072】
図8は、本実施形態に係る量子もつれ検出装置の概略構成を示すブロック図である。
図8に示す量子もつれ検出装置30は、トンネル電流が流れる1分子22において、量子ビットどうしの量子もつれが発生しているかどうかを検出するものである。
図8に示す量子もつれ検出装置30は、
図1に示す量子コンピュータ10に比べて、量子エンコーダ16に代えて、量子もつれ検出部31(判断部)が設けられている点が異なり、その他の構成は同様である。
【0073】
上述のように、中間レベルのコンダクタンスのデータは、1分子22の相対的配置の重ね合わせによる協調的-相殺的干渉間の重ね合わせ状態に割り当てられることができる。そこで、量子もつれ検出部31は、コンダクタンス計測部15からの計測データに基づき、コンダクタンスの計測値が、
図2に示す中間レベルのコンダクタンスである場合、量子ビットOut1と量子ビットOut2との量子もつれが発生していると判断するものである。
【0074】
上記の構成によると、量子もつれを破壊することなく、量子もつれの状態を検出することができる。
【0075】
〔実施形態3〕
本発明の他の実施形態について、
図9を参照して説明する。
【0076】
図9は、本実施形態に係る1分子シークエンサーの概略構成を示すブロック図である。
図9に示す1分子シークエンサー40(分子特定装置)は、1分子22に流れるトンネル電流を計測することにより、1分子22を特定するものである。
図9に示す1分子シークエンサー40は、
図1に示す量子コンピュータ10に対し、量子ゲート作成部41、量子ゲート記憶部42(記憶部)、量子計算部43(別の量子回路)、および分子特定部44(特定部)を追加した構成である。
【0077】
量子ゲート作成部41は、既知の1分子22に対応する量子ゲートを作成するものである。量子ゲート作成部41は、作成した量子ゲートの情報を量子ゲート記憶部42に記憶させる。
【0078】
具体的には、量子ゲート作成部41は、既知の1分子22の分子構造、分子軌道、および軌道ルールに基づき、例えば
図6に示すような量子ゲートを予め作成する。次に、量子ゲート作成部41は、既知の1分子22に関する中間レベルのコンダクタンスの時系列データをコンダクタンス計測部15から取得し、該時系列データを用いて、量子ゲートに含まれるユニタリゲートU(θ)の回転角θの分布を特定する。
【0079】
そして、量子ゲート作成部41は、作成した量子ゲートおよび回転角θの分布の情報を既知の1分子22の識別情報と共に量子ゲート記憶部42に記憶させる。量子ゲート作成部41は、複数の1分子22について、上記動作を繰り返す。なお、量子ゲート記憶部42が複数の1分子に関する量子ゲートおよび回転角θの分布を予め記憶している場合、量子ゲート作成部41を省略することができる。
【0080】
量子ゲート記憶部42は、複数の1分子22のそれぞれについて、1分子22の量子ゲートの情報とおよび回転角θの分布の情報とを1分子22の識別情報と共に記憶している。なお、1分子22の識別情報は、1分子22の名称または略称であってもよい。
【0081】
量子計算部43は、量子エンコーダ16からの量子ビットの列に対し、量子ゲート記憶部42から読み出した量子ゲートに基づいて量子計算を行うものである。量子計算部43は、計算結果を分子特定部44に送出する。なお、量子計算部43としては、既存の量子コンピュータを利用してもよいし、
図1に示すような、1分子22を用いた量子コンピュータを利用してもよい。
【0082】
具体的には、まず、未知の1分子22について、量子コンピュータ10が動作して、量子エンコーダ16がエンコードした量子ビットの列を量子計算部43に送出する。次に、量子計算部43は、量子ゲート記憶部42から或る既知の1分子22の量子ゲートおよび回転角θの分布を読み出し、回転角θの分布を回転角-θの分布に置換した上で、未知の1分子22に関する上記量子ビットの列を上記量子ゲートの右側から入力して量子計算する。量子計算部43は、計算した量子ビットの列を分子特定部44に送出する。そして、量子計算部43は、量子ゲート記憶部42に記憶された複数の1分子22について上記動作を繰り返す。
【0083】
分子特定部44は、未知の1分子22を特定するものである。具体的には、分子特定部44は、或る既知の1分子22について量子計算部43が量子計算した量子ビットの列が、初期状態の量子ビットの列(
図6の例では、左側の量子ビットの列|100>)に一致する確率が所定値以上であるか否かを判断する。上記確率が所定値以上である場合、未知の1分子22を上記既知の1分子22に特定し、特定結果を外部に通知する。一方、上記確率が所定値未満またはゼロである場合、別の既知の1分子22について上記動作を繰り返す。
【0084】
従って、電極20・21間に設けられた未知の分子22についてエンコードされた量子ビットの列に対し、既知の分子に関する複数の量子ゲートに基づいて量子計算を行うことにより、前記未知の分子またはその一部を特定することができる。量子計算は極めて迅速に行うことができるので、未知の分子またはその一部を迅速に特定することができる。
【0085】
(付記事項)
なお、上記確率の所定値は、複数の既知の1分子22に対し共通の値であってもよいし、個別の値であってもよい。上記確率の所定値が個別の値である場合、下記の動作を行ってもよい。
【0086】
すなわち、或る既知の1分子22について量子コンピュータ10が動作して量子ビットの列を出力する。次に、量子計算部43は、量子ゲート記憶部42から上記或る既知の1分子22の量子ゲートおよび回転角θの分布を読み出し、回転角θの分布を回転角-θの分布に置換した上で、上記量子ビットの列を上記量子ゲートの右側から入力して量子計算する。次に、該量子計算された量子ビットの列が上記初期状態の量子ビットの列に一致するか否かを分子特定部44が判断する。
【0087】
次に、上記動作を繰り返して、分子特定部44は、一致する確率を算出し、算出値を上記所定値として、上記或る既知の1分子22の量子ゲートおよび回転角θの分布と共に量子ゲート記憶部42に記憶する。そして、他の既知1分子22についても上記動作を繰り返す。これにより、複数の既知の1分子22に対応する上記所定値を量子ゲート記憶部42に記憶することができる。
【0088】
また、本実施形態の1分子シークエンサー40は、DNAにも適用可能である。具体的には、1分子シークエンサー40は、DNAを電極20・21間に通過させ、通過中にトンネル電流を流すことにより、通過中の塩基を特定し、これを繰り返すことにより、塩基配列を特定することができる。
【0089】
(理論的裏付け)
最後に、上述の考察の理論的裏付けについて、
図10を参照して説明する。
【0090】
図10は、上記理論的裏付けを説明するための図である。
図10の上段は、原子インデクスを付したアデニン分子の化学式である。
図10の中段は、1分子閉じ込め(Single Molecule Confinement、SMC)の概要図である。
図10の下段は、該SMCの一例に関する1分子と電極との接続位置と全エネルギの計算値との対応を示す表である。図示の例は、
図4および
図5の上段に示す例と同様であり、1分子であるアデニンが、Auからなる2つの電極の間に挟まれて閉じ込められている。該2つの電極の距離は8Åである。
【0091】
(1)コンダクタンスに関するグリーン関数の方法
本章では、分子-コンタクトのコンダクタンスに関する非平衡グリーン関数の方法を紹介する(参考文献1)。1分子が左側電極および右側電極の間に挟まれた状態における分子コンタクトの概要は、
図10の中段に示されている。最初のステップとして、1分子が右側電極のみと相互作用する場合を考え、1電極モデルの結果を2電極モデルに適用する。1電極(すなわち右側電極)のシステムは、強結合ハミルトニアンで表すことができるので、上記システムに関するグリーン関数は、次式で表される。
【0092】
【数2】
ここで、H
MおよびH
Rは、それぞれ、1分子および右側電極のハミルトニアン行列である。H
intは、上記1分子と上記右側電極との間の相互作用Wを表す行列である(
図10の中段を参照)。Iは単位行列であり、0
+は正の符号を有する(物理現象には一切影響しない程度の)小さな数である。上記1分子がアデニンである場合、アデニン孤立分子のハミルトニアン行列を上記H
Mとして使用することができる。上記式(2)を用いると、電極との相互作用が繰り込まれた上記1分子のグリーン関数が次式のように得られる。
【0093】
【数3】
ここで、右側電極の自己エネルギΣ
R(E)は、次式のように表される。
【0094】
【数4】
上記の項((E+i0
+)I-H
R)
-1は右側電極のグリーン関数であり、電極における原子位置情報(構造情報)から、該グリーン関数を容易に計算できる。例えば、
図10の中段は、1次元電極に関する例であり、この場合、上記グリーン関数を解析式にて表すことができ(参考文献2)、上記自己エネルギを直接的に取得できる。右側電極による影響は、上記式(3)に示すように、上記自己エネルギを介して1分子のグリーン関数に導入可能であることが認識される。このことから、上記1電極モデルの結果を、次式のように、上記2つの電極に適用できる。
【0095】
【数5】
ここで、Σ
L(E)は、左側電極(すなわち第2電極)の自己エネルギである。分子のグリーン関数G
M(E)と2つの電極の自己エネルギとを用いると、透過関数Tを次式のように表すことができる。次式において、Tr[A]は、行列Aのトレースである。
【0096】
【数6】
(2)量子状態の収縮の無い観測に関する理論的背景
本章では、量子状態における収縮の無い観測に関する理論的基礎を提供する。下記の2つのステップで説明する。すなわち、ステップ(i)では、HOMO、LUMO等の分子状態(
図3を参照)を含む重ね合わせ状態が、トンネル電流の計測中にどのように維持(すなわち観測)され得るかを説明する。ステップ(ii)では、分子配置の重ね合わせ状態に関する定式化を拡張して、透過関数Tが配置の重ね合わせによってどのように変更されるかを説明する。
【0097】
ステップ(i)の説明は、基本的には、EmberlyおよびKirczenowによって与えられるトンネル電流に関する理論的基礎に従う(参考文献2)。
図10の中段にて示されるシステムにおいて正規化された波動関数Ψは、次式のように表される。
【0098】
【数7】
ここで、|n>(n=-∞,…,-1,1,…,∞)は、複数の電極に関する正規直交基底であり、φ
j(j=1,2,…)は、挟まれた分子の分子軌道である。ここで、nは、電極を構成する原子の通し番号(1軌道/1原子模型を採用)である。展開係数ψ
nおよびc
jは、挟まれた分子と、複数の電極との間の相互作用Wに依存して決定される。Lippmann-Schwinger(LS)方程式は、上記波動関数Ψが上記相互作用によってどのように変化するかを理解する上で有益である。
【0099】
電子が左側電極から出射され右側に透過される場合を考える。左側電極と残り(すなわち、上記分子および右側電極)との相互作用が無い場合、上記電子は、左側電極の固有状態|Φ
0>
【数8】
を用いて表される。一方、上記相互作用が有る場合、上記波動関数は、LS方程式を用いて次式のように表される。
【0100】
【数9】
ここで、G
0は、左側電極および右側電極と上記分子とが分離されたシステムに関するグリーン関数、すなわち、分子が孤立した状態におけるグリーン関数である。上記式(7)および上記式(8)を用いて、次式を得る。
【0101】
【数10】
上記電子が左側電極の先端にて観測される場合、上記波動関数Ψは、次式のように、上記基底|-1>上に射影される。
【0102】
【数11】
なお、上記式(10)について、Wに関する積算は、<-1|W|φ
j>および<1|W|φ
j>に関してのみ非ゼロであり得るという事実を用いた。なぜなら、Wは、左側電極および右側電極と分子との相互作用であるからである。左側電極と上記分子との間に相互作用が無い場合、<-1|Ψ>=(φ
0)
-1が得られ、これは|Ψ>から|-1>への標準的な収縮である。
【0103】
同様に、上記電子が右側電極の先端にて観測される(すなわち透過される)場合を考えることができ、次式のようになる。
【0104】
【数12】
透過関数は|<1|Ψ>|
2として計算される。上記右側電極と上記分子との間に相互作用が無い場合、上記式(11)は、<1|Ψ>=0となり、これは、左側電極から右側電極へのトンネリング電子がゼロであることを示している。
【0105】
上記式(11)によって明白に理解される重要な結論は、右側電極による上記トンネリング電子の観測後でさえも、分子の固有状態の重ね合わせが保持され(すなわち、非収縮であり)得るということである。上記係数cjは、上記分子のグリーン関数G0
Mを用いて表されることができる(参考文献2)。また、分子軌道を原子軌道基底で展開し、上記グリーン関数におけるHOMO-LUMO近似を適用することにより、トンネリングに関する上記分子の伝導軌道ルールがもたらされる(参考文献3)。このルールにより、分子上を電子がトンネリングする場合には、分子のHOMOとLUMOとの重ね合わせにより協調的および相殺的な量子干渉が生じ、それらが伝導度の大きな違いとして実験的に確認される(参考文献4)。
【0106】
次に、ステップ(ii)の説明に進む。ここで、上記2電極に対して相対的に異なる2種類の分子配置A・Bを考える。上記分子が単一の配置(すなわち、AまたはB)を取る場合、配置Aの正規化された波動関数は、次式のように記載される。
【0107】
【数13】
また、配置Bの正規化された波動関数は、次式のように記載される。
【0108】
【数14】
上記分子と複数の電極との間の電荷の移動量は、上記2つの配置で同じであると仮定する。実際、このことは、SMCに関して妥当な条件である。このとき、Σ
j|c
j
A|
2=Σ
j|c
j
B|
2との関係を満たし、これにより、配置Aおよび配置Bの重ね合わせに関する正規化された波動関数は、次式のように記載され得る。
【0109】
【数15】
ここで、<φ
j
N|φ
k
M>=δ
NMδ
jkという関係を利用した。上記式(14)およびLS方程式(上記式(8))を用いると、上記配置の重ね合わせを有する波動関数は、次式のように書き換えられる。
【0110】
【数16】
従って、右側電極における上記トンネリング電子の観測は、次式となる。
【0111】
【数17】
これにより、右側電極によるトンネリング電子の測定は、異なる分子配置の重ね合わせ状態を破壊せず、同様に、各配置における分子の固有状態の重ね合わせ状態も破壊しないという結論が得られる。これが、収縮の無い量子状態の観測における理論的基礎である。
【0112】
最後に、上記重ね合わせ状態に関する透過関数を導出する。単一の配置(すなわち、AまたはB)における透過関数TA(B)は、次式である。
【0113】
【数18】
配置Aおよび配置Bの重ね合わせ状態における透過関数は、次式である。
【0114】
【数19】
最後の変換において、クロスターム(T
A)
1/2(T
B)
1/2からの寄与を省略した。配置Aまたは配置B(或いは両方)が破壊的な干渉に対応する場合、上記項の数が無視できるほど小さいからである。上記式(18)は、T
AおよびT
Bの単純な平均に該当する。この結果は、上記式(14)における配置Aおよび配置Bの同一の重みに由来し、該同一の重みは、挟まれた分子における量子状態のユニタリ操作におけるθ=45°に対応する。
【0115】
(3)全エネルギの計算結果
1分子の各配置と、各配置における全エネルギの計算値とを、
図10の下段に示す。
図10の下段において、例えば、「Au-[N(6);N(3)]-Au」は、電子が、左側電極から、アデニンにおけるインデクス6のN原子およびインデクス3のN原子を介して、右側電極に透過する配置を意味する。また、上記全エネルギの単位はハートリーである。この全エネルギの計算結果から、配置「Au-[N(6);N(3)]-Au」と配置「Au-[N(6);C(1)]-Au」とがほぼ同確率で出現し得ることが理解でき、それぞれの配置が、協調的干渉・相殺的干渉に対応している(
図4を参照)。
【0116】
(4)参考文献
1. S. Datta, Electronic Transport in Mesoscopic Systems, Cambridge University Press, Cambridge, 1995.
2. E. G. Emberly and G. Kirczenow, Antiresonances in molecular wires, J. Phys.:Condens. Matter, 11, 6911 (1999).
3. T. Tada and K. Yoshizawa, Quantum Transport Effects in Nanosized Graphite Sheets. ChemPhysChem 3, 1035 (2002).
4. Y. Li, M. Buerkle, G. Li, A. Rostamian, H. Wang, Z. Wang, D. R. Bowler, T. Miyazaki, L. Xiang, Y. Asai, G. Zhou, and N. Tao, Gate controlling of quantum interference and direct observation of anti-resonances in single molecule charge transport. Nat. Mater. 18, 357 (2019).
本発明は上述した各実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能であり、異なる実施形態にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態についても本発明の技術的範囲に含まれる。
【符号の説明】
【0117】
10 量子コンピュータ
11 トンネル電流発生部
12 電源
13 電流センサ(検出部)
14 電圧センサ
15 コンダクタンス計測部
16 量子エンコーダ(エンコーダ)
20・21 電極
22 1分子
30 量子もつれ検出装置
31 量子もつれ検出部(判断部)
40 1分子シークエンサー(分子特定装置)
41 量子ゲート作成部
42 量子ゲート記憶部(記憶部)
43 量子計算部(別の量子回路)
44 分子特定部(特定部)