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特許7355853細胞の分化状態の評価方法及び細胞培養システム
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-09-25
(45)【発行日】2023-10-03
(54)【発明の名称】細胞の分化状態の評価方法及び細胞培養システム
(51)【国際特許分類】
   C12Q 1/02 20060101AFI20230926BHJP
   C12N 1/00 20060101ALI20230926BHJP
   C12N 5/073 20100101ALI20230926BHJP
   C12M 1/00 20060101ALI20230926BHJP
【FI】
C12Q1/02
C12N1/00 A
C12N5/073
C12M1/00 D
【請求項の数】 13
(21)【出願番号】P 2021570596
(86)(22)【出願日】2020-01-17
(86)【国際出願番号】 JP2020001488
(87)【国際公開番号】W WO2021144956
(87)【国際公開日】2021-07-22
【審査請求日】2022-06-09
(73)【特許権者】
【識別番号】501387839
【氏名又は名称】株式会社日立ハイテク
(74)【代理人】
【識別番号】110000350
【氏名又は名称】ポレール弁理士法人
(72)【発明者】
【氏名】渋谷 啓介
(72)【発明者】
【氏名】河原井 雅子
【審査官】上條 のぶよ
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2017/068727(WO,A1)
【文献】国際公開第2015/166845(WO,A1)
【文献】鈴木崇 他,メタボローム解析によるヒト多能性幹細胞の品質評価技術の開発,島津評論,Vol.70, No.3・4,2014年03月31日,p.123-131
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12Q 1/02
C12N 1/00
C12N 5/073
C12M 1/00
WPI
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞へ分化誘導する培養の際の細胞の分化状態の評価方法であって、
培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化誘導の進行度の指標とし、
前記所望の細胞は脂肪細胞であって、
培養液に含まれるアラニン、セリン、及びグリシンのいずれか2種以上を用いて分化誘導の進行度を判定する細胞の分化状態の評価方法。
【請求項2】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞へ分化誘導する培養の際の細胞の分化状態の評価方法であって、
培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化誘導の進行度の指標とし、
前記所望の細胞は骨芽細胞であって、
培養液に含まれるバリン及びロイシンを用いて分化誘導の進行度を判定する細胞の分化状態の評価方法。
【請求項3】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞へ分化誘導する培養の際の細胞の分化状態の評価方法であって、
培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化誘導の進行度の指標とし、
前記所望の細胞は神経細胞であって、
培養液に含まれるグリシン及びトレオニンを用いて分化誘導の進行度を判定する細胞の分化状態の評価方法。
【請求項4】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞へ分化誘導する培養の際の細胞の分化状態の評価方法であって、
培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化誘導の進行度の指標とし、
前記所望の細胞は脂肪細胞であって、
前記解糖系の代謝物として、グリセルアルデヒド-3-リン酸(GAP)、3-ホスホグリセリン酸(3PG)、ホスホエノールピルビン酸(PEP)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定する細胞の分化状態の評価方法。
【請求項5】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞へ分化誘導する培養の際の細胞の分化状態の評価方法であって、
培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化誘導の進行度の指標とし、
前記所望の細胞は骨芽細胞であって、
前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物として、α-ケトグルタル酸(AKG)、コハク酸(Suc)、フマル酸(Fum)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定する細胞の分化状態の評価方法。
【請求項6】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞へ分化誘導する培養の際の細胞の分化状態の評価方法であって、
培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化誘導の進行度の指標とし、
前記所望の細胞は神経細胞であって、
前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物として、α-ケトグルタル酸(AKG)、コハク酸(Suc)、フマル酸(Fum)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定する細胞の分化状態の評価方法。
【請求項7】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞に分化誘導する細胞培養装置と、
前記細胞培養装置内の培養液を採取する採取装置と、
前記採取装置により採取された培養液に含まれる、2種以上のアミノ酸、又は細胞の代謝に由来する培養液中の成分のうち、解糖系の代謝物のいずれか若しくはトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれかの量を計測する計測装置と、
培養環境ごとの培養液成分の経時変化の情報を記憶する記憶装置と、
前記記憶装置に記憶された前記培養液成分の経時変変化の情報と、前記計測装置の計測結果と、から分化誘導の進行度を判定する演算装置と、を備え、
前記演算装置は、前記2種以上のアミノ酸の経時変化量の比、前記解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又は前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化進行度の指標とし、分化誘導の進行度を判定する細胞培養システムであって、
前記所望の細胞は脂肪細胞であって、
培養液に含まれるアラニン、セリン、及びグリシンのいずれか2種以上を用いて分化誘導の進行度を判定することを特徴とする細胞培養システム。
【請求項8】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞に分化誘導する細胞培養装置と、
前記細胞培養装置内の培養液を採取する採取装置と、
前記採取装置により採取された培養液に含まれる、2種以上のアミノ酸、又は細胞の代謝に由来する培養液中の成分のうち、解糖系の代謝物のいずれか若しくはトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれかの量を計測する計測装置と、
培養環境ごとの培養液成分の経時変化の情報を記憶する記憶装置と、
前記記憶装置に記憶された前記培養液成分の経時変変化の情報と、前記計測装置の計測結果と、から分化誘導の進行度を判定する演算装置と、を備え、
前記演算装置は、前記2種以上のアミノ酸の経時変化量の比、前記解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又は前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化進行度の指標とし、分化誘導の進行度を判定する細胞培養システムであって、
前記所望の細胞は骨芽細胞であって、
培養液に含まれるバリン及びロイシンを用いて分化誘導の進行度を判定することを特徴とする細胞培養システム。
【請求項9】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞に分化誘導する細胞培養装置と、
前記細胞培養装置内の培養液を採取する採取装置と、
前記採取装置により採取された培養液に含まれる、2種以上のアミノ酸、又は細胞の代謝に由来する培養液中の成分のうち、解糖系の代謝物のいずれか若しくはトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれかの量を計測する計測装置と、
培養環境ごとの培養液成分の経時変化の情報を記憶する記憶装置と、
前記記憶装置に記憶された前記培養液成分の経時変変化の情報と、前記計測装置の計測結果と、から分化誘導の進行度を判定する演算装置と、を備え、
前記演算装置は、前記2種以上のアミノ酸の経時変化量の比、前記解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又は前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化進行度の指標とし、分化誘導の進行度を判定する細胞培養システムであって、
前記所望の細胞は神経細胞であって、
培養液に含まれるグリシン及びトレオニンを用いて分化誘導の進行度を判定することを特徴とする細胞培養システム。
【請求項10】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞に分化誘導する細胞培養装置と、
前記細胞培養装置内の培養液を採取する採取装置と、
前記採取装置により採取された培養液に含まれる、2種以上のアミノ酸、又は細胞の代謝に由来する培養液中の成分のうち、解糖系の代謝物のいずれか若しくはトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれかの量を計測する計測装置と、
培養環境ごとの培養液成分の経時変化の情報を記憶する記憶装置と、
前記記憶装置に記憶された前記培養液成分の経時変変化の情報と、前記計測装置の計測結果と、から分化誘導の進行度を判定する演算装置と、を備え、
前記演算装置は、前記2種以上のアミノ酸の経時変化量の比、前記解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又は前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化進行度の指標とし、分化誘導の進行度を判定する細胞培養システムであって、
前記所望の細胞は脂肪細胞であって、
前記解糖系の代謝物として、グリセルアルデヒド-3-リン酸(GAP)、3-ホスホグリセリン酸(3PG)、ホスホエノールピルビン酸(PEP)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定することを特徴とする細胞培養システム。
【請求項11】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞に分化誘導する細胞培養装置と、
前記細胞培養装置内の培養液を採取する採取装置と、
前記採取装置により採取された培養液に含まれる、2種以上のアミノ酸、又は細胞の代謝に由来する培養液中の成分のうち、解糖系の代謝物のいずれか若しくはトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれかの量を計測する計測装置と、
培養環境ごとの培養液成分の経時変化の情報を記憶する記憶装置と、
前記記憶装置に記憶された前記培養液成分の経時変変化の情報と、前記計測装置の計測結果と、から分化誘導の進行度を判定する演算装置と、を備え、
前記演算装置は、前記2種以上のアミノ酸の経時変化量の比、前記解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又は前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化進行度の指標とし、分化誘導の進行度を判定する細胞培養システムであって、
前記所望の細胞は骨芽細胞であって、
前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物として、α-ケトグルタル酸(AKG)、コハク酸(Suc)、フマル酸(Fum)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定することを特徴とする細胞培養システム。
【請求項12】
未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞に分化誘導する細胞培養装置と、
前記細胞培養装置内の培養液を採取する採取装置と、
前記採取装置により採取された培養液に含まれる、2種以上のアミノ酸、又は細胞の代謝に由来する培養液中の成分のうち、解糖系の代謝物のいずれか若しくはトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれかの量を計測する計測装置と、
培養環境ごとの培養液成分の経時変化の情報を記憶する記憶装置と、
前記記憶装置に記憶された前記培養液成分の経時変変化の情報と、前記計測装置の計測結果と、から分化誘導の進行度を判定する演算装置と、を備え、
前記演算装置は、前記2種以上のアミノ酸の経時変化量の比、前記解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又は前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化進行度の指標とし、分化誘導の進行度を判定する細胞培養システムであって、
前記所望の細胞は神経細胞であって、
前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物として、α-ケトグルタル酸(AKG)、コハク酸(Suc)、フマル酸(Fum)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定することを特徴とする細胞培養システム。
【請求項13】
請求項7から12のいずれか1項に記載の細胞培養システムであって、
前記分化誘導の進行度に基づいて、前記細胞培養装置の培養環境を制御する制御装置をさらに備えることを特徴とする細胞培養システム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、例えば、再生医療に使用する細胞を培養する際に適用される細胞の分化誘導の進行度の判定方法及び細胞培養システムに関する。
【背景技術】
【0002】
再生医療では、皮膚、神経、骨、血管などのもとになる細胞(幹細胞)を用いて病気やケガで故障した組織や臓器の機能回復を行う。幹細胞の種類は主に体性幹細胞、胚性幹細胞(ES細胞)、人工多能性幹細胞(iPS細胞)がある。体性幹細胞は、骨髄・脂肪・血液などに微量含まれている未成熟の細胞であり、一定の種類の細胞に分化する。成長すると血液細胞になる造血幹細胞、骨や脂肪などになる間葉系幹細胞、脳の神経になる神経幹細胞などがある。
【0003】
体性幹細胞は患者自身の細胞を採取するので、拒絶反応が起きないという特徴がある。ES細胞は受精卵の一部からつくられ、体のあらゆる細胞になる機能を持っている。iPS細胞は皮膚などの細胞に遺伝子を入れることによりつくられる。ES細胞と同様にあらゆる細胞になるとされる。
【0004】
上記いずれの細胞も採取される量が少なく、未分化の幹細胞を体外で培養し、増殖させ、適切な種類の細胞へと分化誘導を施し、患者に移植することで、特定の疾患を治療することができる。体外で細胞を調製する細胞の製造工程は以下の通りである。
【0005】
工程1:採取された幹細胞の分離・純化
工程2:幹細胞の増殖培養(必要な数まで細胞を増やす)
工程3:幹細胞を目的の細胞もしくは組織に分化誘導
工程4:分化した細胞を適切な形態に製剤・製品化
上記の工程が、すべて無菌状態で行われ、かつ他の細胞に汚染されないように、細胞調製施設(Cell Processing Center)内で行われる。また、上記各工程において、細胞が適切な状態であることの確認のため(工程2では未分化状態の維持、工程3では目的細胞への分化の進行度)、細胞の状態をモニタリングする必要がある。細胞の状態の判定では、特定の細胞に特異的に結合する物質を用いた染色法がよく用いられる。
【0006】
例えば、幹細胞の多くは、通常、TRA-1-60、TRA-1-81、SSEA3、およびSSEA4などの特定の細胞表面タンパク質が発現するため、これらを細胞表面タンパク質に対する抗体を用いた染色にて細胞の未分化状態を判定することができる。一方、分化誘導後の細胞に対しては、脂肪細胞、骨芽細胞、神経細胞などそれぞれに特異的に発現する細胞表面マーカーを利用することができる。
【0007】
上記細胞表面マーカーで染色した細胞は、蛍光顕微鏡による細胞の画像やフローサイトメトリーによる染色細胞の個数およびその蛍光強度により、細胞の状態が判定される。
【0008】
また、特許文献1には、多能性幹細胞が培養された培養培地に含まれる細胞外代謝物の変動値の経時的変化に基づいて、多能性幹細胞の未分化状態を評価する方法が開示されている。さらに、細胞外代謝物として、L-グルタミン酸、L-アラニンおよびアンモニアからなる群が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【文献】WO16/052558
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
上述したような染色法による細胞の状態(主に分化の進行度)の判定方法を治療目的の細胞調製工程に適用するには、以下のような課題がある。
【0011】
染色のため、細胞にマーカーとなる物質を付着させるため、染色した細胞を治療用材料として用いることができない。また、分化誘導後、細胞の移植のタイミング(細胞の状態が最も良い時期)を判定できることが望ましく、そのためには細胞の分化の進行度を経時的にモニタリングする必要がある。染色法では、経時的に細胞を複数回サンプリングする必要があるため、コンタミのリスク増大や手間、時間、細胞の損失、等が生じる。
【0012】
特許文献1の方法は非侵襲的な方法であるが、分化状態の評価指標の精度のさらなる向上が望まれている。
【0013】
そこで、本発明は、細胞を非侵襲的にモニタリングし、細胞の分化の進行度を精度よく判定できる方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
上記課題を解決するために、本発明に係る細胞の分化状態の評価方法は、未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞へ分化誘導する培養の際の細胞の分化状態の評価方法であって、培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化誘導の進行度の指標とし、前記所望の細胞は脂肪細胞であって、培養液に含まれるアラニン、セリン、及びグリシンのいずれか2種以上を用いて分化誘導の進行度を判定することを特徴とする。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、細胞を非侵襲的にモニタリングし、細胞の分化の進行度を精度よく判定できる方法を提供することができる。
【0016】
上記した以外の課題、構成及び効果は、以下の実施形態の説明により明らかにされる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
図1】培養環境、細胞内代謝、細胞品質、培養液成分の関係を示す図である。
図2】細胞培養システムの装置構成を示す図である。
図3】細胞培養システムの装置構成を示す図である。
図4】培養装置の一例を示す図である。
図5】無菌サンプリング方法の例を示す図である。
図6】オフライン計測において細胞状態の判定を行う手順を示す図である。
図7】インライン計測において細胞状態の判定を行う手順を示す図である。
図8】動物細胞における細胞内代謝経路の概略を示す図である。
図9】細胞内代謝解析の原理を示す概略図である。
図10】ヒト間葉系幹細胞において脂肪細胞へと分化誘導を行った際の細胞形態の経時変化を示す図である。
図11】ヒト間葉系幹細胞において脂肪細胞へと分化誘導を行った際の培養液中の細胞外アミノ酸の増減を示す図である。
図12】ヒト間葉系幹細胞において脂肪細胞へと分化誘導を行った際の細胞内代謝反応速度の経時変化を示す図である。
図13】ヒト間葉系幹細胞において脂肪細胞へと分化誘導を行った際の培養液中の指標値の経時変化の一例を示す図である。
図14】ヒト間葉系幹細胞において骨芽細胞へと分化誘導を行った際の細胞形態の経時変化を示す図である。
図15】ヒト間葉系幹細胞において骨芽細胞へと分化誘導を行った際の培養液中の細胞外アミノ酸の増減を示す図である。
図16】ヒト間葉系幹細胞において骨芽細胞へと分化誘導を行った際の細胞内代謝反応速度の経時変化を示す図である。
図17】ヒト間葉系幹細胞において骨芽細胞へと分化誘導を行った際の培養液中の指標値の経時変化の一例を示す図である。
図18】ヒト間葉系幹細胞において脂肪細胞へと分化誘導を行った際の細胞形態の経時変化を示す図である。
図19】ヒト間葉系幹細胞において神経細胞へと分化誘導を行った際の培養液中の細胞外アミノ酸の増減を示す図である。
図20】ヒト間葉系幹細胞において神経細胞へと分化誘導を行った際の細胞内代謝反応速度の経時変化を示す図である。
図21】ヒト間葉系幹細胞において神経細胞へと分化誘導を行った際の培養液中の指標値の経時変化の一例を示す図である。
図22】ヒト間葉系幹細胞において未分化を維持して培養した際の細胞形態の経時変化を示す図である。
図23】ヒト間葉系幹細胞において未分化状態を維持して培養した際の細胞内代謝反応速度の経時変化を示す図である。
図24】ヒト間葉系幹細胞において未分化を維持した場合において脂肪細胞での指標値の経時変化を示す図である。
図25】ヒト間葉系幹細胞において未分化を維持した場合において骨芽細胞での指標値の経時変化を示す図である。
図26】ヒト間葉系幹細胞において未分化を維持した場合において脂肪細胞での指標値の経時変化を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
本発明の一実施形態に係る発明は、細胞内の代謝反応速度と細胞の状態との相関および細胞内の代謝反応速度と細胞外の培養液成分との相関から細胞の状態と細胞外の培養液成分の相関及び判定指標物質を導き出し、記導き出された細胞外の培養液中の指標成分をモニタリングすることで、細胞を非侵襲的にモニタリングし、細胞の分化の進行度を判定する。上記細胞の分化誘導の進行度の評価方法によれば、細胞に対して経時的に且つ非侵襲的に細胞の分化の程度を計測することができる。そのため、培養工程での品質管理や、細胞治療において適切な細胞の移植時期の判断に使用することができる。
【0019】
以下、本発明について詳細に説明する。
【0020】
図1に培養環境、細胞内代謝、細胞品質、培養液成分の関係を示す。図1に示すように、細胞は、培養環境が変わると多くの場合、生化学的な反応として、細胞内シグナル伝達や遺伝子発現などを介して、細胞内の代謝(代謝経路における各反応速度)が変化し(図1中矢印I)、その細胞の性質(細胞の種類などの品質及び増殖速度などの生産性)が変化する(図1中矢印II)。このとき同時に、細胞内代謝の変化により、細胞による栄養成分消費速度や細胞外への老廃物等の分泌速度が変化する(図1中矢印III)。そのため、栄養成分消費速度もしくは老廃物等の代謝物分泌速度は、細胞の状態を反映する(図1中矢印IV)。
【0021】
従って、特定の培養環境の変化に対して、「細胞内の代謝速度」と「細胞の性質」の相関(相関(1))および「細胞内の代謝速度」と「栄養成分の消費速度あるいは代謝物分泌速度(培養液中の成分濃度時間変動)」の相関(相関(2))を事前に取得し、相関(1)と相関(2)の関係より、「栄養成分の消費速度あるいは代謝物分泌速度」と「細胞の性質」(相関(3))を決定することができ、細胞外の培養液成分の濃度の時間変動より細胞の性質を判定することが可能となる。相関(1)~(3)は培養実験により事前にデータベース(DB)化することが望ましく、培養環境の例としては、分化誘導因子、温度、pH、せん断応力、溶存酸素、溶存二酸化炭素、栄養成分濃度、老廃物濃度などが挙げられる。
【0022】
相関(3)の決定手順として、ヒト間葉系幹細胞における分化誘導の場合を挙げる。本結果は、発明者の実験により初めて明らかにされた分化誘導における細胞の状態指標例である。具体的な手順は実施例で述べるが、まず、ヒト間葉系幹細胞を脂肪細胞へ分化させるため、脂肪細胞用分化誘導培地に交換し、徐々に未分化細胞から脂肪細胞へと変化させる。細胞内代謝解析により、分化誘導時の細胞内の代謝反応速度の経時変化を調べると、特定の細胞内の代謝経路(解糖系の一部)が脂肪細胞の分化の進行度と相関する(相関(1))。また、分化誘導時の細胞外の培地成分を測定すると、アラニン、セリン、グリシンの濃度変動と特定の細胞内の代謝反応速度(上記解糖系の一部)と相関を示す(相関(2))。これら相関(1)と相関(2)より、細胞外の培地成分(アラニン、セリン、グリシン)を指標として、脂肪細胞への分化の進行度を推定することができる。実施例では、脂肪細胞への分化のほか、骨芽細胞、神経細胞への分化誘導となるアミノ酸および代謝物の指標を見出している。これら相関を代謝相関データベースとして構築し、参照することで、培養液中の成分変動から培養中の細胞の状態を推定することが可能となる。
【0023】
具体的には、培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸、又は細胞の代謝に由来する培養液中の成分のうち、解糖系の代謝物のいずれか若しくはトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか、を用いて分化誘導の進行度の判定することにより細胞の分化状態の評価できる。また、培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、前記解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又は前記トリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化誘導の進行度の指標とすることが好ましい。
【0024】
脂肪細胞への分化誘導の場合は、培養液に含まれるアラニン、セリン、及びグリシンのいずれか2種以上、又は解糖系の代謝物であるグリセルアルデヒド-3-リン酸(GAP)、3-ホスホグリセリン酸(3PG)、ホスホエノールピルビン酸(PEP)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定することが好ましい。
【0025】
骨芽細胞への分化誘導の場合は、培養液に含まれるバリン及びロイシン、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物であるα-ケトグルタル酸(AKG)、コハク酸(Suc)、フマル酸(Fum)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定することが好ましい。
【0026】
神経細胞への分化誘導の場合は、培養液に含まれるグリシン及びトレオニン、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物であるα-ケトグルタル酸(AKG)、コハク酸(Suc)、フマル酸(Fum)のいずれかを用いて分化誘導の進行度を判定することが好ましい。
【0027】
細胞培養システムについて以下に述べる。
【0028】
〔細胞培養システム〕
図2に本発明の一実施形態に係る細胞培養システムの構成図を示す。細胞培養システムは、細胞培養装置1と、細胞培養装置内の培養液を採取する採取装置(サンプリング装置)2と、培養液中の成分の量を計測する計測装置3と、記憶装置(データデーベース)5と、細胞の分化誘導の進行度を判定する演算装置4と、細胞培養装置の培養環境を制御する制御装置6と、を備える。
【0029】
細胞培養システムは図2の構成に限定されず、細胞を培養し、培養液中の指標となる特定成分をモニタリングし、その成分の変動に基づき細胞の状態を判定できるシステムであれば良い。
【0030】
図3に本発明の他の実施形態に係る細胞培養システムの構成図を示す。例えば、培養液成分分析装置がインラインで測定可能であれば、図3に示すように採取装置2を取り除いた構成にすることも可能である。
【0031】
以下、図2における各装置の説明とシステム操作の手順について述べる。
【0032】
細胞培養装置は、未分化状態の多能性幹細胞を所望の細胞に分化誘導したり、細胞を増殖させるための培養装置である。図4に細胞培養装置10の一例を示す。細胞培養装置は、培養環境を制御するための各種センサ、温度を制御するためのヒーター11、撹拌翼12、通気機構13を有する。各種センサは、pH、溶存酸素濃度(DO)、熱電対などのセンサである。通気機構は、pH及びDOを設定値に維持するため、アルカリ溶液の添加や各種ガス(炭酸ガス、空気、純酸素、窒素など)を液面もしくは液中から通気するための機構である。
【0033】
培養槽周囲に設置されたヒーター11のオン、オフで培養槽内の培養液の温度を所望の値に制御する。細胞を浮遊培養する場合には、培養槽内に攪拌翼12を設け、モータによる駆動で培養槽内を攪拌する。分化誘導では、分化誘導因子を培養槽に添加するか、もしくは培地を増殖培地から分化誘導因子を含んだ分化誘導培地に培地交換を行う。培地交換では、増殖培地を取り除くために、遠心機を用いて細胞と培地を分離する方法もしくは、中空糸膜などのフィルターを用いたろ過により、細胞と培地を分離することができる。
【0034】
採取装置(サンプリング装置)は、培養装置の培養層から培養液を採取する装置である。培養液は経時的に、かつ無菌的にサンプリングできることが好ましい。図5サンプリング装置20を示す。図5に示すように培養槽からサンプリング配管が出ており、通常はバルブ21、22によって閉鎖されている。培養液のサンプリング直前に、バルブ22を開け、スチームライン24から高温水蒸気により配管内を滅菌し、温度が十分冷えた後、バルブ21を開け、ポンプを駆動することで培養液を抜き取る。必要量を抜き取った後、バルブ21を閉じ、ポンプを停止させ、洗浄液による洗浄および高温水蒸気にて滅菌を行い、バルブ22を閉じる。抜き取った培養液は、計測装置により分析される。
【0035】
図5では、配管がステンレスなどの熱に強い素材の場合を例示した。プラスチック製の配管では、予め必要なサンプリング回数分だけプラスチック配管を準備し、培養槽とともにガンマー線などで滅菌しておく。すべての配管にはバルブがついており、サンプリングを行わないときは閉じている。サンプリングでは、1つの配管のバルブを開き、ポンプを稼働することで培養液をサンプリングし、終了後はバルブを閉じる。1度サンプリングに使用した配管、菌の混入を防ぐため、二度と使用しない。あるいは、滅菌溶着/切断装置を用いて無菌的にチューブを交換する方法を採用してもうよい。
【0036】
計測装置は、採取装置により採取された培養液に含まれる、2種以上のアミノ酸、又は細胞の代謝に由来する培養液中の成分のうち、解糖系の代謝物のいずれか若しくはトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれかの成分濃度を計測する装置である。アットラインで使用する場合、クロマトグラフィー、液体クロマトグラフ質量分析計(LC-MS)、ガスクロマトグラフ質量分析計(GC-MS)等を用いることができる。また、インラインで使用する場合、近赤外分光法(NIR)やラマン分光等を用いることができる。インラインの場合、図2に示すサンプリング装置を省略することが可能となり、システムを簡素化できる(図3参照)。培地成分濃度を分析する装置であれば、上記分析計に限定されない。
【0037】
記憶装置(データベース)は、培養環境ごとの培養液成分の経時変化の情報を記憶している。培養環境ごとの培養液成分の経時変化の情報とは、例えば、ヒト間葉系幹細胞の分化誘導の場合における、脂肪細胞への分化では、アラニン、セリン、グリシンの経時変化データ、骨芽細胞への分化では、バリン、ロイシンの経時変化データ、神経細胞への分化では、グリシン、トレオニンの経時変化データである。
【0038】
演算装置は、記憶装置に記憶された培養液成分の経時変変化の情報と、計測装置の計測結果と、から分化誘導の進行度を判定する。計測装置で分析した結果を保存し、培養液成分の経時データの変動を演算し、データベースを参照して、細胞の状態を判定する。演算装置は、培養液に含まれる2種類以上のアミノ酸の経時変化量の比、解糖系の代謝物のいずれか2種以上の経時変化量の比、又はトリカルボン酸回路(TCA回路)の代謝物のいずれか2種以上の経時間変化量の比、を分化進行度の指標として分化誘導の進行度を判定することが好ましい。
【0039】
例えば、特定のアミノ酸の経時変化(差分)と別のアミノ酸の経時変化の比を演算する。アミノ酸の経時変化は細胞による消費もしくは分泌と相関し、異なる2種類のアミノ酸変動の比を取ることで、細胞密度の影響を相殺することができる。あるいは、特定のアミノ酸の経時変化(差分)と細胞密度の経時変化における時間積分の比を演算しても良い(細胞1個あたりのアミノ酸の消費もしくは分泌速度に相当)。
【0040】
制御装置は、分化誘導の進行度に基づいて、前記細胞培養装置の培養環境を制御するための装置である。たとえば、演算装置において、分化誘導の終了と判定されたら、次の工程に進むことを知らせるアラートを出し、次の精製工程へと進む。分化誘導が不十分である場合、そのまま一定の培養環境を維持するように培養環境の制御を継続する。異常と判定された場合、異常であることのアラートを表示し、培養条件の変更で正常に戻せる場合は、培養条件の設定値を変更する。一方、正常に戻せない場合は、培養を中断するように制御を行う。
【0041】
上記装置でシステムを構成することにより、自動で細胞培養を行うことが可能となるが、上記装置の一部を無菌操作による人手で行っても構わない。
【0042】
〔システムの運転〕
細胞培養システム(図2)の運転方法は以下となる。
【0043】
細胞培養装置1にて培養条件を設定し、培養環境が安定した時点で、細胞を培養槽に播種する。細胞を増殖させ、細胞数をモニタリングしながら、所望の細胞数に到達したら、増殖培地から分化誘導培地に交換する。その後、サンプリング装置2を用いて定期的に培養液を抜き取り、計測装置3にて分析する。演算装置にて分析結果について適切な演算が行われた後、データベース(DB)5を照合する。照合結果に合わせ、培養継続もしくは培養を終了の制御をして次の工程に進む、異常の場合、正常復帰もしくは培養停止等を判断し、制御装置にて適切な対応を行う。
【0044】
〔分化誘導進行度判定手順〕
演算装置における判定手順を図6に示す。未分化の細胞を増殖させた後、分化誘導を開始する。その後、定期的に培養液を無菌サンプリングし、培養液中の成分濃度を計測する。培養液中の成分濃度の経時変化を演算し、データベースと照合し、細胞の状態を決定する。このとき所望の細胞に分化していれば、分化誘導の終了をアラートとして表示し、培養を終了する。所望の細胞に分化していない場合は、培養を継続し、所望の細胞に分化するまで、上記手順を繰り返す。
【0045】
図7は、インラインモニタリングにおける細胞の誘導進行度の判定手順を示す。インラインモニタリングでは、無菌サンプリングが省略可能となる。
【0046】
以下、実施例を用いて細胞の分化誘導の進行度の評価方法を詳細に説明する。
【実施例1】
【0047】
ヒト間葉系幹細胞の培養と細胞内代謝解析
<実験で用いた試薬>
培養実験にはヒト間葉系幹細胞(human Mesenchymal Stem Cells;hMSC)をPromo Cell社より購入し,使用した。培地は増殖用には,間葉系幹細胞増殖培地2(Promo Cell社),脂肪細胞への分化には,間葉系幹細胞脂肪細胞分化培地2(Promo Cell社),骨芽細胞への分化には,間葉系幹細胞骨芽細胞分化培地(Promo Cell社),神経細胞分化には,間葉系幹細胞神経細胞分化培地(Promo Cell社)を使用した。また,分化誘導時に使用する細胞足場のフィブロネクチンは,フィブロネクチン溶液(ヒト)(Promo Cell社)を使用した。代謝解析のための実験では,細胞の同位体標識のために,U-13C グルコース(Cambridge Isotope Laboratories社),1-13C グルコース(Cambridge Isotope Laboratories社),天然グルコース(購入時培地に添加済)の3種を,1:1:2の割合で添加した。
【0048】
<未分化幹細胞の調製>
ヒト由来のフィブロネクチン溶液(10μg/ml)を6ウェルプレートに1ml/wellずつ入れ,室温にて1時間プレートコーティングした。フィブロネクチン溶液除去後,hMSCを間葉系幹細胞増殖培地2を用いて所定の細胞密度に調整し,各ウェルに細胞溶液を2mlずつ入れて37℃,5% CO2インキュベータで培養した(脂肪細胞分化と骨芽細胞分化:1×105 cells/well,神経細胞分化:4×104 cells/well)。
【0049】
細胞が所定の密度(脂肪細胞分化の場合:80-90%コンフルエント,骨芽細胞分化の場合:100%コンフルエント,神経細胞分化の場合:60-80%コンフルエント)に達した後,それぞれの分化誘導培地(脂肪細胞分化培地2,骨芽細胞分化培地、神経細胞分化培地)へ培地交換した。3日に1度,培地交換を行った。培地交換の際,交換前の培養液の上清を回収し,後日アミノ酸分析を行った。また,代謝解析のためのサンプル調製も培地交換の時に行った。
【0050】
<細胞内代謝解析のための細胞サンプルの調製>
細胞を同位体標識した6ウェルプレートをインキュベータから取り出し,リン酸緩衝溶液で1回洗浄し,リン酸緩衝溶液を取り除いた後,-20℃に冷やしておいたメタノールを200μLずつ添加し,ウェル一面へ広げた。プレートを氷上に移し,各ウェルに蒸留水を600μLずつ加えた。ピペットマンのチップの先端でウェル表面をこするようにして細胞を剥離し,氷冷してあるマイクロチューブに移した。1分間超音波処理を行った後,クロロホルムを800μL加えた。4℃にてボルテックスミキサにて30分間混合し,遠心器にて遠心分離(11,500rpm,4℃,30分)し,2層に分かれた上層を別のマイクロチューブに移した。一晩エバポレーションにより乾燥させた。
【0051】
乾燥したサンプルに2% methoxyamine hydrochloride(Pierce社)を30μLずつ加え,軽くボルテックスにより混合し,卓上遠心で溶液を下部に集めた後,ヒートブロック上で37 ℃,2時間反応させた。MTBSTFA(N-tert-Butyldimethylsilyl-N-methyltrifluoroacetamide)+1% TBDMCS(tert-butyldimethylchlorosilane)溶液(Pierce社)を45μLずつ加え,軽くボルテックスにより混合し,卓上遠心で溶液を下部に集めた後,ヒートブロック上で55 ℃,1時間反応させた。反応溶液をGC/MS分析用容器に入れ替え,分析まで常温で保管した。
【0052】
GC/MS分析では,Agilent 6890(Agilent社),カラムには30m DB-35MS capillary columnを使用した。測定条件は、3.5℃/minで100℃から300℃まで昇温し,注入口温度は270℃,キャリアガスはヘリウムガスとし,流量1mL/minで分析を行った。
【0053】
<細胞内代謝解析シミュレーション>
シミュレーションでは解析対象となるヒト間葉系幹細胞の細胞内代謝経路を設定する必要がある。本実施例では,動物細胞の細胞内代謝解析を行うため,図8に示す動物細胞で一般に利用される代謝経路モデルを使用した。
【0054】
代謝フラックスの推定方法の概念を図9に示す。シミュレーションでは最初にランダムな代謝フラックスの値(図9のR1からR8)を与え,代謝経路モデルを基に,定常状態での細胞内の各代謝物質に含まれる同位体炭素の数の比を計算する。この計算値と実験で測定した細胞内代謝物質の同位体炭素数比との比較を行い,統計学的に有意差が無い場合は,推定代謝フラックスと決定され,統計学的に有意に差がある場合(異なっている場合)は,シミュレーションによる代謝物質中の同位体数炭素比の値が実験による代謝物質中の同位体炭素数比の値との平均自乗誤差が最小となるように,シミュレーションによる代謝フラックスの値を修正する。
【0055】
修正した代謝フラックスで同位体炭素比を計算し,統計学的な有意差が無くなるまで実験による代謝物質中の同位体炭素数比の値を比較するという操作を繰り返す。通常は2,3回の繰り返し計算で推定できるが,何度繰り返しても統計学的な有意差が生じる場合は,代謝経路モデルが間違っているか,実験データが適切に測定されていないと判断する。
【0056】
上記シミュレーションでは実験による観測パラメータ(細胞内の各代謝物質の同位体炭素数比及び細胞外代謝フラックス)を必要とするが,通常,対象細胞あるいは使用する培地等によって,必要とする観測パラメータは異なる。本実施例では,細胞内代産物として,ALA,GLY,VAL,SER,ASP,GLU,MET,THR,ILE,Lac,PYRの11種類の代謝産物に関して,その断片化された物質(19 種類)をシミュレーションの入力パラメータとし、細胞内の代謝反応速度を計算した。
【実施例2】
【0057】
脂肪細胞への分化誘導における分化の進行度の判定
実施例1に従いhMSCを6ウェルプレート上に未分化の状態で3日間培養し,その後,同位体標識グルコース入りの脂肪細胞分化用培地に交換し,脂肪細胞への分化誘導を行い,分化誘導後3日,6日,9日,12日,15日の細胞に対して細胞形態の観測と代謝解析シミュレーションを行った。
【0058】
図10は,分化誘導後の細胞形態の経時変化を示す位相差顕微鏡像である。分化誘導6日目までは細長い紡錘型の細胞であるが,分化誘導9日目には細胞質内に脂肪細胞の特徴である脂肪滴が見られ,その後,脂肪滴が増大した。これは脂肪細胞への分化が経時的に進んでいることを示している。
【0059】
図1における相関(1)を調べるため、実施例1に示す細胞内代謝解析にて細胞内代謝反応速度の経時変化を測定した。結果は、図11に示すように,解糖系の一部であるGAP → 3PG → PEP(代謝経路1)に経時変化は見られず一定であったが,クエン酸回路の一部であるAKG → SUC → FUM(代謝経路2)は,分化誘導9日目まで代謝反応速度が減少し,その後,若干代謝反応速度が上昇し,分化誘導15日まで安定する相関が見られた。その他の代謝経路は、分化誘導の進捗と相関が見られなかった。
【0060】
次に図1における相関(2)を調べるため、培養液中のアミノ酸濃度の経時変化を測定した。図12は、細胞内の代謝反応の経路と培養液に分泌されるアミノ酸の関係を示し、培養液中のアミノ酸濃度を経時的に計測した結果、脂肪細胞への分化誘導が進むに従い増大する培養液中のアミノ酸を□で囲み、減少するアミノ酸を△で囲み、変化しないアミノ酸を〇で囲んだ。経時変化の見られなかった代謝経路1近傍のアミノ酸でも濃度の変化があるのは,簡易化された本代謝反応経路で考慮されていない分化誘導依存の経路が存在するためである。代謝経路1近くで変化するアミノ酸は,アラニン(Ala),グリシン(Gly),セリン(Ser)の3種類である。
【0061】
アミノ酸濃度変化を指標とする場合,1種類のアミノ酸濃度変化では細胞数密度等の影響を受け,濃度変化の値から正しい細胞の状態を把握することが困難である。そのため,2種類以上のアミノ酸を選択し,その比で細胞数密度の影響をキャンセルした上で評価することが望ましい。図13(a)に上記各アミノ酸の濃度変動の比の経時変化を見ると,分化誘導に合わせて比の値が一定に上昇することがわかる。一方,代謝経路2近傍で変化したアミノ酸は,バリン(Val),ロイシン(Leu),イソロイシン(Ile)等があるが,図13(b)のグラフに示すように,これらの比の経時変化は一定の増加もしくは減少を示さない(相関を持たない)ため,分化誘導の進捗として使用するのは困難であることがわかる。これは、代謝経路2では分化誘導以外の他の外的因子(栄養濃度等)が摂動として働くためと考えられる。
【0062】
このように、分化誘導の進捗度と培養液中のアミノ酸濃度変動と計測しても直接相関(3)を見ることは難しく、細胞の生化学的モデル(本実施例では細胞内の代謝反応速度)を介して、科学的根拠に基づき相関(3)を導き出す必要がある。
【0063】
以上の相関(1)と相関(2)の検討より、培養液中のアラニン,グリシン,セリンが、ヒト間葉系幹細胞の脂肪細胞分化と相関し(相関(3))、これらを指標成分として用いることができる。
【実施例3】
【0064】
骨芽細胞への分化誘導における分化の進行度の判定
実施例1に従いhMSCを6ウェルプレート上に未分化の状態で3日間培養し,その後,同位体標識グルコース入りの骨芽細胞分化用培地に交換し,骨芽細胞への分化誘導を行い,分化誘導後3日,6日,9日,12日,15日の細胞に対して細胞形態の観測と代謝解析シミュレーションを行った。
【0065】
図14は,分化誘導後の細胞形態の経時変化を示す位相差顕微鏡像である。分化誘導3日目までは,細長い紡錘型の細胞であるが,分化誘導6日目には細胞が畳状のパターンを形成している。これは骨芽細胞への分化が徐々に進んでいることを示している。
【0066】
図1における相関(1)を調べるため、実施例1に示す細胞内代謝解析にて細胞内代謝反応速度の経時変化を測定した。結果は、図15に示すように,解糖系の一部であるGAP → 3PG → PEP(代謝経路1)は値がバラツキ不安定で、分化誘導の進行度に依存しないが,クエン酸回路の一部であるAKG → SUC → FUM(代謝経路2)は,経時的に安定して代謝反応速度が上昇し、分化誘導の進行度に依存した。
【0067】
次に図1における相関(2)を調べるため、培養液中のアミノ酸濃度の経時変化を測定した。図16は、細胞内の代謝反応の経路と培養液に分泌されるアミノ酸の関係を示し、培養液中のアミノ酸濃度を経時的に計測した結果、脂肪細胞への分化誘導が進むに従い増大する培養液中のアミノ酸を□で囲み、減少するアミノ酸を△で囲み、変化しないアミノ酸を〇で囲んだ。分化誘導時の培養液中アミノ酸濃度は,図16に示すように,種々のアミノ酸で増減が確認できた。値が不安定であった代謝経路1近傍のアミノ酸のいくつかは増減を示すが,代謝反応速度自体が不安定なため(分化誘導に依存しないため),代謝経路 1近傍のアミノ酸からは指標として選ぶのは適切でないと判断した。
【0068】
一方,代謝経路2近傍で変化したアミノ酸は,バリン(Val),ロイシン(Leu)等が見られ,指標候補としてその比の経時変化を取ると,図17に示すように経時的に増大することがわかる。代謝反応が早くなるのに対し,指標値が減少するのは,バリンの消費が大きいことに起因する。他のアミノ酸(プロリン(Pro)等)に関しては,濃度の変化幅が小さく,指標値の変化がバラツキやすいが、指標値とすることは可能である。
【0069】
以上の相関(1)と相関(2)の検討より、培養液中のバリン、ロイシンが、ヒト間葉系幹細胞の骨芽細胞分化と相関し(相関(3))、これらを指標成分として用いることができる。
【実施例4】
【0070】
神経細胞への分化誘導における分化の進行度の判定
実施例1に従いhMSCを6ウェルプレート上に未分化の状態で3日間培養し,その後,同位体標識グルコース入りの神経細胞分化用培地に交換し,神経細胞への分化誘導を行い,分化誘導後3日,6日,9日,12日,15日の細胞に対して細胞形態の観測と代謝解析シミュレーションを行った。
【0071】
図18は,分化誘導後の細胞形態の経時変化を示す位相差顕微鏡像である。分化誘導3日目で,樹状突起を持つ神経細胞に分化していることがわかる。
【0072】
図1における相関(1)を調べるため、実施例1に示す細胞内代謝解析にて細胞内代謝反応速度の経時変化を測定した。結果は、図19に示すように,解糖系の一部であるGAP → 3PG → PEP(代謝経路1)は値がバラツキ不安定であったが,クエン酸回路の一部であるAKG → SUC → FUM(代謝経路2)は,経時的に安定して代謝反応速度がわずかに上昇することがわかる。
【0073】
次に図1における相関(2)を調べるため、培養液中のアミノ酸濃度の経時変化を測定した。図20は、細胞内の代謝反応の経路と培養液に分泌されるアミノ酸の関係を示し、培養液中のアミノ酸濃度を経時的に計測した結果、脂肪細胞への分化誘導が進むに従い増大する培養液中のアミノ酸を□で囲み、減少するアミノ酸を△で囲み、変化しないアミノ酸を〇で囲んだ。分化誘導時の培養液中アミノ酸濃度は,図20に示すように,種々のアミノ酸で増減が確認できた。
【0074】
値が不安定であった代謝経路1近傍のアミノ酸のいくつかは増加を示すが,代謝反応速度自体が不安定なため,骨芽細胞のときと同様に代謝経路1近傍のアミノ酸からは指標として選ぶのは適切でないと判断した。一方,代謝経路2近傍で変化したアミノ酸は,グリシン(Gly),トレオニン(Thr)等が見られ,指標候補としてその比の経時変化を取ると,経時的に増大することがわかる。グリシン,トレオニンは,代謝経路1の近傍にも存在するが、代謝経路2の代謝反応速度の方が代謝経路1と比較して大きいため、代謝経路1の値のバラツキの影響は少ないものと考えられる。
【0075】
以上の相関(1)と相関(2)の検討より、培養液中のグリシン,トレオニンが、ヒト間葉系幹細胞の神経細胞分化と相関し(相関(3))、これらを指標成分として用いることができる。
【実施例5】
【0076】
分化誘導指標値における未分化維持培養との識別
実施例2~4にて,脂肪細胞,骨芽細胞,神経細胞の指標を決定した。実施例5では,これら指標値は、未分化細胞の増殖と識別できるかを検討する。
【0077】
まず,未分化を維持した状態で細胞を増殖すると図22に示すように紡錘状の細胞が密の状態となった。この増殖過程において代謝シミュレーションを行うと,図23に示すように未分化の状態でも経時的に代謝反応速度が変化していることがわかる。そこで、未分化での細胞増殖において,各分化誘導で決定した指標を用いて指標値の計算を行った。結果を図24~26に示す。図24に示すように脂肪細胞の指標値(アラニン/セリン)では,脂肪細胞の場合は増大し,未分化細胞では減少するため、識別可能である。また,指標値(グリシン/セリン)では,変化幅が大きく異なるため識別可能である。骨芽細胞の場合,図25に示すように指標値(バリン/ロイシン)は,分化誘導で増大し,未分化では変化を示さない。神経細胞の場合,図26に示すように指標値(グリシン/トレオニン)は,分化誘導で正の値をとるのに対し,未分化では負の値をとるため、識別可能である。
【0078】
以上の結果より,本実施例で決定した指標値で,脂肪細胞,骨芽細胞,神経細胞と未分化細胞を識別できることを確認した。
【0079】
なお、本発明は上記した実施例に限定されるものではなく、様々な変形例が含まれる。例えば、上記した実施例は本発明を分かりやすく説明するために詳細に説明したものであり、必ずしも説明した全ての構成を備えるものに限定されるものではない。また、ある実施例の構成の一部を他の実施例の構成に置き換えることが可能であり、また、ある実施例の構成に他の実施例の構成を加えることも可能である。また、各実施例の構成の一部について、他の構成の追加・削除・置換をすることが可能である。
[略語]
【0080】
AcCoA:Acetyl-CoA(アセチルコエンザイムエー)
AKG:α-Ketoglutarate(α-ケトグルタル酸)
Ala:Alanine(アラニン)
Asp:Aspartic acid(アスパラギン酸)
Cit:Citric acid(クエン酸)
DHAP:Dihydroxyacetone phosphate(ジヒドロキシアセトンリン酸)
E4P:Erythrose-4-phosphate(エリトロース-4-リン酸)
Fum:Fumarate(フマル酸)
F6P:Fructose-6-phosphate(フルクトース-6-リン酸)
GAP:Glyceraldehyde-3-phosphate(グリセルアルデヒド-3-リン酸)
Gln:Glutamine(グルタミン)
Glnext:Extracellular Glutamine(細胞外グルタミン)
Gluc:Glucose(グルコース)
Glucext:Extracellular Glucose(細胞外グルコース)
Glu:Glutamic acid(グルタミン酸)
Gly:Glycine(グリシン)
G6P:Glucose-6-phosphate(グルコース-6-リン酸)
Lac:Lactic acid(乳酸)
Lacext:Extracellular Lactic acid(細胞外乳酸)
Mal:Malate(リンゴ酸)
Oac:Oxaloacetate(オキサロ酢酸)
PEP:Phosphoenolpyruvic acid(ホスホエノールピルビン酸)
Pyr:Pyruvate(ピルビン酸)
R5P:Ribose-5-phosphate(リボース-5-リン酸)
Ser:Serine(セリン)
Suc:Succinate(コハク酸)
SucCoA:Succinyl-CoA(サクシニルCoA)
S7P:Sedoheptulose-7-phosphate(セドヘプツロース-7-リン酸)
Thr:Threonine(トレオニン)
3PG:3-phosphoglycerate(3-ホスホグリセリン酸)
【符号の説明】
【0081】
1…細胞培養装置、 2…サンプリング装置、 3…計測装置、 4…演算装置、 5…記憶装置、 6…制御装置、 10…培養槽、 11…ヒーター、 12…攪拌翼、 13…通気機構、 20…サンプリング装置、 21…バルブ1、 22…バルブ2、 23…ポンプ、 24…スチームライン
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11
図12
図13
図14
図15
図16
図17
図18
図19
図20
図21
図22
図23
図24
図25
図26