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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-10-04
(45)【発行日】2023-10-13
(54)【発明の名称】複合体および複合体の製造方法
(51)【国際特許分類】
   B32B 9/00 20060101AFI20231005BHJP
   C01B 32/194 20170101ALI20231005BHJP
   C01B 32/184 20170101ALI20231005BHJP
【FI】
B32B9/00 A
B32B9/00 Z
C01B32/194
C01B32/184
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2019167387
(22)【出願日】2019-09-13
(65)【公開番号】P2021041671
(43)【公開日】2021-03-18
【審査請求日】2022-06-28
(73)【特許権者】
【識別番号】301021533
【氏名又は名称】国立研究開発法人産業技術総合研究所
(72)【発明者】
【氏名】桐原 和大
(72)【発明者】
【氏名】衛 慶碩
(72)【発明者】
【氏名】沖川 侑揮
(72)【発明者】
【氏名】向田 雅一
(72)【発明者】
【氏名】長谷川 雅考
【審査官】深谷 陽子
(56)【参考文献】
【文献】特開2019-064259(JP,A)
【文献】特開2012-204184(JP,A)
【文献】特開2004-255564(JP,A)
【文献】特開2012-036040(JP,A)
【文献】国際公開第2011/074270(WO,A1)
【文献】BALTAZAR Jose, et al.,Photochemical Doping and Tuning of the Work Function and Dirac Point in Graphene Using Photoacid and Photobase Generators,Advanced Functional Materials,2014年,Vol.24,p.5147-5156
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B32B 1/00-43/00
C01B 32/00-32/991
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
N型ドープされた炭素系薄膜と、
前記炭素系薄膜上に設けられ、光塩基発生剤に由来する塩基の誘導体で、正電荷を帯びた塩基誘導体と、
前記炭素系薄膜上に設けられ、前記光塩基発生剤から前記塩基が脱離した物質に由来する酸誘導体と、
前記塩基誘導体および前記酸誘導体の上に設けられた前記光塩基発生剤と、
を有する複合体。
【請求項2】
紫外光を透過する基材上に設けられ、N型ドープされた炭素系薄膜と、
前記炭素系薄膜上に設けられ、光塩基発生剤に由来する塩基の誘導体で、正電荷を帯びた塩基誘導体と、
前記炭素系薄膜上に設けられ、前記光塩基発生剤から前記塩基が脱離した物質に由来する酸誘導体と、
を有する複合体。
【請求項3】
請求項1または2において、
前記炭素系薄膜が、層数の平均値が0.8以上1.2以下である単層グラフェン、層数の平均値が1.8以上2.2以下である2層グラフェン、および層数の平均値が0.8以上2.2以下である2層グラフェン中に部分的に単層グラフェンの領域が混在するグラフェンのいずれかである複合体。
【請求項4】
請求項1からのいずれかにおいて、
前記光塩基発生剤が2-(9-オキソキサンテン-2-イル)プロピオン酸1,5,7-トリアザビシクロ[4.4.0]デカ-5-エンである複合体。
【請求項5】
紫外光を透過する基材と、前記基材上に設けられた炭素系薄膜とを有する積層体の前記炭素系薄膜上に、光塩基発生剤層を形成する光塩基発生剤層形成工程と、
光塩基発生剤層形成工程後、前記積層体の前記基材側から紫外光を照射する紫外光照射工程と、
を有する複合体の製造方法。
【請求項6】
請求項において、
前記光塩基発生剤層形成工程では、弾性体の表面に形成した光塩基発生剤層を、前記炭素系薄膜上に転写する過程を備える複合体の製造方法。
【請求項7】
請求項またはにおいて、
前記炭素系薄膜が、層数の平均値が0.8以上1.2以下である単層グラフェン、層数の平均値が1.8以上2.2以下である2層グラフェン、および層数の平均値が0.8以上2.2以下である2層グラフェン中に部分的に単層グラフェンの領域が混在するグラフェンのいずれかである複合体の製造方法。
【請求項8】
請求項からのいずれかにおいて、
前記光塩基発生剤が2-(9-オキソキサンテン-2-イル)プロピオン酸1,5,7-トリアザビシクロ[4.4.0]デカ-5-エンである複合体の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願は、幅広い濃度領域で電子濃度が制御でき、大気中で長時間安定するN型ドープされた炭素系薄膜を含む複合体と、この複合体の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
グラフェンを用いた高感度・高速のセンサーまたは高周波デバイスを実用化するためには、グラフェンに欠陥を与えずに、キャリアをP型/N型で自在に制御し安定化する必要がある。グラフェンはP型を示すことがよく知られているが、グラフェンのN型ドープ(電子ドープ)を大気中で長期間安定化する方法は確立されていない。大気中で長時間安定するグラフェンのN型ドープは、特に要求されている技術の1つである。
【0003】
特許文献1には、TTF等の電子供与性有機分子をグラフェン表面に成膜することによって、グラフェンをN型ドープする方法が記載されている。この方法によれば、1013 cm-2以上の電子濃度を有するN型ドープされたグラフェンが得られる。しかしながら、このN型ドープされたグラフェンは、大気中で長期間安定するか不明である。また、このN型ドープされたグラフェンは、1013cm-2未満の電子濃度領域で、電子濃度を自在に制御できない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【文献】国際公開第2014/030534号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本願の課題は、幅広い濃度領域で電子濃度が制御でき、大気中で長時間安定するN型ドープされた炭素系薄膜を含む複合体を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本願の複合体は、N型ドープされた炭素系薄膜と、炭素系薄膜上に設けられ、光塩基発生剤に由来する塩基の誘導体で、正電荷を帯びた塩基誘導体と、炭素系薄膜上に設けられ、光塩基発生剤から塩基が脱離した物質に由来する酸誘導体とを有する。
【0007】
本願の複合体の製造方法は、紫外光を透過する基材と、基材上に設けられた炭素系薄膜とを有する積層体の炭素系薄膜上に、光塩基発生剤層を形成する光塩基発生剤層形成工程と、積層体の基材側から、炭素系薄膜に紫外光を照射する紫外光照射工程を有する。
【発明の効果】
【0008】
本願によれば、幅広い濃度領域で電子濃度が制御でき、大気中で長時間安定するN型ドープされた炭素系薄膜を含む複合体が得られる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
図1】ある光塩基発生剤の構造、この光塩基発生剤の光反応による構造変化、およびこの光塩基発生剤とグラフェンの相互作用を示す化学式と化学反応式。
図2】(a)実施例の複合体の2層グラフェンのコンダクタンスの経時変化を示すグラフ。(b)実施例の複合体の2層グラフェンの紫外光照射前後の熱起電力を示すグラフ。
図3】(a)実施例の複合体の単層グラフェンのコンダクタンスの経時変化を示すグラフ。(b)実施例の複合体の2層グラフェンのコンダクタンスの経時変化を示すグラフ。
図4】実施例の複合体の2層グラフェンの熱起電力の経時変化を示すグラフ。
図5】実施例の積層体または複合体の2層グラフェンのシート抵抗、Hall係数、キャリア濃度、および移動度の変化を示すグラフ。
図6】実施例の積層体または複合体の単層グラフェンのシート抵抗、Hall係数、キャリア濃度、および移動度の変化を示すグラフ。
図7】実施例の積層体または複合体の1.7層グラフェンの処理前後のラマンスペクトル。
図8】光塩基発生剤を塗布し、紫外光を照射したグラフェンの構造モデル。
【発明を実施するための形態】
【0010】
グラフェンの正孔濃度は、大気中で吸着した酸素分子または水分子、および基材の影響を受けて、1013cm-2程度と高い状態である場合が多い。本願の発明者らは、グラフェンへの光塩基発生剤塗布と紫外光照射のプロセスが、グラフェンの正孔濃度の抑制に使用できるだけでなく、光反応進行によってグラフェンをN型ドープできると考え、各種実験を行った。その結果、Seebeck係数およびHall係数の符号変化で、着想どおりにグラフェンがN型ドープされていることを確認した。
【0011】
さらに、このグラフェンのN型ドープ状態は、大気中で2か月経過した後も安定していること、キャリア移動度が光塩基発生剤塗布前の2~4倍に増加し、PET基材上のグラフェンとしては非常に高いキャリア移動度を示すこと、および紫外光照射による欠陥形成がないことなども発見した。この長期安定性は、光塩基発生剤のN型ドーパントの対となる非イオン化(不活性)分子が、N型ドープされたグラフェンに空気中の酸素または水分等が侵入するのを防ぐ保護剤の役割をしているからだと考えた。さらに、光の照射量によって、P型からN型に至る1013cm-2未満のキャリア濃度を任意に制御できることもわかった。
【0012】
本願の実施形態の複合体は、炭素系薄膜と、塩基誘導体と、酸誘導体を備えている。炭素系薄膜は、主成分が炭素であり、厚さが0.24nm以上0.66nm以下の膜である。炭素系薄膜としては、単層グラフェン、2層グラフェン、および2層グラフェン中に部分的に単層グラフェンの領域が混在するグラフェンが挙げられる。光透過率測定によって算出した層数の平均値は、単層グラフェンで0.8以上1.2以下、2層グラフェンで1.8以上2.2以下、2層グラフェン中に部分的に単層グラフェンの領域が混在するグラフェンで0.8以上2.2以下である。
【0013】
本願の実施形態の炭素系薄膜はN型ドープされている。光塩基発生剤に由来する塩基は、炭素系薄膜のN型ドーパントである。塩基誘導体は、光塩基発生剤に由来する塩基の誘導体である。つまり、塩基誘導体は、光塩基発生剤に紫外光が照射されて発生した塩基が、炭素系薄膜に電子を供与して、正電荷を帯びた物質である。光塩基発生剤は、紫外光が照射されると塩基を発生する。紫外光は波長10nm~400nmの光である。
【0014】
光塩基発生剤としては、2-(9-オキソキサンテン-2-イル)プロピオン酸1,5,7-トリアザビシクロ[4.4.0]デカ-5-エン、1,2-ジシクロヘキシル-4,4,5,5-テトラメチルビグアニジウムn-ブチルトリフェニルボラート、および1,2-ジイソプロピル-3-[ビス(ジメチルアミノ)メチレン]グアニジウム2-(3-ベンゾイルフェニル)プロピオナートなどが挙げられ、いずれも市販品として入手できる。光塩基発生剤から発生した塩基および塩基誘導体は炭素系薄膜上に設けられている。この塩基および塩基誘導体は、塩基が炭素系薄膜のN型ドーパントとして機能できれば、炭素系薄膜に接していても、酸誘導体または他の物質を介して炭素系薄膜上に設けられていてもよい。
【0015】
酸誘導体は、光塩基発生剤から塩基が脱離した物質に由来する。つまり、酸誘導体は、光塩基発生剤に紫外光が照射されて塩基が発生し、発生した塩基が光塩基発生剤から脱離したときに残った物質自体、この物質からCOなどの簡単な分子が抜けたもの、この物質にHなどの簡単な化学種が付加したもの、またはこの物質の化学構造がそのまま変化したものである。
【0016】
酸誘導体は炭素系薄膜上に設けられている。酸誘導体は、炭素系薄膜に接していても、塩基、塩基誘導体または他の物質を介して炭素系薄膜上に設けられていてもよい。実施形態の複合体は、紫外光を透過する基材をさらに備え、炭素系薄膜が基材上に設けられていてもよい。基材と、基材上の炭素系薄膜と、炭素系薄膜上の光塩基発生剤を備える多層構造体の基材側から紫外線を照射すれば、実施形態の複合体が簡易に製造できるからである。
【0017】
本願の実施形態の複合体の製造方法は、光塩基発生剤層形成工程と、光塩基発生剤層形成工程後の紫外光照射工程を備えている。光塩基発生剤層形成工程では、積層体の表面に光塩基発生剤層を形成する。積層体は、基材と、基材上に設けられた炭素系薄膜を備えている。光塩基発生剤層は、積層体の表面のうち、炭素系薄膜上に形成される。基材は紫外光を透過する。「紫外光を透過する」とは、その物を介して光塩基発生剤に紫外光を照射したときに、光塩基発生剤が塩基を発生する程度の紫外光透過性を有することをいう。なお、「紫外光を照射する」は、紫外光を含有する光を照射することを意味し、紫外光以外の光も含まれる光を照射することを含む。
【0018】
光塩基発生剤層形成工程は、弾性体、例えばジメチルポリシロキサン(PDMS)またはポリイミドフィルムの表面に形成した光塩基発生剤層を、積層体の表面に転写する過程を備えていることが好ましい。この過程により、炭素系薄膜表面に光塩基発生剤が均一かつ十分に塗布される。このため、光塩基発生剤の光反応によるN型ドーピングの効果が炭素系薄膜上で均一に与えられるとともに、炭素系薄膜表面に存在する光塩基発生剤が不十分の場合に空気または水分が炭素系薄膜に侵入してN型ドーピングの効果を損ねることを防止できる。
【0019】
紫外光照射工程では、積層体の基材側から紫外光を照射する。すなわち、基材に紫外光を照射して、基材を透過した紫外光が炭素系薄膜に照射されるようにする。炭素系薄膜は薄いので、基材を介して炭素系薄膜に照射された紫外光は、炭素系薄膜上に形成された光塩基発生剤に届く。光塩基発生剤に届いた紫外光によって、光塩基発生剤は塩基を発生する。この塩基は、構造変化して炭素系薄膜に電子を供与し、さらに塩基誘導体となる。つまり、この塩基は、炭素系薄膜のN型ドーパントとして機能する。
【0020】
また、積層体の基材側から紫外光を照射することによって、炭素系薄膜と光塩基発生剤の境界で塩基が多く発生し、炭素系薄膜のN型ドープを促進する。塩基誘導体は、正電荷を帯びており、安定化された状態で炭素系薄膜上に存在する。なお、光塩基発生剤から塩基が発生すると、光塩基発生剤から塩基が脱離した物質に由来する酸誘導体も、炭素系薄膜上に存在する。
【0021】
なお、炭素系薄膜表面に形成された光塩基発生剤に炭素系薄膜側から紫外光が照射された場合、炭素系薄膜の表面近傍で光反応が完了して塩基と酸誘導体が生成する領域(光反応領域)と、光反応領域の上に堆積し、紫外光と未反応の領域(未反応領域)とが存在する場合もある(図8参照)。光反応領域では、光塩基発生剤は、炭素系薄膜に電子を供与して、炭素系薄膜をN型導電体にできる塩基と、不活性な酸誘導体に変化している。なお、塩基の少なくとも一部は、炭素系薄膜をN型導電体にした後に、塩基誘導体として炭素系薄膜上に存在する。
【0022】
この塩基、塩基誘導体、および酸誘導体は、空気中の酸素または水分等が炭素系薄膜表面に侵入することを防いで、炭素系薄膜のN型状態が損なわれるのを抑制する。加えて、未反応領域がある場合、未反応領域も、空気中の酸素または水分等が光反応領域および炭素系薄膜表面に侵入することを防いで、炭素系薄膜のN型状態が損なわれるのを抑制する。このため、塩基、塩基誘導体、および酸誘導体の上に、光塩基発生剤をさらに有する複合体では、炭素系薄膜のN型ドープが、大気中で長時間安定、例えば約2か月間安定する。
【実施例
【0023】
(グラフェンの製造)
銅箔を加熱しながら、プラズマ中の荷電粒子または電子のエネルギーで銅箔中の炭素成分を活性化し、銅箔に含まれる炭素成分、反応容器内に付着した微量の炭素成分、および処理ガスに含まれる微量の炭素成分を用いて、単層グラフェンおよび2層グラフェン(以下、単層グラフェンと2層グラフェンをまとめて、グラフェンと記載することがある)を銅箔上にそれぞれ製造した(特開2015-13797号公報参照)。
【0024】
(グラフェンのPET基材への転写と積層体の加工)
熱剥離シート(日東電工社製、リバアルファー)上に、銅箔上のグラフェンを貼った。0.5mol/L過硫酸アンモニウムで銅箔をエッチングした後、流水で洗浄した。この熱剥離シートとグラフェンの積層体のグラフェン部分を、A4判のPET基材に貼り付けた。熱加熱することで剥離シートを剥離して、透明のPET基材上にグラフェンが形成された積層体を得た。A4判の積層体を切断して、一辺が10mmの正方形、または幅10mm×長さ20~20mmの長方形の積層体を得た。
【0025】
(グラフェンの石英基材への転写)
銅箔上のグラフェンの表面に、ポリメタクリル酸メチル樹脂(PMMA)の2質量%アニソール溶液を、3000rpmで30秒間スピンコートした。自然乾燥させた後、0.5mol/L過硫酸アンモニウムで銅箔をエッチングした後、流水で洗浄した。このPMMA層とグラフェンの積層体のグラフェン部分を、一辺が10mmの正方形の石英基材に貼り付けた。アセトンで浸潤してPMMAを除去し、透明の石英基材上にグラフェンが形成された積層体を得た。
【0026】
(グラフェンの層数の測定)
グラフェンの層数測定は、ヘイズメータ(日本電色工業株式会社、NDH5000SP)を用いた光透過率測定によって行った。光源は白色LEDであり、観測エリアは10mm×10mm程度である。グラフェンは1層あたり光透過率が2.3%低下することを用いて、層数nは以下の式で算出できる。
n=LOG(サンプル透過率/基板の透過率)/LOG(0.977)
この算出結果から、測定の誤差等を鑑みて、0.8≦n≦1.2を単層、1.8≦n≦2.2を2層とした。
【0027】
(光塩基発生剤の塗布)
図1に示すように、光塩基発生剤(PBG)の2-(9-オキソキサンテン-2-イル)プロピオン酸1,5,7-トリアザビシクロ[4.4.0]デカ-5-エン(東京化成工業製、O0396)は、陰イオン化した分子A(2-(9-オキソキサンテン-2-イル)プロピオン酸:2-(9-oxoxanthen-2-yl)propionic acid)と陽イオン化した分子B(1,5,7-トリアザビシクロ[4.4.0]デカ-5-エン:1,5,7-triazabicyclo[4.4.0]dec-5-ene)から構成される塩である。
【0028】
この光塩基発生剤の10~20mg/mLメタノール溶液をPDMS(polydimethylsiloxane)シート(東レ SILPOT 184)またはポリイミドフィルム(東レ・デュポン Kapton 20EN、厚さ7μm)上に滴下した。積層体のグラフェンの両端以外の部分または四隅以外の部分に、このPDMSシートまたはポリイミドフィルムを押し当てて、積層体のグラフェンの表面に光塩基発生剤を転写した。ホットプレート上に、表面に光塩基発生剤が設けられたこの積層体を載せ、大気中80℃で20分間乾燥して、溶媒のメタノールを除去した。
【0029】
(紫外光照射)
光源(分光計器製、高強度分光光源:SM25型ハイパーモノライト)を用いて、石英基材およびPET基材側から、波長340nm、最大強度1.3mWcm-2の紫外光(UV)を最大460秒間照射して、石英基材またはPET基材と、グラフェンと、光塩基発生剤に由来する物質を備える複合体を得た。
【0030】
(コンダクタンスと熱起電力の測定)
複合体のグラフェンの光塩基発生剤が設けられていない両端部分は、コンダクタンス測定用の電極および温度計測用の熱電対を接触させる部分である。複合体のグラフェンのコンダクタンスと熱起電力を測定しながら紫外光照射を行ない、照射量の増加によるグラフェンのキャリアのP型からN型への経時変化を測定した。グラフェンの両端部分に、コンダクタンス測定装置(ケースレーインスツルメンツ製、2400型ソースメータ)のプローブ電極を接触させ、2端子間において、1mAの一定のバイアス電流を印加しながら、グラフェンのコンダクタンスを測定した。
【0031】
電気的に絶縁し、離れて設けられた2種の金属板の上に、複合体のグラフェンを載せた。グラフェンの両端部分に温度計測用の薄型K熱電対をそれぞれ接触させて固定した。この2種の金属板を熱浴として加熱し、互いに異なる温度に制御することで温度差を生じさせて、その際の両端の2つのK熱電対による温度差と、2つのK熱電対のアルメル線間の熱起電力を、計測装置(日置電機製、LR8400型メモリハイロガー)で記録した。
【0032】
(シート抵抗とHall係数の測定)
積層体または複合体のグラフェンの光塩基発生剤が設けられていない四隅に金電極を接触させ、Hall計測システム(東陽テクニカ製、Resitest8300型)を用いて、van der Pauw法でこれら4端子間に対するシート抵抗とHall係数を測定した。すなわち、基材とグラフェンから構成される積層体、基材とグラフェンと光塩基発生剤から構成される複合体、および基材とグラフェンと光塩基発生剤から構成され、光塩基発生剤に紫外光を照射した後の複合体の3種類の試料のグラフェンのシート抵抗とHall係数を測定した。試料への印加電流は0.2~0.5mAとし、印加磁場は正磁場・負磁場共に0.55Tとした。
【0033】
(キャリア濃度と移動度の算出)
グラフェンのキャリア濃度nと移動度μは、シート抵抗R、Hall係数R、電荷素量e(=1.602×10-19C)用いて、n=t/(eR)とμ=R/(tRs)の式により算出した。ここでtはグラフェンの厚さであり、単層、2層、1.7層のグラフェンの厚さをそれぞれ0.3nm、0.6nm、0.51nmとした。Rの符号の正負により、グラフェンのキャリアが正孔(P型)であるか、電子(N型)であるかを判定した。
【0034】
(ラマンスペクトルの測定)
光塩基発生剤の塗布と紫外光照射によるグラフェンの欠陥形成および構造変化を調べるため、レーザラマン分光光度計(日本分光製、NRS-2100型)を用いて、積層体または複合体のグラフェンのラマンスペクトルを測定した。本実験では、グラフェンのラマンスペクトルを明瞭に測定するために、上面が一辺10mmの正方形で厚さ1.0mmの合成石英基板を基材とした。また、光塩基発生剤自体のラマンスペクトルと、グラフェンのラマンスペクトルの重複が大きいため、合成石英基板上のグラフェンのラマンスペクトルを測定した後、このグラフェンに光塩基発生剤の塗布と紫外光照射を行い、光塩基発生剤をメタノールで洗浄除去してから、グラフェンのラマンスペクトルを再度測定した。
【0035】
(結果)
図2(a)は、PET基材と2層グラフェンの積層体の2層グラフェン上に光塩基発生剤を塗布した後、PET基材に紫外光を照射したときの2層グラフェンのコンダクタンスの経時変化を示している。時刻50秒で紫外光照射を開始すると、2層グラフェンのコンダクタンスは減少し、時刻70秒(紫外光照射開始後20秒)程度で最低値に達した後、再び増加に転じて、時刻300秒(紫外光照射開始後250秒)で飽和に近づいた。この変化は、紫外光によって光塩基発生剤から生じた塩基によるものであると考えられる。
【0036】
図1に示すように、2-(9-オキソキサンテン-2-イル)プロピオン酸1,5,7-トリアザビシクロ[4.4.0]デカ-5-エンは、紫外光照射によって、分子Bがプロトンを1個放出して分子B′の塩基となる。そして、この塩基1分子当たり電子1個をグラフェンに供与することで、グラフェンのドーピング状態を変化、つまりFermiレベルを移動させ、グラフェン特有の電子構造として知られるディラックポイントを横切ることで、グラフェンがP型導電体からN型導電体に変化すると推測される。
【0037】
そこで、図2(a)に示す紫外光照射の前後で、2層グラフェンの熱起電力を測定した結果を図2(b)に示す。紫外光照射前後に関わらず、2層グラフェンの熱起電力は、温度変化に対して比例しており、Seebeck係数が求められた。その結果、紫外光照射前の2層グラフェンのSeebeck係数は+30μV/Kで、紫外光照射前の2層グラフェンはP型導電体であった。これに対して、紫外光照射後の2層グラフェンのSeebeck係数は-50μV/Kで、紫外光照射後の2層グラフェンはN型導電体となった。したがって、上記の推測どおり、P型導電体であったグラフェンが、光塩基発生剤の反応によってディラックポイントを横切り、紫外光照射後の2層グラフェンがN型導電体に変化することが確認できた。
【0038】
図3(a)は、PET基材と単層グラフェンの積層体の単層グラフェン上に光塩基発生剤を塗布した後、PET基材に紫外光を照射したときの単層グラフェンのコンダクタンスの経時変化を示している。図2(a)に示す2層グラフェンのコンダクタンスの変化が、単層グラフェンでも同様にみられた。図3(b)は、PET基材と2層グラフェンの積層体の2層グラフェン上に光塩基発生剤を塗布した後、PET基材に紫外光を照射したときの2層グラフェンのコンダクタンスの経時変化を示している。なお、図2(a)に示す試料と異なる試料で、2層グラフェンのコンダクタンスを測定した。図2(a)および図3(b)に示すように、2層グラフェンのコンダクタンス変化は再現性があった。
【0039】
図3(a)および図3(b)に示す実験では、紫外光の照射密度を1.3mW/cmとしたが、単層グラフェンおよび2層グラフェンのいずれについても、紫外光照射開始後約300秒程度で、紫外光照射後のコンダクタンス再増加が飽和していた。紫外光照射量に応じて、単層グラフェンおよび2層グラフェンのN型ドーピング状態が飽和していると考えられる。
【0040】
図4は、PET基材と2層グラフェンの積層体の2層グラフェン上に光塩基発生剤を塗布した後、PET基材に紫外光を照射したときの2層グラフェンの熱起電力の経時変化を示している。この実験では2層グラフェンに6Kの一定の温度差を付与して、熱起電力を計測した。その結果、紫外光照射を開始すると速やかに熱起電力の符号が正から負に反転し、2層グラフェンがP型導電体からN型導電体へ変化した。Hall係数についても同様に、単層グラフェンと2層グラフェンの両方で、紫外光照射による符号の反転(P型からN型へ変化)を確認した。
【0041】
図5は、PET基材上の2層グラフェンのシート抵抗およびHall係数の測定結果と、それらによって算出されるキャリア濃度および移動度の値を、2層グラフェンへの光塩基発生剤塗布前(処理前)、2層グラフェンへのPBG塗布後紫外光未照射の状態、PET基材側からPBGに紫外光を照射した後の3つの過程でそれぞれ示した。この実験では、紫外光の照射密度を1.3mW/cm、照射時間を300秒とした。
【0042】
処理前の2層グラフェンは、従来よく知られているように、P型(Hall係数の符号が正)であり、キャリア(正孔)濃度が約2.0×1013cm-2、移動度が約1200cm/Vsであった。これに対して、2層グラフェンにPBGを塗布した直後では、2層グラフェンはN型(Hall係数の符号が負)に転じたが、そのまま暗中でHall係数測定を続けると、PBG塗布50分後には再びP型に戻った。
【0043】
PBG塗布直後の2層グラフェンのキャリア濃度の絶対値は、PBG塗布前の2層グラフェンのキャリア濃度の絶対値と比べて約1/10に低下し、移動度は1.5~2.0倍に増加した。PBG塗布のみでも、2層グラフェンはN型に変化した。これは、自然の屋内光が存在する実験室でPBG塗布工程を行っているために、一部のPBGが反応して、塗布直後に2層グラフェンがN型となったものの、紫外光照射量が少なくN型ドーピング状態が不安定で、2層グラフェンがすぐにP型に復帰したと考えられる。
【0044】
また、大気中のグラフェンは、表面に吸着した酸素分子や水分子の影響を受けて、正孔が大量にドーピングされた状態である。このグラフェンに光塩基発生剤を塗布することによって、グラフェンの表面に吸着していたこれらの分子がある程度除去され、PBG塗布後のキャリア濃度の絶対値が1/10程度に低下したと考えられる。つづいて、UV照射後の2層グラフェンのHall係数の符号は再度負に転じ、2層グラフェンがN型である状態は、UV照射後150分経過後、さらには2か月経過後も維持された。
【0045】
キャリア(電子)濃度は、UV照射直後に2.1×1012cm-2で、150分後にいったん増加したものの、2か月後もUV照射直後とほぼ同じ電子濃度を保っていた。また、UV照射後の2層グラフェンの電子の移動度は、2320~3560cm/Vsとなり、PBG塗布前の正孔の移動度の2倍以上の値を2か月維持した。
【0046】
単層グラフェンについて、図5に示す実験と同じ実験を行った結果を図6に示す。処理前の単層グラフェンは、2層グラフェンと同様に、P型(Hall係数の符号が正)であり、キャリア(正孔)濃度が約1.6×1013cm-2、移動度約1000cm/Vsであった。これに対し、PBG塗布後はN型導電体(Hall係数の符号が負)に転じた。これは、自然の屋内光が存在する実験室でPBG塗布工程を行っているために、一部のPBGが反応して、塗布直後に単層グラフェンがN型導電体となったものの、紫外光照射量が少なくN型ドーピング状態が低く不安定であった。
【0047】
加えて、UV照射後150分経過後、さらには2か月経過後も、単層グラフェンがN型の状態が維持され、キャリア(電子)濃度は、2.0×1012cm-2前後(1.3~2.9×1012cm-2)の値を示した。電子の移動度は、PBG塗布後UV照射前で3610~4240cm/Vs、UV照射後で2120~2750cm/Vsとなり、PBG塗布前の正孔の移動度の2倍以上の値を2か月維持した。
【0048】
石英基板上の1.7層グラフェンのラマンスペクトルを図7に示す。処理前の1.7層グラフェンでは、1330cm-1付近のDバンド、1580cm-1付近のGバンド、2700cm-1付近の2Dバンドの3つの特徴的なピークが、石英基板のスペクトルに影響を受けることなく測定できた。PBG塗布およびUV照射(照射密度1.3mW/cm、照射時間300秒)後に、光塩基発生剤を除去して測定した石英基板上の1.7層グラフェンのラマンスペクトルは、処理前の1.7層グラフェンのラマンスペクトルから大きな変化がなかった。特に、グラフェンに生じる欠陥形成に起因するDバンドの相対強度は変化がなかった。これは、PBG塗布およびUV照射による1.7層グラフェンの欠陥形成が認められなかったことを示している。
【0049】
また、このことは、2層グラフェンおよび単層グラフェンが、光塩基発生剤塗布前に比べて約2倍以上高いキャリア移動度を2か月維持している図5および図6の結果を裏付けるものである。図2から図7に示す実験結果から、以下の4つが確認できた。
(1)光塩基発生剤塗布および紫外光照射によって、2層グラフェンおよび単層グラフェンがP型からN型に変化することを熱起電力(Seebeck係数)およびHall係数の符号変化で確認し、N型導電体の状態を2か月保持できた。
(2)2層グラフェンおよび単層グラフェンのN型への変化後の電子濃度は、照射密度1.3mW/cm、照射時間300秒の紫外光照射により、光塩基発生剤塗布前の正孔濃度に比べて約1/10に低下した。
【0050】
(3)グラフェンのN型への変化後のキャリア移動度は、照射密度1.3mW/cm、照射時間300秒の紫外光照射により、光塩基発生剤塗布前のキャリア移動度に比べて約2倍以上増加した。
(4)グラフェンの欠陥形成に起因するラマンスペクトルのDバンド強度の変化は、光塩基発生剤塗布および紫外光照射後(PBG塗布&UV照射→PBG除去後)でも観測されず、これらの処理によるグラフェンの欠陥形成が認められなかった。
【0051】
ここで、光塩基発生剤がグラフェンのドーピング状態を紫外光照射によってP型からN型に変化させるメカニズムと、N型状態が2か月にわたり安定に保持されていた原因について考察する。グラフェン上に塗布された光塩基発生剤に紫外光が照射されると、図1に示すように、分子AからCOが分離し、さらに分子Bから分離したプロトンが結合した分子A′に変化し、非イオン化して安定化する。一方、分子Bからプロトンを1個放出した分子B′は塩基となり、1分子当たり電子1個をグラフェンに供与して、正イオン化した塩基誘導体である分子B′′となり安定化する。
【0052】
グラフェンの代わりに色素であるフェノールレッドを用いて、PBG塗布とUV照射を行った。PET基材上にフェノールレッド膜を形成し、フェノールレッド膜上の光塩基発生剤を塗布し、PET基材側からフェノールレッド膜に紫外光を最大10分間照射した。紫外光照射時間が長いほど、フェノールレッド膜の赤色が強くなったことを、光塩基発生剤を塗布したフェノールレッド膜の光吸収スペクトルで確認した。フェノールレッドは電子が供与されると赤色を帯びる。つまり、光塩基発生剤を塗布したフェノールレッド膜は、紫外光照射によって分子B′から電子を供与された。これより、電子を受容できる膜上に光塩基発生剤を塗布し、紫外光照射すると、光塩基発生剤から生じた塩基がこの膜に電子を供与して、塩基誘導体となって膜上に存在すると考えられる。
【0053】
図8に、表面に光塩基発生剤を塗布し、裏面から紫外光を照射したグラフェンの構造モデルを示す。裏面から炭素系薄膜を通過して光塩基発生剤層に紫外光が届いた際に、図1に示した反応によって分子B′と分子A′に変化する。ただし、光塩基発生剤層の厚みによっては、グラフェンの表面近傍で光反応が完了した領域(光反応領域)だけでなく、その上に堆積する未反応の領域(未反応領域)が存在する場合もある。光反応領域では、分子B′が供与した電子によって、P型導電体であるグラフェンは、正孔が消去された後、電子ドープ状態(N型導電体)になる。
【0054】
なお、図8には示していないが、電子を供与した分子B′は、塩基誘導体である分子B′′に変化する。分子A′は不活性でありドーピングには寄与しない。分子B′、分子B′′、および分子A′は、空気中の酸素または水分等がグラフェン表面に侵入してグラフェンのN型状態を損なうのを防ぎ、大気中でのN型導電体の安定性を与えていると考えられる。加えて、未反応領域も、空気中の酸素または水分等が光反応領域またはグラフェン表面に侵入してN型状態を損なうのを防ぎ、大気中でのN型導電体の安定性を与えていると考えられる。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8