(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-10-05
(45)【発行日】2023-10-16
(54)【発明の名称】遠赤外分光装置
(51)【国際特許分類】
G01N 21/3586 20140101AFI20231006BHJP
【FI】
G01N21/3586
(21)【出願番号】P 2022531245
(86)(22)【出願日】2020-06-22
(86)【国際出願番号】 JP2020024315
(87)【国際公開番号】W WO2021260752
(87)【国際公開日】2021-12-30
【審査請求日】2022-11-11
(73)【特許権者】
【識別番号】501387839
【氏名又は名称】株式会社日立ハイテク
(74)【代理人】
【識別番号】110002572
【氏名又は名称】弁理士法人平木国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】小野 統矢
(72)【発明者】
【氏名】茂原 瑞希
(72)【発明者】
【氏名】志村 啓
(72)【発明者】
【氏名】愛甲 健二
【審査官】嶋田 行志
(56)【参考文献】
【文献】特表2010-523970(JP,A)
【文献】特開2011-007590(JP,A)
【文献】特開2009-204605(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 21/00-G01N 21/61
G01N 22/00-G01N 22/04
JSTPlus/JST7580/JSTChina(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
湿潤空気の中に試料を保持可能に構成される保持機構と、
ポンプ光を出射する第1の近赤外光源、シード光を出射する第2の近赤外光源、及び前記第1及び第2の近赤外光源からの近赤外光を入射させる非線形光学結晶を有し、遠赤外光を発する遠赤外光源と、
遠赤外光を前記試料に照射させることで得られる光を検出する検出器と、
前記検出器からの信号から前記試料の吸収スペクトルを演算する信号処理部と
を備え、
前記信号処理部は、
前記信号から各周波数における吸光度を表す吸収スペクトルを算出し、前記吸収スペクトルの波形は、水蒸気の吸収ピーク幅より前記試料由来の吸収ピーク幅がブロードで且つ前記水蒸気のピーク幅は10GHz以下であり、
前記検出器からの信号
に対し閾値処理し、前記湿潤空気の中の水蒸気による吸収の影響を受けた信号を除去する閾値処理部と、
前記閾値処理部により除去された信号を補間する信号補間部と、
前記信号補間部による補間後の信号から吸光度を算出する吸光度演算部と
を備えることを特徴とする遠赤外分光装置。
【請求項2】
前記閾値処理部は、前記検出器からの信号を用いて生成した閾値信号で閾値処理することを特徴とする、請求項1
に記載の遠赤外分光装置。
【請求項3】
前記閾値処理部は、前記水蒸気の吸収ピークの一部のみを除去するか、それとも全体を除去するかを決定するよう構成される、請求項2に記載の遠赤外分光装置。
【請求項4】
前記閾値処理部は、前記検出器からの信号に乗算する係数を複数通り有する、請求項2に記載の遠赤外分光装置。
【請求項5】
前記遠赤外光と、前記ポンプ光とを入射させて検出光を生成する第2の非線形光学結晶を更に備える、請求項
1に記載の遠赤外分光装置。
【請求項6】
前記試料の周辺の雰囲気の露点を測定する露点測定器を更に備え、
前記閾値処理部は、前記検出器からの信号を、前記露点測定器からの信号を用いて決定した閾値で閾値処理するよう構成された、請求項1
に記載の遠赤外分光装置。
【請求項7】
前記露点測定器で測定された露点に基づき、ドライエア供給器の弁を制御する制御部を更に備えた、請求項
6に記載の遠赤外分光装置。
【請求項8】
前記信号処理部は、
所定の周波数範囲内の測定周波数毎の検出信号を取得する際に、
水蒸気による吸収の影響を受ける周波数付近においてはそれ以外の周波数領域よりも狭い周波数間隔で検出信号を取得することを
特徴とする請求項1
に記載の遠赤外分光装置。
【請求項9】
前記信号処理部は、さらに演算前処理部を備え、
演算前処理部は、
参照光の検出信号データとして、前記保持機構に有効成分を含まない賦形剤のみで構成される試料を保持して取得した検出信号データを採用することを特徴とする請求項1
に記載の遠赤外分光装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、遠赤外分光装置に関する。
【背景技術】
【0002】
0.1THz~10THzの遠赤外光はテラヘルツ波とも呼ばれている。この周波数帯域は電波と光の中間に相当し、テラヘルツ波は光の直進性と、高い透過性を兼ねる点が特徴である。また、テラヘルツ光はフォノンモードの励起幅に相当するエネルギーを有することから、格子振動や分子間振動に由来する吸収スペクトルを得ることができる。
【0003】
この吸収スペクトルは、物質に特有の周波数において観測できるため、非破壊での物質の同定などに用いられる。上記の特徴を応用して、危険物検査や医薬品の検査をはじめとしたイメージング技術や成分定量分析等への産業応用も期待されている。
【0004】
テラヘルツ分光方式の1つとして、1990年代から実用化され、それ以降一般的となった、テラヘルツ時間領域分光法(THz-Time Domain System:THz-TDS)が知られている。このThz-TDS方式では、フェムトレーザを光源として広帯域のテラヘルツパルスの時間波形を取得する。この時間波形を高速フーリエ変換することで、パワースペクトルの周波数依存性、すなわち吸収スペクトルを得ることができる。
【0005】
医薬品検査の分野では、赤外光、紫外光、ラマン散乱光、テラヘルツ光などを用いた医薬品の破壊・非破壊検査の研究開発が進んでいる。特に、製造工程中に分光装置を導入して検査する、インライン方式に対応するための研究開発が進められており、今後ますます、分光装置の可搬性、汎用性が重視されると予想されている。
【0006】
しかし、テラヘルツ光は水に強い吸収を示すことから、大気中を伝播する際の減衰が大きいという課題がある。よって通常のテラヘルツ分光測定では、光路をテラヘルツ光の減衰が少ない乾燥空気などの気体で満たすことが求められる。このことは、インライン方式での医薬品検査の実用化を困難としている。また、そのような湿度変化は、医薬品そのものの結晶形及び性状の変化を生じさせる虞がある。
【0007】
テラヘルツ波は、大気中の水蒸気に強く吸収されるため、相対湿度(Rh)10%~の環境下で取得した吸収スペクトルには、水蒸気由来の吸収が複数確認される。これにより、湿潤空気下で試料を測定した際、試料由来の吸収スペクトルが判別しにくくなるという問題がある。さらに、低湿度又は高湿度環境で測定する場合、試料の脱水又は吸水を促すことで、試料に性状の変化を及ぼし、試料の安定性を損なう課題もある。
【0008】
このような検出信号の微調整を要する原因の例として、下記が考えられる。水蒸気の吸収スペクトルは、例えば、1~3THzの帯域内では10GHz以内の間隔に複数の吸収ピークが近接して存在することがある。つまり、数GHz程度の非常に高い周波数分解能でなければ、測定の度に水蒸気の吸収ピーク周波数のシフト(ピークシフト)や、吸収ピークの歪みが観測される。あるいは、水蒸気を含んだ試料の膨張などにより散乱が起こり、検出信号が低下することも考えられる。十分な周波数分解能を有したとしても、時間波形の膨大なサンプリングや(TDS方式の場合)、細かな波長掃引(is-TPG方式の場合)を必要とするため、検査スピードの観点から、汎用性を大きく欠いてしまう。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、任意の湿潤空気の雰囲気中においても、水蒸気由来の吸収の影響を低減して、試料に由来する吸収スペクトルを正確に計測することができる遠赤外分校装置を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記の課題を解決するため、本発明に係る遠赤外分析装置は、湿潤空気の中に試料を保持可能に構成される保持機構と、遠赤外光を前記試料に照射させることで得られる光を検出する検出器と、前記検出器からの信号から前記試料の吸収スペクトルを演算する信号処理部とを備える。前記信号処理部は、前記検出器からの信号を閾値処理し、前記湿潤空気の中の水蒸気による吸収の影響を受けた信号を除去する閾値処理部と、前記閾値処理部により除去された信号を補間する信号補間部と、前記信号補間部による補間後の信号から吸光度を算出する吸光度演算部とを備える。
【発明の効果】
【0012】
本発明によれば、任意の湿潤空気の雰囲気中においても、水蒸気由来の吸収スペクトルの影響を低減して、試料に由来する吸収スペクトルを正確に計測することができる遠赤外分校装置を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1A】第1の実施の形態に係る遠赤外分光装置100の構成を説明する概略図である。
【
図1B】2次の非線形感受率χ
(2)をもつ非線形光学結晶に、異なる角周波数ω
1、ω
2を入射させて、角周波数ω
3の光が差周波発生することを示す図である。
【
図1C】光源部210(is-TPG光源部)によるテラヘルツ光の差周波発生を示すベクトル図である。
【
図2】第1の実施の形態の遠赤外分光装置100の動作を説明するフローチャートである。
【
図3】参照データと試料のすべての検出信号データに対し、検出器の背景光(ダークレベル)を除去(減算)するなどの信号前処理を説明する概略図である。
【
図4】閾値信号データIo’を生成するための3パターンの係数(a)、(b)、(c)の例を示す表である。
【
図5】係数(a)、(b)、(c)に基づいて生成された閾値信号データIoの例を示す。
【
図6A】各種条件の下で生成される閾値信号データIo’の波形の例である。
【
図6B】ステップS155の、除去部分の線形補間による復元の例を示す。
【
図7】湿潤空気下で検出した信号波形を用いて、
図2のフローチャートの手順で減衰結合波形を使用して算出した吸光スペクトルの例を示す。
【
図8】第2の実施の形態に係る遠赤外分光装置の構成を説明する概略図である。
【
図9】第3の実施の形態に係る遠赤外分光装置100の構成を説明する概略図である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、添付図面を参照して本実施形態について説明する。添付図面では、機能的に同じ要素は同じ番号で表示される場合もある。なお、添付図面は本開示の原理に則った実施形態と実装例を示しているが、これらは本開示の理解のためのものであり、決して本開示を限定的に解釈するために用いられるものではない。本明細書の記述は典型的な例示に過ぎず、本開示の特許請求の範囲又は適用例を如何なる意味においても限定するものではない。
【0015】
本実施形態では、当業者が本開示を実施するのに十分詳細にその説明がなされているが、他の実装・形態も可能で、本開示の技術的思想の範囲と精神を逸脱することなく構成・構造の変更や多様な要素の置き換えが可能であることを理解する必要がある。従って、以降の記述をこれに限定して解釈してはならない。
【0016】
[第1の実施の形態]
図1Aを参照して、第1の実施の形態に係る遠赤外分光装置100の構成を説明する。遠赤外分光装置100は、光源部210、光学系220、及び検出信号処理部230を備える。
【0017】
光源部210及び光学系220は、is-TPG(injection-seeded Terahertz Parametric Generation)光源を用いたテラヘルツ光パラメトリック方式を適用するものであり、波長の異なる2つの光と非線形光学結晶から、高強度の光(ここではテラヘルツ光)を発生させる方式である。TDS方式と比べて、ピークパワーと周波数分解能に優れている。なお、下記では主にis-TPG光源を用いた装置を例として説明するが、本発明はTDS方式にも適用可能である。
【0018】
光源部210の詳細について
図1Aを参照して説明する。光源部210は、ポンプ光源としての光源211、偏光ビームスプリッタ212、シード光源としての光源213、光学素子214、215等から構成される。光源部210(is-TPG光源部)は、2つの近赤外光を発する光源211、213を含んでいる。2つの光源211、213は、互いに異なる波長の近赤外光を発する。
【0019】
光源211はポンプ光源であり、例えばマイクロチップレーザーを用いることができる。光源211の出射光(ポンプ光)は、偏光ビームスプリッタ212で2方向に分岐させ、一方の光はミラー216を介して非線形光学結晶221に向かい、もう一方は非線形光学結晶221’へ向かう。
【0020】
光源213はシード光源であり、例えば波長可変半導体レーザを用いることができる。光学素子214は角度制御が可能な反射鏡であり、例えばガルバノミラーを用いることができる。光学素子215は、例えば凹面鏡を用いることができる。光源213の出射光(シード光)は、光学素子214、215を介して非線形光学結晶221に入射する。シード光は、光学素子214の角度制御によって、ポンプ光に対して位相整合角を満たす角度(紙面水平方向)で射出する。このとき、非線形光学結晶221への入射面は、光学素子214の表面と結像関係にあるため、光学素子214の角度を変化させても、非線形光学結晶221の入射面上におけるシード光の照射位置は変わらない。
【0021】
次に、光学系220の詳細について
図1Aを参照して説明する。光学系220は、密閉チャンバ229と、近赤外光検出器225と、制御部226と、ドライエア供給部227とを備える。
【0022】
密閉チャンバ229により構成される試料室の内部には、非線形光学結晶221とSiプリズム222を圧着させたテラヘルツ光発生機構が搭載されている。非線形光学結晶221に入射させたポンプ光と、波長可変なシード光から、任意の波長のテラヘルツ光が発生する。なお、非線形光学結晶221の近傍には、非線形光学結晶221を通過する不要光を吸収するためのビームダンパBD1が設けられている。
【0023】
また、試料室の内部には、非線形光学結晶221’とSiプリズム222’を圧着させた機構も配置されている。非線形光学結晶221’とSiプリズム222’は非線形光学結晶221とSiプリズム222と同一の機構(構造)であってよく、検出光(近赤外光)の発生部として機能する。Siプリズム222からの光は、導光光学系223により、非線形光学結晶221’に導かれる。
【0024】
試料室の内部の非線形結晶221と221’の中間付近に、試料台STと、試料台STを保持する移動ステージRMが備えられる。試料台STと、移動ステージRMと、試料室とにより、試料を湿潤空気中に保持する保持機構が構成される。試料台STに装填した試料が、上述のテラヘルツ光の光路に挿脱するよう、試料台STと移動ステージRMが配置される。
【0025】
非線形結晶221から出たテラヘルツ光は、試料台STに装填された試料に照射される。試料台STは移動ステージRMに支持され、並進方向(紙面垂直又は平行)に試料を動かし、光が照射される位置を適宜移動可能に構成されている。また、移動ステージRMは、適宜試料をテラヘルツ光の照射範囲外に移動させ、これにより、試料台に試料を配置せずに検出される近赤外光の信号強度を参照データとする。図示の例では、ポンプ光と、試料を通過させたテラヘルツ光により、非線形結晶221’から発生する近赤外光を検出光としているが、試料を反射したテラヘルツ光を用いてもよい。
【0026】
試料を透過したテラヘルツ光は、偏光ビームスプリッタ212から来たポンプ光とともに非線形結晶221’に入射し、後述するように近赤外光を発生させる。この近赤外光が検出光とされ、近赤外光検出器225へ導かれる。試料に固有なテラヘルツ光の吸収を示した検出信号が近赤外光検出器225において取得される。検出信号は、制御部226にて検出信号データに変換され、検出信号処理部230に送信される。スペクトル演算の参照データとするため、試料を何も通さない状態で取得する近赤外光を、試料の測定と並行して近赤外光検出器225で取得する。試料を介した際に検出される近赤外光の信号が、どの周波数でどの程度減衰したかについて、参照データと比較して調べることができる。
【0027】
参照データ、及び試料を介して得た検出信号データは、それぞれ検出信号処理部230にてスペクトルデータに変換される。具体的に検出信号処理部230は、演算前処理部231、閾値処理部232、信号補間部233、及び吸光度演算部234を備えている。
【0028】
演算前処理部231は、検出信号データを、閾値処理の可能なデータ形式に変換する部分である。また、閾値処理部232は、検出信号データに従い、閾値データを生成し、データの一部を除外する処理を実行する部分である。また、信号補間部233は、閾値処理部232により除外されたデータに関しデータ補間処理を実行する部分である。吸光度演算部234は、データ補間後のデータを用いて、試料の吸光度を演算する部分である。なお、ミラー224の近傍には、非線形光学結晶221’を通過する不要な光を吸収するためのビームダンパBD2が設けられている。
【0029】
ドライエア供給部227は、密閉チャンバ229に接続され、密閉チャンバ229の内部に乾燥空気を供給する。これにより、密閉チャンバ内を乾燥状態に保つことができる。
【0030】
次に、
図1B及び
図1Cを参照して、差周波発生方式に基づくテラヘルツ光の発生について説明する。
図1Bは、2次の非線形感受率χ
(2)をもつ非線形光学結晶に、異なる角周波数ω
1、ω
2を入射させて、角周波数ω
3の光が差周波発生することを示す図である。
図1Cは、光源部210(is-TPG光源部)によるテラヘルツ光の差周波発生を示すベクトル図である。
【0031】
ポンプ光の周波数をωpump、シード光の周波数をωseed、テラヘルツ光の周波数をωTHzとすると、式(1)に示す差周波発生によりテラヘルツ光が得られる。
ωpump-ωseed=ωTHz …(1)
【0032】
差周波発生を示す式(1)の両辺にプランク定数hを乗じると、光エネルギーを記述する関係式が得られ、この式はエネルギー保存則に基づく。したがって、光源211からの入射光の波数ベクトルを→k
pump、k
THzシード光源からの入射光の波数ベクトルを→k
seed、これらのなす角をθ、テラヘルツ光の波数を→k
THzとした
図1Cのベクトル図において、角θが、式(2)を満たす角度(位相整合角)をとるとき、発生するテラヘルツ光の強度が最大となる。
→k
pump-→k
seed=→k
THz …(2)
【0033】
上述の式(1)(2)のように、1つの光のエネルギー(あるいは角周波数)の変化に応答して、別の光のエネルギー(あるいは角周波数)が変化する関係にある状態をパラメトリック過程とよび、この過程により任意の光を生成する方法をパラメトリック発生と呼ぶ。
【0034】
第1の実施の形態の遠赤外分光装置の動作を、
図2のフローチャートに従って説明する。
図2の処理を行う、遠赤外分光装置100から取得した分光データは、まず、試料を通過したテラヘルツ光に基づく近赤外光、及び試料を通過しないテラヘルツ光に基づく近赤外光を、それぞれ近赤外光検出器225で検出する。この間、移動ステージRMは並進移動し、試料をテラヘルツ光の光路から挿脱する。
【0035】
次のステップS110では、近赤外光検出器225が受光する、背景光による影響を除くため、試料に入射するテラヘルツ光を遮蔽した状態で、近赤外光検出器225の背景光を取得する。検出信号処理部230(演算前処理部231)では、参照データと試料のすべての信号データに対し、検出器の背景光(ダークレベル)を除去(減算)するなどの信号前処理を行う(
図3参照)。
【0036】
次に、ステップS120では、密閉チャンバ229により提供される測定環境が乾燥空気内であるか否かが判定される。乾燥空気内であれば(Yes)、以下の手順は実行せずにステップS160に移行する。
【0037】
一方、密閉チャンバ229内の測定環境が、乾燥空気ではなく、湿潤空気である場合には(No)、水蒸気の吸収ピークを除去するため、閾値処理部232により閾値処理が実行される(ステップS130~155)。これについて、以下に詳細に説明する。
【0038】
ステップS130では、水蒸気の吸収ピークの一部のみを除去するか、それとも全体を除去するかを決定する。一部のみを除去する場合には、ステップS140において、吸収ピークのボトム部分のみを除去する(ステップS140)。一方、全体を除去する場合には、ステップS140を実行した後、更に吸収ピークの裾部分も除去する(ステップS150)。
これにより、水蒸気の吸収による試料の吸収スペクトルへの影響を低減する。ボトム部分の除去、又はボトム部分及び裾部分の除去がされたら、除去部分に関し線形補間を実行し、データの復元を行う(ステップS155)。
【0039】
こうして水蒸気の吸収ピークが一部又は全部除去された後のデータを用いて、試料の透過率が演算され、ディスプレイ等に表示される(ステップS160)。また、データのスムージング処理が実行され(ステップS170)、その結果に基づいて、試料の吸光度が表示される(ステップS180)。
【0040】
次に、ステップS125~S150において実行される2パターンの閾値生成の方法について、以下に詳細を示す。
【0041】
参照データの信号波形Ioに対して、任意の係数で一次結合(1次元の畳み込み)を行い、閾値信号波形Io’を生成する。参照データの信号波形(Io)のうち、ある周波数で取得した参照データχiと、χiの前後±nポイント分のデータをもとに、[数1]及び[数2]に示すような一次結合の係数[ki-n … ki …ki+n]との行列の積を計算することで、参照データの信号波形(Io)と同一周波数の閾値信号波形データχi’を生成する。
【0042】
【0043】
【0044】
なお、測定開始直後などにおいて、取得データの不足のために[数2]を適用することができない場合は、χi=χi’とする。又は、データ幅nを調整して、可能な限り多くの参照データχiから閾値信号波形データχi’を生成することができる。生成した閾値信号データχi’を、周波数方向に連結したデータを閾値信号波形Io’とする。ステップS125では、IoとIo’を比較し、閾値処理することで、水蒸気の吸収による信号の減衰部分を検出する。一次結合係数の組み合わせにより、参照データの信号波形Ioから特徴量を抽出し、閾値信号波形Io’をさまざまに生成できる。役割の異なるこれらの係数を、総称してフィルタ係数と表記する。
【0045】
フィルタ係数と閾値信号波形Io’を、水蒸気の吸収ピークの検出にどのように用いるかについて、以下に例を挙げて説明する。
図4に、3パターンの係数(a)、(b)、(c)を示し、これらの係数から生成される閾値信号波形Io’を
図5(a)、(b)、(c)にそれぞれ示す。
図5の参照データ(Io)は、密閉チャンバ229内を湿潤空気(60%Rh以上)で満たし、試料を通さずに取得した信号強度である。特定の周波数で大きく信号が減衰している箇所が、水蒸気の吸収が観測された周波数である。
【0046】
図2のフローチャートのステップS140では、吸収ピークのボトム部分の除去のため、例えば係数(a)を適用して生成した閾値信号波形Io’を利用することができる。係数(a)は、フィルタ係数の総和を1未満とし、一次結合を行う参照データの数を、観測される水蒸気の吸収ピークを形成するデータ点数よりも多くとることを特徴とする、三角窓関数である。
【0047】
フィルタ係数と参照データ数について、上記の特徴を備えた三角窓関数の効果により、参照データの信号波形Ioに比べ、信号強度および周波数分解能の低い閾値信号波形Io’を得る。係数(a)で生成した閾値信号波形Io’を、
図5(a)に示す。
【0048】
係数(a)の特徴により表わされる閾値信号波形Io’を、減衰結合波形と表記する。
【0049】
減衰結合波形を、水蒸気の吸収ピークの検出に適用した例を、
図6A(a)に示す。
図6A(a)では、減衰結合波形Io’そのものを検出閾値として、Io’>Ioとなる参照データの検出信号波形Ioの周波数データをすべて、水蒸気の吸収として除去する。
図6A(a)中の×印は、水蒸気の吸収として検出された周波数データを示す。
【0050】
係数(a)の最大値及び総和は、検出誤差にあたる程度の信号強度のゆらぎを検出しないように決定する。水蒸気の影響を受けていない、参照データの信号波形Ioに含まれるごく小さな信号量の変動を、過剰に検出することを防ぐためである。この方法では、水蒸気の吸収ピークを過度に検出することなく、ピーク波形のボトム部分のみを効率的に検出できる。さらに、常に参照データの信号波形Ioに基づいて閾値を決定するため、水蒸気の吸収を判定する閾値の設定が不要なうえ、装置分解能や測定環境が変わることによる、検出信号波形や強度の非再現性を加味する必要がない。
【0051】
図6A(a)の1.61THzや1.68THz付近のデータのように、減衰結合波形では、水蒸気の吸収ピークの裾(吸収ピーク波形の傾斜部)を形成するデータまで検出することが難しく、吸収ピークの裾部分を含めた検出には適していない。そのため、前方差分波形又は後方差分波形を用いて吸収ピークの裾部分の検出を行う方法について、次に例示する。
【0052】
図4のフィルタ係数(b)及び(c)のように、データ幅n=2に設定し、次に示す[数3]、[数4]に示す差分の波形を閾値信号波形Io’として生成する。[数3]で生成される波形を以下では前方差分波形といい、[数4]で生成される波形を以下では後方差分波形という。
【0053】
【0054】
図6A(b)は[数3]、
図6A(c)は[数4]によって生成された閾値信号波形Io’と参照データの信号波形Ioを示した。ここでは、閾値信号波形Io’のうち、正の波形のみを扱う。また、検出信号強度のゆらぎと水蒸気の吸収による信号の減衰量との境目として、閾値を40と定めて図示している。このときの水蒸気の吸収ピークの検出例について、
図6A(b)、(c)に示す。
図6A(b)では、負の方向に傾く裾のデータを、
図6A(c)では正の方向に傾く裾のデータを、それぞれ検出した結果となっている。
【0055】
図6A(b’)及び
図6A(c’)は、[数3]、[数4]で生成される閾値信号波形Io’のうち、負の波形を表示した結果である。
図6A(a)と比べて、吸収ピークのボトム部分の検出精度は同じようにも見えるが、吸収ピークを形成するデータ点数に応じて状況は異なる。
図6A(b’)、(c’)では、データ間の検出信号強度の変化量を基に判定を行っているため、検出光強度の変化が非常に小さく、ボトム部分が3点以上のデータで形成される場合も想定すると、図(b’)及び(c‘)では検出することができないデータが含まれてくる。このように、本実施の形態の閾値処理部232では、減衰結合波形、前方差分波形、及び後方差分波形のいずれかを使用して閾値処理を実行する。いずれの場合も、近赤外光検出器225からの信号を用いて生成した閾値で閾値処理が実行される。このような閾値処理によりデータが除去された後は、
図6Bに例示する如く、例えば線形補間を用いて、データの復元が実行される。
【0056】
以上から、水蒸気の吸収ピークを完全に除去する場合、
図4の係数(a)、(b)及び(c)を相補的に用いることで、吸収ピークを構成するデータの一部あるいはほぼ全てを検出することができる。例えば、
図4の係数(a)のみを用いた吸収の除去は、係数の総和を1未満の範囲で調整することで除去効果を小~中程度見込んだ方法であり、吸収ピークのボトム部分のみを検出・除去する場合に適用される。係数(a)のみでは検出が難しい場合には、係数(b)(c)を用いて、吸収ピークの裾部分を検出・除去する。係数(a)~(c)を併せることで、吸収ピークを構成するデータ点をほぼすべて(ボトム+裾)検出でき、除去効果が大きくすることができる。試料由来の吸収が、水蒸気の吸収ピーク付近でさらに複数個存在し、かつ試料の吸収が小さい場合などは係数(a)~(c)のすべての処理で以て除去を行うのが適切である。
【0057】
以上は、周波数分解能を10GHzとして測定したものであるため、各吸収ピーク周波数において±10GHz程度の周波数シフトを生じているが、閾値信号波形Io’もこのシフトに追従して生成される。これにより、周波数シフトや信号強度の変化といった、測定ごとのデータの非再現性は問題とならない。
【0058】
上記の操作を行った検出信号データを用いることで、湿潤空気中の水蒸気による影響を低減した吸収スペクトルを取得することができる。なお、乾燥空気下で取得した検出信号データ、及び上記の処理を経た湿潤空気下での検出信号データは、吸光度演算部234にて、吸収スぺクトルデータに変換される。Savitzky-Golay Filterや移動平均によるノイズ信号の平滑化処理を行った後、次の[数5]に示す、Lambert-Beerの法則に従って吸収スペクトルの演算を行う。
【0059】
【0060】
ただし、Aは吸光度、Ioは入射光の強度、Iは物質の透過光強度を示す。
【0061】
湿潤空気下で検出した信号波形を用いて、
図2のフローチャートの手順で減衰結合波形を使用して算出した吸光スペクトルの例を、
図7に示す。
図7(a)は、水蒸気の吸収を処理せず算出したスペクトルであり、
図7(b)は水蒸気の吸収ピークを除去して線形補間した信号を基に算出したスペクトルである。試料は、一般的な賦形剤成分として用いられる、乳糖1水和物で、1.21THz及び1.38THz付近に固有の吸収スペクトルを示す。
図7(a)の状態では、水蒸気の吸収と試料の吸収が重なり、ノイズを含むスペクトルのままであるが、
図7(b)では、試料由来の吸収が確認できるスペクトルとなっている。
図7(a)のように、固体試料が示す吸収ピークの幅は、水蒸気の吸収と比べてブロードである。このため、水蒸気の吸収ピーク幅に相当するデータを全て除去して線形補間した場合において、試料由来の吸収ピークが失われることはない。なお、上記のように、試料由来の吸収と水蒸気の吸収周波数が近接する場合においては、該当する周波数帯域においてのみ、高分解能で(狭い周波数間隔で)データを取得することで、さらにピークの分離性を向上させることができる。
【0062】
[第2の実施の形態]
次に、第2の実施の形態に係る遠赤外分光装置を、
図8を参照して説明する。
図8では、第1の実施の形態との差異部分を明確にするため、図の一部を簡略化している。第2の実施形態の遠赤外分光装置は、
図1で示した構成に加え、露点測定器300、及び露点温度に基づいて閾値設定を行う閾値処理部232Aを備えている。
図8において、末尾にAを付した構成要素は、
図1の同一番号の構成要素と実質的に同一のものであるので、以下では重複する説明は省略する。
【0063】
露点測定器300は、密閉チャンバ229A内部の、特に試料の周辺の雰囲気の露点温度を計測する計測装置である。制御部226Aは、露点測定器300からの露点温度に従い、閾値処理部における閾値設定のパラメータを変化させる。
【0064】
露点温度が高いほど、信号強度の低下及び水蒸気の吸収による減衰が強くなることから、水蒸気の吸収ピークの検出には、露点温度に適した閾値の再設定を必要とする場合がある。また、高い露点温度を維持して測定を続ける場合、試料を通さない参照データの検出信号強度に比べて、経時的に湿潤空気中の水分を吸着する試料のほうが、検出信号強度の減衰が大きくなる傾向を示す。このように、参照データと試料を介して取得したデータとの間で、信号強度の変動に乖離を生じる場合、参照データを基準とする閾値の設定が、試料に対しては不適切となることが考えられる。
【0065】
露点測定器300で計測された露点温度は、閾値処理部232Aにおいて、閾値設定に必要なパラメータを自動で選定するために用いることができる。例えば、前記の閾値信号波形(Io’)を生成するため用いる、一次結合のフィルタ係数を、露点温度に応じて変更することができる。露点温度を段階別に考慮して重みづけを行ったフィルタ係数を複数通り用意しておくことで、測定時に露点測定器129から取得した露点温度に応じて、水蒸気の吸収ピークを除去することができる。
【0066】
なお、上記の閾値の設定に加えて、参照データの取得において、テラヘルツ光を対象試料と性質の良く似た試料を通して得る検出信号強度を、参照データとすることも有効である。具体的には、医薬品錠剤中の有効成分を対象に測定する場合であれば、有効成分を含まず、賦形剤成分のみで構成される試料(プラセボ)を通した検出信号を参照データとする方法が採用し得る。この場合、参照データと試料の検出信号が受ける水蒸気の影響は類似し、有効成分による寄与の現れる周波数領域の差異を明確にすることができる。
[第3の実施の形態]
次に、第3の実施の形態に係る遠赤外分光装置を、
図9を参照して説明する。第2の実施の形態の遠赤外線装置は、第2の実施の形態の構成に加え更に、ドライエア供給部227Aを開閉する電磁弁227Bを備えている。
【0067】
制御部226Aは、ユーザーが指定した露点温度と、露点測定器300からの露点温度を比較し、密閉チャンバ229Aの内部が指定の露点温度となるよう、電磁弁227Aの開閉制御を行う。指定の露点温度が露点測定器300の計測結果に従って得られることにより、閾値処理部232Aにおける閾値設定を最適化することができる。上記の構成により、試料に適した露点温度を保持した状態で測定を行うことができ、湿度による試料の性状あるいは結晶形の変化を防ぐことができる。
【0068】
本発明は上記した実施形態に限定されるものではなく、様々な変形例が含まれる。例えば、上記した実施形態は本発明を分かりやすく説明するために詳細に説明したものであり、必ずしも説明した全ての構成を備えるものに限定されるものではない。また、ある実施形態の構成の一部を他の実施形態の構成に置き換えることが可能であり、また、ある実施形態の構成に他の実施形態の構成を加えることも可能である。また、各実施形態の構成の一部について、他の構成の追加・削除・置換をすることが可能である。
【符号の説明】
【0069】
211…近赤外光源(ポンプ光)
212…偏光ビームスプリッタ
213…近赤外光源(シード光)
214、215…光学素子
216…ミラー
221…非線形光学結晶(テラヘルツ光発生部)
222…Siプリズム(テラヘルツ光発生部)
221’…非線形光学結晶(検出光発生部)
222’…Siプリズム(検出光発生部)
223…導光光学系
ST…試料台
RM…移動ステージ
225…近赤外光検出器
226…制御部
227…ドライエア供給部
229…密閉チャンバ
230…検出信号処理部
231…演算前処理部
232…閾値処理部
233…信号補間部
234…吸光度演算部