(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-12-18
(45)【発行日】2023-12-26
(54)【発明の名称】マルテンサイト系ステンレス鋼部品およびその製造方法
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20231219BHJP
C22C 38/22 20060101ALI20231219BHJP
C22C 38/48 20060101ALI20231219BHJP
C21D 6/00 20060101ALI20231219BHJP
C21D 1/06 20060101ALI20231219BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C22C38/22
C22C38/48
C21D6/00 102J
C21D1/06 A
(21)【出願番号】P 2019202179
(22)【出願日】2019-11-07
【審査請求日】2022-09-09
(31)【優先権主張番号】P 2018227497
(32)【優先日】2018-12-04
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000005083
【氏名又は名称】株式会社プロテリアル
(72)【発明者】
【氏名】西田 純一
【審査官】鈴木 毅
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2017/150738(WO,A1)
【文献】特開2005-113203(JP,A)
【文献】特開昭54-083617(JP,A)
【文献】特公昭54-030892(JP,B2)
【文献】特開平11-050203(JP,A)
【文献】特開平10-036945(JP,A)
【文献】国際公開第2019/146743(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00 - 38/60
C21D 6/00
C21D 1/06
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.25~0.45%、Si:1.0%以下、Mn:0.1~1.5%、Cr:12.0~15.0%、Mo:0.5~3.0%、残部Feおよび不純物の成分組成でなるマルテンサイト系ステンレス鋼の表面に窒化層を有したマルテンサイト系ステンレス鋼部品であり、
前記マルテンサイト系ステンレス鋼部品の表面から0.1mmの深さの位置の硬さが650HV以上であり、
前記マルテンサイト系ステンレス鋼部品の表面から0.1mmの深さの位置の断面組織において円相当径が1μm以上の炭化物の個数密度が100個/10000μm2以下であることを特徴とするマルテンサイト系ステンレス鋼部品。
【請求項2】
前記窒化層が有する化合物層の厚さが1μm以下であることを特徴とする請求項1に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼部品。
【請求項3】
前記マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、Nb:0.3%以下を含むことを特徴とする請求項1または2に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼部品。
【請求項4】
前記マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、V:0.3%以下
を含むことを特徴とする請求項1ないし3のいずれかに記載のマルテンサイト系ステンレ
ス鋼部品。
【請求項5】
前記マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、W:3.0%以下を含むことを特徴とする請求項1ないし4のいずれかに記載のマルテンサイト系ステンレス鋼部品。
【請求項6】
前記マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、Ni:1.0%以下を含むことを特徴とする請求項1ないし5のいずれかに記載のマルテンサイト系ステンレス鋼部品。
【請求項7】
質量%で、C:0.25~0.45%、Si:1.0%以下、Mn:0.1~1.5%、Cr:12.0~15.0%、Mo:0.5~3.0%、残部Feおよび不純物の成分組成でなるマルテンサイト系ステンレス鋼に、窒素雰囲気中で1000~1150℃の温度に加熱して冷却する焼入れを行った後、焼戻しを行
い、マルテンサイト系ステンレス鋼部品の表面から0.1mmの深さの位置の硬さが650HV以上であり、前記マルテンサイト系ステンレス鋼部品の表面から0.1mmの深さの位置の断面組織において円相当径が1μm以上の炭化物の個数密度が100個/10000μm
2
以下であるマルテンサイト系ステンレス鋼部品を得ることを特徴とするマルテンサイト系ステンレス鋼部品の製造方法。
【請求項8】
前記マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、Nb:0.3%以下を含むことを特徴とする請求項7に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の製造方法。
【請求項9】
前記マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、V:0.3%以下を含むことを特徴とする請求項7または8に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の製造方法。
【請求項10】
前記マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、W:3.0%以下を含むことを特徴とする請求項7ないし9のいずれかに記載のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の製造方法。
【請求項11】
前記マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、Ni:1.0%以下を含むことを特徴とする請求項7ないし10のいずれかに記載のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、腐食環境下で使用される、例えば、各種の摺動部品や高強度部品等に用いることができるマルテンサイト系ステンレス鋼部品と、その製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、ステンレス鋼に窒素を添加することで、ステンレス鋼部品の耐食性や硬さ等の特性が向上することが知られている。そして、この窒素の添加方法として、ステンレス鋼を窒素雰囲気中で1000℃程度の高温に加熱して保持する「窒素吸収処理」を行うことが知られている。
例えば、特許文献1では、「成分が、重量%で、Cを0.26~0.40%の範囲、Siを1%以下の範囲、Mnを1%以下の範囲、Pを0.04%以下の範囲、Sを0.03%以下の範囲、Crを12~14%の範囲、Nを0.02%以下の範囲、Bを0.0005~0.002%の範囲でそれぞれ含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなる鋼材が窒素雰囲気中で加熱されて表層の窒素濃度が0.25~0.3%とされ、この後、水焼入れされてなるマルテンサイト系ステンレス鋼」が提案されている。そして、特許文献1の場合、このマルテンサイト系ステンレス鋼を得るための窒素吸収処理として、上記の窒素雰囲気中での加熱を、「1200℃、0.1MPaの窒素雰囲気中で1~3時間保持する固相窒素吸収法」とすることが提案されている。
【0003】
また、特許文献2では、「質量%で、C:0.10~0.40%、Si:1.00%以下、Mn:0.10~1.50%、Cr:10.0~18.0%、N:2.00%以下、残部Feおよび不純物の成分組成でなり、平均結晶粒径が20μm以下のマルテンサイト組織を有し、厚さが0.3mm以下のステンレス鋼部品であって、前記ステンレス鋼部品の表面から少なくとも0.05mmの深さまでの範囲のN量が0.80~2.00質量%であり、かつ、該範囲の硬度が650HV以上であるステンレス鋼部品」が提案されている。そして、特許文献2の場合、このステンレス鋼部品を得るための窒素吸収処理として、「厚さが0.3mm以下のステンレス鋼を、窒素雰囲気中で860℃以上に加熱して保持した後、冷却すること」が提案され、この窒素吸収処理によって製造されたステンレス鋼部材に、さらに「焼入れ焼戻しを行うこと」が提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【文献】特開2010-138425号公報
【文献】国際公開第2017/150738号パンフレット
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
特許文献1、2は、マルテンサイト系ステンレス鋼部品の表面硬さを高めるのに有効な手法である。しかし、特許文献1の場合、上記の窒素吸収処理(固相窒素吸収法)を、焼入れ加熱を利用して行うときに、その処理温度が通常の焼入れ温度よりも高くなってしまい、部品の機械的特性に影響を及ぼす懸念がある。また、特許文献2の場合、焼入れ焼戻し後の部品の耐食性が不足する場合が考えられた。
本発明の目的は、表面の硬度が十分に高く、耐食性および疲労強度に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼部品と、その製造方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
上記の課題に対し、本発明者は、窒素吸収処理の処理温度を高くしなくても、必要とされる窒素量を吸収できるような手法を検討した。その結果、マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成の改良が効果的であることを知見した。そして、焼入れ焼戻し後の部品に仕上げたときには、部品の表層部の「窒化層」の組織さえ調整すれば、部品の中央部にまで至るような過剰なN量を吸収させなくても、部品の表層の硬さを650HV以上とすることで、部品に優れた耐食性と疲労強度とを付与できることを突きとめた。加えて、このような表層部の窒化層の形態を達成するのに、上記の改良されたマルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成とすることこそが、窒素吸収処理の処理温度(つまり、焼入れ温度)を低くできる点で効果的であり、本発明に到達した。
【0007】
すなわち、本発明は、質量%で、C:0.25~0.45%、Si:1.0%以下、Mn:0.1~1.5%、Cr:12.0~15.0%、Mo:0.5~3.0%、残部Feおよび不純物の成分組成でなるマルテンサイト系ステンレス鋼の表面に窒化層を有したマルテンサイト系ステンレス鋼部品であり、このマルテンサイト系ステンレス鋼部品の表面から0.1mmの深さの位置の硬さが650HV以上であり、このマルテンサイト系ステンレス鋼部品の表面から0.1mmの深さの位置の断面組織において円相当径が1μm以上の炭化物の個数密度が100個/10000μm2以下のマルテンサイト系ステンレス鋼部品である。そして、好ましくは、上記の窒化層が有する化合物層の厚さが1μm以下のマルテンサイト系ステンレス鋼部品である。
【0008】
また、本発明は、質量%で、C:0.25~0.45%、Si:1.0%以下、Mn:0.1~1.5%、Cr:12.0~15.0%、Mo:0.5~3.0%、残部Feおよび不純物の成分組成でなるマルテンサイト系ステンレス鋼に、窒素雰囲気中で1000~1150℃の温度に加熱して冷却する焼入れを行った後、焼戻しを行うマルテンサイト系ステンレス鋼部品の製造方法である。
【0009】
これら本発明において、上記のマルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成が、さらに、質量%で、Nb:0.3%以下、V:0.3%以下、W:3.0%以下、Ni:1.0%以下のうちの1種以上を含むことが好ましい。
【発明の効果】
【0010】
本発明によれば、マルテンサイト系ステンレス鋼部品に、優れた耐食性と疲労強度とを付与することができる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】実施例で評価した部品8の表層部の断面組織を示す走査型電子顕微鏡写真である。
【
図2】実施例で評価した部品2の表層部の断面組織を示す走査型電子顕微鏡写真である。
【
図3】実施例で評価した部品1の塩水噴霧試験後の錆の発生状況を示す図面代用写真である。
【
図4】実施例で評価した部品5の塩水噴霧試験後の錆の発生状況を示す図面代用写真である。
【
図5】実施例で評価した部品1、2、4、8の回転曲げ疲労試験によるS-N曲線を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明の特徴は、マルテンサイト系ステンレス鋼部品の優れた耐食性と疲労強度とを両立させるためには、それに適したマルテンサイト系ステンレス鋼部品の成分組成と表層形態との組合せがあることを提案できた点にある。この成分組成と表層形態との組合せを有したマルテンサイト系ステンレス鋼部品であれば、窒素吸収処理の際の処理温度を低くすることができるので、例えば、焼入れ加熱時に窒素吸収処理の効果を得るときに、焼入れ温度を“通常(標準)の低さ”の温度に設定することができる。そして、このようなマルテンサイト系ステンレス鋼部品は、例えば、刃物やプラスチック成形工具、パンチといった、各種の摺動部品や高強度部品等に用いることができる。
以下、本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品について、その達成に好ましい製造方法も合わせて、説明する。
【0013】
(1)本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品は、質量%で、C:0.25~0.45%、Si:1.0%以下、Mn:0.1~1.5%、Cr:12.0~15.0%、Mo:0.5~3.0%、残部Feおよび不純物のマルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成でなるものである。
本発明の場合、部品に優れた耐摩耗性(つまり、高硬度)を付与するため、この材料には、焼入れ焼戻しによってマルテンサイト組織を発現する成分組成に調整された“マルテンサイト系ステンレス鋼”を用いる。
【0014】
・C:0.25~0.45質量%(以下、単に「%」と表記する。)
Cは、焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織の硬度を高めるのに有効な元素である。しかし、Cが多すぎると、部品用素材の作製に係る、溶製工程の凝固時において、鋳塊の凝固組織に粗大なクロム系炭化物が晶出する。そして、この粗大なクロム系炭化物は、素材の組織にも残って、かつ、未固溶炭化物として焼入れ焼戻し後のマルテンサイト組織でも消失せず、これが腐食の起点となって、部品の耐食性不足が生じる。また、Cが多すぎると、上記の鋳塊から素材を作製する過程で冷間加工性が低下して、所定の寸法の素材に仕上げることが容易でない。そして、Cを減じたとしても、本発明の場合、後述するMoの含有と、窒素吸収処理(焼入れ加熱)との組合せによって、部品の表層部に、例えば、650HV以上の硬さを付与することができる。
よって、Cの含有量は、0.25~0.45%とする。好ましくは0.28%以上である。より好ましくは0.30%以上である。また、好ましくは0.43%以下である。より好ましくは0.40%以下である。さらに好ましくは0.36%以下である。よりさらに好ましくは0.32%以下である
【0015】
・Si:1.0%以下
Siは、溶製工程時の脱酸剤等として使用され、不可避的に含まれ得る元素である。そして、Siが多すぎると、冷間加工性が低下する。
よって、Siの含有量は、1.0%以下とする。好ましくは0.8%以下である。より好ましくは0.65%以下である。さらに好ましくは0.5%以下である。よりさらに好ましくは0.4%以下である。なお、下限は特に要しないが、0.01%以上の含有が現実的である。現実的に好ましくは0.05%以上、さらに好ましくは0.1%以上である。よりさらに好ましくは0.2%以上である。
【0016】
・Mn:0.1~1.5%
Mnは、溶製工程時の脱酸剤等として使用され、不可避的に含まれ得る元素である。そして、特に、本発明においては、後述する窒素吸収処理で、組織への窒素の固溶を促進する効果を有する元素である。しかし、Mnが多すぎると、オーステナイト組織が安定化されて、マルテンサイト組織が得られ難くなる。
よって、Mnの含有量は、0.1~1.5%とする。好ましくは0.2%以上、より好ましくは0.3%以上、さらに好ましくは0.4%以上である。よりさらに好ましくは0.6%以上である。また、好ましくは1.3%以下、より好ましくは1.1%以下、さらに好ましくは1.0%以下である。より好ましくは0.8%以下である。
【0017】
・Cr:12.0~15.0%
Crは、ステンレス鋼の表面に非晶質の不動態皮膜を形成して、部品に耐食性を付与する元素である。また、ステンレス鋼に固溶できる窒素量を増加させる効果もあり、本発明においては、後述する窒素吸収処理で、窒素の固溶促進に働く元素である。但し、Crが多すぎると、フェライト組織が安定化されて、マルテンサイト組織が得られ難くなる。
よって、Crの含有量は、12.0~15.0%とする。好ましくは14.0%未満である。
【0018】
・Mo:0.5~3.0%
Moは、本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の優れた耐食性と疲労強度とを成立させるのに必須の元素である。
特許文献1によれば、マルテンサイト系ステンレス鋼にB(ホウ素)を添加すると、このBが、焼入れ加熱時の窒素吸収処理で鋼材表層に吸収された窒素と、続く水焼入れでBNとして析出して、鋼材表層の硬さを700HV以上に高めることができるとある。しかし、このような成分組成のマルテンサイト系ステンレス鋼であっても、上記の窒素吸収処理で必要とされるN量を吸収させようとすれば、現実的には、その処理温度を1200℃程度にまで高める必要がある。また、処理時間も長くなる。そして、この高温かつ長時間の窒素吸収処理によって、組織中の結晶粒(旧オーステナイト粒)が粗大化して、部品の疲労強度が低下することが考えられる。
【0019】
そこで、本発明者は、窒素吸収処理の処理温度を高くしなくても、必要量の窒素を吸収できる手法を検討した。その結果、マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成の改良が効果的であり、具体的には「Mo」の添加が実に効果的であることを突きとめた。上記のBには、BNの析出による高硬度化の効果はあるとしても、窒素の吸収量自体を高める効果は小さい。これに対して、Moには、その窒素との結合エネルギーが強いこと等に起因して、窒素吸収処理時の窒素吸収量を高める効果がある。そして、窒素吸収処理の処理温度を低めることができ、好ましくは処理時間も短縮できることから、部品の表層部における炭化物や結晶粒の粗大化を抑制することができる。また、Mo自体が、その固溶状態でステンレス鋼の不動態化被膜を安定化する効果があり、部品表面の耐食性を高めることにも寄与する。Moには、Crによる不動態皮膜が疵ついたときに、その疵ついた場所のCr量を高めて、不動態皮膜の修復力を強める働きがある。
以上の作用効果に基づいて、窒素吸収処理の条件を調整すれば、焼入れ焼戻し後のステンレス鋼部品の表層部(窒化層)の形態を、後述する炭化物組織や硬さに調整することができて、かつ、耐食性および疲労強度に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼部品を得ることができる。
【0020】
但し、Moが多すぎると、上述のCrと同様、フェライト組織が安定化されて、マルテンサイト組織が得られ難くなる。よって、Moの含有量は、0.5~3.0%とする。好ましくは0.7%以上、より好ましくは1.0%以上である。さらに好ましくは1.2%以上、よりさらに好ましくは1.4%以上である。また、好ましくは2.5%以下、より好ましくは2.0%以下である。さらに好ましくは1.8%以下、よりさらに好ましくは1.6%以下である。
【0021】
本発明に係るマルテンサイト系ステンレス鋼では、上記の元素種を含み、残部がFeおよび不純物でなる成分組成を基本的な成分組成とすることができる。このとき、多量のNを含有させることは、溶製工程で特殊な加圧溶解設備等を要することとなり、また、凝固後には粗大な窒化物が晶出する要因ともなり得る。そして、N含有量が多いと、焼入れ前の素材を製品形状に仕上げるときに、冷間加工時に加工硬化しやすくなり、中間焼鈍を繰り返しながら加工する必要があるし、被削性も劣化する。
よって、Nは、不純物として、例えば、0.1%未満とすることができる。好ましくは0.08%以下、より好ましくは0.05%以下、さらに好ましくは0.03%以下とすることができる。これにより、本発明では、焼入れ焼戻し前の(例えば、焼鈍状態の)、硬さが低い素材の状態で製品形状に加工しやすく、加工コストの低減が可能である。そして、本発明が必要とするNは、窒素吸収処理で十分量を容易に付与することができる。
このような基本的な成分組成に対して、以下の元素を含有することも可能である。
【0022】
・Nb:0.3%以下
Nbは、窒素吸収処理の処理温度を高めに設定した場合に、結晶粒の粗大化の抑制に働く元素である。但し、Nbが多すぎると、粗大なNb炭化物を晶出して、部品の強度が低下する。よって、Nbは、含有しないか(添加されないか)、または、含有するとしても、上限を0,3%とする。好ましくは0.2%以下である。より好ましくは0.15%以下である。なお、上記の効果を得るときのNbの含有量は、少量でも効果があるが、0.05%以上が好ましい。
【0023】
・V:0.3%以下
Vは、Nbと同様に、窒素吸収処理の処理温度を高めに設定した場合に、結晶粒の粗大化の抑制に働く元素である。但し、Vが多すぎると、窒素吸収処理中にV系の窒化物が析出および粗大化して、ステンレス鋼中の固溶窒素量が減少し、焼入れ焼戻し後の部品表層部の硬さが低下する。よって、Vは、含有しないか(添加されないか)、または、含有するとしても、上限を0.3%とする。好ましくは0.2%以下である。より好ましくは0.15%以下である。なお、上記の効果を得るときのVの含有量は、少量でも効果があるが、0.1%以上が好ましい。
【0024】
W:3.0%以下
Wは、Moと同様、窒素吸収処理時の窒素吸収量を高める効果がある。そして、固溶窒素量や窒化深さに与える影響も小さいことから、Moによる主効果を補完する元素として含有することができる。但し、Wが多すぎてもまた、フェライト組織が安定化されて、マルテンサイト組織が得られ難くなる。よって、Wは、含有しないか(添加されないか)、または、含有するとしても、上限を3.0%とする。好ましくは2.5%以下、より好ましくは2.0%以下である。さらに好ましくは1.5%以下である。なお、上記の効果を得るときのWの含有量は、少量でも効果があるが、0.5%以上が好ましい。より好ましくは0.7%以上、さらに好ましくは1.0%以上である。
【0025】
・Ni:1.0%以下
Niは、ステンレス鋼に腐食が生じても、その腐食の初期で、それ以上の腐食が進行することを抑える効果を有する。また、組織における基地の靱性を高める効果を有する。更には、オーステナイト組織を安定化させて、Nの固溶限を上げ、窒素吸収処理で多くの窒素を吸収させるのに働く元素である。但し、Niが多すぎると、オーステナイト組織が過度に安定化されて、マルテンサイト組織が得られ難くなる。よって、Niは、含有しないか(添加されないか)、または、含有するとしても、1.0%以下とする。好ましくは0.8%以下である。より好ましくは0.6%以下である。さらに好ましくは0.4%以下である。なお、上記の効果を得るときのNiの含有量は、好ましくは0.1%以上、より好ましくは0.2%以上である。
【0026】
(2)本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品は、(1)のマルテンサイト系ステンレス鋼の表面に窒化層を有するものである。
本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品は、そのマルテンサイト系ステンレス鋼の素材に、例えば、後述の窒素吸収処理(つまり、窒素吸収処理を兼ねた焼入れ加熱)を行うことで、その表面に窒化層を有している。そして、上記の素材が(1)の成分組成を満たしていることで、部品の表層部(窒化層)が、後述する(3)および(4)の形態を達成しやすく、部品に優れた耐食性と疲労強度とを付与することができる。
そして、好ましくは、上記の窒化層が有する化合物層の厚さが1μm以下である。このとき、上記の「1μm以下」とは、上記の窒化層が化合物層を有しない場合(つまり、厚さが「0μm」である場合)を含む。通常、窒化層は、その内部側に形成される拡散層と、表面側に形成される化合物層とで構成される。そして、化合物層とは、いわゆる「白層」とも呼ばれる、ε窒化物等を主体とした脆い層のことである。本発明の場合、この化合物層を規制することが、部品の耐食性および疲労強度の維持に好ましい。そして、後述の窒素吸収処理(つまり、窒素吸収処理を兼ねた焼入れ加熱)は、上記の化合物の形成を抑制するのにも好ましいものである。
【0027】
(3)本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品は、この表面から0.1mmの深さの位置の硬さが650HV以上のものである。
本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品は、その全体の硬さを向上させる必要がない。そして、部品の表面から0.1mmの深さの位置の硬さが「650HV以上」であれば、上記の位置よりも内部の硬さが650HV未満である場合でも、例えば、部品の中心部の硬さが650HV未満や、630HV以下、600HV以下、580HV以下である場合でも、部品の表層部が後述する(4)の形態を達成していることで、部品に優れた耐食性と疲労強度とを付与することができる。
上記の部品の表面から0.1mmの深さの位置の硬さについて、好ましくは660HV以上である。より好ましくは670HV以上、さらに好ましくは680HV以上、よりさらに好ましくは690HV以上である。700HV以上にすることも可能である。なお、硬さの上限を指定する必要はないが、800HV程度が現実的である。この硬さは、マルテンサイト系ステンレス鋼部品の、その窒化層を有した表面と垂直な断面組織で測定することができる。
また、上記の部品の表面から0.1mmの深さの位置の硬さが「650HV以上」であることについて、その「650HV以上」の硬さが、部品の表面から0.2mmの深さの位置でも達成されていることが好ましい。より好ましくは、部品の表面から0.3mmの深さの位置でも650HV以上の硬さが達成されていることである。このような深い位置でも高硬度を達成するには、後述する焼入れの際に、その加熱温度での保持時間を長くすることが効果的である。例えば、1時間以上、3時間以上、5時間以上といった保持時間である。
【0028】
このことによって、本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品は、その内部まで硬化させることが難しいような(つまり、窒素吸収処理で多量の窒素を吸収させることが難しいような)大きな部品でも、優れた耐食性と疲労強度とを達成することができる。例えば、上記の窒化層を有した部品の表面から内部に向かう方向において、部品の厚さが0.1mmを超えるものや、0.5mm以上のものとすることができる。そして、好ましくは、上記の厚さが1mm以上、3mm以上、5mm以上、7mm以上、9mm以上といった部品とすることができる。なお、部品の厚さの上限の設定は、特に要しない。そして、30mmや20mmといった上限が現実的である。
【0029】
(4)本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品は、この表面から0.1mmの深さの位置の断面組織において円相当径が1μm以上の炭化物の個数密度が100個/10000μm2以下のものである。
素材のステンレス鋼の成分組成が上述した(1)の成分組成でなる、本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の組織には、炭化物が形成される。また、窒素吸収処理によって、本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の表面には、窒化層が形成される。そして、この窒化層が形成されていることで、本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の表層部には、窒素吸収処理で吸収された窒素がマトリックス中に固溶するとともに、ステンレス鋼中のCr、Mo等の窒化物形成元素と結合して炭窒化物を生成する。
【0030】
このようなマルテンサイト系ステンレス鋼部品において、表層部の炭化物や炭窒化物(以下、本発明では、纏めて「炭化物」として扱う。)は多い方が、部品の耐摩耗性(表層部の硬度)を高める点で効果的である。しかし、これらの炭化物が粗大であると、これを起点とした疲労が発生しやすく、部品の疲労強度が劣化する。また、この炭化物が腐食の起点となって、耐食性が低下することも有り得る。そこで、本発明の場合、部品の耐食性および疲労強度を向上させるために、表層部の粗大な炭化物は低減した。
【0031】
そして、本発明者が検討した結果、上記の粗大な炭化物として「円相当径が1μm以上の炭化物」を対象とし、そして、上記の表層部の位置を「部品の表面から0.1mmの深さの位置の断面組織」として、この位置における上記の炭化物の個数密度を100個/10000μm2以下に低減することが、部品の耐食性および疲労強度の向上に効果的であることを突きとめた。上記の「100個/10000μm2以下」とは、円相当径が1μm以上の炭化物が確認されない場合(つまり、「0個/10000μm2」である場合)も含む。そして、好ましくは80個/10000μm2以下、より好ましくは50個/10000μm2以下、さらに好ましくは30個/10000μm2以下、よりさらに好ましくは10個/10000μm2以下である。このことにより、部品の表層部で腐食や疲労の起点が減って、部品の耐食性および疲労強度が向上する。そして、この結果として、部品の表層部の炭化物は微細化されて、かつ、窒素吸収処理で吸収された窒素も基地中に固溶して、部品の表層部は十分な硬度に維持される。
【0032】
なお、上記において、炭化物の分布状態を測定する「断面組織」は、マルテンサイト系ステンレス鋼部品の、その窒化層を有した表面と垂直な断面組織とすることができる。そして、この断面組織を走査型電子顕微鏡で観察して、その10000μm2分の視野面積を画像解析することで、円相当径(面積円相当径である。)が1μm以上の炭化物の個数をカウントすることができる。なお、炭化物の同定は、走査型電子顕微鏡に付属する、EPMA(電子線マイクロアナライザ)による元素マッピングで確認することができる。
【0033】
(5)本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品の製造方法は、上述した(1)のマルテンサイト系ステンレス鋼に、窒素雰囲気中で1000~1150℃の温度に加熱して冷却する焼入れを行った後、焼戻しを行うものである。
焼入れ焼戻しは、マルテンサイト系ステンレス鋼の機械的特性を、その用途に適した状態に調整するために行われる。このうち焼入れについて、本発明では、上述の(1)のマルテンサイト系ステンレス鋼に、窒素吸収処理を伴った焼入れを行う。そして、この窒素吸収処理を以下の条件とすることで、焼入れ温度を、マルテンサイト系ステンレス鋼に標準的に適用される「1000~1150℃」の低い温度とすることができる。そして、続く焼戻し後には、表層部が上述の(2)~(4)の状態を満たした、本発明のマルテンサイト系ステンレス鋼部品とすることができる。
【0034】
特許文献2によれば、マルテンサイト系ステンレス鋼に窒素吸収処理を行うことで、その部材の中心部にまで窒素を吸収させることができるので、焼入れ焼戻し後には、部品表面の硬さを650HV以上に高めることができる。しかし、そのためには、部品の厚さを0.3mm以下にする必要がある。また、窒素吸収処理の処理温度と焼入れ温度とが異なることから、窒素吸収処理と焼入れとを分けて行う必要がある。そして、部材に吸収させる窒素量が多いことや、そのための長時間の窒素吸収処理に起因して、例えば、部材の組織中に粗大な炭化物が多く形成されると、部品の耐食性や疲労強度が不足する場合が考えられる。
【0035】
これに対して、本発明の場合、窒素吸収処理を焼入れに合わせて行う。そして、マルテンサイト系ステンレス鋼が上記の(1)の成分組成を有し、特にMoを含有していることで、まず、その合金としての固溶できる窒素量を高めている。さらに、上記の(1)の成分組成によって、このステンレス鋼は1000℃以上の加熱温度で、組織が十分にオーステナイト化するところ、オーステナイトもまた固溶できる窒素量が多い組織である。よって、上記のマルテンサイト系ステンレス鋼を、窒素雰囲気中で、この加熱温度に保持すれば、そのときのオーステナイト状態にある表層部の組織に、化合物層を生成することなく、十分量の窒素を固溶させることができる。好ましくは1050℃以上の加熱温度である。そして、この加熱温度の上限を1150℃とすることで、結晶粒の粗大化を抑制することができて、部品の強度を高く維持することができる。好ましくは1100℃の上限である。
【0036】
そして、マルテンサイト系ステンレス鋼の標準的な焼入れ条件に従うことで、加熱温度からの冷却は、例えば、上記の加熱温度で保持し、表層部が十分量の窒素を吸収した後に、焼入れ冷却することができる。このとき、上記の加熱温度で保持する加熱時間は、目的とする表層部の状態に応じて適宜設定することができ、例えば、10分~7時間の範囲内で設定することができる。好ましい加熱時間の下限は20分である。また、加熱時間の上限は、6時間、5時間、4時間、3時間、2時間といった時間を設定することができる。加熱時間を1時間前後とすることもできる。また、このとき、上記の焼入れ冷却は、パーライトやフェライトの析出を抑制するために、急冷することが好ましい。例えば、加熱温度(焼入れ温度)から500℃までの冷却を、0.5℃/秒以上の速い冷却速度とすることが好ましい。より好ましくは、冷却中の結晶粒界に炭化物や窒化物が析出して、硬さ低下や粒界腐食の要因となることを抑制するために、1℃/秒以上の冷却速度である。
【0037】
上記の窒素雰囲気として、例えば、窒素ガスを使用できる。具体例として、この窒素ガスが90体積%以上含まれた雰囲気である。そして、好ましくは、この窒素雰囲気を「加圧雰囲気」とすることで(大気圧を含む)、素材の表面からの窒素の吸収が促進されるので、処理時間や処理コストの短縮に効果的である。これについては、窒素雰囲気中でプラズマを発生させ、より活性なラジカル窒素を利用することも、処理時間や処理コストの短縮に効果的である。
【0038】
以上の窒素吸収処理の条件によって、本発明に係る焼入れをマルテンサイト系ステンレス鋼の標準的な焼入れパターンで行うことができるので、その表層部における炭化物や結晶粒の粗大化を抑制しながら、焼入れ後の表層部を高窒素マルテンサイト組織とすることができる。
なお、必要に応じて、焼入れ後にサブゼロ処理を実施することができる。サブゼロ処理を実施することで、安定して高硬度が得られる。処理温度は、例えば、-50℃以下とすることができる。そして、処理温度での保持時間は、例えば、30分~1時間とすることができる。
【0039】
そして、上記の焼入れを終えたマルテンサイト系ステンレス鋼に焼戻し行って、硬さ等の機械的特性を調整する。焼戻しによって組織中に析出する炭化物は微細なので、部品の耐食性を劣化させることなく、耐摩耗性を向上させることができる。焼戻し温度は、例えば、150~650℃とすることができる。焼戻し温度での保持時間は、例えば、30秒~1時間とすることができる。これらのことによって、部品の表層部の硬度を、650HV以上に高硬度化することができる。
このとき、部品の表層部の硬度を向上させる上で、焼戻し温度を200℃前後の低温焼戻しか、あるいは500℃前後の高温焼戻しに設定することが好ましい。耐食性を重視する場合、低温焼戻しがよい。低温焼戻しによって、Cr系の炭化物や窒化物等の析出を適当に抑制し、基地の固溶C量やN量を確保して、表層部の硬度を高く維持できる。そして、この析出箇所に隣接する部分のCrの欠乏を低減できるので、耐食性も確保できる。そして、この低温焼戻しより、焼戻し温度が高くなるに連れて、硬さは低下する傾向にあるものの、500℃前後の焼戻し温度でMo等の合金元素の炭化物が微細に析出して、2次硬化する。高温焼戻しは、マルテンサイト系ステンレス鋼部品の軟化抵抗を高めるのに効果がある。
【実施例】
【0040】
高周波誘導溶解炉で溶解した10kgの溶湯を鋳造して、複数の成分組成を有するマルテンサイト系ステンレス鋼の鋳塊を作製した。次に、これらの鋳塊に、鍛造比(鍛造前の断面積/鍛造後の断面積)が10程度の熱間鍛造を行って冷却した後、780℃で焼鈍して、焼鈍材を得た。そして、これらの焼鈍材から10mm角のブロックを切り出してステンレス鋼の素材A~Iを得た(硬さ約200HV)。素材A~Iの成分組成を、表1に示す。
【0041】
【0042】
素材A~Iに、大気圧の窒素ガス(純度99%)でなる窒素雰囲気中、または、真空中で加熱して保持する焼入れ加熱を実施した後、2気圧に加圧した窒素ガスで室温まで急冷する焼入れを行った。上記の焼入れ加熱における加熱温度および、その加熱温度での保持時間は、表2の通りである。焼入れ後には、直ちにサブゼロ処理を行った。サブゼロ処理の条件は、-75℃の液化二酸化炭素を用いて、これに60分保持するものとした。そして、この後に、表2の焼戻し温度で1時間保持する焼戻しを行って、ステンレス鋼の部品1~15を得た。なお、このとき、部品の表面を0.02mm研磨して、スケールを除去した。
【0043】
部品1~15を、その窒化層を有したブロックの表面と垂直な断面で半割りにした。そして、その断面において、表層部(つまり、窒化層を有した表面から0.1mmの深さの位置)と、中心部(つまり、表面から5mmの位置)とのビッカース硬さを測定した。測定時の荷重は100gとした。
また同時に、部品の表層部の炭化物も観察した。つまり、上記の断面において、その窒化層を有した表面から0.1mmの深さの位置の組織を走査型電子顕微鏡で観察した(倍率3000倍)。
図1は、本発明例の部品8の顕微鏡像であり、
図2は、比較例の部品2の顕微鏡像である。
図1、2において、粒状の灰色コントラスト相(例えば、図中の矢印のもの)で確認される分布物が炭化物(炭窒化物を含む)である。このことについては、走査型電子顕微鏡に付属するEPMAによる元素マッピングで確認できる。そして、この視野面積を10000μm
2分画像解析することで、円相当径が1μm以上の炭化物の個数をカウントして、その個数密度(個/10000μm
2)を測定した。なお、上記の画像解析には、アメリカ国立衛生研究所(NIH)が提供している画像処理ソフトウエア「ImageJ(http://imageJ.gov/ij/)」を用いた。これらの結果も表2に示す。
【0044】
そして、部品1~15の表面に35℃の5%塩水を5時間噴霧する塩水噴霧試験を行って、耐食性を評価した。耐食性の評価は、塩水噴霧試験後の表面における錆の発生状況を観察して行った。評価基準は、
図3、4に示した錆の発生状況を基準として、
図4(錆の発生部分が約5面積%)よりも錆の発生が軽微なものを「◎(優)」、
図4よりも錆の発生が顕著であるが、錆の発生部分が概ね50面積%よりも小さいものも「○(良)」、錆の発生部分が50面積%以上であるが、
図3(同約70面積%)のそれよりも軽微なものを「△(可)」、
図3よりも錆の発生が顕著なものを「×(劣)」とした。これらの結果も、併せて表2に示す。
【0045】
【0046】
部品1は、0.65%の炭素を含んだ一般的なマルテンサイト系ステンレス鋼を素材に用いて作製した比較例である。このことによって、標準的な焼入れ条件で部品の表層部および中心部ともに700HV以上の高硬度が得られた。しかし、炭素量が多いため、表層部には焼入れで固溶しなかった粗大な炭化物が多く残っており、これが腐食の起点となって、塩水噴霧試験で顕著な錆が発生した。
【0047】
部品2は、溶製工程で窒素を添加したマルテンサイト系ステンレス鋼を素材に用いて作製した比較例である。このことによって、組織の基地中には多量の窒素が固溶して、耐食性に優れ、高硬度も得られている。ただし、溶解時から窒素を添加したために、凝固時の組織中に粗大な炭化物(炭窒化物)が晶出して、部品の表層部に粗大な炭化物が多く確認された。
図2に、部品2の表層部の組織断面の走査型電子顕微鏡像を示す。粒径(円相当径)が1μm以上の粒状の炭化物が多く観察された。
【0048】
部品3~6は、同じ成分組成のマルテンサイト系ステンレス鋼の素材に、異なる条件の焼入れ焼戻しを行って作製した本発明例である。部品3~6は、素材が適量のMoを含有していることから、いずれの焼入れ条件によっても、その標準的な条件の範囲で、部品表面から0.1mmの深さの表層部の位置の硬さが650HV以上を達成した。このとき、焼入れ温度が高い程、硬さが高い傾向であった。そして、表層部の断面組織で観察される炭化物も微細で、粗大な炭化物は少なく、部品6では円相当径が1μm以上の炭化物自体が確認されなかった。また、窒化層の表面に化合物層も認められなかった。塩水噴霧試験の結果は、部品3、4、6で錆がほとんど確認されず、耐食性に優れていた。そして、焼戻し温度が高かった部品5であっても、十分な耐食性(錆の発生部分が約20面積%)を備えていた。
【0049】
部品7~11は、異なる成分組成のマルテンサイト系ステンレス鋼の素材に、同じ条件の焼入れ焼戻しを行って作製した本発明例である(なお、部品9は、部品8の焼入れ条件を変更したものである)。部品7~11は、それぞれの素材にV、Nb、W、Niを添加したものであるが、適量のMoを含有していることで、その表面から0.1mmの深さの位置の表層部の硬さが650HV以上を達成した。また、表層部の断面組織で観察される炭化物も微細で、粗大な炭化物は少なく抑えられていた。
図1は、部品8の表層部の組織断面の走査型電子顕微鏡像であり、粒径(円相当径)が1μm以上の炭化物は少なく抑えられていた。部品9は、部品8の焼入れ温度を高めたものである。そして、素材にNbを添加していることで、結晶粒の粗大化が抑制されて、表層部の結晶粒は部品6と同程度に微細に維持されていた。そして、部品7~11は、窒化層の表面に化合物層が認められず、かつ、塩水噴霧試験でも錆がほとんど確認されず、耐食性に優れていた。
【0050】
部品12は、CおよびCrを高めに調整したマルテンサイト系ステンレス鋼を素材に用いて作製した本発明例である。このことによって、未固溶炭化物が増加して、部品の表層部で粗大な炭化物がやや増えたが、表層部は650HV以上の高硬度を達成した。そして、耐食性にも優れていた。
部品13は、Moを高めに調整したマルテンサイト系ステンレス鋼を素材に用いて作製した本発明例である。そして、他の本発明例の部品と同様、部品の表層部で650HV以上の高硬度を達成し、かつ、耐食性にも優れていた。
部品14、15は焼入れ加熱保持時間をそれぞれ180分、300分と部品1~13よりも長時間に設定した本発明例である。加熱保持時間が長くなるにつれて窒化深さは深くなる傾向にあり、650HV以上の硬さが得られる範囲は、部品の表面からそれぞれ0.2mm、0.3mmの深さ位置まで達していることを確認した。また、部品14、15の両方とも十分な耐食性を備えていることも確認できた。
【0051】
比較例である部品1、2と、本発明例である部品4、8とに、回転曲げ疲労試験を実施した。試験片は、実施例1で得た焼鈍材から採取した平行部が直径6mmの丸棒に、表2の焼入れ焼戻しを行って部品とした。なお、部品の表面を0.02mm研磨して、スケールを除去した。回転数は3000rpmとした。
図5に、S-N曲線を示す。
図5において、曲線が上に位置するもの程、疲労強度が高く、上から部品8、4、1、2の順で疲労強度に優れていた。部品8は、表層部で観察される炭化物が粗大でないことに加えて、結晶粒も微細なことから、最も優れた疲労特性を示した。部品2は、高窒素鋼であるが、表層部に粗大な炭化物が多く、これが疲労の起点となって疲労強度が低下したと考えられる。