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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-04-19
(45)【発行日】2024-04-30
(54)【発明の名称】長期核酸受容能卵の製造方法
(51)【国際特許分類】
   A01K 67/04 20060101AFI20240422BHJP
【FI】
A01K67/04 312Z
A01K67/04 301
【請求項の数】 7
(21)【出願番号】P 2021018044
(22)【出願日】2021-02-08
(65)【公開番号】P2022120963
(43)【公開日】2022-08-19
【審査請求日】2023-07-31
(73)【特許権者】
【識別番号】501203344
【氏名又は名称】国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】110002572
【氏名又は名称】弁理士法人平木国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】内野 恵郎
(72)【発明者】
【氏名】小島 桂
(72)【発明者】
【氏名】瀬筒 秀樹
(72)【発明者】
【氏名】飯塚 哲也
(72)【発明者】
【氏名】立松 謙一郎
【審査官】磯田 真美
(56)【参考文献】
【文献】特開2004-267007(JP,A)
【文献】特開2003-088273(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2018/0288988(US,A1)
【文献】特開2020-134533(JP,A)
【文献】特開2012-044889(JP,A)
【文献】特許第6765803(JP,B1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A01K 67/00 - 67/04
C12N 15/85
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
チョウ目昆虫の産卵後の卵を少なくとも受精が完了するまで胚発生温度で保温する保温工程、及び
前記保温工程後の卵を-2.5~15℃で処理する低温処理工程
を含む長期核酸受容能卵の製造方法。
【請求項2】
前記胚発生温度が18~32℃である、請求項1に記載の製造方法。
【請求項3】
前記保温工程における保温時間が1時間~4時間である、請求項1又は2に記載の製造方法。
【請求項4】
前記低温処理工程における処理時間が3時間~4日間である、請求項1~3のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項5】
前記チョウ目昆虫がカイコである、請求項1~4のいずれか一項に記載の製造方法。
【請求項6】
チョウ目昆虫の産卵後の卵を18~32℃で1時間~4時間保温した後、-2.5~15℃で処理して得られる長期核酸受容能卵。
【請求項7】
前記-2.5~15℃での処理時間が3時間~4日間である、請求項6に記載の長期核酸受容能卵。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、外来核酸の受容可能期間が長いチョウ目昆虫卵の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
生物の遺伝子組換え技術は、遺伝子の機能解析や有用タンパク質を生産する上で不可欠な技術である。従来、遺伝子組換えに用いる宿主生物には、主として大腸菌や酵母が利用されてきた。これらの宿主生物は、培養が容易で、短期間で大量増殖できるという利点を有しており、医療用検査薬、化粧品、動物薬、及び医薬品の原料となる有用タンパク質の生産に利用されてきた。しかし、近年では大腸菌や酵母に代わるタンパク質の大量生産系に適した宿主生物として、カイコが脚光を浴びている。
【0003】
カイコ(Bombyx mori)は、絹を生産するために古くから産業上利用されてきた昆虫であり、前蛹期に繭を作るため短期間で絹糸を大量に生産することができる。これは、カイコの絹糸腺におけるタンパク質生産能力の高さに基づく。この生産能力を利用して、現在では、遺伝子操作技術により絹糸以外の有用タンパク質を大量生産することが可能となっている。
【0004】
カイコをタンパク質の大量生産系宿主として利用する場合、外来遺伝子を導入した形質転換体、すなわち遺伝子組換えカイコ(トランスジェニックカイコ)の作出技術が必要となる。トランスジェニックカイコの作出方法は、卵に所望の遺伝子を注射し、トランスポゾン技術、及びTALEN又はCRISPER/Cas9等のゲノム編集技術を利用して前記所望の遺伝子をゲノム中に組み込むマイクロインジェクション法が現在最も主要な方法となっている(特許文献1、非特許文献1)。しかし、マイクロインジェクション法は、一つ一つの卵に対して遺伝子導入操作を行う必要がある。また、その作業にはカイコの飼育、採卵等の事前準備が必要であり、通常は遺伝子導入操作を開始できるようになるまでに2~3カ月を要する。それ故に、一度のマイクロインジェクションで目的のトランスジェニックカイコが得られなかった場合、次の作業開始まで多大なタイムロスを生じてしまう。
【0005】
ところで、カイコの初期胚発生は、哺乳動物のそれとは異なる様式で行われる。カイコでは、産卵後、数時間以内に雄核と雌核が融合して受精を完了する。しかし、直ちに卵割を開始せず、シンシチウムと呼ばれる細胞膜を持たない核のみが受精卵内で分裂を繰り返し、やがて核は卵の表面へと移動する。その後、卵表面に分散した核は卵表層付近で細胞膜を形成し、表割と呼ばれる卵割を開始する。
【0006】
カイコの形質転換体を作製する場合、核が細胞膜に取り込まれる表割前の産卵後2~8時間、好ましくは4~8時間の卵に目的の遺伝子を導入しなければならないという時間的制約がある。この期間を過ぎると形質転換体の出現効率が著しく減少するとされているためである(非特許文献2)。ところが、マイクロインジェクションの操作中も卵の発生は進行するため、一度の作業でインジェクションできる卵数は限られてしまう。また、各卵へのインジェクション作業の時間差がトランスジェニックカイコの作出効率にも大きく影響する。
【0007】
以上のような作業効率性の低さやトランスジェニックカイコの作出効率の低さがトランスジェニックカイコによるタンパク質の大量生産システムにおいて生産効率上の大きな問題となっていた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【文献】特許第5240699号公報
【非特許文献】
【0009】
【文献】Tamura T., et al. (2000) Nat. Biotechnol.18, 81-84.
【文献】田村俊樹(2007)遺伝子組換えカイコの作出法の開発と利用(シリーズ21世紀の農学:動物・微生物の遺伝子工学研究、日本農学会編)pp57-76.養賢堂.東京.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、チョウ目昆虫の遺伝子組換え体を大量かつ効率的に作製するため、その卵における外来核酸の受容可能期間を従来法のそれよりも延長する方法、及び、その方法により受容可能期間が延長された核酸導入用の卵の製造方法を開発し、提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するため、本発明者らは、まず受精卵を低温下に曝露して、受容可能期間を延長する方法を試みた。カイコでは、越冬のために受精卵を低温下で保存して休眠させる方法が知られている。例えば、特開2004-267007には、カイコの受精卵を段階的に冷却し、-2.5℃~0℃で冷蔵することにより、孵化率を維持したまま長期間低温保存が可能な受精卵を作製する方法が開示されている。ところが、この方法では孵化率を維持できても組換え体を全く得ることはできず、受精卵を単に低温処理しても外来核酸の受容可能期間を延長することはできないことが明らかとなった。
【0012】
そこで、本発明者らは、さらに研究を重ねた結果、受精卵が表割を開始するまでの特定の期間内に卵を所定の低温下に曝露した時にのみ、孵化率を維持できるだけでなく、遺伝子導入による外部遺伝子の受容可能期間を延長できることを見出した。
【0013】
前述のように、越冬を目的として受精卵を低温下に配置する場合、産卵後25℃で30~60日間前処理をするため、受精卵は表割が完了した胚発生後期の状態となっている。一方、受精から表割開始までの時期は、胚発生初期の極めて繊細な時期である。一般に、この時期に低温処理を行い、胚発生を停止させる行為や、その解除後、直ちに侵襲性の高い遺伝子導入を行う行為は、卵の発生異常や死亡を引き起こすリスクが極めて高い。それ故に、当該分野ではこの時期の低温処理は禁忌とされてきた。ところが、今回、その胚発生初期の特定の期間に所定の温度で低温処理することで、上記課題を達成し得ることが明らかとなった。本発明は、当該知見に基づくもので以下を提供する。
【0014】
(1)チョウ目昆虫の産卵後の卵を少なくとも受精が完了するまで胚発生温度で保温する保温工程、及び
前記保温工程後の卵を-2.5~15℃で処理する低温処理工程
を含む長期核酸受容能卵の製造方法
(2)前記胚発生温度が18~32℃である、(1)に記載の製造方法。
(3)前記保温工程における保温時間が1時間~4時間である、(1)又は(2)に記載の製造方法。
(4)前記低温処理工程における処理時間が3時間~4日間である、(1)~(3)のいずれかに記載の製造方法。
(5)前記チョウ目昆虫がカイコである、(1)~(4)のいずれかに記載の製造方法。
(6)チョウ目昆虫の産卵後の卵を18~32℃で1時間~4時間保温した後、-2.5~15℃で処理して得られる長期核酸受容能卵。
(7)前記-2.5~15℃での処理時間が3時間~4日間である、(6)に記載の長期核酸受容能卵。
【発明の効果】
【0015】
本発明の長期核酸受容能卵の製造方法によれば、マイクロインジェクション法で使用されるチョウ目昆虫の受精卵において、従来法で処理した卵よりも核酸受容期間の長い受精卵を製造することができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
図1】本発明の比較例及び実施例1において外来核酸として使用した発現ベクターの概念図である。
図2図1に記載の発現ベクターをマイクロインジェクションすることにより形質転換したカイコ等の卵(胚)の表現型を示す図である。a及びbはインジェクションしていない卵であり、c及びdはマイクロインジェクションにより得られた遺伝子組換え卵である。a及びcは白色光での図であり、b及びdはそれぞれa及びcと同視野における蛍光図である。dにおける矢印は、DsRedの発現が認められる部分を示す。
図3】実施例2の結果を示す図である。G0(遺伝子導入世代)における体細胞レベルでの核酸受容能をCRISPER/Cas9システムを用いたBmBLOS2遺伝子の遺伝子破壊により検証した。aは、25℃で1時間産卵させた後に卵を回収し、25℃にて4時間保温した卵にマイクロインジェクションした従来法によるG0カイコの腹部の一部を示す図である(表3:実験群1)。bは、25℃で1時間産卵後に卵を回収し、25℃にて24時間保温した卵にマイクロインジェクションしたG0カイコの腹部の一部を示す図である(表3:実験群2)。cは、25℃で1時間産卵させた後に卵を回収し、10℃にて24時間低温処理した卵にマイクロインジェクションしたG0カイコの腹部の一部を示す図である(表3:実験群3)。dは、マイクロインジェクションを行っていない野生型カイコにおける腹部の一部を示す図である(表3:実験群4)。図中の白横棒は1cmに相当するサイズを示す。
【発明を実施するための形態】
【0017】
1.長期核酸受容能卵製造方法
1-1.概要
本発明の第一の態様は、長期核酸受容能卵の製造方法である。本発明の長期核酸受容能卵の製造方法は、チョウ目昆虫の産卵後の卵を受精後から表割を開始するまでの期間内に所定の時間、低温で処理することを特徴とする。カイコ等のチョウ目昆虫において、従来、産卵後2~8時間という限られた期間内に外来遺伝子を卵に導入しなければ遺伝子組換え体の作製が困難であった。しかし、本発明の製造方法によれば、核酸受容期間を1日以上の長期間に延長することができる。
【0018】
1-2.用語の定義
本発明で使用する以下の用語について定義する。
【0019】
「チョウ目昆虫」とは、分類学上のチョウ目(Lepidoptera)に属する昆虫であって、チョウ又はガが該当する。チョウには、タテハチョウ科(Nymphalidae)、アゲハチョウ科(Papilionidae)、シロチョウ科(Pieridae)、シジミチョウ科(Lycaenidae)、及びセセリチョウ科(Hesperiidae)に属する昆虫が含まれる。ガには、ヤママユガ科(Saturniidae)、カイコガ科(Bombycidae)、イボタガ科(Brahmaeidae)、オビガ科(Eupterotidae)、カレハガ科(Lasiocampidae)、ミノガ科(Psychidae)、シャクガ(Geometridae)、ヒトリガ科(Archtiidae)、ヤガ科(Noctuidae)、メイガ科(Pyralidae)、スズメガ科(Sphingidae)等に属する昆虫が含まれる。具体的には、例えば、ガであれば、Bombyx属、Samia属、Antheraea属、Saturnia属、Attacus属、Rhodinia属に属する種、より具体的には、カイコ、クワコ(Bombyx mandarina)、シンジュサン(Samia cynthia;エリサンSamia cynthia ricini及びシンジュサンとエリサンの交配種を含む)、ヤママユガ(Antheraea yamamai)、サクサン(Antheraea pernyi)、ヒメヤママユ(Saturnia japonica)、オオミズアオ(Actias gnoma)等が挙げられる。好ましくはカイコである。ただし、本発明のチョウ目昆虫は、これらの種には限定はされない。
【0020】
「カイコ」とは、カイコガの幼虫を意味する。ただし、本明細書ではカイコガの幼虫以外の発生ステージについても、特段の断りのない限り、周知用語の「カイコ」で表記する。
【0021】
「遺伝子組換え」とは、宿主生物が有する内因性の遺伝情報を人為的に改変することをいう。特に、本明細書において「遺伝情報の改変」とは、本来の遺伝情報をその多寡にかかわらず変更することをいい、例えば、遺伝情報の付加、欠失、置換、及び編集等を含む広義の改変が該当する。遺伝情報の人為的改変は、既存の遺伝子組換え技術によって達成し得る。例えば、プラスミド等のベクターやトランスポゾンを用いて、宿主生物が保有しない遺伝情報を追加する方法、若しくは宿主生物の保有する遺伝情報を破壊する方法、又はTALEN、CRISPER/Cas9、ZFN等を用いたゲノム編集技術により宿主生物のゲノム情報を改変する方法等が挙げられる。
【0022】
本明細書において「遺伝子組換えチョウ目昆虫」とは、前記遺伝子組換えの技術を用いて作製したチョウ目昆虫の遺伝子組換え体、又はその後代をいう。本明細書の遺伝子組換えチョウ目昆虫は、限定はしないがマイクロインジェクション法により外来DNAをその卵に導入して得られる遺伝子組換え体をいう。
【0023】
「遺伝子組換えカイコ」(弊所ではしばしば「トランスジェニックカイコ」と表記する)とは、前記遺伝子組換えチョウ目昆虫のうち、カイコを宿主とするカイコの遺伝子組換え体、又は組換え遺伝子を保有するその後代をいう。
【0024】
本明細書において「核酸受容能卵」とは、導入された外来核酸を受容し、遺伝子組換え体を発生し得る受容能力を有する卵をいう。前述のように、カイコをはじめとするチョウ目昆虫の卵は、通常、受精後から表割開始までの期間が外来核酸の受容可能期間に相当する。本明細書では、この期間をしばしば「核酸受容期間」と称する。チョウ目昆虫の卵において、具体的な核酸受容期間は、種によって変動し得る。例えばカイコの場合、一般に20~30℃の温度下で、産卵後1時間~9時間、好ましくは産卵後2時間~8時間半、産卵後3時間~8時間、又は産卵後4時間~8時間の期間内とされている。一方、産卵直後から受精完了までの期間、及び核酸受容期間を経過した卵は、遺伝子組換え体の出現効率が著しく減少する。
【0025】
本明細書において「長期核酸受容能卵」とは、核酸受容期間が通常の核酸受容能卵と比較して長い卵で、本発明の製造方法によって得られる卵が該当する。
【0026】
本明細書において「外来核酸」とは、核酸導入に供される宿主以外に由来する核酸をいう。本明細書の製造方法によって得られる長期核酸受容能卵は、その卵に外来核酸を導入し、遺伝子組換え体を作出するために使用される。したがって、導入される外来核酸とは、限定はしないが、主に目的とする外来遺伝子又はその機能断片であり、またその外来遺伝子を宿主細胞(卵)内に導入するためのベクター(例えば、プラスミド等)及び宿主細胞(卵)内で外来遺伝子等の発現を可能な状態にし、その発現を制御する制御配列(例えば、プロモーター、エンハンサー、シグナルペプチドDNA、ターミネーター、標識遺伝子、インスレーター、及びトランスポゾンの逆位末端反復配列等を含む)が含まれる。それ故に、外来遺伝子及びその発現に必要なベクター及び制御配列を外来核酸として導入する場合、本明細書では、核酸受容能卵をしばしば「遺伝子受容能卵」と、また長期核酸受容能卵は「長期遺伝子受容能卵」と、称する。
【0027】
本明細書において「核酸(の)導入」とは、宿主細胞の形質転換を目的として、人為的操作により宿主細胞内に外来核酸を導入することをいう。特に、宿主の遺伝子組換え体の作製を目的とした核酸の導入を、本明細書では「遺伝子(の)導入」という。チョウ目昆虫の卵に核酸を導入する方法は、当該分野で公知の方法であれば特に限定はしない。例えば、遺伝子導入の場合、マイクロインジェクション法によりマイクロニードルで卵殻に小孔を開けた後、グラスキャピラリー等を用いて、目的の遺伝子を包含する発現ベクターをその小孔から卵細胞内に注入する方法が挙げられる。チョウ目昆虫がカイコであれば、Tamuraらの方法(Tamura T. et al., 2000, Nature Biotechnology, 18, 81-84)を応用することができる。例えば、目的の遺伝子を包含する発現ベクターを、トランスポゾン転移酵素の遺伝子を有するヘルパーと共にカイコ卵の初期胚にインジェクションすればよい。ヘルパーには、例えば、pHA3PIGが利用できる。
【0028】
本明細書で「胚発生温度」とは、産卵後の卵が受精及びその後の発生を進行できる温度をいう。例えば、18~32℃、19~31℃、又は20~30℃である。
【0029】
本明細書で「受精(の)完了」とは、卵と精子の接合後、雌核と雄核が融合した時点をいう。一般に、昆虫の卵は産卵と同時に卵と精子が接合する。その時点を受精の開始時とし、その後、精子の雄核は、卵細胞内を移動し、卵細胞の雌核と融合して受精が完了する。カイコを含むチョウ目昆虫において、卵の受精完了に要する時間は、胚発生温度下であれば産卵後1時間~4時間、1時間半~3時間半、又は2時間~3時間である。
【0030】
1-3.製造方法
本発明の製造方法は、保温工程、及び低温処理工程を必須の工程として含む。以下各工程について具体的に説明をする。
【0031】
1-3-1.保温工程
「保温工程」は、チョウ目昆虫の産卵後の卵を胚発生温度で保温する工程である。チョウ目昆虫は、本工程は、産卵後の卵が少なくとも受精を完了するまで胚発生を進めさせることを目的とする。
【0032】
本明細書で「産卵後の卵」とは、産卵直後~1時間以内、好ましくは産卵直後~30分以内、産卵直後~20分以内、産卵直後~10分以内、産卵直後~5分以内、又は産卵直後~数分以内の卵をいう。ここで言う「数分」とは2分~3分が該当する。
【0033】
産卵時の温度は、限定はしないが、成虫が産卵可能な活動温度下であればよい。通常は、胚発生温度と同一範囲である。産卵時の温度が胚発生温度の範囲外にある場合、産卵後の卵を胚発生温度に移せばよい。
【0034】
産卵は当該分野で公知の方法で行えばよい。例えば、交尾済みの雌成虫を野生で産卵する環境と同環境下、又は疑似環境下に配置すればよい。通常、雌成虫は幼虫の食草又はその付近に産卵するため、幼虫の食草を飼育ケージ内に配置すれば産卵する。また、カイコのように、交尾済みの雌成虫を紙や寒冷紗等に配置することで産卵する種もいる。
【0035】
保温時間は、胚発生温度下で少なくとも受精が完了するまでの時間でよい。受精完了後であれば、終点は表割開始前であれば特に限定はしない。したがって、保温時間をこの時間とすることもできる。
【0036】
1-3-2.低温処理工程
「低温処理工程」は、前記保温工程後の卵を低温で処理する工程である。本工程は、本発明の製造方法における主要工程であり、受精完了後の卵を低温下に配置することを特徴とする。
【0037】
本明細書で「低温」とは、チョウ目昆虫において-2.5℃~15℃、-1.5℃~12℃、-1.0℃~10℃、-0.5℃~8℃、又は0℃~5℃の温度をいう。また、「低温処理」とは、前記低温下に卵を配置し、所定の時間、卵を低温に曝露することをいう。
【0038】
本工程の低温処理時間は、3時間~4日間、4時間~3日間、5時間~2日間、6時間~40時間、7時間~36時間、8時間~32時間、9時間~28時間、10時間~26時間、又は12時間~24時間である。具体的な機序は明らかではないが、この低温処理によって、受精完了後の卵は核酸受容能を維持したままで、初期胚発生を緩やかに停止、又は遅延すると考えられる。
【0039】
低温処理は、当該分野で公知の方法で行えばよい。例えば、上記低温処理温度に維持された保冷庫(冷蔵庫、ワインセラー等を含む)、低温インキュベーター(ペルチェ式、コンプレッサー式を含む)に保温工程後の卵を移せばよい。
【0040】
本工程後の卵は、本工程からの解除後、具体的には室温、例えば18~32℃、19~31℃、20~30℃、好ましくは25℃に戻した後、核酸導入に供すればよい。これ以降は、従来の核酸導入法に準じて行えばよい。
【0041】
以上のように、産卵後の卵を保温して少なくとも受精を完了するまで発生を進行させた後、-2.5℃~15℃の温度で所定の時間処理することで長期核酸受容能卵を製造できる。
【0042】
本発明の製造方法で得られる長期核酸受容能卵の核酸受容期間は、低温処理工程の解除直後から表割開始前まで、例えば、解除直後から8時間以内、6時間以内、4時間以内、3時間以内、2時間以内、又は1時間以内までとすることができる。低温処理時間が核酸受容期間の延長に寄与するため、従来、産卵後2~8時間の限られた期間内に実施する必要のあった核酸導入を、産卵後24時間以上が経過した卵に対しても実施できるようになる。
【0043】
1-4.効果
遺伝子組換えチョウ目昆虫の作製において、外来遺伝子を卵へ導入する場合、従来、産卵後2~8時間という非常に限られた時間内に行わなければ、導入された核酸は受容されず、遺伝子組換え体を得ることはできなかった。本発明の長期核酸受容能卵の製造方法によれば、この外来遺伝子の導入期間が産卵後2~8時間に限らず、1日以上の長期になっても受容可能な受精卵を製造することができる。本発明の製造方法により、受精卵の外来核酸の受容期間を容易に延長することが可能となる。これにより、一実験あたりのマイクロインジェクション処理数を増やすことができるため、遺伝子組換えチョウ目昆虫の作製効率が飛躍的に上がる。
【0044】
2.チョウ目昆虫の長期核酸受容能卵
2-1.概要
本発明の第2の態様は、チョウ目昆虫の長期核酸受容能卵である。本発明の長期核酸受容能卵は、前記第1の製造方法で得られる卵である。本発明の長期核酸受容能卵は、従来の卵と比較して核酸受容期間が顕著に長いことを特徴とする。
【0045】
2-2.構成
本発明のチョウ目昆虫の長期核酸受容能卵は、前記第1態様に記載の製造方法に基づいて得ることができる。具体的な一例として、チョウ目昆虫の産卵後の卵を18~32℃で、少なくとも受精が完了するまでの1時間~4時間保温した後、-2.5~15℃の低温で処理することで得られる。受精完了後の卵の低温処理で、初期胚発生が緩やかに停止又は遅延し、その間、核酸受容能が維持されると推察されるが、通常の卵と比較したときの長期核酸受容能卵における遺伝子又はタンパク質における構造的な違いについては明らかではなく、その構成についての詳細な説明は困難である。
【実施例
【0046】
<比較例>
(目的)
カイコを用いて、従来方法による産卵後の卵の遺伝子受容期間について検証する。
トランスジェニックカイコ作製において、従来法では、産卵後の卵にマイクロインジェクションを行う場合、その遺伝子導入適時、すなわち産卵後の卵の遺伝子受容期間は、当業者の経験則により産卵後4~8時間とされてきた。しかし、具体的に検証されたデータはない。そこで、本実施例では、実施例に対する比較例として、カイコを用いたマイクロインジェクションによるトランスジェニックカイコ作製時での遺伝子受容期間を検証する。
【0047】
(方法)
(1)導入用発現ベクターの構成
本比較例では、カイコの卵に外来核酸として、図1に示す発現ベクターpBac(3xP3DsRed2)を導入した。pBac(3xP3DsRed2)は、プロモーターとして人工合成プロモーターである3xP3であり、ターミネーターはSV40ターミネーターを含む遺伝子発現用プラスミドである。導入遺伝子には、胚、幼虫及び成虫の眼においてDsRedを発現する3xP3 DsRed標識遺伝子を用いた。さらに、プロモーターの上流と標識遺伝子の下流に、トランスポゾンの逆位末端反復配列(ITRs)としてL-ITR及びR-ITRを含む。L-ITR及びR-ITRは、それぞれpiggyBacトランスポゾンの両端に位置し、これらを含む数百bpの配列を介して、前記標識遺伝子は、導入するカイコ卵のゲノムに挿入される。
【0048】
(2)カイコの系統と卵の調製
遺伝子導入する宿主卵には、カイコpnd-w1系統の卵を用いた。産卵台紙に交尾済み雌蛾を配置し、1時間産卵させた後に台紙上の卵を回収した。回収した卵を25℃の室温下でスライドガラスに並べマイクロインジェクションに供試した。
【0049】
(3)遺伝子導入
Tamuraら(Tamura T. et al., 2000,Nature Biotechnology, 18, 81-84;Tamura T., et al. (2007) Journal of Insect Biotechnology and Sericology 76, 155-159)による従来法によってマイクロインジェクションを行った。具体的には、0.4μg/μLのpBac(3xP3DsRed2)、及びトランスポゼースを発現する0.4μg/μLのヘルパープラスミドpHAPIGを1:1の割合で混合した。産卵後、25℃で4時間、8時間、及び12時間経過後の卵に電動マイクロマニピュレーターM300(株式会社マイクロサポート)を用いてマイクロインジェクションした(G0)。実験は各温度で独立に3回に分けて行い、陰性対照には、インジェクションを行わない卵を用いた。インジェクション後の卵は、インジェクション孔を瞬間接着剤(コニシ #30523)で塞ぎ、加湿状態にて25℃で孵化するまでインキュベートした。
【0050】
インジェクションしたG0卵の孵化率を測定後、孵化した幼虫を飼育してG0成虫を得た。兄妹交配(G0×G0)後の各G0雌(G1蛾区に相当)から得られたG1胚について3xP3DsRedの発現の有無を確認し、G1でのトランスジェニックカイコ系統の出現率を測定した。3xP3DsRedの観察は蛍光実体顕微鏡(MZ16FA;ライカ社)を用いた。
【0051】
(結果)
表1に結果を示す。
【0052】
【表1】
【0053】
表1において「産卵後総累計経過時間」は、産卵後、マイクロインジェクションを行うまでの時間である。表1では、いずれも25℃曝露下での経過時間となる。
【0054】
上記結果から、従来法の場合、産卵後、時間経過と共にG1蛾区における遺伝子組換え体の出現率は低下し、12時間を経過した卵では出現率は0となることが明らかとなった。この結果から、従来法では卵の遺伝子受容期間が産卵後4~8時間であるという当業者の経験則が正しいことが立証された。
【0055】
<実施例1>
(目的)
カイコを用いた本発明による産卵後の卵の遺伝子受容期間について検証する。
【0056】
(方法)
(1)導入用発現ベクターの構成
本実施例で使用した発現ベクターは、比較例に記載したpBac(3xP3DsRed2)である。したがって、pBac(3xP3DsRed2)の構成については説明を省略する。
【0057】
(2)カイコの系統と卵の調製
遺伝子導入する宿主卵には、比較例と同様、カイコpnd-w1系統の卵を用いた。産卵台紙に交尾済みG0雌蛾を置き、1時間産卵させた後に卵を回収した。回収した卵は保冷剤を入れた発泡スチロール箱内に置き、極力10℃を保った状態でスライドガラス上に並べた。並べた卵は産後2~3時間経過したときにタッパーウェアに入れて注射まで10℃設定の冷蔵庫に所定の時間保護した。
陽性対照として、従来法で処理した実験群1(低温処理なし、産卵後25℃保存で4時間後に遺伝子導入)を用いた。また、陰性対照として遺伝子導入及び低温処理をいずれも行わない実験群4、及び遺伝子導入を行わず低温処理のみを行った実験群5を用いた。
【0058】
(3)遺伝子導入
低温処理の卵は、10℃で5時間又は24時間経過した卵を冷蔵庫から取り出し、25℃でしばらく置き、産後25℃での累積時間が4時間となった時点でマイクロインジェクションを行った。したがって、低温処理した実験群では、低温処理を行った期間だけ、産卵後、マイクロインジェクションまでの総累計経過時間が長くなる。マイクロインジェクション法及びその後の処理については、比較例に記載の方法に準じた。
【0059】
(結果)
結果を表2に示す。
【0060】
【表2】
【0061】
表2において「産卵後総累計経過時間」は、表1と同様に、産卵後、実際にマイクロインジェクションを行うまでの時間である。ただし、表2では、いずれの実験群においても産卵後、25℃に曝露した累積時間は4時間である。
【0062】
上記から、本発明の低温処理を5時間行った後に遺伝子導入を行った実験群2では、孵化率及び組換え体出現率共に従来方法である実験群1と同様の効果が得られた。
【0063】
また、本発明の低温処理を24時間行った後に遺伝子導入を行った実験群3では、産卵時からマイクロインジェクションまでの累積経過時間が28時間経過しているにもかかわらず、G0孵化率及びG1組換え体出現率は、いずれも従来法の実験群1のそれらよりも高かった。
【0064】
表1の比較例で示したように、従来法では、産卵後総累計経過時間が12時間の実験群ではG1での組換え体が全く出現しなかった。ところが、本発明の長期核酸受容能卵では、産卵からマイクロインジェクションまでの累積経過時間が倍以上の28時間を経過しても、従来法以上の核酸受容能を維持していることが明らかとなった。
【0065】
<実施例2>
(目的)
実施例1では、本発明の長期核酸受容能卵に関して、生殖細胞系列での効果を検証した。本実施例では、G0個体の体細胞系列での効果について検証する。
【0066】
(方法)
(1)導入用発現ベクターの構成
カイコのBLOS2遺伝子(BmBLOS2)に対してノックアウト(遺伝子破壊)を誘導するCRISPR/Cas9システムを用いた。BLOS2遺伝子は、カイコの皮膚における尿酸粒の蓄積に関与する遺伝子である(Fujii T., et al., 2010, Insect Mol Biol. 19(5):659-667.)。 BLOS2ノックアウト個体では、マイクロインジェクションを行った当代(GO)個体において、通常は白色の皮膚色が半透明の油染み状態(油皮膚)となる表現型を示す(Daimon T., et al., 2014, Develop. Growth Differ. 56:14-25)。
【0067】
Daimon T., et al.,(2014;前述)に記載のCRISPR/Cas9システムod2 sgRNAを用いて、カイコBLOS2(BmBLOS2)遺伝子のターゲティングを行った。od2 sgRNAはBmBLOS2遺伝子のエクソン4のアンチセンス鎖を標的部位とする。pDR274ベクター(Hwang W., et al., 2013, Nat. Biotechnol. 31, 227-229.)のT7転写開始部位の1塩基下流において、GからAへの置換変異を導入して、GA-N18-NGGの配列をターゲットできるようにした。より具体的な方法については、Daimon T., et al.,(2014;前述)に記載の方法に準じた。
【0068】
(2)カイコの系統と卵の調製
基本的な操作は、実施例1に準じて行った。
【0069】
(3)遺伝子導入
基本操作は実施例1に準じた。低温処理後は、10℃で24時間処理した卵を冷蔵庫から取り出し25℃でしばらく置き、産後25℃での累積時間が4時間となったところでマイクロインジェクションを行った。マイクロインジェクション法及びその後の処理については、比較例に記載の方法に準じた。
【0070】
(結果)
結果を表3に示す。
【0071】
【表3】
【0072】
上記から、本発明の長期核酸受容能卵は、マイクロインジェクションを行ったG0個体の体細胞系列でも、生殖細胞系列と同様に、産卵後24時間を経過しても、従来法と同等以上の核酸受容能を維持していることが明らかとなった。
図1
図2
図3