(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-06-14
(45)【発行日】2024-06-24
(54)【発明の名称】高強度絹糸及びその製造方法
(51)【国際特許分類】
D01B 7/04 20060101AFI20240617BHJP
【FI】
D01B7/04 309C
(21)【出願番号】P 2022079276
(22)【出願日】2022-05-13
(62)【分割の表示】P 2017188776の分割
【原出願日】2017-09-28
【審査請求日】2022-06-13
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「超高機能構造タンパク質による素材産業革命」、担当課題「遺伝子組換えカイコおよびシルク加工技術による多種多様な高機能構造タンパク質繊維の創製と量産」委託研究、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
【前置審査】
(73)【特許権者】
【識別番号】501203344
【氏名又は名称】国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】110002572
【氏名又は名称】弁理士法人平木国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】伊賀 正年
(72)【発明者】
【氏名】中島 健一
(72)【発明者】
【氏名】小島 桂
(72)【発明者】
【氏名】亀田 恒徳
【審査官】住永 知毅
(56)【参考文献】
【文献】特開2006-124853(JP,A)
【文献】実開昭48-055103(JP,U)
【文献】特開昭62-238805(JP,A)
【文献】特開平04-263605(JP,A)
【文献】特開平04-194051(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
D01B7/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
高強度絹糸の製造方法であって、カイコ絹糸の長軸方向に3.0g/d以上7.0g/d以下の張力を繰糸後に付与する張力付与工程を含
み、
前記張力の付与は、前記カイコ絹糸との接触面を有する2つ以上の回転子によって、小枠の回転によって生じる前記カイコ絹糸の移動速度を前記カイコ絹糸の一部において制御することによって行われ、
高強度絹糸は5g/d以上の強度を有する、
前記方法。
【請求項2】
前記張力
の付与が、連続的に行われる、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
カイコ絹糸が水分を含んだ状態で張力付与工程が行われ、張力付与工程後にカイコ絹糸を低級アルコールで処理する工程及び/又は熱処理する工程、及び低級アルコール処理工程及び/又は熱処理工程と同時に、又は後にカイコ絹糸を乾燥させる工程を含む、請求項1
又は2に記載の方法。
【請求項4】
前記付与される張力が5.0g/d以下である、請求項1~3のいずれか一項に記載の方法。
【請求項5】
請求項1~4のいずれか一項に記載の方法で製造される、高強度絹糸。
【請求項6】
2つ以上の回転部、及び
前記回転部の速度を制御する制御部、
を含み、回転部のうち少なくとも1つが、カイコ絹糸と同速度で回転する、請求項1~4のいずれか一項に記載の製造方法で使用するための張力付与装置。
【請求項7】
請求項6に記載の張力付与装置を含む繰糸機。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高い強度を有するカイコ絹糸及びその製造方法、並びに該絹糸を製造するための装置等に関する。
【背景技術】
【0002】
昆虫の繭を構成する糸や哺乳動物の毛は、古来より動物繊維として衣類等に利用されてきた。特にカイコガ(Bombyx mori)の幼虫であるカイコ由来の絹糸(本明細書では、しばしば「カイコ絹糸」と表記する)は、吸放湿性や保湿性、及び保温性に優れ、また独特の光沢と滑らかな肌触り等の特性を有することから、現在でも高級天然素材として珍重されている。
【0003】
カイコ絹糸は上記の様な優れた特性を有するが、その強度が必ずしも十分でないことから、その利用範囲が限られていた。カイコ絹糸の強度を向上させることができれば、カイコ絹糸が本来有する特性を活かした新たな素材として同一又は異なる分野での利用が期待される。
【0004】
一般に繊維は、張力を付与することで分子鎖が配向し、強度が向上することが知られている(特許文献1)。ところが、カイコ絹糸のようにしなやかさを有する繊維の場合、その風合いを残すために、例えば繰糸過程において絹糸にかかる張力を抑える技術に注力されてきた(非特許文献1)。また一方で、学術面からカイコ絹糸に張力を付与して繰糸を行う研究もなされたが(非特許文献2)、従来技術では張力を付与することでむしろ強度が低下することがあり、強度を十分に高めることはできなかった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【非特許文献】
【0006】
【文献】Masaaki Okajima et al., Nippon Silk Gakkaishi, 24, 25-32(2016)
【文献】島田潤一、荻原清治、日本蚕糸学雑誌 39(5), 359-362, 1970年
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
一実施形態において、本発明は、高強度のカイコ絹糸、及び高強度のカイコ絹糸を製造するための方法若しくは装置を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者は、カイコ絹糸の長軸方向に所定の張力を付与することで、強度が高められたカイコ絹糸を製造し得ることを見出し、本発明を完成させた。
【0009】
本発明は、以下の態様を包含する。
(1)カイコ絹糸の長軸方向に2.5g/d以上10g/d以下の張力を付与する張力付与工程を含む、高強度絹糸の製造方法。
(2)張力付与が、カイコ絹糸にかかる局所的な摩擦の低減下で行われる、(1)に記載の方法。
(3)張力付与が、連続的に行われる、(1)又は(2)に記載の方法。
(4)張力付与が、2つ以上の回転子を用いて行われ、
カイコ絹糸と同速度で回転する回転子間の回転速度の差、又はカイコ絹糸と同速度で回転する回転子とカイコ絹糸と異なる速度で回転する回転子の回転速度の差によって張力が生ずる、(1)~(3)のいずれかに記載の方法。
(5)カイコ絹糸が水分を含んだ状態で張力付与工程が行われ、張力付与工程後にカイコ絹糸を低級アルコールで処理する工程及び/又は熱処理する工程、及び低級アルコール処理工程及び/又は熱処理工程と同時に、又は後にカイコ絹糸を乾燥させる工程を含む、(1)~(4)のいずれかに記載の方法。
(6)高強度絹糸が、5g/d以上の強度を有する、(1)~(5)のいずれかに記載の方法。
(7)(1)~(6)のいずれかに記載の方法で製造される、高強度絹糸。
(8)2つ以上の回転部、及び
前記回転部の速度を制御する制御部、
を含み、回転部のうち少なくとも1つが、カイコ絹糸と同速度で回転する、(1)~(6)のいずれかに記載の製造方法で使用するための張力付与装置。
(9)(8)に記載の張力付与装置を含む繰糸機。
【発明の効果】
【0010】
本発明により、高強度のカイコ絹糸、高強度のカイコ絹糸を得るための製造方法及び装置等が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】
図1は、実施例1で用いた多条繰糸機の模式図を示す。図中、101は集緒器を、102は第1鼓車を、103は第2鼓車を、104は第3鼓車を、105は第4鼓車を、106はあやかぎを、107は小枠を、108はケンネル撚りを、109は張力測定部位を示す。
【
図2】
図2は、実施例1で用いた改変型多条繰糸機の模式図を示す。
図1で示した多条繰糸機からの改変部分を破線の円で示している。図中、201は集緒器を、202は第1鼓車を、203は第2鼓車を、204は第3鼓車を、205は第4鼓車を、206は第5車を、207は第6鼓車を、208は小枠を、209はケンネル撚りを、210はテンションイコライザーを、211は張力測定部位を示す。
【
図3】
図3は、張力を付与して生産されたカイコ絹糸の張力と強度の関係を示すプロット図である。
【
図4】
図4は、張力を付与して生産されたカイコ絹糸の張力と伸度の関係を示すプロット図である。
【
図5】
図5は、張力を付与して生産されたカイコ絹糸の張力とヤング率の関係を示すプロット図である。
【
図6】
図6は、3つの品種(日137号×支146号、中515号及びMC502)のカイコ絹糸における、強度と伸度の相関を示すプロット図である。
【
図7】
図7は、張力を付与して生産された、3つの品種(日137号×支146号、中515号及びMC502)のカイコ絹糸における張力と強度の関係を示すプロット図である。
【
図8】
図8は、張力を付与して生産された、3つの品種(日137号×中146号、中515号及びMC502)のカイコ絹糸における張力と伸度の関係を示すプロット図である。
【
図9】
図9は、張力を付与して生産された、3つの品種(日137号×支146号、中515号及びMC502)のカイコ絹糸における張力とヤング率の関係を示すプロット図である。
【
図10】
図10は、繰糸を終えた生糸に対して張力を付与した場合の、張力と強度の関係を示すプロット図である。
【
図11】
図11は、繰糸を終えた生糸に対して張力を付与した場合の、張力と伸度の関係を示すプロット図である。
【
図12】
図12は、繰糸を終えた生糸に対して張力を付与した場合の、張力とヤング率の関係を示すプロット図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
1.高強度絹糸の製造方法
一態様において、本発明は、カイコ絹糸の長軸方向に張力を付与する工程を含む、高強度絹糸の製造方法に関する。
【0013】
本明細書において「絹糸」とは、昆虫由来の糸であって、昆虫の幼虫や成虫が営巣、移動、固定、営繭、餌捕獲等の目的で吐糸するタンパク質製の糸をいい、本明細書で単に絹糸と記載した場合には、特に断りがない限りカイコ絹糸を意味する。本明細書で「カイコ絹糸」とは、カイコが吐糸するカイコガ(Bombyx mori)由来の絹糸をいう。
【0014】
本明細書において、絹糸は、繭から得られる繭糸、繭糸を繰糸することにより得られる生糸、及び生糸を石鹸、灰汁、及び炭酸ナトリウム、尿素等のアルカリ性の薬品、及び酵素で処理して膠質のセリシンを取り除いた練糸のいずれも含む。
【0015】
本明細書において、「強度」は、特に記載がない限り破断強度を意味し、破断強度とは、絹糸等の繊維を破断させるために必要な引張荷重を指す。本明細書では、強度をg/d(グラム/デニール)で表す。ここで、デニールとは糸の太さを表す単位であって、本来はメートル等により示すべきものである。しかしながら、糸の太さを直接測定することは困難であるため、一定の長さの糸の質量によって糸の太さを表すことが一般的に行われている。具体的には、デニールとは、長さ9000mの糸の重さ(g)を指す。
【0016】
本明細書において、「高強度絹糸」は、張力付与がなされていない絹糸と比較して高い強度を有する絹糸を意味する。高強度絹糸の強度の範囲は特に限定しないが、例えば5.0g/d以上、5.5g/d以上、6.0g/d以上、6.5g/d以上、又は7.0g/d以上であってよい。
【0017】
強度は当業者であれば容易に測定することができるが、本明細書における強度の値は、実施例に記載の方法で測定した場合の値である。すなわち、まず、繊度糸(検尺機(1周1.125 m)で規定の長さに巻き取った生糸)を作製し、温度20℃、湿度65%の環境下に24時間以上静置した後、電子天秤で秤量を行い、繊度(d: デニール)を決定する。続いて、20℃、湿度65%の環境下に設置したテンシロン万能材料試験機RTA-100(ORIENTEC)を用いて強度を測定する。測定に用いる試料長は100 mm、延伸速度は150 mm/minとし、試験回数は50回とする。この際、同時に伸度及びヤング率を測定してもよい。本明細書において、「伸度」とは、特に記載がない限り破断伸度を意味し、破断伸度とは、引張荷重を加えて絹糸等の繊維を破断させた際の繊維の伸び率(%)を示す。また、本明細書において、「ヤング率」とは、弾性範囲における応力とひずみの比例関係を表す比例係数である。
【0018】
本発明の一態様に係る高強度絹糸の製造方法は、カイコ絹糸の長軸方向(すなわち糸が伸びている方向)に張力を付与する工程を含む。本明細書において、「張力」は物体の部分に着目するとき,その部分を両側へ引離す向きに働く力を意味する。本明細書において、張力は特に糸を引っ張る力を指し、g/d(グラム/デニール)で表される。
【0019】
張力の付与の方法は限定しないが、例えば、絹糸の一端を固定し、他端を重りや機械的な力により引っ張ることで付与してもよいし、絹糸の両端を機械的な力で異なる方向に引っ張ることで付与してもよい。また、滑車等にかけた絹糸の両端に重りをつけることで張力を付与してもよい。高強度絹糸の製造効率の観点から、絹糸の一部又は全体に連続的に張力を付与できる系を用いることが好ましい。本明細書において、「連続的に絹糸に張力を付与する」とは、限定するものではないが、例えば1m以上、5m以上、10m以上、100m以上、1km以上、又は10km以上の絹糸に対して張力を付与することを意味する。この場合、絹糸の一部に張力を付与しながら張力を付与する部位を連続的に変更し、最終的に絹糸全体に張力を付与することが好ましい。連続的に張力を付与する場合の例として、繰糸時において、又は繰糸を終えた生糸に対して、2つ以上の回転子を用いて糸を回転、移動させる系において、異なる回転速度を有する回転子を用い、回転速度の速い回転子と回転速度の遅い回転子との間での糸の移動速度の差によって張力を生ぜしめる場合が挙げられる。回転子の例としては、ローラー及び鼓車が挙げられる。
【0020】
張力付与工程における張力の強さは、例えば2.5g/d以上、2.6g/d以上、2.7g/d以上、2.8g/d以上、2.9g/d以上、好ましくは3.0g/d以上、3.5g/d以上、4.0g/d以上、又は4.5g/d以上であってよく、10.0g/d以下、9.0g/d以下、好ましくは8.0g/d以下、7.0g/d以下、6.0g/d以下、又は5.0g/d以下であってよい。例えば、張力付与工程における張力の範囲は、2.5g/d~10.0g/d、2.8g/d~6.0g/d、又は3.0g/d~5.0g/dであってよい。
【0021】
上記張力付与工程における張力の強さは、実施例で記載した方法で測定した場合の値である。すなわち、張力を付与した部位に、張力計(中浅測器株式会社)を適用した場合の値である。なお、張力計(中浅測器株式会社)の後継機であるテンションメータ(横河電子機器株式会社、型式T-101-10-00)を用いても同様の値が得られると考えられる。張力計を使用して回転子の回転速度の条件を設定することで、所望の張力を絹糸に付与することができる。
【0022】
カイコ絹糸に張力を付与する時間は特に限定しない。例えば、数秒程度(1~10秒又は2~4秒程度)であってもよいし、数十秒、又は数分程度であってもよい。
【0023】
好ましくは、張力付与は、カイコ絹糸にかかる局所的な摩擦の低減下で行われる。一般に「摩擦」とは、すれあうこと、こすりあわせること、として考えられているが、本明細書では、「摩擦」とは、上述の意味に加えて、糸が接触している面から受ける、いかなる力をも含むものとする。本明細書において、「局所的な摩擦」とは、カイコ絹糸において特定の限られた部分に生じる摩擦を指す。局所的な摩擦が生ずると、その箇所で絹糸が損傷し、結果として強度が低下することとなる。例えば、カイコ絹糸と点で接触してカイコ絹糸の速度を下げ、張力を付与するリングテンサやヒステリシステンサ等の速度抑制手段では、カイコ絹糸と速度抑制手段の接触点で局所的な摩擦が生ずることとなる。したがって、一実施形態において、カイコ絹糸にかかる局所的な摩擦の低減下とは、速度抑制手段がカイコ絹糸と点で接触してカイコ絹糸の速度を下げて張力を生じたときに発生する摩擦に比べて、局所的な摩擦が低減された状態を意味する。
【0024】
局所的な摩擦の低減下での張力付与は、例えば、張力付与を2つ以上の回転子を用いて行い、カイコ絹糸と同速度で回転する回転子間の回転速度の差、又はカイコ絹糸と同速度で回転する回転子とカイコ絹糸と異なる速度で回転する回転子の回転速度の差によって張力を生ぜしめることで、行うことができる。
【0025】
ここで、回転子がカイコ絹糸と同速度で回転するとは、回転子がカイコ絹糸と完全に又は実質的に同速度で回転することを意味する。「実質的に同速度」とは、回転子とカイコ絹糸の間で局所的な摩擦が生じない程度に速度が等しいことを意図し、例えば速度の差が、回転子とカイコ絹糸のうち回転速度の速い方の速度に対して10%以内、5%以内、又は1%以内であってよい。回転子がカイコ絹糸と完全に又は実質的に同速度で回転するための構成は限定しないが、例えば所定の幅(少なくとも糸の幅の数倍以上)を有し、カイコ絹糸との接触面が滑らかな回転子に対して、糸を複数周、例えば2周以上、3周以上、4周以上、又は5周以上巻きつければよい。回転部に複数周カイコ絹糸を巻きつけることによって、回転子とカイコ絹糸の回転速度を同速度にできるだけでなく、回転部と糸との接触部で生じる摩擦を低減することもできる。ここで、糸は1つの回転子に対して巻きつけてもよいし、2つ以上の回転子に対して巻き付けてもよい。
【0026】
「回転子がカイコ絹糸と異なる速度で回転する」とは、回転子がカイコ絹糸と実質的に異なる速度で回転することを意味する。ここで、「実質的に異なる速度」とは、例えば速度の差が、回転子とカイコ絹糸のうち回転速度の速い方の速度に対して1%以上、5%以上、10%以上、20%以上、又は50%以上異なることを意味する。カイコ絹糸と同速度で回転する回転子(同速回転子)とカイコ絹糸と異なる速度で回転する回転子(異速回転子)の回転速度の差によって張力を付与する場合、異速回転子は、同速回転子よりも早い速度で回転することが好ましい。
【0027】
一実施形態において、張力付与工程は、カイコ絹糸が水分を含んだ状態で行われる。カイコ絹糸に水分を含ませることで、糸がほぐれやすくなり、張力付与が容易となる。この場合、本発明の製造方法は、低級アルコール処理工程及び/又は熱処理工程、並びに乾燥工程をさらに含むことが好ましい。含水状態のカイコ絹糸を乾燥させると乾燥時にカイコ絹糸の単繊維に断裂が生じる場合があるが、低級アルコール処理工程及び/又は熱処理工程を経ることで断裂を回避し得る。
【0028】
本明細書において、低級アルコール処理工程は、張力付与工程後のカイコ絹糸を低級アルコールで処理する工程である。本明細書において、低級アルコールとしては、例えばメタノール、エタノール、プロパノール、及びこれらの混合物が挙げられる。低級アルコールは、生糸のフィブロイン分子鎖同士の凝集力を高め、結晶性を向上させると考えられる。このような性質を利用して、低級アルコールは、水溶性の再生シルクを水不溶性にするためのシルク不溶化溶媒としても利用されている。低級アルコール処理の方法は限定しないが、例えば生糸に70~80%低級アルコールを噴霧するか、生糸を70~80%低級アルコールに浸漬するか、張力付与又は繰糸に用いる装置(例えば小枠)を70~80%低級アルコールに浸漬してから張力付与処理又は繰糸を行うか、又は張力付与の経路内にアルコール処理装置を設置することで行うことができる。アルコール処理装置としては、糸の一部を一定時間、例えば数秒間又は数秒未満アルコール液に連続的又は断続的に浸漬する構成を有する装置、例えば回転子と、その回転子の一部又は全部をアルコールで浸漬するためのアルコール貯蔵部を有する装置が挙げられる。
【0029】
熱処理工程は、カイコ絹糸を加熱する工程である。加熱温度は、断裂を低減し得る温度であればよく、例えば40℃以上、50℃以上、80℃以上、好ましくは100℃以上、120℃以上、又は140℃以上、また上限はカイコ絹糸の融点(分解点)以下の温度で設定することができ、例えば300℃以下、250℃以下、220℃以下、好ましくは200℃以下、180℃以下、又は160℃以下とすることができる。例えば、加熱温度は40℃~300℃、50℃~250℃、好ましくは100℃~200℃、120℃~180℃、又は140℃~160℃とすることができる。熱処理工程の時間は限定されず、例えば1秒以上、5秒以上、10秒以上、30秒以上、又は1分以上とすることができる。また、上限は1時間以下、30分以下、20分以下、10分以下、又は5分以下とすることができる。具体的な加熱温度範囲として、例えば5秒~30分、30秒~10分、又は1分~5分とすることができる。
【0030】
乾燥工程は、低級アルコール処理工程及び/又は熱処理工程と同時に、又はその後にカイコ絹糸を乾燥する工程である。乾燥方法はカイコ絹糸中に含まれる水分を減じることができる方法であれば限定はしないが、例えば外気に晒す自然乾燥法、密閉空間内で除湿剤と共に一定期間置く除湿乾燥法、送風装置等を用いて温風や冷風を当てる風乾法、カイコ絹糸が変質又は変性しない温度で加熱する加熱乾燥法、容器内を脱気して水分を蒸発する真空乾燥法等が挙げられる。
【0031】
本発明の製造方法における張力付与は、繰糸中に行ってもよいし、繰糸時に行ってもよいし、繰糸後のカイコ絹糸、例えば生糸に対して行ってもよい。本明細書において「繰糸」とは、目的とする生糸の太さに応じて繭糸を数本収束し、必要に応じて順次繭糸を継ぎたして、生糸糸条を形成する過程をいう。繰糸の基本的な流れは次の通りである。まず、繭層表面から繭糸を剥離し(索緒)、このもつれた繭糸をすぐって1本の正しい糸口を引き出す(抄緒)。糸口の見つかった繭(正緒繭)を一定粒数集め(粒付け)て、いくつかの鼓車で構成され、糸状の抱合と脱水の機能を持った生糸として集束し、小枠に繰り取る(改定蚕糸学入門、平成14年発行、社団法人日本蚕糸学会編集、第285頁)。
【0032】
本発明の製造方法における張力付与は、以下の「2.張力付与装置」に記載の張力付与装置、又は「3.繰糸機」に記載の繰糸機を用いて行うことができる。
【0033】
一態様において、本発明は、上記の高強度絹糸の製造方法に従って製造される、高強度絹糸に関する。理論により限定されるものではないが、本発明の高強度絹糸は、張力を付与することで分子鎖が配向したことにより高い強度を有し得ると考えられる。
【0034】
本発明の高強度絹糸は、そのまま使用してもよいが、新たな物性を付与するために、他の絹糸、綿糸、羊毛、及び/又は合成繊維と混ぜて使用してもよい。
【0035】
2.張力付与装置
一態様において、本発明は、「1.高強度絹糸の製造方法」に記載の方法で用いるための張力付与装置に関する。本発明の張力付与装置は、2つ以上の回転部、及び前記回転部の速度を制御する制御部を含み、前記回転部のうち少なくとも1つが、カイコ絹糸と同速度で回転するものである。
【0036】
本明細書において、「回転部」とは、カイコ絹糸と接して回転することで、カイコ絹糸の回転(移動)速度及び/又は糸の向き(糸道)を調整する部分をいい、その具体例としてローラー及び鼓車が挙げられる。本発明の張力付与装置は、回転部を1つ以上、例えば2つ以上、3つ以上、4つ以上、5つ以上、6つ以上、7つ以上、8つ以上、9つ以上、又は10以上含む。本発明の張力付与装置において、回転部のうち1つ以上、例えば2つ以上、3つ以上、又は全てが、カイコ絹糸と同速度で回転するものであってよい。回転部がカイコ絹糸と完全に又は実質的に同速度で回転するための構成は限定しないが、例えば所定の幅(少なくとも糸の幅の数倍以上)を有し、カイコ絹糸との接触面が滑らかな回転子に対して、糸を複数周、例えば2周以上、3周以上、4周以上、又は5周以上巻きつけることができるように構成されていればよい。
【0037】
本発明の張力付与装置は、回転部の速度を制御する制御部を含む。「制御部」は、回転部の速度を上げる駆動手段と、回転部の速度を低下させる速度抑制手段の一方又は両方を含む。制御部はさらに、指示された条件に従って、あるいは一定の条件に従って、モーターやブレーキの強さを調整する調整手段(例えばCPU)を有していてもよい。
【0038】
本発明の張力付与装置は、回転部及び制御部に加えて、回転部に対応する軸及び軸受等を有していてもよい。
【0039】
3.繰糸機
一態様において、本発明は、「2.張力付与装置」に記載の張力付与装置を含む繰糸機に関する。
【0040】
繰糸機の基本的構成は当業者には公知である。繰糸機の例として、諏訪式繰糸機、多条繰糸機、及び自動繰糸機等が知られる(例えば、日本絹の里第4回企画展 製糸 近代化の礎、第3章 32-42、2000年;星野伸男、岡谷蚕糸博物館紀要 2, 31-43, 1997年;及び小林安、繊維学会誌 18(10), 932-940, 1962年等を参照されたい)。本態様の繰糸機は限定されず、前述の既存の繰糸機をはじめ、いずれの繰糸機であってもよい。ここでは、多条繰糸機の構成を、
図1の模式図を参照しながら説明する。湯中に浸した繭から得られる繭糸は、小枠107の回転による張力で、集緒器101、鼓車102~105、あやかぎ106等を経て小枠に繰り取られる。集緒器101は繭糸を1本にまとめ節が上がってきたときにそれを感知するものであり、あやかぎ106は、小粋に巻かれる生糸が同じところに重ねて巻かれないように糸を左右に振るためのものである。108はケンネル撚りを指し、これは集緒器を通した糸条を、鼓車を通過させてより合わせることを意味する。ケンネル撚りは、糸条に丸みを与えて繭糸間の接着性(抱合)を良くするとともに、糸条の水分を除去することがある。繰糸機は任意に張力測定部位109を含んでよく、これにより繰糸中に糸に対して生じる張力を測定することができる。
【0041】
前記繰糸機に本発明の張力付与装置を組み入れた改変多条繰糸機の一例の模式図を
図2に示す。
図1で示した多条繰糸機からの改変部分を破線の円で示している。
図2に示した改変型多条繰糸機では、第4鼓車205に続いてテンションイコライザー210を加え、テンションイコライザー210に含まれる2つのローラーの回転速度が遅いため、糸の回転速度(移動速度)が低下し、テンションイコライザー210の先の糸道において張力が生ずる。なお、
図2に示した改変型多条繰糸機では、生糸に付与されている張力を正確に測定するための部位を確保するとともに、張力を付与する距離と時間を確保するために第5鼓車206を設け、あやかぎ部に生じる摩擦を低減するためあやかぎを第6鼓車207に変更しているが、これらは任意の構成である。
【0042】
以下、実施例を参照して本発明をさらに詳細に説明するが、本発明は以下の実施例によって何ら限定されるものではない。
【実施例】
【0043】
[実施例1:繰糸中のカイコ絹糸への張力付与]
<材料と方法>
(繰糸条件)
試験に用いたカイコ絹糸の由来となるカイコ品種は、日137号×支146号、中515号、及びMC502である。
【0044】
繰糸装置としては、
図1に模式図を示す多条繰糸機(有限会社ハラダ)、又はこれを改変した
図2に模式図を示す改変多条繰糸機を用いた。改変型多条繰糸機の具体的構成は、多条繰糸機の第4鼓車とあやかぎの間にテンションイコライザー(湯浅糸道株式会社、型番:D510059-L)を導入し、あやかぎを第5鼓車に変更し、さらに第6鼓車を追加したものである。
【0045】
繰糸時の温度は室温(15~30℃程度)で、湿度は常湿(25~60%程度)とした。張力測定は、張力計(中浅測器株式会社)、型式:AN型 Type 0-100G、計測範囲:0~100 gを用いて、
図1又は2において矢頭で示す部位で行った。
【0046】
なお、繰糸速度は51 m/min程度であり、張力が付与されている部分の糸道の長さは1.9~3.5 m程度であった。
【0047】
(強度伸度試験条件)
繰糸を行ったカイコ絹糸について、以下の通り繊度と強伸度を測定した。
・繊度の測定
まず、繊度糸(検尺機(1周1.125 m)で規定の長さに巻き取ったカイコ絹糸)を作製し、温度20℃、湿度65%の部屋に24時間以上静置した後、電子天秤(Sartorius製、型式 1702MP8)で秤量を行い、繊度(d: デニール)を決定した。
・強度、伸度及びヤング率の測定
20℃、湿度65%の部屋に設置したテンシロン万能材料試験機RTA-100(ORIENTEC)を用いて測定した。測定に用いた試料長は100 mm、延伸速度は150 mm/min、試験回数は50回とした。測定を行なった項目は強度、伸度及びヤング率である。
【0048】
<結果>
まず初めに、多条繰糸機において、カイコ絹糸の繰糸を行う際に、糸道における鼓車のネジを締めこむことで回転抑制し、張力を付与したところ、糸道での摩擦によりカイコ絹糸が切れてしまい繰糸不能となった(データ示さず)。
【0049】
そこで、摩擦を軽減しつつ張力を付与するために、テンションイコライザーを導入した改変型多条繰糸機を用いて繰糸を行った。その結果、3g/d以上で張力を付与することが可能となり、これによりカイコ絹糸の強度が増加した。張力を付与して生産されたカイコ絹糸の張力と強度の関係を
図3に、張力と伸度の関係を
図4に、張力とヤング率の関係を
図5に示す。
【0050】
続いて、他の品種(中515号及びMC502)のカイコ絹糸についても、改変型多条繰糸機を用いて同様に繰糸を行った。先に行った日137号×支146号の結果と併せて、中515号及びMC502のカイコ絹糸についての、強度と伸度の相関を
図6に、張力と強度の関係を
図7に、張力と伸度の関係を
図8に、張力とヤング率の関係を
図9に示す。その結果、全ての品種のカイコ絹糸において、張力が増加する程、強度が増加し、伸度が低下し、ヤング率が増加する傾向が認められた。
【0051】
なお、繰糸後の小枠における乾燥過程において、カイコ絹糸が断裂することがあった。70~80%エタノールをカイコ絹糸全体にエタノールが染み渡るまで噴霧するか、又はテンションイコライザーと第5鼓車の間にローラーを設け、このローラーに絹糸を1周巻き付け、このローラーを70~80%エタノール液に浸漬して繰糸を行った場合、カイコ絹糸の断裂が低減した(データ示さず)。
【0052】
[実施例2:生糸への張力付与]
<材料と方法>
(サンプル)
碓氷製糸株式会社で調整された繰糸後の生糸(カイコ品種:ぐんま200、27dを目標繊度として繰糸したカイコ絹糸)をサンプルとして用いた。
(処理工程)
まず、適量の生糸を綛から小型のボビンに巻き取った。次に、生糸を室温の水に浸漬し、小枠浸透機(有限会社ハラダ)を用いて生糸に水を含ませた。なお、小枠浸透機とは、小枠に巻き取った生糸のほぐれを良くするため、揚返し工程の前に小枠の糸層に水を浸透させるための装置である。
【0053】
張力付与は、実施例1の改変型多条繰糸機を用いて、実施例1と同様に行った。但し、糸道におけるケンネル撚りの部分を省略した。
強度、伸度及びヤング率の測定は、実施例1に従った。
【0054】
<結果>
生糸に張力を付与して得られたカイコ絹糸の張力と強度の関係を
図10に、張力と伸度の関係を
図11に、張力とヤング率の関係を
図12に示す。この結果は、繰糸中のカイコ絹糸のみならず、繰糸を終えたカイコ絹糸(生糸)に対しても、張力を付与すれば、強度が増加し、伸度が低下することを示している。
【0055】
なお、小枠における乾燥過程において、生糸が断裂することがあったが、80%エタノールを小枠に噴霧することで、生糸の断裂が低減した(データ示さず)。