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特許7511186揮発性物質濃度推定装置、揮発性物質濃度センサ、揮発性物質濃度推定方法およびプログラム
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-06-27
(45)【発行日】2024-07-05
(54)【発明の名称】揮発性物質濃度推定装置、揮発性物質濃度センサ、揮発性物質濃度推定方法およびプログラム
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/416 20060101AFI20240628BHJP
【FI】
G01N27/416 302Z
G01N27/416 302G
【請求項の数】 10
(21)【出願番号】P 2020205363
(22)【出願日】2020-12-10
(65)【公開番号】P2021092568
(43)【公開日】2021-06-17
【審査請求日】2023-11-22
(31)【優先権主張番号】62/945,893
(32)【優先日】2019-12-10
(33)【優先権主張国・地域又は機関】US
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成27年度 国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構産業技術研究助成事業「次世代ロボット中核技術開発/革新的ロボット要素技術分野/人検知ロボットのための嗅覚受容体を用いた匂いセンサの開発」委託研究 産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】317006683
【氏名又は名称】地方独立行政法人神奈川県立産業技術総合研究所
(73)【特許権者】
【識別番号】504137912
【氏名又は名称】国立大学法人 東京大学
(74)【代理人】
【識別番号】100161207
【弁理士】
【氏名又は名称】西澤 和純
(74)【代理人】
【識別番号】100147267
【弁理士】
【氏名又は名称】大槻 真紀子
(74)【代理人】
【識別番号】100140774
【弁理士】
【氏名又は名称】大浪 一徳
(72)【発明者】
【氏名】杉浦 広峻
(72)【発明者】
【氏名】大崎 寿久
(72)【発明者】
【氏名】三村 久敏
(72)【発明者】
【氏名】山田 哲也
(72)【発明者】
【氏名】竹内 昌治
【審査官】黒田 浩一
(56)【参考文献】
【文献】特開2018-059786(JP,A)
【文献】特開平6-090736(JP,A)
【文献】特表2019-513258(JP,A)
【文献】欧州特許出願公開第2848929(EP,A1)
【文献】特開2002-073968(JP,A)
【文献】特表2020-503511(JP,A)
【文献】特開2017-083210(JP,A)
【文献】Nobuo Misawa et al.,Construction of a Biohybrid Odorant Sensor Using Biological Oflactory Receptors Embedded into Bilayer Lipid Membrane on a Chip,ACS Sens,Vol.4,2019年03月04日,pp.711-716
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/00-27/49
G01N 33/483
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
膜タンパク質を透過するイオン電流値を取得する取得部と、
前記取得部によって取得されたイオン電流値に基づいて、前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する演算部を備え、
前記膜タンパク質は、脂質膜上に形成されたものであり、
前記演算部は、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、緩衝溶液を介して前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する、
揮発性物質濃度推定装置。
【請求項2】
前記演算部では、
濃度の算出対象である揮発性物質が前記緩衝溶液に溶存平衡を維持している第1モデルと、
前記膜タンパク質が揮発性物質を検知して出力を変化させる第2モデルとのモデル化が行われ、
前記第2モデルが、前記2値選択モデルである、
請求項1に記載の揮発性物質濃度推定装置。
【請求項3】
前記第1モデルのモデル化は、ウィナー過程に基づくランダムウォークモデルを利用して行われる、
請求項2に記載の揮発性物質濃度推定装置。
【請求項4】
前記第1モデルは、拡張カルマンフィルタの状態方程式に相当する、
請求項2または請求項3に記載の揮発性物質濃度推定装置。
【請求項5】
前記第2モデルでは、揮発性物質の結合状態に応じて、前記膜タンパク質の開状態または前記膜タンパク質の閉状態を示す2値選択的な値が出力される、
請求項2から請求項4のいずれか一項に記載の揮発性物質濃度推定装置。
【請求項6】
前記第2モデルは、拡張カルマンフィルタの観測方程式に相当する、
請求項2から請求項5のいずれか一項に記載の揮発性物質濃度推定装置。
【請求項7】
前記演算部は、前記観測方程式の線形化を行うことによって観測行列を得る、
請求項6に記載の揮発性物質濃度推定装置。
【請求項8】
請求項1から請求項7のいずれか一項に記載の揮発性物質濃度推定装置と、
前記膜タンパク質と、
前記脂質膜と、
前記緩衝溶液と、
前記膜タンパク質を透過するイオン電流値を検出する電流検出回路を備える揮発性物質濃度センサ。
【請求項9】
膜タンパク質を透過するイオン電流値を取得する取得ステップと、
前記取得ステップにおいて取得されたイオン電流値に基づいて、前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する演算ステップを備え、
前記膜タンパク質は、脂質膜上に形成されたものであり、
前記演算ステップでは、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、緩衝溶液を介して前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度が算出される、
揮発性物質濃度推定方法。
【請求項10】
コンピュータに、
膜タンパク質を透過するイオン電流値を取得する取得ステップと、
前記取得ステップにおいて取得されたイオン電流値に基づいて、前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する演算ステップと
を実行させるためのプログラムであって、
前記膜タンパク質は、脂質膜上に形成されたものであり、
前記演算ステップでは、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、緩衝溶液を介して前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度が算出される、
プログラム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、揮発性物質濃度推定装置、揮発性物質濃度センサ、揮発性物質濃度推定方法およびプログラムに関する。
【背景技術】
【0002】
従来から、イオンチャネルを用いた環境の匂いを計測するセンサ技術の開発が行われている(非特許文献1参照)。非特許文献1に記載された技術では、液滴接触法と呼ばれる方法で構成した人工細胞膜上に、精製したイオンチャネルが導入され、環境からデバイスに吸収した化学種に対するイオンチャネルの応答が、電流計測回路で計測される。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0003】
【文献】Nobuo Misawa et al, "Construction of a Biohybrid Odorant Sensor Using Biological Olfactory Receptors Embedded into Bilayer Lipid Membrane on a Chip," ACS Sensors, Vol 4, no. 3, pp. 711-716, March 4, 2019
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
ところで、上述したような従来の技術では、例えば匂い分子などの化学種が存在するか否かを検出することができるものの、膜タンパク質に到達した例えば匂い分子などの揮発性物質の濃度を検出することができない(つまり、例えば匂いの定量的な検出ができない)。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明者等は、鋭意研究において、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、膜タンパク質を透過するイオン電流値に基づいて、緩衝溶液を介して膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を高精度に推定できることを見い出したのである。
すなわち、本発明は、従来の技術では検出することができない、膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を高精度に推定することができる揮発性物質濃度推定装置、揮発性物質濃度センサ、揮発性物質濃度推定方法およびプログラムを提供することを目的とする。
【0006】
本発明の一態様は、膜タンパク質を透過するイオン電流値を取得する取得部と、前記取得部によって取得されたイオン電流値に基づいて、前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する演算部とを備え、前記膜タンパク質は、脂質膜上に形成されたものであり、前記演算部は、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、緩衝溶液を介して前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する、揮発性物質濃度推定装置である。
本発明の揮発性物質濃度推定装置によれば、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を高精度に推定することができる。
【0007】
本発明の一態様の揮発性物質濃度推定装置では、前記演算部では、濃度の算出対象である揮発性物質が前記緩衝溶液に溶存平衡を維持している第1モデルと、前記膜タンパク質が揮発性物質を検知して出力を変化させる第2モデルとのモデル化が行われ、前記第2モデルが、前記2値選択モデルであってもよい。
【0008】
本発明の一態様の揮発性物質濃度推定装置では、前記第1モデルのモデル化は、ウィナー過程に基づくランダムウォークモデルを利用して行われてもよい。
【0009】
本発明の一態様の揮発性物質濃度推定装置では、前記第1モデルは、拡張カルマンフィルタの状態方程式に相当してもよい。
【0010】
本発明の一態様の揮発性物質濃度推定装置では、前記第2モデルでは、揮発性物質の結合状態に応じて、前記膜タンパク質の開状態または前記膜タンパク質の閉状態を示す2値選択的な値が出力されてもよい。
【0011】
本発明の一態様の揮発性物質濃度推定装置では、前記第2モデルは、拡張カルマンフィルタの観測方程式に相当してもよい。
【0012】
本発明の一態様の揮発性物質濃度推定装置では、前記演算部は、前記観測方程式の線形化を行うことによって観測行列を得てもよい。
【0013】
本発明の一態様は、前記揮発性物質濃度推定装置と、前記膜タンパク質と、前記脂質膜と、前記緩衝溶液と、前記膜タンパク質を透過するイオン電流値を検出する電流検出回路とを備える揮発性物質濃度センサである。
本発明の揮発性物質濃度センサによれば、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、緩衝溶液を介して膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を高精度に得ることができる。
【0014】
本発明の一態様は、膜タンパク質を透過するイオン電流値を取得する取得ステップと、前記取得ステップにおいて取得されたイオン電流値に基づいて、前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する演算ステップとを備え、前記膜タンパク質は、脂質膜上に形成されたものであり、前記演算ステップでは、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、緩衝溶液を介して前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度が算出される、揮発性物質濃度推定方法である。
本発明の揮発性物質濃度推定方法によれば、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を高精度に推定することができる。
【0015】
本発明の一態様は、コンピュータに、膜タンパク質を透過するイオン電流値を取得する取得ステップと、前記取得ステップにおいて取得されたイオン電流値に基づいて、前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する演算ステップとを実行させるためのプログラムであって、前記膜タンパク質は、脂質膜上に形成されたものであり、前記演算ステップでは、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、緩衝溶液を介して前記膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度が算出される、プログラムである。
本発明のプログラムによれば、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を高精度に推定することができる。
【発明の効果】
【0016】
本発明によれば、膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を高精度に推定することができる揮発性物質濃度推定装置、揮発性物質濃度センサ、揮発性物質濃度推定方法およびプログラムを提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
図1】実施形態の揮発性物質濃度推定装置の機能ブロックの一例を示す図である。
図2】実施形態の揮発性物質濃度推定装置が適用された揮発性物質濃度センサの機能ブロックの一例を示す図である。
図3】イオンチャネルの特性計測システムの概要を示す図である。
図4】システムのモデル化の指針を示す図である。
図5】イオンチャネルの開閉状態を説明するための図である。
図6】実験システムの構成を示す図である。
図7】OR/Orcoの開確率とガス濃度の関係を示す図である。
図8】ガスの濃度を計測した結果を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
以下、本発明の揮発性物質濃度推定装置、揮発性物質濃度センサ、揮発性物質濃度推定方法およびプログラムの実施形態について説明する。
【0019】
図1は実施形態の揮発性物質濃度推定装置1の機能ブロックの一例を示す図である。
図1に示す例では、揮発性物質濃度推定装置1が、従来の技術によっては検出することができない、膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を高精度に推定する。詳細には、実施形態の揮発性物質濃度推定装置1は、膜タンパク質に到達したオクテノールなどの濃度を推定する。揮発性物質濃度推定装置1は、取得部1Aと、演算部1Bとを備えている。
取得部1Aは、脂質膜上に形成された膜タンパク質を透過するイオン電流値を取得する。
演算部1Bは、取得部1Aによって取得されたイオン電流値に基づいて、膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する。詳細には、演算部1Bは、2値選択モデルを有する拡張カルマンフィルタを用いることによって、緩衝溶液を介して膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度を算出する。
【0020】
図1に示す例では、演算部1Bにおいて、濃度の算出対象である揮発性物質が緩衝溶液に溶存平衡を維持している第1モデルのモデル化が行われる。詳細には、第1モデルのモデル化は、ウィナー過程に基づくランダムウォークモデルを利用して行われる。この第1モデルは、状態方程式に相当する。
【0021】
また、演算部1Bでは、膜タンパク質が揮発性物質を検知して出力(イオンが膜タンパク質を透過する開状態を示す出力、または、イオンが膜タンパク質を透過できない閉状態を示す出力)を変化させる第2モデル(2値選択モデル)のモデル化が行われる。
つまり、第2モデルでは、揮発性物質の結合状態に応じて、膜タンパク質の開状態または膜タンパク質の閉状態を示す2値選択的な値が出力される。この第2モデルは、観測方程式に相当する。
演算部1Bは、例えば観測方程式の線形化を行うことによって観測行列を得る。
【0022】
<適用例>
図2は実施形態の揮発性物質濃度推定装置1が適用された揮発性物質濃度センサAの機能ブロックの一例を示す図である。
図2に示す例では、揮発性物質濃度センサAが、図1に示す揮発性物質濃度推定装置1と、膜タンパク質A1と、脂質膜A2と、緩衝溶液A3と、電流検出回路A4とを備えている。
つまり、図2に示す例では、脂質膜A2上に形成された膜タンパク質A1を透過するイオン電流値が、電流検出回路A4によって検出される。電流検出回路A4によって検出されるイオン電流値は、緩衝溶液A3を介して膜タンパク質A1に到達した揮発性物質の濃度に応じて変化する。
電流検出回路A4によって検出されたイオン電流値は、揮発性物質濃度推定装置1の取得部A1によって取得される。更に、揮発性物質濃度推定装置1の演算部1Bでは、膜タンパク質に到達した揮発性物質の濃度が、取得部1Aによって取得されたイオン電流値に基づいて算出される。
【0023】
以下、実施例を示して本発明を詳細に説明するが、本発明は以下の実施例に限定されるものではなく、その要旨を逸脱しない範囲で適宜変更して実施することができる。
【0024】
[実施例1]
〔計測系の構成と信号処理方式〕
(イオンチャネルの電気特性計測系)
図3はイオンチャネルの特性計測システムの概要を示す図である。計測系は、膜タンパク質の足場となるアクリルウェルチップと、一定の電圧を印加した、微弱な電流信号を計測する回路によって構成されている。アクリルウェルに、脂質を溶かした有機溶媒とKClなどを含む緩衝溶液を滴下すると、ウェルのセパレータの微小孔に脂質の平面膜が形成される。ここに、精製したタンパク質を再構成することで、細胞膜上の環境を人為的に再現できる。空気中の匂い分子は緩衝溶液を介して脂質膜上の膜タンパク質に到達し、匂いの分子が検出される。電流検出回路は、IV変換アンプ、ローパスフィルタなどで構成される。出力電圧はイオンチャネルを流れるイオン電流であり、イオンチャネルの開閉に対応した矩形波の信号が観測される。このとき、矩形波信号は1~10Hz程度の低周期な振動であり、特徴量抽出には長時間の信号計測が必要となる。そこで、モデルベース逐次推定アルゴリズムにより、実時間で定量的な信号処理を検討する。
【0025】
(システムのモデル化と推定アルゴリズム)
逐次推定アルゴリズムとして、カルマンフィルタに基づく手法の構築を目指す。
図4はシステムのモデル化の指針を示す図である。モデル化すべき要素は2箇所あり、1つ目は検出対象である化学種が緩衝液に溶存平衡を維持しているモデルである。これはウィナー過程に基づくランダムウォークモデルを利用して表現する。すなわち、濃度xと変動量成分を含む(0)式に示す状態変数xに関して、(1)式に示す状態方程式を構成する。
【0026】
【数1】
【0027】
もう一つは、イオンチャネルが化学種を検知して出力を変化させるモデルであり、観測方程式に相当するものである。イオンチャネルは、化学種の結合状態に応じて開閉の2値選択的な値を出力するためには、例えば(2)式、(3)式に示す条件を満たすモデルを適応できれば良い。
【0028】
【数2】
【0029】
【数3】
【0030】
ここで、イオンチャネルの応答を化学ポテンシャルと反応速度の観点から考える。
図5はイオンチャネルの開閉状態を説明するための図である。図5に示すように、イオンチャネルの開閉状態は、ともにギブスエネルギーの鞍点であり、そのポテンシャルの差分、ならびにポテンシャル障壁から速度定数が決定されると考えられる(Zheng Trudeau et.al., CRC Press, 2015)。ボルツマンの法則によると、平衡時の化学エネルギーは(4)式で表される。
【0031】
【数4】
【0032】
(4)式において、△Gはイオンチャネルのギブスエネルギー、kはボルツマン定数、Tは温度である。従来研究から、化学種の対数濃度が△Gに作用する影響が線形であると仮定すると、イオンチャネルの開確率Popenは(5)式として与えられる。
【0033】
【数5】
【0034】
(5)式は(2)式、(3)式を満たすロジット分布の累積分布関数となるから、(5)式をあらためてh(x)と置くことで、(6)式の観測方程式が得られる。
【0035】
【数6】
【0036】
(1)式および(6)式において、w、vはそれぞれプロセスノイズと観測ノイズであり、正規分布を仮定する。(6)式は非線形方程式であるから、動点周りで線形化を行うと、(7)式の観測行列が得られる。
【0037】
【数7】
【0038】
(1)式、(6)式および(7)式より、拡張カルマンフィルタは「Innovation Step」の(8)式および(9)式、「Estimation Step」の(10)式、(11)式および(12)式のように構築される(Rene Schneider et.al., ACS Ind. Eng. Chem. Res., 529, 3354-3362, 2013)。
【0039】
【数8】
【0040】
【数9】
【0041】
【数10】
【0042】
【数11】
【0043】
【数12】
【0044】
(9)式および(10)式において、Pは誤差推定共分散行列、Q、Rはノイズの共分散行列である。初期値には事前にサンプリングした値を用いて、x0|0=0、P0|0=AA+Qとした。
【0045】
(パラメータの推定)
(5)式に含まれる係数β,βはイオンチャネルの特性を表現するパラメータであり、イオンチャネルの種類に応じて実験的に求める必要がある。そこで、既知の化学種濃度におけるイオンチャネルの応答を利用して、最尤推定値を利用することを考える。(5)式をもとに得られる対数尤度関数Lは(13)式によって表される。
【0046】
【数13】
【0047】
最尤推定値をあたえるとき、∂L/∂β=0であることから、ニュートン法を利用すると、(14)式として、βを計算することができる。
【0048】
【数14】
【0049】
〔実験結果と考察〕
提案するアルゴリズムの実証実験として、蚊の嗅覚受容体(Olfactory Receptor, OR)とその共役となるイオンチャネル(OR-coreceptor, Orco)を利用した、1-オクテン-3-オール(オクテノール)の検出を行った。これらの膜タンパク質は無細胞合成法によって発現し、ベシクルに導入、保管されたものを利用した。下記に実験条件を示す。
(1.材料)
n-デカン、1-オクテン-3-オールはSigma Aldrich(米国)から入手した。1,2-ジオレイル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン(DOPC),1,2-ジオレイル-sn-グリセロ-3-ホスホエタノールアミン(DOPE),1-パルミトイル-2-オレオリル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン(POPC)および,1-パルミトイル-2-オレオリル-sn-グリセロ-3-ホスホエタノールアミン(POPE)は、Avanti Polar Lipids, Inc.(米国)から入手した。クロロホルム、KCl、KHPO、CaCl、MgClは和光純薬工業株式会社(日本)から購入した。4-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペラジンエタンスルホン酸(HEPES)は同仁堂モレキュラーテクノロジーズ株式会社(日本、熊本)から購入した。全ての水溶液は、Milli-Qを用いて脱イオン水で調製した。疎水性試薬SFCOAT SFE-B002Hは、AGC株式会社から提供されたものである。ポリメチルメタクリレート(PMMA)基材は、三菱化学株式会社(日本)より購入した。接着剤Super-Xは、セメダイン株式会社(日本)より購入した。無細胞翻訳システムPUREfrex 2.0はGeneFrontier株式会社(日本)から入手した。タンパク質蛍光染色剤オリオール蛍光ゲル染色はBio-Rad Laboratories, Inc.(米国)から購入した。
【0050】
(2.デバイスの作成)
アクリル地板は、機械加工装置(mm-100/モーディアシステムズ社製)を用いて湾曲加工を行った。デバイス表面にはSFCOAT SFE-B002Hを塗布し、ガス注入路のエアギャップを形成した。ポリイミド製の液滴セパレータは、先行研究で報告されているフォトリソグラフィー法を用いて作製した。セパレータを接着剤Super-Xで密閉し、リーク電流を遮断した。アクリルウェルに埋設した固体Agリベットの表面にAg/AgCl電極(011464、BAS(株))をコーティングした。イオン電流の捕捉には、パッチクランプ増幅器(JET、Tecella. Co,Ltd)を用いた。信号は、Phython(visual studio 2019を使用して)コードによって処理された。
【0051】
(3.サンプルの前処理)
脂質二重膜の脂質分散油はPOPCとPOPEを3:1(w/w)の割合でn-デカンに溶解したものである。溶液は5mM HEPES/KOH(pH7.6)、0.8mM CaCl、96mM NaCl、2mM KCl、5mM MgClであった。ガスフロー用のマイクロスリットを作製していないウェルに、脂質分散油を4.2μL装填した。黄熱蚊(Aedes aegypti)のOR(OR8)およびOrco(OR7)タンパク質を以下のプロトコールで得た。ORとOrcoのDNAを1:3(w/w)の割合で添加し、50μLのリポソームをPUREfrex 2.0に添加してプロテオリポソームを形成し、25℃で2時間インキュベートした後、20℃で15,000rpmで10分間遠心分離した。試料を7wt%スクロースにバッファー溶液を加えて再懸濁した。15wt%スクロースバッファーに試料を重ね、163000g、10℃で2時間超遠心した。チューブ上部の膜画分を含むバンドを回収し、クロマトグラフィーシステムAKTApurifierSuperdex-200カラム(GEヘルスケア社製)に通した。リポソーム中の嗅覚受容体を確認するために、サンプルを12.5wt% ドデシル硫酸ナトリウム-ポリアクリルアミドゲルを用いた電気泳動(SDS-PAGE)で分離し、オリオール蛍光ゲル染色で染色した。
【0052】
(4.実験条件)
バッファー溶液を2つのウェルに充填した。バッファーには脂質濃度3μg/mLのプロテオリポソームが含まれていた。電流は1kHzのハードウェアローパスフィルタを用いて5kHzの周波数で記録した。膜電位は+60mVに保持した。オクテノールガスは、標準ガス発生器(PD-1B-2、Gastec、日本)によって生成された。提供されたオクテノールガスのフローレートは0.2L/minであった。
【0053】
図6は実験システムの構成を示す図である。アクリルのウェルには、デカンに溶解したPOPC、POPEからなる脂質溶液20mg/mLを4.2μL、バッファーを23μL滴下し、ウェル内部のセパレータに脂質二重膜を形成した。膜タンパク質はベシクルと脂質膜の会合によって自発的に取り込まれるので、両側に配置した銀塩化銀電極によって一定の膜電位を印加することができる。このとき流れる電流をパッチクランプによって計測した。まず、既知の濃度情報とイオンチャネルの応答から、モデルの係数β、βを同定する。収束の絶対許容差を10-5として(14)式を解くと、係数β、βは-0.6236、1.1135と推定された。推定されたパラメータをもとにOR/Orcoの開確率とガス濃度の関係を同定すると、図7のようになった。この係数をもとに拡張カルマンフィルタを構築し、ガスの濃度を計測した結果を図8に示す。この実験では時間軸の120sの点において、デバイスに供給するガスをNからオクテノールに切り替えた。ガスの変化をイオンチャネルが感知し開確率が変化したことを利用して、オクテノール分子の検出ができていることがわかる。検出にはおよそ2分程度を要することも示された。本実施例の手法は、拡張カルマンフィルタであるため、広義にはIIRローパスフィルタと考えることができる。通常のIIRフィルタでは、周波数領域での設計となるため、本件のような矩形波から特徴を抽出する場合、フィルタの係数の決定に実験的な試行錯誤を必要とする。本実施例の方法では、時系列データからタンパクの特性を同定し、状態空間で信号をフィルタリングするため、ノイズレベルや共分散行列などの直感的に設定しやすい値で、実時間計測センサとしての機能を容易に実現できる。そのため、より実用的かつ汎用的な匂いセンサの情報処理設計の指針として、今後幅広い応用が期待できる。
【0054】
以上、本発明を実施するための形態について実施形態を用いて説明したが、本発明はこうした実施形態に何等限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲内において種々の変形及び置換を加えることができる。上述した実施形態および各例に記載の構成を組み合わせてもよい。
【0055】
なお、上述した実施形態における揮発性物質濃度推定装置1および揮発性物質濃度センサAが備える各部の機能全体あるいはその一部は、これらの機能を実現するためのプログラムをコンピュータ読み取り可能な記録媒体に記録して、この記録媒体に記録されたプログラムをコンピュータシステムに読み込ませ、実行することによって実現しても良い。なお、ここでいう「コンピュータシステム」とは、OSや周辺機器等のハードウェアを含むものとする。
また、「コンピュータ読み取り可能な記録媒体」とは、フレキシブルディスク、光磁気ディスク、ROM、CD-ROM等の可搬媒体、コンピュータシステムに内蔵されるハードディスク等の記憶部のことをいう。さらに「コンピュータ読み取り可能な記録媒体」とは、インターネット等のネットワークや電話回線等の通信回線を介してプログラムを送信する場合の通信線のように、短時間の間、動的にプログラムを保持するもの、その場合のサーバやクライアントとなるコンピュータシステム内部の揮発性メモリのように、一定時間プログラムを保持しているものも含んでも良い。また上記プログラムは、前述した機能の一部を実現するためのものであっても良く、さらに前述した機能をコンピュータシステムにすでに記録されているプログラムとの組み合わせで実現できるものであっても良い。
【符号の説明】
【0056】
1…揮発性物質濃度推定装置、1A…取得部、1B…演算部、A…揮発性物質濃度センサ、A1…膜タンパク質、A2…脂質膜、A3…緩衝溶液、A4…電流検出回路
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8