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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-08-19
(45)【発行日】2024-08-27
(54)【発明の名称】車両制御装置
(51)【国際特許分類】
   B60L 15/20 20060101AFI20240820BHJP
   B60W 30/02 20120101ALI20240820BHJP
【FI】
B60L15/20 Y
B60L15/20 S
B60W30/02
【請求項の数】 5
(21)【出願番号】P 2023540321
(86)(22)【出願日】2022-08-01
(86)【国際出願番号】 JP2022029414
(87)【国際公開番号】W WO2023013565
(87)【国際公開日】2023-02-09
【審査請求日】2023-09-15
(31)【優先権主張番号】P 2021129862
(32)【優先日】2021-08-06
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000006286
【氏名又は名称】三菱自動車工業株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】504137912
【氏名又は名称】国立大学法人 東京大学
(74)【代理人】
【識別番号】100183689
【弁理士】
【氏名又は名称】諏訪 華子
(74)【代理人】
【識別番号】110003649
【氏名又は名称】弁理士法人真田特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】▲高▼橋 亮太
(72)【発明者】
【氏名】藤本 博志
(72)【発明者】
【氏名】布施 空由
(72)【発明者】
【氏名】▲高▼橋 直樹
(72)【発明者】
【氏名】松尾 俊輔
(72)【発明者】
【氏名】岡村 悠太郎
(72)【発明者】
【氏名】古賀 亮佑
【審査官】佐々木 淳
(56)【参考文献】
【文献】特開平07-025327(JP,A)
【文献】特開2006-136173(JP,A)
【文献】特開2005-124399(JP,A)
【文献】特開2009-065793(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B60L 1/00-58/40
B60W 30/02
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
車両に搭載される車輪のスリップ状態を制御する車両制御装置において、
前記車輪のスリップ率の目標値である目標スリップ率を演算する演算部と、
少なくとも前記車両の車速に基づき前記目標スリップ率の上限値を設定するとともに、前記演算部で演算された前記目標スリップ率を前記上限値以下に制限する制限部と、
前記制限部で制限された前記目標スリップ率となる車輪速が得られるように前記車両の駆動トルクを制御する制御部と
を備え
前記演算部が、前記車両の要求駆動力と推定駆動力とに基づき前記目標スリップ率を演算する
ことを特徴とする、車両制御装置。
【請求項2】
前記制限部が、前記車両の運転者による操作量、車両状態、または路面状態に応じて前記上限値を設定する
ことを特徴とする、請求項1に記載の車両制御装置。
【請求項3】
左右輪にトルク差を付与する差動機構と前記差動機構に接続される一対の電動機とを具備する前記車両において、前記一対の電動機の作動状態を制御することで前記左右輪の前記スリップ状態を個別に制御する車両制御装置であって、
前記制限部が、前記一対の電動機の回転角速度に基づいて前記左右輪の各々における前記目標スリップ率の前記上限値を設定する
ことを特徴とする、請求項1または2に記載の車両制御装置。
【請求項4】
前記制限部が、前記車速と前記上限値との関係を規定するマップを有し、
前記マップが、前記車速の上昇に伴い前記上限値が上昇する車速域である第一車速域と、前記第一車速域よりも高速側の車速域であって前記車速の上昇に伴い前記上限値が下降する第二車速域とを有するとともに、
前記第一車速域における前記上限値の前記車速に対する上昇勾配の絶対値が、前記第二車速域における前記上限値の前記車速に対する下降勾配の絶対値よりも大きい
ことを特徴とする、請求項1または2に記載の車両制御装置。
【請求項5】
前記マップが、前記第一車速域よりも低速側の車速域であって前記車速の大小に依らず前記上限値を第一所定値に設定する第三車速域と、前記第二車速域よりも高速側の車速域であって前記車速の大小に依らず前記上限値を第二所定値に設定する第四車速域とを有するとともに、
前記第一所定値が、前記第二所定値よりも小さい
ことを特徴とする、請求項に記載の車両制御装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、車両に搭載される車輪のスリップ状態を制御する車両制御装置に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、車両の目標スリップ率を演算し、実際の車輪のスリップ率が目標スリップ率に一致するように車両の駆動トルクを調節する駆動トルク制御が知られている。目標スリップ率の値は、例えば車両の要求駆動力に基づいて演算される。また、目標スリップ率の値が大きくなりすぎると、車輪が滑りやすくなってしまう。そのため、目標スリップ率の値は、あらかじめ設定された所定の上限値以下の範囲に制限されるようになっている(特許文献1~3参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】特開2009-65793号公報
【文献】特許第4637136号公報
【文献】特許第4907390号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
一方、最適なスリップ率の値は、車両の走行状態や路面状態によって変化しうる。そのため、目標スリップ率の上限値を固定したままの駆動トルク制御を実施すると、走行性能及び安定性が低下することがある。例えば、目標スリップ率の上限値が小さすぎれば、車輪と路面との間に作用する摩擦力が小さくなり、走行性能(駆動力,制動力)が低下しうる。また、目標スリップ率の上限値が大きすぎれば、車輪に作用する横力が小さくなり、車体姿勢の安定性が低下しうる。
【0005】
本件の目的の一つは、上記のような課題に照らして創案されたものであり、車両の走行性能及び安定性を改善できるようにした車両制御装置を提供することである。なお、この目的に限らず、後述する「発明を実施するための形態」に示す各構成から導き出される作用効果であって、従来の技術では得られない作用効果を奏することも、本件の他の目的として位置付けることができる。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本件は、以下に開示する態様又は適用例として実現できる。開示の車両制御装置は、上記の課題の少なくとも一部を解決する。
ここで開示する車両制御装置は、車両に搭載される車輪のスリップ状態を制御する車両制御装置であって、前記車輪のスリップ率の目標値である目標スリップ率を演算する演算部と、少なくとも前記車両の車速に基づき前記目標スリップ率の上限値を設定するとともに、前記演算部で演算された前記目標スリップ率を前記上限値以下に制限する制限部と、前記制限部で制限された前記目標スリップ率となる車輪速が得られるように前記車両の駆動トルクを制御する制御部とを備え、前記演算部が、前記車両の要求駆動力と推定駆動力とに基づき前記目標スリップ率を演算する
【発明の効果】
【0007】
開示の車両制御装置によれば、車両の走行性能及び安定性を改善できる。
【図面の簡単な説明】
【0008】
図1】実施例としての車両制御装置が適用された車両を説明するための図である。
図2図1に示す車両の駆動系の構造を示す骨子図である。
図3図2に示す遊星歯車機構の速度線図である。
図4図1に示す車両制御装置の構成を示すブロック図である。
図5図1の制限部で設定される車速と上限値との関係を示すマップである。
【発明を実施するための形態】
【0009】
[1.車両]
実施例としての車両制御装置は、図1に示す車両1に適用される。車両1は、車幅方向に並んで配置される左右輪5(車輪)と、左右輪5にトルク差を付与する動力分配機構3(差動機構)と、動力分配機構3に接続される一対の電動機2とを具備する。図中において数字符号に付加されるアルファベットのR,Lは、当該符号にかかる要素の配設位置(車両1の右側や左側にあること)を表す。例えば、5Rは左右輪5のうち車両1の右側(Right)に位置する一方(すなわち右輪)を表し、5Lは左側(Left)に位置する他方(すなわち左輪)を表す。
【0010】
電動機2は、車両1の前輪または後輪の少なくともいずれか駆動する機能を持つものであり、四輪すべてを駆動する機能を持ちうる。一対の電動機2のうち右側に配置される一方は右電動機2R(右モータ)とも呼ばれ、左側に配置される他方は左電動機2L(左モータ)とも呼ばれる。右電動機2R及び左電動機2Lは、互いに独立して作動し、互いに異なる大きさの駆動力を個別に出力しうる。これらの電動機2は、互いに別設された一対の減速機構を介して動力分配機構3に接続される。本実施例の右電動機2R及び左電動機2Lは、定格出力が同一であり、二個一組の対で設けられる。
【0011】
車両1は、一対の電動機2のトルク差を増幅して左右輪5の各々に分配する動力分配機構3を備える。本実施例の動力分配機構3は、ヨーコントロール機能〔AYC (Active Yaw Control)機能〕を持ったディファレンシャル機構であり、左輪5Lに連結される車輪軸4(左車輪軸4L)と右輪5Rに連結される車輪軸4(右車輪軸4R)との間に介装される。ヨーコントロール機能とは、左右輪5の駆動力(駆動トルク)の分担割合を積極的に制御することでヨーモーメントを調節し、車両1の姿勢を安定させる機能である。動力分配機構3の内部には、遊星歯車機構や差動歯車機構などが内蔵される。なお、一対の電動機2と動力分配機構3とを含む車両駆動装置は、DM-AYC(Dual-Motor AYC)装置とも呼ばれる。
【0012】
図2に示すように、動力分配機構3は、電動機2の回転速度を減速する一対の減速機構(図2中にて破線で囲んだギヤ列)や変速機構(図2中にて一点鎖線で囲んだギヤ列)を含む。減速機構は、電動機2から出力されるトルク(駆動力)を減速することでトルクを増大させる機構である。減速機構の減速比は、電動機2の出力特性や性能に応じて適宜設定される。電動機2のトルク性能が十分に高い場合には、減速機構を省略してもよい。また、変速機構は、左右輪5の各々に伝達されるトルク差を増幅させる機構である。
【0013】
図2に示す動力分配機構3の変速機構は、一対の遊星歯車機構を含む。これらの遊星歯車機構は、各々のキャリアに設けられるプラネタリギヤの自転軸同士が連結された構造を持つ。各キャリアは、プラネタリギヤを自転可能に支持するとともに、プラネタリギヤをサンギヤとリングギヤとの間で公転しうるように支持している。また、一方の遊星歯車機構のリングギヤ及びサンギヤには、左右それぞれの電動機2から伝達される駆動力が入力される。左右輪5に伝達される駆動力は、他方の遊星歯車機構のサンギヤ及びキャリアから取り出される。他方の遊星歯車機構のリングギヤは、存在しない。なお、図2に示す動力分配機構3の構造は、ヨーコントロール機能を実現するための一例に過ぎず、他の公知構造を適用することも可能である。
【0014】
各々の電動機2L,2Rは、インバータ6(6L,6R)を介してバッテリ7に電気的に接続される。インバータ6は、バッテリ7側の直流回路の電力(直流電力)と電動機2側の交流回路の電力(交流電力)とを相互に変換する変換器(DC-ACインバータ)である。また、バッテリ7は、例えばリチウムイオン二次電池やニッケル水素二次電池であり、数百ボルトの高電圧直流電流を供給しうる二次電池である。電動機2の力行時には、直流電力がインバータ6で交流電力に変換されて電動機2に供給される。電動機2の発電時には、発電電力がインバータ6で直流電力に変換されてバッテリ7に充電される。インバータ6の作動状態は、車両制御装置10によって制御される。
【0015】
車両制御装置10は、車両1に搭載される電子制御装置(ECU,Electronic Control Unit)の一つである。車両制御装置10には、図示しないプロセッサ(中央処理装置),メモリ(メインメモリ),記憶装置(ストレージ),インタフェース装置などが内蔵され、内部バスを介してこれらが互いに通信可能に接続される。車両制御装置10で実施される判定や制御の内容は、ファームウェアやアプリケーションプログラムとしてメモリに記録,保存されており、プログラムの実行時にはプログラムの内容がメモリ空間内に展開されて、プロセッサによって実行される。
【0016】
車両制御装置10には、図1に示すように、アクセル開度センサ21,ブレーキセンサ22,舵角センサ23,モード選択スイッチセンサ24,レゾルバ25,車輪速センサ26が接続される。アクセル開度センサ21はアクセルペダルの踏み込み量(アクセル開度)やその踏み込み速度を検出するセンサである。ブレーキセンサ22は、ブレーキペダルの踏み込み量(ブレーキペダルストローク)やその踏み込み速度を検出するセンサである。舵角センサ23は、左右輪5の舵角(実舵角またはステアリングの操舵角)を検出するセンサであり、モード選択スイッチセンサ24は、乗員によって任意に選択されうる車両1の走行モード(例えば、スノーモード,ターマックモードなど)を設定するためのスイッチとそのスイッチの操作状態を検出するセンサとが一体化されたデバイスである。
【0017】
レゾルバ25は、電動機2の回転角速度(すなわちモータ角速度ωRm,ωLm)を検出するセンサであり、各々の電動機2に個別に設けられる。また、車輪速センサ26は、動力分配機構3から車輪軸4へと出力される回転角速度(車輪角速度ωRds,ωLds)を検出するセンサであり、動力分配機構3と左右の車輪軸4との接続箇所の近傍に設けられる。車両制御装置10は、これらのセンサ21~26で検出された各情報に基づいてインバータ6の作動状態を制御することで、一対の電動機2の出力を制御する。なお、電動機2の回転角速度を検出するセンサの種類はレゾルバ25に限られず、他のセンサ(例えばホールセンサやエンコーダ)であってもよい。
【0018】
[2.制御モデル]
本実施例に関連する制御モデルについて説明する。車両の車輪5に制駆動トルク(制動トルク及び駆動トルク)を与えて車輪5の回転速度を変化させると、車体速度との相対速度が変化(スリップ)し、接地面が変形して制駆動力(制動力及び駆動力)が生じる。ここで、車体重量をM,車体速度(車速)をV,制駆動力をFx,車輪のイナーシャ(慣性モーメント)をJw,車輪角速度をωds,軸トルク(制駆動トルク)をTds,タイヤの有効半径をr,車輪速度をVw,スリップ率をλ(車体速度と車輪速度の相対速度を規格化したスリップ率)とおけば、以下の等式が成立する。
【0019】
【数1】
【0020】
また、制駆動力を垂直抗力で除して規格化した変数を摩擦係数μと呼ぶ。一般に、摩擦係数μとスリップ率λとの関係は非線形である。摩擦係数μの値は、所定のスリップ率(最適スリップ率λp0)で最大値μmaxをとる。ここで、軸トルク入力に対する車輪角速度の伝達関数(入出力の関係を複素数sの関数として表現したもの)は、以下のように表現される。下式中のJnはノミナルイナーシャである。つまり、あるスリップ率λn(ノミナルスリップ率)であるときに、駆動側から見た車輪5の等価的なイナーシャはJnであると見なせる。
【0021】
【数2】
【0022】
図3は、動力分配機構3の入出力に関する速度線図である。図中のb1,b2は、動力分配機構3に内蔵されるギヤの構造によって定まる等価第二速度比である。本実施例では、以下の等式が成立する。
【0023】
【数3】
【0024】
TRin,TLinは、ギヤによる減速及びカップリング後の入力側トルクであり、モータ側のイナーシャトルクも含んでいる。また、TRm,TLmはモータ側のイナーシャトルクを差し引いたトルクであり、以下のように表すことができる。
【0025】
【数4】
【0026】
TRIm,TLImは、電動機2のイナーシャトルクである。また、Imは電動機2のイナーシャであり、ωRm,ωLmは第一減速後のモータ側の角速度である。モータ角速度ωRm,ωLmとドライブシャフト側の角速度ωRds,ωLdsとの関係は、以下の式で表される。
【0027】
【数5】
【0028】
ドライブシャフト側に伝達されるトルクTRds,TLdsは、電動機2のイナーシャトルクを差し引いたカップリング後のトルクであることから、以下の式で表される。
【数6】
【0029】
また、車輪速を用いたイナーシャトルクの算出には、以下の式を利用可能である。
【数7】
【0030】
[3.車両制御装置]
図1に示すように、車両制御装置10の内部には、少なくとも演算部11と制限部12と制御部13とが設けられる。本実施例では、図4に示すように、制御部13がFF制御部14とFB制御部15とを含む。また、上記の要素に加えて、モデル算出部16と駆動力オブザーバ部17とが設けられる。これらの要素は、車両制御装置10の機能を便宜的に分類して示したものである。これらの要素は独立したプログラムとして記述することができ、複数の要素を合体させた複合プログラムとして記述することもできる。各要素に相当するプログラムは、車両制御装置10のメモリや記憶装置に記憶され、プロセッサで実行される。
【0031】
演算部11は、車輪5R,5Lのスリップ率λの目標値である目標スリップ率y(スリップ率指令値)を個別に演算するものである。目標スリップ率yの値は、少なくとも車両1の要求駆動力に基づいて演算される。本実施例では、車両1の要求駆動力と推定駆動力とに基づいて、目標スリップ率yの値が演算される。例えば、要求駆動力から推定駆動力を減じた値(誤差)を積分した値に基づいて、目標スリップ率yが演算される。要求駆動力は、例えばセンサ21~26で検出された各情報に基づいて算出される。ここで、目標スリップ率yの定義を以下に示す。
【数8】
【0032】
この目標スリップ率yは、車両1の制動時(減速時)におけるスリップ率λの定義と同じである。制動時におけるスリップ率λと目標スリップ率yとの関係は、以下の式で表される。スリップ率λが十分に小さければ、両者の値はほぼ同一となる。
【数9】
【0033】
なお、演算部11で演算される目標スリップ率yの値が過大である場合には、その値(絶対値)が、後述する制限部12で設定される上限値ymax以下の範囲にクリップされる。この場合、上限値ymaxを超えた分の値は、余剰分の値として破棄されることになる。そこで、この余剰分の値を次回以降の演算に反映させるべく、所定のゲインを乗じたうえで再び演算部11の上流側へと導入し、要求駆動力から減算するような演算構成にしてもよい。
【0034】
制限部12は、少なくとも車両1の車速Vに基づいて目標スリップ率yの上限値ymaxを個別に設定するとともに、演算部11で演算された目標スリップ率yの絶対値|y|を上限値ymax以下に制限するものである。上限値ymaxによって制限される目標スリップ率yには、制動側(負側)の値も含まれる。ここでいう車速Vは、車輪速センサ26で検出された車輪角速度ωLds,ωRdsに基づいて算出される値でもよいが、好ましくはレゾルバ25で検出されたモータ角速度ωRm,ωLmに基づいて算出される値とされる。上限値ymaxは、目標スリップ率yのリミッターとして機能する。図5は、車速Vと上限値ymaxとの関係を例示するマップである。図5では、駆動側(正側)の制限特性を示している。このマップは、車両制御装置10の内部(例えば、制限部12の内部や制限部12がアクセス可能なメモリ上など)に保存される。
【0035】
上記のマップには、車速Vの上昇に伴い上限値ymaxが上昇する車速域である第一車速域V1~V2と、車速Vの上昇に伴い上限値ymaxが下降する第二車速域V3~V4とが設定される。第一車速域V1~V2は、車速Vが第一車速V1から第二車速V2までの車速域を意味し、第二車速域V3~V4は、車速Vが第三車速V3から第四車速V4までの車速域を意味する。車速Vの値の大小関係は、0<V1<V2<V3<V4であり、第二車速域V3~V4は第一車速域V1~V2よりも高速側の車速域である。
【0036】
図5に示すように、第一車速域V1~V2で設定される上限値ymaxの値は、車速Vの上昇に対して登り勾配で増加する特性を持ち、その上昇勾配はA1である。一方、第二車速域V3~V4で設定される上限値ymaxの値は、車速Vの上昇に対して下り勾配で減少する特性を持ち、その下降勾配は-A2である。ここで、二つの勾配の絶対値を比較すると、上昇勾配の絶対値|A1|は下降勾配の絶対値|-A2|よりも大きな値になるように設定される。
【0037】
上昇勾配の絶対値|A1|を比較的大きな値にすることで、車速Vの上昇に対して上限値ymaxの値がより大きくなり、目標スリップ率yが最適スリップ率λp0へと近づきやすくなる。また、下降勾配の絶対値|-A2|を上昇勾配の絶対値|A1|以上に設定してしまうと、車速Vがある程度上昇した後で急激に上限値ymaxの値が減少し、トルクが過度に抑制されてしまう。これに対し、下降勾配の絶対値|-A2|を上昇勾配の絶対値|A1|よりも小さく設定することで、このようなフィーリングの低下が防止される。
【0038】
また、上記のマップには、車速Vの大小に依らず上限値ymaxを第一所定値y1に設定する第三車速域V0~V1と、車速Vの大小に依らず上限値ymaxを第二所定値y2に設定する第四車速域V4~V5とが設定される。第三車速域V0~V1は、車速Vが所定車速V0から第一車速V1までの車速域を意味し、第四車速域V4~V5は、車速Vが第四車速V4から第五車速V5までの車速域を意味する。車速Vの値の大小関係は、0≦V0<V1,V4<V5である。
【0039】
第三車速域V0~V1は、第一車速域V1~V2よりも低速側の車速域であり、第四車速域V4~V5は、第二車速域V3~V4よりも高速側の車速域である。ここで、第一所定値y1は、第二所定値y2よりも小さい値に設定される。また、第一車速域V1~V2と第二車速域V3~V4とに挟まれる第五車速域V2~V3においては、車速Vの大小に依らず上限値ymaxが第三所定値y3に設定される。上限値ymaxの大小関係は、y1<y2<y3である。
【0040】
第一所定値y1を比較的小さい値(第二所定値y2よりも小さい値)に設定することで、停止している車両1が走行を開始した直後のスリップが強く制限されることになり、加速度が増大しやすくなる。一方、第三所定値y3を比較的大きい値(第一所定値y1及び第二所定値y2よりも大きい値)に設定することで、車輪5R,5Lの摩擦力が大きくなるスリップ率λの範囲内に目標スリップ率yを維持しやすくなり、駆動力が増大しやすくなる。また、第二所定値y2を再び比較的小さい値(少なくとも第三所定値y3よりも小さい値)に設定することで、中高速域でのスリップ及びトルク抑制に伴う振動の発生が防止される。なお、車両1の発進時と比較すると、中高速域では目標スリップ率yを過度に制限しない方が、加速度が増大しやすくなる。つまり、第二所定値y2を第一所定値y1よりも大きな値に設定することで、制振性能だけでなく加速性能も改善される。
【0041】
なお、車速V以外のパラメータを上限値ymaxに反映させてもよい。例えば、車両1の運転者による操作量や車両状態(横加速度,ヨーレートなど)や路面状態に応じて、上限値ymaxを設定してもよい。具体例を挙げれば、車両1の走行モードがスノーモードである場合に、車両1の走行モードがターマックモードである場合と比較して、上限値ymaxの値を補正するためのゲインXの値を小さく設定する。あるいは、路面が滑りやすい場合(通常路面と比較して路面摩擦係数の推定値が小さい場合)や車両1に作用する加減速度が大きい場合に、ゲインXの値を小さく設定し、路面が滑りにくい場合や車両1に作用する加減速度が小さい場合に、ゲインXの値を大きく設定する。
【0042】
ゲインXは、上限値ymaxに乗算されるパラメータであり、例えば0以上の範囲で設定される。ゲインXが1よりも小さければ小さいほど、上限値ymaxとゲインXとの積が小さくなり、ゲインXが1よりも大きければ大きいほど、上限値ymaxとゲインXとの積が大きくなる。ゲインXが乗算された後の値が、最終的な目標スリップ率yの上限値ymaxとして使用される。このような設定により、路面が滑りやすいほどスリップが強く抑制されるため、車体姿勢の安定性が向上する。
【0043】
制御部13は、制限部12で制限された目標スリップ率yとなる車輪速が得られるように、車両1の駆動トルクを車輪5R,5L毎に制御するものである。制御部13には、要求駆動力に基づく制御を司るFF制御部14と、制限部12で制限された目標スリップ率yに基づく制御を司るFB制御部15とが設けられる。FF制御部14では、制御対象となる車輪5R,5Lの有効半径rが要求駆動力に乗算されて、その車輪5R,5Lについての要求車輪トルクが算出される。車輪5R,5Lが粘着していれば、式1の左辺は十分に小さく、軸トルクTdsがタイヤの有効半径rと制駆動力Fxとの積rFxにほぼ一致する。したがって、フィードフォワードによって駆動力指令値にほぼ等しい駆動力を生成でき、若干の誤差を駆動力制御系のフィードバックが補償することになる。
【0044】
また、FB制御部15では、その車輪5R,5Lについてのトルクのフィードバック制御量が算出される。FF制御部14で算出された要求車輪トルクとFB制御部15で算出されたフィードバック制御量とを加算したものが、その車輪5R,5Lについての最終的な出力トルクTとなる。この出力トルクTに基づいて、一対の電動機2の作動状態が制御される。なお、車輪軸4のトルクを電動機2のトルクへと変換するための演算手法としては、公知の手法を適用可能である。
【0045】
フィードバック制御量の算出に関して、FB制御部15では、例えば前回の演算周期における車速Vに対し、目標スリップ率yに1を加えた値が乗算される。また、その値が制御対象となる車輪5R,5Lの有効半径rで除算され、その車輪5R,5Lの角速度目標値ω*が算出される。その後、前回の演算周期におけるその車輪5R,5Lの実際の角速度ωと角速度目標値ω*との差が小さくなるように(理想的には差が0になるように)、トルクのフィードバック制御量(例えば、PI制御量)が算出される。なお、前回の演算周期における車速Vや角速度ωの代わりに、モデル算出部16で算出される車速Vや角速度ωの推定値を用いてもよい。
【0046】
また、極配置法を用いて車輪速制御を設計する場合、極を複素共役とし、実部を-a(a>0)、虚部をbとすれば、車輪速制御はPI(比例積分)制御となり、その比例ゲインKp及び積分ゲインKiは以下のように表現される。ここで、b=0とすれば、実重根なので車輪速制御ループの応答は臨界減衰となる。
【0047】
【数10】
【0048】
モデル算出部16は、所定の車両モデルに基づき、車輪5R,5Lが出力トルクTで駆動されたときの車速,車輪速,車体加速度などの推定値を算出するものである。これらの推定値は、例えば電動機2のトルクを車輪軸4のトルクへと変換するための公知演算手法を適用することで導出可能である。
【0049】
駆動力オブザーバ部17は、少なくとも出力トルクTに基づき、推定駆動力を算出するものである。ここでは、例えばモデル算出部16で算出された車輪速に基づき、左右輪5の各々のイナーシャトルクJwsが算出される。続いて、出力トルクTからイナーシャトルクJwsを減じた推定軸トルクが算出される。この推定軸トルクを車輪5R,5Lの有効半径rで除算することで、推定駆動力が算出される。
【0050】
上記のイナーシャトルクJwsは、レゾルバ25の検出値から算出することも可能である。例えば、上記の式8に基づき、レゾルバ25で検出されたモータ角速度ωRm,ωLmから左右輪5の各々の車輪速(ドライブシャフト側の角速度ωRds,ωLds)が推定される。また、左右輪5の各々のイナーシャトルクJwsは、式10における右辺の第二項、及び、式11における右辺の第二項に相当するため、各々の車輪速から算出可能である。その後、出力トルクTからイナーシャトルクJwsを減じた推定軸トルクを車輪5R,5Lの有効半径rで除算することで、推定駆動力が算出される。
【0051】
[4.作用・効果]
(1)上記の実施例では、車両制御装置10に演算部11と制限部12と制御部13とが設けられる。演算部11は、車輪5R,5Lのスリップ率λの目標値である目標スリップ率yを演算する。制限部12は、少なくとも車両1の車速Vに基づき目標スリップ率yの上限値ymaxを設定し、演算部11で演算された目標スリップ率yを上限値ymax以下に制限する。制御部13は、制限部12で制限された目標スリップ率yとなる車輪速が得られるように車両1の駆動トルクを制御する。
【0052】
このような構成により、目標スリップ率yを車速Vに応じた最適な値に近づけることができ、車両1の走行性能及び安定性を改善できる。特に、上限値ymaxの値が固定的に設定される既存の制御と比較して、車輪5L,5Rのスリップを許容する速度範囲とスリップを制限する速度範囲とを適切に使い分けることができ、車両1の走行性能及び安定性を改善できる。
【0053】
(2)上記の実施例では、制限部12が、車両1の運転者による操作量や車両状態(横加速度,ヨーレートなど)や路面状態に応じて上限値ymaxを設定しうる。例えば、モード選択スイッチセンサ24で選択されている走行モードに応じて上限値ymaxを設定することで、車両1の走行性能及び安定性をさらに改善できる。また、路面が滑りやすい場合や車両1に作用する加減速度が大きい場合に上限値ymaxを小さくすることで、スリップを強く抑制して車体姿勢の安定性を向上させることができる。一方、路面が滑りにくい場合や車両1に作用する加減速度が小さい場合に上限値ymaxを大きくすることで、目標スリップ率yを最適スリップ率λp0に近づけることができ、車両1の走行性能を向上させることができる。
【0054】
(3)上記の実施例では、演算部11が、車両1の要求駆動力と推定駆動力とに基づき目標スリップ率yを演算しうる。このような構成により、フィードバックの応答性を改善することができ、目標スリップ率yを精度よく制御することができる。したがって、車両1の走行性能及び安定性を改善できる。
【0055】
(4)上記の実施例では、制限部12が、電動機2の回転角速度(モータ角速度ωRm,ωLm)を用いて左右輪5の各々における目標スリップ率yの上限値ymaxを設定しうる。このような構成により、例えば車輪速センサ26の検出値(車輪角速度ωLds,ωRds)に基づく車速Vを使用して上限値ymaxを設定した場合と比較して、目標スリップ率yの応答性や制御性を改善することができる。したがって、車両1の走行性能及び安定性を改善できる。
【0056】
(5)図5に示すように、車速Vと上限値ymaxとの関係を規定するマップには、車速Vの上昇に伴い上限値ymaxが上昇する車速域である第一車速域V1~V2と、第一車速域V1~V2よりも高速側の車速域であって車速Vの上昇に伴い上限値ymaxが下降する第二車速域V3~V4とが設定される。また、第一車速域V1~V2における上昇勾配の絶対値|A1|は、第二車速域V3~V4における下降勾配の絶対値|-A2|よりも大きく設定される。このような構成により、低速域での目標スリップ率yを早期に最適スリップ率λp0へと近づけることができ、車両1の走行性能を向上させることができる。また、中高速域での過度なトルク抑制を回避することができ、フィーリングの低下を防止できる。
【0057】
(6)図5に示すマップには、第一車速域V1~V2よりも低速側の車速域であって車速Vの大小に依らず上限値ymaxを第一所定値y1に設定する第三車速域V0~V1と、第二車速域V3~V4よりも高速側の車速域であって車速Vの大小に依らず上限値ymaxを第二所定値y2に設定する第四車速域V4~V5とが設定される。また、第一所定値y1は、第二所定値y2よりも小さく設定される。このような構成により、車両1の発進時(極低速時)におけるスリップを抑制することができ、加速性能を向上させることができる。また、中高速域でのスリップ及びトルク抑制に伴う振動の発生を防止できることから、制振性能及び加速性能をさらに改善できる。
【0058】
[5.変形例]
上記の実施例はあくまでも例示に過ぎず、本実施例で明示しない種々の変形や技術の適用を排除する意図はない。本実施例の各構成は、それらの趣旨を逸脱しない範囲で種々変形して実施することができる。また、必要に応じて取捨選択することができ、あるいは適宜組み合わせることができる。
【0059】
例えば、上記の実施例では車両1の後輪に適用された車両制御装置10を例示したが、前輪に同様の車両制御装置を適用してもよいし、前後輪の両方に同様の車両制御装置を適用してもよい。少なくとも、車輪5R,5Lのスリップ状態を制御する車両制御装置10を備えた車両1において、上記の実施例と同様の制御を実施することで、上記の実施例と同様の効果を実現することができる。
【0060】
本件に係る車両制御装置の実現に際し、以下の参考文献に記載された駆動力制御手法を参照することができる。
・藤本博志,高野毅,延本秀寿,岡崎俊実,「高精度スリップ率制御による駆動力制御技術」,マツダ技報,No. 32,p. 228-233(2015)
・藤本博志,天田順也,宮島孝幸,「可変駆動ユニットシステムを有する電気自動車の開発と制御」,2013 年自動車技術会春季学術講演会前刷集,No. 8-13,p. 17-20(2013)
・吉村雅貴,藤本博志,「インホイールモータを搭載した電気自動車の駆動トルク制御法」,電気学会論文誌 D,Vol. 131,No. 5,p. 721728 (2011)
【符号の説明】
【0061】
1 車両
2 電動機
3 動力分配機構(差動機構)
4 車輪軸
5 左右輪(車輪)
6 インバータ
7 バッテリ
10 車両制御装置(ECU)
11 演算部
12 制限部
13 制御部
14 FF制御部
15 FB制御部
16 モデル算出部
17 駆動力オブザーバ部
21 アクセル開度センサ
22 ブレーキセンサ
23 舵角センサ
24 モード選択スイッチセンサ
25 レゾルバ
26 車輪速センサ
λ スリップ率
λp0 最適スリップ率
y 目標スリップ率
ymax 上限値
図1
図2
図3
図4
図5