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特許7594307MALDI-TOFMSによる複合糖質高分子糖鎖の直接解析方法およびそれに用いるための固体マトリックス組成物
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-11-26
(45)【発行日】2024-12-04
(54)【発明の名称】MALDI-TOFMSによる複合糖質高分子糖鎖の直接解析方法およびそれに用いるための固体マトリックス組成物
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/62 20210101AFI20241127BHJP
【FI】
G01N27/62 F
G01N27/62 V
【請求項の数】 17
(21)【出願番号】P 2022574046
(86)(22)【出願日】2021-12-28
(86)【国際出願番号】 JP2021048940
(87)【国際公開番号】W WO2022149560
(87)【国際公開日】2022-07-14
【審査請求日】2023-08-02
(31)【優先権主張番号】P 2021000822
(32)【優先日】2021-01-06
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】504173471
【氏名又は名称】国立大学法人北海道大学
(74)【代理人】
【識別番号】100145403
【弁理士】
【氏名又は名称】山尾 憲人
(74)【代理人】
【識別番号】100156122
【弁理士】
【氏名又は名称】佐藤 剛
(72)【発明者】
【氏名】比能 洋
【審査官】吉田 将志
(56)【参考文献】
【文献】特表2015-535304(JP,A)
【文献】国際公開第2020/262297(WO,A1)
【文献】特開2012-220365(JP,A)
【文献】ZHANG et al.,Determination of High Polymerization Degree Dextran by Matrix-assisted Laser Desorption-ionization T,ACTA SCIENTIARUM NATURALIUM UNIVERSITATIS SUNYATSENI,2005年01月,Vol.44/No.1,PP.57-60
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/62
H01J 49/00 - H01J 49/48
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
1分子内に、芳香族性水酸基および共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性残基を有する両性固体マトリックス;ならびに1価の金属イオンを含み、前記両性固体マトリックスが、式(1):
【化1】
(式中、R~Rは、それぞれ、独立して、水素原子、水酸基、アルキル基、アルコキシ基、カルボキシル基および/またはアミノ基であって、R~Rのうちいずれかふたつは、それぞれ、水酸基およびアミノ基である。)で表されるアミノヒドロキシ安息香酸であって、 前記1価の金属イオンの添加量が、前記両性固体マトリックス100モル%に対して1~50モル%である、固体マトリックス組成物。
【請求項2】
前記1価の金属イオンが、リチウムイオン、ナトリウムイオン、カリウムイオン、ルビジウムイオン、セシウムイオンよりなる群から選択される、請求項1に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項3】
記アミノヒドロキシ安息香酸が、下式:
【化2】
で表される化合物からなる群から選択されるアミノヒドロキシ安息香酸である、請求項1に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項4】
前記1価の金属イオンが、リチウムイオン、ナトリウムイオン、カリウムイオン、ルビジウムイオン、セシウムイオンよりなる群から選択される、請求項1に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項5】
酸性固体マトリックス;芳香族性塩基性分子およびヒドロキシルアミン型塩基性分子から選択される、共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性化合物;ならびに1価の金属イオンを含み、
前記1価の金属イオンの添加量が、前記酸性固体マトリックス100モル%に対して1~50モル%である、
固体マトリックス組成物。
【請求項6】
前記酸性固体マトリックスがカルボン酸を含有し、pKa1.0~6.0を示す、請求項5に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項7】
前記酸性固体マトリックスが芳香族性水酸基を含有し、pKa6.0~10.0を示す、請求項5に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項8】
前記酸性固体マトリックスが、2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)、CHCA誘導体である4-クロロ-α-シアノケイ皮酸(Cl-CCA)、4-ブロモ-α-シアノケイ皮酸(Br-CCA)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸メチル(CNME)、2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)およびピコリン酸(PA)からなる群から選択される、請求項5に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項9】
前記1価の金属イオンが、リチウムイオン、ナトリウムイオン、カリウムイオン、ルビジウムイオン、セシウムイオンよりなる群から選択される、請求項5に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項10】
前記共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性化合物が、アニリン、N-メチルアニリン(NMA)、N,N-ジメチルアニリン(DMA)およびO-ベンジルヒドロキシルアミン(BOA)よりなる群から選択される、請求項5に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項11】
前記共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性化合物の添加量が、前記酸性固体マトリックス100モル%に対して10~150モル%である、請求項5に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項12】
さらに、フラグメント化促進剤として、前記酸性固体マトリックス100モル%に対して1~100モル%の1,5-ジアミノナフタレンを含む、請求項5に記載の固体マトリックス組成物。
【請求項13】
複合糖質のマトリックス支援レーザー脱離/イオン化-飛行時間型質量分析法であって、糖たんぱく質または糖脂質の糖鎖成分選択的イオン化を特徴とし、請求項1~12いずれかに記載の固体マトリックス組成物を使用する、質量分析法。
【請求項14】
リフレクトロンモードでインソース分解・ポストソース分解物測定する、請求項13に記載の質量分析法。
【請求項15】
糖鎖由来フラグメントの選択的イオン化能を活用した、請求項14に記載の質量分析法。
【請求項16】
MALDI-TOF/TOFMS分析においてレーザー出力依存的フラグメント化傾向、および糖鎖由来フラグメント選択的イオン化能を活用し、疑似MS/MS/MS解析する、請求項13に記載の質量分析法。
【請求項17】
少なくとも一部に、請求項1~12いずれかに記載の固体マトリックス組成物からなるマトリックス層が形成されている、マトリックス支援レーザー脱離/イオン化質量分析用測定プレート。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高分子量複合糖質等の糖鎖成分をアグリコン成分から切り出し操作を行うことなく、高い精度および感度でMALDI-TOFMS分析する方法および、そのような方法に適したマトリックス系を提供する。本発明は、特に、糖タンパク質、脂質結合糖鎖など、いずれのタイプの複合糖質の分析にも適用可能な、一連のマトリックス系を提供する。
【背景技術】
【0002】
糖タンパク質や糖脂質などの複合糖質は、自然界において生物学的に重要な役割を果たす。例えば、細胞外に提示される糖鎖構造の違いは免疫システムによって識別され、輸血時の指標となる血液型や病原性微生物の識別に使用される血清型等として細胞表面に提示される。このとき細胞外に提示されるタンパク質の主要な翻訳後修飾として知られるアスパラギン残基上に提示された糖鎖(N-結合型糖鎖)は、正常な細胞表面に提示される糖鎖と、異常細胞(例えば、がん細胞)の表面に提示される糖鎖と、が異なることが知られている(図1)。すなわち、細胞表面に提示される糖質は、疾病、感染、免疫機構のバイオマーカーである。したがって、迅速かつ精度の高い、複合糖質の解析方法の開発は、非常に重要なテーマであり、マトリックス支援レーザー脱離/イオン化質量分析法(MALDI-MS)を用いた解析が行われている。しかしながら、MALDI-MSにおいて、糖鎖のイオン化効率は生体分子の中では低いため、生体分子中の複合糖質の解析には、アグリコン成分(タンパク質、脂質等)から糖鎖を切断し、糖鎖成分を分離、さらに糖鎖のイオン化効率を改善するための化学修飾、等の一連の前処理操作が必要である。
【0003】
マトリックス支援レーザー脱離/イオン化-飛行時間型質量分析法(MALDI-TOFMS)は、生体分子の高感度、高分解能分析のための迅速で強力な方法である。炭水化物および複合糖質は、一般に2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)を固体マトリックスとして使用するMALDI-TOFMSの分析対象である。しかし、糖タンパク質や糖脂質などのアグリコン成分を含む複合糖質型高分子をイオン化する場合、糖鎖とアグリコン成分双方の多様性に伴い解釈が困難な複雑なピークパターンを形成する。また、生体高分子を分析対象とする場合単位質量当たりの分子数の低下、イオン化効率の低下、およびインソース分解(ISD)およびポストソース分解(PSD)の双方による測定対象分子の分解等により、そのシグナル強度が弱くなり、検出が困難となる。また、ISDおよびPSDにより複合糖質がフラグメント化されると、擬似分子イオンが生成され、分析対象中の成分構造やその配列情報の解析が可能となるが、糖鎖成分はイオン化効率が他の成分と比較してイオン化効率が低いためグリカンの構造および配列情報を特定することが困難になる。実際にDHB等の一般的なMALDI-TOFMS用のマトリックスを用いて糖タンパク質のISDおよびPSD解析を行うとペプチド断片シグナルのみが得られ、アグリコン成分であるたんぱく質の末端配列情報が得られるが、糖鎖情報を示すイオンシグナルは消失していることが報告されている[非特許文献1]。
【0004】
これらの課題を解決するために、複合糖質のアグリコン成分間を酵素または酸塩基処理等で分解し、糖鎖成分断片を分取し、さらに糖鎖成分のイオン化効率を向上させる化学修飾を施したのちに質量分析することが報告されている。この修飾戦略は、特に固相捕捉などの分離方法を用いる質量分析法を利用したグライコミクス型の研究には有効である。
しかしながら、分析プロセス(例えば、微生物の同定や診断)の簡素化とスピードアップのために、アグリコン成分の分解および除去プロセスなしの直接分析の要求がある。この意味で、ISDおよびPSDを活用した質量分析内での分析対象分子の分解(断片化)と内部構造情報の取得技術は極めて有効である。しかし、糖鎖のイオン化効率が低いため、高分子複合糖質の糖鎖成分は断片イオンを対象としたISDおよびPSD解析には適していないと考えられていた。
【0005】
近年、様々なアリールアミン型の塩基性物質が、MALDIターゲットプレート上の分析対象と共にイオン液体および均質な結晶形を形成し、分析対象グリカンの感度と再現性を改善する、マトリックス中の添加剤として報告されている[非特許文献2~8]。
【0006】
例えば、固体マトリックスとしてα-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)を用い、アリールアミン型の塩基性物質として3-アミノキノリンを添加した系(3AQ/CHCA)は、均一イオン液体を形成して、MALDIターゲットプレート上に高感度のアミノキノリン標識グリカンを提供することが知られている[非特許文献9]。このような均一イオン液体系は、しばしば、通常の固体マトリックスと比較してイオン化効率と分析対象のシグナル再現性の両方を改善するが、イオン液体のスポットは、ターゲットプレート上で、表面張力によりドーム状となる。そうすると、様々な角度でイオンが飛び出すので飛行時間が変動するので、ターゲットプレート上で不均一な大きな結晶を形成し易いDHBと同様に、イオンシグナルのピーク形状を広げる傾向がある。また、アニリンおよびそのN-メチル誘導体は、DHBと微結晶またはイオン液体を形成し、未修飾炭水化物のMALDI-TOFMSによる検出のためにイオン化することができることが知られている。
また、糖鎖の還元末端とO置換型ヒドロキシルアミン(アミノオキシ基)との組み合わせによるオキシム形成反応が糖鎖のラベル化および捕捉反応として報告されている。特に、糖鎖構造解析においてはヒドロキシルアミン型のラベル化反応を鍵としたプロセスが報告されている。[特許文献1~10、非特許文献10~12]。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】特許第5147815号明細書
【文献】特許第5467815号明細書
【文献】特許第5368725号明細書
【文献】特許第5682767号明細書
【文献】特許第4566604号明細書
【文献】特許第5289707号明細書
【文献】特許第5485449号明細書
【文献】特許第5301705号明細書
【文献】特許第5301706号明細書
【文献】特許第5301708号明細書
【文献】国際公開第2020/153502号
【非特許文献】
【0008】
【文献】Detlev Suckau and Anja Resemann, Anal. Chem. 2003, 75, 5817-5824.
【文献】Snovida, S. I.; Chen, V. C.; Perreault, H., Use of a 2,5-dihydroxybenzoic acid/aniline MALDI matrix for improved detection and on-target Derivatization of glycans: A preliminary report. Anal Chem 2006, 78 (24), 8561-8.
【文献】Snovida, S. I.; Rak-Banville, J. M.; Perreault, H., On the use of DHB/aniline and DHB/N,N-dimethylaniline matrices for improved detection of carbohydrates: automated identification of oligosaccharides and quantitative analysis of sialylated glycans by MALDI-TOF mass spectrometry. J Am Soc Mass Spectrom 2008, 19 (8), 1138-46.
【文献】Kaneshiro, K.; Fukuyama, Y.; Iwamoto, S.; Sekiya, S.; Tanaka, K., Highly sensitive MALDI analyses of glycans by a new aminoquinoline-labeling method using 3-aminoquinoline/alpha-cyano-4-hydroxycinnamic acid liquid matrix. Anal Chem 2011, 83 (10), 3663-7.
【文献】Watanabe, M.; Terasawa, K.; Kaneshiro, K.; Uchimura, H.; Yamamoto, R.; Fukuyama, Y.; Shimizu, K.; Sato, T. A.; Tanaka, K., Improvement of mass spectrometry analysis of glycoproteins by MALDI-MS using 3-aminoquinoline/alpha-cyano-4-hydroxycinnamic acid. Anal Bioanal Chem 2013, 405 (12), 4289-93.
【文献】Fukuyama, Y.; Funakoshi, N.; Takeyama, K.; Hioki, Y.; Nishikaze, T.; Kaneshiro, K.; Kawabata, S.; Iwamoto, S.; Tanaka, K., 3-Aminoquinoline/p-coumaric acid as a MALDI matrix for glycopeptides, carbohydrates, and phosphopeptides. Anal Chem 2014, 86 (4), 1937-42.
【文献】Zhao, X. Y.; Shen, S. S.; Wu, D. T.; Cai, P. F.; Pan, Y. J., Novel ionic liquid matrices for qualitative and quantitative detection of carbohydrates by matrix assisted laser desorption/ionization mass spectrometry. Analytica Chimica Acta 2017, 985, 114-120.
【文献】Fukuyama, Y.; Nakaya, S.; Yamazaki, Y.; Tanaka, K., Ionic liquid matrixes optimized for MALDI-MS of sulfated/sialylated/neutral oligosaccharides and glycopeptides. Anal Chem 2008, 80 (6), 2171-9.
【文献】V. S. Kumar Kolli, Ron Orlando, Rapid Commun. Mass Spectrom. 10: 923―926, 1996.
【文献】Shin-Ichiro Nishimura, Kenichi Niikura, Masaki Kurogochi, Takahiko Matsushita, Masataka Fumoto, Hiroshi Hinou, Ryousuke Kamitani, Hiroaki Nakagawa, Kisaburo Deguchi, Nobuak Miura, Kenji Monde, Hirosato Kondo “High-throughput protein glycomics: Combined use of chemoselective glycoblotting and MALDI-TOF/TOF mass spectrometry” Angewante Chemie-International Edition, 44, 91-96, 2005.
【文献】Hideyuki Shimamoka, Hiromitsu Kuramoto, Jun-ichi Furukawa, Yoshiaki Miura, Masaki Kurogochi, Yoko Kita, Hiroshi Hinou, Yasuro Shinohara, and Shin-Ichiro Nishimura* “One-pot solid phase glycoblotting and probing by trans-oximization for high-throughput glycomics and glycoproteomics” Chemistry-A Europian Journal, 13, 1664-1673, 2007.
【文献】Yoshiaki Miura, Kentaro Kato, Yasuhiro Takegawa, Masaki Kurogouchi, Jun-ichi Furukawa, Yasuro Shinohara, Noriko Nagahori, Maho Amano, Hiroshi Hinou, Shin-Ichiro Nishimura* “Glycoblotting-assisted O-glycomics: Ammonium carbamate allows for highly efficient O-glycan release from glycoproteins” Analytical Chemistry, 82, 10021-10029, 2010.
【文献】Hiroshi Hinou, Aniline derivative/DHB/alkali metal matrices for reflectron mode MALDI-TOF and TOF/TOF MS analysis of unmodified sialylated oligosaccharides and glycopeptides, Int. J. Mass Spectrometry, 443, 109-115.
【文献】G. Larrouy-Maumus et al., Journal of Microbiological Methods 120 (2016) 68-71.
【文献】Mock, K. K.; Davey, M.; Cottrell, J. S., The analysis of underivatised oligosaccharides by matrix-assisted laser desorption mass spectrometry. Biochem. Biophys. Res. Commun.1991, 177, 644-651.
【文献】Stahl, B.; Steup, M.; Karas, M.; Hillenkamp, F., Analysis of neutral oligosaccharides by matrix-assisted laser desorption/ionization mass spectrometry. Anal. Chem. 1991, 63, 1463-1466.
【文献】Harvey, D. J., Quantitative aspects of the matrix-assisted laser desorption mass spectrometry of complex oligosaccharides. Rapid Commun. Mass Spectrom. 1993, 7, 614-619.
【文献】Naven, T. J. P.; Harvey, D. J., Effect of structure on the signal strength of oligosaccharides in matrix-assisted laser desorption/ionization mass spectrometry on time-of-flight and magnetic sector instruments. Rapid Commun. Mass Spectrom. 1996, 10, 1361-1366.
【文献】Furukawa, J.-i.; Fujitani, N.; Arai, K.; Takegawa, Y.; Kodama, K.; Shinohara, Y., A versatile method for analysis of serine/threonine posttranslational modifications by beta-elimination in the presence of pyrazolone analogues. Anal. Chem. 2011, 83, 9096-9067.
【文献】Stenutz, Roland; Weintraub, Andrej; and Goeran Widmalm, The structures of Escherichia coli O-polysaccharide antigens. FEMS Microbiol Rev 30 (2006) 382-403.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
糖ペプチドや、より高分子量かつ複雑な三次元構造を有する糖タンパク質に結合した糖鎖を質量分析により構造解析する場合、糖ペプチドまたは糖タンパク質がフラグメント化されるが、アミノ酸配列は糖鎖よりもイオン化効率が高いため、ペプチドフラグメントは観察されるが、糖鎖部分はイオン化が抑制され、その結果、糖鎖の解析が困難であった。
実際に典型的なマトリックスである、シナピン酸 (Sinapic acid; SA)、2,5-ジヒドロキシ安息香酸 (2,5-dihydroxybenzoic aicd; DHB)、およびα-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸 (CHCA)を用いて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、ペプチドフラグメントのみが観察され、糖鎖フラグメントは生成しないことが分かっている[非特許文献1]。
したがって、糖鎖解析を行う場合、(i)ペプチドまたはタンパク質から糖鎖の切り出し(化学的または酵素的切断)、(ii)糖鎖を分離し(親水性クロマト、レクチン、化学選択的修飾等)、(iii)イオン化効率を向上(アノマー位の修飾、完全メチル化、カルボン酸の修飾等)を経た後解析することが常套手段となっている。
【0010】
より近年、マトリックスに対塩を加えたイオン液体マトリックスが多用されるようになった。これに対し本発明者らは、無修飾シアリル化糖鎖のソフトイオン化法に最適な固体マトリックスとして「アニリン誘導体/DHB/アルカリ金属マトリックス組成物」を開発し、さらにアニリン誘導体の代わりにアミノオキシ基含有芳香族誘導体を用いたマトリックスを用いると糖鎖のラベル化と高感度ソフトイオン化が同時に達成できることを見出した[特許文献11、非特許文献13]。これらのマトリックスは、糖ペプチド(例えば、卵黄由来のシアリルグリコペプチド(SGP))糖鎖のイオン化効率を高めることが実証された。
【0011】
しかしながら、本発明者らが開発したマトリックス組成物が、より高分子量、より複雑な構造を有する糖タンパク質や脂質結合糖鎖の解析にも有効であるか否かは確かめられていない。また、解析対象が上記SPGであっても、分析対象とマトリックス組成物との間には相性があり、系内にナトリウムイオンなどの金属イオンが存在すると、無信号となるマトリックスの組合せも存在する[特許文献11、非特許文献13]。
【0012】
現在、感染症の拡大を防止する観点から迅速な病原性の菌体検査が重要視されている。よく研究されている病原性菌体である大腸菌はグラム陰性菌である。グラム陰性菌は、細胞壁最外部にリポ多糖と呼ばれる糖脂質を有しており、その末端はO抗原と呼ばれる繰り返し型多糖類を有しており、その繰り返しパターンは同一菌種でも多様性を有する。細菌類が感染すると我々の体はこのO抗原に対する免疫を作る。同一種の細菌でも様々な形のO抗原を持っている(血清型と呼ばれる)。そのため、細菌類の菌株分類に使用され、O1、O2、O5、O6、O18、O25、O26、O55、O74、O91、O103、O104、O105、O111、O113、O114、O115、O117、O118、O119、O121、O128、O143、O145、O153、O157、O161、O165、O172等が病原性大腸菌となりうることが報告されている。なかでも腸管出血性大腸菌O26、O111、O157が有名である。
【0013】
医療現場では、MALDI-TOFMS分析法を用いて細菌、真菌などの微生物(菌体)を直接分析して分類し、同定することが医療で応用され、そのようなMALDI-TOFMS機器が医療機器として認可されている。しかしながら、現在のMALDI-TOFMS分析法は、菌体由来のタンパク質を検出することにとどまり、血清型の識別ができないため、菌体の種類(例えば、大腸菌、コレラ菌など)に大きく分類するにすぎず、同一菌種中の菌株(例えば、大腸菌O6, O157など)を分類することができない。
【0014】
これらグラム陰性菌の表面に存在するリポ多糖(lipopolysaccharide; LPS)は、根元成分であるLipid Aと、それに結合するO抗原から構成される。Lipid Aの構造は、Nagative ion mode MALTI-TOFMSにより直接解析できることが報告されている[非特許文献14]。一方、O抗原の構造を直接決定することができないため、菌株分類には抗体やオリゴDNAプライマーなどの分子プローブを要する従来の分析技術が利用されており、広範な感染症に対応するためにはあらかじめ予想されるすべての菌株に対応するプローブ分子を準備する必要がある。そのため、菌株決定にはプローブ分子を備蓄している検査機関などに検体を送付し、再度検査を実施する必要がある。医療現場の求める速度でのO抗原のノンプローブ解析技術として、IRバイオタイピング技術などが提案されているが、分解能が低いため普及していない。また、質量分析によるO抗原の直接配列解析例もない。
【0015】
O抗原の構造決定は、フェノール抽出法で得たリポ多糖を完全メチル化後に酸加水分解し、ガスクロマトグラフや質量分析により得られた単糖類のメチル化パターンから結合位置を推定する方法と、温和な酸加水分解や酵素分解等のプロセスを経て得られた試料をNMR等で観察する方法を組み合わせることにより解析されてきた[非特許文献20](図6g-3)。しかしながら、この解析法は前処理を含む高度な技術とNMRに使用可能なサンプル量を要するため、医療現場や食品検査などで一般的に利用することは困難である。また、このニーズを満たすO抗原の直接構造解析法は未報告である。
【0016】
すなわち、本発明の課題は、糖タンパク質や脂質結合糖鎖の糖鎖も、糖鎖切り出しや修飾などの予備処理することなく、糖鎖成分構造を直接解析するための一連のマトリックス組成物を構築することにある。
【課題を解決するための手段】
【0017】
本発明の複合糖質高分子糖鎖の直接解析方法は、糖タンパク質、脂質結合糖鎖など、いずれのタイプの複合糖質も分析対象とする。
糖ペプチドの直接解析方法は、本発明者らがすでに開発したが、本発明は、糖ペプチドよりも分子量が大きく複雑構造を有する糖タンパク質や分子量の大きい糖脂質であるリポ多糖などの糖鎖成分断片を選択的にイオン化し、直接解析を成功させた。
対象となる高分子量複合糖質は、リボヌクレアーゼ (ribonuclease, RNase)およびリポ多糖などを含む。リボヌクレアーゼはリボ核酸を分解してオリゴヌクレオチドあるいはモノヌクレオチドにする反応を触媒する酵素であり、RNase A、RNase B、RNase C、RNase T1、RNase Iなどがある。例えば、RNase Bは、表面に2つのGlcNAcと、3~9個のマンノースからなる糖鎖を有する(図6g-1)。
【0018】
さらに、本発明の複合糖質高分子糖鎖の直接解析方法は、ウズラ卵白のように、種々のタンパク質を含有するタンパク質混合物や、グラム陰性菌やその抽出物のように、生体レベルの複雑な混合物も対象とする。
【0019】
本発明では、糖ペプチドではなく、より高分子量、より複雑な構造を有する糖タンパク質や脂質結合糖鎖の糖鎖の構造解析において、アニリン誘導体/DHBマトリックス系にアルカリ金属イオンを添加したマトリックス組成物が糖鎖断片のイオン化効率を選択的に向上させ、レーザー強度を調整することにより糖鎖の内部構造の質量分析が可能となり、および複合糖質におけるペプチド等のアグリコン部位のイオン化が抑制されることを見出した。
さらに、上記、マトリックス組成物に、1,5-ジアミノナフタレン(DAN)を添加すると、糖鎖のフラグメント化が促進されて、より分子量が小さく単糖成分に相当する分子量差を示す糖鎖フラグメントピークを形成し、複合糖質高分子中の糖鎖成分の選択的解析の分解能および精度が向上することも見いだした。
【0020】
また、上述のマトリックス系の比率を変化させることなくアニリン誘導体を、共役酸がpKa4.0~5.0を示すヒドロキシルアミン化合物であるベンジルヒドロキシルアミンに置き換えたところ、脂質結合糖鎖においては上述のマトリックスと同様のイオン化効率が得られると共に、糖鎖のフラグメント化が抑制され、アニリン誘導体を用いた場合より分子量の大きい糖鎖フラグメントピークを形成することを見出した。
【0021】
さらに、上述のマトリックス系の比率を変化させることなくDHBをペプチドやタンパク質の分析に使用されるα-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)、およびCHCA誘導体である4-クロロ-α-シアノケイ皮酸(ClCCA)、4-ブロモ-α-シアノケイ皮酸(BrCCA)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸メチル(CNME)、2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)、ピコリン酸(3PA)等のMALDI-MSに常用される酸性マトリックスに置き替えたところ、いずれも糖鎖選択的なイオン化能を示し、糖タンパク質などの複合糖質の解析において糖鎖フラグメントピークを優先的に生成することを見出した。
【0022】
本発明者らは、3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)が、1分子内にカルボキシル基および水酸基を有する2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)およびアミノ基を有するアニリン誘導体の双方の特徴を併せ持っていることに着目し、アルカリ金属添加AHBAをマトリックスとしてN-結合型糖鎖を有する糖たんぱく質(RNase B)のMALDI-ISD解析を実施したところ、N-結合型糖鎖の還元末端糖残基選択的環内解列と糖残基選択的イオン化が実現できることを実証した。
【0023】
AHBAはMALDI-TOF MS法が開発された初期に遊離糖鎖をイオン化することができるマトリックスとしてMockらにより1991年に報告された[非特許文献15]。しかし、同時期にHillenkampらにより報告されたDHB[非特許文献16]と比較して、中性糖鎖のイオン化効率(検出感度)が一桁低かったため、使用されなくなった[非特許文献17、18]。
【0024】
本発明において、マトリックス系として1分子内にカルボキシル基、水酸基およびアミノ基を有する3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)などのアミノヒドロキシ安息香酸誘導体にナトリウムなどのアルカリ金属を添加すれば、N-結合型糖タンパク質のみならず、O-結合型糖タンパク質を直接解析できることも見いだした。これにより、MALDI-TOFMS分析法を用いて微生物(細菌、真菌など)が有するタンパク質および糖鎖を直接分析して、菌種の分類のみならず、その菌種の血清型を同定することができるようになった。
【0025】
すなわち、本発明は以下の態様よりなる。
1)マトリックス支援レーザー脱離/イオン化-飛行時間型質量分析法(MALDI-TOFMS分析法)において高分子糖鎖及び高分子複合糖質のISDおよびPSD断片糖鎖の選択的高感度解析を実現する固体マトリックス組成物;
2)本発明による固体マトリックス組成物を使用する、高分子糖鎖および高分子複合糖質由来の糖鎖断片選択的MALDI-TOFMS分析法および高分子糖鎖および高分子複合糖質の糖鎖成分のMALDI-TOF/TOFMS分析法;
3)本発明による固体マトリックス組成物を使用するMALDI-TOF/TOFMS分析法に用いる、分析用測定プレート。
【0026】
本発明の第1の態様においては、酸性基、芳香族性塩基性残基およびヒドロキシルアミン型塩基性残基から選択される共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性残基、ならびに芳香族性水酸基を有する1または複数の化合物群;ならびに1価の金属イオンを含む、固体マトリックス組成物を提供する。
【0027】
本発明の第1の態様におけるひとつの具体例においては、酸性固体マトリックス;芳香族性塩基性分子およびヒドロキシルアミン型塩基性分子から選択される、共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性分子;および、所望により、1価の金属イオンを含む混合物を固体マトリックス組成物として採用する。また、フラグメント化促進剤として1,5-ジアミノナフタレン(DAN)をさらに添加することが好ましい。
【0028】
前記酸性固体マトリックスとしては、カルボン酸を含有し、pKa 1.0~6.0を示すもの、または、芳香族性水酸基を含有し、pKa 6.0~10.0を示すものが好ましく、例えば、2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)、CHCA誘導体である4-クロロ-α-シアノケイ皮酸(Cl-CCA)、4-ブロモ-α-シアノケイ皮酸(Br-CCA)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸メチル(CNME)、2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)、およびピコリン酸(PA)等のMALDI法に使用される典型的なマトリックス化合物が挙げられる。
【0029】
前記1価の金属イオンとしては、例えば、リチウムイオン、ナトリウムイオン、カリウムイオン、ルビジウムイオン、およびセシウムイオン等のアルカリ金属イオンが挙げられる。
【0030】
前記共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性化合物としては、例えば、アニリン、N-メチルアニリン(NMA)、N,N-ジメチルアニリン(DMA)、3-アミノキノリン(3AQ)などの芳香族性塩基性分子、およびO-ベンジルヒドロキシルアミン(BOA)などのヒドロキシルアミン型塩基性分子が挙げられる。
【0031】
前記1価の金属イオンの添加量が、前記酸性固体マトリックス100モル%に対して1~50モル%であることが好ましい。
【0032】
前記共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性化合物の添加量が、前記酸性固体マトリックス100モル%に対して10~150モル%であることが好ましい。
【0033】
さらに、フラグメント化促進剤として、前記酸性固体マトリックス100モル%に対して1~100モル%の1,5-ジアミノナフタレンを含むことができる。
【0034】
本発明の第1の態様におけるもうひとつの具体例においては、1分子内に、カルボキシル基、芳香族性水酸基および共役酸がpKa4.0~5.0を示す芳香族性塩基性残基を有する両性固体マトリクスであって、式(1):
【0035】
【化1】
(式中、R~Rは、それぞれ、独立して、水素原子、水酸基、アルキル基、エーテル基、カルボキシル基および/またはアミノ基であって、R~Rのうちいずれかふたつは、それぞれ、水酸基およびアミノ基である。)で表されるアミノヒドロキシ安息香酸;ならびに1価の金属イオンを含む混合物を固体マトリックス組成物として採用する。
【0036】
前記アミノヒドロキシ安息香酸は、下式:
【0037】
【化2】
で表される化合物からなる群から選択されるアミノヒドロキシ安息香酸である。
【0038】
1分子内に、芳香族性水酸基および共役酸がpKa4.0~5.0を示す芳香族性塩基性残基を有する両性固体マトリクスとして、3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)が挙げられる。
【0039】
前記1価の金属イオンとしては、例えば、リチウムイオン、ナトリウムイオン、カリウムイオン、ルビジウムイオン、およびセシウムイオン等のアルカリ金属イオンが挙げられる。
【0040】
前記1価の金属イオンの添加量が、前記両性固体マトリックス100モル%に対して1~50モル%であることが好ましい。
【0041】
本発明の第2の態様においては、糖鎖断片選択的MALDI-TOF質量分析法に、撥水処理等により濃縮効果を期待できるターゲットプレートを使用することによりサンプル濃縮位置を制御して、微量検体の高感度自動分析を可能とする。また、本発明の効果を十分に得るためには、マトリックス系と測定対象が白濁固体を形成することが必須である。本発明によれば、マトリックスの性状が従来のDHBと異なり、微結晶またはアモルファス状固体となってターゲットエリアに測定対象が均一に分布するため、測定再現性が向上する。すなわち、イオン性液体性状のマトリックスや、比較的大きな結晶を形成する性状のマトリックスは本発明の対象とはならない。
さらにTOF/TOF解析を行うことにより、糖鎖内部構造など、フラグメント情報を解析することが可能になる。
【0042】
本発明の第3の態様においては、本発明の酸性固体マトリックス組成物の水性溶液をターゲットプレート上にスポットし、乾燥させて、少なくともその一部にマトリックス層を形成する。
【発明の効果】
【0043】
本発明の固体マトリックス組成物と、フラグメント化促進剤として1,5-ジアミノナフタレン(DAN)とを適切に組み合わせて用いるMALDI-TOFMS分析によれば、リフレクトロンモードで、いかなる修飾もすることなく糖タンパク質および脂質結合糖鎖に含まれる糖鎖を高い精度で分析することができる。
【図面の簡単な説明】
【0044】
図1】正常細胞および異常細胞の表面上に結合する糖鎖の概略図。
図2】マトリックス組成物の調製に用いる化合物を示す概略図。
図3】マトリックス組成物の調製に用いる化合物を示す概略図
図4】マトリックス組成物の調製に用いる化合物を示す概略図
図5】マトリックス組成物の調製に用いる化合物を示す概略図
図6】分析対象の模式図。
図7】[実施例1]マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOFMSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターン。
図8】[実施例1-2]マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるLIFT-TOF/TOF MSモードにおいて、分析対象RNase B由来のTOF/TOF分解パターン。
図9】[実施例2]マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOFMSFにおいて、分析対象RNase Bの分解パターン。
図10】[実施例2-2]マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるLIFT-TOF/TOF MSモードにおいて、分析対象RNase B由来のTOF/TOF分解パターン。
図11】[実施例3]マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象ウズラ卵白(糖タンパク質混合物)の分解パターン。
図12】[実施例4]マトリックス組成物3(CHANa-3AQ)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解パターン。
図13】[実施例5]マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象O157由来リポ多糖の分解パターン。
図14】[実施例5-2]マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるLIFT-TOF/TOFモードにおいて、分析対象O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列の内部構造パターン。
図15】[実施例6]マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象O157由来リポ多糖の分解パターン。
図16】[実施例6-2]マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるLIFT-TOF/TOFモードにおいて、分析対象O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列の内部構造パターン。
図17】[実施例7]マトリックス組成物4(DHBNa-BOA)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象O157由来リポ多糖の分解パターン。
図18】[実施例7-2]マトリックス組成物4(DHBNa-BOA)を用いるLIFT-TOF/TOFモードにおいて、分析対象O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列の内部構造パターン。
図19】[実施例8]マトリックス組成物5(DHBNa+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、(a)分析対象O6菌体処理の上清中のリポ多糖の分解パターン;(b)分析対象O157菌体処理物の上清中リポ多糖の分解パターン。
図20】[実施例9]マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるナトリウム添加量の効果。
図21】[実施例10]マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるナトリウム添加量の効果。
図22】[実施例11]マトリックス組成物5(DHBNa-DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるDAN添加量の効果。
図23】[実施例12]マトリックス組成物6(DHBNa)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるナトリウム添加量の効果。
図24】[参考例]1,5-ジアミノナフタレン(DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターン。
図25】[実施例13]α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)にナトリウムとアニリンを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおける20モル%のDAN添加の効果。
図26】[実施例14]2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)にナトリウムとアニリンを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおける20モル%のDAN添加の効果。
図27】[実施例15]ピコリン酸(PA)にナトリウムとアニリンを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおける20モル%のDAN添加の効果。
図28】[実施例16]α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸メチル(CNME)にナトリウムとアニリンを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおける20モル%のDAN添加の効果。
図29】[実施例17]4-クロロ-α-シアノケイ皮酸(Cl-CCA)にナトリウムとアニリンを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおける20モル%のDAN添加の効果。
図30】[実施例18]4-ブロモ-α-シアノケイ皮酸(Br-CCA)にナトリウムとアニリンを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおける20モル%のDAN添加の効果。
図31】[実施例19]3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)にナトリウムを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるN-結合型糖鎖の直接解析の可能性。
図32】[比較例1~4]3,5-ジアミノ安息香酸(DABA)を含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおける、(a)DABA単独と、(b)ナトリウム添加;(c)ナトリウムおよびDAN添加;(d)ナトリウムおよびDHB添加の効果。
図33】[実施例20]3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)にナトリウムを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象豚胃ムチンの分解由来スペクトルパターンにおけるO-結合型糖鎖の直接解析の可能性。
【発明を実施するための形態】
【0045】
本発明の第1の態様において、MALDI-TOFMS分析において高分子量複合糖質の糖鎖断片選択的解析を実現するマトリックス系とその組成が提供される。
本発明のマトリックス系は、MALDI-TOFMS分析において高分子量複合糖質の糖鎖断片選択的解析を実現するために、マトリックスとして、MALDI法でマトリックスとして常用される酸性分子(2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)、およびCHCA誘導体である4-クロロ-α-シアノケイ皮酸(Cl-CCA)、4-ブロモ-α-シアノケイ皮酸(Br-CCA)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸メチル(CNME)、2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)、ピコリン酸(PA))と、共役酸がpKa4.0~5.0を示す芳香族性塩基性分子(アニリン、N-メチルアニリン(NMA)、およびN,N-ジメチルアニリン(DMA))よりなる群から選択されるアニリン誘導体(以下、アニリンも含み、総括的に「アニリン誘導体」と呼ぶもしくは3-アミノキノリン(3AQ)から選択されるアミノピリジン誘導体)または共役酸がpKa4.0~5.0を示すヒドロキシルアミン型塩基性分子(O-ベンジルヒドロキシルアミン(BOA))よりなる群から選択されるアミノオキシ基含有芳香族誘導体と、インソースおよびポストソース分解を促進する1,5-ジアミノナフタレン(DAN)、また、リチウムイオン、ナトリウムイオン、カリウムイオン、ルビジウムイオン、セシウムイオンよりなる群から選択されるアルカリ金属イオンと、を含有するマトリックス組成物である。
【0046】
前記組成物において、DHBと混合したときにDHBの結晶成長を抑制して均一なマトリックス層を形成し、MALDI-TOFMSスペクトルのバックグラウンドノイズを低減することから、上記の芳香族性塩基性分子を用いる。
【0047】
前記組成物において、芳香族性塩基性分子の添加量は、DHB等の酸性分子成分に対して10モル%以上添加することが好ましく、DHB等の酸性分子成分に対して等モル量以上(100モル%以上)添加することがより好ましい。本発明において、芳香族性塩基性分子の過剰添加は本発明の効果に影響を及ぼさないが、過剰芳香族性塩基性分子の揮発過程において、大過剰の芳香族性塩基性分子が存在すると、高真空装置内での測定までの濃縮工程を遅延させることから、芳香族性塩基性分子の添加量はDHBに対して小過剰(好ましくは150モル%以下、より好ましくは120モル%以下)に留めることが望ましい。
【0048】
前記組成物において、1,5-ジアミノナフタレン(DAN)の添加は必須ではないが、インソースおよびポストソース分解を促進し、糖鎖断片の内部構造の探索が容易となる。DANの添加量は芳香族性塩基性分子を任意の比率で置き換えてよく、DHB等の酸性分子成分に対して100モル%以内で添加することが好ましく、DHB等の酸性分子成分に対して60モル%以内を添加することがより好ましい。
【0049】
前記組成物において、レーザー照射下で安定であり、腐食性が低く、かつ、マトリックスに添加した際に対イオンおよび付加イオンとして気化しやすいことから、上記のアルカリ金属イオンを用いる。限定されないが、上記のアルカリ金属イオンの源として、炭酸、炭酸水素、塩酸、酢酸などのリチウム、ナトリウム、カリウム、ルビジウム、セシウムの塩が好適に用いられる。
【0050】
前記組成物において、アルカリ金属イオンの添加量は、DHB等の酸性分子成分に対して0.1~50モル%であり、0.5~20モル%が好ましく、1~15モル%がより好ましい。本発明において、芳香族性塩基性分子の添加に伴い糖鎖断片成分のイオン化が促進されるが、アルカリ金属イオンを添加しなければ、糖鎖断片以外の成分のイオン化も起こり、多数の金属イオン付加ピークと共に、複数のアグリコン由来フラグメントピークが発生する。アルカリ金属イオンの添加量が1モル%になるとアグリコン由来フラグメントピークが著しく減少し、添加量が2モル%以上では、それ以上の抑制効果は発揮されず、25モル%を超えると、ピーク強度が低下し始めるからである。また、芳香族性塩基性分子と共にDANを添加した場合はアルカリ金属イオンは必須ではないが、0.1~20モル%が好ましく、1~15モル%がより好ましい。
【0051】
本発明の第2の態様において、高分子量複合糖質の糖鎖断片選択的解析を実現するMALDI-TOF質量分析法が提供される。
本発明によるMALDI-TOF質量分析法は、本発明による固体マトリックス系を使用する。より詳しくは、DHB等のMALDI法に一般的に使用される酸性マトリックス分子に対して小過剰量の芳香族性塩基性分子を添加した混合物に、限定されないが、炭酸水素ナトリウムなどのアルカリ金属イオン源を添加して調製された固体マトリックス組成物の水性溶液を、ターゲットプレート上にスポットし、乾燥させて、その少なくとも一部にマトリックス層を形成する。マトリックス層上に、分析対象の水溶液を堆積し乾燥して分析対象の測定サンプルを作成する。
本発明において、表面上に1以上の親水性パッチ(アンカー)を有する撥液性被膜が形成されたプレートが有用である(例えば、AnchorChipTM (Bruker Daltonics, Bremen, Germany))。「撥液性」とは、水のみならず、アルコール、アセトニトリル、さらにはアセトンを包含するほとんどの有機溶媒に対しても濡れ性が低いことをいう。
【0052】
得られた測定サンプルをMALDI-TOF 質量分析装置(例えば、Ultraflex III MALDI-TOF/TOF質量分析装置 (Bruker Daltonics GmbH; Bremen, Germany))を用いて、インソース分解(ISD)またはポストソース分解(PSD)で選択的に生じた糖鎖断片イオンを標的としたMALDI-TOFMSを行う。本発明の方法は、特に、より高精度な分析が可能なリフレクトロンモードを用いる測定に有用である。
【0053】
本発明の第3の態様において、第2の態様を利用し、さらに、高分子量複合糖質のインソース分解(ISD)で選択的に生じた糖鎖断片イオンを標的としたMALDI-TOF/TOF 質量分析法が提供される。
本発明によるMALDI-TOF/TOF質量分析法は、本発明によるマトリックス系を使用する。時限イオンゲートにより分析対象となる糖鎖断片イオンを親イオンとして選択し、LIFT-TOF/TOF解析を行う。
【実施例
【0054】
マトリックス組成物を調製するために用いた化合物を図2~5に示す。従来のMALDI法でマトリックスとして常用される酸性分子として2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)、およびCHCA誘導体である4-クロロ-α-シアノケイ皮酸(Cl-CCA)、4-ブロモ-α-シアノケイ皮酸(Br-CCA)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸メチル(CNME)、2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)、ピコリン酸(PA)を用いた。アリールアミン型の塩基性物質として、アニリン、アニリン誘導体であるN-メチルアニリン(NMA)およびN,N-ジメチルアニリン(DMA)、アミノピリジン誘導体である3-アミノキノリン(3AQ)、ならびにアミノオキシ基含有芳香族誘導体であるO-ベンジルヒドロキシルアミンを用いた。また、1分子内にカルボキシル基、水酸基およびアミノ基を有する芳香族両性分子として3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)を用い、比較のため、1分子内にカルボキシル基および2個のアミノ基を有し、水酸基を有さない芳香族両性分子として3,5-ジアミノ安息香酸(DABA)を用いた。1価金属イオン源として、炭酸水素ナトリウムを用いた。さらに、糖鎖フラグメント化促進剤として、1,5-ジアミノナフタレン(DAN)を用いた。
【0055】
分析対象として、リボ核酸を分解してオリゴヌクレオチドあるいはモノヌクレオチドにする反応を触媒する酵素であるリボヌクレアーゼB(RNase B)を用いた。RNase Bに結合する糖鎖は、N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)およびマンノース(mannose)から構成される(図6g-1)。さらに、タンパク質混合物であるウズラ卵白(図6g-2)を用いた。また、高分子量糖脂質として、グラム陰性菌である大腸菌O157およびO6由来のリポ多糖(図6g-3)を用いた。
【0056】
RNase BはSigma-Aldrich Corp.(St. Louis, MO, USA)から購入した。ウズラ卵白は量販店で購入した室蘭ウズラ園で生産された食用卵から卵白を分離し使用した。大腸菌O157由来リポポリサッカリド(超遠心品)は、富士フィルム和光純薬株式会社から購入した。2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)、および3-アミノキノリン(3AQ)は東京化成工業株式会社(Tokyo, Japan)から購入した。2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)、4-クロロ-α-シアノケイ皮酸(Cl-CCA)、4-ブロモ-α-シアノケイ皮酸(Br-CCA)、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸メチル(CAME)、ピコリン酸(PA)、1,5-ジアミノナフタレン(DAN)はSigma-Aldrich Corp.(St. Louis, MO, USA)から購入した。アセトニトリル、アニリン、および炭酸水素ナトリウムは、和光純薬(Osaka, Japan)から購入した。O-ベンジルヒドロキシルアミン(BOA)は、和光純薬(Osaka, Japan)から購入した。
大腸菌O6(ATCC 25922, 血清型O6:K1)および大腸菌O157(ATCC 43888, 血清型O157:H7)は、それぞれMicrobiologics社から標準菌株を購入した。
【0057】
[MALDI-MS分析]
最大出力30 mWの200 Hz スマートビーム Nd:YAG UV レーザー (355 nm)を備えたUltraflex III MALDI-TOF/TOF質量分析装置 (Bruker Daltonics GmbH; Bremen, Germany)をリフレクトロンモードで使用した。ターゲットプレート上のスポット位置はオートティーチング機能を使用して較正した。すべてのサンプルの質量スペクトルは、200 Hzのレーザー周波数でのシューティングポジションパターンのランダムウォークモードで500回のレーザーショットで、リフレクトロンモードにつきm/z 700~5000の範囲で取得した。校正用の外部標準としてBrukerペプチド較正標準IIを使用した。上記以外、サンプルポジションとレーザー出力は、FlexControl 3.5ソフトウェアを使用して用意されたデフォルト設定を採用した。
【0058】
通常、MALDI-TOF質量分析ではレーザー強度の増大に伴い、生成した分子イオンの内部結合が開裂したフラグメントイオンが生じる。それは、CHCAよりも分解されにくく、ソフトなイオン化が可能である「クールな」DHBマトリックスを用いても、インソース分解(ISD)および/またはポストソース分解 (PSD)と呼ばれる骨格フラグメント化をもたらす。
【0059】
インソース分解 (ISD)とは、イオン化室で、イオン化と同時または直後に分析対象が開裂する分解現象であり、ポストソース分解 (PSD)とは、イオン化後に、ドリフト空間で、イオン自体の内部エネルギーや残留ガスとの衝突などによる励起による分解現象である。
ISDやPSDに起因する分析対象の開裂は分子内の複数の箇所で起こるため、様々なフラグメントイオンが生じる。イオンの内部エネルギーは照射したレーザー出力に依存するため、レーザー出力の増大に対して、開裂箇所毎に、フラグメントの生成量の増加度合いが異なることが知られている。したがって、同一分析対象について複数のレーザー出力にて測定を行うと、得られる質量スペクトルが変化する。複数の質量スペクトルのうち、低出力から高出力まで共通して観察されるピークを基準として、他のスペクトルの相対強度比を解析すれば、分析対象の構造解析が可能となる。
【0060】
[実施例1]
マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOFMSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンを評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M DHB (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液(60 μL)および水中0.1 M炭酸水素ナトリウム (50 μL)をCH3CN/H2O (50:50, v/v)で1 mLに増量して、Na+イオン添加マトリックス組成物1を調製した。
マトリックス組成物1を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、還元末端GlcNAc残基の2,4A7-型交差環開裂からなる糖鎖フラグメントパターンが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。
本発明によるマトリックス組成物を用いれば、糖ペプチドのみならず、より分子量が大きく複雑構造を有する糖タンパク質も、糖鎖の切り出しや修飾することなく、直接解析できることが示された。
【0061】
[実施例1-2]
マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるLIFT-TOF/TOF MSモードにおいて、分析対象RNase B由来のTOF/TOF分解パターンを評価した。
RNase B糖鎖の還元末端GlcNAc残基の2,4A7-型交差環開裂からなる糖鎖フラグメントピークのPSDプロセスに焦点を合わせるために、分子量1096を親イオンピークとして選択しLIFTセル中でさらなるイオン加速を行い(フラグメントモード)、解析すると、主に還元末端側GlcNAc残基のフラグメントパターンが観察された。
本発明によるマトリックス組成物を用いれば、糖ペプチドのみならず、より分子量が大きく複雑構造を有する糖タンパク質も、糖鎖の切り出しや修飾することなく、糖鎖成分の直接解析できることが示された。
【0062】
[実施例2]
マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOFMSFにおいて、分析対象RNase Bの分解パターンを評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M DHB (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液(50 μL)、CH3CN中中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン(10 μL)および水中0.1 M炭酸水素ナトリウム (50 μL)をCH3CN/H2O (50:50, v/v)で1 mLに増量して、Na+イオン添加マトリックス組成物2を調製した。
マトリックス組成物2は、マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)に1,5-ジアミノナフタレン(DAN)を添加したものである。DANを含有するマトリックス組成物を用いると、直接糖鎖解析の感度および分解能が向上した。これは、DANが糖選択的イオン化能を損なうことなく、糖鎖のフラグメント化を促進しているからと考えられる。
【0063】
[実施例2-2]
マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるLIFT-TOF/TOF MSモードにおいて、分析対象RNase B由来のTOF/TOF分解パターンを評価した。
RNase B糖鎖の還元末端GlcNAc残基の2,4A7-型交差環開裂からなる糖鎖フラグメントピークのPSDプロセスに焦点を合わせるために、分子量1096を親イオンピークとして選択しLIFTセル中でさらなるイオン加速を行い(フラグメントモード)、解析すると、主に還元末端側GlcNAc残基のフラグメントパターンが観察された。
本発明によるマトリックス組成物を用いれば、分子量が大きく複雑構造を有する糖タンパク質を、糖鎖の切り出しや修飾することなく、糖鎖成分の直接解析できることが示された。
【0064】
[実施例3]
マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象ウズラ卵白(糖タンパク質混合物)の分解パターンを評価した。
本発明によるDANを含有するマトリックス組成物を用いると、高い感度および分解能で、直接糖鎖解析が達成された。
本発明によるマトリックス組成物を用いれば、精製された糖タンパク質のみならず、複雑な組成物である糖タンパク質の混合物であっても、糖鎖の切り出しや修飾することなく、糖鎖成分の直接解析できることが示された。
【0065】
[実施例4]
マトリックス組成物3(CHANa-3AQ)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解パターンを評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M DHB (100 μL)、CH3CN中1.0 M 3-アミノキノリン溶液(60 μL)および水中0.1 M炭酸水素ナトリウム (50 μL)をCH3CN/H2O (50:50, v/v)で1 mLに増量して、マトリックス組成物3を調製した。
このマトリックス組成は、糖タンパク質であるRNase Bの糖鎖由来フラグメントが選択的にイオン化され、糖鎖成分を直接解析することができた。
【0066】
[実施例5]
マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象O157由来リポ多糖の分解パターンを評価した。
マトリックス組成物1を用いてレーザー強度80%にてO157由来リポ多糖を解析すると、O157の特徴であるO-抗原4糖由来の糖鎖フラグメント周期が観察され、LipidAおよび夾雑ペプチド由来のフラグメントは生成しなかった。
本発明によるマトリックス組成物を用いれば、糖タンパク質のみならず、より糖鎖成分の分子量が大きく複雑構造を有する糖脂質の一種であるリポ多糖も、糖鎖の切り出しや修飾することなく、糖鎖成分の繰り返し構造を直接解析できることが示された。
【0067】
[実施例5-2]
マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるLIFT-TOF/TOFモードにおいて、分析対象O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列の内部構造パターンを評価した。O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列単位のPSDプロセスに焦点を合わせるために、O157抗原糖鎖配列単位のナトリウム付加イオンに相当する分子量721を親イオンピークとして選択しLIFTセル中でさらなるイオン加速を行い(フラグメントモード)、解析すると、O157抗原糖鎖を構成する4糖単位のフラグメントパターンが観察された。
【0068】
[実施例6]
マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象O157由来リポ多糖の分解パターンを評価した。
マトリックス組成物2を用いてレーザー強度80%にてO157由来リポ多糖を解析すると、O157の特徴であるO-抗原4糖由来の糖鎖フラグメント周期が観察され、LipidAおよび夾雑ペプチド由来のフラグメントは生成しなかった。
マトリックス組成物2は、マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)に1,5-ジアミノナフタレン(DAN)を添加したものである。DANを含有するマトリックス組成物を用いると、直接糖鎖解析の感度および分解能が向上した。これは、DANが糖選択的イオン化能を損なうことなく、糖鎖のフラグメント化を促進しているからと考えられる。
【0069】
[実施例6-2]
マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるLIFT-TOF/TOFモードにおいて、分析対象O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列の内部構造パターンを評価した。
O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列単位のPSDプロセスに焦点を合わせるために、O157抗原糖鎖配列単位のナトリウム付加イオンに相当する分子量721を親イオンピークとして選択しLIFTセル中でさらなるイオン加速を行い(フラグメントモード)、解析すると、O157抗原糖鎖を構成する4糖単位のフラグメントパターンが観察された。
【0070】
[実施例7]
マトリックス組成物4(DHBNa-BOA)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象O157由来リポ多糖の分解パターンを評価した。
マトリックス組成物4を用いてレーザー強度80%にてO157由来リポ多糖を解析すると、O157の特徴であるO-抗原4糖由来の糖鎖フラグメント周期が観察され、LipidAおよび夾雑ペプチド由来のフラグメントは生成しなかった。
マトリックス組成物4は、マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)のアニリンの代わりにO-ベンジルヒドロキシルアミン(BOA)を添加したものである。BOAを含有するマトリックス組成物を用いると、直接糖鎖解析の感度および分解能が向上した。一方、比較的分子量の大きいフラグメントパターンまで観察されたことからアニリン誘導体およびDANと比較するとフラグメント化促進能が低減されていることが示された。
【0071】
[実施例7-2]
マトリックス組成物4(DHBNa-BOA)を用いるLIFT-TOF/TOFモードにおいて、分析対象O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列の内部構造パターンを評価した。
O157由来リポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列単位のPSDプロセスに焦点を合わせるために、O157抗原糖鎖配列単位のナトリウム付加イオンに相当する分子量721を親イオンピークとして選択しLIFTセル中でさらなるイオン加速を行い(フラグメントモード)、解析すると、O157抗原糖鎖を構成する4糖単位のフラグメントパターンが観察された。
【0072】
【表1】
【0073】
[実施例8]
実施例5~7において、本発明の方法を用いれば、菌体由来のO抗原を含むリポ多糖を検出できることが確認されたので、次に、グラム陰性菌である大腸菌のコロニーから菌体表面のリポ多糖内のO-抗原繰り返し糖鎖配列の内部構造パターンを評価した。
まず、血清型の異なる、2種の大腸菌の菌株O6(ATCC25922, 血清型O6:K1)およびベロ毒素非産生菌株O157(ATCC43888、血清型O157:H7)をそれぞれ寒天培地上で培養した。白金耳を用いて生成したコロニーをそれぞれエッペンドルフチューブに採取した。菌体を採取したチューブに水の添加と攪拌、および10000Gでの遠心分離を2回繰り返し、洗浄した。洗浄した菌体の一部を250 mM塩酸に懸濁し、90℃で30分間静置したのち、20000Gで遠心分離した。上清1 μLを乾固したのち、マトリックス組成物5(DHBNa-DAN)を添加しリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて測定したところ、O6 (ATCC25922)の菌体処理上清からはO6抗原を示し、O157 (ATCC43888)の菌体処理上清からはO157抗原を示すフラグメントパターンが観察された。
本発明によれば、簡便な操作で、グラム陰性菌のリポ多糖がLipid AとO抗原との間に有するKDO(2-ケト-3-デオキシオクトン酸)配列を酸処理で切断し、切り出したO抗原の配列パターンを同定することができた。各菌体に対するO抗原のフラグメントパターンのライブラリーに基づき、菌体の種類およびその菌株まで識別できるようになった。
【0074】
[実施例9]
マトリックス組成物1(DHBNa-アニリン)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるナトリウム添加量の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M DHB (100 μL)およびCH3CN中1.0 Mアニリン溶液(60 μL)の混合物に、容量の異なる0.1 M炭酸水素ナトリウム (0~50 μL)水溶液を加えた後、1 mLに増量して、Na+イオン添加量の異なるマトリックス組成物1関連マトリックス溶液を調製した。
このNa+イオン添加量の異なるマトリックス組成物1関連マトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、ナトリウム添加量の増加に伴いペプチドフラグメント由来イオンピークが抑制され、3%以上では検出されなくなった。一方、ナトリウム添加量の増加に伴い糖鎖成分由来のピーク感度が上昇し、DHBに対し4%以上のナトリウム濃度ではピークパターンの変化は生じなかった。
【0075】
[実施例10]
マトリックス組成物2(DHBNa-アニリン+DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるナトリウム添加量の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M DHB (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液(50 μL)、CH3CN中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン(10 μL)、の混合液に、容量の異なる0.1 M炭酸水素ナトリウム (0~50 μL)水溶液を加えた後、1 mLに増量して、Na+イオン添加量の異なるマトリックス組成物2関連マトリックス溶液を調製した。
このNa+イオン添加量の異なるマトリックス組成物2関連マトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、ナトリウム無添加のものでも糖鎖フラグメントパターンが明確に検出され、ペプチドフラグメント由来のピークが抑制された。ナトリウム添加量1%以上のものでは糖鎖フラグメントパターンのみが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。また、ナトリウム添加量の増加に伴い糖鎖フラグメントピーク感度が上昇し、DHBに対し2%以上のナトリウム濃度ではピークパターンの変化は生じなかった。
【0076】
[実施例11]
マトリックス組成物5(DHBNa-DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるDAN添加量の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M DHB (100 μL)に、0.1 M炭酸水素ナトリウム (50 μL)水溶液および容量の異なる1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン (0~60 μL) CH3CN溶液を加えた後、1 mLに増量して、DAN添加量の異なるマトリックス組成物5関連マトリックス溶液を調製した。
このDAN添加量の異なるマトリックス組成物5関連マトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、DAN添加量20%のものでは糖鎖フラグメントパターンのみが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。また、DHBに対し60%以下のDAN濃度ではピークパターンの変化は生じなかったが、DAN添加量80%のものでは糖鎖フラグメントパターンと共に非常に弱いペプチドフラグメントが生成した。
【0077】
[実施例12]
芳香族性塩基成分を含まないマトリックス組成物6(DHBNa)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンにおけるナトリウム添加量の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M DHB (100 μL)に、容量の異なる0.1 M炭酸水素ナトリウム (0~50 μL)水溶液を加えた後、1 mLに増量して、Na+イオン添加量の異なるマトリックス組成物6関連マトリックス溶液を調製した。
このNa+イオン添加量の異なるマトリックス組成物6関連マトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、ナトリウム添加量2%のものでは糖鎖フラグメントパターンと共に非常に弱いペプチドフラグメントが生成した。ナトリウム添加量4%以上のものでは糖鎖フラグメントパターンのみが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。また、ナトリウム添加量の増加に伴い糖鎖フラグメントピーク感度が上昇し、DHBに対し4%以上のナトリウム濃度ではピークパターンの変化は生じなかった。
【0078】
[参考例]
1,5-ジアミノナフタレン(DAN)を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンを評価した。
CH3CN中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン(50 μL)に対し容量の異なる0.1 M炭酸水素ナトリウム (0または50 μL) 水溶液を加えた後、CH3CN/H2O (50:50, v/v)で1 mLに増量してDANマトリックス溶液を調製した。
このDANマトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、糖鎖フラグメントパターンは観察されずペプチドフラグメントパターンのみが生成した。特に、DANによるジスルフィド結合の開裂効果によりDHBのみでは計測できなかったシステインの先の配列パターンを示すペプチドフラグメントも確認された。また、DANのみでは酸性固体マトリックスで確認されたNa添加に伴う糖鎖フラグメント選択的イオン化能は確認されなかった。
【0079】
【表2】
【0080】
[実施例13]
α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)、アニリン、ナトリウム、およびDANを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンに対するDAN添加の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M CHCA 溶液 (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液 (50 μL)、0.1 M炭酸水素ナトリウム水溶液 (50 μL)の混合液に、容量の異なるCH3CN中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン溶液 (0または10 μL)を加えた後、1 mLに増量して、DAN添加の組み合わせを有するCHCA含有マトリックス溶液を調製した。
それぞれのマトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、DAN無添加のものでは弱い糖鎖フラグメントパターンのみが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。DAN添加のものでは強い糖鎖フラグメントパターンのみが確認された。
【0081】
[実施例14]
2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン(THAP)、アニリン、ナトリウム、およびDANを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンに対するDAN添加の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M THAP溶液 (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液 (50 μL)、0.1 M炭酸水素ナトリウム水溶液 (50 μL)の混合液に、容量の異なるCH3CN中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン溶液 (0または10 μL)を加えた後、1 mLに増量して、DAN添加の組み合わせを有するTHAP含有マトリックス溶液を調製した。
それぞれのマトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、DAN無添加のものでは強い糖鎖フラグメントパターンと共に、弱いペプチドフラグメントが生成した。DAN添加のものでは強い糖鎖フラグメントパターンのみが確認された。
【0082】
[実施例15]
ピコリン酸(PA)、アニリン、ナトリウム、およびDANを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンに対するDAN添加の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M PA溶液 (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液 (50 μL)、0.1 M炭酸水素ナトリウム水溶液 (50 μL)の混合液に、容量の異なるCH3CN中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン (0または10 μL)を加えた後、1 mLに増量して、DAN添加の組み合わせを有するPA含有マトリックス溶液を調製した。
それぞれのマトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、DAN無添加のものでは弱い糖鎖フラグメントパターンのみが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。DAN添加のものでは糖鎖フラグメントパターンのみが確認された。
【0083】
[実施例16]
α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸メチル(CNME)、アニリン、ナトリウム、およびDANを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンに対するDAN添加の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M CNME溶液 (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液 (50 μL)、0.1 M炭酸水素ナトリウム水溶液 (50 μL)の混合液に、容量の異なるCH3CN中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン (0または10 μL)を加えた後、1 mLに増量して、DAN添加の組み合わせを有するCNME含有マトリックス溶液を調製した。
それぞれのマトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、DAN無添加のものでは弱い糖鎖フラグメントパターンのみが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。DAN添加のものでは糖鎖フラグメントパターンのみが確認された。
【0084】
[実施例17]
4-クロロ-α-シアノケイ皮酸(Cl-CCA)、アニリン、ナトリウム、およびDANを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンに対するDAN添加の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M Cl-CCA溶液 (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液 (50 μL)、0.1 M炭酸水素ナトリウム水溶液 (50 μL)の混合液に、容量の異なるCH3CN中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン (0または10 μL)を加えた後、1 mLに増量して、DAN添加の組み合わせを有するCl-CCA含有マトリックス溶液を調製した。
それぞれのマトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、DAN無添加のものでは糖鎖フラグメントパターンのみが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。DAN添加のものでは強い糖鎖フラグメントパターンのみが確認された。
【0085】
[実施例18]
4-ブロモ-α-シアノケイ皮酸(Br-CCA)、アニリン、ナトリウム、およびDANを含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンに対するDAN添加の効果を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M Br-CCA溶液 (100 μL)、CH3CN中1.0 Mアニリン溶液 (50 μL)、0.1 M炭酸水素ナトリウム水溶液 (50 μL)の混合液に、容量の異なるCH3CN中1.0 M 1,5-ジアミノナフタレン (0または10 μL)を加えた後、1 mLに増量して、DAN添加の組み合わせを有するBr-CCA含有マトリックス溶液を調製した。
それぞれのマトリックス溶液を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、DAN無添加のものでは糖鎖フラグメントパターンのみが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。DAN添加のものでは強い糖鎖フラグメントパターンのみが確認された。
【0086】
【表3】
【0087】
[実施例19]
<N-結合型糖鎖の直接解析>
1分子内にカルボキシル基、水酸基およびアミノ基を有する3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)およびナトリウムを含有するマトリックス組成物7を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンに対するN-結合型糖鎖の直接解析の可能性を評価した。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M AHBA (100 μL)および水中0.1 M炭酸水素ナトリウム (50 μL)をCH3CN/H2O (50:50, v/v)で1 mLに増量して、Na+イオン添加マトリックス組成物を調製した。
上記マトリックス組成物を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質であるRNase Bを解析すると、還元末端GlcNAc残基の2,4A-型および0,2A-型交差環開裂からなる糖鎖フラグメントパターンが観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。AHBA-Naマトリックスはアルカリ金属添加アニリン誘導体/DHBマトリックスや、ナトリウム添加DHB/DANと比較すると糖鎖断片化能力は低い傾向が観察された。AHBAは糖たんぱく質上のN-結合型糖鎖解析において糖鎖断片化能が低いが、糖鎖断片化能力が同様に低いナトリウム添加DHB/アニリンと比較するとより高感度なN-結合型糖鎖断片検出能を有している。これは、分子内イオン対(双性イオン)形成と結晶化能の向上により、より安定な固体イオンマトリックス特性を与えていることが予想される。また、[非特許文献15]に記載されているように、強いレーザー強度でも飽和ピークの発生やピーク幅が抑えられた結果、低分子領域のノイズが発生しにくく、分析対象物のイオンが効率的に検出されていることが予想される。
本発明によるマトリックス組成物7を用いれば、N-結合型糖鎖の直接解析が可能であることが確認された。
【0088】
[比較例1~4]
1分子内にカルボキシル基およびアミノ基を有するが、水酸基を有さない3,5-ジアミノ安息香酸(DABA)を含有するマトリックス組成物を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象RNase Bの分解由来スペクトルパターンに対する、添加の効果を評価した。
(a)DABA単独の系では解析不能であった。(b)ナトリウムを添加した系では、糖鎖のスペクトルのみならず、ペプチドのスペクトルも観察された。(c)ナトリウムおよびDANを添加した系では、糖鎖のスペクトルのみならず、ペプチドのスペクトルも観察された。(d)ナトリウムおよびDHBを添加した系では、糖鎖のスペクトルのみが観察された。
【0089】
[実施例20]
<O-結合型糖鎖の直接解析>
1分子内にカルボキシル基、水酸基およびアミノ基を有する3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)およびナトリウムを含有するマトリックス組成物7を用いるリフレクトロンモードMALDI-TOF MSにおいて、分析対象豚胃ムチン(Mucin from porcine stomach, type II, Sigma-Aldrich M2378)の分解由来スペクトルパターンに対するO-結合型糖鎖の直接解析の可能性を評価した。O-結合型糖鎖はセリン/スレオニン残基(Ser/Thr)の側鎖水酸基に糖鎖が結合した構造を有する。また、N-結合型糖鎖のように穏やかな条件でペプチドとの結合部位を統一的に切断する酵素が存在しないため、O-結合型糖鎖の解析では一般的に塩基処理によるSer/Thr残基内のβエリミネーション反応により糖鎖を切り出したのち、ペプチド断片と糖鎖断片を分離し、解析することが一般的である。しかし、O-結合糖鎖は共通コア構造がN-結合型糖と比較すると小さいため、小さな糖鎖断片の検出は一般的に困難であり、N-結合型糖鎖と比較するとその解析が困難であった。実際に、DHBを用い、O-結合型糖鎖を豊富に含有する糖たんぱく質である豚胃ムチンを解析したところ、低分子領域はノイズが高く、高分子領域でも糖鎖に特徴的なピークを系統的に探索することは困難であった。そこで、ナトリウム添加AHBAを用いて豚胃ムチンを解析することとした。
まず、CH3CN/H2O (90:10, v/v)中の0.5 M AHBA (100 μL)および水中0.1 M炭酸水素ナトリウム (50 μL)をCH3CN/H2O (50:50, v/v)で1 mLに増量して、Na+イオン添加マトリックス組成物を調製した。
上記マトリックス組成物を用いてレーザー強度80%にて糖タンパク質である豚胃ムチンを解析すると、低分子領域のノイズが軽減されるとともに、糖鎖が結合するセリンまたはトレオニン残基からのβエリミネーションを経て生成した、GalNAc残基を還元末端とする糖鎖パターンが、その脱水物と共に観察され、ペプチドフラグメントは生成しなかった。また、ナトリウム添加AHBAのみを添加したスポットから得られた背景シグナルと比較することにより、観察された糖鎖パターンに相当するシグナルは豚胃ムチン由来であることが確認された。
本発明によるマトリックス組成物7を用いれば、RNase BのようなN-結合型糖鎖を有する糖タンパク質のみならず、分子量数百万からなる糖タンパク質で構成されるムチンからも、糖鎖の切り出しや修飾することなく、O-結合型糖鎖の直接解析が可能であることが確認された。
ここで観察されたフラグメントパターンは、糖鎖の塩基処理による切断、ラベル化、およびカラム精製を経て調製された豚胃ムチン由来O-結合型糖鎖パターンの報告[非特許文献19]と良い一致を示した。
【0090】
[考察]
一般性をまとめると次の通りとなる。
(1)MALDI-TOF MSでは照射レーザー強度を上げるとフラグメントイオンの生成が促進される。
(2)酸性固体マトリックスにナトリウムまたは芳香族性塩基分子を加えるとフラグメントイオン生成がさらに促進される。
(3)DANは対象サンプルのフラグメント化を促進する。
(4)酸性固体マトリックス+ナトリウム、または酸性固体マトリックス+芳香族性塩基分子により糖鎖フラグメントのイオン化効率が向上すると共にペプチドフラグメントのイオン化効率が低下する。ナトリウムまたは芳香族性塩基分子の添加量の増加に伴いこの効果が増強される。
(5)酸性固体マトリックス+ナトリウム+芳香族性塩基分子により糖鎖フラグメントのイオン化効率がさらに向上し、ペプチドフラグメントは検出不可レベルまで低減する。
(6)1分子内に酸性基、水酸基および塩基性基を有する芳香族両性分子+ナトリウムにより、N-結合型糖鎖およびO-結合型糖鎖を直接解析することができる。
【産業上の利用可能性】
【0091】
本発明のマトリックス組成物は、酸性または弱酸性固体マトリックス;芳香族性塩基性分子およびヒドロキシルアミン型塩基性分子から選択される、共役酸がpKa4.0~5.0を示す塩基性分子;、および、所望により、1価の金属イオンを添加したマトリックスであり、好ましくはフラグメント化促進剤(1,5-ジアミノナフタレン)をさらに添加した固体マトリックスである。この固体マトリックス組成物は、MALDI-TOF質量分析装置による糖たんぱく質や糖脂質など高分子量アナライトのフラグメントイオン測定法において糖鎖成分選択的イオン化を特徴とする質量分析法であり、従来糖鎖構造の直接観察が困難であった多数の高分子量分析対象(糖タンパク質、脂質結合多糖等)を、高感度で再現性よく分析するのに主たる利点がある。
また、分析対象のレーザー出力依存性のインソースまたはポストソース分解パターンは、分析対象の詳細な配列決定研究のための擬似MS3戦略も可能である。
すなわち、本発明によれば、レーザー出力依存性擬似MS2およびMS3戦略によって、いかなる修飾もなしに、糖タンパク質および脂質結合糖鎖などのより高分子量かつ複雑な構造を有する複合糖質の直接構造解析が達成され、疾患バイオマーカー探索が可能となった。また、大腸菌などのグラム陰性菌の分類に使用されるO抗原糖鎖の直接解析が達成され、感染症の迅速診断が可能となった。
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