【課題を解決するための手段】
【0008】
上記課題解決においては、シュウ酸銀の爆発性のみを低減させることを前提となる。即ち、爆発性を抑制した結果、シュウ酸銀が有する低温熱分解性という利点までも損なうことは避けなければならない。この点、シュウ酸銀の熱的安定性を向上する手段として、例えば、シュウ酸銀からなる銀前駆体に対し、一部のシュウ酸銀のシュウ酸イオンを他の陰イオン(硝酸イオン、炭酸イオン、酸素イオン)に置換するという方法もあるが、このような一部を別物質に変化させる対処法では、シュウ酸銀の利点が損なわれるおそれがある。
【0009】
本発明者等は、まず、シュウ酸銀の爆発特性について検討を行った。ここで、一定量のシュウ酸銀は、その全体が爆発するのであれば相当量の爆発エネルギーを発するが、単位体積当たりの爆発エネルギーはさほど高くない。このことから、シュウ酸銀は、結晶粒子間の伝播速度が速いために、全体として高い爆発エネルギーを発揮すると考えられる。この検討結果から、シュウ酸銀の爆発性を低減するには、粒子間で生じる連鎖反応を抑制するのが有効であると考え、その具体的手段として、シュウ酸銀に所定量の溶媒を混練し、粒子界面に溶媒を滑り込ませることとした。
【0010】
即ち、本発明は、シュウ酸銀に、水又は非ハロゲン系有機溶媒の少なくともいずれかよりなる分散溶媒を混練してなる銀前駆体であって、シュウ酸銀100重量部に対して、10〜200重量部の分散溶媒を混練してなる銀前駆体である。
【0011】
上記の通り、本発明は、シュウ酸銀に適宜の分散溶媒を混合し湿潤状態にすることで、粒子間に分散溶媒を侵入させ、形成される溶媒層により粒子同士の連鎖反応を抑制するものである。ここで、シュウ酸銀と混合する分散溶媒としては、水又は非ハロゲン系有機溶媒である。これらの溶媒は、シュウ酸銀が有する低温分解特性等の利点を阻害することがないからである。また、非ハロゲン系の溶媒を用いるのは、ハロゲンを構成元素とする溶媒を使用する銀前駆体を用いて銀化合物を製造すると、銀化合物中にハロゲンが残留し、さらには安定なハロゲン化銀になり所望の銀化合物にはならないからである。ハロゲンは、触媒、電子材料、コロイド等の各種用途において忌避される元素であることを考慮するものである。
【0012】
非ハロゲン有機溶媒としては、アルコール、アルカン、アルケン、アルキン、ケトン、エーテル、エステル、カルボン酸、脂肪酸、芳香族、アミン、アミド、ニトリルなどが適用できる。好ましい非ハロゲン有機溶媒は、前記有機溶媒に属するものであって、25℃における蒸気圧が525mmHg以下であり、常温で液体状態にある有機溶媒である。具体的には、アルコールは、メタノール、エタノール、プロパノール、ブタノール、ターピネオールが好ましい。また、アルカン、アルケン、アルキン、ケトン、エーテル、エステル、カルボン酸、脂肪酸、芳香族、アミンについては、ペンタン、ヘキサン、ヘプタン、オクタン、ノナン、デカン、ドデカン、テトラデカン、トルエン、シクロヘキサン、フェノール、キシレン、アセトン、ジエチルエーテル、酢酸エチル、酢酸、灯油、ヘキシルアミン、オクチルアミン、アセトニトリル、ジメチルホルムアミド等が好ましい。尚、分散溶媒は、上記の好ましい有機溶媒が混合されたものでも良い。
【0013】
分散溶媒として特に好ましいのは、ヘキサン、オクタン、デカン、テトラデカン、ドデカン、トルエン、シクロヘキサン、キシレン、メタノール、エタノール、プロパノール、ブタノールである。これらは、25℃における蒸気圧が525mmHg以下であり、シュウ酸銀を所望の化合物に変化させる際、シュウ酸銀の湿潤状態を一定時間保持できるからである。また、分散溶媒は、25℃における粘度100mPa・S以下のものが好ましい。後述するように、銀前駆体の製造工程では適宜の溶媒添加や固液分離工程を行うことがあるため、これらを効率的に行うためである。
【0014】
分散溶媒として、水を適用するか、非ハロゲン系有機溶媒を適用するかは銀前駆体を利用して製造する銀化合物の性状、用途等に応じて選択できる。例えば、銀前駆体を水溶液系で反応させて銀化合物を製造する用途では、分散溶媒は水が好ましい。また、有機系で使用する用途では、分散溶媒は非ハロゲン系有機溶媒が好ましい。
【0015】
分散溶媒として非ハロゲン系有機溶媒を適用する場合、複数種の非ハロゲン系有機溶媒からなっていても良い。例えば、アルコールとアルカンとが混在しても良い。
【0016】
また、分散溶媒は、水と非ハロゲン系有機溶媒とが混合した状態であっても良い。もっとも、水と非ハロゲン系有機溶媒との混合溶媒の場合、両者が均等に混合していると、水溶液系、有機系の双方で使用し難いものとなるので、水又は非ハロゲン系有機溶媒の一方が30重量%(分散溶媒全体に対して)以下とするのが好ましい。
【0017】
本発明に係る銀前駆体では、シュウ酸銀と分散溶媒との混合量も重要な構成である。ここで、分散溶媒の混合量は、シュウ酸銀100重量部に対して10〜200重量部とする。10重量部未満の溶媒の混合では、シュウ酸銀粒子間に十分な溶媒層を形成することができず、シュウ酸銀の爆発性を抑制することができない。そのため、摩擦・衝撃によって爆発するおそれがある。
【0018】
一方、200重量部を超える分散溶媒を混合すると、銀前駆体としての反応性が低下する。これは、分散溶媒が多すぎると、部分的に溶媒層過多のシュウ酸銀粒子が存在するためであり、かかるシュウ酸銀粒子は反応物質を接触させても反応せず銀化合物を生成できないからである。この反応性の低下はさほど大きなものではないが、シュウ酸銀が本来有する利点を損なわないという本発明の目的からは除外される範囲である。そして、分散溶媒の混合量を200重量部以下にすることで、分散溶媒のない従来のシュウ酸銀と同じ化学的特性を有する。 尚、本発明において「シュウ酸銀100重量部」とは、乾燥状態のシュウ酸銀の重量を基準とするものである。
【0019】
また、上記の通り、本発明では非ハロゲン系の溶媒を適用しているが、当然に溶存ハロゲンも排除されたものが好ましい。そして、その結果、本発明係る銀前駆体は、ハロゲン濃度が100ppm以下のものが好ましい。
【0020】
本発明に係るシュウ酸銀を主成分とする銀前駆体の製造にあたっては、最も単純な態様として、乾燥状態のシュウ酸銀粉末と分散溶媒とを混合することで製造可能である。但しこの場合、溶媒混合量を少なくした条件において、混合段階で局所的に乾燥状態が存在しその部分では爆発性がある。また、シュウ酸銀は、もともと市販品の入手が困難な化合物であり、シュウ酸銀そのものを出発原料として本発明の銀前駆体を得るのは現実的には困難である。従って、他の銀化合物を出発原料としてシュウ酸銀を生成し、ここに上記範囲の溶媒が混合した状態を得るのが好ましい。
【0021】
そこで、本発明に係る銀前駆体の製造方法としては、他の銀化合物を出発原料とし、湿潤状態を維持した状態でシュウ酸銀を生成しつつ、分散溶媒の量を調節・添加するのが好ましい。即ち、銀化合物の水溶液と、シュウ酸とを混合してシュウ酸銀を生成し、生成したシュウ酸銀を含む反応液を固液分離してシュウ酸銀を分離し、分離されたシュウ酸銀について、その分散溶媒の含有量が、シュウ酸100重量部に対して10〜200重量部となるように調整するものである。この銀前駆体の製造方法によれば、出発原料から銀前駆体回収まで湿潤状態にあり、生成するシュウ酸銀の爆発性を抑制したまま銀前駆体とすることができる。
【0022】
ここで、出発原料となる銀化合物として好ましいのは、硝酸銀、酢酸銀、炭酸銀、酸化銀、亜硝酸銀、安息香酸銀、シアン酸銀、クエン酸銀、乳酸銀である。これらはシュウ酸との反応性が良好でシュウ酸銀を生成し易いからである。このときの銀化合物水溶液の銀濃度は、70wt%〜1wt%とするのが好ましい。これは銀濃度が高過ぎると粘度が高くなり未反応物が残る傾向があるためであり、逆に銀濃度が低過ぎるとシュウ酸銀製造後に固液分離したときの廃液が大量になる為である。
【0023】
銀化合物水溶液に添加するシュウ酸は、水溶液の状態で銀化合物水溶液に添加するのが好ましい。シュウ酸添加によるシュウ酸銀の生成は、室温で進行させることができる。
【0024】
反応液中で、シュウ酸銀は析出物として生成する。そして、この反応液を固液分離することで湿潤状態のシュウ酸銀を得ることができる。この固液分離の方法としては、濾過が好適である。濾過は常圧で行っても良いし、真空濾過でも良い。
【0025】
また、固液分離後のシュウ酸銀は、適宜に洗浄を行うのが好ましい。出発原料とシュウ酸との反応の際に、出発原料より発生したイオン又は化合物を除去するためである。例えば、硝酸銀の場合は硝酸イオンや硝酸が発生し、酢酸銀の場合は酢酸が発生する。これらは不純物である為、シュウ酸銀に対して100ppm以下にまで洗浄して除去するのが好ましい。
【0026】
ここで、本発明に係る銀前駆体の製造方法の最も簡易な態様は、分散溶媒として水または水と有機溶媒との混合溶媒のいずれかを適用する場合を想定するものである。即ち、上記の固液分離により得られた湿潤シュウ酸銀について、水分量がシュウ酸銀100重量部に対して10〜200重量部となるように調整することで銀前駆体と得ることができる。本発明に係る銀前駆体の製造方法は、水溶液系でシュウ酸銀を生成しているからである。尚、分離されたシュウ酸銀の水分量は、上記の固液分離の方法によって変化するので、水分量が10重量部未満となっていることがある。その場合には水を加えることで銀前駆体とすることができる。また、水と有機溶媒との混在が許容できる場合には、この湿潤シュウ酸銀に有機溶媒を添加しても良い。更に、分離されたシュウ酸銀の水分量が200重量部を超えている場合には、再濾過や適度の乾燥処理で水分量を調整すれば良い。
【0027】
一方、銀前駆体の分散溶媒として非ハロゲン系有機溶媒を適用するものを製造する場合には、分離された湿潤シュウ酸銀について溶媒置換を行う必要がある。この溶媒置換は、分離された湿潤シュウ酸銀に非ハロゲン系有機溶媒を接触させる。
【0028】
湿潤シュウ酸銀に非ハロゲン系有機溶媒を接触させる場合、複数回、複数種の有機溶媒を接触させても良い。置換前の湿潤シュウ酸銀は水を含むものであるが、親水性の高い非ハロゲン系溶媒を分散溶媒にするのであれば、その非ハロゲン系有機溶媒を第1溶媒として一回以上接触させることで溶媒置換が可能となる。例えば、イソプロパノール等のアルコールを分散溶媒とする銀前駆体を得る目的であれば、アルコールを第1溶媒として湿潤シュウ酸銀に接触させ、その含有量をシュウ酸100重量部に対して10〜200重量部となるように調整すれば良い。このような第1溶媒としては、メタノール、エタノール、プロパノール、ブタノール、アセトン、酢酸等が適用される。
【0029】
一方、疎水性の非ハロゲン系有機溶媒を分散溶媒とする銀前駆体を得る目的においては、その非ハロゲン系有機溶媒を接触させても水を含んでいる湿潤シュウ酸銀に対して溶媒置換を行うことは困難となる。そこで、親水性有機溶媒を第1溶媒として湿潤シュウ酸銀を脱水し、ここに疎水性の非ハロゲン系有機溶媒を第2溶媒として接触することで、目的とする銀前駆体を得ることができる。例えば、第1溶媒としてイソプロパノール等のアルコールを接触させた後、個々に第2溶媒としてデカンを接触させることで、分散溶媒としてデカンを含む銀前駆体を生成することができる。このような第2溶媒としては、ヘキサン、オクタン、デカン、テトラデカン、ドデカン、トルエン、シクロヘキサン、キシレンが適用される。このように2段階の溶媒置換を行って銀前駆体を製造する場合の分散溶媒の量は、第1溶媒による処理後に含まれる溶媒量と、第2の溶媒量の接触量との合計になる。従って、銀前駆体の分散溶媒として第2の溶媒(疎水性非ハロゲン有機溶媒)を主体にする場合、第1溶媒接触後のシュウ酸銀中の溶媒量を少なくする(好適には、シュウ酸100重量部に対して10重量部以下)とするのが好ましい。また、第2溶媒の供給を複数回行うことで第1溶媒の割合を減らす(完全に追い出す)ことも可能である。
【0030】
以上の工程により得られる銀前駆体は、適宜の容器に封入することで保管することができる。また、製造後直ちに銀組成物製造の銀前駆体として利用することができる。従って、上記銀前駆体の製造工程は、シュウ酸銀を銀前駆体とした銀化合物の製造工程の一部とすることができる。即ち、シュウ酸銀を銀前駆体として反応させる銀化合物の製造方法であって、上記の銀前駆体の製造方法により製造された銀前駆体を反応させる方法である。
【0031】
ここで、銀化合物とは、その構成成分に銀を含む化合物である。この化合物には錯体も含まれる。また、その形態は粉末、ペースト状態の他、コロイド粒子のような微細粒子のものが含まれる。
【0032】
例えば、特許文献1の銀微粒子の製造においては、シュウ酸銀とアミン類とを反応させて銀−アミン錯体を形成し、この中間体を溶媒中で加熱分解して超微粒の銀粒子が分散するコロイドを得ることができる。本発明に係る方法は、銀化合物として上記銀−アミン錯体の製造に好適に適用できる。そして、この銀錯体も爆発性の抑制されたものとすることができる。