特許第6367609号(P6367609)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6367609
(24)【登録日】2018年7月13日
(45)【発行日】2018年8月1日
(54)【発明の名称】ガラス片の浸漬履歴推定方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 23/227 20180101AFI20180723BHJP
【FI】
   G01N23/227
【請求項の数】4
【全頁数】11
(21)【出願番号】特願2014-106011(P2014-106011)
(22)【出願日】2014年5月22日
(65)【公開番号】特開2015-222190(P2015-222190A)
(43)【公開日】2015年12月10日
【審査請求日】2017年3月8日
(73)【特許権者】
【識別番号】301021533
【氏名又は名称】国立研究開発法人産業技術総合研究所
(73)【特許権者】
【識別番号】000226998
【氏名又は名称】株式会社日清製粉グループ本社
(74)【代理人】
【識別番号】110002170
【氏名又は名称】特許業務法人翔和国際特許事務所
(74)【代理人】
【識別番号】100101292
【弁理士】
【氏名又は名称】松嶋 善之
(74)【代理人】
【識別番号】100112818
【弁理士】
【氏名又は名称】岩本 昭久
(72)【発明者】
【氏名】富江 敏尚
(72)【発明者】
【氏名】石塚 知明
(72)【発明者】
【氏名】明石 肇
【審査官】 田中 秀直
(56)【参考文献】
【文献】 特開昭57−207854(JP,A)
【文献】 特開2007−292623(JP,A)
【文献】 特開2007−127442(JP,A)
【文献】 特開2010−243381(JP,A)
【文献】 特開2002−156360(JP,A)
【文献】 米国特許第04680467(US,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 23/00−23/2276
JSTPlus(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
液中に浸漬した評価対象のガラス片の表面の帯電の振る舞いからガラス片の浸漬履歴を推定する方法において、評価対象のガラス片と同一組成の対照ガラス片を用意し、評価対象のガラス片が浸漬していたと推定される液の種類、液温、浸漬時間のどれもが同じ、あるいは、一つ以上が異なる条件で浸漬させた、一つあるいは複数の標準試料を用意し、その標準試料の表面の帯電の振る舞いとの比較から、評価対象のガラス片の浸漬履歴を推定することを特徴とする、ガラス片の浸漬履歴推定方法。
【請求項2】
前記帯電の振る舞いは、帯電の大きさ、励起パワー依存、放電時定数、帯電の大きさの温度依存、及び放電時定数の温度依存からなる群から選択される1つ以上である請求項1に記載のガラス片の浸漬履歴推定方法。
【請求項3】
前記帯電の振る舞いの評価を、光電子分光装置を用いて行う請求項1又は2に記載のガラス片の浸漬履歴推定方法。
【請求項4】
食品中に異物として混入していたガラス片について、請求項1〜の何れか一項に記載の推定方法を適用して該ガラス片の該食品への混入履歴を推定する、異物の混入履歴推定方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、液中に浸漬したガラス片、あるいは液中に浸漬したとされているがその浸漬事実の確認がとれていないガラス片について、時間に関する情報である浸漬履歴を推定する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
液中に浸漬するガラス片について、浸漬期間や浸漬時期などの浸漬履歴の推定が必要ないくつかの場合がある。例えば、酒類、飲料水、酢、醤油、ソース、ドレッシング、レトルト食品などの食品中に異物が混入する事故は少なくない。そして、混入物の5%程度がガラス片であるという報告がある(非特許文献1)。異物混入事故の再発を防いで、食品の安全性を向上させるには、異物の混入段階の特定が極めて重要である。特にガラス片は怪我を生じさせる危険性があり、混入は根絶が必要であり、このために、ガラス片の混入事故があった場合には、液中の浸漬履歴が推定できることが重要である。また、何らかの事故により破砕されたガラス片が、たまり水、湖水、河川、海水に散乱され、その浸漬履歴を推定することが必要な場合も想定される。
【0003】
世界でも特異的に清潔性を求める我が国では、食品製造企業は細心の注意を払い、製造工程等における異物の混入を防止する対策を種々講じている。それにも拘わらず、食品中への異物混入のクレームは近年増大している(非特許文献2)。このため、混入異物の検査法は進歩しており、十分に確立されているとも考えられる。しかしながら、液中に浸漬するガラス片の浸漬履歴を推定する方法は存在しない。
【0004】
異物検査として行われている従来技術は、光学顕微鏡による形態観察、赤外分光分析による物質の同定、蛍光X線分析による元素分析、電子顕微鏡による微細構造観察、などである(非特許文献3)。単色光を照射した試料から真空中に放出される光電子のエネルギースペクトルを測定する、光電子分光法と呼ばれる分析法(非特許文献4)では、光電子スペクトルのピーク位置から、試料を構成する元素及びその価数の情報が得られるため、未知の物質の同定などに威力を発揮するので、混入異物の検査法としても有力である。しかし、これらの分析法は、付着異物の組成などの特定に威力を発揮するものの、どれも、ガラス片が液に浸漬していた「時間」に関する情報(浸漬履歴)を与えない。
【0005】
混入樹脂片に関しては、赤外分光分析により熱変形を検出し、熱変形温度を越える温度以上に加熱された樹脂の熱履歴が推定できる(特許文献1)。しかし、熱変形温度が極めて高く、且つ、赤外分光分析で検出できるような変化が生じがたいガラス片などには、この分析法はできない。このため、X線、紫外線などによる照射後に、温度を上昇させながら、ガラス片からの蛍光発光量を測定する手法が提案されている(特許文献2)。しかし、この分析法で得られるのは熱履歴のみであって、浸漬時間に関する情報は得られない。
【0006】
具体的に、特許文献2は、加熱による発光強度の振る舞いが、殺菌などの目的で行われる121℃、15分の加熱を行ったガラス片と、加熱を行わなかったガラス片とで異なった、という実施例を紹介しており、高温に加熱された履歴の有無については一定の情報を与える。しかし、類似温度への加熱が、時間を置いて複数回行われた場合には、どの加熱前にガラス片が混入したかの情報は与えない。例えば、工場で製造された段階で混入し100℃で数分間の殺菌処理を受けたガラス片と、消費者の不注意でガラス片が混入した調理容器内に食品あるいは食材を投入して100℃で数分間の調理をすることで浸漬するガラス片との区別はできない。
【0007】
異物内への食品成分の浸透度合いを、元素分析などが可能な、蛍光X線分析、元素濃度分析、赤外吸収分析、染色濃度分析、揮発成分濃度分析法の何れかを用いて分析して、異物が食品中に混入していた時間を推定する方法も提案されている(特許文献3)。しかし、この方法は、食品成分が浸透する異物、具体的には毛髪、木片、紙、プラスチック、虫などにしか適用できず、食品成分が浸透しない金属やガラスには適用できない。
【0008】
ところで、最も一般的に用いられるガラス材料であるソーダ石灰ガラスにおいては、Naイオン濃度は、表面から数十nmの深さまでの表層部の方が、該表層部よりも内部に比して低いことが明らかになっている(非特許文献5)。また、ガラスを液に浸漬することで、主成分である珪素が該液中に溶出することが知られている(非特許文献6)。
【0009】
また、前述した光電子分光法に関し、光電子分光装置の1つとしてEUPS装置が開発されている(非特許文献7)。このEUPS装置は、光電子分光装置として一般的に利用されている、光子エネルギーが1〜2keVのX線で励起する「XPS」及び光子エネルギーが20〜40eVのUV光で励起する「UPS」にはない、いくつかの特色を持っている。その特色とは例えば、i)励起光の光子エネルギーが255eVであるため、試料の最表面原子層の情報が得られること、ii)絶縁物の帯電を精度良く評価できる、などである。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】独立行政法人 国民生活センター、「こんなものが入っている」、[online]、1997年3月28日、[2014年4月30日検索]、インターネット<http://www.kokusen.go.jp/news/data/a_W_NEWS_034.html>
【非特許文献2】イカリ消毒株式会社、「特集 プロフェッショナルに訊く2−1 食品製造現場における総合的な異物混入対策の考え方と進め方」、[online]、[2014年4月30日検索]、インターネット<http://www.ikari.co.jp/topics/professional6.html>
【非特許文献3】一般財団法人 日本食品分析センター、「異物検査のご案内」、[online]、[2014年4月30日検索]、インターネット<http://www.jfrl.or.jp/item/abnormal/abnormal1.html>
【非特許文献4】Stefan Hufner、「Photoelectron Spectroscopy: Principles and Applications」、(Berlin)、Springer、2003年
【非特許文献5】鈴木俊夫、関根朋美、小林大介、山本雄一、「ガラス表面分析技術の展開」、「旭硝子研究報告」、Vol. 63、2013年、p.11
【非特許文献6】土屋博之、「ミニファイル 実験器具に用いられる素材の特徴」、[online]、[2014年4月30日検索]、インターネット<http://www.jsac.or.jp/bunseki/pdf/bunseki2011/201101minifile.pdf> (土屋博之、「ぶんせき」、Vol.1、2011年、p.32)
【非特許文献7】Toshihisa Tomie、Tomoaki Ishitsuka、Teruhisa Ootsuka、Hiroyuki Ota、「Observation of Work Functions, Metallicity, Band Bending, Interfacial Dipoles by EUPS for Characterizing HighkMetal Interfaces」、AIP Conf Proc.、1395、148、2011年
【特許文献】
【0011】
【特許文献1】特開2012−255692号公報
【特許文献2】特開2005−62107号公報
【特許文献3】特開2005−83804号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明の課題は、ガラス片の浸漬履歴推定方法を提供することに関する。即ち、本発明の課題は、食品中に混入する異物となり得るガラス片に関し、該ガラス片の内部に浸透する食品成分の検出は試みず、該ガラス片が液に浸漬することで起きるであろう、ガラス表層部での化学反応変化を捉えることで、該ガラス片の浸漬期間や浸漬時期などの浸漬履歴を推定する方法を提供することである。
【0013】
本発明者らは、非特許文献5及び6に開示された情報から、ガラスを液中に浸漬することによって、該ガラスの表面を含む、厚みがナノメーターオーダーの極めて薄いガラス表層部では、該ガラス中のNaイオンの液中への溶出という既知の変化以外に、ガラス分子の構造変化が起きているに違いない、と考えた。そして、その構造変化の大きさ及び構造変化が起きる部位は、ガラスが浸漬する液の種類、温度及び浸漬期間などによって異なると予想した。また、ガラスの浸漬によりガラス分子の構造変化が生じるとしても、その構造変化が生じる部位は、ガラス表層部のみに限定されることが予想されるので、その構造変化の検出には、表面感度の高い装置の利用が必須になると考えられる。そこで、本発明者らは、ガラスの構造変化などを観察する手段としては、あらゆる分析法の中で最も表面感度の高いEUPS装置が適切と考えた。
【0014】
本発明者らは、このような着想に基づき、浸漬させたガラス片をEUPS装置で詳細に分析したところ、予想通りに、ガラス分子の構造変化が起きていることを示唆する実験データが得られ、その構造変化はガラス片の浸漬条件により異なる結果となった。そして、本発明者らは斯かる知見を、食品への異物としてのガラス片の混入実態の分析に応用できることを見出した。特許文献3には、異物が食品中に混入していた時間を推定する方法が開示されているが、この方法は、異物中に浸透する食品成分を検出する方法であり、本発明者らが見出した知見に基づく方法、即ち、食品成分を検出することなく、異物としてのガラス片の構造の変化を検出して、該ガラス片の浸漬履歴を推定する方法とは全く異なる。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本発明は、前記知見に基づきなされたもので、液中に浸漬したガラス片の表面の帯電の振る舞いを評価し、その評価結果に基づいて該ガラス片の浸漬履歴を推定する工程を有する、ガラス片の浸漬履歴推定方法である。
【0016】
また本発明は、前記知見に基づきなされたもので、食品中に異物として混入していたガラス片について、前記浸漬履歴推定方法を適用して該ガラス片の該食品への混入履歴を推定する、異物の混入履歴推定方法である。
【発明の効果】
【0017】
本発明のガラス片の浸漬履歴推定方法によれば、ガラス片の浸漬時間や浸漬時期などの浸漬履歴に関する情報が得られる。この情報は、清酒類やレトルト食品などの食品中に異物として混入していたガラス片の混入時期や混入期間の推定方法として応用が可能である。また、本発明のガラス片の浸漬履歴推定方法は、何らかの理由で破砕され、たまり水、湖水、河川、海水などに散乱され浸漬されたガラス片の、浸漬時期や浸漬期間の推定方法としても応用が可能であり、さらには、大気を含む種々のガス雰囲気への暴露時期や暴露期間の推定方法としての応用も期待できる。
【図面の簡単な説明】
【0018】
図1図1(a)〜図1(c)は、それぞれ、実施例1で得られた、ガラス片についてのSi2p内殻準位の光電子スペクトルであり、ガラス片の表面の「帯電の振る舞い」としての「帯電の大きさ」と、その「温度依存」を示すグラフである。
図2図2は、実施例1で得られた、ガラス片の表面の「帯電の振る舞い」としての「励起パワー依存」と、その「温度依存」を示すグラフであり、ガラス片が浸漬される液の温度100℃、浸漬時間5分間の場合のグラフである。
図3図3(a)及び図3(b)は、それぞれ、実施例1で得られた、ガラス片の表面の「帯電の振る舞い」としての「励起パワー依存」と、その「温度依存」を示すグラフであり、図3(a)は、ガラス片が浸漬される液の温度100℃、浸漬時間1時間の場合のグラフ、図3(b)は、ガラス片が浸漬される液の温度が室温、浸漬時間11日間の場合のグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0019】
本発明のガラス片の浸漬履歴推定方法(以下、単に、浸漬履歴推定方法ともいう)において、評価対象となるのは液中に浸漬したガラス片である。本発明が適用可能なガラス片は、ケイ酸塩を主成分とする硬い物質であり、その種類は特に制限されず、例えば、ソーダガラス(ソーダ石灰ガラス、ソーダライムガラス)、クリスタルガラス、硼珪酸ガラス等が挙げられる。また、ガラス片の大きさは特に制限されず、本発明が適用可能なガラス片には、缶、袋などの包装容器に密封された食品中に異物として混入し得る程度の大きさのガラス片が含まれる。
【0020】
評価対象のガラス片が浸漬する液としては、典型的には、2種以上の物質が拡散混合して均一な液相を形成している「溶液」が挙げられるが、本発明の浸漬履歴推定方法においては該液の種類は特に制限されず、流動性を有する物質を1種以上含むものであれば良く、液体と固体との混合物(液体中に固体が分散している流動物)であっても良く、酸性でも中性でもアルカリ性でも構わない。
【0021】
本発明の浸漬履歴推定方法においては、評価対象のガラス片の表面を帯電させる。ガラス片の表面を帯電させる方法としては、公知の帯電方法を用いることができ、例えば、紫外線などの光、X線、イオンビーム、電子ビーム、などをガラス片に照射する方法の他、放電プラズマを浴びせる方法が挙げられる。
【0022】
本発明の浸漬履歴推定方法においては、評価対象のガラス片の表面を帯電させた後、その帯電の振る舞いを評価する。ここでいう「帯電の振る舞い」とは、帯電状態あるいは帯電に関する特性であり、より具体的には、「帯電の大きさ」、「帯電の大きさの励起パワー依存」、「帯電が放電する時定数」、「帯電の大きさの温度依存」、「放電時定数の温度依存」が挙げられる。ここに挙げた5つの「帯電の振る舞い」に関し、後述する実施例では光励起時における「帯電の振る舞い」を評価しているが、本発明の浸漬履歴推定方法において「帯電の振る舞い」は光励起時に限らない。ガラス片の表面の「帯電の振る舞い」を評価するに際しては、これら5つ全部を評価しても良く、一部を評価しても良い。これら5つの「帯電の振る舞い」の評価方法としては、公知の評価方法を用いることができ、例えばプローブ顕微鏡を含む様々な電気的手法による表面電位の測定法を利用することが可能である。
【0023】
ここで、「帯電の振る舞い」としての「励起パワー依存」と「温度依存」について説明する。ガラスの如き絶縁物は、電気が流れにくい物質であるが、抵抗値は有限であり、長時間放置するとたまった電荷が失われる。このたまった電荷が失われる現象を、帯電が「放電する」と呼ぶ。電気の流れにくさは、温度に大きく依存し、一般的に、温度が高くなると電気が流れやすくなり、放電の時定数が短くなる。帯電量は、電荷の供給速度が大きいほど、つまり「励起パワー」が大きいほど大きく、放電の速さが大きいほど、つまり、放電時定数が短いほど、帯電量が小さくなる。そこで、本発明は、「帯電の振る舞い」の重要な評価法として、帯電の大きさの「励起パワー依存」と「放電の時定数」、及び、帯電の大きさと放電時定数の「温度依存」を評価する手段を提示する。
【0024】
本発明の浸漬履歴推定方法の好ましい一実施態様として、評価対象のガラス片の表面の「帯電の振る舞い」の評価を、光電子分光装置(光電子分光法)を用いて行う態様が挙げられる。光電子分光法においては、励起光の照射により、試料(ガラス片)外に大量の電子が放出されるので、光電子分光法は、ガラス片を帯電させる手法として利用可能である。また、光電子分光法においては、光電子スペクトルのピーク位置のシフトの大きさから、「帯電の振る舞い」の一例である「帯電の大きさ」(帯電量)の評価が可能であるので、光電子分光法は、帯電の大きさの評価手法としても利用可能である。光電子分光法としては、X線光電子分光法(XPS)、紫外光電子分光法(UPS)と呼ばれる公知の方法を用いることができる。
【0025】
ただし、XPS及びUPSにおいては、ガラス片の如き絶縁試料の帯電の影響を排除することが1つの重要な装置技術になっており、ガラス片の表面の帯電量の定量的な評価は容易ではない。本発明者らの知見によれば、ガラス片の表面の「帯電の振る舞い」を評価するのに適した光電子分光法はEUPSである。即ち、本発明の浸漬履歴推定方法の好ましい一実施態様として、評価対象のガラス片の表面の「帯電の振る舞い」を、EUPSを採用した光電子分光装置であるEUPS装置を用いて行う態様が挙げられる。EUPS装置は、極端紫外(EUV)光を光源とする公知の光電子分光装置であり、詳細は例えば非特許文献7に記載されている。EUPS装置においては波長4.86nm、パルス幅3nsのEUV光を試料(ガラス片)に照射するが、そのEUV光源の繰り返し率を変えることによって、容易に平均励起パワーを変えることができる。また、EUPS装置では、試料(ガラス片)を保持するキャリアの温度(測定温度)を変更できるので、この測定温度を適宜変更することで測定中の試料温度を変更することができる。
【0026】
本発明の浸漬履歴推定方法においては、評価対象のガラス片の表面の「帯電の振る舞い」を評価した後、その評価結果に基づいて該ガラス片の浸漬履歴、より具体的には液の種類、液の温度、浸漬期間などを推定する。「帯電の振る舞い」は、評価対象のガラス片を構成するガラスの種類、該ガラス片が浸漬していた液の種類や液温などによって異なるため、浸漬履歴を正しく推定するために、評価対象のガラス片とは別に、標準試料を準備すると良い。即ち、評価対象のガラス片とは別に、評価対象のガラス片と同一組成の対照ガラス片(標準試料)を用意し、対照ガラス片及び評価対象のガラス片それぞれの「帯電の振る舞い」を互いに比較することで、評価対象のガラス片の浸漬履歴を推定することができる。
【0027】
前記対照ガラス片を用いた浸漬履歴推定方法の一実施態様として、対照ガラス片を評価対象のガラス片が浸漬していた液と同一組成液中に所定時間浸漬させて標準試料を得、該標準試料及び評価対象のガラス片それぞれの「帯電の振る舞い」を互いに比較することで、評価対象のガラス片の浸漬履歴を推定する方法が挙げられる。この標準試料としては、必要に応じ、ガラス片を浸漬させる液の種類、液温、浸漬時間の何れか1つ以上が異なる複数の標準試料を用意することができる。
【0028】
前記対照ガラス片を用いた浸漬履歴推定方法において、「帯電の振る舞い」として「帯電の大きさ」に着目しても良い。即ち、評価対象のガラス片とは別に、評価対象のガラス片と同一組成の対照ガラス片を用意し、対照ガラス片及び評価対象のガラス片それぞれについて、表面の帯電量を評価し、それらの帯電量の値を互いに比較することで、評価対象のガラス片の浸漬履歴を推定することもできる。
【0029】
本発明者らの知見によれば、液中に浸漬されたガラス片は、液中に一度も浸漬されたことのないガラス片に比して、表面の帯電の大きさ(帯電量)が小さい。この知見に基づくガラス片の浸漬履歴推定方法として、評価対象のガラス片とは別に、評価対象のガラス片と同一組成で且つ液中に存在したことの無い対照ガラス片(以下、「無浸漬対照ガラス片」ともいう)を用意し、該無浸漬対照ガラス片及び評価対象のガラス片それぞれについて、表面の帯電量を評価し、それらの帯電量の値を互いに比較する方法を例示できる。この方法では、評価対象のガラス片の帯電量V1と、無浸漬対照ガラス片の帯電量V2とを比較して、帯電量V1が帯電量V2よりも小さい場合に、評価対象のガラス片が過去に液中に存在していたことがあると推定することができる。
【0030】
前記の無浸漬対照ガラス片を用いる方法は、例えば、食品中に異物として混入されていたとされる、評価対象のガラス片について、調理後に食品中に混入したかを確認するのに利用することができる。消費者などから、食品中に異物としてガラス片が混入していた旨指摘された場合、先ずは、評価対象のガラス片と無浸漬対照ガラス片とについて「帯電の振る舞い」の比較を行う。評価対象のガラス片の帯電の振る舞いが、無浸漬対照ガラス片のそれと一致すれば、消費者などでの段階で、加熱調理後に食品中に異物として混入した、と判定される。仮に、評価対象のガラス片が無浸漬対照ガラス片とは異なる「帯電の振る舞い」を示せば、次に、加熱調理を模した、対象液内での短時間の加熱を行った対照ガラス片を準備し、それと評価対象のガラス片との比較を行う。両者の「帯電の振る舞い」が一致すれば、食品開封後に何らかの原因で食品中にガラス片が混入し、その混入状態のまま加熱調理された、と判定される。前記の手順で、評価対象のガラス片が食品開封以前に食品中に混入したと判定されれば、次に、混入段階の特定を行うことになる。種々の浸漬条件で作製した多くの対照ガラス片の「帯電の振る舞い」と評価対象のガラス片の「帯電の振る舞い」とを比較しながら、混入段階の推定を行い、工場内での品質管理の改善が図られることになる。評価対象のガラス片との比較を行う、前記無浸漬対照ガラス片などの種々の対照ガラス片について、予めそれらの「帯電の振る舞い」を評価しておき、その評価結果のデータを取得しておくことができる。その場合、複数の対照ガラス片の「帯電の振る舞い」が記憶されている、データベースが得られるので、評価対象のガラス片の「帯電の振る舞い」の評価結果をこのデータベースと照合することで、評価対象のガラス片の食品への混入履歴などを推定することが可能となる。
【0031】
本発明の浸漬履歴推定方法は、食品中に異物として混入していたガラス片について、該ガラス片の該食品への混入履歴(混入時期、混入期間など)を推定する、異物の混入履歴推定方法に適用することができる。即ち、本発明の浸漬履歴推定方法は、食品中に浸漬したガラス片を評価対象とすることもできる。本発明が適用可能な食品は、液を含んでいれば良く、熱処理の有無は問わない。本発明が適用可能な食品の具体例としては、スープ、パスタソース、カレー、シチューなどのレトルト製品、ドレッシング、マヨネーズなどの調味料製品、お茶、コーヒー、果実飲料などの飲料製品などを挙げることができる。
【実施例】
【0032】
以下、実施例を挙げて本発明を更に詳細に説明するが、帯電のさせ方、評価法、評価試料、浸漬条件などなど、本発明はこれらの実施例により制限されるものではない。
【0033】
〔実施例1〕
市販の3mm厚のソーダ石灰ガラス板を砕き、一辺が10mm程度のガラス片を複数個用意し、このガラス片を、所定の液温に調整された0.1M酢酸緩衝液(pH4.5)中に所定時間浸漬した。所定の浸漬時間経過後、酢酸緩衝液からガラス片を取り出してイオン交換水ですすぎ、さらにペーパータオル上に置いて該ガラス片に付着した水分を除去し乾燥させた。こうして乾燥状態となったガラス片の表面の「帯電の振る舞い」、具体的には「帯電の大きさ」、「励起パワー依存」及びそれらの「温度依存」を、EUPS装置を用いて評価した。酢酸緩衝液の液温として、室温(約20℃)及び100℃の2種類を用意し、ガラス片の浸漬時間として、室温浸漬の場合は11日間、100℃浸漬の場合は5分間及び1時間を用意した。
【0034】
実施例1で、ガラス片を浸漬する液として、異なる温度の液を準備した理由を説明する。液に浸漬するガラスが受ける化学変化で知られている影響は、ガラスに含まれるNaイオンの液中への溶出である。一般的に、温度が10℃高くなると化学変化の速度が倍になると言われている。その温度依存がガラスの化学変化に適用できると仮定した場合、温度が80℃異なると化学反応速度が2の8乗=256倍異なることになるので、室温=20℃とした場合、液温が室温の液中にガラス片を11日間浸漬するのと、液温が100℃の液中にガラス片を1時間浸漬するのとが、等価と言うことになる。液温100℃の液中での、浸漬時間5分間と1時間との比較で、ガラス片の化学反応が10倍異なると予想され、液温が室温の液中で11日間浸漬のガラス片と、液温が100℃の液中で1時間浸漬のガラス片とが等価になると予想して、実験を行った。結果は、以下に示すように、浸漬時間5分間と1時間とでははっきりと差異がみられ、そして、室温で11日間浸漬と、100℃で1時間浸漬とは等価ではなかった。
【0035】
各条件におけるガラス片の表面の「帯電の振る舞い」の評価結果を図1図3に示す。EUPSを用いて、どのようにしてガラス片の帯電の大きさを評価するかを、図に示す。図1は、ガラス片のSi2p内殻準位の光電子スペクトルである。横軸は光電子の運動エネルギーで、縦軸は信号強度である。EUV光源の繰り返し率は10Hzであった。図1(a)〜図1(c)それぞれにおいて、符号Aで示すグラフは、液温100℃の酢酸緩衝液にガラス片を5分間浸漬したガラス片の場合、符号Bで示すグラフは、液温100℃の酢酸緩衝液にガラス片を1時間浸漬した場合である。光電子は130Vの減速をして観測した。励起光の光子エネルギーは255.2eVで、測定器の仕事関数は3.4eV程度であるので、運動エネルギー17eVは、結合エネルギー105eV程度に相当する。
【0036】
図1(a)に示す通り、測定温度、即ち、EUPS装置における試料(ガラス片)を保持するキャリアの温度が室温の場合、符号Aで示すグラフのピークは11.5eV程度、符号Bで示すグラフのピークは13eV程度であった。これに対し、測定温度が55℃の場合は、図1(b)に示す通り、符号Aで示すグラフのピークは16.5eV程度、符号Bで示すグラフのピークは17.5eV程度であり、測定温度が100℃の場合は、図1(c)に示す通り、符号Aで示すグラフ及び符号Bで示すグラフの何れもピークは17.5eV程度であった。当初の予想通り、ピーク位置は若干異なるものの、符号Aと符号B両方の試料ともに、測定温度が高くなると、Si2p内殻準位の光電子スペクトルのピーク位置が高くなり、ガラス片の表面の帯電量が小さくなることが分かる。
【0037】
前述の説明のように、測定温度が高くなるとガラス片の如き絶縁物は帯電しにくくなるところ、ガラス片の表面が帯電しなくなったことは、繰り返し率(励起パワー)依存を見ることで判断できる。図2に、実施例1で得られた、ガラス片の表面の「帯電の振る舞い」としての「励起パワー依存」を示す。このグラフは、酢酸緩衝液の液温100℃、浸漬時間5分間の場合のグラフである。図2の縦軸は、図1に示したガラス片のSi2p内殻準位スペクトルのピーク位置である。横軸は励起光(EUV光)の繰り返し率である。試料を励起するEUV光の平均励起パワーは繰り返し率に比例し、10Hz測定は2Hz測定での5倍である。測定温度、即ち、EUPS装置における試料(ガラス片)を保持するキャリアの温度が室温の場合、励起光の繰り返し率が2Hzではピーク位置14.5eV、励起光の繰り返し率が5Hzではピーク位置11.5eV、励起光の繰り返し率が10Hzではピーク位置8.5eVであり、励起パワーの小さい2Hzと励起パワーの大きい10Hzとで、ピーク位置に6eVも差があったが、測定温度を55℃にすると、2Hzと10Hzとのピーク位置の差は1.5eVに格段に小さくなった。測定温度70℃の場合でも、2Hzと10Hzとのピーク位置の差は1.5eVであったが、測定温度100℃の場合は、2Hzと10Hzとのピーク位置は略一致したので、測定温度100℃以上では、ガラス片の表面は帯電しなくなったと判断できる。
【0038】
図3は、100℃で1時間浸漬したガラス片と室温で11日間浸漬したガラス片との測定結果の比較である。両者で、化学変化の大きさは等価であること予想されたが、帯電の振る舞いは、大きく異なった。ガラス片を液温100℃の酢酸緩衝液中に1時間浸漬した場合(図3(a))は、測定温度が室温の場合、励起光の繰り返し率が10Hzではピーク位置10eVだったが、液温が室温の酢酸緩衝液中にガラス片を11日間浸漬した場合(図3(b))は、ピーク位置14.5eVだった。そして、図3(a)では、測定温度が55℃でも、ハッキリと繰り返し率(励起パワー)依存があったが、図3(b)では、繰り返し率依存がほとんど見られず、ガラス片の表面はほとんど帯電しなくなった。
【0039】
図2図3(a)とを比べると、100℃の酢酸緩衝液にガラス片を浸漬する時間が5分間と1時間とで、帯電の振る舞いが異なることが分かる。つまり、測定温度が室温の場合、浸漬時間5分間(図2)では、2Hz励起の場合に14.5eV、10Hzの場合に8.5eVだったが、浸漬時間1時間(図3(a))では、2Hz励起の場合に16eV、10Hzの場合に10eVだった。
【0040】
ここで、帯電評価時の温度と、液浸漬時の液の温度の、試料(ガラス片)への影響の違いを説明しておく。ガラスの構成元素であるNaイオンの液への溶出は、ガラス片が液に浸漬しているときに起きる。ガラスの帯電の振る舞いのEUPSでの評価は真空中で行うので、ガラスの温度を上げても、Naイオンがガラスの外部に出ていくことは考えられない。しかし、測定のために温度を高くすることで、ガラスの表面と内部ではNaイオンの移動が起きることが考えられる。そのことにより、帯電の振る舞いに、測定の履歴が反映される可能性が考えられる。この変化は不可逆であり、温度依存の測定は一回限りになる可能性がある。そして、測定のための「真空中での加熱」が、「液中浸漬」の履歴により引き起こされたガラス片表面の「構造変化」に影響を及ぼす可能性もある。これらの可能性を検証するために、図2図3に示した測定で、まず室温で測定し、次に、徐々に温度を上げ100℃迄の測定を行った後で、再度、室温での測定を行ったところ、最初と同じ結果が得られた。つまり、「帯電の振る舞い」を評価するための「真空中」での測定での温度の履歴の、「帯電の振る舞い」への影響は、顕著でなかった。一方、液に浸漬して液中にいったん溶出したNaイオンは、ガラスに戻ることはない、と考えられる。浸漬時の温度の履歴は、消えることがないと考えられる。
【0041】
図1図3に示す結果から、ガラス片の液中への浸漬時間の違いにより、該ガラス片の表面の「帯電の振る舞い」、より具体的には、帯電の大きさ及び励起パワー依存が顕著に異なり、これを評価測定することにより、ガラス片の浸漬条件を推定することが可能であることがわかる。
【0042】
〔実施例2〕
市販の3mm厚のソーダ石灰ガラス板を砕き、一辺が10mm程度のガラス片を複数個用意した。0.1M酢酸緩衝液(pH4.5)を加熱して液温100℃に調整し、その100℃の酢酸緩衝液中にガラス片全体を所定時間浸漬させた。ガラス片の浸漬中、酢酸緩衝液の液温(浸漬温度)を100℃に維持した。所定の浸漬時間経過後、酢酸緩衝液からガラス片を取り出してイオン交換水ですすぎ、さらにペーパータオル上に置いて該ガラス片に付着した水分を除去し乾燥させた。こうして乾燥状態となったガラス片の表面の「帯電の振る舞い」としての帯電量を、EUPS装置を用いて評価した。ガラス片の浸漬時間として、5分間及び1時間の2種類を用意し、各条件におけるガラス片の表面の帯電量を評価した。また別途、酢酸緩衝液中に浸漬させていないガラス片(前記無浸漬対照ガラス片に相当)を用意し、その表面の帯電量を、EUPS装置を用いて評価した。評価結果を下記表1に示す。
【0043】
【表1】
【0044】
表1において対照ガラス片と評価対象のガラス片(サンプルNo.1及び2)との対比から明らかなように、ガラス片を100℃の酢酸緩衝液中に浸漬させることによって、帯電量が25%以上小さくなった。この結果から、ガラス片の表面の帯電量は、そのガラス片の浸漬履歴、即ち、過去に液中に存在していたことがあったか、を検査する指標となり得ることがわかる。
図1
図2
図3