特許第6703385号(P6703385)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6703385
(24)【登録日】2020年5月12日
(45)【発行日】2020年6月3日
(54)【発明の名称】高硬度かつ靭性に優れた鋼
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20200525BHJP
   C22C 38/38 20060101ALI20200525BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20200525BHJP
   C21D 6/00 20060101ALN20200525BHJP
【FI】
   C22C38/00 301A
   C22C38/38
   C22C38/58
   !C21D6/00 W
【請求項の数】4
【全頁数】10
(21)【出願番号】特願2015-185149(P2015-185149)
(22)【出願日】2015年9月18日
(65)【公開番号】特開2017-57479(P2017-57479A)
(43)【公開日】2017年3月23日
【審査請求日】2018年8月20日
(73)【特許権者】
【識別番号】504176911
【氏名又は名称】国立大学法人大阪大学
(73)【特許権者】
【識別番号】000001236
【氏名又は名称】株式会社小松製作所
(73)【特許権者】
【識別番号】000180070
【氏名又は名称】山陽特殊製鋼株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100101085
【弁理士】
【氏名又は名称】横井 健至
(74)【代理人】
【識別番号】100134131
【弁理士】
【氏名又は名称】横井 知理
(74)【代理人】
【識別番号】100185258
【弁理士】
【氏名又は名称】横井 宏理
(72)【発明者】
【氏名】南埜 宜俊
(72)【発明者】
【氏名】高山 武盛
(72)【発明者】
【氏名】山本 幸治
(72)【発明者】
【氏名】平塚 悠輔
【審査官】 河野 一夫
(56)【参考文献】
【文献】 特開2003−035656(JP,A)
【文献】 山本幸治ほか,セメンタイト分散型高硬度鋼の衝撃値に及ぼすオーステナイト粒径およびセメンタイト形状・分布の影響,材料とプロセス,2012年 9月 1日,Vol.25 No.2,P.314
【文献】 JISハンドブック1鉄鋼I(用語・検査・試験),2007年 1月19日,P.1317,ISBN 978-4-542-17481-8
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00 − 38/60
C21D 6/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.55〜0.92%、Si:0.10〜2.00%、Mn:0.10〜2.00%、P:0.030%以下、S:0.030%以下、Cr:1.10〜2.50%、Al:0.010〜0.10%を含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる鋼であり、該鋼は焼入れされた状態であってその組織はマルテンサイト組織と球状化炭化物の二相組織であり、アスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトの個数が全セメンタイトの個数の90%以上であり、旧オーステナイト粒界上のセメンタイトに関して、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合は全セメンタイト数の20%以下であることを特徴とする高硬度かつ靱性に優れた鋼。
ただし、ここにいう%は、走査型電子顕微鏡の5000倍で観察できる炭化物の全個数を100%とした時の割合をいう。
【請求項2】
質量%で、請求項1の化学成分に加えて、Ni:0.10〜1.50%、Mo:0.05〜2.50%、V:0.01〜0.50%から選択した1種または2種以上を含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる鋼であり、焼入れ後の組織はマルテンサイト組織と球状化炭化物の二相組織であり、アスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトが全セメンタイトの90%以上であり、旧オーステナイト粒界上のセメンタイトに関して、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合は全セメンタイト数の20%以下であることを特徴とする請求項1に記載の高硬度かつ靱性に優れた鋼。
【請求項3】
旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトは、その90%以上の個数が粒径の大きさが1μm以下であることを特徴とする請求項1または2に記載の高硬度かつ靱性に優れた鋼。
ただし、ここにいう%は、走査型電子顕微鏡の5000倍で観察できる炭化物の全個数を100%とした時の割合をいう。
【請求項4】
旧オーステナイトは粒径の大きさが1〜5μmであることを特徴とする請求項1または2に記載の高硬度かつ靱性に優れた鋼。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車や各種産業機械などの部品に用いられる機械構造用鋼のうち、高硬度かつ靭性に優れた鋼に関する。
【背景技術】
【0002】
自動車や各種産業機械などの部品に使用される鋼、特に耐摩耗性や優れた疲労特性などを必要とする部品に使用される鋼は、焼入れによって高硬度化して使用されることが一般的である。ところで、焼入れによってマルテンサイト組織を主体とした鋼材は、C含有量により硬度が決まり、C含有量を高めることで鋼材の硬度を上昇させることができる。しかし、鋼材の高硬度化はその反面として靭性を低下させるので、衝撃が加えられた場合に、鋼材に割れを生じる。そのため、かかる鋼材には、硬度と靭性のバランスが要求される。
【0003】
これらに対処する従来の技術として、鋼成分中にSi、Nb、Cr、Mo、Vを含むことを特徴とし、特定の圧延方法や処理により、使用中にVを核とするCr、Mo、Vの複合析出物を形成せしめて、優れた耐摩耗性と靭性を兼ね備える鋼が提案されている(例えば、特許文献1参照。)。
【0004】
さらに、焼入れ後の焼戻しの過程で、鋼成分中にMn、Ni、Crなどの合金成分が含まれていると、Mn、Ni、Crなどの炭化物が旧オーステナイト粒界に析出して、粒界破壊の原因となる。そこで、この粒界破壊の原因に対し、Cが0.50〜1.00%である高炭素鋼の成分中にMoを添加すると、Moの炭化物が旧オーステナイト粒内にある転位を核として析出するため、析出物は旧オーステナイト粒内に微細に分散析出し、粒界破壊の原因とはならないとした、耐衝撃性耐摩耗性の優れた高炭素鋼が提案されている(例えば、特許文献2参照。)。
【0005】
また、低P、低S化による粒界偏析の軽減、低Mn化による粒界強化、Moの増量とNb添加による細粒化によって靭性の向上を図り、さらに、Nb、Cr、Moの複合添加は鋼の焼戻し軟化抵抗を著しく高めるため、高い焼戻し温度を採用することによる靭性の向上を図った、高強度かつ高靭性および耐摩耗性の良好である高強度高靭性耐摩耗用鋼が提案されている(例えば、特許文献3参照。)。
【0006】
さらに、鋼材の芯部はフェライトと球状化炭化物の二相組織で過共析鋼であり、しかも炭化物を適切に分散させることで、靭性はフェライトが担い、表面のみ高周波焼入れなどによって硬化させることにより、目的の硬度を得る高硬度高靱性鋼が提案されている(例えば、特許文献4参照。)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開平10−102185号公報
【特許文献2】特公平05−37202号公報
【特許文献3】特開平05−078781号公報
【特許文献4】特開2005−139534号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかし、上記の先行技術文献における、特許文献1のCr、Mo、Vの複合析出物を形成するためには、焼戻し温度を200〜550℃で行う必要があるため、所定の硬度が得られない可能性がある。また、特許文献3の合金鋼中へのMoの添加による靭性の向上は500℃の高温焼戻し条件下でのことであり、硬度確保のために低温焼戻しを行う場合には、その効果は明確ではない。さらに、特許文献4の過共析鋼を利用するにあたり、油焼入れなどの一般的な焼入れを行い、芯部までマルテンサイト組織となる条件下において、靭性を得ることは、この従来技術では達成できていない。
【0009】
そこで、本発明が解決しようとする課題は、硬度を高く保つため焼入れ後、低温焼戻しを施した条件下において、高硬度と高靭性を両立した鋼材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記の課題を解決するための本発明の手段は、第1の手段では、質量%で、C:0.55〜1.10%、Si:0.10〜2.00%、Mn:0.10〜2.00%、P:0.030%以下、S:0.030%以下、Cr:1.10〜2.50%、Al:0.010〜0.10%を含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる鋼であり、焼入れ後の組織はマルテンサイト組織と球状化炭化物の二相組織であり、アスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトが全セメンタイトの90%以上であり、旧オーステナイト粒界上のセメンタイトに関して、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合は全セメンタイト数の20%以下であることを特徴とする高硬度かつ靱性に優れた鋼である。
【0011】
第2の手段では、質量%で、第1の手段の化学成分に加えて、Ni:0.10〜1.50%、Mo:0.05〜2.50%、V:0.01〜0.50%から選択した1種または2種以上を含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる鋼であり、焼入れ後の組織はマルテンサイト組織と球状化炭化物の二相組織であり、アスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトが全セメンタイトの90%以上であり、旧オーステナイト粒界上のセメンタイトに関して、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合は全セメンタイト数の20%以下であることを特徴とする第1の手段の高硬度かつ靱性に優れた鋼である。
【0012】
第3の手段では、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトは、粒径の大きさの90%以上が粒径1μm以下であることを特徴とする第1または第2の手段の高硬度かつ靱性に優れた鋼である。
【0013】
第4の手段では、旧オーステナイトは、粒径の大きさが1〜5μmであることを特徴とする第1または第2の手段の高硬度かつ靱性に優れた鋼である。
【発明の効果】
【0014】
本発明の鋼は、焼入れ後の組織がマルテンサイト組織と球状化炭化物の二相組織の過共析鋼であり、アスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトの個数が占める割合が全セメンタイト数の90%以上である。したがって、変形時にセメンタイトの端部で応力集中を引き起こし、き裂の発生源となり易い板状あるいは柱状に近い形状のセメンタイトは少なく、応力集中を引き起こしにくい球状に近いセメンタイトが均一に分散して、セメンタイトがき裂の発生箇所となる危険性が低い組織となっており、さらに、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合が全セメンタイト数の20%以下と少なく、かつ、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの90%以上の粒径が1μm以下であり靱性を劣化する粒界破壊が抑えられるので、本発明は過共析鋼であるにもかかわらずセメンタイトが破壊の起点となる有害性が低く、シャルピー衝撃値が40J/cm2以上で、かつHRC硬さが58HRC以上で、硬さと靱性に優れた鋼である。この鋼材を使用することで高硬度および高靭性を必要とする自動車や各種産業機械などの部品が作製できる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
図1】アスペクト比の大きなセメンタイトからき裂が入っている模式図で、図中の円と楕円はセメンタイトを示す図である。なお、変形荷重は圧縮に限定しない。
図2】焼なましパターンを示す図である。
図3】球状化焼なましパターンを示す図である。
図4】焼入れ焼戻しパターンを示す図である。
図5】10RCノッチシャルピー試験片形状を示す図である。
図6】実施例鋼No.3の焼入れ後の組織を示す走査型電子顕微鏡(SEM)による写真である。加速電圧15kV、5000倍の二次電子像であり、下方に示したスケールの長さが5μmである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明の実施の形態の記載に先立って、本願の請求項1に係る発明の構成要件である、鋼の化学成分、ならびにアスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトの個数が占める割合、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの粒径の大きさ、旧オーステナイト粒径の大きさの各限定理由について以下に記載する。なお、化学成分における%は質量%である。
【0017】
C:0.55〜1.10%
Cは、焼入れ焼戻し後における、硬度、耐摩耗性および疲労寿命を向上させる元素である。しかし、Cが0.55%未満では十分な硬度は得られない。望ましくは、Cは0.60%以上必要である。一方、Cが1.10%より多いと、鋼素材の硬さが増加し、被削性および鍛造性などの加工性を阻害し、また、組織中の炭化物量が必要以上に増え、マトリクス中の合金濃度が低下し、マトリックスの硬さおよび焼入性を低下させる。そのため、Cは1.10%以下にする必要があり、望ましくは1.05%以下にする必要がある。そこで、Cは、0.55〜1.10%、望ましくは0.60〜1.05%とするのが良い。
【0018】
Si:0.10〜2.00%
Siは、鋼の脱酸に有効な元素であり、鋼に必要な焼入性を付与し強度を高める働きをする。また、Siはセメンタイト中に固溶して、セメンタイトの硬度を増加させることにより、耐摩耗性を向上させる。これらの効果を得るためには、Siは、0.10%以上必要であり、望ましくは0.20%以上必要である。一方、Siは、多く含有されると、素材硬さを増加し、被削性および鍛造性などの加工性を阻害する。そのため、Siは2.00%以下にする必要があり、望ましくは1.55%以下とする。そこで、Siは0.10〜2.00%、望ましくは0.20〜1.55%とするのが良い。
【0019】
Mn:0.10〜2.00%
Mnは、鋼の脱酸に有効な元素であり、さらに、鋼に必要な焼入性を付与し、強度を高めるために必要な元素である。そのためには、Mnは0.10%以上添加する必要があり、望ましくは0.15%以上必要である。一方、Mnは多量に添加すると、靱性を低下させるため、2.00%以下とする必要があり、望ましくは1.00%以下とする。そこで、Mnは0.10〜2.00%、望ましくは0.15〜1.00%とするのが良い。
【0020】
P:0.030%以下
Pは、鋼中に不可避的に含有される不純物元素であり、粒界に偏析し、靱性を劣化させる。そこで、Pは、0.030%以下、望ましくは0.015%以下とするのが良い。
【0021】
S:0.030%以下
Sは、鋼中に不可避的に含有される不純物元素であり、Mnと結びついてMnSを形成し、靱性を劣化させる。そこで、Sは、0.030%以下、望ましくは0.010%以下とするのが良い。
【0022】
Cr:1.10〜2.50%
Crは、焼入性を向上させる元素であり、また、球状化焼なましによる炭化物の球状化を容易にする元素である。上記の効果を得るには、Crは、1.10%以上必要で、望ましくは1.20%以上必要である。一方、Crは過剰に添加すると、セメンタイトが脆くなり、靱性を劣化させる。そのために、Crは2.50%以下にする必要があり、望ましくは2.15%以下とする。そこで、Crは、1.10〜2.50%、望ましくは1.20〜2.10%とするのが良い。
【0023】
Al:0.010〜0.10%
Alは、鋼の脱酸に有効な元素であり、さらにNと結合してAlNを生成するため、結晶粒粗大化の抑制に有効な元素である。結晶粒の抑制効果を得るためには、Alは0.010%以上は必要である。一方、Alは多量に添加されると非金属介在物を生成して割れの起点となる。そこで、Alは0.10%以下とし、望ましくは0.050%以下とするのが良い。
【0024】
Ni、Mo、Vは、いずれか1種または2種以上が選択的に含有される元素であり、この条件の下で、以下の限定理由とされる。
【0025】
Ni:0.10〜1.50%
Niは、上記の選択的に含有される条件の下で含有される元素である。ところで、Niは、溶解する上で0.10%以上が必要であり、さらに焼入性と靱性を向上させるのに有効な元素であるが、Niは高価な元素であるので、コストを増加させる。そこで、Niは0.10〜1.50%、望ましくは0.15〜1.00%とする。
【0026】
Mo:0.05〜2.50%
Moは、上記の選択的に含有される条件の下で含有される元素である。ところで、Moは、溶解する上で0.05%以上が必要であり、さらに焼入性と靱性を向上させるのに有効な元素であるが、Moは高価な元素であるので、コストを増加させる。そこで、Moは0.05〜2.50%、望ましくは0.05〜2.00%とする。
【0027】
V:0.01〜0.50%
Vは、上記の選択的に含有される条件の下で含有される元素である。ところで、Vは、溶解する上で0.01%以上が必要であり、さらに炭化物を形成し、結晶粒を微細化させるのに有効な元素であるが、Vは0.50%より多く含有されると結晶粒微細化の効果が飽和し、コストを増加させ、さらにVは多量に炭窒化物を形成することで加工特性を悪化させる元素である。そこで、Vは0.01〜0.50%、望ましくは0.01〜0.35%とする。
【0028】
アスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトは全セメンタイトの90%以上
球状化の指標に、球状化炭化物の(長径÷短径)比で定義するアスペクト比の大きな、例えば板状あるいは柱状に近い形状のセメンタイトは、変形時にセメンタイトの端部において応力集中を引き起こしき裂の発生箇所となり易い。一方で、球状に近いセメンタイトであれば、応力集中する箇所がなく、き裂の発生箇所となる危険性は低くなる。図1にアスペクト比の大きなセメンタイトがき裂の発生箇所となる模式図を示す。そのため、アスペクト比が1に近い、すなわち球状に近いセメンタイトが多く分散している組織の方が、アスペクト比の大きなセメンタイトが多く分散している組織よりも、荷重が加わったときにセメンタイトからき裂の発生する危険性は少なくなり靱性は向上する。アスペクト比が1.5以下であれば、き裂発生の起点となる有害性を下げることができ、そのセメンタイトの個数が全体のセメンタイトの個数に対して占める個数の割合が大きいほど好ましい。そこで、アスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトは全セメンタイト数の90%以上、好ましくは95%以上(100%を含む。)とする。なお、図1に矢印で示す変形荷重は圧縮に限定するものではない。
【0029】
旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合は、全セメンタイト数の20%以下
本願の請求項1の鋼は、化学成分のCの含有量からみて過共析鋼の範囲であり、過共析鋼において耐衝撃特性を劣化させる脆性破壊の形態は、主に旧オーステナイト粒界に沿った粒界破壊である。この原因となるのは、旧オーステナイト粒界上のセメンタイト(特に粒界に沿った網目状の炭化物)であり、この粒界に析出して存在するセメンタイトは粒内のセメンタイトよりも破壊の起点となり易くかつ有害性が高い。したがって、このようなセメンタイトが粒界上に存在すると好ましくない。そこで、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合は全セメンタイト数の20%以下、望ましくは10%以下、さらに望ましくは5%以下(0%も含む。)とする。
【0030】
旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトは、粒径の大きさの90%以上が粒径1μm以下
上記の段落に示すように、セメンタイトが旧オーステナイト粒界上に存在することは好ましくない。特に、粒界に沿った網目状の炭化物やそれに類似するような粗大な炭化物は粒界破壊の起点となる危険が増加する。そのため、球状化セメンタイトは、粒径の大きさの90%以上が有害性の低い粒径1μm以下、好ましくは95%以上(100%を含む)であるとする。
ただし、ここでの%は走査型電子顕微鏡の5000倍程度で観察できる炭化物の全個数を100%とした時の割合である。上記の倍率で観察できない非常に微細な炭化物は靭性に与える影響は小さいため考慮しない。
【0031】
旧オーステナイト粒径の大きさは、1〜5μmである
旧オーステナイト粒径は、微細化することで、粒界破壊もしくはへき開破壊の破壊単位を小さくすることができ、破壊に要するエネルギーを大きくすることができるため、靭性を向上させことができる。また、旧オーステナイト粒径を細かくすることにより、PやSといった粒界に偏析し靭性を劣化させる不純物元素の偏析を軽減させることができる。そのため、結晶粒径の微細化は硬度を下げることなく靭性を向上させる方法として非常に有効である。ところで、旧オーステナイト粒径の大きさは1〜5μmとする理由は、工業的に安定して旧オーステナイト粒径の大きさが1μm未満である製品を製造することは困難であって、コスト増の原因となるため、旧オーステナイト粒径の大きさの下限値を1μmとする。一方、旧オーステナイト粒径の大きさの上限値を5μmとすることにより、上記の効果が顕著となり、硬度と靭性のバランスの取れた鋼材が得られる。そこで、旧オーステナイト粒径の大きさは、1〜5μmである、とする。
【0032】
次いで、本願の発明の実施の形態を、実施例および表を参照して、以下に説明する。
【実施例】
【0033】
表1に示す、実施例鋼のNo.1〜7と比較例鋼のNo.8〜11の化学組成を有する鋼を100kg真空溶解炉で溶製し、得られたこれらの鋼を1150℃で熱間鍛造により直径26mmの丸棒とし、その後250mmに切断し、これを供試材とした。次いで、図2に示すように焼ならし処理として、これらの丸棒鋼を1000℃に15分間保持した後、600℃までガス冷却し、600℃で3時間保持後、空冷とする熱処理を行った。その後、図3に示すように、780℃から650℃まで炉冷とする熱処理を2回繰り返す球状化焼なましを行った。その後、10RCノッチのシャルピー衝撃試験片の粗形にそれぞれ加工し、図4に示すように、780〜840℃の温度範囲で30分保持し油焼入れを2回以上行った。その後、置割れ防止のため150℃で40分保持して空冷する仮焼戻し処理を行った。その後、180〜220℃の温度範囲で90分保持して空冷する焼戻し処理を行った。さらに、これらの粗形を仕上げ加工し、図5に示す10RCノッチのシャルピー衝撃試験片とした。
なお、表1において、Niの0.06〜0.08%の*、Moの0.04%の*で示すもの、およびVのハイフンで示すものは、いずれも不可避不純物のものである。よって、実施例鋼のNo.1およびNo.2は請求項1に該当する鋼であり、実施例鋼のNo.3〜7は請求項2に該当する鋼である。
【0034】
【表1】
【0035】
これらの10RCノッチのシャルピー衝撃試験片を用いて、室温でシャルピー衝撃試験を行った。さらに、これらの試験片を用いて、硬さ測定ならびに走査型電子顕微鏡観察を行うことにより、旧オーステナイト粒径を求めた。
【0036】
以上のシャルピー衝撃試験、硬さ測定、および走査型電子顕微鏡観察として、旧オーステナイト粒径(μm)、HRC硬さ、およびシャルピー衝撃値(J/cm2)を表2に記載する。また、焼入れ後の組織の形態である、アスペクト比が1.5以下の球状化セメンタイトの個数が占める割合、旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの個数が占める割合、および旧オーステナイト粒界上の球状化セメンタイトの粒径の大きさについても表2に記載する。
【0037】
【表2】
【0038】
表2において、比較例鋼のNo.8〜11の網掛けをしている部分は、本願の請求項から外れているものである。これらの請求項から外れている比較例鋼では、いずれもシャルピー衝撃値が40J/cm2に満たないものであって、これらの鋼種は硬さおよび靱性が両立できなかった。一方で、請求項をすべて満足する実施例鋼は硬さが58HRC以上でかつシャルピー衝撃値が40J/cm2以上であり、硬さおよび靱性が両立できていることが分かる。組織の一例として、図6に実施例鋼No.3の焼入れ後の組織を示す。組織はマルテンサイト組織とセメンタイトの二相組織である。組織中のセメンタイトについて、アスペクト比が1.5以上のセメンタイトは少なく、また旧オーステナイト粒界上のセメンタイトは少なく、旧オーステナイト粒界上のセメンタイトの内、1μmより大きなセメンタイトは少なく、かつ旧オーステナイト粒径は3μmであり、本願請求範囲とする組織が得られていることが分かる。
図1
図2
図3
図4
図5
図6