(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-02-09
(45)【発行日】2023-02-17
(54)【発明の名称】高硬度かつ靱性に優れる鋼
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20230210BHJP
C22C 38/46 20060101ALI20230210BHJP
C21D 9/00 20060101ALN20230210BHJP
【FI】
C22C38/00 301A
C22C38/46
C21D9/00 A
(21)【出願番号】P 2019536749
(86)(22)【出願日】2018-08-08
(86)【国際出願番号】 JP2018029752
(87)【国際公開番号】W WO2019035401
(87)【国際公開日】2019-02-21
【審査請求日】2021-06-10
(31)【優先権主張番号】P 2017158007
(32)【優先日】2017-08-18
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】504176911
【氏名又は名称】国立大学法人大阪大学
(73)【特許権者】
【識別番号】000001236
【氏名又は名称】株式会社小松製作所
(73)【特許権者】
【識別番号】000180070
【氏名又は名称】山陽特殊製鋼株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100185258
【氏名又は名称】横井 宏理
(74)【代理人】
【識別番号】100101085
【氏名又は名称】横井 健至
(74)【代理人】
【識別番号】100134131
【氏名又は名称】横井 知理
(72)【発明者】
【氏名】南埜 宜俊
(72)【発明者】
【氏名】萩原 幸司
(72)【発明者】
【氏名】山本 幸治
(72)【発明者】
【氏名】王生 翔平
(72)【発明者】
【氏名】平塚 悠輔
(72)【発明者】
【氏名】藤松 威史
(72)【発明者】
【氏名】杉本 隼之
【審査官】守安 太郎
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2017/039012(WO,A1)
【文献】特開2017-057479(JP,A)
【文献】特開平07-300651(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00-38/60
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.40~1.00%、Si:0.10~2.00%、Mn:0.10~1.00%、P:0.030%以下、S:0.030%以下、Cr:1.10~3.20%、Al:0.010~0.10%、V:0.15~0.50%を含有し、さらに、Ni:2.50%以下およびMo:1.00%以下の少なくとも1種を含有し、(C+V)量が質量%で0.60%以上であり、残部がFeおよび不可避不純物からなる鋼であり、ミクロ組織がFe系のε炭化物が微細分散したマルテンサイト組織であり、その旧オーステナイト粒径が20μm以下であり、
前記マルテンサイト組織中には直径0.50μm以下のV含有微細炭化物が分散して析出しており、V含有微細炭化物の析出量は全マルテンサイト体積の0.10~0.90vol.%である、高硬度かつ靱性に優れる鋼。
【請求項2】
質量%で、C:0.40~1.00%、Si:0.10~2.00%、Mn:0.10~1.00%、P:0.030%以下、S:0.030%以下、Cr:1.10~3.20%、Al:0.010~0.10%、V:0.15~0.50%を含有し、さらに、Ni:2.50%以下およびMo:1.00%以下の少なくとも1種を含有し、(C+V)量が質量%で0.60%以上であり、残部がFeおよび不可避不純物からなる鋼であり、ミクロ組織がFe系のε炭化物が微細分散したマルテンサイト組織であり、その旧オーステナイト粒径が20μm以下であり、
前記マルテンサイト組織中におけるセメンタイト析出量が全マルテンサイト体積の0.50vol.%以下であるミクロ組織を有する高硬度かつ靱性に優れる鋼。
【請求項3】
請求項1の化学成分およびミクロ組織を有し、
前記マルテンサイト組織中におけるセメンタイト析出量が全マルテンサイト体積の0.50vol.%以下である、請求項1に記載の高硬度かつ靱性に優れる鋼。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、自動車、航空機、船舶、その他輸送機械、土木機械、建築機械、産業機械などの機械で歯車、シャフトなどの駆動系用途部品、減速機部品、掘削機構用途部品またはその周辺機構用途部品、軸受部品、などの部品に使用される特に耐摩耗性や耐久性に優れた高硬度かつ靱性に優れる鋼に関する。
【0002】
本出願は、2017年8月18日出願の日本出願第2017-158007号に基づく優先権を主張し、当該日本出願に記載された全ての記載内容を援用するものである。
【背景技術】
【0003】
輸送機械や各種機械などの部品に使用される鋼、特に優れた耐摩耗性や疲労特性などを必要とする部品に使用される鋼は、焼入れによって高硬度化して使用されることが一般的である。ところで、焼入れによってマルテンサイト組織を主体とされた鋼材は、C(炭素)の含有量により硬度が決まるので、C含有量を高めることで鋼材の硬度を上昇させて高硬度化することができる。しかし、鋼材の高硬度化は、その反面として靱性を低下させるので、衝撃が加えられた場合に、鋼材に割れを生じやすくなる。そのため、このような鋼材には、硬度と靱性のバランスが要求される。
【0004】
この点、従来技術としては、異物混入環境下ならびに高温環境下において優れた転動疲労寿命を有する高温用転がり軸受部品の発明が提案されている(例えば、特開2000-204444号公報(特許文献1)参照。)。この提案の発明は、本願発明のようにVを必須元素として添加する必要がない反面、焼戻し処理後の組織中の最大炭化物径が8μm以下に規制するのみであるから、8μmまたは8μm近くの大きな炭化物が含まれるものであっても転動疲労寿命に優れていることを特徴としているものの、さらに両立的に高靱性までも得られるかどうかについては記載が無く、特許文献1には高靱性への対応について何らの示唆もされていない。
【0005】
他方で、輸送機械や各種機械などの部品に用いられる高硬度でかつ靱性に優れた鋼の発明が提案されている(例えば、特開2017-057479号公報(特許文献2)参照。)。この提案の発明では、オーステナイトとセメンタイトの二相域となる温度域に加熱したのちに焼入れして組織をマルテンサイトと球状化セメンタイトに調整しており、その炭化物の大きさや形状および分布状態をコントロールすることにより、特に粒界上から炭化物を排除することにより、靱性を大きく向上させようとしている。しかし、この発明では、二相域での加熱とそれに続く焼入れが必須の作業となるため、適切な炭化物の状態とするためには、保持時間や温度の管理を厳密に行う必要があるので、実施に際しての工程の負荷が大きくなる点が問題である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】特開2000-204444号公報
【文献】特開2017-057479号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本願の発明が解決しようとする課題は、中炭素以上のCを含有する鋼、すなわち中炭素鋼や高炭素鋼と呼ばれる鋼に対して、セメンタイトの固溶温度以上のオーステナイト領域からの高温焼入れといった簡便な熱処理方法をとりうる、高硬度で高靱性の鋼を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
一般的に化学成分として中炭素以上のCを含有する鋼におけるオーステナイト領域からの高温焼入れでは、高温の加熱温度でセメンタイトが全固溶してしまい、結晶粒界のピン止めが効かなくなるので、オーステナイト粒は粗大化し、焼入れ後も結晶粒径すなわち旧オーステナイト粒径が粗大なままとなるため、脆性破壊である粒界破壊を引き起こしやすくなることによって靱性は低下する。
【0009】
そこで、本願発明の手段では、中炭素以上のCを化学成分に含有する鋼にVを添加した鋼としている。Vを必須の添加元素として含有させると、高温の処理温度となるオーステナイト領域で存在するV含有微細炭化物がオーステナイト粒界の移動をピン止めしてオーステナイト粒径を微細に保つことができるので、これによって、焼入れ後に生じるマルテンサイト粒径が微細に保たれ、延性破壊が主体となることで高い靱性が得られる。具体的には、以下に記載する本願発明の手段のものとすることで、本願発明はその効果が得られることを見出した。
【0010】
上記の課題を解決するための本願発明の手段では、第1の手段は、質量%で、C:0.40~1.00%、Si:0.10~2.00%、Mn:0.10~1.00%、P:0.030%以下、S:0.030%以下、Cr:1.10~3.20%、Al:0.010~0.10%、V:0.15~0.50%を含有し、さらに、Ni:2.50%以下およびMo:1.00%以下の1種または2種を含有し、(C+V)量が質量%で0.60%以上であり、残部がFeおよび不可避不純物からなる鋼である。さらに、この鋼は、ミクロ組織が130℃~250℃で低温焼戻しされたマルテンサイト組織であり、その旧オーステナイト粒径が20μm以下である、高硬度かつ靱性に優れる鋼である。
【0011】
第2の手段は、本願発明の第1の手段の化学組成およびミクロ組織を有し、その130℃~250℃で低温焼戻しされたマルテンサイト組織中には、析出された直径0.50μm以下のVを含有する微細炭化物(以下、V含有微細炭化物という。)が分散されており、このV含有微細炭化物の析出量は全てのマルテンサイトの体積(以下「全マルテンサイト体積」という。)に占める割合に換算すると0.10~0.90vol.%である、第1の手段の高硬度かつ靱性に優れる鋼である。
【0012】
第3の手段は、本願発明の第1の手段の化学組成およびミクロ組織を有し、130℃~250℃で低温焼戻しされたマルテンサイト組織中におけるセメンタイト析出量が全マルテンサイト体積の0.50vol.%以下である、第1の手段の高硬度かつ靱性に優れる鋼である。
【0013】
第4の手段は、本願発明の第1の手段の化学組成およびミクロ組織と第2の手段のミクロ組織を有し、130℃~250℃で低温焼戻しされたマルテンサイト組織中におけるセメンタイト析出量が全マルテンサイト体積の0.50vol.%以下である、第2の手段の高硬度かつ靱性に優れる鋼である。
【発明の効果】
【0014】
本願発明では、高温焼戻しでは得ることができない高硬度が、130℃~250℃で低温焼戻しされてFe系のε炭化物が微細分散されたマルテンサイト組織としたことで得られている。そして、Vを必須の添加元素として含有させることで、焼入れの加熱温度で存在するV含有微細炭化物がオーステナイト粒界の移動をピン止めしてオーステナイト粒径が20μm以下の微細な大きさに保つことができ、これによって、焼入れ後には、旧オーステナイト粒径が20μm以下となっていることでマルテンサイト組織が微細化し、それによって、破壊の形態が延性破壊主体となることで高い靱性が得られる。これらにより鋼製部品を高硬度で高靱性な鋼とすることで、高い靱性を必要とする輸送機械や各種機械などの部品が供給できるなど有益な効果が得られる。
【0015】
また、マルテンサイト組織中に直径0.50μm以下のV含有微細炭化物が分散して析出しており、その析出量は全マルテンサイト体積の0.10~0.90vol.%とすると、V含有微細炭化物自体の脆さによる靱性低下を引き起こすことなく、結晶粒微細化効果が得られ、旧オーステナイト粒径の粗大化が抑制される結果、高硬度でありながら高い靱性が達成される。
【0016】
さらに130℃~250℃で低温焼戻しされたマルテンサイト組織中のセメンタイト析出量を全マルテンサイト体積の0.50vol.%以下とすることによって、通常であれば粒界上で成長しやすく、焼入れ焼戻し後に粒界に沿った割れを引き起こしやすいセメンタイトの析出量を本願発明では量的に制限することによって、靱性を低下させないものとしている。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本願発明の実施の形態の記載に先立ち、本願発明の手段に係る発明の構成要件である、Feおよび不可避不純物を除く各鋼の化学成分の限定理由、並びに各発明鋼のミクロ組織を130℃~250℃で低温焼戻しされたマルテンサイト組織とする理由、マルテンサイト組織中のV含有炭化物量の大きさとその析出量を限定する理由、全マルテンサイト体積中に占めるマルテンサイト組織中のセメンタイトの析出量の割合を限定する理由、および旧オーステナイト粒径を限定する理由について、以下に順次説明する。なお、化学成分における%は質量%である。
【0018】
C:0.40~1.00%
Cは、焼入れ焼戻し後における、硬度、耐摩耗性および疲労寿命を向上させる元素である。しかし、Cが0.40%未満では十分な硬度は得られない。一方、Cが1.00%より多いと、靱性を阻害するのみならず、鋼素材の硬さが増加し、被削性および鍛造性などの加工性を阻害する。そこで、Cは0.40~1.00%とし、望ましくは0.50~1.00%とし、さらに望ましくは0.50%~0.90%とする。
【0019】
Si:0.10~2.00%
Siは、鋼の脱酸に有効な元素であり、鋼に必要な焼入性を付与し強度を高める働きをする。これらの効果を得るためには、Siは、0.10%以上必要であり、望ましくは0.20%以上必要である。一方、Siは、多く含有されると、素材硬さを増加し、被削性および鍛造性などの加工性を阻害する。そのため、Siは2.00%以下にする必要があり、望ましくは1.55%以下とする。そこで、Siは0.10~2.00%、望ましくは0.20~1.55%とするのがよい。
【0020】
Mn:0.10~1.00%
Mnは、鋼の脱酸に有効な元素であり、さらに、鋼に必要な焼入れ性を付与し、強度を高めるために必要な元素である。そのためには、Mnは0.10%以上添加する必要があり、望ましくは0.15%以上必要である。一方、Mnは多量に添加すると、靱性を低下させる作用があり、さらにSと結合することでMnSを形成することによっても靱性を低下させたり、加工中の割れを助長する作用があるため、1.00%以下とする必要があり、望ましくは0.70%以下とする。よって、Mnは0.10~1.00%とし、望ましくは0.15~1.00%とし、さらに望ましくは0.15~0.70%とする。
【0021】
P:0.030%以下
Pは、鋼中に不可避的に含有される不純物元素であり、粒界に偏析し、靱性を劣化させる。そこで、Pは、0.030%以下、望ましくは0.015%以下とするのがよい。
【0022】
S:0.030%以下
Sは、Mnと結合してMnSを形成して靱性を劣化させる元素である。そこで、Sは、0.030%以下、望ましくは0.010%以下とするのがよい。
【0023】
Cr:1.10~3.20%
Crは、焼入れ性を向上させる元素であり、その効果を十分に得るには、Crは、1.10%以上必要で、望ましくは1.20%以上、さらに望ましくは1.35%以上必要である。一方、Crは過剰に添加すると、焼入れ後の冷却過程で粒界の炭化物析出を促すため、靱性に悪影響があり、それを防ぐためにCrは3.20%以下にする必要がある。望ましくは2.50%以下、さらに望ましくは2.30%以下とする。そこで、Crは、1.10~3.20%、望ましくは1.20~2.50%、さらに望ましくは1.35~2.30%とするのがよい。
【0024】
Al:0.010~0.10%
Alは、鋼の脱酸に不可欠な元素であり、添加が行われる。さらにNと結合してAlNを生成して、結晶粒粗大化を抑制する効果がある。これらの効果を得るためには、Alは0.010%以上必要である。一方、Alは多量に添加されると熱間加工性を損なうので0.10%以下にする必要があり、望ましくは0.050%以下とする。したがって、Alは0.010~0.10%とし、望ましくは0.015~0.050%とするのがよい。
【0025】
V:0.15~0.50%
Vは、Cと結合して微細な炭化物を形成し、その炭化物が焼入れの加熱時に結晶粒界をピン止めして結晶粒を微細に留める作用があり、結晶粒の微細化によって高い靱性を得るために必須の元素である。鋼の結晶粒界を炭化物で効果的にピン止めするためには、炭化物の固溶温度以上にいったん鋼を加熱して炭化物を固溶させておき、焼入温度への加熱の際に微細に析出させる必要がある。ところがNbやTiのような炭化物形成元素は、本願発明成分のC量に対して添加した場合、実用的な鋼材の加熱温度を大きく超える1250℃の加熱によっても炭化物を十分に固溶させることができないため、ピン止めに対して十分効果的でなく、かつ粗大な炭化物が残りやすいことから靱性に対しても悪影響がある。これに対して、V含有炭化物は、それより低温で固溶する特長があり、結晶粒界のピン止めに効果的に活用することが可能である。その効果を得るには、Vは0.15%以上の添加が必要であり、望ましくは0.20%以上、さらに望ましくは0.25%以上である。一方、Vは0.50%より多く含有されると、結晶粒微細化の効果が飽和するのみならず、Vを含有する粗大な炭化物が形成し、このV含有粗大炭化物が熱間加工性を阻害したり、靱性を低下させる。よってVは0.5%以下にする必要があり、望ましくは0.45%以下である。そこで、Vは0.15~0.50%とし、望ましくは0.20~0.50%とする。さらに望ましくは0.25~0.45%である。
【0026】
NiおよびMoは、いずれか1種または2種が含有される元素であり、以下を限定理由とする。
【0027】
Ni:2.50%以下
Niは、本発明では不純物としての含有(例えば、0.07%の含有量)も含むが、焼入れ性と靱性を向上させる有効な元素であり、添加してもよい。一方、Niは高価な元素であり、コストを増加させる。そこで、添加する場合のNiは2.50%以下、望ましくは1.70%以下とする。
【0028】
Mo:1.00%以下
Moは、本発明では不純物としての含有(例えば、0.04%の含有量)も含むが、焼入れ性と靱性を向上させる有効な元素であり、添加してもよい。一方、Moは高価な元素であり、コストを増加させる。そこで、添加する場合のMoは1.00%以下、望ましくは0.50%以下とする。
【0029】
C+V:0.60%以上
V含有微細炭化物の分散による結晶粒微細化作用を得るためには、CとVの合計量を少なくとも0.60%以上とする必要がある。
【0030】
(ミクロ組織をFe系のε炭化物が微細分散したマルテンサイト組織とする理由)
本願発明の鋼に高硬度を付与するためにミクロ組織はFe系のε炭化物が微細分散したマルテンサイトとする。Fe系のε炭化物が微細分散したマルテンサイトは、130℃~250℃の低温焼戻し処理により得られる。本願発明の鋼は、化学成分やその他本発明の手段に規定する規制によって、焼入れままで靱性の高い状態が得られることとなり、130℃~250℃の低温焼戻しにおいて優れた靱性が保たれることから、合金元素を必要以上に添加する必要が無い。他方、低温焼戻しに代えて、本願発明の成分範囲の鋼に対して500℃以上の温度で行われる高温焼戻しを行ってしまうと、2次硬化に寄与する合金元素量が少ないために、硬度が低下することとなる。すると、靱性はさらに高いものが得られるものの、高硬度が得られなくなることとなるので、必要とされる高硬度と高靱性が両立できなくなってしまう。そこで、130℃~250℃で低温焼戻しされたFe系のε炭化物が微細分散したマルテンサイト組織としている。
【0031】
(マルテンサイト中のV含有炭化物の最大直径を0.50μm以下とし、V含有炭化物の析出量を全マルテンサイト体積の0.10~0.90vol.%とする理由)
マルテンサイト中に直径0.50μm以下のV含有微細炭化物を分散させることで、旧オーステナイト粒径の粗大化を抑制して20μm以下とし、その結果、高硬度でありながら高い靱性を達成できる。これに対して分散しているV含有炭化物の直径が0.50μm以上の場合、結晶粒微細化の効果が小さくなり、靱性が低下する。また、V含有炭化物の析出量が体積%に換算して全マルテンサイト体積の0.10vol.%未満では、旧オーステナイトナイト粒径を微細にする効果が十分得られない。そこで、V含有炭化物の析出量は0.10vol.%以上とし、望ましくはV含有微細炭化物の析出量は、0.15vol.%以上とする。一方で、V含有微細炭化物の析出量が0.90vol.%を超えると、析出量が多くなりすぎてV含有炭化物を含む結晶粒自体が脆くなり、靱性が低下するため、0.90vol.%以下とし、望ましくは0.80vol.%以下とする。よって、V含有炭化物の最大直径は0.50μm以下に規制し、V含有炭化物の析出量は全マルテンサイト体積の0.10~0.90vol.%とし、望ましくは0.15~0.80vol.%とする。
【0032】
(セメンタイトの析出量の全マルテンサイト体積に占める割合は多くとも0.50vol.%以下とする理由)
セメンタイトは加熱時にオーステナイト粒界上で成長しやすく、これは焼入れ焼戻し後には粒界に沿った割れを引き起こしやすいため靱性を低下させる原因となる。そこで、セメンタイトの析出量は多くとも全マルテンサイト体積の0.50vol.%以下とする。
【0033】
(旧オーステナイト粒径が20μm以下、望ましくは15μm以下とする理由)
焼入焼戻し状態における旧オーステナイト粒径を微細化することで、脆性破壊を抑制することができるため、靱性を向上させことができる。さらに、旧オーステナイト粒径を細かくすることによって体積中の粒界面積が増加し、PやSといった粒界に偏析して靱性を劣化させる不純物元素が多くの粒界に分散することで個々の粒界への不純物の偏析量が軽減されることも、靱性の向上に寄与する。よって、旧オーステナイト粒径を20μm以下、望ましくは15μm以下とする。
【0034】
次いで、本願の発明の実施の形態を、実施例および表を参照して、以下に説明する。
【実施例】
【0035】
表1に示す、実施例鋼のNo.1~9と比較例鋼のNo.10~15の化学組成を有する鋼を100kg真空溶解炉で溶製し、得られたこれらの鋼を1150℃で熱間鍛造して直径26mmの丸棒鋼を製造した。なお、表1に必須の化学成分および不純物のPおよびSを示し、それら以外の残部であるFeおよび不可避不純物は表1から省いている。
【0036】
【表1】
上記の丸棒鋼の製造に続いて、これらの丸棒鋼を1000℃に15分間保持した後、600℃までガス冷却し、その後空冷する焼ならし処理を行った。この熱処理においてVの大部分はマトリクスに固溶した状態となっており、一部はV含有微細炭化物として析出している。その後、10RCノッチのシャルピー衝撃試験片の粗形状にそれぞれ加工し、実施例鋼のNo.1~9と比較例鋼のNo.10、12、13、14、15はセメンタイトの固溶温度以上のオーステナイト領域である950℃で60分保持してから油焼入れを行った。
【0037】
上記の熱処理において、実施例鋼のNo.1~9では、含有される焼入れの加熱・保持中に微細に析出したV含有炭化物が結晶粒をピン止めしている。なお、この焼入れのための加熱温度条件は実施例鋼のNo.1~9の鋼に対しては、本願発明の請求の範囲を満たすように選定したものであり、比較例鋼のNo.10、12、13、14、15のいずれもV添加無しの鋼に対しては、実施例鋼の加熱条件に合わせたものである。一方、Vを含有するなど化学成分自体は本願発明の範囲内にある比較例鋼のNo.11は、焼ならしに引き続いて加熱温度を810℃とする球状化焼なましを施してから、10RCノッチのシャルピー衝撃試験片の粗形状に加工したのち、セメンタイトとオーステナイトの2相域内温度である810℃で30分保持してから油焼入れする処理を2回繰り返して行った。この比較例鋼のNo.11の焼入れのための加熱条件は、V添加鋼においてセメンタイトとオーステナイトの2相域内で加熱を行った場合のシャルピー衝撃値を測定するための条件であり、この試験は本願のNo.1~9の実施例鋼と比較するために行った。
【0038】
その後、上記のいずれの粗加工した試験片についても、低温焼戻しとなる130℃~250℃の温度範囲で180分保持して空冷する焼入れ焼戻し処理を行った。さらに、これらの粗形状を仕上げ加工して、10RCノッチのシャルピー衝撃試験片とした。
【0039】
なお、熱処理に関して、実施例鋼のNo.1~9と比較例鋼のNo.10、12、13、14、15については、上記の処理では特に実施していないが、素材の加工性を良好にする目的のために、焼ならし処理後に、球状化焼なまし処理を追加してもよい。その場合の球状化焼きなまし条件は、本実施例に記載の上限温度に限定されるものではなく、鋼種に応じて調整してもよい。
【0040】
表2に、実施例鋼ならびに比較例鋼の発明の実施の形態のもとでの、HRCで示す硬さ、V含有炭化物の最大直径、全マルテンサイト体積に対するV含有炭化物析出量、セメンタイトの析出量、旧オーステナイト粒径、およびシャルピー衝撃値をそれぞれ示した。
【0041】
【0042】
実施例のNo.1~9は、いずれも57HRC以上の高硬度でありながら、10RCノッチのシャルピー衝撃値が100J/cm2を超えているなど靱性に非常に優れる。この高い靱性は、本願発明のV必須添加とする鋼において、シャルピー衝撃試験機による打撃時に試験片が脆性的に破壊するのではなく、ある程度の延性的な変形をしてから破壊に至ることによって達成されるものである。比較例鋼のNo.10、12、13、14、15はVが無添加であり、また、Vが添加されているNo.11は、化学成分は本願発明の範囲内であるが、熱処理の結果として本願発明範囲から外れる状態となっており、いずれも衝撃値が実施例鋼に比べて低くなっている。
【0043】
特にNo.11の結果は、化学成分はもとより、適切なミクロ組織に制御することが硬さと靱性を両立させるために有用であることを示している。またNo.14、15の結果から周期律表上では同属に分類されるVとNbであるが、Vでは硬さと靱性を両立させることが可能であるのに対してNbではNb含有炭化物を結晶粒界のピン止めに有効に活用することができないので硬さと靱性の両立が図れないなど、安易に置換しうるものではないことも明らかである。このように、添加元素としてはVを添加することが有用であることが明確となった。
【0044】
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって、どのような面からも制限的なものではないと理解されるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなく、請求の範囲によって規定され、請求の範囲と均等の意味および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。