ホーム > 知財判決速報/裁判例集 > 平成29(ワ)17070 職務発明の譲渡対価請求事件
裁判所 | 請求棄却 東京地方裁判所 |
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裁判年月日 | 平成30年9月14日 |
事件種別 | 民事 |
当事者 | 被告ファイザー株式会社松田俊治 |
法令 |
特許権 民法147条3号1回 特許法35条3項1回 特許法35条4項1回 特許法35条1回 |
キーワード | 職務発明40回 特許権10回 実施5回 優先権2回 分割1回 |
主文 | 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。事 実 及 び 理 由25第1 請求 1 被告は,原告に対し,2億円及びこれに対する平成29年6月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 3 仮執行宣言第2 事案の概要5 1 本件は,被告の元従業員であった原告が,被告に対し,平成16年法律第79号による改正前の特許法35条(以下「旧35条」といい,上記法律による特許法の改正を「平成16年特許法改正」という。)3項に基づき,上記職務発明に対する相当の対価の一部である2億円及びこれに対する請求の日の後である平成29年6月30日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分10の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 2 前提事実(当事者間に争いのない事実又は文中掲記した証拠及び弁論の全趣旨により認定することができる事実)(1) 当事者等ア 被告は,医薬品,動物用医薬品の製造,販売及び輸出入等を業とする株式15会社であり,アメリカ合衆国ニューヨーク州に所在するファイザー・インコーポレイテッド(以下「ファイザー本社」という。)の日本法人である(以下,被告を含むファイザー本社の傘下の企業グループを「ファイザーグループ」という。)。イ 原告は,被告(当時の商号は台糖ファイザー株式会社であり,その後,数20次にわたる商号変更,組織変更,合併等を経て現在の被告に至るが,被告の前身となる法人も含め,以下「被告」という。)に昭和63年に入社し,名古屋中央研究所(以下「中央研究所」という。)の合成化学研究室に配属され,B(以下「B」という。)をリーダーとするグループにおいて,化合物合成業務に従事していた。そして,原告は,平成3年4月12日,キヌクリ25ジン誘導体CJ-11,972(マロピタント)の合成に成功した。(2) ファイザー本社の特許権ア ファイザー本社は,以下の特許権(以下「先行特許権」といい,これに係る特許を「先行特許」という。)を有していた。(甲4)登録番号:特許第1946363号発明の名称:キヌクリジン誘導体及びその組成物5出願日:平成元年11月20日優先日:1988年(昭和63年)11月23日優先権主張国:米国発明者:C(以下「C」という。)イ ファイザー本社は,以下の特許権(以下「本件特許権」といい,これに係10る特許を「本件特許」という。)を有していた。その特許請求の範囲の請求項1及び2の記載は,別紙「発明の内容」記載1及び2のとおりである(このうち,請求項2に記載の発明を「本件発明」という。)。(甲1)登録番号:特許第2645225号発明の名称:キヌクリジン誘導体15原出願日:平成4年4月28日(特願平5-500353号)分割出願日:平成6年10月5日(特願平6-241456号)登録日:平成9年5月2日優先日:平成3年5月31日優先権主張国:米国20発明者:B,D(以下「D」という。),原告,E(以下「E」といい,BからEまでの4名を「原告ら4名」という場合がある。),C,F,G(3) 本件発明に係る特許を受ける権利の譲渡本件発明は,その性質上被告の業務範囲に属し,かつ,被告における原告の25職務に属する職務発明である。本件発明に係る日本及び外国で特許を受ける権利は,被告の発明考案規程(平成2年1月1日施行。以下「本件発明考案規程」という。乙5)3条に基づき,原告を含む発明者から被告に譲渡され,その後,遅くとも本件特許の出願日までにファイザー本社に譲渡された。(甲1)(4) 職務発明の発明者に対する金員の支払に関連する被告の規定ア 被告の社員就業規則(乙9)には,褒賞に関する以下の趣旨の定めがある5(ただし,以下の規定の内容は,平成18年6月1日改定に係るもの)。第23条(褒賞の基準)1項 会社は,次の各号の一に該当する社員を褒賞する。① 品行方正,技能優秀,業務に熱心で衆の模範となる者② 事業上有益な発明改良又は工夫考案をした者10③ 事業上有益となる重大な事項を献策報告した者④ 火災その他の災害を未然に防ぎ,又は災厄に際し特に功労があった者⑤ 永年誠実に勤務した者⑥ 前各号に準ずる篤行又は功労のあった者152項 褒賞は,原則として前項2号及び5号に該当する場合を除き,所属長の上申に基づいて褒賞委員会に諮り,これを行う。(3項略)第24条(褒賞の種類)褒賞は,次の一又は二以上を併せ行い,かつこれを社内に周知させる。20①賞状授与,②賞品授与,③賞金授与,④褒賞休暇,⑤昇給,⑥昇格イ 本件発明考案規程(乙5)には,前記(3)記載の規定(職務発明の譲渡)のほか,次の趣旨の規定がある。第5条(褒賞)会社は,職務発明をした社員等を職務発明褒賞基準に基づき褒賞する。25第6条(褒賞委員会)会社は,前条の規定に基づく褒賞を公正適切に行うために褒賞委員会を置き,この褒賞委員会の審査に基づいて褒賞をする。ウ 被告の職務発明褒賞基準(昭和58年12月7日施行。以下「本件褒賞基準」という。乙6)には,次の趣旨の定めがある。(ア) 本基準は,社員就業規則23条の規定に該当する者に対して,社員就業5規則24条の規定により与えられる褒賞の基準を定めるものである。(イ) 会社は,社員等が事業上有益な発明,改良又は工夫考案をした場合,当該発明について会社が工業所有権の登録出願をすべきものと判断したものについて,日本国における出願1件につき次の褒賞金を支給する(外国出願時には改めて支給はしない。)。10特許 出願時1万円 登録時2万円(ウ) 複数の社員等が共同して完成した発明については,共同発明者の人数で上記金額を均分した額を各発明者に支払う。(5) 被告から原告への金員の支払等原告は,平成19年5月25日,被告から振込により200万円(以下「本15件支給金」という。)の支払を受け,その後,表彰状(以下「本件表彰状」という。甲3)の授与を受けた(なお,本件支給金が本件特許を受ける権利の譲渡の対価としての性質を有するか否かについては争いがある。)。(6) ファイザーグループにおける本件特許実施品の販売本件発明に基づき,ファイザーグループにおいて,有効成分をマロピタント20とする犬用の制吐剤「セレニア」(以下,単に「セレニア」という。)が開発され,欧米諸国においては平成18年から,我が国においては平成23年から販売されるようになった。セレニアは,本件発明の技術的範囲に属する実施品である。(7) 本訴の提起25原告は,平成29年5月24日,本訴を提起した。(8) 被告による消滅時効の援用被告は,原告に対し,平成30年7月11日の第2回口頭弁論期日までに,後記第3の2(被告の主張)(1)~(3)に記載の消滅時効を援用する旨の意思表示をした。 3 争点5(1) 原告の旧35条3項に基づく対価請求権の有無及びその額(2) 消滅時効の成否第3 争点に関する当事者の主張 1 争点(1)(原告の旧35条3項に基づく対価請求権の有無及びその額)について10(原告の主張)(1) 本件特許を受ける権利の譲渡に係る原告の職務対価請求権については,平成16年法律第79号附則2条により旧35条が適用されるところ,勤務規則等により職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させた従業者等は,当該勤務規則等に,使用者等が従業者等に対して支払うべき対価に関す15る条項がある場合においても,これによる対価の額が同条4項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは,同条3項の規定に基づき,その不足する額に相当する対価の支払を求めることができる(最高裁平成13年(受)第1256号同15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁参照)。20また,外国の特許を受ける権利の譲渡に伴う対価請求についても,同条3項及び4項の規定が類推適用され,同条3項に基づく同条4項所定の基準に従って定められる相当の対価の支払を請求することができる(最高裁平成16年(受)第781号同18年10月17日第三小法廷判決・民集60巻8号2853頁参照)。25したがって,原告は,本件褒賞基準など勤務規則等により定められる対価の額が旧特許法35条4項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは,同条3項に基づき,同条4項の規定に従って定められる対価の額に不足する額に相当する対価の支払を求めることができることになる。(2) 原告は,被告から,本件特許を受ける権利の譲渡の対価として,平成19年5月25日に本件支給金200万円の支払を受けたが,その支給額は本件発明5の多大な功績に照らすとあまりに不十分である。このため,原告は,被告に対し,本件特許など日本における特許を受ける権利のみならず,外国特許(別紙「本件特許に対応する外国特許」記載のものを含むがこれに限らない。)の特許を受ける権利の譲渡に関し,旧特許法35条3項に基づき,同条4項の規定に従って定められる対価の額に不足する額に相当する対価の支払を求めるこ10とができる。(3) ファイザーグループにおけるセレニアの売上高は1000億円程度と考えられるが,これに対する先行特許及び本件特許の貢献度は5%であるから,これを金額に換算すると50億円となる。そして,セレニアの製造にはマロピタントの合成が不可欠であるから,製品化への貢献度は先行特許より本件特許の15方が大きく,先行特許の特許期間満了後は本件特許のみにより独占権が維持されることからすれば,本件特許の貢献度は,上記50億円の60%である30億円と評価すべきである。(4) 本件特許の発明者は7名とされているが,セレニアの有効成分であるマロピタントの合成に実質的に寄与したのは,原告,B及びDの3名のみであり,そ20の中でも実際に最初の合成に成功した原告の貢献度が圧倒的に高い。そうすると,本件発明に対する原告の貢献度は,40%と評価すべきである。(5) したがって,原告による本件発明の譲渡の対価額は,12億円(=50億円×0.6×0.4)となり,本件支給金による200万円を控除した残額は,11億9800万円となるところ,そのうち2億円及びこれに対する遅延損害25金の支払を求める。(被告の主張)原告の主張は,否認し争う。(1) 原告が本件で請求している対価の対象は,国内特許である本件特許に係る特許を受ける権利の譲渡に限られるところ,日本国内におけるセレニアの平成23年度の売上高は約6000万円であったから,売上総額は,原告主張のよう5な多額とはならない。(2) セレニアには,本件特許以外にも多数の関連特許が存在するから,本件発明により使用者等が受けるべき利益の額の算定に当たっては,これらの関連特許の存在及び内容が考慮されるべきである。(3) 本件特許の開発及びその実施品の売上げに対する被告の貢献度は極めて大10きいと評価されるべきである。製薬産業には,研究開発投資が大きく,研究開発のリスクが高いという特徴があり,本件発明は,キヌクリジン誘導化合物の開発をファイザーグループが加速して行っていく流れの中で必然的に生まれたものである。(4) 原告は,先行特許の発明によって基本骨格が定まっていたキヌクリジン誘導15体のベンジル基上に置換基を導入することを検討する過程において,Bらの指示に基づき,容易に想定し得る置換基の組合せに基づく合成処理を実施したにすぎない。また,そもそも,中央研究所は商業的に利用される製造方法について研究する機関ではないから,原告は,マロピタントの商業的製造方法の開発に貢献し20ていない。さらに,本件発明当時,ファイザーグループにおいては,人間に対する処方薬を目的とする開発が行われていたが,その後,動物に対する医薬品に転用することになった結果,セレニアの上市に至ったもので,こうした経緯に原告は何ら関与していない。25(5) 以上のとおりの製薬業界一般の事情及び本件固有の事情などを考慮すると,本件特許に係る特許を受ける権利の対価が原告の主張するような金額になることはあり得ない。 2 争点(2)(消滅時効の成否)について(被告の主張)(1) 平成19年5月2日の経過による消滅時効の完成5本件特許を受ける権利の譲渡の対価に関する被告の規程等は,本件発明考案規程及びこれに基づく本件褒賞基準であるが,本件褒賞基準は,出願時褒賞金として1万円,登録時褒賞金として2万円を支払う旨を定めており,実績補償金に関する規定は存在しない。したがって,遅くとも,原告の被告に対する職務発明対価請求権の消滅時効の起算日は,本件特許権の登録日の翌日である平10成9年5月3日であり,同日から10年の経過で消滅時効が完成した。仮に,本訴の請求の対象に外国特許が含まれるとしても,本件褒賞基準は「日本国における出願1件につき次の褒賞金を支給する。(外国出願時には改めて支給はしない。)」と規定しているので,外国の特許を受ける権利の承継については,これに対応する日本特許の出願・登録があった際に併せて出願時及び15登録時褒賞金が支払われることが想定されていた。そうすると,外国の特許を受ける権利に係る職務発明対価請求権の消滅時効の起算日はこれに対応する日本特許と同一であり,本件特許権の登録日の翌日である平成9年5月3日から10年の経過で消滅時効が完成していると解すべきである。(2) 平成19年末の経過による消滅時効の完成20仮に,平成9年末に被告から原告に対して登録時褒賞金が支払われたことにより職務発明対価請求権に係る時効が中断したとしても,平成19年末の経過により消滅時効が完成した。(3) 平成29年5月25日の経過による消滅時効の完成原告は,本訴状において,本件特許の特許を受ける権利の対価請求以外の請25求をしていないので,本件特許以外の特許(外国特許を含む。)に係る譲渡対価については,本件支給金の支払日の翌日を起算日としたとしても,それから10年の経過により再度の消滅時効が完成している。(4) 本件支給金の趣旨・性質についてア 原告は,本件支給金は本件特許を受ける権利の譲渡の対価(実績補償金)であると主張するが,本件支給金は社員就業規則23条1項6号に基づき,5上市について貢献があった者に対して与えられた報償(以下,固有名詞以外の一般的な用語としては「褒賞」ではなく「報償」との用語を用いる。)であって,本件特許を受ける権利の譲渡の対価(実績補償金)としての性質を持つものではないから,本件支給金の支払は,民法147条3号の承認にも時効完成後の債務承認にも当たらない。10イ 前記のとおり,本件特許権の出願(平成4年4月)及び登録(平成9年5月)当時,被告において特許を受ける権利の承継に適用されるのは,本件発明考案規程(平成2年1月1日施行)及び本件褒賞基準(昭和58年12月7日施行)のみであり,同褒賞基準には出願時褒賞金が1万円,登録時褒賞金が2万円と規定されていた。15その後,平成16年特許法改正の趣旨を踏まえ,被告社内では実績補償を含む新たな職務発明制度を設けるべきかどうかが検討されたが,平成17年8月25日頃,ファイザー本社から被告に対し,実績補償は行わない旨の方針が示された(甲13)。これを踏まえ,被告では,発明に係る権利の承継の対価を一律均等に特許出願時に5万円とし,実績補償は行わないこととし20た(甲14,20)。その上で,被告においては,平成18年9月頃,職務発明に係る制度とは異なる枠組みとして,発明者に限らず,医薬品の上市に対する従業員の貢献を全体として(total)とらえ,貢献があった者に対して広く報償(reward)するという新たな報償制度(以下「Total Reward 制度」ということがある。)25が設けられた。本件支給金は,その一環として,所属長の上申により,社員就業規則(平成18年6月1日改定)23条1項6号及び24条3号に基づき支払われたものであり,職務発明の対価に当たる金員につき定めた本件発明考案規程及び本件褒賞基準に基づき支払われたものではない。ウ 本件支給金が職務発明の対価として支払われたものではないことは,上記イの経緯に加え,①本件支給金の支払と同時に,社員就業規則23条1項65号及び24条1号に基づき本件表彰状が授与されていること,②原告への本件支給金は,被告において,実績補償金であれば該当するはずの雑所得ではなく,給与所得と取り扱われていること,③セレニアの上市に際しては,原告と同様に,本件特許の発明者ではないH(以下「H」という。),I(以下「I」という。)外3名にも支給金の支払及び表彰状の授与がされており,10特にH及びIに対しては,本件支給金よりも高額である250万円がそれぞれ支払われていること(乙11~13),④一方,本件特許の発明者のうち,D及びEに対しては報償金が支給されていないこと,⑤新たな社員報償金制度における報償の額は,特許発明から現に得た売上高,利益額,実施料収入等の具体的な金額に基づいて算定されるものとされていないことなどから15も明らかである。(原告の主張)(1) 平成9年末の登録時褒賞金の支払による時効中断被告は,平成9年12月末頃,本件特許の登録時褒賞金として2万円を支払い,発明者4人で均分した結果,原告は5000円を受領した。これにより,20原告の職務発明の対価請求権に係る被告の債務の消滅時効は,平成9年12月末に中断した。(2) 平成19年5月25日の本件支給金の支払による時効中断等前記のとおり,本件支給金は本件特許を受ける権利の譲渡の対価としての性質を有するので,上記(1)の時効中断後に進行した消滅時効は,本件支給金の25支払により再度中断した。また,仮に,それまでに消滅時効が完成していたとしても,被告は,本件支給金を支払うことにより時効完成後に債務の承認をしているので,消滅時効は改めてこの時点から進行し,本訴提起の時点では成立していない。(3) 平成29年5月24日の本訴提起による時効中断原告は,本訴提起の時点から,日本の特許及び外国の全ての特許に関する職5務発明対価請求をしているから,本訴提起により国内外全ての特許に係る職務発明対価請求権の消滅時効が中断した。(4) 本件支給金の趣旨・性質についてア 本件支給金は,事業上有益な発明改良又は工夫考案をした者を褒賞する旨の社員就業規則23条1項2号に基づき,本件発明による原告の会社への貢10献に対して支給されたものであり,実績補償的な職務発明の対価としての性質を有している。イ 平成16年特許法改正を受けて,被告においては,平成17年1月以降,報償提案委員会を設置するなどして,職務発明対価に係る報償制度についての検討が開始された。その後,ファイザー本社から,実績補償ではなく,発15明者に対して均等に対価を支払うという考え方のみが容認し得るとの考え方が示されたが,これは,ストックオプションの付与も含め,発明者に相応の処遇をすることを否定しないものであった。これを受けて,被告では,実績補償の内容を含まない報償制度を設けることが検討されたが,成案を得ることはできず,本件褒賞基準の「出願時1万20円 登録時2万円」という基準を「出願時5万円」に改定するという提案がされるにとどまった。しかし,被告においては,このような改定では発明者からの対価請求訴訟に対応することができないと認識されており,特に大きな利益を上げることが見込まれる本件発明に対する報償の必要性は社内で広く認識されていた。25本件支給金は,このような状況の下で支払われているものであり,その実質は職務発明の対価の一部に当たると考えるほかはない。被告は,本件支給金は新たな報償制度(Total Reward 制度)に基づくものであり,職務発明に対する褒賞金支払制度とは別のものであると主張するが,原告及びその当時の同僚で同制度が正式に制定されたと認識している者はおらず,被告の主張するような制度は創設されていない。5ウ 本件支給金が職務発明に対する対価としての性質を有することは,上記イの経緯に加え,①本件褒賞基準の定める支給額と比較して,本件支給金の200万円という金額は相当な高額であり,この中に本件特許を受ける権利の譲渡の対価部分が全く含まれないのは極めて不自然であること,②社員就業規則23条1項6号は,「全各号に準ずる篤行又は功労のあった者」と規定10しているが,発明による貢献が同項2号で明記されているのに,わざわざ6号を適用することは規定の解釈として不自然・不合理であること,③原告に本件支給金が支給された理由としては,本件発明に成功したこと以外には考えられず,実際上,本件表彰状にも「当社中央研究所における初の新薬『セレニア』に繋がるマロピタントの発見」に多大な貢献をしたと明記されてい15ること,④原告が本件支給金の支払を受けた理由について,Bは,被告の当時のJ常務取締役(以下「J常務」という。)から,セレニアの上市に伴いその発明者であるBと原告に対して報償するものであるとの説明を受けていたことなどからも明らかである。第4 当裁判所の判断20事案に鑑み,まず,争点(2)(消滅時効の成否)について判断する。 1 認定事実前記前提事実,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。(1) 本件特許は平成9年5月に登録されたところ,被告は,同年12月末頃,本25件褒章基準に基づき,本件発明の発明者に対し登録時褒賞金として2万円を支払い,発明者の一人である原告は均分により5000円を受領した。(乙6,弁論の全趣旨)(2) 中央研究所においては,平成16年特許法改正を踏まえ,平成17年1月,新たな発明報償制度について検討をするため,職場代表から構成される報償提案委員会が形成され,原告も同委員会のメンバーに加わった。同委員会におい5ては,職務発明に対する報償として,①発明を評価せず,発明者に均等に対価を支払う考え方(コンセプト1),②発明を評価し,実績期待値に対して対価を支払う考え方(コンセプト2),③実績に基づいて対価を支払う考え方(コンセプト3)の3つの選択肢について議論がされ,最終的に実績補償も含む内容の案が望ましいとの結論に至った。(甲8~11,20,22)10(3) 同委員会は,平成17年7月1日,中央研究所の各部署の責任者の合議体による意思決定機関であるNagoya Leadership Team(以下「NLT」という。)との合同会議においてその検討結果を報告し,NLTがこれを踏まえて検討の上,ファイザー本社の研究開発部門の長であるK(以下「K」という。)に提案を行い,その結果を同委員会にフィードバックすることとされた。(甲12)15(4) NLTは,検討の結果,コンセプト1の考え方を採用してKに提案することとし,平成17年8月1日,米国内で,Kらと会談を行った。その際,Kから,ファイザー本社ではコンセプト1のみが容認可能であるとの説明を受けるとともに,新薬が承認された場合に貢献者に対してストックオプションを付与することを検討してはどうかとの言及があった。(甲13,14)20(5) NLTは,平成17年9月13日,報償提案委員会との会議において,Kとの協議を踏まえ,被告においてコンセプト1が承認されたことを説明した上で,同月12日時点における最終案として,①職務発明の対価としては,出願時に5万円の報償金のみとし,実績に対する報償は行なわない,②その他の報償は,total rewardの一部として検討する,③total rewardの一環としてストックオ25プション等を検討するとの案を提示した。報償提案委員会は,同案を検討の上,これを受け入れることとした。(甲14,15〔スライド9及び12〕,20,乙15)(6) 被告においては,上記最終案を経営者と従業員の代表による取り決め案とすべく,平成18年1月以降,管理職や従業員らに対する説明や意見の聴取が行われた。その際には,実績に基づく対価の支払をせず,医薬品の発明者・貢献5者に広く報償する制度とする理由について,①医薬品の開発を成功させるためには,発明から開発,マーケティングに至るまで多くの人が関わるので,特定の発明者のみが高額の報償金を得ることは不公平であること,②発明を利用した製品の売上げの多寡は発明の価値とは直接結びつかないこと,③発明完成段階では新規化合物の人間に対する薬効・副作用の十分な予測は困難であり,開10発の途中で中止するリスクが高いこと,④ファイザーにおける研究はチームプレーであることなどによるものであると説明されている。(甲15,20,乙15)(7) セレニアは,平成18年から欧米諸国において,発売が開始された。被告は,平成19年5月25日,原告に対し,本件支給金を支給し,その後,本件表彰15状を授与した。本件表彰状(甲3)には,「新薬「セレニア」に繋がるマロピタントの発見その後の研究開発に多大なる貢献をされました よってここに表彰状を贈り深甚なる感謝の意を表します」と記載されている。また,J常務の原告に対する同月28日付けメール(甲21)には,本件支給金及び表彰状は,「功績に20報償する“Total Reward”の一環として」贈呈されたものであるとの記載がある。(8) 原告に対する本件支給金の支払と同時に,セレニアの上市に対する貢献に報いる趣旨で,本件発明の発明者の1人であるBに200万円,発明者ではないH及びIに各250万円,同じく発明者ではないL,M及びNに各200万円25が支給され,同各人には本件表彰状と同様の表彰状が授与された。他方,本件発明の発明者であるEやDに対しては,同様の支給等はされなかった。本件支給金は,受領者各人の給与所得として取り扱われ,所要の税務処理がされた。(乙7,11~13) 2 本件支給金の趣旨・性質について原告は,本件支給金は実績補償的な職務発明の対価としての性質を有するから,5被告による本件支給金の支払は職務発明対価請求に係る債務の承認に当たると主張するので,まずこの点について検討する。(1) 上記1記載の認定事実によれば,被告においては,本件特許出願及び登録当時,職務発明に対する対価は定額(出願時1万円,登録時2万円)とされ,実績補償に基づく報償制度は存在しなかったところ,平成17年1月以降,平成1016年特許法改正を踏まえ,新たな報償制度についての検討が行われたが,最終的には,ファイザー本社の意向も踏まえ,実績に基づき発明者に報償するという制度は採用しないこととし,発明に対する報償は出願時に5万円とした上で,これとは別に発明者に限らず医薬品の開発,販売等に貢献した従業員を広く対象とする新たな報償制度(Total Reward 制度)が設けられたものと認める15ことができる。そして,本件支給金の支給対象及び各対象者への支給金額,本件支給金の趣旨についてのJ常務の説明,本件表彰状の授与の事実及びその内容並びに支給金に関する税務処理の状況などに照らすと,原告に対する本件支給金は本件発明から得られる利益や実績等を考慮して本件発明の対価として支払われたものではなく,上記の新たな報償制度(Total Reward 制度)に基づ20いて支払われたものということができる。そうすると,本件支給金や本件表彰状の授与は,本件特許を受ける権利の譲渡の対価としての性質を有するものではなく,発明者に限らず医薬品の開発等に貢献した従業員に広く報償する別制度(Total Reward 制度)の一環として,就業規則23条1項6号,24条1号及び3号に基づきされたものと認めるの25が相当である。したがって,本件支給金は,本件特許を受ける権利の譲渡の対価としての性質を有するものでないというべきである。(2) これに対し,原告は以下のとおり主張するが,いずれも理由がない。ア 原告は,本件支給金の支給は,大きな利益を上げることが見込まれる本件発明に対する報償の必要性が社内で広く認識されている状況下で支給され5たもので,発明者にストックオプションを付与するなどの案が検討されていたことにも照らすと,その実質は職務発明の対価の一部に当たると主張する。しかし,被告における新たな報償制度の検討の過程に照らすと,ファイザー本社の意向を踏まえ,職務発明の対価としては出願時に5万円を支給するのみとし,実績に基づき発明者に報償するという制度は採用しないとの方針10が平成17年9月に示され,それ以降,被告社内で実績補償に基づく制度が検討されたことをうかがわせる証拠は存在しない。このように,被告には,本件支給金の支払当時,実績等に基づき発明者に発明の対価を支払うことを認める規程等は存在しなかったのであるから,本件支給金の支払が職務発明の対価として支払われたとは考え難く,また,その金額が本件発明から得ら15れる利益や実績等に基づいて算定されたことをうかがわせる証拠も存在しないので,その実質が職務発明の対価であるともいうこともできない。また,前記認定のとおり,ファイザー本社からはストックオプションの付与の検討についての言及はあったと認められるが,他方でファイザー本社は実績補償に基づく制度を採用し得ないとしていたのであるから,当該言及の20趣旨が発明の対価としてストックオプションの付与を行うというものではなかったことは明らかである。したがって,原告の上記主張は理由がない。イ 原告は,実績に基づく報償ではなく,発明者に限定することなく広く医薬品の開発等に貢献した従業員に報償する新制度(Total Reward 制度)は創設25されておらず,そのような制度の存在は認識していなかったと主張する。しかし,上記新制度が提案・創設されたことは,平成17年9月13日に開催された報償提案委員会の議事録(甲14)や,平成18年に作成された説明資料等(甲15,20)からも明らかである。また,原告は報償提案委員会に所属しており,J常務から原告に宛てた平成19年5月28日付けメール(甲21)においても,本件支給金が「“Total Reward”の一環として」5贈呈されたものであるとの説明がされているのであるから,原告自身も本件支給金が上記新制度に基づくものであることを認識していたと考えられる。したがって,原告の上記主張は理由がない。ウ 原告は,本件報償基準に基づく報償金額と比較して,本件支給金の200万円という金額は相当な高額であり,この中に本件特許を受ける権利の譲渡10の対価部分が全く含まれないのは極めて不自然であると主張する。しかし,支給金額の多寡から直ちに本件特許を受ける権利の譲渡の対価であると推認することはできず,前記のとおり,本件支給金が本件発明の価値や実績等を考慮して算定されたことを示す証拠もない。また,セレニアの上市に伴う報償の対象者には発明者である原告よりも高15額の報償を受けた従業員が含まれることは前記のとおりであり,同事実も,本件支給金の支給金額が発明の価値に基づくものではなく,被告に対する貢献度や従業員間の公平性等を総合的に考慮して定められたことを示すものということができる。したがって,原告の上記主張は理由がない。20エ 原告は,発明による貢献が社員就業規則23条1項2号で明記されているのに,わざわざ同項6号を適用することは不自然・不合理であると主張する。しかし,本件支給金が職務発明の対価として支払われたのではなく,セレニアの上市に関する貢献度を総合的に考慮して定められたものであるとすれば,同項2号ではなくて同項6号が適用されるのは自然であるので,本件25支給金が同項6号により支払われたとの被告主張が不自然・不合理であるということはできない。したがって,原告の上記主張は理由がない。オ 原告は,本件表彰状に「当社中央研究所における初の新薬『セレニア』に繋がるマロピタントの発見」に多大な貢献をしたと明記されていること,J常務がBに対しセレニアの上市に伴いその発明者に対して報償するもので5あると説明したことなどを理由に,本件支給金は職務発明に対する対価であると主張する。しかし,本件表彰状には,本件支給金が本件発明の対価であることをうかがわせる記載はなく,また,セレニアの上市に伴って報償金の支払を受けたのが本件発明の発明者に限られないことは前記判示のとおりである。10また,J常務がBに対して上記の説明をしたと認めるに足りる証拠はなく,かえって,原告は,J常務から,本件支給金及び表彰状は「功績に報償する“Total Reward”の一環として」贈呈されたものである旨が記載されたメールを受け取っていることは前記判示のとおりである。したがって,原告の上記主張は理由がない。15 3 消滅時効の成否について上記1及び2に基づき,以下,消滅時効の成否について検討する。(1) 本件特許権について職務発明対価請求権の消滅時効は,使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項が勤務規則等にある場合には,その支払時期が相20当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解されるところ(最高裁平成13年(受)第1256号同15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁参照),本件特許を受ける権利の譲渡当時,被告における職務発明の対価の具体的内容を定めた本件褒賞基準は,日本国における特許出願1件につき,出願時1万円及び登録時2万円の褒賞金を支給する旨を定めて25いたから,遅くとも,本件特許権の登録がされた日の翌日である平成9年5月3日が本件特許に係る職務発明対価請求権の消滅時効の起算日となる。前記のとおり,被告は,原告に対し,平成9年の年末頃に上記褒賞金のうち5000円を支払っていると認められるので,上記消滅時効は,この支払によりいったん中断したと認められるが,その後,遅くとも平成10年1月1日から再び進行を始め,平成19年12月31日の経過により完成したものという5べきである。そして,前記判示のとおり,本件支給金は本件特許を受ける権利の譲渡の対価としての性質を有しないと解すべきであるので,本件支給金の支払により消滅時効が中断することはなく,同請求権は,平成19年12月31日の経過によって時効消滅したと認めるのが相当である。10(2) 本件特許に対応する外国特許について本件訴えの訴状において,本件特許に対応する外国特許に関する職務発明の対価が請求されているかどうかについては,当事者間に争いがあるが,訴状に同請求が含まれるとしても,本件褒賞基準には,日本の特許出願に対応する外国出願時には改めて褒賞金を支給しない旨の規定が置かれ,外国の特許を受け15る権利の承継についてもこれに対応する日本特許の出願・登録があった際に併せて褒賞金が支払われることが想定されているということができる。本件における外国の特許を受ける権利の譲渡の対価請求権の存否に関する準拠法は日本法となり,外国の特許を受ける権利の譲渡の対価請求権の消滅時効についても日本法が準拠法となると解されるところ,上記判示によれば,外20国の特許を受ける権利に係る職務発明対価請求権の消滅時効の起算日はこれに対応する日本特許と同一となるので,上記(1)と同様の理由により,同請求権は平成19年12月31日の経過によって時効消滅したと認めるのが相当である。(3) まとめ25以上のとおり,本件特許及びこれに対応する外国特許に関する職務発明対価請求権は時効消滅したと認められるので,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないこととなる。 4 結論よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。5東京地方裁判所民事第40部裁判長裁判官10佐 藤 達 文裁判官15三 井 大 有裁判官20遠 山 敦 士別紙発明の内容 1 請求項1次式の化合物[式中のR1 がメトキシであり,且つR2 が第3ブチル,メチル,5エチル及び第2ブチルの中から選択される],又は,当該化合物の薬剤として許容可能な塩。【化1】 2 請求項210前記化合物が(2S,3S)-N -(5-エチル-2 -メトキシフェニル) メチル-2 -ジフェニルメチル-1 -アザビシクロ[2.2.2] オクタン-3 -アミン,(2S,3S)-N -(5-メチル-2 -メトキシフェニル) メチル-2 -ジフェニルメチル-1 -アザビシクロ[2.2.2] オクタン-3 -アミン,(2S,3S)-N -(5-第3ブチル-2-メトキシフェニル)メチル-2 -ジフェニルメチル-1 -アザビシクロ[2.2.2]15オクタン-3 -アミン,(2S,3S)-N -(5-第2ブチル-2 -メトキシフェニル)メチル-2 -ジフェニルメチル-1 -アザビシクロ[2.2.2] オクタン-3 -アミンと,当該化合物の薬剤として許容可能な塩とから成るグループから選択される請求項1に記載の化合物。 |
事件の概要 | 1 本件は,被告の元従業員であった原告が,被告に対し,平成16年法律第79 号による改正前の特許法35条(以下「旧35条」といい,上記法律による特許 法の改正を「平成16年特許法改正」という。)3項に基づき,上記職務発明に 対する相当の対価の一部である2億円及びこれに対する請求の日の後である平 成29年6月30日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分10 の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 |
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