平成18(行ケ)10219審決取消請求事件
判決文PDF
▶ 最新の判決一覧に戻る
裁判所 |
請求棄却 知的財産高等裁判所
|
裁判年月日 |
平成20年3月31日 |
事件種別 |
民事 |
当事者 |
被告特許庁長官肥塚雅博 原告メルクアンドカンパニー
|
対象物 |
家畜抗菌剤としての8a−アザライド |
法令 |
特許権
特許法29条2項1回
|
キーワード |
審決21回 優先権10回 実施8回 刊行物1回
|
主文 |
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。 |
事件の概要 |
1 特許庁における手続の経緯
原告は,発明の名称を「家畜抗菌剤としての8a−アザライド」とする発明
につき,平成10年9月4日に国際特許出願(優先権主張 1997年9月1
0日米国。国内出願番号2000−510439号。以下「本願」という )。
をした。 |
▶ 前の判決 ▶ 次の判決 ▶ 特許権に関する裁判例
本サービスは判決文を自動処理して掲載しており、完全な正確性を保証するものではありません。正式な情報は裁判所公表の判決文(本ページ右上の[判決文PDF])を必ずご確認ください。
判決文
平成20年3月31日判決言渡
平成18年(行ケ)第10219号 審決取消請求事件
平成20年2月19日 口頭弁論終結
判 決
原 告 メルク アンド カンパニー
インコーポレイテッド
訴訟代理人弁護士 窪 田 英 一 郎
同 大 西 達 夫
同 柿 内 瑞 絵
同 乾 裕 介
訴訟代理人弁理士 今 村 正 純
同 新 谷 紀 子
被 告 特許庁長官 肥塚雅博
指 定 代 理 人 森 田 ひ と み
同 谷 口 博
同 唐 木 以 知 良
同 大 場 義 則
主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日
と定める。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
特許庁が不服2003−5668号事件について平成17年12月28日に
した審決を取り消す。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は,発明の名称を「家畜抗菌剤としての8a−アザライド」とする発明
につき,平成10年9月4日に国際特許出願(優先権主張 1997年9月1
0日米国。国内出願番号2000−510439号。以下「本願」という 。)
をした。
原告は,本願につき平成14年12月27日付けで拒絶査定を受けたので,
平成15年4月4日,これに対して不服審判請求(不服2003−5668号
事件)をするとともに,同年4月24日付けで手続補正をした(以下 ,「本件
補正」といい,同補正後の明細書を「本願補正明細書」という 。 。
)
特許庁は,平成17年12月28日,本件補正を却下した上で ,「本件審判
の請求は,成り立たない 。」との審決をし,平成18年1月10日,その謄本
が送達された(付加期間90日 )。
2 特許請求の範囲
本願に係る特許請求の範囲の請求項1の本件補正前及び本件補正後の記載
は,次のとおりである。
(1) 本件補正前
「家畜の呼吸器又は腸内の細菌感染の治療又は予防方法であって,前記治
療又は予防を必要とする家畜に治療又は予防的に有効な量の8a−アザライ
ドを投与すること ,及び ,呼吸器又は腸内に感染する微生物がパスツレラ種 ,
アクチノバシラス種,Haemophilus somnus,マイコプラ
ズマ種,Treponema hyodysenteriae又はサルモネ
ラ種であることを特徴とする前記方法 。 (以下「本願発明」という。
」 )
( 2) 本件補正後(本件補正により補正前の請求項1が削除され,残りの請求
項が繰り上がった。すなわち,補正後の請求項1は,補正前の請求項2に記
載されていたものである。)
「家畜の呼吸器又は腸内の細菌感染の治療又は予防方法であって,前記治
療又は予防を必要とする家畜に治療又は予防的に有効な量の8a−アザライ
ドを投与すること,呼吸器又は腸内に感染する微生物がパスツレラ種,アク
チノバシラス種,Haemophilus somnus,マイコプラズマ
種,Treponema hyodysenteriae又はサルモネラ種
であること,及び,前記8a−アザライドが式I:
【化1】
をもつ化合物又は医薬的に許容されるその塩,又は医薬的に許容されるその
金属錯体であり,前記金属錯体が銅,亜鉛,コバルト,ニッケル及びカドミ
ウムから構成される群から選択され,前記式中,
R1は‥‥‥(置換基の特定に関する記載は省略)‥‥‥
であることを特徴とする前記方法 。 (以下「本願補正発明」という。
」 )
3 審決の理由
( 1) 別紙審決書の写しのとおりである。要するに,本願補正発明は,本願の優
先権主張日前に頒布された刊行物である特開平5−255374号公報(以下
「引用例1 」という。 及び Am. J. Vet. Res., Vol.46, No.4, (1985) p.798-803( 以
)
下,「引用例2」という 。)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明
をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許出願
の際独立して特許を受けることができないものであって,本件補正は同法15
9条1項において準用する同法53条1項の規定により却下すべきものであ
り,本願発明は,同様に,引用例1及び2に記載された発明に基づいて当業者
が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定に
より特許を受けることができないとするものである。
( 2) 本願補正発明と引用例1に記載された発明(以下「引用例1発明」という
場合がある。)の一致点及び相違点は,次のとおりである。
(一致点)
「家畜の細菌感染の治療方法であって,前記治療を必要とする動物に治療に
有効な量の,引用例1記載の式(Ⅱ)の化合物を投与する治療方法 」である点 。
(相違点)
本願補正発明は,細菌感染が呼吸器又は腸内の細菌感染であって,感染する
微生物がパスツレラ種,アクチノバシラス種,Haemophilus so
mnus,マイコプラズマ種,Treponema hyodysenter
iae又はサルモネラ種であることが特定されているのに対し,引用例1では
明記されていない点。
第3 原告主張に係る取消事由
審決は,次に述べるとおり,①本願補正発明の容易想到性判断の前提として
の引用例2の認定の誤り(取消事由1 ),②本願補正発明の容易想到性判断の
誤り(取消事由2 ),③本願発明の容易想到性の判断の誤り(取消事由3)が
あるから,違法として取り消されるべきである。
1 本願補正発明の容易想到性判断の前提としての引用例2の認定の誤り(取消
事由1)
( 1) 審決は ,「パスツレラ,マイコプラズマなどの感染に起因する家畜の呼
吸器疾患をマクロライド系の抗生物質(チルミコシン)を使用して治療する
ことは当業界において既に周知(請求人が提出した参考資料1,2の Res.
Vet. Sci. 47:84−89(1989 )特にp84左欄 ,及び Can J. Ver.
,
Res. ,61:187−192(1997)特にp187左欄,p188左
欄を参照)であり,同じくマクロライド系の抗生物質であるエリスロマイシ
ンがパスツレラ菌の接種によって起こる子牛の肺炎の治療に有効であること
も Am. J. Vet. Res., Vol.46, No.4, (1985) p.798-803( 以下 ,引用例2という。)
に記載されている 。 (審決書4頁下から3行∼5頁6行)として,8a−
」
アザライドやチルミコシンと同じくマクロライド系の抗生物質であるエリス
ロマイシンが,パスツレラ菌の接種によって起こる子牛の肺炎の治療に有効
であることが引用例2に記載されていると認定した。
(2) しかし,審決の上記認定は,以下のとおり誤りである。
ア 引用例2には,子牛の肺組織に Pasteurella Haemolytica を接種してエ
リスロマイシンを投与して肺組織内濃度を測定した実験結果の記載に続い
て,「最近の報告では, Pasteurella の分離株の 90%以上が,エリスロマイ
シン感受性であることが示されている。」と記載されているが(甲2・79
8頁右欄3行∼5行,参考文献4,5),他方「これらの報告は,エリスロ
マイシンに対する Pasteurella の比較的低い感受性を結論付けている従来の
報告と異なっている。」(同5行∼7行,参考文献6)と,パスツレラ菌に
起因する子牛の肺炎に対するエリスロマイシンの治療効果に疑問を呈する
見解が存在したことも記載されている。上記記載を総合すると,エリスロ
マイシンがパスツレラ菌の接種によって起こる子牛の肺炎の治療に有効で
あることが,引用例2に記載されていると認定することはできない。
イ 引用例2は,パスツレラ症を実験的に発症させられた牛におけるエリス
ロマイシンの薬物動態を,肺炎を発症させられていない牛と比較した調査
報告であって,パスツレラに感染した牛の肺炎を治療するためにエリスロ
マイシンが実際に有効であったということを示すものではない。また,引
用例2は,具体的な使用方法や効果について,何ら開示や示唆はない。
なお,甲20によれば,BRD(ウシ呼吸器感染症)に罹患している牛
のパスツレラ・ヘモリティカ分離株の少なくとも83%,BRDに罹患し
ている牛のパスツレラ・ムルトシダ分離株の少なくとも63%がエリスロ
マイシンに対して耐性を有しており,換言すれば,自然に感染した子牛の
大多数において,エリスロマイシンが有効でないことが報告されていた。
ウ 以上を総合すれば,引用例2は,当業者はパスツレラ感染によって生じ
た実際の子牛の呼吸器疾病の治療のためにエリスロマイシンが有効である
という一般的知見を示すものではない。
2 本願補正発明の容易想到性の判断の誤り(取消事由2)
以下のとおりの理由により,審決が,引用例1と引用例2の組合せにより,
本願補正発明に想到すること容易であったとした判断には誤りがある。
(1) 引用例1の記載に基づく示唆等
以下のとおり,引用例1の記載により,当業者が,本願に係る優先権主張
日当時,本願補正発明のような「8a−アザライド 」を「特定の感染微生物 」
を治療又は予防するという特定の目的に用いることを想到することは困難と
いうべきである。
ア 引用例1の「式(Ⅱ)の化合物は,生体外および生体内の両方において
抗菌剤として有用であり,その活性スペクトルはエリスロマイシンAと類
似している 。 (段落【0285 】
」 )との記載は,マクロライド抗生物質の
活性を一般的に述べたものにすぎないから,8a−アザライドが何らかの
抗菌活性を有することを示すにとどまる。
イ 引用例1の表2に記載された細菌のうち,10種のうち9種は,甲17
∼19によれば,局部感染又は皮膚感染において見られるものであり,そ
の余の1種による感染症も界面消毒によって防止されるものが示唆されて
おり,この記載と段落【0285】の「局所用;‥‥‥滅菌するための用
途」の記載と併せると,8a−アザライドの局所的な適用及び滅菌目的の
用途への適用が導かれるにすぎない。
ウ 引用例1の表2のデータによれば,エリスロマイシンが有効な場合には
8a−アザライドが有効ではなく,エリスロマイシンが有効でない場合に
は8a−アザライドが有効であることが分かり,その他のデータを総合す
ると,一般的にはエリスロマイシンが8a−アザライドよりも優れた効能
を有しているということができる。
(2) 阻害事由の存在
以下のとおり,8a−アザライドとエリスロマイシン,チルミコシンその
他のマクロライドとの間の構造上の相違,及びエリスロマイシン,チルミコ
シンその他のマクロライドの重大な問題点と限界を考慮すると,当業者がパ
スツレラ等に起因する家畜の呼吸器感染症の治療にエリスロマイシンを使用
することに想到することには,阻害事由がある。
ア マクロライド分子は,①細菌の置かれた環境下において安定し,②細菌
への浸透性を有し,③細菌のリボソームに効果的に結合することができれ
ば,抗生物質として作用するものであるが ,これらの①安定性 ,②浸透性 ,
③リボソーム結合性は,それぞれ分子の構造(例えば,員環数,環内のヘ
テロ原子数)によって左右される(甲23∼26)。
8a−アザライドは,エリスロマイシンや他のマクロライド抗生物質と
その構造が異なるものであり,その抗菌活性を予測できないから,特定の
用途に使用できることを推論することには障害がある。
イ 本願の優先権主張日当時の技術水準(甲6,甲20,甲22等)によれ
ば,家畜にエリスロマイシンを使用することは,酸性の環境下で不安定で
あるため経口投与の場合は吸収に乏しいこと,パスツレラを含む家畜から
単離された各種微生物がエリスロマイシン耐性を有すること等の重大な問
題点と限界があったため,当該技術分野では,家畜におけるパスツレラ感
染症の治療にエリスロマイシンを使用することには障害があった。
ウ この点について,被告は,乙1,乙2の9a−アザライドに関する記載
を根拠として,8a−アザライドの8a位の窒素元素の存在が抗菌剤とし
ての用途開発を阻害するとはいえないと主張する。
しかし,被告の上記主張は,審決において,乙1,2の9a−アザライ
ドについて何らの言及がない以上,新たな公知技術に基づく主張に該当す
るから許されない。
(3) 格別の作用効果
以下のとおり,本願補正発明は,特定の種類の微生物及びそれによる家畜
動物の感染症に対して,予測することができない顕著な作用効果を奏する。
ア 甲7記載の8a−アザライドに関する試験結果と,甲3の1及び甲3の
2記載のチルミコシンに関する試験結果との比較から明らかなように,本
願補正発明に係る化合物は,甲3の1,2において使用された投与量より
少ない場合でも ,所定の検査によって検出された牛の肺組織内濃度が高く ,
チルミコシンと比較して標的生物に対する力価が高く,標的組織濃度が高
いことが裏付けられている。
本願補正発明の8a−アザライドの代表例の一つである9−デオキソ−
8a−アザ−8a− (プロピル−1−イル)−8a−ホモエリスロマイシ
ン(米国一般名ガミスロマイシン,甲9)について,その抗菌活性をチル
ミコシンと比較するために実施した試験データ(平成14年実施)によれ
ば,本願補正発明の原因菌に起因するウシ呼吸器感染症の治療において,
ガミスロマイシンは全体としてチルミコシンよりも相当低い投与量で優れ
た治療効果を奏するものであり,また,試験管内の抗菌活性においても,
ガミスロマイシンの方がチルミコシンよりもはるかに低い濃度で本願補正
発明の原因菌の発育を阻止できる。
以上のとおり,本願補正発明における家畜の重篤な呼吸器感染症を引き
起こす特定の微生物種に対する8a−アザライドの投与が,従来技術にお
けるチルミコシンの投与による治療効果と比較して,技術水準から当業者
が予測できる範囲を超えた顕著な作用効果を奏する。
イ 本願の優先権主張日当時の技術水準にあっては,当業者は,家畜の呼吸
器感染症の治療にエリスロマイシンを適用した場合,投与量や投与方法に
関する深刻かつ重大な限界があり,またエリスロマイシン耐性菌が存在し ,
エリスロマイシンの抗菌活性について限界があると認識されていた。これ
に対して,8a−アザライド(ガミスロマイシン)は,優れた抗菌活性を
有するものであることに加え,エリスロマイシンとは対照的に,皮下注射
による投与が可能であるため,エリスロマイシンの投与量や投与方法に関
する問題点を克服できるものである。
そうすると,8a−アザライドがエリスロマイシンと同じマクロライド
系化合物であることを考慮しても,これをパスツレラ種等のエリスロマイ
シン耐性が疑われる特定の病原菌種に起因する家畜の呼吸器感染症等に限
定して適用した結果,著しく良好な作用効果を奏することは,当業者の予
測の範囲外であったというべきである。
3 本願発明の容易想到性の判断の誤り(取消事由3)
本願発明の容易想到性についての審決の判断は,上記1,2と同様の理由に
より,誤りである。
第4 被告の反論
1 本願補正発明の容易想到性判断の前提としての引用例2の認定の誤り(取消
事由1)に対して
引用例2は,当業者はパスツレラ感染によって生じた実際の子牛の呼吸器疾
病の治療のためにエリスロマイシンが有効であるという一般的知見を示すもの
ではないと主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり理由がない。
(1) 原告は,引用例2(参考文献6)には,「これらの報告は,エリスロマイ
シンに対する Pasteurella の比較的低い感受性を結論付けている従来の報告と
異なっている。」と記載があり,同記載によれば,パスツレラ菌に起因する
子牛の肺炎についてのエリスロマイシンの治療効果に疑問を呈する見解が存
在したことも記載されていると主張する。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。
まず,原告の指摘する部分は,研究の主題に入る前置きとして,過去の論
文に発表された知見を紹介したものであって,甲2の脚注4記載の文献は1
981年 ,脚注5記載の文献は1983年に発表されたものであるのに対し ,
脚注6記載の文献はそれより5年以上前の1976年に発表されたものであ
り,より新しい報告が現在の知見として受け入れられていると理解されるべ
きである。
また ,引用例2(甲2 )には ,「最近の報告では ,Pasteurella の分離株の 90%
以上が,エリスロマイシン感受性であることが示されている。‥‥‥従来の
報告と異なっている。」に続けて ,「したがって,肺炎の肺組織中へのこの
薬剤の分布範囲を定量することは,健康な肺組織中への分布を定量するのと
同様に,重要なことであろうし,及び疾病がこの薬剤の消失速度(β)に与
える影響を評価することは,重要なことであろう 。」と記載され,同記載に
よれば,最近の報告で Pasteurella の分離株の 90%以上が,エリスロマイシン
感受性であることを受け,エリスロマイシンが肺炎の肺組織中に有効量維持
されるならばパスツレラ菌の感染によって起こる子牛の肺炎の治療に有効で
あることを読みとることができる。
以上のとおり,審決が「マクロライド系の抗生物質であるエリスロマイシ
ンが,パスツレラ菌の接種によって起こる子牛の肺炎の治療に有効であるこ
とが引用例2に記載されている。」と認定した点に誤りはない。
( 2) 原告は,引用例2は,実験的にパスツレラ症を発症させたものであるか
ら,パスツレラに対するエリスロマイシンの現実の効果を示すものではない
と主張する。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり失当である。
すなわち,原因菌が分かっている感染症が特定の抗生物質によって治療可
能かどうかを評価したり,あるいは特定の抗生物質で治療を行う場合の適切
な用法用量,投与期間などを決定するために,人為的に動物を当該原因菌に
感染させて抗生物質の適用実験を行うことは,通常行われる研究手法である
から,その実験結果が信頼性を欠くということはできない。そして,引用例
2には,使用菌について「パスツレラ ヘモリチカ セロタイプ1」 甲2 ,
(
799頁左欄下から7行)とあるのみで,それ以外の記載はないから,当時
保存されていた分離菌株が実験に使用されたと解するのが自然である。人為
的に原因菌に感染させた動物実験で得られる結果は,人為的に感染させた動
物に留まらず,通常,同じ菌に自然に感染した動物に対しても同様であると
解釈してよいものであり,甲2,甲3の1,2でパスツレラ感染に有効と評
価されたエリスロマイシンやチルミコシンは,ウシ呼吸器感染症(BRD)
治療薬として臨床の場で広く使用されている。
2 本願補正発明の容易想到性の判断の誤り(取消事由2)に対して
(1) 引用例1の記載に基づく示唆等について
原告は,引用例1の記載によっては,当業者が,本願に係る優先権主張日
当時,本願補正発明のような「8a−アザライド」を「特定の感染微生物」
を治療又は予防するという特定の目的に用いることを想到することは困難と
いうべきであると主張する。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。
ア 引用例1には,パスツレラなどの感染症に上記の微生物を使用する直接
的な記載はないものの,抗菌活性を示す式Ⅱの化合物が「エリスロマイシ
ンAと同様の抗菌スペクトルを有しエリスロマイシンAと同じ目的のため
に同じ方式で使用できる」旨の見解が記載されている。そして,上記見解
は,多くの学術報告によって得られた知見に裏付けられ,甲6,乙1,乙
2には,マクロライド類の抗菌スペクトルがエリスロマイシンに類似して
いることが記載されている。このようにマクロライド系化合物が共通の特
性を有していることは,本願の優先権主張日前から当業者の常識であった 。
したがって,引用例1においてマクロライドの骨格を有する新規化合物
8a−アザライドについて抗菌活性が確認されたという記載は,当業者に
対し,その化合物がエリスロマイシンと同じ目的,用途に利用できること
を示唆していると解される。
イ 甲17∼19において局所の感染部位に表2記載の菌が存在したからと
いって,その菌が局所にしか存在しないとする理由はない。例えば ,「肺
炎」において表2記載の菌が原因菌となる場合があることは当業者の常識
である(乙14 )。さらに,引用例1には,前記のとおり,抗菌活性を示
す式Ⅱの化合物が「エリスロマイシンAと同様の抗菌スペクトルを有しエ
リスロマイシンAと同じ目的のために同じ方式で使用できる」旨の記載が
あり,そこには,化合物の有用性が生体外に限られるものではないことが
明記されているほか,引用例1の段落【0073】∼【0076】には動
物や人の生体内に医薬として局所適用のみならず全身適用することを想定
した記載がある。
ウ 原告は,表2のデータについて,各菌ごとのMICの値を比較し,エリ
スロマイシンが特に有効である場合に,8a−アザライドが有効でなく,
その逆もあると主張する。しかし,表2に表れているのは代表的な菌につ
いての例示であって,試験を行ったすべての菌が網羅されているわけでは
ない。例示菌の示すMICの値を子細に比較して見れば,多少の差があっ
たとしても,活性スペクトルの全体像を左右するほどのものではない。
(2) 阻害事由について
原告は,8a−アザライドとエリスロマイシン,チルミコシンその他のマ
クロライドとの間の構造上の相違,及びエリスロマイシン,チルミコシンそ
の他のマクロライドの重大な問題点と限界を考慮すると,当業者がパスツレ
ラ等に起因する家畜の呼吸器感染症の治療にエリスロマイシンを使用するこ
とに想到することには,阻害事由があると主張する。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり理由がない。
ア 原告は,マクロライド系抗生物質の基本骨格における環状構造の相違に
よって,感染症を引き起こす特定の種類の微生物に対する抗菌作用が異な
ると主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。
すなわち,マクロライド系化合物は,員環数が異なり,異種原子を環内
に含んでいる場合であっても類似の抗菌スペクトルを示すものがほとんど
であるから,原告の主張は当業者の常識に反する。しかも,マクロライド
化合物は員環数や異種原子の存在にかかわらず,何れも細菌の70sリボ
ソームの50sユニット蛋白に結合して蛋白合成を阻害するという分子レ
ベルでの作用メカニズムまでも解明されている(乙3∼乙7) 当業者は ,
。
マクロライド新規抗生物質の開発に当たり,公知のマクロライド構造を有
する抗菌化合物を基礎として,種々の新規な誘導体を製造し,抗菌作用範
囲が維持ないし拡大されかつ親化合物の欠点が改良された化合物をスクリ
ーニングしている。
8a−アザライドがマクロライド骨格を共有し,しかもエリスロマイシ
ンが有効であることが知られる数種の菌に対する抗菌活性が確認された抗
生物質である以上,8a−アザライドに対してエリスロマイシンやチルミ
コシンと同様の抗菌活性や,同じ用途に使用できることを推論することは
当業者であれば普通に行い得ることであって,8a−アザライドとチルミ
コシンやエリスロマイシンとの間に原告の主張する構造上の相違が存在し
ても,推論の妨げになるものとはいえない。
イ 原告は,本願の優先権主張日当時の技術水準(甲6 ,甲20 ,甲22等 )
によれば,家畜にエリスロマイシンを使用することには,酸性の環境下で
不安定であるため経口投与の場合は吸収に乏しいこと,パスツレラを含む
家畜から単離された各種微生物がエリスロマイシン耐性を有することか
ら,家畜におけるパスツレラ感染症の治療にエリスロマイシンを使用する
ことを妨げる事情が存在したと主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。
原告主張の各証拠には,反芻動物に対しエリスロマイシンを経口投与に
よって使用することは一般的でないことの記載はあるが,投与そのものが
否定されているのではなく,他の投与形態(注射など)を選択すれば問題
がないことは,当業者には明らかである。
甲6より20年後の2005年に頒布された獣医薬ハンドブック(乙1
3)においてさえ,エリスロマイシンがパスツレラに対し活性であること
の記載がされている。そして,注射投与により家畜の感染症の治療に使用
されることも明記されている。
したがって,甲6の記載事項は,いずれもエリスロマイシンの家畜のパ
スツレラ感染症の治療用途を否定するものではない。
(3) 格別の作用効果について
原告は,本願補正発明は,特定の種類の微生物及びそれによる家畜動物の
感染症に対して,当業者において予測することができない顕著な作用効果を
奏すると主張する。
しかし,原告の上記主張は,理由がない。
原告の主張は,平成13年に特許庁に提出された意見書(甲7)に記載さ
れた化合物(Ⅰ ) (Ⅱ)についての試験結果,及び原告準備書面(1)に
,
おいて2002年に実施されたものとして記載されたガミスロマイシンにつ
いての試験結果によるものであるが,これらは何れも本件出願後に行われた
実験を根拠とするものであるから,それらのの主張は許されない。
本願補正明細書には,段落【0037 】【0038】に本願補正発明の式
Ⅰに属する化合物4種について病原微生物6種に対するインビトロでの抗菌
活性範囲(MIC範囲)が記載されているほか,段落【0022】に具体的
な用法用量が記載されているのみであり,家畜に対する具体的な薬物動態や
治療成績の記載はない。本願補正発明の治療上の効果は,上記の試験管内抗
菌データに基づいて導き出せる程度のものでしかないから,従来の薬剤との
実用上の比較はできない。
原告は,わずか3つの化合物(化合物(Ⅰ ) (Ⅱ)及びガミスロマイシ
,
ン)で得られた結果をもって,これを本願補正発明の作用効果であると主張
するが,その効果は,本願出願後にさらなるスクリーニング作業を行い選抜
された化合物の有する特有の効果と理解すべきであって,これを式Iで表さ
れる広範な 8a−アザライド 」
「 による一般的な効果ということはできない 。
3 本願発明の容易想到性の判断の誤り(取消事由3)に対して
本願発明の容易想到性についての審決の判断に誤りのないことは,上記1,
2に述べたのと同様である。
第5 当裁判所の判断
当裁判所は,原告主張の取消事由はいずれも採用することができず,審決の
判断に誤りはないと判断する。その理由は,以下のとおりである。
1 本願補正発明の容易想到性判断の前提としての引用例2の認定の誤り(取消
事由1)について
原告は,引用例2における「これらの報告は,エリスロマイシンに対する
Pasteurella の比較的低い感受性を結論付けている従来の報告と異なっている。」
と記載され,パスツレラ菌に起因する子牛の肺炎についてのエリスロマイシン
の治療効果に疑問を呈する見解が存在したとの記載によれば,引用例2に,エ
リスロマイシンがパスツレラ菌の接種によって起こる子牛の肺炎の治療に有効
であることが開示,示唆されていると認定することはできないと主張する。
しかし,原告の主張は,以下のとおり理由がない。
(1) 引用例2の記載
ア 〔要旨〕「3,4ヶ月の雄のホルスタイン子牛に, Pasteurella haemolytica
の5×10 7∼109のコロニー群を両側肺内に接種することによって,肺
炎性パスツレラ病を実験的に発症させた。‥‥‥子牛に15mg/kg用
量のエリスロマイシンを投与し ,薬物動態値を定量した。肺炎と相関して ,
薬物分布速度及び消失速度について,統計的(P≦0.05)に意義ある
増加があった。‥‥‥肺炎の子牛に最後に投与してから2時間後に,エリ
スロマイシンの組織中の濃度を定量した。肺炎部位の組織中濃度は,同一
種の動物の感染していない肺組織中の濃度と同様に又はそれ以上に高かっ
た。肺炎牛では血清からの消失速度が増大するので,深刻な呼吸器官疾病
に罹患した子牛には,より短い間隔で投与するのが望ましいであろう。エ
リスロマイシンは,マクロライド抗生物資であり,臨床的に用いるのに好
ましい多くの性質を有する。その最も重要なことは,高脂溶性で末梢組織
中への望ましい分布である。エリスロマイシン及びこの群の他の抗生物質
が,血清濃度を上回る高い組織中濃度を与える傾向を示すことは,よく知
られている。臓器中又は組織中濃度の極大値が,血清濃度の5∼10倍と
なる場合があることが報告されている。肺は,これらの抗生物質が高濃度
で到達する組織と考えられる。健康な肺組織中への分布傾向に加えて,最
近の報告では, Pasteurella の分離株の90%以上が,エリスロマイシン感
受性であることが示されている 4,5。これらの報告は,エリスロマイシン
に対する Pasteurella の比較的低い感受性を結論付けている従来の報告と異
なっている 6。従って,肺炎の肺組織中へのこの薬剤の分布範囲を定量す
ることは,健康な肺組織中への分布範囲を定量するのと同様に,重要なこ
とであろうし,及び疾病がこの薬剤の消失速度(β)に与える影響を評価
することは,重要なことであろう。 (798頁)
」
イ 「接種部位から成長可能なパスツレラが回復するという有意性は,短い
治療時間(26時間)に限られている。エリスロマイシンに対してMIC
は約1μg/mlであるから,72∼96時間の薬剤の持続的使用により ,
少なくとも一部の動物においては肺からパスツレラ菌が除去されるだろ
う。 (802頁16行∼21行)
」
(2) 判断
ア 原告は,引用例2に,「これらの報告は,エリスロマイシンに対する
Pasteurella の比較的低い感受性を結論付けている従来の報告と異なってい
る。」との記載があり,パスツレラ菌に起因する子牛の肺炎に対するエリ
スロマイシンの治療効果に疑問を呈する見解が存在したことも記載されて
いると主張する。
しかし,同記載は,その前の記載を受けたものであって,引用例2の8
02頁の脚注4に掲記された文献(1981年公表)及び脚注5(198
3年公表)に掲記された文献における「最近の報告」では,脚注6に掲記
された文献(1976年公表)の「従来の報告」と異なり , Pasteurella
「
の分離株の90%以上が,エリスロマイシン感受性であることが示されて
いる 。」という知見が開示されていることは明らかである。
以上のとおり ,引用例2には,同引用例の他の記載部分も併せて読めば ,
エリスロマイシンがパスツレラ感染症に有効に使用できる薬剤であること
が開示,示唆されていると解するのが相当である。
したがって,審決が「マクロライド系の抗生物質であるエリスロマイシ
ンが,パスツレラ菌の接種によって起こる子牛の肺炎の治療に有効である
ことが引用例2に記載されている。」と認定した点に誤りはない。
イ 原告は,引用例2の手法は実験的に牛を感染させて行ったものであるの
に対し,甲20には自然に感染した子牛の大多数においてエリスロマイシ
ンが有効でないことが記載されている点などを指摘し,引用例2からは,
パスツレラ感染による子牛の呼吸器疾病の治療にエリスロマイシンが有効
であるという一般的知見を推測することはできないと主張する。
しかし,人為的に動物を原因菌に感染させて抗生物質の適用実験を行う
ことは通常行われている研究手法であること(甲3の1,甲3の2 ),パ
スツレラ感染症に対して有効であると評価されたエリスロマイシンやチル
ミコシンがウシ呼吸器感染症(BRD)治療薬として実際に使用されてい
たと認められること(甲6,乙13,甲20)に照らすならば,引用例2
が実験的に牛を感染させたものであるとの実験の内容によって,上記アの
認定が左右されるものではないというべきである。
2 本願補正発明の容易想到性の判断の誤り(取消事由2)について
(1) 引用例1の記載に基づく示唆等について
原告は,引用例1の記載によっては,当業者が,本願に係る優先権主張日
当時,本願補正発明のような「8a−アザライド」を「特定の感染微生物」
を治療又は予防するという特定の目的に用いることを想到することは困難と
いうべきであると主張する。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。
ア 引用例1(甲1)の記載
(ア) 「 効果】式(Ⅱ)の化合物は,生体外および生体内の両方におい
【
て抗菌剤として有用であり,その活性スペクトルはエリスロマイシンA
と類似している。その結果,これらの化合物は,エリスロマイシンAと
同じ目的のために同じ方式で使用することができる。一般に式Ⅱの抗菌
化合物とその塩は,例えばストレプトコッカス・ピオゲネスのような各
種のグラム陽性微生物,および球形もしくは楕円体形(球菌)のような
ある種のグラム陰性菌に対する生体外活性を示す。これらの活性は,各
種の微生物に対する生体外の試験によって容易に実証することができ
る。これらの化合物はその生体外の活性によって,局所用;例えば病室
の台所用具を滅菌するための用途;ならびに産業用抗菌剤として例え
ば,水処理用,スライム制御剤および塗料と木材の保存剤用に有用であ
る。マクロライド化合物の上記のような有用性を裏付ける上記の生体外
の試験の応用については先に挙げた米国特許第4,518,590号に
教示されている。 (段落【0285 】
」 )
(イ) 【表2】には ,「実施例(15 ) (17 ) (19)および(20)
, ,
の化合物の生体外活性」について記載され ,「微生物」欄には,エンテ
ロコッカス・フェカーリス( Enterococcus faecalis),スタフィロコッカス
・アウレウス( Staphylococcus aureus),スタフィロコッカス・エピデル
ミディス( Staphylococcus epidermidis),ストレプトコッカス・ニューモ
ニ エ ( Streptococcus pneumoniae) , ス ト レ プ ト コ ッ カ ス ・ ピ オ ゲ ネ ス
( Streptococcus pyogenes),エンテロバクター・クロアケ( Enterobacter
cloacae),エシェリキア・コリ( Escherichia coli),クレブシェラ・ニュ
ーモニエ( Klebsiella pneumoniae)及びヘモフィルス・インフルエンザ
(Haemophilus influenzae)が記載されている(段落【0284 】【表2】
参照 )。
イ 判断
(ア) 引用例1の段落【0285】の記載部分「式(Ⅱ)の化合物は,生
体外および生体内の両方において抗菌剤として有用であり,その活性ス
ペクトルはエリスロマイシンAと類似している。その結果,これらの化
合物は,エリスロマイシンAと同じ目的のために同じ方式で使用するこ
とができる 。」は,当業者に対し,その化合物がエリスロマイシンと同
じ目的,用途に利用できることを示唆していると解するのが自然である 。
(イ) この点,原告は,引用例1の段落【0285】の記載はマクロライ
ド抗生物質の活性を一般的に述べたものにすぎず,何らかの抗菌活性を
有することを示すにとどまると主張する。
しかし,上記アのとおり ,【0285】は「式(Ⅱ)の化合物」につ
いて記載し,また ,「活性スペクトルはエリスロマイシンAと類似して
いる」と記載されているから,何らかの抗菌活性にとどまると解すべき
でない。
(ウ) また,原告は,引用例1の表2記載の細菌の種類からみれば,8a
−アザライドを局所適用及び滅菌目的の用途へ導くものであると主張す
る。
しかし,引用例1記載の「スタフィロコッカス・アウレウス(黄色ブ
ドウ球菌 ) ,
」 「ストレプトコッカス・ニューモニエ(肺炎球菌 ) ,
」 「ス
トレプトコッカス・ピオゲネス(溶連菌 )」などの細菌は,局所感染の
原因となるだけではなく ,「肺炎」の原因菌にもなることは当業者の技
術常識である(乙14)から,引用例1の表2記載の微生物が局所にし
か存在しないものとはいえない。さらに ,引用例1には ,前記のとおり ,
「式(Ⅱ)の化合物は,生体外および生体内の両方において抗菌剤とし
て有用であり 」(段落【0285 】)との記載があるほか ,「経口剤形で
投与することができる。‥‥‥静脈内,腹腔内,皮下もしくは筋肉内用
形態で投与することができる 。 (段落【0073 】 ,
」 ) 「さらに式(Ⅱ)
の化合物は,適切な賦形剤を用いて,局所,耳もしくは目に投与する形
態で投与することもできる 。 (段落【0076 】
」 )の各記載があるもの
であって,これらの記載に照らせば,式(Ⅱ)化合物が,医薬として局
所適用のみならず,生体内を含む全身適用も対象となることは明らかで
ある。
(エ) さらに,原告は,引用例1の表2のデータを指摘して,6種の菌に
ついては,エリスロマイシンが有効な場合には8a−アザライドが有効
ではなく,また,その逆の場合もあるから,エリスロマイシンの代わり
に8a−アザライドを使用することの動機付けがない旨主張する。
しかし,引用例1の表2は実施例として代表的な細菌に適用したもの
であり,その結果において一律同じ数値ではなく,細菌の種類によって
多少の違いが現れるのは当然のことである。そして,上記の6種以外の
「エンテロコッカス・フェカーリス 」 「スタフィロコッカス・エピデ
,
ルミディス 」 「ストレプトコッカス・ニューモニエ 」 「ストレプトコ
, ,
ッカス・ピオゲネス」の菌については,エリスロマイシンと同程度の抗
菌活性を示しており,引用例1の「その活性スペクトルはエリスロマイ
シンAと類似している」の記載は,そのような多少の違いを含む結果全
体を反映したものと認められる。したがって,引用例1の表2のデータ
に関する原告の主張は採用できない。
(2) 阻害事由について
原告は,8a−アザライドとエリスロマイシン,チルミコシンその他のマ
クロライドとの間の構造上の相違,及びエリスロマイシン,チルミコシンそ
の他のマクロライドの重大な問題点と限界を考慮すると,当業者がパスツレ
ラ等に起因する家畜の呼吸器感染症の治療にエリスロマイシンを使用するこ
とに想到することには阻害事由があると主張する。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。
ア 原告は,甲23ないし26によれば,マクロライド分子の①安定性,②
浸透性,③リボソーム結合性は分子構造によって左右されるところ,8a
−アザライドは他のマクロライド抗生物質と構造が異なり,その抗菌活性
を予測することができないから,家畜の呼吸器感染症に適用することを推
論することに阻害事由があると主張する。
しかし,本願補正明細書の段落【0004】には ,「8a−アザライド
は環窒素原子を含む15員ラクトン環を特徴とする抗生物質である。ヨー
ロッパ特許出願第508,699号には1群の8a−アザライドが開示さ
れており,エリスロマイシンに似た抗菌スペクトルをもち,大腸菌やイン
フルエンザ菌等のグラム陽性細菌及びグラム陰性細菌に対してin vi
tro活性であるとしている。‥‥‥」と記載され,段落【0021】に
は,「8a−アザライドはヨーロッパ特許出願第508,699号に開示
されているような公知化合物でもよいし,公知方法を使用して容易に入手
可能な出発材料から製造してもよい。‥‥‥」と記載され,8a−アザラ
イドの分子構造に起因する①安定性,②浸透性,③リボソーム結合性に関
連する記載はない。また,原告が根拠とする甲23∼27は,いずれも本
願の出願後の文献であるが,各記載内容を見ても,マクロライド分子の①
安定性,②浸透性,③リボソーム結合性に関する知見が本願の優先権主張
日当時の技術常識であると認めるに足る記載はない 。以上のとおりであり ,
原告の阻害事由があるとの上記主張は,その根拠がなく,採用することが
できない。
イ 原告は,本願の優先権主張日当時の技術水準(甲6 ,甲20 ,甲22等 )
によれば,家畜にエリスロマイシンを使用することについては,投与形態 ,
耐性菌などの点で重大な問題点と限界があったので,8a−アザライドを
家畜の細菌感染症に適用することには阻害事由があると主張する。
しかし,投与形態については,引用例1の段落【0073】には ,「経
口剤形で投与することができる。‥‥‥静脈内,腹腔内,皮下もしくは筋
肉内用形態で投与することができる 。」との記載があり,これによれば,
8a−アザライドに相当する式(Ⅱ)化合物は経口投与用に限定されたも
のではない。また,甲6には ,「1箇所の注射部において与えるのは,1
0ml以下であることが示唆された 。 (308頁)との記載があり,エ
」
リスロマイシンは一定量以下の注射投与が可能であることが示されてい
る。耐性菌の存在については,エリスロマイシンは1950年代以来使用
されてきた抗菌剤であって,エリスロマイシンに対する耐性菌の増加はエ
リスロマイシンが抗菌剤として長期間にわたりウシ呼吸器感染症の治療に
使用された結果によるものと理解できる。
したがって,原告が主張するエリスロマイシンに関する問題及び限界は ,
引用例1の8a−アザライドを家畜の細菌感染症に適用することの阻害事
由には当たらない。
(3) 格別の作用効果について
原告は,本願補正発明は,特定の種類の微生物及びそれによる家畜動物の
感染症に対して,予測することができない顕著な作用効果を奏すると主張す
る。
しかし,原告の上記主張は,以下のとおり,失当である。
ア 本願補正明細書の記載(甲4の2)
(ア) 「 0021 】 8a−アザライドはヨーロッパ特許出願第508 ,
【
699号に開示されているような公知化合物でもよいし,公知方法を使
用して容易に入手可能な出発材料から製造してもよい。8a−アザライ
ドの代表例を以下に挙げる。
‥‥‥
9−デオキソ−8a−アザ−8a−(プロピ−1−イル)−8a−ホモ
エリスロマイシンA;
‥‥‥
4”−デオキシ−4”−アミノ−9−デオキソ−8a−アザ−8a−メ
チル−8a−ホモエリスロマイシンA;
4”−デオキシ−4”−(S)−アミノ−9−デオキソ−8a−アザ−
8a−メチル−8a−ホモエリスロマイシンA;
4”−デオキシ−4”−(R)−アミノ−9−デオキソ−8a−アザ−
8a−メチル−8
‥‥‥
4”−デオキシ−4−アミノ−9−デオキソ−8a−アザ−8a−アリ
ル−8a−ホモエリスロマイシンA;
‥‥‥」
(イ) 「 0035 】以下,実施例により本発明をより詳細に説明するが ,
【
以下の実施例は請求の範囲を制限するものではない。
【0036】8a−アザライドのin vitro活性 家畜病原体パ
ネルに対する代表的8a−アザライドの抗菌活性を当技術分野で周知の
最小阻止濃度(MIC)法により測定した。これは,抗菌剤濃度の異な
る媒体を各々入れた一連の培養チューブを準備し,全チューブに同一生
物を接種することにより実施する。混濁の出現を完全に阻止する被験剤
の最低濃度を記録し,この濃度をMICと呼ぶ。
【0037】主要家畜病原生物に対する4”−デオキシ−4”−アミノ
−9−デオキソ−8a−アザ−8a−メチル−8a−ホモエリスロマイ
シンA,4”−デオキシ−4 ”(R)−アミノ−9−デオキソ−8a−
アザ−8a−メチル−8a−ホモエリスロマイシンA,4”−デオキシ
−4 ”(S)−アミノ−9−デオキソ−8a−アザ−8a−メチル−8
a−ホモエリスロマイシンA及び4”−デオキシ−4“−アミノ−9−
デオキソ−8a−アザ−8a−アリル−8a−ホモエリスロマイシンA
の抗菌活性範囲を以下に要約する 。」
(ウ) 「 0038】
【
生物名 MIC範囲 μg/ml )
(
P.haemolytica 0.125−0.5
P.multocida 0.125−0.5
H.somnus 0.125−0.250
A.pleuropneumoniae 0.062−0.125
大腸菌 0.5−2
サルモネラ種 0.5−4」
イ 判断
(ア) 本願補正明細書の段落【0037】及び【0038】には,本願補
正発明の式Ⅰに属する4種類の化合物(本願補正明細書の段落【002
1】に記載)について,6種類の家畜病原生物に対する生体外(インビ
トロ)での抗菌活性範囲(MIC)が記載されている。しかし,家畜に
対する具体的な薬物動態や治療成績は,何ら記載がない。
そうすると,本願補正発明の治療及び予防上の効果は,上記のインビ
トロでの抗菌データに基づいて導き出せる程度のものにすぎないもので
あるから,引用例1の式(Ⅱ)化合物に相当する8A−アザライドを家
畜の呼吸器又は腸内の細菌感染に対する治療及び予防のために適用した
場合,当業者にとって予想できる範囲の作用効果というべきである。
したがって,審決が引用例1,2から当業者が予測できる範囲のもの
であるとした判断に誤りはない。
(イ) この点について,原告は,甲7などにより,本願補正発明の8a−
アザライドに関する実験データと従来のチルミコシンに関する実験デー
タとを比較した試験結果を提示し,本願補正発明が技術水準から当業者
が予測できる範囲を超えた顕著な治療効果をもたらすものであると主張
する。
しかし,本願補正明細書には,上記アのとおり,本願補正発明の具体
的な効果については,特定の病原生物に対する抗菌活性範囲が記載され
ているのみであって,従来のマクロライド系抗生物質と比較してどの程
度に有利な効果があるのかは何も開示されていない。
したがって,本願出願後に提示された試験結果に基づく有利な作用効
果は,本願補正明細書の記載から推測できるものではないから,原告の
主張は採用できない。
3 本願発明の容易想到性の判断の誤り(取消事由3)について
原告は,本願発明の容易想到性についての審決の判断には,本願補正発明に
ついての判断と同様の誤りがあると主張するが ,前記1,2に判示したとおり ,
本願補正発明についての審決の判断に誤りはないから,本願発明についての審
決の判断にも,誤りはない。
4 結論
以上のとおり,原告の主張する取消事由はいずれも理由がなく,審決にこれ
を取り消すべきその他の違法もない。
よって,原告の本訴請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官 飯 村 敏 明
裁判官 三 村 量 一
裁判官 上 田 洋 幸
最新の判決一覧に戻る