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平成18(行ケ)10263審決取消請求事件

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裁判所 請求棄却 知的財産高等裁判所
裁判年月日 平成19年2月28日
事件種別 民事
当事者 被告東和医療器株式会社
原告社団法人長寿社会文化協会 あいおい損害保険株式会社 株式会社服部メディカル研究所 ら訴訟代理人弁理士吉田芳春
対象物 高齢者疑似体験用キット
法令 特許権
特許法29条2項1回
キーワード 審決46回
進歩性7回
無効6回
実施4回
特許権4回
分割1回
無効審判1回
主文 1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事件の概要 1 特許庁における手続の経緯 原告社団法人長寿社会文化協会及び原告あいおい損害保険株式会社(旧商 号・大東京火災海上保険株式会社)は,平成6年11月8日にした特許出 願(特願平6−273838号)の一部を分割して,平成9年3月24日, 発明の名称を「高齢者疑似体験用キット」とする発明につき特許出願(特願 平9−70285号。以下「本件出願」という。)をし,平成11年10月 15日,特許第2991989号として特許権(請求項の数2。以下「本件 特許権」といい,本件特許権に係る特許を「本件特許」という。)の設定登 録を受けた。その後,原告社団法人長寿社会文化協会及び原告あいおい損害 保険株式会社は,株式会社服部メディカル研究所に対し,本件特許権の持分 を一部譲渡し,平成14年9月26日,その移転登録がされた。 本件特許に対し被告から平成15年2月12日に特許無効審判請求がさ れ,特許庁はこれを無効2003−35048号事件として審理し,その係 属中の平成17年5月26日,原告らは,本件出願の願書に添付した明細書 について特許請求の範囲の減縮等を目的とする訂正の請求をした(以下,こ

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判決文

平成19年2月28日判決言渡
平成18年(行ケ)第10263号 審決取消請求事件
口頭弁論終結日 平成19年2月14日
判 決
原 告 社団法人長寿社会文化協会
原 告 あいおい損害保険株式会社
原 告 株式会社服部メディカル研究所
原告ら 訴訟代理人弁理士 吉 田 芳 春
被 告 東 和 医 療 器 株 式 会 社
訴 訟 代 理 人 弁 理 士 安 形 雄 三
同 五 十 嵐 貞 喜
主 文
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
特許庁が無効2003−35048号事件について平成18年4月24日
にした審決中,「特許第2991989号の請求項1,2に係る発明につい
ての特許を無効とする。」との部分を取り消す。
第2 争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告社団法人長寿社会文化協会及び原告あいおい損害保険株式会社(旧商
号・大東京火災海上保険株式会社)は,平成6年11月8日にした特許出
願(特願平6−273838号)の一部を分割して,平成9年3月24日,
発明の名称を「高齢者疑似体験用キット」とする発明につき特許出願(特願
平9−70285号。以下「本件出願」という。)をし,平成11年10月
15日,特許第2991989号として特許権(請求項の数2。以下「本件
特許権」といい,本件特許権に係る特許を「本件特許」という。)の設定登
録を受けた。その後,原告社団法人長寿社会文化協会及び原告あいおい損害
保険株式会社は,株式会社服部メディカル研究所に対し,本件特許権の持分
を一部譲渡し,平成14年9月26日,その移転登録がされた。
本件特許に対し被告から平成15年2月12日に特許無効審判請求がさ
れ,特許庁はこれを無効2003−35048号事件として審理し,その係
属中の平成17年5月26日,原告らは,本件出願の願書に添付した明細書
について特許請求の範囲の減縮等を目的とする訂正の請求をした(以下,こ
の訂正後の明細書を図面と併せて「訂正明細書」という。)。
特許庁は,平成18年4月24日,「訂正を認める。特許第299198
9号の請求項1,2に係る発明についての特許を無効とする。」との審決(
以下,単に「審決」という。)をし,その謄本は同年5月9日原告らに送達
された。
2 特許請求の範囲
訂正明細書の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(以下,請求項
1に係る発明を「本件発明1」,請求項2に係る発明を「本件発明2」とい
う。なお,下線部は,訂正箇所である。)。
【請求項1】 高齢による身体的機能の低下を疑似的に再現するために人体
に装着して使用される高齢者疑似体験用キットであって,高齢者疑似体験用
キットのうち,荷重用上着は,上着本体の前面左右に重りを収納するための
収納部としてのポケットを設け,各ポケットに対して上着本体の前面左右に
荷重をかける重りを出入自在に収納して前屈姿勢を再現することを特徴とす
る高齢者疑似体験用キット。
【請求項2】 前記ポケットが,上着本体の下段に設けられていることを特
徴とする請求項1記載の高齢者疑似体験用キット。
3 審決の内容
審決の内容は,別紙審決書写しのとおりである。
その理由の要旨は,本件発明1,2は,公知発明に基づいて当業者が容易
に発明をすることができたものであるから,本件特許は,特許法29条2項
の規定に違反し,同法123条1項2号の規定により無効とされるべきであ
るというものである。
審決は,A(以下「A」という。)の口頭審理における証言に基づいて次の
とおりの公知発明(以下「本件公知発明」という場合がある。)を認定した
上で,本件発明1と本件公知発明との一致点及び相違点を次のとおり認定し
た。
(本件公知発明の内容)
肩に荷重をかける部材。
(一致点)
「高齢による身体的機能の低下を疑似的に再現するために人体に装着して
使用される高齢者疑似体験用キットの装具の1つとしての荷重用部材。」で
ある点。
(相違点1)
本件発明1の荷重用部材が「上着本体の前面左右に重りを収納するための
収納部としてのポケットを設け,各ポケットに対して上着本体の前面左右に
荷重をかける重りを出入自在に収納」してなる「荷重用上着」であるのに対
し,本件公知発明は肩に荷重をかける以外の構成は不明である点。
(相違点2)
本件発明1の荷重用部材が「前屈姿勢を再現する」ものであるのに対し,
本件公知発明は「上半身を重いと体感」するものである点。
第3 当事者の主張
1 審決の取消事由に関する原告らの主張
審決は,本件公知発明の認定を誤り(取消事由1),本件発明1及び本件
発明2の容易想到性の判断を誤った(取消事由2,3)点に違法がある。
(1) 取消事由1(本件公知発明の認定の誤り)
審決は,本件の口頭審理におけるAの証言によれば「高齢者特有の症状と
しては,上半身を重いと感ずることがあり,その疑似体験のために肩に荷
重をかけることが,本件出願当時広く行われていたと認めることができ
る。」(審決書8頁35行∼37行)として,Aの上記証言における「肩に
荷重をかける部材」を公知発明であると認定した。
しかし,Aの上記証言は,太めの布に入れた砂嚢を指示された肩部位に縛
り付けた学生の学習体験の様子を供述したものであって,構成が一切示さ
れていない。証言によれば,同部材は,肩への縛り付け方法や締め付け具
合等が一様でなく,肩への縛り付けは技術のある補助者を要する もの
で,簡単とはいえず,人体への安全性に欠け,再現性に乏しく,完成度
は低い。
したがって,本件出願の当時,肩に荷重をかける部材が存在していた
としても,産業上利用できる高齢者疑似体験装具とはいえないから,審
決が,上記証言中の部材を公知発明と認定したのは誤りである。
(2) 取消事由2(本件発明1の容易想到性の判断の誤り)
ア 相違点1についての容易想到性の判断の誤り
審決は,相違点1について,「重い上着の着用時に,上半身を重いと
体感することは,当業者のみならず広く一般人が経験することであるか
ら,公知発明の重りを,重い上着とすることは当業者にとって想到容易
である。」(審決書9頁13行∼15行),「上着に通常設けられてい
るポケット(バランスをとるため等の理由から,前面左右に設けること
は設計事項に属する。)に重りを収納する(出入自在である)ことは極
めてありふれた態様であり,設計事項というべきである。」(同9頁1
9行∼22行)として,本件公知発明に基づき,相違点1に係る本件発
明1の構成を採用することは当業者にとって容易想到であると判断し
た。
しかし,審決の上記判断には誤りがある。すなわち,本件発明1の荷
重用上着は,前面左右の重りは前面側の胸部に作用して背面側の背筋の
起き上がり動作を規制ないしにぶらせようとするものであって,骨盤を
中心とする曲げモーメントが人体前面に作用し,疑似体験による日常的
動作をとるうちに,体重移動に伴って前側の重りが作用して姿勢が自
然に前傾できるようにしたものであり(甲15),健常な高齢者の体
験を,本件発明1によって再現させることを目的としたものであるの
に対して,「肩に荷重をかける部材」(本件公知発明)は,肩の不特
定な部位に荷重をかけて老人病の症状を重さとして体感させるための
ものである点で異なる。当業者が,本件公知発明に基づいて本件発明
1の荷重用上着の構成を採用することは容易とはいえない。
イ 相違点2についての容易想到性の判断の誤り
審決は,相違点2について,訂正明細書(段落【0023】)の記載
によれば,「実際にポケットに収納が予定されている重りは1㎏又は2
㎏程度である。」(審決書9頁31行∼32行),「公知発明は「『上
半身を重いと体感』するためのものであるが,かかる体験をするため
に,重りの重さを1㎏又は2㎏程度以上とすることは設計事項程度であ
る」(同9頁33行∼35行)とした上で,相違点2に係る本件発明1
の構成を採用することは当業者にとって容易想到であると判断した。
しかし,審決の上記判断には誤りがある。すなわち,本件発明1にお
ける高齢者疑似体験は,単に起立して静止しているのではなく,動作
を行うのであるから,様々な体験動作による体重移動などの変化を伴
う。例えば,歩行動作に際しては,足の前方移動による体重移動と歩
行バランスとを利用すれば,少ない重りであっても人体前側への前傾
モーメントを発生させる。本件発明1は実施例に示す1∼2㎏の重り
の作用で,自然に前傾する効果を奏する。
審決は,本件発明1につき,単なる起立状態のみを前提として肩に
荷重がかかることになると判断したものであって,高齢者疑似体験に
伴う体験動作による作用を看過して,容易想到と誤って判断した。
本件発明1に係る「前屈姿勢を再現する」との構成は,容易想到とは
いえない。
ウ まとめ
以上のとおり,当業者が本件公知発明に基づいて本件発明1を容易に
発明することができたとの審決の判断には誤りがある。
(3) 取消事由3(本件発明2の容易想到性の判断の誤り)
本件公知発明に基づいて本件発明1を容易に発明することができたとの
審決の判断に誤りがあり,本件発明1は進歩性を有するから,本件発明1
と従属項の関係にある本件発明2も進歩性を有する。
したがって,本件発明2について当業者が容易に発明をすることができ
たとの審決の判断は誤りである。
2 被告の反論
(1) 取消事由1に対し
Aの証言(甲9)によれば,本件出願の当時,大学の看護学部の講義にお
いて,疑似体験のために肩に荷重をかけることが実施されていたことが認
められる。
Aは,肩に荷重をかける際に補助者の介在が必須であると供述していな
い。仮に肩に荷重をかける際に補助者による肩への縛り付け行為が必要で
あるとしても,疑似体験は,補助者に関係なく,肩へ縛り付けた状態で行
われるものであり,肩へ縛り付ける手法や手順は,本件公知発明の存在及
び内容に影響しない。また,人体への安全性,再現性,完成度等も本件
公知発明の存在及び内容に影響しない。
したがって,審決が「肩に荷重をかける部材」を公知発明と認定したこ
とに誤りはない。
(2) 取消事由2に対し
ア 相違点1の判断の誤りに対し
重い上着の着用時に,上半身を重いと体感することは,当業者のみな
らず広く一般人が経験することである。上着を重くする目的で,上着の
材料を金属等の重量のある素材で構成することも考えられるし,その素
材に代えて,又は併用して重りをつけたり,若しくはポケットに重りを
収納(出入自在)して重い上着とすることは,当業者にとって容易なこ
とである。
また,ポケットは,通常,上着の背面部ではなく,前面側に設けられ
るものであり,その機能又は作用は物を収納することにあり,収納物は
一般に重量を有する。本件発明1の上着は「荷重用上着」となっている
が,実質的には前面左右に多くのポケットが設けられた釣り用上着,旅
行用上着,登山用上着等と構造上の相違はない。
さらに,本件発明1は,「荷重用上着」として,骨盤を中心とする曲
げモーメントが人体前面に作用するような特別な構造を有しているわけ
ではない。
したがって,相違点1に係る本件発明1の荷重用部材の構成を採用す
ることは当業者にとって容易に想到できるとした審決の判断に誤りはな
い。
イ 相違点2の判断の誤りに対し
「上半身を重いと体感」するための本件公知発明について,重りの重
さを1㎏又は2㎏程度以上とすることは,単なる設計変更にすぎない。
また,訂正明細書の段落【0023】の記載によれば,本件発明1の
上着のポケットに実際に収納が予定されている重りは1㎏又は2㎏程度
であるが,Aの証言(甲9)によれば,1㎏又は2㎏程度の重りを収納し
たことによって,上着装着者が前屈姿勢とせざるを得ないとは認め難
い。
したがって,相違点2に係る本件発明1の荷重用部材の構成を採用す
ることは当業者にとって容易想到であるとした審決の判断に誤りはな
い。
(3) 取消事由3に対し
本件発明1の進歩性を否定した審決の判断に誤りはないから,本件発明
明1と従属項の関係にある本件発明2の進歩性に関する審決の判断にも誤
りはない。
第4 当裁判所の判断
1 取消事由1(本件公知発明の認定の誤り)について
(1) 原告らは,審決が,本件の口頭審理におけるAの証言における「肩に荷
重をかける部材」(本件公知発明)を公知発明であると認定したことに誤
りがあると主張する。しかし,原告らの主張は,以下のとおり理由がな
い。
ア 事実認定
(ア) 甲9(本件の口頭審理におけるAの供述の反訳書)によれば,平成
6年当時,千葉大学看護学部教授であったAは,同看護学部の「老人看
護学」の授業において,老人が肩が重くて苦しい,背中が曲がって苦
しい,上半身が重いと感じる,背中の真ん中が飛び出して猫背にな
る,首だけが下がる,腰が曲がり,時々は伸ばせるが上半身が重くて
曲がってしまうなどの高齢者特有の症状を学生に疑似体験させるた
め,厚めの布を縫ってその中に砂嚢を入れた重りとし,この重りを学
生の肩,首,背中又は腰に縛り付ける方法を用いていたこと,この重
りをつける部位は,あらかじめ部位を記載したカードを用意し,学生
にこれをひかせて,その結果により指示していたことが認められる。
そして,甲3(看護展望1993年7月号32∼36頁,Aほか千葉
大学看護学部の講師等の論稿)によれば,「われわれは,看護学部学
生の3年次の老人看護方法論の授業の中で,2年前からこの体験学習
を行っている。」,「シミュレーションゲーム“INTO AGIN
G”は,老いと老年期を模擬体験し,その理解を深めることを目的と
して,Hoffmanらの文献を参考に開発した。」,「① 人数 体験者7
∼13人,進行役4人,アシスタント3人。」,「② 用意するもの
・・・模擬体験道具(・・・体のだるさを体験するための砂嚢・・
・など)。」との記載があることによれば,上記のような疑似体験を
採り入れた授業は,本件出願(出願日・平成6年11月8日)の少な
くとも2年前から行われていたことが認められる。
(イ) 上記(ア)によれば,本件出願の当時,上半身を重いと感じたり,
腰が曲がる等の高齢者特有の症状を疑似体験するため,太めの布を縫
ってその中に砂嚢を入れたものが,肩等の部位に荷重をかける重りと
して使用できることは,千葉大学の学生をはじめ多数の者に知られて
いたことが認められる。
そうすると,本件出願の当時,高齢者特有の上記症状を疑似体験さ
せるため,上記の砂嚢のような部材を肩に装着して使用することは公
然知られていたというべきであるから,審決が本件の口頭審理におけ
るAの証言に基づいて「肩にかける部材」(本件公知発明)が公知発明
であるとした認定に誤りはない。
イ 原告らの主張に対する判断
これに対し原告らは,Aの上記証言は,厚めの布に入れた砂嚢を指示さ
れた肩部位に縛り付けた学生の学習体験の様子を供述したものであっ
て,構成が明らかでなく,同部材は,肩への縛り付け方法や締め付け具
合等が一様でなく,肩への縛り付けは技術のある補助者を要するもの
で,簡単とはいえず,人体への安全性に欠け,再現性に乏しく,完成
度は低いので,本件出願の当時,肩に荷重をかける部材が存在してい
たとしても,産業上利用できる高齢者疑似体験装具とはいえない か
ら,審決が,上記証言中の部材を公知発明と認定したのは誤りである
と主張する。
しかし,①甲2(1992年8月6,7日開催の第23回日本看護学
会収録156∼159頁)には,「老人を理解するための体験学習の意
義について −腰曲げ歩行の体験学習の検討から−」と題する帝京平成短期大
学看護学科の報告として,「対象:当短期大看護学科2年生1 15
名」,「期間:1991年後期老人看護学の授業の後半を演習と体験学
習に当てた(授業の29%)。」,「実施方法:学生は老人役と看護婦
役の2人1組として腰を曲げて歩く。腰曲げを意識するために1∼5㎏
の砂嚢を腰に乗せ,角度も約45゜と90゜の2通り行う。」との記載
があること,②甲4(大阪府立公衆衛生専門学校紀要第12号(199
2年))には,「老人看護学における演習方法のすすめ方と教育効果−老
人のイメージ体験を通しての検証−」,「表1 疑似老人体験学習の条件設
定」の条件として「7.両足背に1㎏の砂のうを装着固定する。」との
記載があることによれば,本件出願の当時,千葉大学のほかにも複数の
大学等において,老人看護学の領域において学生に老人の疑似体験をさ
せる授業が行われ,その中で,「砂嚢」が腰曲げ等の老人の症状を疑似
体験させるための重りとして使用されていたことが認められる。
そうすると,腰曲げ等の高齢者特有の症状を疑似体験させるための重
りとして砂嚢を人体に装着することに格別の技術を要するものではない
というべきであり,また,肩に装着するために補助者が必要であったと
しても,そのことによってAが供述する砂嚢のような「肩に荷重をか
ける部材」が高齢者特有の症状を疑似体験をするための用具として人体
への安全性に欠けるとか,再現性に乏しく産業上利用できないという
こともできない。
したがって,原告らの上記主張は採用することができない。
(2) したがって,審決の本件公知発明の認定に誤りはないから,原告ら主張
の取消事由1は理由がない。
2 取消事由2(本件発明1の容易想到性の判断の誤り)について
(1) 相違点1に係る容易想到性について
ア 原告らは,本件発明1の荷重用上着は,前面左右の重りは前面側の胸
部に作用して背面側の背筋の起き上がり動作を規制ないしにぶらせよう
とするものであって,骨盤を中心とする曲げモーメントが人体前面に作
用し,疑似体験による日常的動作をとるうちに,体重移動に伴って前
側の重りが作用して姿勢が自然に前傾できるようにしたものであり,
健常な高齢者の体験を,本件発明1によって再現させることを目的と
したものであるのに対して,「肩に荷重をかける部材」(本件公知発
明)は,肩の不特定な部位に荷重をかけて老人病の症状を重さとして
体感させるためのものである点で異なり,当業者が,本件公知発明に
基づいて本件発明1の荷重用上着の構成を採用することは容易とはい
えないから,審決の判断には誤りがあると主張する。
イ しかし,原告らの主張は,以下のとおり理由がない。
通常,人が起立し,歩行する場合,転倒を回避するため,装着物や荷
物を含めた体の重心が足部の接地面の直上の範囲内となるように姿勢を
変えてバランスを保とうとする。そこで,装着物や荷物等を含めた重り
が後方に加わることによって重心が接地面よりも後方に移動した場合に
は,人は,腰を中心として,上半身を前屈させて,バランスを保とうと
する。これと逆に,装着物や荷物等を含めた重りが前方に加わることに
よって重心が接地面よりも前方に移動した場合には,曲げモーメントが
人体前面に作用するため,人は,腰を中心として上半身を後ろに反らせ
ることによりバランスを保とうとする。したがって,杖具や身体の拘束
手段を用いるなど特段の方法を用いる場合はさておき,上着本体前面に
設けたポケットに単に重り(特許請求の範囲の記載からは重りの重量は
明らかでない。)を加えることによっては健常な若年の被験者をして,
当然に,前屈姿勢を再現する効果を奏することはない。本件発明1は,
被験者が,前屈姿勢をとったときには,重さを体感することができるも
のではあるが,そのような体験は,本件公知発明においても生じるもの
であって,ごく常識的な事項にすぎない。
そして,本件発明1の荷重用上着の「前面左右における重りを収納す
るための収納部としてのポケット」(請求項1)は通常の上着のポケッ
トと構造において格別変わるところはない。
そうすると,前記1(1)ア認定のとおり,本件出願の当時,上半身を重
いと感じたり,腰が曲がる等の高齢者特有の症状を疑似体験するため
に,太めの布を縫ってその中に砂嚢を入れた「肩にかける部材」(本件
公知発明)が使用されていたのであるから,本件公知発明に基づき,本
件発明1における,体の前側に荷重を付加する手段を想到することは容
易であると認められる。そして,当業者にとっては,体の前側に荷重を
付加する手段として,上記砂嚢のような「肩にかける部材」を使用する
代わりに,胸部等の前ポケットに重りを入れた上着を被験者に着用させ
ることも容易に考えつくことであり,設計事項であると認められる。
(2) 相違点2に係る容易想到性について
ア 原告らは,本件発明1における高齢者疑似体験は,単に起立して静止
するのではなく,様々な体験動作による体重移動などの変化を伴うか
ら,少ない重りであっても人体前側への前傾モーメントを発生させ,
実施例に示す1∼2㎏の重りの作用で,自然に前傾させる効果を奏す
るものであり,本件発明1は,公知発明から容易に想到することはで
きないから,審決の判断には誤りがあると主張する。
イ しかし,原告らの主張は,以下のとおり理由がない。
前記(1)イで述べたとおり,「肩にかける部材」(本件公知発明)は,
高齢による身体的機能の低下を疑似的に再現するために,被験者に対
し,荷重を付加するものであるから,本件公知発明を基礎として「前屈
姿勢を再現」する効果を奏するとの目的で(そのような格別の効果を奏
するか否かはさておき),荷重をかける位置を上着本体の前面にすると
の構成を採ることは容易であると認められるから,これと同旨の審決の
相違点2の判断に誤りはない。
なお,審決は,「訂正明細書の『高齢者疑似体験者(以下体験者と称
する)400が荷重用上着30を装着して歩行する場合,図3に示した
如く,荷重用上着30の各ポケット31,32,33,34に挿入され
た重りによって胸部に荷重がかけられることから,体験者400は全体
的に前傾姿勢となる。』(段落【0015】)との記載には疑義があ
る」(審決書10頁6行∼10行)とした上で,仮に「訂正明細書の記
載に誤りがないとすれば,公知発明を出発点として,上着前面ポケット
に1㎏又は2㎏程度の重りを収納したものは,『前屈姿勢を再現する』
ものになるといわざるを得ないから,結局のところ,相違点2に係る本
件発明1の荷重用部材の構成を採用することは当業者にとって想到容易
である。」(同10頁10行∼14行)との判断を示している。上記審
決の記載部分からも明らかなように,審決は,そもそも,「体験者が前
傾姿勢となる」との訂正明細書の記載に対して疑義を抱いており,本件
発明1が容易想到であるとの判断は,あくまでも,訂正明細書の記載に
誤りがないという仮定の上でのものである。いずれにせよ,相違点2に
ついて容易想到であるとした審決の判断に違法を来す誤りはない。
(3) まとめ
以上のとおり,審決の相違点1,2の判断に原告ら主張の誤りはなく,
本件発明1は進歩性を有しないというべきであるから,原告ら主張の取消
事由2は理由がない。
3 取消事由3(本件発明2の容易想到性の判断の誤り)について
前記2のとおり,本件発明1の進歩性を否定した審決の判断に誤りはない
から,本件発明1に対して従属関係に立つ本件発明2について進歩性がない
とした審決の判断にも誤りはない。
したがって,原告ら主張の取消事由3は理由がない。
4 結論
以上のとおり,原告ら主張の取消事由はいずれも理由がない。なお,原告
らは,他にも審決の認定判断の誤りを縷々主張するが,その主張自体審決の
結論に影響を及ぼすものではなく,審決を取り消すべき瑕疵に該当しない。
よって,原告らの本訴請求は理由がないから棄却することとして,主文の
とおり判決する。
知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官 飯 村 敏 明
裁判官 大 鷹 一 郎
裁判官 嶋 末 和 秀

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