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平成18(行ケ)10035審決取消請求事件

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裁判所 請求棄却 知的財産高等裁判所
裁判年月日 平成18年7月19日
事件種別 民事
当事者 被告特許庁長官
原告東洋紡績株式会社
法令 特許権
キーワード 審決24回
訂正審判7回
実施7回
特許権1回
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事件の概要 原告は,後記特許の特許権者であるところ,特許庁が東レ株式会社からの特許 異議の申立てに基づき特許取消決定をしたので,その取消訴訟を提起するととも に,特許庁に対し訂正審判請求をした。しかるに,特許庁が,請求不成立の審決 をしたため,原告がその取消しを求めた事案である。

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判決文

平成18年(行ケ)第10035号 審決取消請求事件
口頭弁論終結日 平成18年7月10日
判 決
原 告 東 洋 紡 績 株 式 会 社
訴訟代理人弁理士 鈴 木 崇 生
同 尾 崎 雄 三
同 梶 崎 弘 一
同 光 吉 利 之
同 今 木 隆 雄
同 福 井 賢 一
被 告 特 許 庁 長 官
中 嶋 誠
指 定 代 理 人 松 井 佳 章
同 野 村 康 秀
同 唐 木 以 知 良
同 小 林 和 男
主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
特許庁が訂正2005-39108号事件について平成17年12月14日にした審決を取
り消す。
第2 事案の概要
原告は,後記特許の特許権者であるところ,特許庁が東レ株式会社からの特許
異議の申立てに基づき特許取消決定をしたので,その取消訴訟を提起するととも
に,特許庁に対し訂正審判請求をした。しかるに,特許庁が,請求不成立の審決
をしたため,原告がその取消しを求めた事案である。
なお,前記特許取消決定の取消しを求める訴訟は,平成17年(行ケ)第10442号
事件として当庁に係属中であり,本件訴訟と並行して審理が進められている。
第3 当事者の主張
1 請求原因
(1) 特許庁における手続の経緯
原告は,名称を「自動車安全装置用織物の製造方法」とする発明につき,
平成5年2月4日に特許出願をし,平成14年4月5日に特許第3293216号と
して設定登録を受けた(請求項の数は1。甲22〔特許公報〕。以下「本件特
許」という。)。
その後本件特許に対し,東レ株式会社から特許異議の申立てがなされ,同
事件は異議2002-73007号事件として特許庁で審理された。そして同庁は,
平 成 17年 3 月 11日 , 「 特 許 第 3293216号 の 請 求 項 1 に 係 る 特 許 を 取 り 消
す。」旨の決定をしたので,原告は,同決定の取消しを求める訴えを当庁に
提起した(平成17年(行ケ)第10442号)。
同訴訟係属中の平成17年6月22日,原告は本件特許につき訂正審判請求
(甲23。以下「本件訂正審判請求」という。)を行い,同請求は訂正2005-
39108号事件として特許庁に係属した。特許庁は,同事件について審理した
上,平成17年12月14日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決を
し,その謄本は平成17年12月27日原告に送達された。
(2) 本件訂正審判請求の内容
原告のなした本件訂正審判請求(甲23)の詳細は,別添審決写し2頁の訂
正事項aないしdのとおりである。
これを要するに,特許請求の範囲の請求項1の「合成繊維」を
「ナイロン66」に,「0.06重量%以上」を「0.06重量%以上5重量%以下」
に各改め,発明の詳細な説明の【0005】も同様に変更しようとするものであ
る。
なお,本件訂正前の請求項1と訂正後の請求項1の内容は,下記のとおり
である。

ア 訂正前の請求項1
「450デニール以下の合成繊維マルチフィラメントから構成され,カバーフ
ァクターが1700以上の織物に水系の油剤(シリコン樹脂を水に乳化したも
のを除く)を付与し,前記織物上の油剤量を織物重量に対し0.06重量%以
上となるようにすることを特徴とする自動車安全装置用織物の製造方
法。」(以下「訂正前発明」という。)
イ 訂正後の請求項1
「450デニール以下のナイロン66マルチフィラメントから構成され,カバ
ーファクターが1700以上の織物に水系の油剤(シリコン樹脂を水に乳化し
たものを除く)を付与し,前記織物上の油剤量を織物重量に対し0.06重量
%以上5重量%以下となるようにすることを特徴とする自動車安全装置用
織物の製造方法。」(下線は訂正部分。以下「訂正発明」という。)
(3) 審決の内容
審決の内容は,別添審決写しのとおりである。
その理由の要点は,訂正事項aないしdはいずれも減縮等を内容とするも
のであるが,明細書全体の記載をみても,訂正後の発明である「織物上の油
剤量を織物重量に対し0.06重量%以上5重量%以下」の範囲が結局は不明で
あり,特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしていないから,独立
特許要件を欠く等としたものである。
(4) 審決の取消事由
しかしながら,本件訂正発明に係る特許出願は,以下に述べるように,特
許出願の際独立して特許を受けることができるものであるから,審決の判断
は誤りであり,審決は違法として取消しを免れない。
ア 「油剤量」の意味についての判断の誤り(取消事由1)
審決が,「油剤量」がいかなる材料の量を意味するのかが不明確である
と判断したことは,以下のとおり誤りである。
(ア) 本件訂正請求に係る明細書(甲24。以下「訂正明細書」という。)
の以下の記載によれば,本件訂正発明にいう「油剤量」は,油剤の成
分,組成にかかわらず,有機溶剤で抽出され,計量される量として規定
されていることは明らかである。
a 段落【0022】には,「実施例1 ………。得られた織物の油剤量は有機溶剤
抽出法で測定し結果,0.08重量%であった。」 と記載されており,これによ
れば,本件訂正発明において,「油剤量」は,有機溶剤で抽出され,
計量される量であることが明確に記載されている。
b 段落【0025】には,「これより,油剤量が0.06重量%以上にすることが必要
なことがわかる。」 との記載があり,実施例1記載の測定方法により測
定された油剤量0.06重量%という値が本件訂正発明の油剤量の下限と
して規定されている。
c 段落【0026】には「実施例3 油剤の種類を下記のものに変更した以外は実
施例1と同様にして織物を得た。織物の特性を表3に示す。」と記載され,当該
【表3】には4種類の油剤が表示されているのであり,同一の測定方
法で測定したと解すべき油剤量が記載されている。
(イ)「油剤量」が,油剤の成分,組成にかかわらず,有機溶剤で抽出さ
れ,計量される量を意味することは,技術常識である。
a 下記の各文献には,それぞれ下記のとおりの記載がある。

(a) 日本工業規格「化学繊維タイヤコード試験方法 JIS L1017‐1963」(甲1。以
下「甲1規格」という。)
溶 剤 抽 出 分 ( 油 剤 量 に 相 当 す る ) の 測 定 方 法 と し て , 「 5.14 溶剤抽出
分」(7頁下6行~9頁13行)の項目において,「5.14.1 アルコール・ベン
ゾール抽出分(レーヨンおよびビニロンの場合)」,「5.14.2 エーテル抽出
分(ナイロンの場合)」,「5.14.3 四塩化炭素抽出分(ナイロンの場合)」
「5.14.4 メチルアルコール抽出分(ポリエステル繊維の場合)」の4種類の
測定方法が記載されている。いずれの測定方法においても,有機溶剤抽出液
の有機溶剤を揮発させて残ったものの重量を測定して百分率で表すことが記
載されている。計量対象の成分などについては,何の記載もない。
(b) 日本工業規格「一般織物試験方法 JIS L1096‐1990」(甲2。以下「甲2規
格」という。)
「6.36 溶剤抽出分」(46頁14行~47頁15行)の項目において,「6.36.1
A法(アルコール・ベンゼン抽出法)」,「6.36.2 B法(四塩化炭素抽出
法),「6.36.3 C法(メチルアルコール抽出法)」の3種類の油剤量の測定
方法が記載されている。いずれの測定方法においても,有機溶剤抽出液の有機
溶剤を揮発させて残ったものの重量を測定して百分率で表すことが記載されて
いる。甲1規格と同様に計量対象の成分などについては,何の記載もない。
(c) 昭和50年3月10日発行・日本繊維機械学会繊維特性評価研究委員会編「繊維計
測便覧」〔日本繊維機械学会発行〕(甲3。以下「甲3便覧」という。)
Ⅰ「人造繊維の糸は工程上必要な油剤が表面に付着していることが多い。繊
維が布の段階になると,糊,油剤,樹脂加工剤などが付着している場合が多
い。そのうち油剤は動植物からの油脂,ロウ(ワックス),またはそれらの
成分,鉱油,および界面活性剤などから構成されている。………したがって
繊維表面付着物を便宜上,ロウおよび油剤成分の油脂分と加工用樹脂の樹脂
分とにわけて考える。油脂分は溶剤に溶解しやすいが,樹脂分は溶解しにく
いものが多い。」(138頁下1行~139頁6行)
Ⅱ「油脂分は適当な溶剤により繊維から溶出,分離され,その重量から付着
量が決定される。溶剤としては繊維を損傷することなく,目的とする油脂
分のみ溶出させ,しかも溶出物と溶剤との分離が容易なものが選ばれる。
………以上の観点から現在もっとも妥当と考えられる油脂分定量法の一つ
はJISに定められている一連の方法であり,第3・5-1表に例示した溶剤でソ
クスレー抽出により油脂分が定量される。」(139頁11~19行)
Ⅲ 第3・5-1表(139頁)には,自動車安全装置用基布(エアバッグ用基布)
として一般的に使用される合成繊維であるナイロンについて,溶剤として
エーテル又は四塩化炭素が,JIS番号としてL1017-1963(甲1規格)が例示
されている。
(d) 平成6年3月25日発行・社団法人繊維学会編「第2版繊維便覧」(丸善株式会
社発行)(甲19。以下「甲19便覧」という。)
Ⅰ「オイリングの形態には次に示す三つがあり,目的に沿って使い分けてい
る。
エマルション型:油剤を水でエマルション化し,オイリング液とする。…
……
ストレート型:油剤を低粘度パラフィンなどの溶剤に溶解して,オイリ
ング液とする。………
ニート型:油剤をそのまま,または加温してオイリング液として使用す
る。………」(81頁左欄19~36行)
Ⅱ「油剤の付着量[%]は繊維の重量に対する付着油剤の重量の割合で表さ
れる。」(81頁右欄22~23行)
Ⅲ「油剤は潤滑性を付与する“潤滑剤”と乳化性および集束性,制電性,ぬれ
性を付与する“界面活性剤”とから成る。………その他必要に応じて,乳化
調整剤および酸化防止剤,防腐剤,消泡剤,防錆剤などを少量添加する。」
(81頁右欄下1行~82頁左欄6行)
(e) 特開平2-68363号公報(甲16)
Ⅰ「本発明はナイロン66糸条に関する。」(1頁右欄1行)
Ⅱ「油剤成分にはアルケニルコハク酸,オレイルオレートスルホン酸Na塩,…
…等が該当するがこの他に高級脂肪酸及びそのNa,K塩でも良い。乳化剤で
ありながら制電効果を示すものや,制電剤でありながら乳化の働きをするの
で乳化剤と制電剤の区別がむずかしく乳化剤+制電剤を乳化剤及び制電剤と
いう表現にした。」(3頁左上欄2~10行)
Ⅲ「油剤付着量とはナイロン66マルチフィラメント2.06gをジクロルメタン3
ccにて4回の量で東海計器株式会社製の迅速残脂抽出装置で(加熱部110℃)
抽出し次の計算式で求めた値をいう。
(残脂量g/2g)×100〔%〕」(3頁左下欄3~7行)
Ⅳ 実施例において「配合油剤」として5~8種の成分を含む油剤が記載さ
れている(3頁右下欄~4頁左下欄)。
(f) 特開平2-84552号公報(甲17),特開平4-146270号公報(甲18)
上記(e)と同じ出願人による特許出願の公開公報であり,上記(e)のⅠ,Ⅲと
同じ記載がある。
b 上記aの(a)(b)(c)の各記載によれば,油剤の成分,組成にかかわ
らず有機溶剤で抽出され,計量される量が「油剤量」であることは
技術常識であることが示されている。
上記aの(d)の記載においては,油剤の付着量の定義と油剤の組
成が記載されており,油剤の構成成分として潤滑剤,界面活性剤に
加えて酸化防止剤,防錆剤なども記載されており,これらを含む組
成物を「油剤」と呼び,その付着量を「油剤の付着量」とすること
が技術常識であることが示されている。
上記aの(e)(f)の各記載においても,油剤は多種の成分から構成さ
れており,上記aの(d)Ⅲによれば酸化防止剤などの添加剤が含まれ
ているが,その組成にかかわらず有機溶剤で抽出され,計量される量
が「残脂量」であり,この値から計算で「油剤量」を求めることが公
知であることが示されている。この点は上記aの(c)(甲3便覧)の
記載と同じであり,訂正明細書(甲24)記載の測定方法もこれと同じ
である。
(ウ) したがって,審決が,計量の対象が不明であるから「油剤量」の
意味が不明確であると判断したことは,訂正明細書の記載の認定,判
断を誤り,技術常識の認定,判断を誤ったものであって失当である。
イ 油剤量の測定方法が不明とした判断の誤り(取消事由2)
審決は,「織物上の油剤量」の測定方法が不明であると判断したが,本
件訂正発明における油剤量の測定方法が,JIS L1017-1963(甲1規格)の
「5.14.2 エーテル抽出分」に規定された方法であることは当業者にと
って一義的に明らかであり,審決の判断は誤りである。
(ア) 訂正明細書(甲24)の上記記載(ア(ア)のa~c)によれば,油剤量
の測定方法が有機溶剤抽出法であることが明確にされている。
(イ) 甲1規格,甲2規格,甲3便覧の上記各記載(ア(イ)aの(a)~(c))
によれば,油剤の付着量が,有機溶剤にてソックスレー抽出器により抽
出して重量測定法により測定した値であることは,当業者の技術常識で
ある。
本件訂正発明において繊維の種類はナイロンであるから,甲3便覧の
記載(ア(イ)a(c)Ⅲ)に従って,JIS L1017-1963(甲1規格)に示され
た方法により測定することになる。抽出のために使用する有機溶剤の
種類について,甲3便覧では「エーテルまたは四塩化炭素」が挙げられ
ているが,甲3便覧の発行の後に,四塩化炭素は,毒性等の問題から,
モントリオール議定書によって原則として使用が禁止され,化学物質の
審査及び製造等の規制に関する法律(以下「化審法」という。)による
規制対象ともなったことに照らし,本件出願当時(平成5年2月4日)
の技術常識としては,エーテルを選択すべきことが明らかである。
(ウ) 昭和43年11月30日発行・繊維学会編「繊維便覧 原料編」(甲12。以
下「甲12便覧」という。)には,下記の記載がある。

「2.2.7 繊維油剤(仕上剤)
繊維に対して整経,紡績,製編,染色その他の工程を円滑に行ないうるよ
うな性質を与えるために付与するものである。従って柔軟性,平滑性,適当
なる摩擦性,帯電防止性など,幾多の要求が目的別に存在し,おのおの目的に
適合した仕上剤が使用されている。………いずれも処方を明らかにされない場
合が多いので,つぎのような項目について試験し間接的にその性質をチェッ
クしている。
JIS K 3361によれば,………,付着量〔判決注:「付着料」は誤記〕,油焼
け度などについて試験方法が規定されている。」(411頁1行~12行)
甲12便覧の上記記載によれば,繊維の油剤付着量はその特性に重要な
影響があること,並びに付着量の測定方法はJISに規定されること
が,古くから当業者に一般的に知られていたことが示されている。
そして,甲12便覧に引用されている日本工業規格「化学繊維用高級ア
ルコール系仕上剤試験方法 JIS K 3361-1979」(甲21。以下「甲21規
格」という。)には,甲1規格と使用する有機溶剤は異なるものの,同
様の測定方法が記載されている。
2 請求原因に対する認否
請求原因(1)~(3)の各事実は認める。同(4)は争う。
3 被告の反論
原告が,審決の認定判断が誤りであるとして主張するところは,次のとおり
いずれも失当である。
(1) 取消事由1に対し
ア 訂正明細書には「油剤量」の定義はなされていない。また,油剤を構成
する成分には,甲1規格,甲2規格及び甲3便覧に記載された有機溶剤に
溶解しないものがあるから,ナイロン繊維に付着した油剤の量と有機溶剤
で抽出された「有機溶剤抽出量」とは必ずしも一致しない。したがって,
繊維に付着した油剤量と有機溶剤抽出量とが等しいとする根拠はない。
イ 甲1規格,甲2規格においては「溶剤抽出分」と,甲3便覧においては
「油脂分」と,それぞれ記載されており,これらが「油剤量」であるとは
されていない。そして,甲1規格,甲2規格,甲3便覧,甲19便覧の記載
を検討しても,本件訂正発明にいう「油剤量」の意義が明確であるとはい
えない。
(2) 取消事由2に対し
ア 本件訂正発明は「自動車安全装置用織物の製造方法」に係るものである
から,「油剤量」の測定方法として,「化学繊維タイヤコード試験方法」
に係る甲1規格に記載された方法を適用することが技術常識であるとはい
えない。また,ソックスレー抽出器の使用も,技術常識とはいえない。
イ 甲1規格に記載された有機溶剤抽出法により測定することが技術常識
であるとしても,甲1規格にはナイロン繊維に使用する有機溶剤として
四塩化炭素とエチルエーテルの2種が記載されており,いずれを使用す
るかによって測定結果は異なるはずであるから,測定方法が明確であると
はいえない。本件出願の当時,四塩化炭素の使用が安全上の問題のため一
般に規制されていたとしても,本件訂正発明における油剤のような微量成
分の計量という目的に使用することまで禁止されていたわけではないか
ら,使用する有機溶剤がエチルエーテルに特定されるとはいえない。
第4 当裁判所の判断
1 請求原因(1)(特許庁における手続の経緯),(2)(本件訂正審判請求の内
容)及び(3)(審決の内容)の各事実は,いずれも当事者間に争いがない。
そこで,以下,原告主張の取消事由について判断する。
2 取消事由1について
原告は,審決が,本件訂正発明における「油剤量」の意味が不明確であると
判断したのは誤りであると主張するので,検討する。
(1) 原告は,訂正明細書(甲24)の段落【0022】【0025】【0026】の記載に
照らせば,本件訂正発明にいう「油剤量」は,油剤の成分,組成にかかわら
ず,有機溶剤で抽出され,計量される量として規定されていることは明らか
であると主張する。
ア 原告が指摘する訂正明細書の上記各段落は,本件訂正発明の実施例につ
いての記載である。
しかるに,訂正明細書(甲24)の発明の詳細な説明には,下記の記載が
ある。

【0003】従来の自動車用エアバッグには………クロロプレーンゴムやシリコーンゴムを
塗布した織物が使用されている。しかし,これらの織物はゴムが塗布されているた
め,………等の問題点があった。近年,これらの問題を解消する手段として,ゴムの
塗布を要しない,低通気性のナイロン66,ポリエステル繊維からなる高密度織物が提
案されている。しかし,これらの高密度織物は,その織物に残存する紡糸油剤や製織
のための糊剤や油剤,無糊製織用油剤を除去するために精練をすると,バッグの信頼
性を保証する上で,極めて重要な引裂強度が著しく低下する問題があった。
【0004】【発明が解決しようとする課題】本発明は,上述の問題点に鑑み,引裂強度に
優れ,かつ熱裂化を防止し,ゴム引きすることを要しない自動安全装置用織物,即
ち,エアバッグ用織物を安価に製造する製造方法を提供しようとするものである。
【0005】【課題を解決するための手段】即ち,本発明は,450デニール以下のナイロン66
マルチフィラメントから構成され,カバーファクターが1700以上の織物に水系の油剤
を付与し,前記の織物上の油剤量を織物重量に対し0.06重量%以上5重量%以下とな
るようにすることを特徴とする自動車安全装置用織物の製造である。
【0012】本発明で使用する織物は一般にマルチフィラメント糸製造時に付与された紡糸
油剤,製織工程で付与された糊剤を除去等のため,精練される。精練は熱水による方
法や精練剤を用いる方法などが挙げられる。
【0013】本発明の特徴はこのようにして得た織物に水系の油剤を付与し,織物上の全油
剤量を織物重量に対し0.06重量%以上にすることにある。
【0014】水系の油剤とは,油剤が水中に分散しているもの,エマルジョン化しているも
の,水に溶けているもの,およびその混合物からなる油剤を意味する。本発明に用い
られる油剤は水系で使用できることに特徴がある。有機溶剤系の油剤を用いると油剤
処理工程として特別の工程が必要となり,経済性が悪くなる。
【0016】油剤の種類は親水性の成分を保有して水中に分散可能なものや水性エマルジョ
ンタイプのもので,かつ基布の引裂強力の改善効果のあるものであれば特に限定する
ものではなく,アニオン系,カチオン系,ノニオン系のいずれのタイプの油剤でもよ
い。これらの中で分子中に親水性の成分を保有し,自己乳化性のある油剤が好ましく
用いられる。また,耐熱性に優れる高級アルコールイオウ含有エステル,油膜強度に
優れるアマイド高分子,摩擦係数低下に効果的なPO/EOポリエーテル,ポリエス
テル系成分等を主成分とする油剤やこれらの混合物が好ましいものとしてあげられ
る。油剤特性の改良剤のために,改良目的に応じてPOE硬化ヒマシ油,POEアル
キルホスフェート塩,グリセリン誘導体などを混合してもよい。
【0017】また,油剤に車内における長期保存中の耐熱性を付与するために酸化防止剤を
混合する方法や油剤に防黴剤を混合し,織物の黴の発生を防止する方法や難燃剤を混
合する等の方法も好ましく採用し得る。
【0018】本発明の油剤付与後の織物上の油剤量は織物重量に対し0.06重量%以上にする
必要があり,より好ましくは,0.08重量%以上で5重量%以下とすることが望まし
い。
【0019】油剤量は精練後の残存油剤および本発明に従って新たに精練布に付着した上述
の油剤との総量を意味する。油剤量が0.06重量%未満では十分な引裂強度が得られ
ず,5重量%を越えて付着させると燃焼性が高くなるので好ましくない。
【0020】熱水あるいは精練剤による洗浄後の織物に油剤を付与す方法として,これら洗
浄に続くの湯洗工程で油剤成分を溶解,分散させた処理液に該織物をパッディングす
る方法,湯洗後に処理液中にパッディングあるいは処理液を噴霧する方法等が上げら
れるが,これらの方法に限定するものではない。
イ 訂正明細書の上記記載によれば,本件訂正発明における「油剤量」の定
義は,「精練後の残存油剤および本発明に従って新たに精練布に付着した
上述の油剤との総量」であることが明確にされている(段落【0019】)。
そして,「精練後の残存油剤」の意義については,紡糸及び製織の工程
で付加される「紡糸油剤,製織のための糊剤や油剤,無糊製織用油剤」
(段落【0003】)のうち,製織工程の後に行なわれる洗浄(精練)の工程
(段落【0012】)において除去されず残存するものをいうとされている。
また,「本発明に従って新たに精練布に付着した上述の油剤」とは,特
許請求の範囲の記載では「水系の油剤(シリコン樹脂を水に乳化したもの
を除く)」と規定されているものである。そして,段落【0016】の「……ア
ニオン系,カチオン系,ノニオン系のいずれのタイプの油剤でもよい。これらの中で分
子中に親水性の成分を保有し,自己乳化性のある油剤が好ましく用いられる。また,耐
熱性に優れる高級アルコールイオウ含有エステル,油膜強度に優れるアマイド高分子,
摩擦係数低下に効果的なPO/EOポリエーテル,ポリエステル系成分等を主成分とす
る油剤やこれらの混合物が好ましいものとしてあげられる。」 との記載や,段落
【0016】【0017】における「改良剤」「酸化防止剤」「防黴剤」「難燃
剤」の混合を許容・推奨する記載に照らすと,具体的な化合物としては種
々のものが想定され,また複数の化合物の混合物である場合も含まれてい
るものと認められる。
ウ 一方,甲19便覧(平成6年3月25日発行・社団法人繊維学会編「第2版繊維便覧」
〔丸善株式会社刊〕)には,下記の記載がある。

「e.油剤の付着量
油剤の付着量[%]は繊維の重量に対する付着油剤の重量の割合で表される。」(81頁
右欄22~23行)
「f.油剤の組成
油剤は潤滑性を付与する“潤滑剤”と乳化性および集束性,制電性,ぬれ性を付与する
“界面活性剤”とから成る。………その他必要に応じて,乳化調整剤および酸化防止剤,
防腐剤,消泡剤,防錆剤などを少量添加する。」(81頁右欄下1行~82頁左欄6行)
エ 甲19便覧の上記記載に照らすと,「油剤量」の定義として,上記イのと
おり「精練後の残存油剤および本発明に従って新たに精練布に付着した上
述の油剤との総量」(段落【0019】)とすることは,技術常識にも合致す
るものと認められる。
そして,原告が主張する「油剤の成分,組成にかかわらず,有機溶剤で
抽出され,計量される量」と,訂正明細書の発明の詳細な説明にいう「精
練後の残存油剤および本発明に従って新たに精練布に付着した上述の油剤
との総量」とが一致することを明らかにする証拠はない。むしろ,上記イ
のとおり,「精練後の残存油剤」には「紡糸油剤,製織のための糊剤や油
剤,無糊製織用油剤」が含まれ,「本発明に従って新たに精練布に付着し
た上述の油剤」にも多種多様な化合物又はその混合物が含まれており,そ
のすべてが「有機溶剤で抽出され,計量される」とは限らない。
そうすると,本件訂正発明にいう「油剤量」は,「油剤の成分,組成に
かかわらず,有機溶剤で抽出され,計量される量」を意味するとする原告
の主張は,訂正明細書(甲24)の記載に基づくものではなく,採用するこ
とができない。
(2) 原告は,各種の技術文献に照らせば,「油剤量」が「油剤の成分,組成
にかかわらず,有機溶剤で抽出され,計量される量」を意味することは技術
常識であると主張するが,以下のとおり,採用することができない。
ア 甲1規格及び甲2規格につき
原告は,甲1規格(日本工業規格「化学繊維タイヤコード試験方法 JIS L1017‐
1963」)及び甲2規格(日本工業規格「一般織物試験方法 JIS L1096‐1990」)にお
いて,有機溶剤抽出液の有機溶剤を揮発させて残ったものの重量を測定
して百分率で表す測定方法が規定されていると主張する。
しかし,原告の指摘する測定方法についての記載は,「溶剤抽出分」
の測定方法についてのものであって,「油剤量」の測定方法を規定した
ものではない。原告は,甲1規格,甲2規格にいう「溶剤抽出分」は
「油剤量」に相当すると主張するが,かかる主張は,「油剤量」とは
「油剤の成分,組成にかかわらず,有機溶剤で抽出され,計量される量」
をいうとする原告の主張が認められることを前提とするものであって,循
環論法にすぎないといわざるを得ない。
イ 甲3便覧につき
(ア) 原告は,上記主張の根拠として甲3便覧 (昭和50年3月10日発行・日本
繊維機械学会繊維特性評価研究委員会編「繊維計測便覧」〔日本繊維機械学会発
行〕) の記載を援用するので,甲3便覧の当該箇所を検討すると,以下
の記載がある。
①「人造繊維の糸は工程上必要な油剤が表面に付着していることが多い。繊維が布
の段階になると,糊,油剤,樹脂加工剤などが付着している場合が多い。そのう
ち油剤は動植物からの油脂,ロウ(ワックス),またはそれらの成分,鉱油,お
よび界面活性剤などから構成されている。………したがって繊維表面付着物を便
宜上,ロウおよび油剤成分の油脂分と加工用樹脂の樹脂分とにわけて考える。油
脂分は溶剤に溶解しやすいが,樹脂分は溶解しにくいものが多い。」(138頁下1
行~139頁6行)
②「油脂分は適当な溶剤により繊維から溶出,分離され,その重量から付着量が決
定される。溶剤としては繊維を損傷することなく,目的とする油脂分のみを溶出
させ,しかも溶出物と溶剤との分離が容易なものが選ばれる。………以上の観点
から現在もっとも妥当と考えられる油脂分定量法の一つはJISに定められている
一連の方法であり,第3・5-1表に例示した溶剤でソクスレー抽出により油脂分が
定量される。」(139頁11~19行)
③ 「第3・5-1表 油脂分定量溶剤の例」 (139頁)
繊 維 溶 剤 JIS番号
綿 四塩化炭素 L 1019(1972)
……… ……… ………
ポリエステル メチルアルコール L 1017(1963)
ナイロン エーテルまたは四塩化炭素 同 上
なお,JIS L 1017-1963(甲1規格)には,下記のとおり記載されてい
る(甲1の8頁)。

「5.14.2エーテル抽出分(ナイロンの場合)
水分既知の試料約5gを正確にはかり,ソックスレー抽出器に円筒ロ紙を用いずに軽く
入れたのち,付属フラスコにエチルエーテル……約150mlを入れ,……濃縮したのち……に
移す。……水浴上で溶剤を揮発したのち,……重サをはかる。2回の平均値を求め…百分
率で表わす(小数点以下2ケタまで)。」)
(イ) 上記記載①のうち,「油剤は動植物からの油脂,ロウ(ワックス),またはそ
れらの成分,鉱油,および界面活性剤などから構成されている。」との記載によれ
ば「ロウ」と「油脂」が油剤の構成要素であるとされている一方で,
「繊維表面付着物を便宜上,ロウおよび油剤成分の油脂分と加工用樹脂の樹脂分と
にわけて考える」 との記載によれば,「油脂分」は「ロウ」と「油剤成
分」とから成るとされている。このように,「油脂分」と「油剤」との
関係は,甲3便覧においても必ずしも明確ではない。
そして,甲3便覧は,記載②において「現在もっとも妥当と考えられる油脂
分定量法の一つ」につき記述し,例えばナイロン繊維については,記載③
において,エーテル又は四塩化炭素を溶剤として用いたJIS L 1017-1963
の方法を挙げているが,「油剤」と「油脂分」との関係が明確でない以
上,甲3便覧のこれらの記載をもって,「油剤量」の意味が明確にされ
ているということはできない。
(ウ) もっとも,乙1(甲3便覧と同一の文献であるが,甲3では証拠として提出さ
れていない頁も含む。以下,両者を併せて「甲3・乙1便覧」という。) には,
甲3の記載として上記2(2)イに①~③として引用したところに加え
て,下記の記載がある。

④「油脂分は動植物油脂,ロウ,それらの成分,鉱物油,界面活性剤などと分類さ
れるきわめて多くの種類の化合物の混合物である。人造繊維製品製造工程をとり
あげてみても,紡糸油剤,紡績油剤,編織油剤,糊付油剤,各種精錬時の洗浄
剤,均染剤などの染色助剤,あるいは柔軟剤,撥水剤,帯電防止剤などの仕上油
剤等々目的に応じて種々の化合物を種々の割合で混合して使用するものであるか
ら油脂分の組成の組み合わせは無限にあるものと考えねばならない。」(140頁7
行~12行)
上記記載によれば,甲3・乙1便覧にいう「油脂分」は,紡糸油剤・
製織油剤等と「仕上油剤」との両方が含まれるとされている。「仕上油
剤」を本件訂正発明における「本発明に従って新たに精練布に付着した
油剤」と同じものであると考えれば,甲3・乙1便覧の「油脂分」は,
これら種々の化合物の混合物であるという点においても,本件訂正発明
の「油剤」と類似した概念であるということができる。そして,上記
(ア)②の「油脂分は適当な溶剤により繊維から溶出,分離され,その重量から付着
量 が 決 定 さ れる。」 との記載と併せ考えれば,これらの記載は,「油剤
量」が「油剤の成分,組成にかかわらず,有機溶剤で抽出され,計量さ
れる量」を意味することは技術常識である,との原告の主張に沿うもの
ではある。
しかし,甲3・乙1便覧の上記各記載は,あくまでも油脂分の定量方
法について述べたものであり,このようにして定量されるもののみをも
って油脂分の量とみなす,としているわけではない。このことは,
甲3・乙1便覧の下記記載において,油脂分の定量方法の意義について
一定の留保を置いていることからも明らかである。

⑤「油脂分は通常繊維に対して0.1から1wt%のオーダーの量しかないので,上記の
ごとく天秤の秤量精度を利用する以外にはあまり精度のよい,しかも簡便な方法
はないようである。上記測定に当たり注意すべき点は,繊維中のごく微量の成分
は未だその適当な分離,分析法がなくて,それが本測定法において,どのように
挙動するかが不明のままであるため,測定データの再現性があれば,その成分が
抽出されたのか,されずに残っているのかに拘らず測定法としての妥当性が認め
られることである。」(139頁下1行~140頁5行)
そして,本件訂正発明が,その効果との関連において,「油剤量」の
数値範囲を特定したことにこそ発明としての価値を有すること(「0.06%
以上5%以下」という油剤量の数値範囲の特定は訂正明細書における実施例と比較例
との対照に一応基づいてなされているのに対し,「450デニール以下」「カバーファク
ターが1700以上」という数値範囲は実施例と比較例との対照に基づく特定ではな
い。) をも併せ考えると,「油剤量」の意義は一義的に確定されるもの
でなければならず,甲3・乙1便覧における「油脂分」と「油剤」との
関係についての記載に上記(イ)のとおり曖昧な点が残ることに照らせば
なおさら,甲3・乙1便覧の記載によって,「油剤量」とは「油剤の成
分,組成にかかわらず,有機溶剤で抽出され,計量される量」を意味す
ることが明確であるということはできない。
ウ 甲19便覧につき
原告は,甲19便覧を,油剤量とは「油剤の成分,組成にかかわらず,有
機溶剤で抽出され,計量される量」を意味するとする主張の根拠として援
用するが,上記(1)ウ,エのとおり,むしろ,甲19便覧の記載は,油剤量
が「精練後の残存油剤および本発明に従って新たに精練布に付着した上述
の油剤との総量」であるとする,訂正明細書の発明の詳細な説明における
定義に沿うものである。
エ 原告は,甲16公報~甲18公報においても,油剤は多種の成分から構成さ
れているが,その組成にかかわらず有機溶剤で抽出され,計量される量が
「残脂量」であり,この値から計算で「油剤量」を求めることが示されて
おり,この方法は,本件訂正発明における「油剤量」の測定方法と同じで
ある,と主張している。
しかし,甲16公報(特開平2-68363号公報)には,
「油剤付着量とはナイロン66マルチフィラメント2.06gをジクロルメタン3ccにて4
回の量で東海計器株式会社製の迅速残脂抽出装置で(加熱部110℃)抽出し次の計算
式で求めた値をいう。
(残脂量g/2g)×100〔%〕」(3頁左下欄3行~7行)
と記載されており,当該発明における油剤付着量の測定方法について,使
用する有機溶剤の種類を含めた具体的な記載がなされている。また,甲17
公報(3頁右上欄2行~6行),甲18公報(3頁左下欄下5行~右下欄3行)にも,
同様に「油剤付着量」を定義する記載がある。
かかる記載があることは,原告の主張に反して,「油剤量」についての
具体的定義がなければその技術的意義が明確にならないことを前提とする
ものと考えられる。したがって,甲16公報~甲18公報は,原告の主張を裏
付けるものとはいえない。
(3) 上記(1)(2)のとおり,「油剤量」の意味が「油剤の成分,組成にかかわ
らず,有機溶剤で抽出され,計量される量」であって不明確な点はない,と
の原告の主張は採用することができない。
3 取消事由2について
(1) 原告は,油剤量の測定方法は,甲3便覧に「油脂分」の定量法として示
されているところと同義であると考えるのが当業者の技術常識であり,本件
訂正発明の繊維の種類がナイロンであることに照らすと,甲3便覧の第
3.5-1表の記載に従い JIS L 1017-1963(甲1規格)の定める「5.14.2 エー
テル抽出分」によるべきことは明確であると主張する。
本件訂正発明にいう「油剤」と甲3便覧にいう「油脂分」が必ずしも同義
であると認められないことは上記2(2)イのとおりであるが,仮に両者が同
義であるとしても,油剤量の測定方法が明確であるということはできない。
その理由は以下のとおりである。
(2) 油脂分の測定方法に関する技術常識につき
甲3・乙1便覧には,上記2(2)イに①~⑤として引用したとおりの記載
がある。
これらの記載によれば,油剤中の油脂分について,(1)適当な溶剤により
繊維から溶出,分離され,その重量から付着量が決定されること,(2)溶剤
としては,繊維を損傷することなく,目的とする成分のみを溶出させ,しか
も溶出物と溶剤との分離が容易なものが選ばれること,(3)油脂分は,通
常,繊維に対して0.1から1wt%のオーダーの量でしか存在しないので,天
秤の秤量精度を利用する以外には,あまり精度のよい,しかも簡便な定量手
段がないこと,(4)繊維中のごく微量の成分はいまだその適当な分離,分析
方法がないこと,が,本件出願の時点における技術常識であったと認められ
る。
(3) 油剤の測定方法につき
ア 甲3・乙1便覧には,上記2(2)イの⑤のとおり,油剤の定量法が必ず
しも確立していないことを踏まえ,「再現性」があることを条件に,測定
法としての「妥当性」が認められることが,注意すべき点として記載され
ている。
イ したがって,甲3・乙1便覧のうち前記2(2)イ(ア)に②として引用した
記載中「現在もっとも妥当と考えられる油脂分定量法の一つはJISに定められている
一連の方法であり,第3・5-1表に例示した溶剤でソクスレー抽出法により油脂分が定量
される。」との記載についても,上記アのような背景の下で,測定方法の一
例として記載されていると解するのが相当である。
そうすると,油剤量の測定方法に関するJISが存在しないエアバッグ
用織物の分野において,油剤量を測定しようとする場合,本件訂正発明の
織物の原糸の種類がナイロンであることを手がかりに,当業者(その発明
の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が甲1規格を参照す
る可能性は高いということはできるとしても,この記載をもって,直ち
に,微量成分までが明らかではない油剤について,その油剤の総量を測定
する方法として,甲1規格に示されたものを用いることが一義的に明らか
であるとまではいうことができない。
ウ また,測定方法として甲1規格に定められたものを用いるとしても,甲
1規格は,ナイロンの場合の有機溶剤として四塩化炭素とエチルエーテル
を挙げており,いずれの有機溶剤を選択するかが重要であるところ,いず
れを選択すべきかは本件訂正発明においては特定されていないから,この
点においても,本件訂正発明における油剤量の測定方法は不明確であると
いわざるを得ない。
この点につき,原告は,四塩化炭素は環境及び健康に悪影響を与えるこ
とが周知であり,その使用は法令による規制の対象ともなっているもので
あるから,当業者は当然に四塩化炭素の使用の可能性を排除すると主張す
る。
しかし,本件訂正発明は,織物上の油剤量を織物重量に対し「0.06重量
%以上5重量%以下」となるようにすることによって課題の解決を図るも
のであり,特に,0.06重量%という微量の油剤量によって,課題の解決が
可能であるという臨界的意義を見出したというものであるところ,かかる
臨界的意義を確認しようとするときに,最も適切な溶剤を選定すること
は,当業者が当然行うことである。
そして,四塩化炭素について,甲15文献(「化学物質ファクトシート2004年度
版」〔環境省環境保険部環境安全課〕)には,下記の記載がある。

「四塩化炭素はオゾン層を破壊することがわかり,モントリオール議定書に基づい
て,生産や消費,貿易の規制などの国際的な取り組みが進められてきました。日本
では,「特定物質の規制等によるオゾン層の保護に関する法律(オゾン層保護
法)」によって,1996年1月1日以降は原則として製造が禁止されています。しか
し,試験研究や分析用などの特別な用途,………として使用するための四塩化炭素
の製造は認められています。また,製造が禁止される以前に製造されたものは,現
在でも使用されています。」(142頁)
上記記載によれば,四塩化炭素の製造が原則として禁止されたのは本件
出願(平成5年2月4日)の後であること,分析用などの特別な用途に当
たるものについては製造禁止の対象となっていないこと,製造の禁止の後
も使用については特段の制限がないことが認められる。そうすると,本件
訂正発明における油剤量の測定は,まさに分析のための使用に当たるので
あるから,当業者が最も適切な溶剤として四塩化炭素を選択する可能性が
排除されるということはできない。
4 付言
審決は,本件訂正発明に係る特許出願は特許法36条5項及び6項の規定に違
反するとしているが,本件特許は平成5年2月4日に出願されたものであるか
ら,本件訂正審判請求の審理において,明細書の記載要件適合性を判断するに
当たっては,平成6年法律第116号による改正前の特許法36条(以下「旧36
条」という。)が適用される。そして,旧36条5項2号には「特許を受けよう
とする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した項(以下「請求
項」という。)に区分してあること。」と規定されているところ,審決が「訂
正請求項1記載事項は,特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記
載したものであると認めることができず」(15頁下5~4行)と説示しているところから
すると,審決は,訂正明細書の特許請求の範囲の記載が旧36条5項2号の規定
に違反すると判断したことが明らかである。したがって,審決が単に「特許法
第36条第5及び第6項」と表現したことは誤りである(正確には「平成6年法
律第116号による改正前の特許法36条5項2号」)が,このことが審決の結論
に影響を及ぼすものではない。
5 結語
以上の次第で,原告が取消事由として主張するところは,いずれも理由がな
く,審決の判断には誤りはない。よって,原告の本訴請求は理由がないから,
これを棄却することとして,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所 第2部
裁判長裁判官 中 野 哲 弘
裁判官 岡 本 岳
裁判官 上 田 卓 哉

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