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平成16(ワ)8682損害賠償請求事件

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裁判所 請求棄却 東京地方裁判所
裁判年月日 平成18年3月22日
事件種別 民事
当事者 被告中外製薬株式会社
原告味の素株式会社
法令 特許権
特許法79条7回
特許法29条1項3号3回
特許法29条2項2回
特許法36条4項2号2回
特許法36条4項1回
民法709条1回
特許法4条2号1回
特許法102条3項1回
特許法69条2項2号1回
キーワード 実施125回
優先権104回
刊行物27回
特許権17回
無効17回
新規性15回
進歩性14回
無効審判7回
侵害4回
損害賠償2回
許諾1回
ライセンス1回
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事件の概要 本件は,生理活性タンパク質の製造法についての特許権を有する原告が,被 告が生理活性タンパク質である遺伝子組換えヒトエリスロポエチン(以下,エ リスロポエチンを「 」という )及び遺伝子組換えヒト顆粒球コロニー刺EPO 。 激因子(以下,顆粒球コロニー刺激因子を「 」という )の製造に用いG-CSF 。 - -2 た方法(以下,遺伝子組換えヒト の製造方法を「被告方法1」と,遺伝EPO 子組換えヒト の製造方法を「被告方法2」という )が,前記特許権にG-CSF 。 係る発明の技術的範囲に属するとして,被告に対し,民法709条に基づき, 一部請求として,特許権侵害による損害(遅延損害金を含む )の賠償を求め。 た事案である。

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判決文

平成16年(ワ )第8682号 損害賠償請求事件
口頭弁論終結日 平成17年12月12日
判 決
原 告 味 の 素 株 式 会 社
同 訴 訟 代 理 人 弁 護 士 増 井 和 夫
同 橋 口 尚 幸
被 告 中 外 製 薬 株 式 会 社
同 訴 訟 代 理 人 弁 護 士 牧 野 利 秋
同 福 田 親 男
同 尾 崎 英 男
同 那 須 健 人
同 丸 山 隆
同 訴 訟 代 理 人 弁 理 士 江 尻 ひ ろ 子
同 補 佐 人 弁 理 士 深 澤 憲 広
主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
被告は,原告に対し,30億円及びこれに対する平成16年5月11日から
支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,生理活性タンパク質の製造法についての特許権を有する原告が,被
告が生理活性タンパク質である遺伝子組換えヒトエリスロポエチン(以下,エ
リスロポエチンを「 EPO」という 。)及び遺伝子組換えヒト顆粒球コロニー刺
激因子(以下,顆粒球コロニー刺激因子を「 G-CSF」という 。)の製造に用い
た方法(以下,遺伝子組換えヒト EPO の製造方法を「被告方法1」と,遺伝
子組換えヒト G-CSF の製造方法を「被告方法2」という 。)が,前記特許権に
係る発明の技術的範囲に属するとして,被告に対し,民法709条に基づき,
一部請求として,特許権侵害による損害(遅延損害金を含む 。)の賠償を求め
た事案である。
1 前提となる事実(括弧内に証拠を掲示したもの以外は,当事者間に争いがな
い。)
⑴ 当事者
原告は,食品,医薬品等を製造・販売する会社である。
被告は,医薬品の製造,売買等を業とする会社である。
⑵ 原告の特許権
原告は,次の特許権(以下「本件特許権」といい,特許請求の範囲請求項
1の特許発明を「本件発明」と,本件特許権に係る特許を「本件特許」とい
う。また,本件特許に係る明細書(甲2。別紙特許公報参照 。)を「本件明
細書」という 。)を有している。なお,原告は,本件特許についての特許異
議の申立手続 平成9年異議第73453号 ,
( 以下 本件異議手続 」
「 という 。)
において訂正を請求(以下「本件訂正請求」という 。)したところ,平成1
4年6月18日,上記訂正を認め(以下「本件訂正」という 。 ,本件特許

を維持する旨の決定(以下「本件異議決定」という 。)がなされ,同年7月
8日,同決定は確定した(甲1ないし3 )。
発明の名称 生理活性タンパク質の製造法
特 許 番 号 第2576200号
出願年月日 昭和63年7月8日(1988年3月9日の日本国における
特許出願に基づく優先権主張。以下,優先権主張の基礎とな
る日本国における特許出願の出願日を「本件優先権主張日」
という 。)
登録年月日 平成8年11月7日
特許請求の範囲請求項1(本件訂正前)
「生理活性タンパク質をコードする遺伝子及びジヒドロ葉酸還元酵素
(以下 dhfr とする 。)遺伝子を発現可能な状態で有するプラスミドをチ
ャイニーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉酸還元酵素欠損株( CHO
dhfr- )細胞に形質転換して得られた浮遊攪拌培養に適した細胞を浮遊
攪拌培養し,培養液中に目的生理活性タンパク質を生産させ,そして目
的生理活性タンパク質を取得することを特徴とする生理活性タンパク質
の製造法 。」
特許請求の範囲請求項1( 本件訂正後 。訂正部分には下線を付してある 。)
「生理活性タンパク質をコードする遺伝子及びジヒドロ葉酸還元酵素
(以下 dhfr とする 。)遺伝子を発現可能な状態で有するプラスミドを元
来付着性であるチャイニーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉酸還元酵
素欠損株( CHO dhfr-)細胞に予め形質転換して得られた形質転換細胞
を培地中に懸濁させ,浮遊攪拌培養を継代して行うことにより浮遊攪拌
培養に適した形質転換細胞を樹立し,当該浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞を浮遊攪拌培養し,培養液中に目的生理活性タンパク質を生産さ
せ,そして目的生理活性タンパク質を取得することを特徴とする生理活
性タンパク質の製造法 。」
なお,本件訂正により,本件明細書の2頁左欄33ないし39行は,次の
とおり訂正された(訂正部分には下線を付してある 。 。

「即ち,本発明は生理活性タンパク質をコードする遺伝子及び dhfr 遺伝
子を発現可能な状態で有するプラスミドを元来付着性である CHO dhfr-細胞
に予め形質転換して得られた形質転換細胞を培地中に懸濁させ,浮遊攪拌培
養を継代して行うことにより浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立し,
当該浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を浮遊攪拌培養し,培養液中に目的
生理活性タンパク質を生産させ,そして目的生理活性タンパク質を取得する
ことを特徴とする生理活性タンパク質の製造法である 。」
⑶ 被告の行為
ア 遺伝子組換えヒト EPO 製剤の製造販売
被告は,商品名を「エポジン」とする遺伝子組換えヒト EPO 製剤を製
造し,平成2年から販売している。
「エポジン」の製剤の形態としては,注射器に封入されたエポジン注シ
リンジ750,エポジン注シリンジ1500,エポジン注シリンジ300
0,エポジン注シリンジ6000,エポジン注シリンジ9000及びエポ
ジン注シリンジ12000の6種類並びにアンプルに封入されたエポジン
注アンプル750,エポジン注アンプル1500,エポジン注アンプル3
000,エポジン注アンプル6000,エポジン注アンプル9000,エ
ポジン注アンプル12000の6種類,合計12種類がある。
「エポジン」の有効成分である遺伝子組換えヒト EPO は,生理活性タ
ンパク質であり,骨髄中の赤芽球系前駆細胞に働き,赤血球への分化と増
殖を促すという生理活性を有するタンパク質である。
「エポジン」については,昭和63年12月に薬事法(平成14年法律
第96号による改正前のもの。以下同じ 。)14条1項の承認の申請がさ
れ,平成2年1月に同項の承認がされた。
イ 遺伝子組換えヒト G-CSF 製剤の製造販売
被告は,商品名を「ノイトロジン」とする遺伝子組換えヒト G-CSF 製
剤を製造し,平成3年12月から販売している。
「ノイトロジン」の製剤の形態としては,ノイトロジン注 50㎍,ノイ
トロジン注 100 ㎍及びノイトロジン注 250 ㎍の3種類がある。
「ノイトロジン」の有効成分である遺伝子組換えヒト G-CSF は,生理
活性タンパク質であり,造血幹細胞の末梢血中への動員という生理活性を
有するタンパク質である。
「ノイトロジン」については,平成元年12月に薬事法14条1項の承
認の申請がされ,平成3年9月に同項の承認がされた。
⑷ 被告方法1及び被告方法2の概要
被告方法1及び被告方法2( 以下 ,これらを併せて「 被告方法 」という 。)
は,いずれもタンパク質を遺伝子組換え技術によって製造する方法である。
ア 遺伝子工学によるタンパク質の製造工程の概要
タンパク質は,細胞内で生合成される物質であり,20種類のアミノ酸
が固有の配列で鎖状の構造を形成した高分子である。アミノ酸の配列は,
DNA がコードしており,細胞は,核の中の遺伝子に含まれている DNA の
コードに従って,対応するアミノ酸配列を有するタンパク質を細胞内で生
成する。
遺伝子工学によるタンパク質の製造技術は,ヒトにとって有用なタンパ
ク質をコードする DNA を,大腸菌, CHO 細胞等の細胞に外来 DNA とし
て組み込むことにより,これらの細胞にヒトにとって有用な所望のタンパ
ク質を生合成させる技術である。タンパク質をコードする DNA を組み込
む大腸菌, CHO 細胞等の細胞を,宿主細胞という。
遺伝子工学によるタンパク質の製造工程は,種細胞株の樹立の工程,培
養工程及び精製工程の各工程に区分される。各工程の概要は,次の( ア )な
いし(ウ )のとおりである。
(ア ) 種細胞株の樹立の工程
種細胞株の樹立の工程は,タンパク質を大量に生産するための細胞の
もとになる種細胞株を造る工程である。
種細胞株の樹立の工程は, EPO 又は G-CSF をコードする DNA を取
得し,これを CHO 細胞(宿主細胞)に組み込んだ形質転換細胞を作製
し,マスター・セル・バンク( MCB)及びマスター・ワーキング・セ
ル・バンク( MWCB)として樹立し,凍結保存するまでの工程である。
マスター・セル・バンク( MCB)とは,遺伝子組換え技術によって
製造される医薬品の品質を保証するために厚生省(以下,省庁名,官職
名は,いずれも当時のものである 。)の指針によって定義される細胞株
であり,すべての製造用細胞( MWCB)のもとになる,樹立された遺
伝子組換え細胞(形質転換細胞)である。あらかじめ一定の継代培養の
範囲内で遺伝子が安定であることが確認されており,通常,複数のアン
プルに分注して液体窒素中に凍結保存され,必要に応じて MWCB を調
製するために解凍される。
マスター・ワーキング・セル・バンク( MWCB)とは, MCB を一定
条件下でさらに増殖させ,複数のアンプルに分注して保存された細胞で
あり,遺伝子組換えタンパク質の製造に直接使用される。通常,複数の
アンプルに分注して液体窒素中に凍結保存され,製造時には,解凍して
増殖させ,タンク型バイオリアクターで培養して目的とするタンパク質
を回収する。
(イ ) 培養工程
培養工程は,タンパク質の大量生産のために,種細胞株を増殖・培養
する工程である。タンパク質を大量生産する必要に応じて, MCB から
作製された MWCB (1本のバイアルには 1ml の培養液に約 1 × 107 個
の種細胞が含まれ,凍結保存されている 。)を解凍し,細胞が所定の量
になるまで増殖させる。実際の製造工程では, 100ml のスピナーフラス
コでの培養から始めて徐々にスケールアップし,最終的には 2500l の培
養タンクで細胞を培養する。これによって大量のタンパク質を製造する
ことができる所望の量の細胞が得られる。
細胞は,培養中に,目的のタンパク質を細胞内で生合成し,培養液中
に分泌する。目的タンパク質を回収するためには,目的のタンパク質を
含有した培養液から細胞を除き,培養液から目的のタンパク質を精製す
る。
(ウ ) 精製工程
精製工程は,回収した培養液に含まれる不純物を除去して,純度の高
い目的タンパク質を得る工程である。
イ 種細胞株の樹立の工程の概要
タンパク質の大量生産のために増殖される細胞のもとになる種細胞株
は,宿主細胞である CHO 細胞に,宿主細胞自体がもともと有していない
外来の DNA を組み込んで作製される。このように,宿主細胞を,外来の
DNA によりタンパク質を産生できる形質を有する細胞に転換することを
形質転換という。形質転換細胞(種細胞株)の取得に至るプロセスは,次
のとおりである。
(ア ) 目的のタンパク質をコードする DNA の入手
形質転換細胞(種細胞株)を得るためには,まず,目的のタンパク質
のアミノ酸配列をコードする DNA を入手することが必要である。
(イ ) 発現ベクターの作製
目的のタンパク質をコードする DNA を宿主細胞に組み込むための手
段として用いられるのがプラスミドである 。プラスミドは ,環状の DNA
であり,細胞内において自己増殖し,遺伝により子孫に伝達される,す
なわち,細胞分裂の際に分裂後の各細胞にプラスミドのコピーが作られ
るという特性を有する。目的のタンパク質の DNA をプラスミドに組み
込んで宿主細胞に挿入すると,その外来 DNA を含むプラスミドが宿主
細胞内で増殖し,又は宿主細胞の染色体に組み込まれ,遺伝することが
可能となる。このような外来 DNA を組み込み,タンパク質を産生でき
るようにしたプラスミドを一般に発現ベクターという。
(ウ ) CHO dhfr-細胞の形質転換
被告方法で用いられる宿主細胞は, CHO(チャイニーズハムスター
卵巣)細胞である。被告が使用した CHO 細胞は,昭和43年に Kao と
Puck によって樹立された CHO-K1 細胞株をγ線照射等により処理して
得られた突然変異株で,ジヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)を作る遺伝子が
欠失した CHO 細胞株( CHO dhfr-細胞株 )である 。CHO dhfr-細胞株は ,
昭和55年に Urlaub と Chasin によって樹立された 。CHO dhfr-細胞は ,
dhfr を作る遺伝子が欠失しているために,核酸を含まない培地(非核酸
培地)では生育できないという特性がある。そこで, CHO dhfr-細胞株
を宿主細胞とし,目的のタンパク質をコードする DNA 及び dhfr をコー
ド す る DNA を プ ラ ス ミ ド に 組 み 込 ん だ 発 現 ベ ク タ ー を 用 い て CHO
dhfr- 細胞の形質転換を行うと,形質転換に成功した細胞は, dhfr を自
ら産生するようになるので,非核酸培地でも生育することができる。
形質転換の処理を行った細胞を非核酸培地で培養すると,形質転換に
成功した CHO dhfr-細胞だけが非核酸培地中で増殖できるから,形質転
換された細胞のみを選択的に取得することができる。
このような利点があるので, CHO dhfr-細胞は,昭和55年の樹立当
初から,遺伝子組換え技術において宿主細胞としての利用が検討されて
きた。
(エ ) メトトレキセートによる遺伝子増幅と種細胞株の選択
メトトレキセート( MTX )は, dhfr の酵素活性を妨げる作用をする
物質である 。形質転換された CHO dhfr-細胞は ,dhfr を産生しているが ,
MTX を含む培地で培養すると, dhfr の活性が阻害されるので,増殖が
困難になる。
しかし,形質転換された CHO dhfr- 細胞を濃度の低い MTX を含む培
地で培養すると,そのうちのある細胞では,染色体に組み込まれた発現
ベクターがコピーを作って増幅し,より多くの dhfr を産生する能力を
取得するようになる 。この性質を利用すると ,形質転換された CHO dhfr-
細胞を順次 MTX 濃度を上昇させた培地で培養することにより,より
MTX 耐性の強い形質転換細胞を選択的に取得することが可能になる。
培地の MTX 濃度を徐々に上げて細胞を培養することにより,各段階で
発現ベクターが増幅して必要な MTX 耐性を備えた細胞だけが生き残
り,そうでない細胞は死滅するからである。
そして, MTX 耐性を取得した形質転換細胞は,細胞内に組み込んだ
発現ベクターの数が増えたことによって ,目的とするタンパク質の DNA
も増えるので,目的とするタンパク質の産生能が向上する。すなわち,
形質転換された CHO dhfr-細胞を順次 MTX 濃度を上昇させた培地で培
養することにより, MTX 耐性がより強く,かつ,目的タンパク質の産
生能がより高い形質転換細胞を選択的に取得することが可能になる。
この方法により目的とするタンパク質の産生能が高い細胞を選択する
場合の実験方法は,次のとおりである。
まず,所定濃度の MTX を含む培地に形質転換細胞を極めて薄い濃度
で含有させた培養液をシャーレに入れて 37 ℃で培養する。この状態で
は,シャーレの培地の中に1つずつの細胞が分離して点在している。
時間の経過とともに,シャーレの中の一部の細胞は MTX 耐性を獲得
し,細胞分裂を繰り返して増殖し,コロニーを形成する。他方, MTX
耐性を獲得できない細胞は増殖できず,死滅する。
コロニーを形成した細胞をシャーレから取り出し,1段階上の濃度の
MTX を含む培地に,極めて薄い濃度で培養し,再び1つの細胞から増
殖してコロニーを形成する細胞を選択する。この方法による培養及び選
択を繰り返すことにより,目的タンパク質の産生能の高い細胞を選択的
に得ることができる。
(オ ) 単一の遺伝子構造を有する種細胞株の取得
CHO dhfr-細胞をプラスミドで形質転換する処理においては,プラス
ミドが CHO dhfr-細胞の遺伝子のどの位置に組み込まれるかはコントロ
ールできないため,形質転換した細胞によって遺伝子の構造が異なって
いる可能性がある 。そこで ,医薬品となるタンパク質を産生する細胞は ,
同じ遺伝子構造の細胞となるようにするため,形質転換細胞を取得する
工程で ,最終的に1つの ,目的タンパク質の産生能の高い細胞を選択し ,
これを種細胞とする。そして,これを増殖し,種細胞株を樹立して,マ
スター・セル・バンク( MCB)を確立し,後のタンパク質の大量生産
のための細胞培養に使用する。
2 争点
⑴ 被告方法は,本件発明の構成要件を充足するか。
⑵ 被告は,先使用による通常実施権(特許法79条)を有するか。
⑶ 本件特許(請求項1に係る部分に限る 。)は,特許無効審判により無効に
されるべきものか。
ア 本件発明は,新規性を欠くか。
イ 本件発明は,進歩性を欠くか。
ウ 本件特許(請求項1に係る部分に限る 。)は,特許を受けようとする発
明の構成に欠くことができない事項が記載されていないとして,平成2年
法律第30号による改正前の特許法(以下「平成2年改正前特許法」とい
う。)36条4項2号に違反するか。
⑷ 損害の発生の有無及びその額
3 争点に関する当事者の主張
⑴ 争点⑴(構成要件充足性)について
(原告の主張)
ア 構成要件の分説
本件発明は,次の構成要件に分説することができる(以下,分説した各
構成要件をその符号に従い「構成要件a」のように表記する 。 。

a 生理活性タンパク質をコードする遺伝子及びジヒドロ葉酸還元酵素
(以下 dhfr とする 。)遺伝子を発現可能な状態で有するプラスミドを
b 元来付着性であるチャイニーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉酸還
元酵素欠損株( CHO dhfr- )細胞に予め形質転換して得られた
c 形質転換細胞を培地中に懸濁させ,浮遊攪拌培養を継代して行うこと
により浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立し,
d 当該浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を浮遊攪拌培養し,培養液中
に目的生理活性タンパク質を生産させ,そして目的生理活性タンパク質
を取得することを特徴とする
e 生理活性タンパク質の製造法。
イ 被告方法1
(ア ) 被告方法1についての被告の主張(後記「 被告の主張 )
( 」イ)は,
次のa及びbの点を除き,争わない。
a 各工程の確立された時期に関する記載については ,認否を留保する 。
先使用権の成否を除き,方法確立時期は構成要件充足性の判断に影響
しない。
b 別紙被告方法1説明書2⑴エの「種細胞株 CHO DN2-3 α 3 をまず
馴化用培地で29日間浮遊培養し」との記載は,この29日間の浮遊
攪拌培養と同別紙2⑴ウの付着培養との間に,浮遊攪拌培養に関する
何らの処理もされなかったという趣旨であれば,争う。別紙被告方法
2説明書の記載も参照すると,同別紙2⑴エ記載の浮遊攪拌培養の前
に,浮遊攪拌培養のための前処理があったと推定され,その前処理期
間も,浮遊攪拌培養に適合させるための期間に算入すべきである。
なお, DN2-3 は,被告と被告の提携先であるアメリカ合衆国マサチ
ュ ー セ ッ ツ 州 の ジ ェ ネ テ ィ ク ス ・ イ ン ス テ ィ テ ュ ー ト 社 ( Genetics

Institute, Inc.」 以下 GI 社 」という 。 が ,自ら開発したヒト EPO cDNA
。 「 )
( EPO をコードする遺伝子)と dhfr 遺伝子を有するプラスミド(発現
ベクター)に付した名称である。
また,形質転換して得られた CHO dhfr-細胞が元来付着性であること
は,この細胞本来の性質である。
(イ ) 上記( ア )の被告方法1を,請求項1との対比に便利なように記載す
れば,次のようになる。
a’ EPO をコードする遺伝子及びジヒドロ葉酸還元酵素遺伝子を発
現可能な状態で有するプラスミド DN2-3 を
b’ 元来付着性であるチャイニーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉
酸還元酵素欠損株( CHO dhfr-)細胞に予め形質転換して得られた
c’ 形質転換細胞 DN2-3 α 3 を培地中に懸濁させ,スピナーフラス
コを用いて浮遊攪拌培養を継代して行うことによりタンクにおける浮
遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立し,
d’ 当該浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞をタンクにおいて浮遊攪
拌培養し,血清,インスリン,抗生物質を含有する培養液中に EPO
を分泌させ, EPO をカラムクロマトグラフィーにより取得する
e’ EPO の製造法。
したがって,被告方法1は,本件発明の構成要件を充足し,本件発明
の技術的範囲に属する。
ウ 被告方法2
(ア ) 被告方法2についての被告の主張(後記「 被告の主張 )
( 」ウ)につ
いては,次のa及びbの点を除き,争わない。
a 各工程の確立された時期に関する記載については ,認否を留保する 。
先使用権の成否を除き,方法確立時期は構成要件充足性の判断に影響
しない。
b 被告の G-CSF 製造確認申請書(乙21)に記載された発現ベクタ
ーは, pV2DR1 であり,これは,被告の出願に係る特公平6-571
56号公報(甲9。以下「被告公報」という 。)にも記載されている
ベクターである。被告公報に開示された pV2DR1 の構築経路と公表
資料によれば, pBRV-2 というベクターが pV2DR1 のもとになってい
ることがわかるが, pBRV-2 は,被告と東京大学医科学研究所との共
同研究の成果として ,「ヒト顆粒球コロニー活性化因子の染色体遺伝
子構造と2つの mRNA」(甲25。以下「甲25文献」という 。)に
発表されている。他方, G-CSF の医薬品製造承認申請書別紙⑵(乙
10の3)には,発現ベクターとして pV3DR1 が記載されており,
同申請書別紙⑵3頁の図3によれば, pV3DR1 に含まれる G-CSF の
cDNA は, pBRV-3 というベクターに由来する。しかし, pV3DR1 と
pBRV-3 とのいずれについても ,被告による G-CSF の開発開始前後に ,
これを公表した文献は全く見出されない。甲25文献の576頁の図
2の pBRV-2 の配列から, pV2DR1 における G-CSF の cDNA は 712 塩
基からなると認められ,他方,上記申請書別紙⑵の4頁「断片2」の
記載から, pV3DR1 における G-CSF の cDNA は 705 塩基からなると
認められるから,2つのベクター間では, G-CSF の cDNA が少なく
とも 7 塩基分異なることがわかる。
これらの事情からみて,上記製造確認申請書(乙21)の日付(昭
和62年3月9日)から製造承認の申請日である平成元年12月27
日までの間に,発現ベクターを pV3DR1 とする開発がされたことに
なり,別紙被告方法2説明書3⑵に記載された,昭和61年から昭和
62年2月までの間に大量生産用の細胞を確立したとの時期の記載
は,事実に反することになる。
(イ ) 上記( ア )の被告方法2を,請求項1との対比に便利なように記載す
れば,次のようになる。
a” ヒト G-CSF をコードする遺伝子及びジヒドロ葉酸還元酵素遺伝
子を発現可能な状態で有するプラスミド pV3DR1 を
b” 元来付着性であるチャイニーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉
酸還元酵素欠損株( CHO dhfr- )細胞 DXB11 に予め形質転換して得
られた
c” 形質転換細胞を培地中に懸濁させ,スピナーフラスコを用いて浮
遊攪拌培養を継代して行うことによりタンクにおける浮遊攪拌培養に
適した形質転換細胞を樹立し,
d” 当該浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞をタンクにおいて浮遊攪
拌培養し ,血清 ,インスリン ,抗生剤を含有する培養液中にヒト G-CSF
を分泌させ,そしてヒト G-CSF をカラムクロマトグラフィーにより
取得する
e” ヒト G-CSF の製造法。
したがって,被告方法2は,本件発明の技術的範囲に属する。
エ 構成要件b充足性
被告は,構成要件bの「元来付着性である」の意義を争い,被告方法が
本件発明の技術的範囲に属しない旨主張するので,以下 ,「元来付着性」
の意義,被告方法との対比について,敷衍して主張する。
(ア ) 「元来付着性である」の意義
a CHO dhfr-細胞の浮遊化困難性
「元来付着性である」とは,以下のとおり, CHO dhfr- 細胞が容器
の壁面などに付着して増殖する性質が強く,培養液に浮遊化させると
増殖しないという一般的性質を有することを意味する。
CHO dhfr- 細胞の浮遊化が困難であることは,次の各文献に記載さ
れているとおりである。
⒜ 「構造解析のための蛋白質作成技術⑷-動物細胞を用いた蛋白質
の大量生産系- 」(甲7。以下「甲7文献」という 。)は,製品の
製造工程の説明ではないが ,CHO 細胞を用いた大量発現について ,
「 筆者らの経験を踏まえて 」説明した報告であり ,被告における CHO
細胞の取扱経験に基づく認識を示している。
甲7文献の著者であるP1は,当時,被告の探索研究所に所属し
ていた。
甲7文献には,次のとおりの記載がある。
「 CHO 細胞で樹立した安定高発現細胞株は,ローラーボトルで
容易に培養が可能である。回転数は, 0.5rpm 程度が適当であまり
回転数を高くすると播き込み時に細胞がローラーボトルに上手く接
着できないことがある。細胞がローラーボトル一面に増えたところ
で,培養液を無血清培地に交換する。 CHO 細胞は,無血清化馴化
の 作 業 を し な く て も 無 血 清 培 地 ASF104( 味 の 素 ) や CHO-SFM
( GIBCO)などの培地で培養可能である。無血清培地中でも CHO
細胞は増殖し,長く培養すると浮遊細胞も出現する 。」
ローラーボトルとは,付着培養(単層培養)に使用される装置の
一つである。甲7文献には,形質転換した CHO 細胞(これが dhfr-
型であることは甲7文献の最初に記載されている 。)を長く培養す
ると ,初めて浮遊細胞も出現することが記載されており ,CHO dhfr-
細胞が本来的に付着性であり,浮遊性に変えることが容易にはでき
ないという細胞の性質をよく示している。
⒝ 「 G-CSF が生まれるまで 」(甲6。以下「甲6文献」という 。)
は,被告における G-CSF 開発の経験を解説した報告である。
甲6文献の著者であるP2は,当時,被告の中央研究所研開推進
部に所属していた。同人は,昭和37年,被告に入社し,昭和55
年新薬研第2研究室長としてP3らとともにヒト G-CSF の純化に
成功し,昭和61年から rhG-CSF 開発プロジェクトチームリーダ
ーとなった。
甲6文献には,次のとおりの記載がある。
「ヒト G-CSF cDNA を導入した rCHO 細胞は本来は培養器壁に
接着しモノレイヤーで増殖するので,表面積の大小がスケールアッ
プしていく上での limiting factor の1つとなっていた。そこでこの
細胞を用いたサスペンジョンカルチャー方式による大容量のタンク
を用いる生産が望ましかった。しかしこの方式による大量培養には
いくつかの技術的に解決または乗り越えなければならない壁があっ
た。1つは先に述べた壁への接着細胞をどうサスペンジョンカルチ
ャーでも十分生育できるように適応させられるかという点であり,
もう1つは実験室レベルの培養スケールでの細胞が果たして大容量
タンク培養でスケールアップに伴う種々の問題をクリアして行ける
かどうかという点であった。当時,エリスロポエチンの生産はすで
にサスペンジョン化した rCHO 細胞により実施されていたが,ノウ
ハウも含め一般的には高度の技術の部類に属していた。サスペンジ
ョン方式による大量培養を確立するためには,サスペンジョン化に
伴う細胞の変化やダメージを回避し,一定の rhG-CSF を産生する
安全な生産株を樹立し,さらに大量培養に予想されるいくつかの問
題を乗り越える必要があった 。 (18頁)

上記記載から,甲6文献の筆者であるP2が,浮遊攪拌培養に適
応した細胞の樹立が容易ではないことを述べているのは明らかであ
り,いかに苦労を伴ったかについては ,「接着 CHO 細胞について
も壁から細胞をはがした後,根気よくサスペンジョンカルチャーを
繰り返し,最終的によく適合し増殖する細胞をクローニングし ,」
(19頁)という記述ににじみ出ている。
甲6文献が大量生産の困難性について論じている部分を含むとし
ても,基本的な浮遊化工程の困難性を説明していることは明白であ
る。
⒞ 「日経バイオテク」1986年5月5日号(甲17。以下「甲1
7文献」という 。)には,次のとおりの記載がある。
「 キリンビールは , チャイニーズ・ハムスター卵巣細胞 ( CHO)
を宿主とした遺伝子操作によって,糖鎖の結合した EPO を生産し
ている。大腸菌と比べ,動物細胞の遺伝子操作技術はまだ確立して
おらず,特に組換え動物細胞の大量培養技術が実用化の鍵を握って
いる。キリンビールがどこまで,この技術をものにしているかが,
臨床試験の進展の決め手となるだろう 。」
上記記載は,被告と EPO の開発の先陣争いをしていたキリンビ
ールの動向に関する報道である。上記記載のとおり,本件優先権主
張日のわずか2年前の時点で,組換え動物細胞の大量培養技術は,
未だ確立していないというのが常識であった。
⒟ 「日経バイオビジネス」2001年9月号(甲18。以下「甲1
8文献」という 。)には,次のとおりの記載がある。
「容量の大きいタンク培養は効率がよいが,スケールアップに伴
い,製造条件の再検討が必要となる。微量で効果を発揮する一方,
生産スピードが求められる医薬品の製造(治験でも相当量の供給が
必要になった)では,培地,攪拌,精製などで実験室レベルの条件
をそのまま移行できるローラーボトルをシステムとして高度に自動
化する方が得策と,キリンは判断した。アムジェン社もこの製造方
法を採用したので,全世界 70 %以上のエリスロポエチン製剤がキ
リンのローラーボトルシステムで製造されていることになる 。」
浮遊攪拌培養法が可能なら,効率に優れていることは明らかであ
るのに,キリンとアムジェンが採用しなかったことは,当時,キリ
ン-アムジェン社が組換え CHO dhfr-細胞を浮遊攪拌培養する可能
性を見出していなかったことを意味する。
⒠ 「動物細胞大量培養による有用物質生産の現状 」(甲19。以下
「甲19文献」という 。)には,次のとおりの記載がある。
「元来,単層培養に適している細胞を,浮遊培養に adapt させる
ことはかなり困難なことであり,細胞の増殖度もあまり良くない。
近年,単層培養法に adapt している細胞を大量に培養する方法と
して,多段式の培養装置を用いたり,円筒式の培養瓶を回転させて
表面積の増加を図るか,あるいはマイクロキャリヤー・ビーズの表
面に細胞を単層に増殖させ,このビーズを浮遊培養系で培養する方
法などがとられている。マイクロキャリヤー・ビーズ用の培養装置
も市販されている 。 (159頁7ないし13行)

すなわち,本件優先権主張日当時,付着性の細胞の培養について
は,単層培養のままでその効率を高める方向が主流であり,浮遊培
養化することは困難であるとの技術常識が存在したことがわかる。
⒡ 「 遺伝子導入を利用した物質生産 」 甲20 。以下「 甲20文献 」

という 。)には,次のとおりの記載がある。
「組換え C127 細胞および CHO 細胞は,いずれも接着依存性の
細胞で浮遊化はできない。これらの細胞は,構成的にヒト IFN-r あ
るいはヒト IL-2 を産生しているので,これらの組換え細胞から,
有用タンパク質を効率良く大量に得るには,細胞の産生能を損なわ
ずにできるだけ長期間維持できる条件を見つけることが必要であ
る。細胞に導入された外来遺伝子は,染色体に組込まれた場合でも
その安定性を欠く傾向にあることが知られており,それは,継代を
くり返すことにより明らかになるので,細胞を増殖させずに長期間
維持( Aging)させることは,構成的にタンパク質を産生する組換
え細胞を用いた物質産生の重要なポイントとなろう 。」
甲20文献は,本件優先権主張日の1年前の文献であるが,組換
え CHO dhfr- 細胞は浮遊化できないと考えられていたことがわか
る。
⒢ 「 次世代プロジェクトにおける動物細胞研究 」 甲22 。以下「 甲

22文献」という 。)は,通商産業省の指導により昭和56年から
平成元年まで9年間続いた「次世代プロジェクト」における動物細
胞の研究に関する平成3年の時点での評価と報告である。
甲22文献には ,「次世代プロジェクト」に採り上げられた6つ
のテーマ(①細胞の増殖制御要因に関する基礎的研究,②無血清培
地,培養工学等を活用した最適培養法による工業的物質生産法,③
高密度培養法,無血清培地開発等を主体とする工業的物質生産法,
④浮遊細胞系,準浮遊細胞系を用いた工業的物質生産法,⑤骨髄由
来細胞を用いた工業的物質生産法,⑥上皮細胞由来細胞を用いた工
業的物質生産法)が記載されている。これらのうち,①は基礎研究
である。②ないし⑥は工業的物質生産法のテーマであるが,原告が
担当した③を含め,②ないし⑤の4件は,本来浮遊性の細胞につい
ての研究であった。⑥のみが上皮細胞由来細胞,すなわち,付着性
の細胞を用いた工業的物質生産法の研究であったが ,「マイクロキ
ャリア粒子への効率良い付着法の開発」を行っている。
このように,産官学の英知を集めたプロジェクトにおいても,1
980年代にあっては,付着性動物細胞を浮遊化する工業的生産法
は,テーマに採り上げられることすらなかったのである。
⒣ 「動物細胞培養の実際 」(甲28の1。以下「甲28の1文献」
という 。)には ,「浮遊培養法への順化」として ,「浮遊培養法で細
胞が増殖できるようになるかは細胞株( cell lines)によって大きく
異なる 。 と明記されており ,
」 継代培養の確立された株細胞 cell line)

であっても,浮遊攪拌培養法に適合するか否かの予測は困難である
ことが示されている。
また ,「大規模装置を用いての動物細胞培養の実際 」(甲28の
2 。以下「 甲28の2文献 」という 。 には , 単層培養の系に adapt
) 「
している細胞を浮遊培養の系に移し,長期間維持することは通常と
ても困難なことであり,まれに成功しても細胞の増殖度は余り良く
ない 。」と記載されており,付着培養から浮遊攪拌培養への移行が
本質的に困難であることが示されている。
b 本件発明の発明者らが特殊な CHO dhfr-細胞を対象としたとの被告
主張(後記「 被告の主張 )
( 」エ(ア )c)について
被告は,本件発明における培養条件を根拠に,本件発明の発明者ら
が特殊な CHO dhfr-細胞,すなわち,浮遊攪拌培養が困難な特殊な細
胞を対象としたと主張する。
しかし,被告が指摘する点は,通常の細胞培養技術における条件の
幅の中で,原告が最初に選択した条件と,被告及び GI 社が適用した
条件が異なることを意味するにすぎない。本件発明における培養条件
が,被告から見ると, CHO dhfr- 細胞の浮遊化につき最適の条件では
なかったかもしれないが,そのような事実は,本件発明の価値を損な
うものではなく,また,その技術的範囲を限定するものでもない。
さらに,本件異議手続において「元来付着性である」という要件を
付加した趣旨は,浮遊化された形質転換 CHO dhfr-細胞を得る方法と
して,形質転換前の細胞を浮遊化させて形質転換する場合と,形質転
換後に浮遊化させる場合とがあるところ,後者の場合に限定するとい
うものであり,付着性の程度を限定する意味はない。
(イ ) 被告方法1
被告方法1では,種細胞株 CHO DN2-3 α 3 は,当初,培養皿/フラ
スコで付着培養されたというのであるから,種細胞株 CHO DN2-3 α 3
は,付着性であり,このことから,種細胞株 CHO DN2-3 α 3 が元来付
着性の CHO dhfr-細胞を形質転換したものであることは ,明らかである 。
被告は,培養開始後2ないし4日目に倍加時間48時間を記録してい
ると主張するが,4ないし9日目にかけては,倍加時間が100時間以
上と逆に悪化しており,この細胞が浮遊攪拌培養で安定に増殖できるよ
うになったとはいい難い。この細胞が浮遊攪拌培養でも十分に増殖可能
と客観的に判断できるのは,早くとも20日目以降,あるいは,被告が
記述するように,倍加時間が24時間になった時期に当たる29日目以
降となる。
種細胞株 CHO DN2-3 α 3 の培養の状況を示した別紙培養経過図1に
は示されていないが,増殖の安定性とともに生産の安定性が確認された
時点で MCB を作製することとなるから,実際に浮遊適応が完了したの
は MCB の作製時である48日目と考えられる。より以前の段階で増殖
及び生産の安定性が確認されていたのであれば,48日目まで MCB の
作製を待つ必要はない。
後記( ウ )のとおり,被告方法2では,別紙培養経過図2に示された浮
遊攪拌培養の前に,24日間の浮遊攪拌培養が行われていた。このよう
な予備的な浮遊化工程を行った後での CHO 細胞 657 の培養経過を示す
別紙培養経過図2は, EPO を生産する種細胞株 CHO DN2-3 α 3 の培養
経過を示す別紙培養経過図1と極めてよく似ている。
この事実を考慮すると,被告方法1においても,別紙培養経過図1に
記載されていない前段階の浮遊攪拌培養工程が存在する可能性が高い。
しかも, G-CSF と EPO とで,使用した形質転換細胞の浮遊化の困難性
に 特 に 差 が あ る と 考 え る 理 由 も な く , EPO の 開 発 経 緯 を 参 考 に し て
G-CSF の開発が行われた以上, EPO においても,付着培養から本格的
な浮遊攪拌培養工程に入る前に,予備的な浮遊化工程があったと考える
のが自然である。
被告の主張によれば, EPO の MCB を作製する工程は, GI 社で開発
されたものである。 GI 社は,被告に提供した EPO の MCB を作製する
前に, CHO dhfr-細胞の一般的な取扱い及び EPO を生成するように形
質転換した CHO dhfr-細胞の取扱いにつき,相当の経験を集積していた
ものと推測される。そのような経験を踏まえてなされた特に好ましい結
果が GI 社の作製報告書(乙9,以下「 GI 社報告書」という 。)に記載
されていると理解するのが自然である。
そして,そのような経験を踏まえた作業であったとしても, MCB 作
製,すなわち,増殖性と生産性の安定を確認するには,開示されている
範囲でも48日間を要しているのである。本件発明では,70日間で浮
遊攪拌培養に適した細胞を樹立しており,48日間と70日間の間に実
質的な相違はないというべきである。おそらく存在するであろう予備的
な浮遊攪拌培養の期間を加えれば,差は全くないといってよい。
(ウ ) 被告方法2
a 上記(ア )a⒝のとおり,甲6文献には ,「ヒト G-CSF cDNA を導入
した rCHO 細胞は本来は培養器壁に接着しモノレイヤーで増殖する」
との記載があることからすれば,被告方法1で使用した CHO dhfr- 細
胞は,付着性のものであった。
b 被告方法2では, CHO 細胞 657 株と呼ばれる種細胞(形質転換さ
れた CHO dhfr-細胞)を34日間付着培養した後,3日ごとに継代し
て18日間浮遊攪拌培養を行っている。
このように,形質転換後も,34日間の付着培養を経た後に,浮遊
攪拌培養が適用されていることから, G-CSF 生産の種細胞が,元来
付着性の CHO dhfr-細胞を形質転換したものであることは明らかであ
る。
また,被告方法2では,18日間の浮遊攪拌培養を経た細胞をいっ
たん凍結保存し,解凍後5日間付着培養した上で,6日間浮遊攪拌培
養している。その後,47日間の浮遊攪拌培養を行い,さらに,40l
の培養タンクでの9日間の培養を経て,増殖が順調であることを確か
めて MCB を作製している。
そうすると,浮遊攪拌培養を通算80日間行って,ようやく MCB
を作製し得る増殖性と生産性の安定した細胞を樹立することができた
のである。
このように,通算80日間の浮遊攪拌培養の継代により MCB の作
製に到達したというのは,本件発明における浮遊攪拌培養に適した細
胞樹立の期間と同等である。
また,上記18日間の浮遊攪拌培養及び6日間の浮遊攪拌培養につ
いては,どの程度の増殖性が見られたのかのデータは開示されておら
ず,その内容が確認できない。さらに,上記47日間の浮遊攪拌培養
についてのデータ(別紙培養経過図2)も,少なくとも前半部は増殖
性のデータが不揃いであり,特に18日目から21日目までの培養で
は,倍加時間が100時間以上になっているから,到底安定した浮遊
攪拌培養が実現されているとは認められない。
(エ ) 上記( イ )及び( ウ )のとおり,被告方法1においても,被告方法2に
おいても,本件発明と実質的に異ならない手数を経て,浮遊攪拌培養に
適した細胞を樹立しているのであるから,被告方法1及び被告方法2に
使用されている CHO dhfr-細胞が,通常の CHO dhfr- 細胞と異なり,浮
遊攪拌培養に適合しているということはできない。
そして,本件発明の構成要件bの「元来付着性」が CHO dhfr-細胞の
一般的性質をいうものであることは ,前記( ア )記載のとおりであるから ,
被告方法に使用されている CHO dhfr-細胞は ,いずれも構成要件bの 元

来付着性である」を充足する。
オ 構成要件c充足性
被告は,構成要件cの「浮遊攪拌培養を継代して行う」との記載は,単
に培養を続けることを意味するだけで,発明の手段にならず,本件特許の
実施例に記載された初期細胞濃度と培地への核酸の添加が本件発明の必須
要件となるから,これらの要件において継代することに限定解釈されるべ
きであると主張する。
しかし,被告方法1及び被告方法2も,浮遊攪拌培養を継代して行うこ
とにより,最終的に大量生産のための浮遊攪拌培養に適した細胞を樹立し
ている 。「継代」して培養することは,まさに,浮遊化のための手段とな
ることが明らかである。また,本件特許の実施例に記載された初期細胞濃
度と培地への核酸の添加は,請求項1に記載されていないのであって,単
なる実施例の条件にすぎないことが明らかであるから,上記限定解釈がさ
れるべきであるとの主張は誤りである。
カ 「被告方法1及び被告方法2の MCB が本件優先権主張日前に樹立され
ていること 」(後記「 被告の主張 )
( 」カ)について
(ア ) 本件発明は ,方法の発明であり , エポジン 」及び「 ノイトロジン 」

の製造販売は,本件優先権主張日より後に開始され,これらの製造に際
し,本件特許の存続期間中,日々特許方法が実施されてきたのである。
特許出願前(本件優先権主張日前)に本件発明の特徴的構成の工程が完
了していたとの被告主張は,先使用権が成立しない限り,抗弁とならな
い。
(イ ) 被告は,被告方法において,大量生産に使用する種細胞株が,本件
優先権主張日より前に MCB 及び MWCB として作製されており,本件
優先権主張日後に MCB も MWCB も新たに作製したことはないと主張
する。
この点について検討すると, EPO 用の MCB は昭和60年12月4日
に, EPO 用の MWCB は同月18日に,それぞれ GI 社において各20
0本作製され,その中から各60本が,昭和61年2月ころ,被告に移
転された。すなわち,被告が所有した MCB 及び MWCB は,各60本
である。
被告の 1600l 規模の培養タンク運転では,1回ごとに MWCB の凍結
バイアルを溶解し, 100ml の培地に懸濁してスピナーフラスコを用いた
浮遊攪拌培養を行う。 MWCB を解凍して浮遊攪拌培養を開始する際の
細胞密度は,約 2.4 × 10 5 個 /ml である。この細胞密度の培養液 100ml
を用意するには, 2.4 × 107 個の細胞が必要となる。この量の細胞は,
MWCB として供給されるから, MWCB に含まれる細胞が, GI 社報告書
記載のとおり, 5 × 105 個 /バイアルであれば,46本の MWCB が必要
となる。
もっとも, MWCB 作製のために培養された細胞の全個数を計算し,
それを一切の無駄なく200本のバイアルに分けたとすると, 6.4 × 106
個になるから, EPO の MWCB のバイアル当たりの細胞量は, 6.4 × 10 6
個と推測される。 MWCB に含まれる細胞が 5 × 105 個とする GI 社報告
書の記載は誤りであり,誤記が桁数の数値だけと推測すると 5 × 106 個
となるが,最も細胞数が大きくなる場合について検討すると, 100ml の
培養を1回開始するごとに,4本の MWCB を消費することになる。
そして,被告は,昭和61年6月から平成3年3月までの間に,少な
くとも EPO 用に14回の 1600l 培養タンクの運転を実施しているから ,
同 年 2 月 に 1 4 回 目 の 1600l 培 養 タ ン ク の 運 転 を 実 施 し た 時 点 で ,
MWCB は底をつくことになる。
したがって,これ以降に実施されている 1600l 運転は,第2回目の
MWCB の製造が実施されていたと考えざるを得ないし ,また ,EPO は ,
発売後,売上げを伸ばしているから,第3回目又はそれ以上の MWCB
の製造が実施されていることが推測される 。実際には ,MWCB は ,1600l
培養以外にも,培養条件の検討,定期的な細胞のバリデーションなどの
使用目的でも必要であり,上記試算以上の MWCB が消費されているも
のと推測される。
そうすると, MCB 及び MWCB について,昭和60年12月の1回だ
けしか製造しなかったとの被告の主張は,事実に反するものであると強
く疑われる。 MCB についても, MWCB と同様,1回だけの作製という
のは,疑わしい。
(被告の主張)
ア 構成要件の分説
本件発明は,次の構成要件に分説することができる(以下,分説した各
構成要件をその符号に従い「構成要件A」のように表記する 。 。

A 生理活性タンパク質をコードする遺伝子及びジヒドロ葉酸還元酵素
(以下 dhfr とする 。)遺伝子を発現可能な状態で有するプラスミドを元
来付着性であるチャイニーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉酸還元酵
素欠損株( CHO dhfr-)細胞に予め形質転換して得られた形質転換細胞
を培地中に懸濁させ,
B 浮遊攪拌培養を継代して行うことにより浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞を樹立し,
C 当該浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を浮遊攪拌培養し,培養液中
に目的生理活性タンパク質を生産させ,そして目的生理活性タンパク質
を取得することを特徴とする
D 生理活性タンパク質の製造法。
イ 被告による EPO の製造方法
被告方法1は,別紙被告方法1説明書記載のとおりである。
ウ 被告による G-CSF の製造方法
被告方法2は,別紙被告方法2説明書記載のとおりである。
エ 構成要件A充足性
構成要件Aの「元来付着性である」とは,原告が主張するような CHO
dhfr- 細胞の一般的性質ではなく,特殊な浮遊攪拌培養困難性を意味する
のであり,その点で,被告方法は,本件発明の技術的範囲に属しない。
(ア ) 「元来付着性である」の意義
a 本件発明の技術的課題(本件特許の前提となる浮遊化困難性)
本件異議手続においては,動物細胞を浮遊培養に適した細胞に馴化
させることについての周知慣用技術が引用されていた。原告は,これ
に対し ,「元来付着性である」の文言を付加する本件訂正請求を行っ
た。
原告は,本件訂正請求に先立ち,平成14年6月5日付回答書(乙
3の23)において,次のように主張した。
「訂正した後の本件発明は,付着性の形質転換細胞から安定な浮遊
攪拌培養に適した細胞を樹立することは容易ではない,という本件出
願時の常識があった中で,付着性の遺伝子組換え細胞に該当する『生
理活性タンパク質をコードする遺伝子及び dhfr 遺伝子を発現可能な
状態で有しているプラスミドを CHO dhfr-細胞に形質転換して得られ
た細胞』について,70日間(10週間)という極めて長期間にわた
る継代培養を試みることによって,初めて浮遊攪拌培養に適した形質
転換細胞を樹立することに成功し,該形質転換細胞を浮遊攪拌培養し
て生理活性タンパク質を多量に製造することができる方法を確立した
発明であります 。」
原告は,上記のような「本件出願時の常識」を前提とし,本件発明
の CHO dhfr- 形質転換細胞は浮遊攪拌培養に適するように馴化するこ
とが極めて困難な細胞であることを前提として,本件訂正請求を行っ
たのである。
b 本件発明の技術的課題は実際には存在しなかったこと
実際には, CHO dhfr- 細胞の浮遊化には,本件発明に特許性を認め
る前提となるような困難性は存在しない。
すなわち, GI 社は,本件優先権主張日の2年以上前である昭和6
0年12月 ,EPO の大量生産のために浮遊培養に馴化した CHO dhfr-
細胞を MCB として樹立した 。また ,被告は ,昭和62年1月 ,G-CSF
の大量生産のために浮遊培養に馴化した CHO dhfr-細胞を MCB とし
て樹立した。被告方法においては, CHO dhfr-細胞が特別の困難なく
浮遊培養に馴化され, MCB 及び MWCB が作製された。
また,スイスのチューリッヒ大学のインターフェロン,フランスの
サノフィ社のインターロイキン2なども,本件優先権主張日より前に
CHO dhfr-細胞の浮遊培養によって,それぞれの目的とするタンパク
質が安定的に生産されていた。さらに,アメリカ合衆国のジェネンテ
ック社は, CHO dhfr-細胞の浮遊培養により tPA を大量生産し,本件
優先権主張日より前に実際に医薬品として製造承認を受けていた。
c 本件発明の発明者らは特殊な CHO dhfr-細胞を対象としたこと
本件発明の発明者らが実際に使用した CHO dhfr-細胞は,理由は不
明であるが,被告の細胞とは異なり,実際に浮遊培養が困難な細胞で
あったようである。本件発明の発明者らが本件明細書の実施例1と同
じ内容の実験結果を報告した「浮遊培養における遺伝子組換え CHO
細胞による赤芽球分化誘導因子( EDF)の大規模産生 」(乙14。以
下「乙14文献」という 。)には,実施例1に対応する実験データだ
けでなく,浮遊培養できなかった実験のデータも示されている。同文
献の図1は,3種類の培地で CHO 細胞の培養を開始した直後の培養
状態を示しており,同図の黒丸のデータは,本件明細書の実施例1に
対応し,浮遊培養開始後8日で細胞密度が 8.8 × 104 個 /ml になって
いて,当初の世代時間が192時間以上であったことを示している。
これに対し,白丸と白角のデータは,浮遊培養開始後1日で細胞が死
滅してしまったことを示している。
このデータによると,本件発明の発明者らの CHO dhfr-細胞は,従
来技術の培養法による通常の培地や条件では浮遊化が困難な特殊な
CHO dhfr- 細胞であるが,実施例1に相当する実験によって浮遊培養
化に成功し,本件特許の出願を行うに至ったと推測される。
乙14文献によると,本件発明の発明者らの CHO dhfr-細胞を浮遊
化できた要因は,培地への核酸の添加であった。上記図1の実験で,
黒丸のデータは,実施例1で使用された,核酸を 10㎍ /ml 添加した培
地で培養したデータであり,白丸のデータは,核酸を添加していない
点でのみこれと異なるデータである。乙14文献には,浮遊化した細
胞が成長するためには核酸が必要である旨が明確に述べられている。
本件発明は,このような特殊な CHO dhfr-細胞を対象とし,培地に
核酸を添加することによって浮遊化がされたにもかかわらず,本件特
許では,あたかも CHO dhfr-細胞一般が本件発明の発明者らの細胞と
同様に浮遊化困難で,本件発明の発明者らが CHO dhfr-細胞の浮遊化
を初めて発見し,それによって発明の特許性が認められているかのよ
うに扱われている。
本件発明の発明者らが特殊な CHO dhfr-細胞を対象としたことは,
核酸の添加以外の培養条件の設定からもうかがえる。
すなわち,本件明細書の実施例では,細胞を浮遊攪拌培養に馴化さ
せるために浮遊培養をするときの初期細胞密度を 4 × 104 個 /ml とし
ており ,「発明の詳細な説明」の一般的な記述でも ,「出来るだけ低
密度( 1-4 × 104 個 /ml)になるように細胞を懸濁し 」(2頁右欄1な
いし2行 ) 「初期細胞濃度は 4 × 104 個 /ml を出来るだけ越えない方

が望ましい 」(2頁右欄4ないし5行)との記載がある。これは,細
胞の浮遊培養化を行う際の常識に反した低い細胞密度である。
一般的には,浮遊培養の際に細胞の密度が低いことは,細胞の生存
力を低めるのであり,教科書「組織培養 」(乙2)にも ,「細胞相互
の支持能力を利用するため,細胞濃度をできるだけ高くして培養を始
めるのが , 浮遊培養に成功するコツである 。 少なくとも 5 × 104 個 /ml
の濃度から開始することが望ましい 。」と記載されている。
このような技術常識が存在するにもかかわらず,本件発明の発明者
らは,あえて低細胞濃度で培養することを推奨しているのであり,本
件発明の発明者らが用いた CHO dhfr- 細胞は,特殊な性質を有する細
胞であったと考えざるを得ない。
d 本件発明は,特殊な浮遊化困難性に基づいて特許性が認められたこ

原告は,特許庁に提出した平成14年6月17日付特許異議意見書
(乙3の25)において ,「元来付着性である」の訂正の根拠につい
て次のように述べている。
「上記訂正後の特許請求の範囲請求項⑴における ,『元来付着性で
ある』という事項は,本件明細書の第3頁第3行~第7行(特許第2
576200号公報の第2頁左欄第8行~第12行)や本件明細書第
16頁第18行~第17頁第1行(特許第2576200号公報の第
4頁右欄第8行~第11行)に記載されているように,本件発明は,
元来付着性であるために,本件出願時の技術レベルでは大量培養が困
難であった CHO dhfr-細胞から浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を
樹立することを課題とする発明であること,及び各実施例の方法が全
て元来付着性である CHO dhfr- 細胞から浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞を樹立し,培養して生理活性タンパク質を製造している方法で
あることを根拠としています。それ故,上記事項は,本件明細書に記
載した事項の範囲内において請求項⑴における『 CHO dhfr-細胞』を
技術的に限定する事項であって新規事項には該当しませんし,また,
請求項⑴を拡張し,又は変更する事項でもありません 。」
このように,構成要件Aの「元来付着性である」の文言は,本件優
先権主張日当時の技術レベルでは浮遊培養に適した細胞に馴化できな
い CHO dhfr- 細胞を表現することを意図したものである。
また,原告は,上記aのとおり,平成14年6月5日付回答書(乙
3の23)において,本件発明について ,「70日間(10週間)と
いう極めて長期間にわたる継代培養を試みることによって,初めて浮
遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立することに成功し」と述べて
いる 。 70日間( 10週間 )という極めて長期間にわたる継代培養 」

とは,本件明細書の実施例1で,浮遊培養開始直後は世代時間が19
2時間以上であったものが,10週間をかけて世代時間が48時間に
なったことを指しており,このように浮遊培養の期間が10週間を要
したことは,本件異議決定でも,本件発明の特許性を認める上での重
要な理由となっている。
したがって,本件明細書の実施例1のように,従来技術で浮遊化で
きず,浮遊攪拌培養開始当初の細胞の世代時間が192時間以上で,
浮遊培養開始後10週間をかけてようやく世代時間が48時間となっ
て安定化するような細胞が,本件発明にいうところの「元来付着性で
ある」細胞である。
原告は ,「元来付着性である」とは, CHO dhfr- 細胞の一般的性質
であると主張するが,明らかに禁反言に当たるものであり,許されな
い。
e 原告が CHO dhfr-細胞の浮遊化が困難であったことを示すと主張す
る文献について
⒜ 甲6文献について
甲6文献は ,被告の研究者が ,被告の G-CSF の開発経緯のうち ,
特に「 CHO 細胞による工場レベルでの大量培養と精製」と,組換
え G-CSF 製品の「安全性と品質保証」について,主に G-CSF 製品
のユーザである医師や医学研究者向けに書いた著述で, G-CSF(ノ
イトロジン)の製造承認がされた平成3年10月に刊行されたもの
である。
原告は,甲6文献の中の記述を抜粋して,その記述が本件と関係
があるかのように主張している 。しかし ,甲6文献の主要な関心は ,
1600l タンクにおける細胞の大量培養の工程である。すなわち,細
胞の大量培養を行うためには,例えば,大型タンクの中で細胞に対
し一定かつ適切な濃度の酸素を供給しなければならないという問題
があった。つまり,培養タンクをスケールアップして行う大量培養
には,実験室レベルでの培養とは全く異なる,クリアすべき問題が
あったのである。
原告が指摘する甲6文献の19頁の記述は,大型タンクによる培
養工程に関する記述である。また,原告が指摘する甲6文献の18
頁の記述は,この文献の中で筆者が問題として取り上げている大型
タンクによる培養工程に至るための前段階として取り上げられてい
るにすぎない 。「組織培養 」(乙2)に記載されているように,浮
遊化はある程度のコツを必要とすることでもあることから ,筆者は ,
動物細胞の培養に関する知識や経験が乏しい医師や研究者に対し,
第1段階としては,付着培養した細胞の浮遊化を検討しなければな
らないことを記載したものと考えられる。しかし,甲6文献の全体
を見れば,筆者の関心は細胞の大量培養の工程にあることが明らか
である。
さらに,甲6文献において引用文献5)として引用される「遺伝
子工学によるリコンビナント造血因子の精製 」(乙44)には,被
告が組換え CHO 細胞の浮遊培養による大量培養,大量精製に成功
したことが記載されているのであり,遅くとも本件優先権主張日前
の昭和62年には,細胞の浮遊化のみならず,大量培養に関する課
題も既に解決されていたことが報告されているのであるから,原告
が甲6文献の記載をもって本件優先権主張日時点の本件発明の困難
性を主張するのは,失当である。
原告は ,「根気よくサスペンジョンカルチャーを繰り返し」とい
う甲6文献の表現が甲6文献の筆者らの苦労を表していると主張す
る。
しかし,甲6文献は,被告方法2に関わった筆者による文献であ
るから,その記載内容や表現は,実際の細胞の浮遊培養の内容と矛
盾して解釈されるものではない。実際の細胞の浮遊培養の内容に照
らせば ,「根気よく」は,動物細胞の浮遊化について知見の乏しい
読者を対象にした文献で筆者が用いた一種の修辞であると解するの
が相当であり,時間を要する作業であったことを述べるにとどまる
ものである。
⒝ 甲7文献について
甲7文献は,被告方法について記述したものではなく,付着培養
であるローラーボトルで無血清培養の実験を行ったことについて述
べているものである。原告は,甲7文献中の「長く培養すると,初
めて浮遊細胞も出現する」という記述をとらえて, CHO dhfr- 細胞
が本来付着性であり,浮遊性に変えることが容易にできないという
この細胞の特質をよく示していると主張する。しかし,甲7文献の
当該記載は,ローラーボトルを用いて付着培養をしている場合でも
一部に浮遊化した細胞が現れることを述べているにすぎず ,むしろ ,
CHO dhfr- 細胞には付着しようとする性質とともに,浮遊化しよう
とする性質も内在していることを示している。
⒞ 甲17文献について
昭和61年当時 ,「大量培養技術」が実用化の鍵であり,工業的
レベルの生産規模にスケールアップするために種々の問題をクリア
する必要があったのは事実である。大型タンクによる浮遊培養に関
しては,上記⒜のとおり,実験室レベルのスケールでの浮遊培養と
は異なる問題があった。しかし,それは細胞の浮遊化の問題ではな
い。
⒟ 甲18文献について
組換え動物細胞の大量培養技術は,浮遊培養に限られるものでは
ない。大型タンクで浮遊培養する方法もあれば,キリンのように小
型のローラーボトルを多数用いた生産システムを自動化して効率よ
く行う方法もある。甲18文献には,大容量のタンク培養は生産効
率には優れるがスケールアップに伴い製造条件の再検討が必要にな
ること,他方,ローラーボトル法では生産効率は劣るが実験室レベ
ルの条件をそのまま移行できるので大量化が容易に行え,キリンは
生産スピードを考慮してローラーボトル法を採用したことが記載さ
れている。すなわち,どのような方式を開発するかは,各社の開発
方針の問題であり,いずれの方式を採用するにしても,スケールア
ップに伴う困難は,本件発明とは関係がない。
原告は,キリン-アムジェン社が組換え CHO dhfr-細胞を浮遊攪
拌培養する可能性を見出していなかったと主張する。
しかし,化学工業会第63年会研究発表講演要旨集に掲載された
「 組換え体によるタンパク質医薬品の製造について 」 乙57 )は ,

キリンビールの研究者が EPO の開発経緯を紹介した論文であると
ころ ,同論文には ,遺伝子組換え体動物細胞の培養を行うに当たり ,
ローラーボトル方式及びファーメンター(培養タンク)方式を検討
した結果,ローラーボトル方式を採用したことが記載されている。
すなわち ,キリン-アムジェン社にとって ,ファーメンター方式 大

規模の浮遊培養)も可能であったのである。
実際,本件優先権主張日前に発行されたキリン-アムジェン社の
特許明細書である特表昭61-501627号公報 乙58 )
( には ,
EPO 遺伝子と dhfr 遺伝子で形質転換された CHO dhfr-細胞が浮遊
培養で容易に増殖すること,そして,ローラーボトルで培養する前
には,浮遊培養で大量の細胞を取得することが記載されている。さ
らに,実際の生産においても , MWCB を解凍後, T フラスコによ

る静置培養,スピナーフラスコ,ファーメンターによる浮遊培養を
介して ,大量のローラーボトルに接種 ,本培養を行った 」のである 。
このように,キリン-アムジェン社が浮遊培養を選択肢の1つとし
て考慮していたことは明らかであり,ローラーボトル方式を採用し
たのは, CHO dhfr- 細胞が浮遊培養できないことによるものではな
い。
⒠ 甲19文献について
甲19文献の筆者は,マイクロキャリヤービーズを用いてヒト腎
細胞を培養してウロキナーゼというタンパク質を得ており,ヒト腎
細胞の培養に関する説明で「浮遊培養に adapt させることはかなり
困難」と述べている。
しかし,ヒト腎細胞は, CHO dhfr-細胞のような「すでに継代培
養の確立された株細胞」ではなく,ヒトの正常細胞である 。「組織
培養 」(乙2)でも ,「本法は組織からの初代培養細胞には・・・
適用困難であるが,すでに継代培養の確立された株細胞では ,・・
・単層培養から浮遊培養に移してその増殖を継続維持することが可
能である 」(69頁11ないし13行 。「本法」は浮遊培養法を指
す。)と記載されている。
甲19文献の記述は,継代培養の確立された株細胞である CHO
dhfr-細胞株には当てはまらない。
⒡ 甲20文献について
甲20文献は,マイクロキャリアー培養によって C127 細胞や
CHO 細胞を培養したもので,マイクロキャリアー培養を採用した
理由の説明として ,「接着依存性の細胞で浮遊できない」といった
記述がある。
しかし,これは,浮遊培養を実際に行った上での結果に基づいて
なされた記述ではない。
したがって,この文献の記述をもって実際に CHO dhfr-細胞の浮
遊化が困難であることが示されているとはいえない。しかも,甲2
0文献の執筆者であるP4研究員は ,本件優先権主張日の時点では ,
公知文献の記載から ,「組換え CHO dhfr-細胞は浮遊化できる」と
認識したであろうと述べている(乙48 )。
⒢ 甲22文献について
「 次世代プロジェクト 」は ,困難な問題に取り組むものであって ,
テーマに採り上げられていないことが困難であることを示すもので
はない。既に実用化されていた技術であれば,テーマに採り上げら
れなくて当然である。
⒣ 甲28の1文献及び甲28の2文献について
原告は,甲28の1文献及び甲28の2文献には,浮遊攪拌培養
に適合するか否かの予測は困難であることが示されていると主張す
る。
しかし,これらの文献は, CHO dhfr-細胞以外の別の細胞を念頭
に置いて,浮遊攪拌培養の困難な細胞があることを述べているにす
ぎない。甲28の1文献には,原告が指摘する記述の直前に ,「ヒ
ト二倍体細胞株( WI-38, MRC-5)は,浮遊させた状態では全く培
養できない」と記載されている。甲28の2文献にも,冒頭に,ヒ
ト由来細胞についての論文であることが記載されている。このよう
に,甲28の1文献及び甲28の2文献は,ヒト由来の付着性細胞
の場合には浮遊化しにくい細胞があることを示している点で,甲1
9文献と同じである。いずれにしても,これらの文献は, CHO 細
胞や CHO dhfr-細胞については何も述べていない。
(イ ) 被告方法1
a 被告方法1の CHO 細胞 DN2-3 α 3 は,付着培養から浮遊培養に移
行した後2ないし4日目に倍加時間(世代時間)が48時間以下とな
り,4ないし9日目に生長が鈍化することがあったが,培地を全部取
り換えて培養を続けることによりすぐに生長を回復し,29日で世代
時間が24時間にまで短くなっている。本件明細書の実施例1では,
浮遊培養開始後8日間の世代時間が192時間以上であり,世代時間
が48時間になるまでに10週間を要したことと比べれば,被告方法
1の細胞株が浮遊培養困難な細胞でなかったことは明らかである。
b 原告は, MCB の作製が48日目であったことを根拠に,被告方法
1において浮遊攪拌培養に適した細胞の樹立には48日間を要したと
主張する。
しかし,被告方法1の培養の目的は,医薬品の生産に使用するため
の MCB 及び MWCB を作製することにあったのであり,本件発明の
実施例とは目的が異なる。 MCB 及び MWCB の作製には,高いレベル
での品質の保証が要求されているのであり,実験室レベルで浮遊攪拌
培養に適する細胞を作製するのとは次元が異なるのであるから,本件
発明に要した日数と被告方法1の MCB の作製に要した期間を単純に
比較する原告の主張は暴論である。特に,被告方法1においては,ま
ず血清を 10 %含有する馴化用培地で種細胞を浮遊攪拌培養に馴化さ
せ,次いで血清を 1 %しか含まない生産用培地に馴化させ,その上で
MCB を作製しているのであるから,この点でも, MCB の作製に要し
た日数を,本件発明の細胞の樹立に要した日数と単純に比較すること
はできない。
原告も認めるように,別紙培養経過図1によれば,20日目ころに
は,浮遊攪拌培養でも十分に増殖可能と客観的に判断できるが,被告
方法1では ,細胞があらかじめ定められた基準( 細胞の生存率 99 % ,
倍加時間24時間,細胞密度 5 × 105 細胞 /ml)に到達したことを確
認して,次の生産用培地での浮遊培養に移行したのである。なお,倍
加時間が24時間であれば浮遊攪拌培養に十分に馴化した細胞である
と判断できることは,原告の研究者らが,浮遊培養細胞株の普通の倍
加時間は通常20ないし40時間であると述べていることからも,明
らかである。
MCB の作製は,種細胞株が生産用培地での浮遊培養に馴化した後
であればいつでもよく, MCB の作製を48日目に行ったのは, MCB
を作製するために十分な数量の細胞数になるまで順次容量を増しなが
ら増殖を行ったためであり,本件発明の樹立の時期とは異なる。
このように,被告方法1の種細胞株 CHO DN2-3 α 3 細胞は,遅く
とも浮遊培養開始から29日目には,浮遊攪拌培養に適した細胞とし
て樹立されており,本件発明の実施例1の70日目よりもはるかに短
い期間で樹立されている。
c 本件発明の実施例1と被告方法1との更に明確な相違は,細胞を付
着培養から浮遊培養に移行した直後の細胞の増殖性(倍加時間)にあ
る。
被告方法1の種細胞株 CHO DN2-3 α 3 は,浮遊培養に移行した直
後から倍加時間が48時間程度であり,これは,本件特許の実施例1
の細胞が70日間の継代培養の後ようやく到達した倍加時間のレベル
である 。すなわち ,被告の細胞の倍加時間は ,浮遊培養開始当初から ,
本件特許で浮遊攪拌培養に適した細胞として樹立された細胞の倍加時
間と同等であった。 CHO dhfr- 細胞の浮遊攪拌培養を開始してすぐに
細胞が48時間程度で2倍に増殖したという事実は,この細胞がその
後浮遊培養に適した細胞に馴化し,樹立されることを十分に予測させ
るものである。
原告は,被告方法1において,別紙培養経過図1に記載されていな
い前段階の浮遊攪拌培養工程が存在する可能性が高いと主張する。
しかし,被告方法1には,原告の推測するような「予備的な浮遊化
工程」は存在しない。被告方法1における細胞の馴化用培地での樹立
に要した期間が長くても29日であったのは,被告方法2における樹
立に要した期間が24日であるのと概ね一致する。
また, GI 社報告書(乙9)の「哺乳動物細胞遺伝子発現研究室で
は, CHO 細胞をプラスチックの培養皿/フラスコに付着させ, 10 %
ウシ胎仔血清を含む高栄養培養液で培養している 」(61頁6ないし
7行 ) 「第二のステップでは,クローン化した EPO 高産生 CHO 細

胞株を哺乳動物細胞培養グループに移し 1 %ウシ胎仔牛血清培地中浮
遊培養し馴化させ, MCB を樹立することになる 」(61頁9ないし1
1行)との記載は,原告の推測するような「予備的な浮遊化工程」が
存在しないことを示している。
なお,当時 GI 社で CHO dhfr-細胞の EPO 遺伝子による形質転換を
行い, GI 社報告書の原文の作成者の1人であるP5博士は,供述書
(乙55)において,同報告書に記載されている以外の浮遊化の工程
は存在しなかったことを述べている。
(ウ ) 被告方法2
a 被告方法2の CHO dhfr-細胞である「 657 株」も,3日ごとの継代
を繰り返して18日間浮遊培養することで浮遊培養に馴化した 。また ,
生産用培地への移行後の浮遊培養状況のデータも,特に困難なく浮遊
培養が行われたことを示している。すなわち, CHO 細胞 657 株の場
合は,いったん凍結保存されたので,解凍後まず5日間付着培養を行
い,その後 10 %血清を含む馴化用培地で6日間浮遊培養を行い,細
胞が安定的に浮遊培養できることを確認した。そこで,その後, 1 %
血清を含む生産用培地での浮遊培養に移行した。培養状態のデータが
グラフで示されているのは,生産用培地での浮遊培養の開始から後で
あるが,最初の3日間のサイクルでは生長が見られなかったものの,
培養液の約半分を新培地で置換した2サイクル目では,倍加時間が4
8時間の生長を示し,生産用培地での培養開始後21日目以降は,倍
加時間が24時間となっている。
b 被告方法2では,前記aのとおり, CHO 細胞「 657」株をまず18
日間浮遊培養し,いったん凍結保存して,解凍後5日間付着培養した
上で,6日間馴化用培地で浮遊培養した。その後,血清を 1 %しか含
まない生産用培地で47日間浮遊培養し,さらに, 40l の培養タンク
で9日間浮遊培養をした上で, MCB を作製した。原告は,この事実
から ,「浮遊攪拌培養を通算80日間行って,ようやく MCB を作製
し得る増殖性と生産性の安定した細胞を樹立することができた 」 「通

算80日間の浮遊攪拌培養の継代により MCB の作製に到達したとい
うのは,本件発明における浮遊攪拌培養に適した細胞樹立の期間と同
等である」と主張する。
しかし, MCB をいつ作製するかなどの日程は,培養をスケールア
ップして行い, MCB の作製に必要な十分な数量の細胞を得るなどの
理由によって決められたことであり,馴化・樹立のために80日を要
したのではない 。本件特許の実施例1における馴化・樹立が血清を 10
%含む培地で70日間を要したこととの対比では,被告方法2では,
血清を 10 %含む馴化用培地での24日間の浮遊培養によって,馴化
・樹立がされている。
被告は , 657 株」が馴化用培地で浮遊攪拌培養に馴化し,浮遊攪

拌培養に適した細胞として樹立されたと判断し,次の生産用培地での
浮遊培養に移行したのである。原告は18日間及び6日間の合計24
日間の浮遊攪拌培養についてデータが開示されていないと主張する
が,被告方法1と同様,生産用培地での培養に順調に移行することが
できたという事実から,その時点で既に「 657 株」が,馴化用培地に
おいて浮遊攪拌培養に適した細胞として馴化・樹立がされていたこと
は,明らかである。
また,原告は,生産用培地における浮遊培養の状況を示した別紙培
養経過図2について,少なくとも前半部は増殖性のデータが不揃いで
あり,特に18日目から21日目までの培養では,倍加時間が100
時間以上になっているから,到底安定した浮遊攪拌培養が実現されて
いるとは認められないと主張する。しかし,別紙培養経過図2のデー
タは,浮遊攪拌培養への馴化ではなく,培地に血清が 1 %しか含まれ
ない生産用培地への馴化を示すデータであるから,この点の原告の主
張は,失当である。
(エ ) したがって,被告方法1及び被告方法2の CHO dhfr- 細胞は,いず
れも,構成要件Aの「元来付着性である」を充足しない。
オ 構成要件B充足性
(ア ) 構成要件Bの解釈
構成要件Bの「 浮遊攪拌培養を継代して行うこと 」は ,以下のとおり ,
限定解釈されるべきである。
a 本件発明の構成要件Bは,課題を解決するための手段を何ら規定し
ていないこと
本件発明の技術的課題は , CHO
「 dhfr-細胞は浮遊培養では増殖で
きない,あるいは増殖困難である」ことにあり,細胞を浮遊培養条件
下で増殖できるようにすることが課題の解決手段に含まれる。
ところが,構成要件Bは ,「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を
樹立する」ことの手段が「浮遊攪拌培養を継代して行うこと」である
ことを規定している 。「継代」とは,細胞を浮遊培養する場合,容器
から細胞を培地 培養液 )
( と共にその一部を新しい容器に取り出して ,
新しい培地を加えて浮遊培養を続けることであり,培地を変えなけれ
ば細胞はいずれ死滅するから,凍結保存せずに細胞を維持するために
当然行われるものであって,要するに,培養を続けることにほかなら
ない。
そして,浮遊培養で増殖できない細胞を,単に浮遊培養条件下に置
いたとしても,増殖できずに死滅してしまうから ,「継代」は ,「樹
立」のための手段となるとしても,浮遊化に必要な「増殖」のための
手段とはなり得ない。
そうすると,本件発明は,安定な細胞の樹立のための手段として,
当業者の技術常識である 継代 」
「 のみを請求項に記載するにとどまり ,
その前提となる「浮遊培養で細胞を増殖させる」ことについては,何
ら解決の手段を記載していない。
b 初期細胞濃度及び核酸を含む培地の使用が課題を解決するための手
段であること
上記aのとおり,本件発明は,課題を解決するための手段を規定し
ていないから,本件特許は,本来,この点において無効理由(平成2
年改正前特許法36条4項)を有するが,本件発明を何らかの意味の
ある内容として解釈しようとするならば,本件発明の構成要件Bの樹
立のための手段を明細書の記載に照らして解釈すべきである。
すなわち,本件明細書には ,「初期細胞濃度は 4 × 104 個 /ml を出来
るだけ越えない方が望ましい 」(2頁右欄4ないし5行 ) 「培地は,

上述のα- MEM 培地と同程度,もしくはそれ以上の濃度の核酸を含
む培地ならいずれでもよい 」(2頁右欄11ないし13行)と記載さ
れており,培地への核酸の含有が,本件発明の培養において必須の条
件であり,核酸を添加しなければ浮遊化はできないことが,上記記載
によって明確に述べられている。
このような本件明細書の記載に照らせば,本件発明の構成要件Bの
樹立のための手段は,①初期細胞濃度が 4 × 104 個 /ml を越えず,か
つ,②核酸を含む培地を用いた浮遊攪拌培養を行うこと,に限定して
解釈される。
c 本件発明は実施不可能な部分を含むこと
本件発明の発明者らは,上記エ( ア )cのとおり,核酸を添加した培
地で浮遊化したのであり,本件明細書にも,核酸の添加が必要である
ことが記載されている。したがって,本件発明は,核酸を添加してい
ない培地で浮遊化することについては,課題を達成できておらず,発
明未完成である。このように,発明者が発明を完成していない範囲の
方法にまで特許の権利範囲を拡大することは,特許法の精神に反する
ものであるから,本件発明の技術的範囲は,核酸を添加した培地で浮
遊化した場合にのみ限定されるべきである。
d 本件発明は発明の詳細な説明に記載されていない発明を含むこと
仮に,本件発明の技術的範囲が,核酸を含む培地を使用する場合に
限定されないとすれば,特許請求の範囲に記載した発明の範囲が,発
明の詳細な説明に記載した発明の範囲を超えることになるから,本件
発明は,限定して解釈されるべきである。
本件発明の詳細な説明の項の「培地は,上述のα- MEM 培地と同
程度 ,もしくはそれ以上の濃度の核酸を含む培地ならいずれでもよい 」
(2頁右欄11ないし13行)との記載は,核酸を含まない培地を用
いて浮遊化することについて,特許権者自らが意識的に除外している
ことにほかならない。
本件発明の特許請求の範囲は,核酸を含まない培地をも権利範囲に
含み,発明の詳細な説明に記載した発明の範囲を超えるものであるか
ら,核酸を含む培地を用いて浮遊化したものに限定して解釈されるべ
きである。
(イ ) 被告方法1及び被告方法2
被告方法1及び被告方法2の浮遊培養では, 1 × 105 個 /ml 以上の初
期細胞密度が採用され,浮遊攪拌培養に用いられた培地には,核酸は全
く含まれていない。
したがって,被告方法1及び被告方法2は,いずれも構成要件Bを充
足しない。
カ 被告方法1及び被告方法2の MCB が本件優先権主張日前に樹立されて
いること
(ア ) 被告方法1において EPO の大量生産に使用する種細胞株は,本件
優先権主張日より前に MCB 及び MWCB として樹立されていた。すな
わち,被告方法1の種細胞株 CHO 細胞 DN2-3 α 3 の MCB 及び MWCB
は,昭和60年に,アメリカ合衆国で, GI 社により樹立され,昭和6
1年2月に被告に移された。
(イ ) 被告方法2において G-CSF の大量生産に使用する種細胞株は,本
件優先権主張日より前に MCB 及び MWCB として樹立されていた。す
なわち ,被告方法2の種細胞株 CHO 細胞 657 株の MCB 及び MWCB は ,
昭和61年1月ないし2月に被告によって樹立された。
(ウ ) 原告が本件特許を侵害すると主張する被告の行為は,上記各細胞株
の MCB を上記各時期に樹立し,その後,その種細胞を増殖し,最終的
に 2500l の培養タンクで培養し,所望の EPO 及び G-CSF を製造する行
為である。
本件特許の構成要件A及びBに対応する行為は,上記( ア )及び( イ )の
とおり,本件優先権主張日より前にすべて行われており,その後は,構
成要件A及びBに対応する行為は一切行われていない。そうすると,構
成要件A及びBに相当すると原告が主張する工程によって作成された
EPO 及び G-CSF の MCB 及び MWCB は, EPO 及び G-CSF を製造する
目的で本件優先権主張日より前に既に日本国内に存在していたのであ
り,それらは ,生産行為の全体が特許出願前に既に行われていた場合に ,
当該生産行為によって生産された物が特許出願前から日本国内に存在し
たことになり,特許法69条2項2号により特許権の効力が及ばないと
解すべきであるのと同様,本件特許の効力の及ばない物(特許法69条
2項2号)と解すべきである。
すなわち,本件優先権主張日後に被告が行った行為は,本件発明の特
徴的構成の工程ではなく,慣用的な工程にすぎないのであって,この場
合も,発明の全構成要件に該当する行為が特許出願前(本件優先権主張
日前)に完了している場合と比較して,権利者を特許権で保護すべき理
由が存在しないことにおいて同じだからである。
(エ ) 原告は,被告があたかも本件優先権主張日以降に MCB 及び MWCB
を作製したことがないと主張しているかのように解釈し,疑義があると
主張する。
MWCB は, MCB を解凍して細胞を増殖し,多くのバイアルに分注し
て再び凍結保存するのであるから,当然, MWCB は,本件優先権主張
日以後にも作製されている。また,既存の MCB から新たな MCB を作
製(更新)することもある。しかし,この工程の中には,本件発明の構
成要件A及びBに相当する行為は含まれていない。 MCB 及び MWCB の
細胞は ,既に浮遊培養に適する細胞として樹立されているのであるから ,
これらの細胞を増殖して新たに MCB 及び MWCB を作製する場合には ,
構成要件Bに相当する行為は不要である。
ちなみに,被告が構成要件A及びBに相当する行為を新たに作製して
医薬品を製造販売しようとすれば,その細胞の遺伝子は,被告が製造承
認を受けた医薬品を産生する細胞の遺伝子と異なるものとなるため,新
たに臨床試験を行い,製造承認を受けなければならない。したがって,
被告が,本件優先権主張日以後に EPO 及び G-CSF を製造するための
MCB を新しく作製していないことは,明らかである。
⑵ 争点⑵(先使用)について
(被告の主張)
仮に,被告方法が本件発明の技術的範囲に属するものであるとしても,被
告は,次のとおり,本件発明と同一の発明を, EPO については GI 社との共
同研究開発により, G-CSF については自社開発により,それぞれ完成させ
た上,被告方法を実施して医薬品製造販売の事業を行うに十分な製造設備を
完成させ,更に大規模な設備計画を実行に移すとともに,被告方法に基づく
医薬品製造販売を事業として行うために必須である臨床試験を既に開始して
いたから,被告は,特許法79条に基づき,本件特許権について法定の通常
実施権を有する。
ア 本件優先権主張日前の被告方法1の完成
被告は,昭和58年10月,アメリカ合衆国で EPO 遺伝子組換えの研
究を始めていたベンチャー企業である GI 社に資本参加し,昭和59年6
月29日には, GI 社と研究開発に関する基本契約を締結し, EPO の研究
開発に着手した。
GI 社の研究開発グループは, CHO 細胞を含む動物細胞の遺伝子組換え
により, EPO の製造方法を発明し,昭和60年12月には,形質転換し
た CHO dhfr-細胞を浮遊攪拌培養することにより, MCB 及び MWCB を作
製した。被告は,昭和61年2月, GI 社から MCB 及び MWCB を受領し
た。
被告は,本件優先権主張日前の昭和61年10月27日から同年11月
6日にかけて, GI 社から受領した MCB 及び MWCB を用いて, 1600l 培養
タンクにより浮遊攪拌培養を行った後, EPO を精製した。
したがって,被告が,本件優先権主張日より約2年前である昭和61年
11月に, EPO の製造における被告方法1を完成したことは,明らかで
ある。
イ 本件優先権主張日前の被告方法2の完成
被告は,昭和59年ころから,骨髄中の顆粒球系前駆細胞に作用し,顆
粒球系への分化・増殖を促進する造血因子である G-CSF について研究を
開始し,ヒト G-CSF の純化を経て,同年8月には, CHO 細胞を含む動物
細胞の遺伝子組換えにより, G-CSF の製造方法を発明し,昭和61年7
月に特許出願を行った。同年11月には, CHO dhfr-細胞を宿主細胞とし
て, G-CSF をコードする遺伝子及び dhfr 遺伝子を発現可能な状態で有す
るプラスミドで形質転換して得た細胞株を継代して浮遊攪拌培養を行い,
昭和62年2月には, MCB 及び MWCB を作成した。
被告は,本件優先権主張日前の昭和62年10月21日から同年11月
8日にかけて, G-CSF の MWCB を用いて, 1600l 培養タンクにより浮遊
攪拌培養を行った後, G-CSF を精製した。
したがって,被告が,本件優先権主張日より約2年前である昭和62年
11月ころ, G-CSF の製造における被告方法2を完成したことは,明ら
かである。
なお, G-CSF 製造確認申請書(乙21)の様式2の別添「組換え体に
係る製造計画」2頁「ベクターの名称」欄には「 pV2DR1」と記載されて
いるが,被告方法2で実際に使用したベクターは, pV3DR1 のみであり,
上記記載は誤記である。
被告は,医薬品製造承認申請書の作成のためにすべての遺伝子配列を確
認したところ,この誤りに気付き, G-CSF の医薬品製造承認申請書(乙
10,枝番を含む。以下「 G-CSF 製造承認申請書」という 。)には,同申
請書別紙⑵2頁⑵のとおり,正しい名称である「 pV3DR1」を発現ベクタ
ーとして記載した。
原告は,昭和62年10月21日から同年11月8日にかけて行われた
浮遊攪拌培養で製造された G-CSF から治験薬が製造され,使用されたの
は,本件優先権主張日後であると主張する。
しかし,臨床試験(第Ⅰ相試験)は,本件優先権主張日前に行われてい
るのであり,当然のことながら,治験薬は,本件優先権主張日前にも製造
されている。
ウ 即時実施の意図の表明
(ア ) 製造施設等の準備
a 培養施設棟の改修及び 1600l 培養タンクの導入
被告は,本件優先権主張日の4年前に当たる昭和59年6月, EPO
の大量生産技術の確立に向けて, GI 社と共同研究を開始したが,被
告の工場内で倉庫として使用していた通称「B棟」を改修して,医薬
品としての EPO を製造し得る浮遊攪拌培養施設及びその関連設備 以

下「B棟製造設備」という 。)の建設の準備を開始した。この培養施
設計画は,総工費予算9億円で,培養施設の建物改築(被告浮間工場
B棟)及び同B棟内に設置される培養タンク( 40l タンク2基, 160l
タンク2基及び 1600l タンク1基)を含む培養設備の導入を行うもの
であり,最終的な投資額は9億円を超える規模で,昭和60年9月に
完成し,稼働を開始した。これは,実に本件優先権主張日から2年半
も前のことである。
この 1600l 培養タンクを含む製造設備は ,昭和61年6月から ,EPO
及び G-CSF の治験薬及び製品の原体生産のために使用されている。
被告は, EPO の製品であるエポジン 3000 の製品原体の製造をこの施
設で行い, G-CSF についても,この設備を用いて,製品であるグラ
ノサイト(欧州向け G-CSF)の原体を製造している。
したがって,上記 1600l 培養タンクの完成及び供用開始により,本
件優先権主張日前に, EPO 及び G-CSF の商業的な大量生産設備は既
に整っていた。
b 培養施設の新規建設及び 2500l 培養タンクの導入
被告は,治験薬供給のリスク分散と発売時の原体生産に対応するた
め,昭和62年4月,既に稼働していた 1600l 培養タンクによる生産
計画を見直し,新たに EPO 及び G-CSF の量産のための 2000l クラス
の培養タンクを備えたバイオ原体用生産棟( 以下「 生産棟 」という 。)
を被告の浮間工場内に新築する計画を開始し,同年7月27日の取締
役会において,次の内容による生産棟建設計画を決定した。
① 生産棟 RC造4階建て,延べ床面積5300㎡
② 培養タンク 2000l を基準として培養・精製各4工程を設置
③ 生産能力( EPO 及び G-CSF の合計)
第Ⅰ期 培養2系列,精製1系列で, 60g ~ 75g/年
EPO 発売時 培養2系列,精製2系列で, 120g ~ 150g/年
第Ⅱ期 培養4系列,精製4系列で, 240g ~ 300g/年
( 1回分の投薬に使用される EPO の量は ,1500U の製剤で約 20
1g
㎍とされており , で製剤5万本に該当する 。年産 300g の EPO
であれば,製剤1500万本分の量に該当し,患者10万人分
の年間使用量をまかなうことができる 。)
④ 概算費用
第Ⅰ期 28億8000万円
EPO 発売時 5億7000万円
合計 34億5000万円
⑤ 工期
着工 昭和62年12月
設備据付 昭和63年11月
試運転 昭和64年1月
稼働 昭和64年5月
上記計画の決定は,本件優先権主張日である昭和63年3月9日の
8か月前のことである。被告は,昭和62年5月,上記生産棟建設計
画に基づき,生産棟の建築設計・監理を株式会社日建設計(以下「日
建設計」という 。)に依頼した。同社は,同年7月1日,設計を開始
し,本件優先権主張日前の昭和63年1月30日には,既に4階建て
の生産棟の設計を完了した。その後,生産棟の建物建設は鹿島建設株
式会社(以下「鹿島建設」という 。)が施工し,同年5月18日に着
工し,平成元年8月30日に竣工した。なお,生産棟の培養タンクの
容量は,最終的に 2500l に決定され,昭和63年7月,正式に GI 社
から培養タンクを購入する契約が締結された。
また,建物設計と並行して,本件優先権主張日前に,①各種タンク
類及びピュアスチーム発生機等の培養付帯設備については岩井機械工
業株式会社(以下「岩井機械」という 。)を,②蒸留水製造装置につ
いては岩谷産業株式会社(以下「岩谷産業」という 。)を,③タンパ
ク質精製設備及び純水装置等については栗田工業株式会社(以下「栗
田工業」という 。)を,それぞれ発注予定先とし,各社との設計・設
備計画の打合せを行い,見積書等を受領している。
c 被告は,上記a及びbのとおり, EPO 及び G-CSF に向けて, 1600 l
の培養タンクを備えた製造設備を完成させていた。このことだけを見
ても,即時実施の意図が客観的に認識される態様及び程度において表
明されていることは明らかである。加えて,本件優先権主張日前に,
EPO 発売時に限っても 2000l クラスの培養タンク2基を備えた総額三
十数億円の生産棟の建築を被告の取締役会で決定し,既に生産棟の設
計を終え,発注先各社から大量生産に耐える生産設備の見積書及び図
面等を受領していたのであるから,被告は,本件優先権主張日前に,
商業的な製造販売について即時実施の意図を客観的に有していたこと
が明らかであり,事業の準備をしていたものである。
(イ ) 臨床試験の開始
a 臨床試験の必要性
医薬品を製造販売するためには,目的物について,品目ごとに,薬
事法14条1項の厚生大臣の承認を受けることが必要である。また,
同条3項には,同条1項の承認を受けようとする者は,申請書に臨床
試験の試験成績に関する資料等を添付して申請しなければならないこ
とが規定されている。被告が, EPO 及び G-CSF を用いた医薬品の製
造販売に向けた準備の一環として,製造承認の取得のために行った臨
床試験は,次のb及びcのとおりである。
b EPO についての臨床試験
⒜ 第Ⅰ相試験
被告は, GI 社から受領した MWCB を用いて,浮間工場の 1600l
培養タンクにより治験薬原体を製造し,昭和61年11月21日,
厚生大臣に対し,第1回目の治験計画届書を提出し,健常人による
安全性及び生体内の動態の確認を行うための第Ⅰ相試験を精神医学
研究所付属武蔵野病院において開始した。
第1回治験(第Ⅰ相試験)の実施は,健常成人男子志願者24名
(うち6名はプラセボ投与)を対象とし,初回投与量 0.2㎍を静脈
内に単回投与する第一ステップから開始し,薬量を漸増しながら投
与するものである。
その後,昭和62年2月16日,厚生大臣に対し,製造確認申請
書を提出し,同月25日,2回目の第Ⅰ相治験計画届書を提出し,
第Ⅰ相試験を実施し,終了した。
⒝ 第Ⅱ相試験
被告は,昭和62年3月6日,厚生大臣に対し,腎性貧血患者に
対する有効性及び安全性について評価検討するための第4回目治験
計画届書を提出し,第Ⅱ相試験を開始した。第4回治験(第Ⅱ相試
験)の実施は,腎性貧血患者100人に対し,効果が不十分な場合
には薬量を 3000U , 6000U に増量して行うものである。同年4月9
日には,厚生省薬務局長から製造確認通知を受領し,その後,同月
から同年10月にかけて,第5回から第11回までの治験計画届書
を提出し,第Ⅱ相試験を実施し,終了した。
⒞ 第Ⅲ相試験
被告は,昭和63年2月,厚生大臣に対し,腎性貧血に対する有
効性及び安全性をメビチオスタンを対照薬として二重盲検比較試験
により検討するための第12回治験計画届書を提出し,第Ⅲ相試験
を開始した。第12回治験(第Ⅲ相試験)の実施は,腎性貧血患者
50人を対象に 3000U を週3回,14週間静脈に投与して行うも
のである。
⒟ 製造承認
被告は,昭和63年12月27日,厚生大臣に対し,上記⒜ない
し⒞の臨床試験の結果をもとに製造承認の申請を行い,平成2年1
月23日,厚生大臣の承認を受け,同年4月の薬価収載を経て,同
月,上市した。
c G-CSF についての臨床試験
⒜ 第Ⅰ相試験
被告は,その作成した MWCB を用いて,浮間工場の 1600l 培養
タンクにより治験薬原体を製造し,昭和62年3月,厚生大臣に対
し ,製造確認申請書を提出し ,同年6月 ,製造確認通知を受領した 。
被告は,昭和62年9月24日,厚生大臣に対し,第1回目の治
験計画届書を提出し,健常人による安全性,耐容性及び薬物動態の
検討を行うための第Ⅰ相試験を関野病院において行った。
第1回治験 第Ⅰ相試験 )
( の実施は ,健常成人男子14名に対し ,1
~ 20㎍の G-CSF を,単回,5日間(休薬後さらに1回)皮下に投
与するものである。
⒝ 第Ⅱ相試験及び第Ⅲ相試験
被告は ,昭和63年2月2日 ,厚生大臣に対し ,非骨髄性腫瘍( 悪
性リンパ腫)患者での臨床的有効性及び安全性の検討のための第2
回の治験計画届書を提出し ,第Ⅱ相試験を開始した 。第2回治験 第

Ⅱ相試験)の実施は,非骨髄性腫瘍(悪性リンパ腫)の患者40人
に対し, 0.4 ~ 10㎍の G-CSF を皮下投与して行うものである。
被告は,昭和63年3月から平成元年4月にかけて,厚生大臣に
対し,第3回から第23回までの治験計画届書を提出し,第Ⅱ相試
験及び第Ⅲ相試験を実施し,臨床試験を終了した。
⒞ 製造承認
被告は,平成元年12月,厚生大臣に対し,製造承認の申請を行
い,平成3年10月,厚生大臣の承認を受け,同年11月の薬価収
載を経て,同年12月,上市した。
エ 先使用権の成立
上記のとおり,本件優先権主張日前に,最終目的物である EPO 及び
G-CSF について,大量生産方法が確立し,その直接の生産細胞のもとに
なる MCB 及び MWCB が樹立され,保存されていた。また,本件優先権
主張日以前から現在に至るまで, EPO 及び G-CSF の製造は,本件優先権
主張日前に作られた MCB 及び MWCB を解凍し,増殖することにより行
われている。
そして,本件優先権主張日前に, EPO 及び G-CSF を産生する細胞の大
量 浮 遊 培 養 を 可 能 に す る 製 造 装 置 が 被 告 の 社 内 に 設 置 さ れ , EPO 及 び
G-CSF 製造専用の工場の設計も完了しており,同時に,上記確立した大
量生産方法を用いた臨床試験が開始されていたことを総合的に検討すれ
ば,被告のこれらの行為は,被告が先使用権にいう即時実施の意図をもっ
て,それが客観的に認識される態様,程度において表明されていたもので
ある。そして,被告は,臨床試験の後,製造承認の申請を行い,厚生大臣
の製造承認を受け, EPO 及び G-CSF を主成分とする医薬品を上市したも
のであるから,被告の上記各行為は,被告による被告方法の実施の準備行
為というべきである。
したがって,被告は,被告方法について,本件特許権についての先使用
による通常実施権を有するものである。
オ 被告方法と先使用による通常実施権
(ア ) 被告は, EPO についても, G-CSF についても,本件優先権主張日
前に製造された MCB 及び MWCB を増殖させて浮遊攪拌培養を行い,
最終製品を得ているのであり,本件優先権主張日後は,新たな MCB 及
び MWCB を作製していない。この手法は,本件優先権主張日前から今
日に至るまで不変である。
また, MWCB を用いて実施される浮遊攪拌培養及びその後の精製工
程は,本件優先権主張日前に当業者に周知の培養方法を用いて行ってい
るにすぎず,被告方法の完成時と現在とで,浮遊培養及びその後の精製
工程に変わりはない。
したがって,被告が先使用を確立した方法と,現在被告が行っている
被告方法とは同一であるから,被告による被告方法の使用は,先使用に
よる通常実施権に基づくものである。
(イ ) 原告は,仮に EPO の糖鎖構造を均一にする製法変更があったので
あれば ,臨床試験当時の製法と現在の被告方法1とは異なると主張する 。
しかし,糖鎖構造を均一にする必要はなく,そのような技術は未だ開
発されていないから,原告が主張するような製法変更は行っていない。
また,仮にそのような変更が行われているとすれば,改めて製造承認の
申請を行う必要がある。
(ウ ) 被告は,本件優先権主張日前の昭和62年3月9日付けで,ベクタ
ーの名称を「 pV2DR1」と表示した G-CSF 製造確認申請書(乙21)を
提出し,同年6月5日,組換え DNA 技術応用医薬品の製造のための指
針に適合していることの確認の通知を受けた。その後,医薬品製造承認
申請書作成のためにすべての遺伝子配列を確認したところ,ベクターの
名称の誤りに気付き,平成元年12月26日付けで,ベクターの名称を
「 pV2DR1」から「 pV3DR1」に変更する旨の変更届(乙62の1)を
厚生大臣に提出した。その後,中央薬事審議会バイオテクノロジー特別
部会への報告を経て,最終的に同指針第4章第7に基づく報告(乙62
の2)として,厚生大臣に提出した。
このように, G-CSF 製造確認申請書(乙21)に記載されたベクタ
ーの名称「 pV2DR1」は , pV3DR1」の誤りであることが明らかであり ,

現在の被告方法2で使用している MCB は,本件優先権主張日前に作製
された MCB と異なるところはない。
(エ ) 原告は,ベクターの名称の変更から2年後の被告の特許出願に係る
公開特許公報(甲75)に pV2DR1 が記載されていることを指摘し,
被告が pV2DR1 及び pV3DR1 の2種類のベクターを有していたと主張
する。
しかし,原告が指摘する上記公開特許公報には ,「ヒト G-CSF 遺伝子
を含むプラスミド pV2DR1(特公平1-5395に記載されるもの。
prIL-6 とほぼ同じ構造 ) ( 0023 】
」【 )と記載されている。上記公開
特許公報に係る特許出願は,被告がベクターの名称を変更する前の被告
の特許出願に係る特許公報(特公平2-5395。乙78)の記載をそ
のまま引用してしまったことによる結果であって,2つのベクターが存
在していたものではない。
なお,上記公開特許公報(甲75)で引用された「特公平1-539
5」は ,「特公平2-5395」の誤りであることが明らかである。
カ 「先使用権による保護の要件 」(後記「 原告の主張 )
( 」ア)について
(ア ) 原告の主張は,医薬品の場合は,製造承認が受けられない限り,た
とえ製造設備等においていかなる準備をしていても,即時実施の意図の
表明と認める余地はないというものである。原告の主張によれば,医薬
品業界では,製造承認の取得という行政上の制約により,他の業界に比
べ発明の完成から事業化までに長い年月と多額の費用を要するにもかか
わらず,製造承認を受けるまでの準備行為は,特許法79条にいう「事
業の準備」には一切該当しないこととなり,結果として,それまでの長
期間にわたる企業努力,物的,人的な投資が無に帰してしまうことにな
る。
特に,本件のように,事業化のために新しい製造設備を必要とし,多
額の費用と時間を要する場合には,製造承認の取得を待って,製造設備
の検討に着手するような悠長な仕事の進め方をすることはできない。ま
た,医薬品の製造承認については,該当製品の製造設備を含む製造方法
も審査の対象事項であり,かつ,製造承認を受け,さらに,薬価収載さ
れた後は3か月以内に安定的に供給を開始しなければならない。
そのため,当然に,臨床試験期間中に事業の準備のために多額の投資
を行うことになるが,原告の主張によれば,このような投資を行う者は
保護に値せず,実験室レベルの成果を出願した特許権者が常に優先する
というのである。この原告の主張は,医薬品の事業における「事業の準
備」による先使用権の成立をまさに否定するものであり,法が先使用権
を認めた趣旨から見て ,著しく不合理な主張であることは明らかである 。
(イ ) 原告は,医薬品について,臨床試験段階では,未だヒトに対する安
全性や有効性は確認されておらず,即時実施は不可能であり,医薬品と
しての事業化は単なる希望にすぎないと主張し,その理由として,臨床
試験の各段階における製造承認を受ける確率が低く,臨床試験段階での
医薬品の開発成功の見通しが不明確であることを挙げている。
しかし,現実に製造承認を受け,事業化されている医薬品について,
臨床試験段階での製造承認を受ける確率を持ち出して,即時実施の意図
の有無を論じても無意味である。すなわち,医薬品の場合は,臨床試験
を行う段階において,試験の対象となる医薬品の有効成分は既に決定さ
れており,臨床試験の結果に応じて有効成分自体を適宜改良,変更する
ことは許されていない。つまり,臨床試験に入る段階で,医薬品として
の有効性の有無や安全性の有無は,客観的には既に定まっているのであ
るから,臨床試験は,それらを確認するために行われるのであり,有効
成分を変更・改良するため いわゆる試験研究目的 )
( に行うのではなく ,
上市の前提である製造承認を受けるために行うのである。臨床試験にお
いて,結果的に製品化できないものがあるのは事実であるが,そのこと
は,「即時実施の意図」の有無に影響しない。そもそも,即時実施,す
なわち,即時販売の意思があることは,臨床試験を行う前提であり,臨
床試験を行うことは,その意図が外部から客観的に認識できる行為にほ
かならない。一般の商品を製品化する改良過程で行われる試験研究と,
有効成分の改良は一切許されず,医薬品の安全性及び有効性を行政上の
理由から確認する臨床試験は,全く異なるものである。
(ウ ) 原告は, EPO について異なる糖鎖構造を持つものが含まれることを
指摘し,製造承認を受けた段階でさえ,事業化のための技術が完成して
いないと主張する。
しかし, EPO は,バイオテクノロジーを利用し,有機的にタンパク
質を合成するものであるから,通常の化学物質と異なり,常に単一の糖
鎖構造を持つタンパク質を製造することが困難であることは当然であ
る。そうであるからこそ,厚生省も ,「バイオ技術で生産された医薬品
における糖鎖構造などの違いによる生産物の不均一性については,製造
承認の申請の段階で提出された医薬品の“規格”に見合っているもので
あれば,問題なしとしている」のである。被告の現在の製品にも異なる
糖鎖構造を持つものが含まれているのであるから,技術的に完成してい
なかったとする原告の主張は,誤りである。
(エ ) 原告は,被告が製造承認の申請後に 1600l 培養タンクを使用して
EPO の原体を製造していたことを指摘し,これが糖鎖構造等の検証を
行ったものであり,仮に商業用の原体製造であれば薬事法違反である,
とあたかも事業化のための技術が完成していなかったかのような主張を
する。
しかし,これは,適応症の拡大や容量・剤型変更を目的として治験薬
の原体を製造したものであり,初回の製造承認の申請を終了しても,製
品価値を上げるために継続して適応拡大を行っていくことは,一般的に
行われることである。
(原告の主張)
ア 先使用権による保護の要件
(ア ) 被告が先使用権を主張し得るためには,特許出願日(本件優先権主
張日)において,被告において特許発明に該当する発明行為が完成し,
かつ,発明が事業として実施されているか,又は事業の準備がなされて
いることが必要である。そして,先使用権は,本件優先権主張日におい
て「実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内」につき成立
する。
特許法における発明の完成と事業としての実施行為の間には,試験研
究(あるいは開発)の段階が必要とされるのが一般的であり,その後に
事業の段階に至る。厳密にいえば,①発明の完成,②事業化のための試
験研究,③事業化のための技術開発,④事業化技術の完成と製造設備の
用意,⑤事業の実施,という順序になるのが普通である。
試験研究と技術開発の段階は,未だ事業の実施に至るか否かが不明で
あるから,先使用権による保護は与えられない。
製造設備については,新規な設備を用意する必要がある場合と,既存
の設備を使用すれば足りる場合がある。完成した事業化のための技術が
存在するときは,製造設備を用意する行為が事業実施の準備と認められ
る。これに対し,既存の設備を使用する事業については,設備を設けた
時期は先使用権の基準とはならず,事業化のための技術を完成したこと
と,これを実施する意図が表明されたこと(サンプルの配布など)が先
使用権を認定するために必要となる。
「事業の準備」とは ,「即時実施の意図を有しており,かつ,その即
時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されている
ことを意味する 」(最高裁昭和61年( オ )第454号同年10月3日第
二小法廷判決・民集40巻6号1068頁参照 )。同判決は,大型プラ
ント受注のための見積仕様書などの作成提出をもって,事業の準備を認
めたが,プラントのような製品は,完全な設計ができていれば,後は設
計どおりに材料を組み立てていくだけでよいから,同判決は,事業とし
ての技術は既に完成している場合であって,特段の製造設備の新設を要
しない場合について先使用権を認めた事例である。これに対し,通常の
製品であれば,販売可能な商品のサンプルが既に存在すること及びその
製造設備が用意されている(完成することが確定している)ことが必要
である。すなわち,事業の準備が認められるためには,発明の完成から
更に進んで,事業に必要な具体的技術が存在していること(装置の発明
では,詳細な具体的設計など)が必要である。
(イ ) 医薬品の事業の場合は,医薬品としての安全性及び有効性を備えて
いることが臨床試験により証明され,製造承認を経て,初めて商品とし
ての医薬品が存在することになり,その事業開始が可能になるのである
から,単に物質が製造可能であるだけでは足りない。
臨床試験が必要であるのは,薬事法が本来不要な試験を行う義務を製
薬企業に課しているからではなく,医薬品として販売されるためには欠
くことのできない性質を判定する試験だからであり,薬事法はただその
基準を明確にしているにすぎない。
ヒトに対する安全性と有効性が確認されるまでは,当該物質を医薬品
として事業化したいという希望は,単なる希望にすぎず,事業を即時実
施することは不可能である。一般的に,医薬品の開発において,臨床試
験の第Ⅰ相試験にある新薬候補が商品化される確率は 10 %前後にすぎ
ない。すなわち,未だヒトに対する医薬品としてはスクリーニングの段
階にすぎないのである。そして,第Ⅱ相試験の段階にあるものでも成功
の確率は 20 ~ 30 %であり,第Ⅲ相試験の終了段階に至って,初めてヒ
トに対する医薬としての商品化の見通しが立つといってよい。しかし,
この時点での判断は,開発者の主観にすぎず,承認申請により国の評価
を受けなければならないが,この段階でも 30 %は承認されない。
(ウ ) また,安全性と有効性の面からは即時実施が可能な状態になってい
ても ,製造設備が存在しなければ事業は即時実施できない 。したがって ,
製造設備について即時実施の意図が表明されることも,必要な条件であ
る。
先使用権の成立を認めるためには,これらの2つの面について,即時
実施の意図が客観的に確認されなければならない。
本件における「エポジン」及び「ノイトロジン」のように,バイオテ
クノロジーにより製造される医薬品の場合には ,事業の実施に先立って ,
大量生産技術の確立が必要となる。バイオテクノロジーによる製造にお
いては,スケールアップによって,細胞が増殖しなくなったり,得られ
るタンパク質の構造(特に糖鎖構造がその活性発現に必須の EPO の場
合)が変化するなど,通常の化学物質の製造とは異なる問題がある。医
薬品は,一定の品質を維持しなければならないから,事業としてバイオ
テクノロジーを適用するに際しては,スケールアップにおける製造技術
を確立する必要があり,この段階も,試験研究(開発研究)の一部を構
成する。この段階を通過しなければ,医薬品の事業を即時実施し得る段
階には達しない。
実際,被告による EPO の製造においては, EPO の大量合成に際し,
糖鎖の結合状態が異なる EPO が生成していることが認められた。これ
は, EPO の大量培養条件の違いによって異なる糖鎖構造を持った EPO
が生産されたことを意味する。被告は,いわば,大量生産技術を十分に
確立することなく,すなわち,事業の準備が十分に整わないうちに,商
品化に踏み切ったことになる。事実,被告は,昭和63年7月に EPO
の臨床試験が終了しているにもかかわらず, 1600l の培養タンクによる
EPO の培養を,同年11月から同年12月にかけて6ロット,平成元
年6月から同年7月にかけて15ロット,それぞれ実施している。被告
の EPO の製造承認の申請は昭和63年12月27日であり,製造承認
の取得は平成2年1月23日であるから,上記2回の培養(合計21ロ
ット)は,明らかに製造方法の条件検討(糖鎖構造の検証など)を実施
したと考えられる。
この事情は,製造承認を受けた段階においてさえ,事業化のための技
術が完成していないこともあり得ることを示しており,いわんや臨床試
験の段階では,到底事業の準備の段階に達したとは認められないことを
意味している。
被告は,上記2回の培養(合計21ロット)は,適応症の拡大や容量
・剤型変更を目的として治験薬の原体を製造したものであると主張す
る 。しかし ,治験薬原体にしては ,21ロットの製造は多すぎる 。事実 ,
日経バイオテク平成2年9月24日号(甲64)には,被告の EPO 製
剤の30ロット以上の糖鎖のチェックを実施したことが述べられてお
り,このことは,昭和63年から平成元年にかけて製造された EPO が
合計33ロットであることと符合する。
イ 「 本件優先権主張日前の被告方法1の完成 」 上記「 被告の主張 ) ア )
( ( 」
について
被告の EPO について,本件優先権主張日前に,本件発明に対応する発
明が MCB 及び MWCB 作製の段階で完成しており,被告が GI 社から当該
発明を知得したことは争わない。被告の主張は ,「発明の完成」の主張と
しては特に争う必要はないが ,「事業の準備」に該当する行為ではない。
ウ 「 本件優先権主張日前の被告方法2の完成 」 上記「 被告の主張 ) イ )
( ( 」
について
(ア ) 昭和62年2月16日付けの G-CSF 製造確認申請書(乙21)に
は,CHO dhfr-細胞を形質転換するベクターとして pV2DR1 が記載され ,
平成元年12月27日付けの G-CSF 製造承認申請書別紙⑵(乙10の
3)には,当該ベクターとして pV3DR1 が記載されている。ベクター
は,細胞に取り込まれて一体化するのであるから ,ベクターが異なれば ,
形質転換された細胞も異なる。
そうすると,昭和62年2月ころに作製された MCB は,現在の被告
方法2に使用されている細胞株とは異なる細胞株であると考えざるを得
ない。
特許法上の発明の完成を論ずる限度では,ベクターが相違しても,本
件特許の要件を充足する限り,本件優先権主張日前に G-CSF の製法に
ついても発明の完成があったと認めてよい。
し か し , 昭 和 6 2 年 2 月 に 製 造 し た と 被 告 が 主 張 す る MCB 及 び
MWCB は, pV2DR1 で形質転換した細胞株のはずであるから,現在の
被告方法2に使用されている MCB がこの時点で作製されていたとの主
張は,否認する。製造承認に基づく被告方法2は, pV3DR1 を使用して
形質転換した細胞を使用しているはずであり,その MCB が本件優先権
主張日前に作製されたとの証明はない。
(イ ) 被告は,上記ベクターの相違は誤記にすぎなかったと主張し,訂正
の届出書類(乙62の1ないし3)を証拠として提出している。
しかし,これらの証拠は,被告が誤記の訂正の名目により名称の変更
を行ったという経過を示すにすぎず,その変更が誤記の訂正であったの
かどうか,すなわち,本件優先権主張日前に作製した MCB に使用され
たプラスミドが,事実として pV3DR1 であったことを証明する資料は
提出されていない。
本件においては,単一のプラスミド( pV3DR1)しか存在しなかった
場合において,そのプラスミドの名称の記載を誤った,という事案では
ない。現実に, pV2DR1 も pV3DR1 も共に存在し,いずれについても研
究を行った可能性が高い。特に,被告公報(甲9)には,実施例として
pV2DR1 が記載されている。いずれのプラスミドも G-CSF の生産に使
用できたのであるから,客観的に判断して,被告は,その両方について
実験を行い,当初は pV2DR1 を採用するつもりでいたが,開発の途中
で pV3DR1 の方が好ましいと判断し,切り替えたと考えるのが自然で
ある。
(ウ ) 組換えヒトインターロイキンに関する被告の特許出願に係る公開特
許公報(特開平5-301899。甲75)においては, IL-6 の発現
ベクターの作製に pV2DR1 が使用されたことが記載されており,当該
特許出願の優先権主張日は,平成3年7月8日である。被告が主張する
ように, pV2DR1 がそもそも存在しなかったというのであれば,被告が
誤りが発見されたと主張する平成元年の2年後である上記優先権主張日
において, pV2DR1 を使用した発明の出願がされるはずがない。 IL-6 の
生産の実験のために pV2DR1 を作製する理由は,全く見当たらず,被
告が IL-6 の研究よりも前から pV2DR1 を有していたから,これを IL-6
の研究に使用したと考えるのが合理的である。
(エ ) 被告は,昭和62年後半に, 1600l の培養タンクで G-CSF を製造し
たと主張するが,この際の培養も, pV2DR1 で形質転換した細胞が使用
されたのであれば,現在の被告方法2とは相違する。
なお,被告が主張する G-CSF の製造工程で製造された G-CSF から治
験薬が製造され,使用されたのは,本件優先権主張日後の昭和63年3
月ないし5月のことである。
エ 事業の準備
(ア ) 「製造施設等の準備 」(上記「 被告の主張 )
( 」ウ(ア ))について
a 「培養施設棟の改修及び 1600l 培養タンクの導入 」(上記「 被告の

主張 )」ウ(ア )a)について
⒜ 被告が昭和60年9月に導入した 1600l 培養タンクは, GI 社か
ら導入予定の EPO の開発試験用設備であり, GI 社の設備をそのま
ま転用したものであった。同培養タンクが,浮間工場の製造部門で
はなく,昭和59年に完成したばかりの生産技術研究所に設置され
たことからわかるように,バイオ技術の経験のない被告が, GI 社
で開発された EPO の製造方法をそのまま設備ごと導入し,自ら製
造できるように試験研究を繰り返したのは明白である。
また,上記 1600l 培養タンクにおいて, G-CSF の治験薬が生産さ
れていたことからわかるように,汎用の培養設備としても利用され
ていた 。G-CSF の治験薬の専用ラインが浮間工場内にできたのは ,
本件優先権主張日よりも後である平成元年になってからである。
被告は,上記培養タンクの建設は,9億円を超える投資であった
ことを強調するが,被告にとって,バイオ医薬品の生産は,当時,
未知の領域であったから, GI 社から導入した程度の規模の設備が
最初から必須であったと考えられる。
要するに,被告が 1600l 培養タンクを導入したのは,バイオテク
ノロジーによるタンパク質製造の技術そのものに習熟するためであ
り, EPO について,本件優先権主張日前に,同培養タンクによる
スケールアップの試験研究を行ったことが認められるが,それだけ
で即時実施の意図が表明されたことにはならない。
⒝ 1600l 培養タンクと 2500l 培養タンクとの大きな違いは,医薬品
の製造設備として国際的基準( GMP 基準)に通用する施設である
かどうかである。被告は, 2500l 培養タンクを導入するに当たって
は,アメリカ合衆国食品医薬品局( FDA)との間でも,会議を実施
している 。すなわち ,1600l 培養タンクと 2500l 培養タンクとでは ,
商業生産のための施設としての重み付けが異なる。そして,2500 l
培養タンクは,平成2年6月に試運転を終えて EPO の本生産に移
行しているが,これは,本件優先権主張日よりもはるか後のことで
ある。
b 「培養施設の新規建設及び 2500l 培養タンクの導入 」(上記「 被告

の主張 )」ウ(ア )b)について
⒜ 被告の昭和62年7月27日の取締役会決議においては , 2000l

クラスの培養タンクを備えたバイオ原体用生産棟」というイメージ
が決定されたのみであり , 2500l タンク」という具体的なサイズ

は決定されていない。また,同決議においては,着工が同年12月
と決定されたのに対し,現実に着工がされたのは昭和63年5月で
あり,工期が遅れている。このことは,同決議が基本プランであっ
て,具体的な計画を定めたものではないことを示唆するものである 。
また,バイオ原体生産棟の建設は,被告における将来のバイオ事業
のための先行投資とは認められるが, EPO 及び G-CSF の具体的な
事業の開始と直接に結び付くものではない。
EPO の事業を開始するという積極的な決定に関係するのは,2500 l
培養タンクの購入を具体的に決定したことが最初の行為であり,こ
れは,本件優先権主張日より後の昭和63年7月31日に締結され
た契約によるものである。即時実施の意図の表明が,この 2500l 培
養タンクの購入に先行することはあり得ない。
⒝ 上記取締役会決議があった昭和62年7月は ,EPO については ,
第Ⅱ相試験が行われている時期であり,医薬品としての評価が確立
していなかった。これに対し, 2500l 培養タンクの購入が具体的に
決定された昭和63年7月は,被告の「エポジン」の第Ⅲ相試験の
結果が判明したころであり , その1か月前である同年6月には , GI
社の欧州でのライセンス先のベーリンガーマンハイム社が,欧州で
の臨床試験を終了させ,欧州での新薬申請を行ったことなどから,
EPO が医薬品として製造承認される可能性が急激に上昇したと判
断できた時期である。つまり,上記取締役会決議は, EPO の医薬
品としての可能性の定まらない時期に,計画だけを策定したもので
あり,投資の判断は, EPO の臨床試験の結果が終わるまで待たれ
たのである。
被告は,建物及びタンクの導入と並行して,本件優先権主張日前
に,各種付属設備の発注予定先の選定及び打合せを行い,見積書を
受領したと主張する。しかし,これらは,具体的客観的に注文がさ
れたとか,債務負担が確定したということではないから,事業の準
備の解釈に影響を及ぼすものではない。
c 上記a及びbのとおり,被告が主張する設備投資によっては,事業
の準備について即時実施の意図を客観的に有していたと判断できな
い。
(イ ) 「臨床試験の開始 」(上記「 被告の主張 )
( 」ウ(イ ))について
上記アのとおり ,臨床試験は ,事業化を希望して行う作業ではあるが ,
即時実施が可能であることを前提とする先使用権の成立要件である「事
業の準備」段階とはほど遠い。
「新薬臨床評価ガイドライン2001 」(甲42)に沿って,医薬品
の開発の各相の試験目的をまとめると,次のとおりとなる。
第Ⅰ相試験 a)初期の安全性及び忍容性の推測, b)薬物動態, c)薬力
学的な評価, d)初期の薬効評価。
第Ⅱ相試験 治療効果の探索を行う試験で,本試験の重要な目的は第
Ⅲ相試験へ向けての用法及び用量を決定。
第Ⅲ相試験 治療上の利益(有効性,安全性)を証明又は確認するこ
と(いわば製品になるかどうかが判断される段階)を主
要な目的とする試験。
第Ⅳ相試験 市販後の上市薬の治療上の利益(有効性,安全性)を再
評価
この説明から明らかなように,第Ⅰ相試験では,ヒトに対する医薬品
としての安全性及び有用性の初歩的な試験が行われるだけである。第Ⅱ
相試験では,第Ⅲ相試験のための用法及び用量を決定する。第Ⅲ相試験
に至って,ようやく医薬品としての価値が評価される。すなわち,第Ⅲ
相試験において有効性と安全性が確認されるまで,商品としての医薬品
になり得るかどうかは,判明しないのである。
EPO 及び G-CSF においては,相当量の臨床試験が行われているとこ
ろ,これは, EPO 及び G-CSF が日本でも最初のころのバイオ医薬であ
り,また,被告は,それ以前にバイオ医薬品の開発の経験もなかったの
で,臨床試験の項目である,ヒトでの安全性,忍容性(第Ⅰ相試験 ),
患者への用法用量の設定(第Ⅱ相試験 ),治療上の有効性,安全性(第
Ⅲ相試験)を,最初は手探りで,途中から多くの試験を同時に組み込む
という手法により進めたのである。 EPO 及び G-CSF の第Ⅱ相試験に,
それぞれ8回,9回以上もの治験計画届書を提出している点は特筆すべ
きであり, EPO 及び G-CSF については,多くの臨床試験を実施するこ
とによって初めて有効性と安全性の確認が行われているという事情が特
に顕著である。
EPO の場合は,本件優先権主張日において,第Ⅱ相試験終了段階で
あり,患者への用法及び用量が決定されたが,未だ治療上の利益を証明
又は確認できていない状況であった。また, G-CSF に至っては,その
ヒトでの用法及び用量さえも決定されていない第Ⅰ相試験終了段階であ
った。
したがって, EPO についても, G-CSF についても,本件優先権主張
日の時点では,医薬品としての製造承認が受けられるという判断ができ
たとはいえない。
オ 先使用権の成否
上記アないしエのとおり,本件優先権主張日の段階では,臨床試験中の
EPO 及び G-CSF は,特許法79条にいう「事業の準備」に到達していた
とはいえない。
カ 先使用権と現在の被告方法との関係
(ア ) EPO について
EPO については,被告が本件優先権主張日前後の臨床試験用治験薬
製造当時に使用していた方法と ,現在の被告方法1とが異ならない点は ,
争わない。ただし,仮に EPO の糖鎖構造を均一にする製法変更があっ
たのであれば,臨床試験当時の製法と現在の被告方法1とは異なること
になる。
(イ ) G-CSF について
上記ウのとおり, G-CSF については, CHO dhfr-細胞の形質転換に用
いられるプラスミドが ,本件優先権主張日前 pV2DR1)
( と現在 pV3DR1)

とで異なるという問題点がある。プラスミドが異なれば,生産細胞も相
違する。生産細胞が相違すれば,臨床試験及び医薬品の製造承認の申請
を ,再度 ,最初から行わなければならない 。このような別途の臨床試験 ,
製造承認手続を要する医薬品の事業は,同一の事業とは認められない。
キ 上記アないしカのとおり, EPO についても, G-CSF についても,先使
用権が成立しないことは,明らかである。
⑶ 争点⑶ア(新規性の有無)について
(被告の主張)
仮に,原告が主張するように,本件発明の「元来付着性である」との文言
が , CHO dhfr-細胞の一般的性質」であり,およそ CHO dhfr- 細胞であれ

ば,従来技術で浮遊化が可能であったか否かを問わず広く特許請求の範囲に
含まれると解し ,かつ ,その培養条件についても ,上記⑴の「 被告の主張 )
( 」
オ( ア )のような限定解釈がされないとすれば,本件発明は,次のとおり,昭
和62年刊行の「 Structural Characterization of Natural Human Urinary and
Recombinant DNA-derived Erythropoietin」
(「天然ヒト尿由来及び組換え DNA
由来のエリスロポエチンの構造的特性 」。乙4。以下「引用例1」という 。)
に記載された発明(以下「引用例1発明」という。 ,昭和58年刊行の

「 Constitutive, long-term production of human interferons by hamster cells
containing multiple copies of a cloned interferon gene」 「 インターフェロン

遺伝子の多数複製を含むハムスター細胞によるヒトインターフェロンの構成
的,長期生産 」。乙5。以下「引用例2」という 。)に記載された発明(以
下 「 引 用 例 2 発 明 」 と い う 。 , 昭 和 6 2 年 刊 行 の 「 Characterization
) of
recombinant glycosylated human interleukin 2 produced by a recombinant
plasmid transformed CHO cell line」 「 組換えプラスミドで形質転換された

CHO 細胞株により産生された糖鎖を有する組換えヒトインターロイキン2
の特性 」。乙6。以下「引用例3」という 。)に記載された発明(以下「引
用例3発明」という 。)及び昭和62年刊行の「遺伝子工学によるリコンビ
ナント造血因子の精製: hG-CSF」(乙44。以下「引用例4」という 。)に
記載された発明(以下「引用例4発明」という 。)と同一であり,本件特許
(請求項1に係る部分に限る 。)は,特許法29条1項3号の規定に違反し
て特許されたものであるから,同法123条1項2号の規定に基づき,特許
無効審判により無効にされるべきものである。
ア 引用例1について
(ア ) 構成要件Aについて
引用例1には,本件発明の構成要件Aのうち ,「生理活性タンパク質
をコードする遺伝子及びジヒドロ葉酸還元酵素(以下 dhfr とする 。)遺
伝子を発現可能な状態で有するプラスミドを元来付着性であるチャイニ
ーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉酸還元酵素欠損株( CHO dhfr- )
細胞に予め形質転換して得られた形質転換細胞」の部分が記載されてい
る。
また,引用例1には ,「安定な形質転換体が・・・浮遊培養として,
維持された」こと,つまり,培地中に懸濁したことが記載されている。
したがって,これらの記載は,本件発明の構成要件Aを充たす。
(イ ) 構成要件Bについて
引用例1には ,「安定な形質転換体が,半合成培地と完全合成培地の
両方で,ローラーボトル中でコンフルエントな単層培養として,そして
深いタンク型バイオリアクターで浮遊培養として,維持された 。」と記
載されている。
「安定な形質転換体が ,・・・深いタンク型バイオリアクターで浮遊
培養として,維持された 。」とは,その前提として,既に浮遊攪拌培養
を継代して行うことにより浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞が樹立さ
れたことを意味する。
「深いタンク型バイオリアクター」のような大量培養装置で浮遊攪拌
培養するには,初めにスピナーフラスコのような小スケールで形質転換
体を浮遊攪拌培養し,形質転換細胞が浮遊攪拌培養で良好に,かつ,安
定して増殖することを確認した後,順次培養スケールを拡大していかな
ければならない。そして,細胞培養において適当な時期に培地を交換し
なければ,細胞は栄養不足となりいずれ死滅してしまうから,これらの
形質転換体を浮遊攪拌培養に適応させる過程で培養液を交換する,換言
すれば「浮遊攪拌培養を継代して行う」ことは自明である。
すなわち,小スケールで,浮遊攪拌培養を継代して行うことにより浮
遊攪拌培養に適した形質転換細胞を作製し,次いで,順次培養スケール
を拡大して,初めて「深いタンク型バイオリアクター」のような大量培
養装置での培養に至るのである。
よって,継代培養の過程において「安定な形質転換体が・・・維持さ
れた」との記載は,その前提として,継代が繰り返し行われ,そして性
質が安定した形質転換体細胞が樹立されていたことを意味する。
したがって,上記記載が本件発明の構成要件Bを充たすことは当業者
に明らかである。
(ウ ) 構成要件Cについて
引用例1には ,「安定な形質転換体が・・・深いタンク型バイオリア
クターで浮遊培養として,維持された 。」と記載され,続けて,遺伝子
組換えヒト EPO である rhEPO が精製されたことが記載されている。こ
の記載は,本件発明の構成要件Cの「当該浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞を浮遊攪拌培養し,培養液中に目的生理活性タンパク質を生産さ
せ,そして目的生理活性タンパク質を取得する」ことにほかならない。
したがって,これらの記載は,本件発明の構成要件Cを充たす。
(エ ) 構成要件Dについて
引用例1には ,「この報告で,私たちは,ヒト遺伝子の cDNA クロー
ンを発現するチャイニーズハムスター卵巣( CHO)細胞株から精製さ
れた組換えヒト EPO( rhEPO)の初めての特性付けを記載する 。」と記
載され,また ,「私たちは,ここに,ヒト遺伝子の cDNA クローンを発
現する哺乳動物の培養液から精製されたヒト EPO の初めての特性付け
を報告する 。」と記載されている。ヒト EPO は生理活性タンパク質であ
るから,この記載は,いずれもその製造法を表したものといえる。
したがって,これらの記載は,本件発明の構成要件Dを充たす。
(オ ) このように,引用例1には,本件発明の構成要件AないしDをすべ
て充足する発明が記載されている。
イ 引用例2について
(ア ) 構成要件Aについて
引用例2には ,「マウスジヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)とヒトインタ
ーフェロン( IFN-α 5 または IFN-γ)をコードする配列を・・・有す
るプラスミドは, dhfr- チャイニーズハムスター卵巣( CHO)細胞に形
質転換された 。」と記載され,また, IFN-α 5 遺伝子で形質転換された
CHO 細胞クローン及び IFN-γ遺伝子で形質転換された CHO 細胞クロ
ーンを浮遊培養し, IFN 生産が確認されたこと,つまり,得られた形質
転換細胞が培地中に懸濁されたことが記載されている。
ヒトインターフェロン( IFN- α 5 又は IFN- γ)は,生理活性タンパ
ク質であるから,これらの記載は,構成要件Aを充たす。
(イ ) 構成要件Bについて
a 引用例2には, IFN-α 5 遺伝子で形質転換された CHO 細胞クロー
ン及び IFN-γ遺伝子で形質転換された CHO 細胞クローンを浮遊培養
し, IFN 生産が確認されたこと(695頁19ないし23行,699
頁22ないし24行 ) 得られた形質転換細胞は ,浮遊培養で増殖し ,

繰り返し回収できること(702頁21ないし28行 ),これらの細
胞株について,少なくとも数か月の期間は安定して IFN 産生が確認
されたこと(688頁25ないし29行 ),が記載されている。
引用例2に記載された細胞は,浮遊培養で増殖し,繰り返し回収で
き,少なくとも数か月の期間は安定して IFN 産生を行うものである
から,浮遊培養に適した樹立された細胞であることは明らかである。
また ,この少なくとも数か月の期間は安定して IFN 産生を行うこと ,
すなわち,引用例2の「 IFN 合成は・・・少なくとも数ヶ月にわたっ
て維持された 」(688頁27ないし29行)との記載は,本件明細
書の実施例1の第3図にあるような,タンパク質を安定して生産する
状態であることを意味する。そして,引用例2に記載された細胞は,
本件明細書の実施例1の第3図に記載された20サイクルの継代培養
と比較しても,十分に長期にわたる期間,安定した性質を維持したの
であり,その後継代培養を繰り返しても,性質が実質的に変化しない
状態になったものといえるから ,浮遊攪拌培養に適した細胞が 樹立 」

されたものである。
b 原告は,引用例2の記載は,安定性の確認を伴わない一過性の浮遊
培養可能性を意味する以上のものではないと主張する。
しかし,引用例2には ,「このプラスミドの dhfr- CHO 細胞への形
質転換と引き続く MTX での選択により, 2-10 × 10 4 I.U. ml -1・day-1 の
HuIFN-α 5 又は HuIFN-γを産生する細胞株が得られた 。 (688頁

25ないし27行 )との記載があり ,原文では , 細胞株 」は , strain」
「 「
と表現されている。細胞株( cell strain)とは,最も一般的には ,「初
代培養からでもまたは細胞系からでも,選択あるいはクローニングに
よって特異な性質あるいは(遺伝的)標識をもつようになった培養系
統を指す。特殊な性質あるいは標識は,その後の継代培養中維持され
るものでなくてはならない 。」との意味で用いられている。
引用例2を読んだ当業者であれば,引用例2の筆者が,当該細胞株
を strain と表現したのは,組換えタンパク質を産出するという特殊な
性質又は遺伝的標識を持つようになった当該細胞株が,付着培養と浮
遊培養のいずれの場合でも増殖し ,その特殊な性質又は遺伝的標識が ,
その後の継代培養中も維持されたからにほかならないと理解する。こ
のことは,引用例2の「細胞が浮遊状態で増殖し,繰り返し収穫でき
る」(702頁25ないし26行)との記載にも表れている。
したがって,引用例2の記載は,当該細胞株が安定的に培養可能で
あったことを明確に示している。
c 原告は,引用例2の「 IFN 合成は・・・少なくとも数ヶ月にわたっ
て維持された 」(688頁25ないし29行)との記載に対応する具
体的記載は ,「連続的に継代された細胞は少なくとも3ヶ月の間構成
的に IFN を産生した(テーブル1 ) (693頁下から2行ないし最

下行)との記載であると主張する。
しかし,原告が指摘する上記記載は ,「発現プラスミドで形質転換
されたメトトレキセート耐性細胞株の選別」の項で記された, MTX
耐性細胞株の選別に関する中間段階の描写であって,冒頭の「要約」
の項にある「 IFN 合成は・・・少なくとも数ヶ月にわたって維持され
た」との記載を具体的に言い換えたものではない。冒頭の「要約」の
項にある上記記載に対応する具体的記載は ,「発現プラスミドで形質
転換されたメトトレキセート耐性細胞株の選別」の最終段落,すなわ
ち,「α 5-2N.05Cl.0I クローンを継続した MTX 存在下で更に増殖さ
せた。 IFN 産生は,単層培養では約 30,000units・ ml-1・ day -1,そして,
約 106 細胞 /ml の浮遊培養では 100,000units ・ml-1 で安定に推移した 。」
(695頁19ないし23行)との記載である。この記載からも,浮
遊培養で IFN を安定的に産出したことは明らかである。
(ウ ) 構成要件C及びDについて
引用例2には, IFN-α 5 遺伝子で形質転換された CHO 細胞クローン
及び IFN-γ遺伝子で形質転換された CHO 細胞クローンを浮遊培養し,
IFN 生産が確認されたことが記載されている。目的の生理活性タンパク
質である IFN が培養液中に産生され,精製取得されているのであるか
ら,これらの記載は,構成要件C及びDを充たす。
(エ ) このように,引用例2には,本件発明の構成要件AないしDをすべ
て充足する発明が記載されている。
ウ 引用例3について
(ア ) 構成要件Aについて
引用例3には , ヒト IL-2 pSV703 から )
「 ( と選択マーカーマウス DHFR
( pSV2-DHFR から[ 15])の発現単位の両方を含む第3のプラスミドが
構築され pSV720 と名付けられた」と記載され , CHO dhfr-細胞はプラ

スミド pSV720(図1)で形質転換され,引き続いて選択培地で培養さ
れた」と記載されている。また ,「組換え IL-2 は・・・浮遊培地(ギブ
コ社)を用いて攪拌フラスコでの浮遊培養により取得された」こと,つ
まり,得られた形質転換細胞が培地中に懸濁されたことが記載されてい
る。
これらの記載は,構成要件 A を充たす。
(イ ) 構成要件Bについて
引用例3には ,「組換え IL-2 は・・・攪拌フラスコでの浮遊培養によ
り取得された」こと,つまり,本件発明の実施例と同様に,スピナーフ
ラスコを用いて浮遊攪拌培養を行ったことが記載されている 。また , 組

換え IL-2 は,通常,組換え CHO クローン 32 の 1 リットルの浮遊培養
から精製された 」こと , ヒト IL-2 を大量に生産する CHO 株の単離は ,

この,ヒト天然 IL-2 に近いあるいは同一の構造を有するリンフォカイ
ンの,ほぼ無限の供給を可能とする」こと,及び「この研究で得られた
・・・ IL-2 産生のレベルは,これまでに報告されている形質転換 CHO
細胞・・・に比較して好ましいものである」ことが記載されている。
引用例3には,本件明細書の実施例よりも大量の培養スケールで,大
量,持続的かつ無限の IL-2 産生を可能とする安定した形質転換細胞が
取得されているのであるから,その前提として,浮遊攪拌培養に適した
形質転換 CHO 細胞が樹立されていたことは明らかである。また,浮遊
攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立するために,浮遊攪拌培養を継代
して行うことも当然のことである。
したがって,引用例3の上記記載は,構成要件Bを充たす。
(ウ ) 構成要件C及びDについて
引用例3には ,「組換え IL-2 は,通常,組換え CHO クローン 32 の 1
リットルの浮遊培養から精製された 。」と記載されている。目的の生理
活性タンパク質である IL-2 が産生され,精製取得されているから,こ
の記載は,構成要件C及びDを充たす。
(エ ) このように,引用例3には,本件発明の構成要件AないしDをすべ
て充足する発明が記載されている。
エ 引用例4について
(ア ) 構成要件Aについて
引用例4には ,「チャイニーズハムスター卵巣細胞( CHO)を用いた
場合でも,たとえ,さきに述べた天然型 hG-CSF とまったく同様の精製
工程を用いたとしても, CHO 細胞が 10mg 以上 /l という高発現株である
ため,精製回収量は 10 倍以上も向上した 。」と記載されている。ここで
引用されている「第9回日本分子生物学会要旨集 3A-39 」(乙4
5)には,ヒト G-CSF の生産系を確立するため, CHO 細胞での G-CSF
の発現を検討したこと,そのために, SV40 初期プロモーター下流にシ
グナルペプチド領域を含む cDNA を接続し,さらに,マウス dhfr 遺伝
子を連結した発現プラスミドをリン酸カルシウム法で CHO 細胞 dhfr-)

に形質転換したことが記載されている。上記 G-CSF は,公知の生理活
性タンパク質である。よって,これらの記載は構成要件Aを充たす。
(イ ) 構成要件Bについて
引用例4には , CHO 細胞株をサスペンジョン化し,低血清培地から

きわめて高い回収率で r-hG-CSF を得ている 」と記載され ,続けて , 以

上述べてきたように ,遺伝子工学を用いて hG-CSF の高発現株が得られ ,
大腸菌,動物細胞のいずれにおいても,大量培養,大量精製に成功して
おり」と記載されている。
形質転換細胞である CHO 細胞株をサスペンジョン化し,大量培養に
成功しているのであるから,その前提として,浮遊攪拌培養を継代して
行うことで安定した CHO 細胞株の培養に成功し,その結果として,浮
遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立したことは明らかである。
よって,引用例4の上記記載は,構成要件Bを充たす。
(ウ ) 構成要件Cについて
引用例4の記載から,形質転換細胞である CHO 細胞株を浮遊攪拌培
養することにより,目的生理活性タンパク質である r-hG-CSF を高い回
収率で生産し,大量精製に成功していることがわかる。よって,引用例
4の記載は,構成要件Cを充たす。
(エ ) 構成要件Dについて
引用例4の記載は,生理活性タンパク質である G-CSF の製造法を開
示したものにほかならず,構成要件Dも充たす。
(オ ) このように,引用例4には,本件発明の構成要件AないしDをすべ
て充足する発明が記載されている。
(原告の主張)
ア 引用例1に基づく新規性の欠如の主張について
引用例1には,順次培養スケールを拡大したとの記載はなく,培養のス
ケールが不明であり,大量培養装置での培養に至ったことは記載されてい
ない。
引用例1の「安定な形質転換体が・・・深いタンク型バイオリアクター
で浮遊培養として,維持された」との記載の前には ,「更なる増幅のため
にクローン DN2-3 が選択され,適切なレベルの EPO の発現が観察される
までメトトレキセート濃度を増大させて生育する形質転換体を選択した 。」
とあるのみである。この記載における「 EPO の発現」は,メトトレキセ
ート濃度との関係で記載されているから,通常の付着培養により観察した
のであろうし,そうすると,その直後の文章にある「安定な形質転換体」
とは,得られた形質転換体を付着培養により培養し,その性質( EPO の
生産能を含む 。)が安定かどうかを確認したものと解釈するのが自然であ
る。すなわち,死滅せずに細胞が維持されたという以上の積極的な意味を
有するものではない。したがって ,「安定な形質転換体」が浮遊状態で増
殖し,かつ,増殖速度が大量生産用に適するレベルであるとは限らない。
むしろ,付着培養により得られた細胞を回収して,深いタンク型バイオリ
アクターに浮遊させ,単にタンパク質が生産されたことを認めたと解する
のが妥当であり,この段階においては,浮遊化状態で細胞を安定に増殖さ
せ,攪拌培養に適した細胞が樹立されている必要はない。
特許法29条1項3号の新規性の判断において ,「刊行物に記載された
発明」は,刊行物に記載されている事項及び記載されているに等しい事項
から当業者が把握できる発明をいうが,引用例1の頒布時における技術常
識を参酌しても,当業者が引用例1から本件発明を把握することができる
とはいえない。
イ 引用例2に基づく新規性の欠如の主張について
(ア ) 引用例2には,浮遊培養についての言及があるが,引用例2の全体
を通じ,浮遊培養に関する具体的な開示は存在せず,継代を繰り返すこ
とによって,大量生産に適する安定性を有した細胞が樹立され得る点に
ついては,何の記載もない。
したがって,引用例2に記載された浮遊培養は,本件発明の実施にお
ける初期の浮遊攪拌培養の状態のように,安定性の確認を伴わない一過
性の浮遊培養可能性を意味する以上のものではない。
(イ) 被告の主張は , IFN 合成は・・・少なくとも数ヶ月にわたって維

持された 」(688頁25ないし29行)との記載を最大の根拠として
いるが,この部分には, IFN の合成が浮遊培養法によるものであるとの
記載はない。この記載に対応する具体的記載は ,「連続的に継代された
細胞は少なくとも3ヶ月の間構成的に IFN を産生した(テーブル1 )」
(693頁下から2行ないし最下行)との記載であり,テーブル1(6
9 4 頁 ) の 下 部 の 説 明 に は , samples
「 were taken from confluent
monolayer cultures(サンプルはコンフルエント(支持体表面に細胞が
一面に増殖している状態を指す 。)な単層培養体から採取した )」との
記載がある。すなわち,被告が指摘する上記記述は,付着培養した細胞
についての IFN 産生能を試験した結果であり,浮遊培養を数か月連続
した実験ではない。
したがって,本件発明が引用例2発明と同一であるとはいえない。
ウ 引用例3に基づく新規性の欠如の主張について
引用例3には,浮遊攪拌培養の具体的方法について何の記載もなく,浮
遊攪拌培養を継代して繰り返すことにより,増殖性及び生産性の安定した
細胞を樹立することを示唆する開示は存在しない。被告が引用する「組換
え IL-2 は・・・攪拌フラスコでの浮遊培養により取得された」との記載
は,たまたま適用した培養条件で一過性の浮遊培養が可能であったことを
示すだけである。引用例3のような研究の目的において,継代を繰り返し
て細胞の性質が安定するかどうかを検討することは考えられず,浮遊培養
を行ったとしても,数日程度のことであろう。
また ,引用例3の「 ヒト IL-2 を大量に生産する CHO 株の単離は ,この ,
ヒト天然 IL-2 に近いあるいは同一の構造を有するリンフォカインの,ほ
ぼ無限の供給を可能とする」との記載も,浮遊攪拌培養における増殖性と
生産性が安定した細胞の樹立を意味するものではなく,バイオテクノロジ
ーの一般論を述べたものにすぎない。
したがって,本件発明が引用例3発明と同一であるとはいえない。
エ 引用例4に基づく新規性の欠如の主張について
引用例4には , CHO 細胞株をサスペンジョン化し,低血清培地からき

わめて高い回収率で r-hG-CSF を得ている」との記載があるが,この簡単
な記載のみであり ,「サスペンジョン化」の具体的意味は不明である。
被告は,サスペンジョン化して大量培養に成功しているのであるから,
その前提として浮遊攪拌培養を継代して行うことで安定した CHO 細胞株
の培養に成功したことは明らかであると主張するが,そのような記載は,
引用例4のどこにも存在しない。引用例4において,培養又は精製の量に
ついては , 1.2l の培養上清」という記載があるのみであり,工業的な意

味での大量ではない。
当業者が引用例4を読んだ場合,引用例1ないし3と同じく,浮遊攪拌
培養を行った実験例が存在することは理解するとしても,本件特許の意味
で安定した増殖性と生産性を獲得した浮遊攪拌培養に適合した細胞が得ら
れること,特に培養を継代して繰り返し行うことにより,そのような細胞
が得られることまでは到底理解し得ない。
⑷ 争点⑶イ(進歩性の有無)について
(被告の主張)
仮に,原告が主張するように,本件発明の「元来付着性である」との文言
が , CHO dhfr-細胞の一般的性質」であり,およそ CHO dhfr- 細胞であれ

ば,従来技術で浮遊化が可能であったか否かを問わず広く特許請求の範囲に
含まれると解し ,かつ ,その培養条件についても ,上記⑴の「 被告の主張 )
( 」
オ( ア )のような限定解釈がされないとすれば,本件発明は,次のとおり,本
件優先権主張日前に頒布された刊行物に記載された発明に基づいて,当業者
が容易に発明をすることができたものであり,本件特許(請求項1に係る部
分に限る 。)は,特許法29条2項の規定に違反して特許されたものである
から,同法123条1項2号の規定に基づき,特許無効審判により無効にさ
れるべきものである。
ア 進歩性の欠如①
本件発明は,次のとおり,引用例1発明ないし引用例3発明及び昭和5
1年刊行の「組織培養 」(乙2。以下「引用例5」という 。)に記載され
た発明(以下「引用例5発明」という 。)に基づいて,当業者が容易に発
明をすることができたものである。
(ア ) 引用例5について
a 引用例5は,浮遊培養に関する当業者の技術常識が解説されている
という意味で,当分野における教科書ともいえる文献である。
引用例5には,次のとおりの記載がある。
「本法を実施するにあたっては ,・・・従来考えられているほど
その培養は困難なものではなく,またそれに必要な手技も繁雑では
ない。本法は・・・すでに継代培養の確立された株細胞では,その
種類により多少の難易はあっても,単層培養から浮遊培養に移して
その増殖を継続維持することが可能である 。 (69頁9ないし1

3行)
「われわれの研究室でも1959年以来・・・浮遊培養を実施,
培養の保存と維持ばかりでなく各種の生化学的あるいは分子生物学
的 実 験 に 使 用 し て 多 大 の 効 果 を あ げ て い る ・ ・ ・ BHK, Chinese
Hamster Ovary・・・の諸細胞も単層培養と同様な増殖能を示すこ
とを認めている 。 (69頁23ないし29行)

「多くの場合,継代培養の確立された株細胞では・・・安定した
培養に発展して増殖を維持できるようになる 。 (69頁末行ない

し70頁2行)
「もし細胞が浮遊培養に適応しにくく,細胞の死亡率が増加する
か,細胞の凝集がひどく大きな細胞塊( clump)を作る傾向にある
時には,健全な細胞あるいは細胞塊を作りにくい細胞だけを選択し
て培養を更新すべきである・・・この方法をくり返せば最終的には
浮遊培養に適応した細胞だけが残り,その目的を達成することがで
きる 。 (70頁7ないし13行)

「細胞数の増加にしたがい必要に応じて新しい培養液を加えて細
胞濃度を希釈し培養を継続できるが, stock culture のように容量を
一定に保つときは培養の一部を除去してから新しい培養液を加えれ
ばよい。もし細胞の細胞塊が強く培養瓶壁への細胞付着が著しくな
れば,培養の一部をトリプシン処理で単細胞懸濁液にしたものを新
しい培養瓶に移して培養を継続する 。 (74頁8ないし11行)

これらの記載から明らかなように, CHO 細胞等の動物細胞が継代
培養の確立された株細胞であること,継代を繰り返し行うことで浮遊
培養に適した細胞を樹立できること,浮遊培養で安定してその増殖を
維持できることは,当業者間の技術常識である。
b 原告は,引用例5について,昭和55年に CHO dhfr-細胞が樹立さ
れる以前に刊行されたものであって, dhfr 欠損でない CHO 細胞に関
する文献であるから, CHO dhfr- 細胞を形質転換した細胞に関する本
件発明と同列に扱うことはできないと主張する。
しかし,引用例5は,継代培養の確立された細胞株は浮遊化できる
という浮遊化に関する一般原則を教示するものである。そして,引用
例5は,その書名からも明らかなように,動物細胞などの組織培養の
教科書的な書籍であり,本件優先権主張日当時に当業者が容易に利用
可能であった文献である。引用例5の刊行後に樹立された細胞が,こ
の原則には当てはまらないと考える理由はない。
c したがって,生理活性タンパク質を大量に得ることを目的として,
そのタンパク質をコードする遺伝子を導入された CHO dhfr-細胞を浮
遊培養に馴化させようとする当業者にとっては,引用例1ないし3の
開示を引用例5の開示と結び付けて本件発明に到達する大きな動機付
けが存在する。
(イ ) CHO dhfr- 細胞の浮遊培養の困難性の有無
原告は, CHO dhfr-細胞については,浮遊攪拌培養に適した細胞が樹
立できないと考える格別の事情があったと主張する。しかし,次のとお
り,原告の上記主張は,誤りである。
a 浮遊化に際しての導入遺伝子の安定性について
原告は,平成13年8月21日付特許異議意見書(乙3の16)に
おいて ,「刊行物18の記載・・・内容は,付着性の BHK 細胞が浮
遊培養に適応することを示す内容であるというよりは,そのタイトル
にもあるように,浮遊培養適応の過程で細胞には機能及び形態,特に
染色体数に大きな変化が起こることを示している内容でありますから
・・・刊行物17の内容と同様に,付着性の遺伝子組換え細胞を浮遊
攪拌培養に適した細胞に適応させる過程で,組換えタンパク質の生産
性を安定に保持できる保証が何らないことを示しているものと解すべ
きであります 。 ( 刊行物18」は本件の乙46 ,
」「 「刊行物17」は
本件の乙47。8頁6ないし13行)と主張し,これを根拠として,
同年9月28日付審問事項回答書(乙3の18)において,付着細胞
の浮遊化を図る過程で「外来性に導入した目的遺伝子の安定性,すな
わち組換え蛋白の生産性が安定して保持されることについては,大き
な危惧が予想された」 3頁13ないし14行) 「形質転換された
( ,
CHO dhfr- 細胞について特に浮遊化が困難と考えられていた 」(3頁
9行)と主張している。
これを受けた本件異議決定は,上記「刊行物18」につき ,「浮遊
培養適応の過程で細胞には機能及び形態,特に染色体数に大きな変化
が起こることが示されている」と,上記「刊行物17」につき ,「浮
遊適応細胞はウイルス感染性が変化したことが記載されている」と,
それぞれ判断している。
しかし ,上記「 刊行物18 」 すなわち ,昭和41年刊行の「 SOME

FUNCTIONAL AND MORPHOLOGICAL ALTERATIONS
OCCURRING DURING AND AFTER THE ADAPTATION OF BHK 21
CLONE 13 CELLS TO SUSPENSION CULTURE」 「 BHK21 クローン

13 細胞を浮遊培養に馴化中及び馴化後に生じた機能的及び形態的変
化」。乙46。以下「乙46文献」という 。)には ,「両方の親株はど
ちらも発ガン性であったから,浮遊培養への馴化の直接的結果として
の発ガン性の変化に関しては,残念ながら,明確な結論はまったく得
られなかった 」(127頁下から14ないし12行)と記載されてい
るにすぎない。原告が主張する浮遊培養への馴化による細胞機能の変
化については,乙46文献では何の結論も示されていない。
また ,上記「 刊行物17 」 すなわち ,昭和37年刊行の「 GROWTH

OF A CLONED STRAIN OF HAMSTER KIDNEY CELLS IN
SUSPENDED CULTURES AND THEIR SUSCEPTIBILITY TO THE
VIRUS OF FOOT-AND-MOUTH DISEASE」 「 浮遊培養中のハムスタ

ー腎細胞クローン種の成育と口蹄病ウイルスへの感染性 」。乙47。
以下「乙47文献」という 。)には ,「口蹄病ウイルス力価を,マウ
スにおいて,浮遊培養された細胞の単層培養において,および単層培
養で継代した細胞の単層培養において,評価分析した比較を表2に示
すが,どちらのタイプの単層培養についても同サイズのプラークの生
成が認められたにもかかわらず,いくつかの口蹄病ウイルス株に関し
て細胞の感受性が変わっていることが分かる。この変化は,浮遊細胞
を評価分析システムに使用するための最良の方法がまだ決定していな
いという事実によるものであろう 。 (1164頁左欄5ないし13

行)と記載されている。浮遊状態の細胞でなく,浮遊培養された細胞
をいったん単層細胞に戻してから測定している点及び細胞の感受性が
変化した理由を当時の測定方法の不備に求め,細胞を浮遊培養したこ
と自体を理由として掲げていない点に留意すべきである。
実際にも,本件優先権主張日前に,既に形質転換 CHO dhfr-細胞を
含む様々な形質転換細胞の浮遊化が行われ,遺伝子が脱落することな
く,安定した組換えタンパク質の生産が確認されていたのであるから ,
本件優先権主張日当時には,構成要件Bの「浮遊攪拌培養を継代して
行うことにより浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立」するまで
の過程において,導入遺伝子の安定性については技術的に解決済みだ
ったのである。
したがって,乙46文献及び乙47文献の記載は,いずれも浮遊培
養への馴化により細胞の機能が変化することを意味するものではな
い。まして, CHO dhfr-細胞の浮遊化への馴化過程で遺伝子の安定性
に大きな危惧が予想されたとの原告の主張の根拠にはなり得ない。
b CHO dhfr- 細胞の浮遊化困難性について
原告は,平成13年8月21日付特許異議意見書(乙3の16)及
び同年9月28日付審問事項回答書(乙3の18)において,甲20
文献の「組換え C127 細胞および CHO 細胞は,いずれも接着依存性
の細胞で浮遊化はできない 」(20頁左欄16ないし17行)との記
載を, CHO dhfr-細胞から浮遊攪拌培養に適した細胞を得ようとする
動機付けを否定する根拠として挙げている。
しかし ,現実には ,本件優先権主張日前に ,既に形質転換 CHO dhfr-
細胞の浮遊化が行われ,浮遊状態で増殖し,安定に目的タンパク質を
生産する株,すなわち,浮遊培養に適応した細胞株が,樹立されてい
たのであるから,原告の主張は,失当である。
さらに,甲20文献の共同執筆者であるP4研究員の意見書(乙4
8 ,以下「 乙48意見書 」という 。 によれば ,甲20文献の記載は ,

実際には ,「組換え CHO 細胞は接着依存性であるが浮遊化も可能で
ある」と記載すべきであったのであり,P4研究員自身が,仮に甲2
0文献の記載から ,「組換え CHO dhfr- 細胞は浮遊化できない」と考
えた研究者がいたとしても,引用例1ないし3の記載を見れば ,「組
換え CHO dhfr-細胞は浮遊化できる」と認識したであろう,と述べて
いる。
このように,甲20文献は,少なくとも本件優先権主張日時点にお
いて,当業者が CHO dhfr- 細胞から浮遊攪拌培養に適した細胞を得よ
うとする動機付けを否定する理由とはなり得ない。
c P6岩手大学農学部教授( 以下「 P6教授 」という 。 の鑑定書( 乙

49。以下「乙49鑑定書」という 。)の記載
乙49鑑定書には,次のとおりの説明が記載されている。
すなわち ,「一般に,長期に継代培養された樹立された細胞株の場
合には,付着性の細胞であっても,浮遊培養に移行して,継代して維
持できることは広く知られていた」のであり , CHO 細胞がそのよう

な浮遊培養可能な細胞株のひとつであることも,成書にも記載されて
いるとおり」である。なお,上記「成書」とは,引用例5を指してい
る。そして , CHO
「 dhfr- 細胞も長期に継代培養された樹立された細
胞株でありますから,浮遊培養に移行して,継代して維持できること
は当然のこと」と断言している。
ちなみに,P6教授は,バイオテクノロジーによる組換えタンパク
質の発現や機能解析等の権威であり,本件優先権主張日当時の CHO
dhfr- 細胞を用いる形質転換細胞の作製や培養方法に関する技術分野
における第一人者である。また, CHO dhfr- 細胞の開発や,日本の研
究者,企業への分譲に直接関わった関係者でもある。
(ウ ) 上記( ア )及び( イ )のとおり,本件発明は,引用例1発明ないし引用
例3発明と引用例5発明との組合せにより,当業者が容易に想到でき,
CHO dhfr-細胞が引用例5に開示された動物細胞一般と比べ,特別に浮
遊培養の困難な細胞であることを示す証拠も存在しないから,進歩性を
欠く。
イ 進歩性の欠如②
本件発明は,次のとおり,昭和63年3月7日に国立国会図書館に受け
入れられた日本農芸化学会誌1988年3月号所収の「遺伝子増幅系を用
いた赤芽球分化誘導因子 EDF の生産- CHO 浮遊培養株の育種- 」(乙7
の1。以下「引用例6」という 。)に記載された発明(以下「引用例6発
明 」 と い う 。 及 び 昭 和 6 3 年 2 月 2 9 日 刊 行 の 「 EXPRESSION
) OF
ERYTHROID DIFFERENTIATION FACTOR ( EDF ) IN CHINESE
HAMSTER OVARY CELLS」 「 チャイニーズ・ハムスター・オバリー細胞

中の赤芽球分化誘導因子( EDF)の発現 」。乙51。以下「引用例7」と
いう 。)に記載された発明(以下「引用例7発明」という 。)に基づいて,
当業者が容易に発明をすることができたものである。
(ア ) 引用例6について
a 構成要件Aについて
引用例6には,遺伝子増幅系を用いて CHO 細胞で EDF を発現さ
せたこと,また,得られた形質転換 CHO 細胞を浮遊攪拌培養したこ
とが記載されている。 EDF は,公知の生理活性タンパク質である。
よって,これらの記載は, CHO 細胞が dhfr- 株であることの明記が
ないほかは,構成要件Aを充足する。
b 構成要件Bについて
引用例6には,形質転換 CHO 細胞を浮遊攪拌培養し,この操作を
繰り返すことで,浮遊攪拌培養に適応した細胞が育種できたことが記
載されている。
この記載は,構成要件Bを充足する。
c 構成要件C及びDについて
引用例6には,浮遊攪拌培養で EDF を生産することができること
が記載されている。
この記載は,構成要件C及びDを充足する。
(イ ) 容易推考性
引用例7には, dhfr 遺伝子を含有する発現プラスミドを用いて CHO
dhfr- 細胞を形質転換したことが開示されている。
引用例6と引用例7は,いずれも同じ筆者らが,同じ組換え EDF を
産出する CHO 細胞の製造について記述したものである。しかも,両文
献に記載された CHO 細胞は,ともに 1㎍ /ml/3 日という同じ EDF 産出
量である旨が記載されている。このことから,両文献は,同じ CHO 細
胞を開示したと読むのが自然であり ,容易に結び付くものである 。また ,
引用例6には, CHO 細胞が dhfr-株であるとの明示がないほかは,本件
発明の構成要件がすべて開示されている。
したがって,本件発明は,引用例6及び引用例7の開示から当業者が
容易に想到できる程度のものである。
(ウ ) 引用例6の公知文献該当性
a 引用例6は,本件優先権主張日より前の昭和63年3月7日に国立
国会図書館に受け入れられている 。加えて ,引用例6と同一の文献が ,
同月5日に特許庁資料館に受け入れられている。
したがって,引用例6は,本件優先権主張日前に頒布された刊行物
に当たる。
b これに対し,原告は,引用例6が国立国会図書館で公衆に閲覧可能
となったのは,本件優先権主張日後である昭和63年3月12日であ
るから,公知文献に該当しないと主張する。
しかし,次のとおり,原告の上記主張は失当である。
⒜ 最高裁昭和36年( オ )第1180号同38年1月29日第三小法
廷判決( 裁判集民事64号251頁 。以下 昭和38年最高裁判決 」

という 。)は,旧特許法(昭和34年法律第122号による廃止前
のもの)4条2号の「出願前国内ニ頒布セラレタル刊行物」の解釈
に関する事案ではあるが,国内特許出願日の3日前に特許庁資料館
に受け入れられていたフランス国特許明細書について ,「出願前に
わが国の特許庁資料館に到達していても,出願当時には,未だ一般
公衆の閲覧可能な状況にはなかったのであるから,本件発明は,旧
特許法4条2号に該当しない旨」の上告人の主張を排斥し ,「わが
国の特許庁に到達し同庁資料館に受け入れられた以上は,右刊行物
は旧特許法4条2号にいう『国内ニ頒布セラレタル刊行物』と解す
るのが相当である」とし,続けて ,「右明細書が出願当時一般公衆
の閲覧が可能であったか否かを問わず,本件発明は,旧特許法4条
2号に該当するものといわなければならない」と判断した。
よって,国立国会図書館や特許庁資料館といった公衆の閲覧に供
する場所に受け入れられた日をもって ,当該刊行物が 頒布された 」

と解するのが相当である。
⒝ 最高裁昭和53年( 行ツ )第69号同55年7月4日第二小法廷判
決(民集34巻4号570頁。以下「昭和55年最高裁判決」とい
う。)は,いつの時点をもって「頒布された」とするかにつき,何
ら判示していない。これは,昭和38年最高裁判決を踏襲する趣旨
であるからにほかならない。
昭和55年最高裁判決は ,「頒布された刊行物」を「公衆に対し
頒布により公開することを目的として複製された文書,図画その他
これに類する情報伝達媒体であって,頒布されたもの」と定義した
上で ,「必ずしも公衆の閲覧を期待してあらかじめ公衆の要求を満
たすことができるとみられる相当程度の部数が原本から複製されて
広く公衆に提供されているようなものに限られるとしなければなら
ないものではなく」と判示している。
引用例6が所収された会誌は,第3種郵便物の認可を得ている雑
誌であるから,相当程度の部数を発行に当たりあらかじめ複製して
広く公衆に提供されることを予定したものであり,前記「公衆の閲
覧を期待してあらかじめ公衆の要求を満たすことができるとみられ
る相当程度の部数が原本から複製されて広く公衆に提供されている
ようなもの」であることが明らかである。
したがって,引用例6が「頒布された刊行物」として本件特許に
対する公知文献に該当することは論を待たない。
⒞ 最高裁昭和61年( 行ツ )第18号同年7月17日第一小法廷判決
( 民集40巻5号961頁 。以下 昭和61年最高裁判決 」
「 という 。)
は,外国特許明細書の原本を複製したマイクロフィルムが , 「 公
前記
衆の閲覧を期待してあらかじめ公衆の要求を満たすことができると
みられる相当程度の部数が原本から複製されて広く公衆に提供され
ているようなもの」に該当しなくても ,「頒布された刊行物」に当
たるとする理由を説示した事案であり,引用例6のような,あらか
じめ相当程度の部数が複製されて広く公衆に提供される文献につい
て,いつの時点をもって「頒布された」とするのかの認定基準を示
すものではない。
すなわち,昭和61年最高裁判決でも,昭和38年最高裁判決を
変更するような判示は一切なされておらず,昭和38年最高裁判決
を踏襲するものと解するのが自然である。
ウ 進歩性の欠如③
本件発明は,次のとおり,昭和62年5月25日刊行の日経バイオテク
ノロジー最新用語辞典87所収の「チャイニーズ・ハムスター卵巣細胞」
[ Chinese hamster ovary cell: CHO]に関する記述(乙53。以下「引用
例8」という 。)による発明に基づいて,当業者が容易に発明をすること
ができたものである。
(ア ) 構成要件Aについて
引用例8には ,「米国 Genentech 社は, CHO 細胞を宿主として,ヒト
血栓溶解剤ティッシュ・プラスミノーゲン・アクチベータ( TPA)を生
産している 。」との記載がある。上記 TPA は,公知の生理活性タンパク
質である。なお, TPA を生産するに当たり,上記 Genentech 社は,昭
和61年4月にアメリカ合衆国で医薬品の製造承認の申請をし,製造承
認を受けている。
また,遺伝子操作の方法について,引用例8には ,「実際にはガン・
ウイルス SV40 の複製開始部位の下流に目的の遺伝子を結合。その下流
にジヒドロ葉酸リダクターゼ( DHFR )遺伝子を組み込み, DHFR を欠
損させた CHO 細胞に形質導入する 。」と記載され, CHO dhfr- 細胞を形
質転換することについて述べている。
さらに , CHO は培養器の壁に付着し増殖するが,条件を調節すると

浮遊培養も可能だ 。」として,培地中に懸濁させることを念頭に置いた
記載がされている。
したがって,これらの記載は構成要件Aを充たす。
(イ ) 構成要件Bについて
引用例8には, CHO 細胞が「条件を調節すると浮遊培養も可能だ 。」
との記載に続き ,「世代時間は12時間と短く増殖能力も高い 。」との
記載があり,さらに ,「抗ガン剤の1つメソトキセレートを培地に加え
ると,遺伝子増幅により,遺伝子のコピーは増加,目的の遺伝子産物を
大量生産できる 。」との記載がある。そして,上記の過程を経て作製さ
れる TPA について,アメリカ合衆国で医薬品製造承認済みであること
をも加味すると,血栓溶解剤を生産する CHO 細胞が,浮遊培養によっ
て商業的規模で目的の生理活性タンパク質を安定に生産し得る株であっ
たこと,すなわち,浮遊培養に適した樹立された細胞株であったことが
容易に想到できる。
また,浮遊培養に適した細胞株を樹立するために,浮遊培養を継代し
て行うことは,当然の過程として周知である。
したがって,これらの記載から,当業者は,構成要件Bを容易に想到
できる。
(ウ ) 構成要件C及びDについて
引用例8には , CHO は培養器の壁に付着し増殖するが,条件を調節

すると浮遊培養も可能だ 。 ,
」 「世代時間は12時間と短く増殖能力も高
」 「米国 Genentech 社は, CHO 細胞を宿主として,ヒト血栓溶解剤
い。 ,
ティッシュ・プラスミノーゲン・アクチベータ TPA)
( を生産している 。」
との記載がある。
これらの記載と,アメリカ合衆国 Genentech 社が TPA 生産に当たり
同国で医薬品の製造承認を受けていることから ,同社が ,樹立した CHO
細胞を浮遊攪拌培養することで,目的とする生理活性タンパク質である
TPA を産生させ精製取得していることが明らかである。
したがって,これらの記載は,構成要件C及びDを充たす。
(原告の主張)
ア 「進歩性の欠如① 」(上記「 被告の主張 )
( 」ア)について
(ア ) 引用例5について
a 引用例5には, CHO 細胞が浮遊培養法で増殖能を示したかのよう
な記載がある。しかし,引用例5が刊行された昭和51年当時は,遺
伝子工学の技術は未発達であり,遺伝子の塩基配列の決定法が確立さ
れたころである。当時,一番進んでいた大腸菌を用いた研究でさえ,
昭和52年にP7によるソマトスタチンの発現が成功した時期であっ
て,タンパク質の大量生産のために動物細胞を形質転換して培養する
技術は,引用例5の範囲外である。
すなわち,引用例5は,遺伝子工学適用以前の通常の動物細胞であ
り,たまたま浮遊培養の可能性が認められたケースを挙げたものであ
る。当時,動物細胞に遺伝子工学を適用してタンパク質の大量生産を
行う研究はまだ存在しなかったから,浮遊培養適合性の細胞として樹
立する観点での研究がなかったことは当然である。また,限られた実
験において浮遊培養が可能であったことと,浮遊攪拌培養に適合した
細胞が樹立されることは,同一ではない。引用例5の記載は一般的す
ぎて,樹立の有無を確かめることはできない。
また, CHO dhfr-細胞は,昭和55年に新たに樹立された細胞であ
って,引用例5が刊行された昭和51年には,まだ CHO dhfr-細胞は
存在しなかった。それまでに存在した CHO 細胞に比べ,タンパク質
の大量生産に好適な資質を有するため,動物細胞に関する遺伝子工学
の進展とともに利用が広がった。
したがって, CHO dhfr- 細胞が樹立される昭和55年より前に刊行
された引用例5は, dhfr 欠損でない CHO 細胞に関する文献であり,
CHO dhfr-細胞を形質転換した細胞に関する本件発明と同列に扱うこ
とはできない。ある遺伝子を失い,又は本来有しない遺伝子を強制的
に導入された細胞は,最初の細胞とは性質が異なって当然である。
b 引用例5の記載は ,P8工学院大学教授 以下 P8教授 」
( 「 という 。)
の鑑定書(甲43。以下「甲43鑑定書」という 。)のとおり,当時
の少数の成功例として理解すべきものである 。当時の研究者にとって ,
無数に存在する付着性細胞の大半が簡単に浮遊化に適応できるなどと
判断できる根拠はなかった。成功例は報告されても,失敗例は報告さ
れないから,成功例だけから研究の状況を判断することは不適切であ
り,これは研究全般についていえることである。
c また,引用例5が「浮遊培養」という際に,どの程度の浮遊化を意
味していたのか明らかではない。引用例5の刊行当時,形質転換した
動物細胞の浮遊培養によって工業的にタンパク質を製造するなど,夢
のようなことであった。工業的生産において必要とされるような,浮
遊攪拌培養における増殖性等の性質の安定性まで考慮して,引用例5
が記載されているとは理解されない。
さらに,本件発明の「浮遊攪拌培養に適した細胞」は,浮遊培養で
安定してその増殖を維持できるだけでなく,目的とする生理活性タン
パク質を安定して生産できるものでなければならない。引用例5にお
いては,付着性の組換え CHO dhfr-細胞を浮遊化させても,導入され
た遺伝子が安定に細胞中に保持,再現され,目的タンパク質が安定に
生産されることは示唆されておらず,これを引用例1ないし3の開示
と組み合わせても,本件発明の方法によって達成される目的タンパク
質を大量かつ安定に生産できるという効果は予想できなかったのであ
る。形質転換された細胞は,引用例5の刊行当時に存在した CHO 細
胞とも,また,その後現れた CHO dhfr-細胞とも異なる。形質転換さ
れた細胞を得るためには,プラスミドにより目的タンパク質をコード
する遺伝子が導入されており,この導入遺伝子が有効に発現するかど
うかが問題である。
d 甲28の1文献も,やはり組織培養の教科書であるところ,細胞を
浮遊化させる方法についての記載の冒頭に ,「浮遊培養法への馴化」
として ,「浮遊培養法で細胞が増殖できるようになるかは細胞株( cell
lines)によって大きく異なる 。 と記載されている 。 細胞株 cell lines)
」 「 ( 」
とは,引用例5にいう「継代培養の確立した株細胞」と同じ意味であ
る。したがって,たとえ継代培養の確立された株細胞であっても,浮
遊化できるか否かについては,専門家の意見も分かれるところであっ
たといえる。
甲28の2文献には ,「単層培養の系に adapt している細胞を浮遊
培養の系に移し ,長期間維持することは通常とても困難なことであり ,
まれに成功しても細胞の増殖度は余り良くない 。 と明記されており ,

上記「単層培養の系に adapt している細胞」も ,「継代培養の確立し
た株細胞」を意味する。
このように,動物細胞の培養に関する研究の蓄積が更に進んだ19
80年代の専門家の見解は,引用例5とは異なり,付着性細胞を浮遊
化することは一般に困難である,というものであった。
(イ ) CHO dhfr- 細胞の浮遊培養の困難性の有無
a 浮遊化に際しての導入遺伝子の安定性について
⒜ 付着性の細胞(動物の身体組織の一部として組織に付着すること
によって生存していた細胞)が,組織(支持体)依存を離れ,液体
中に浮遊した状態で増殖し,タンパク質を生産することができるよ
うになることは ,その細胞にとって ,大きな性質の変化を意味する 。
その変化は,遺伝子に関する何らかの変化(塩基配列そのものの変
化, DNA 鎖の後成的修飾(エピジェネティクス)を伴う遺伝子発
現レベルの変化など)によってもたらされるものであると理解せざ
るを得ないが,どのような遺伝子の変化によるものかを特定するこ
とまではできない。
また,浮遊化のための変化が起きても,同時に他の変化も起きて
有用性がなくなったり,あるいは,浮遊化した後も更なる変化によ
って浮遊性を失うことも考えられる。
浮遊化した後も生き残った細胞は,遺伝子に何らかの変化を生じ
ているものであると考えられる。一応浮遊状態で生存可能になった
細胞を続けて浮遊攪拌状態で培養すると,更に遺伝子に様々な変化
が生じ,遺伝子の機能がわずかに異なる多様な細胞が生成すると考
えられる(どのような変化が生じ,どのような性質変化が起きるか
は予測できない 。 。そのため,継代して培養を続けていると,一

度獲得した浮遊培養性が低下し,あるいは,失われ,また,タンパ
ク質の生産性も変化することがある。
工業的な大量生産のためには,細胞が一時的に好適な性質を示す
だけでは足りず,実用的に十分な長期間にわたり,増殖性,タンパ
ク質の生産性等の性質が一定化する必要がある。
換言すれば,本件発明が成功するためには,浮遊攪拌培養の条件
にさらすことによって,浮遊化するような遺伝子の機能の変化を起
こし得る細胞でなければならないが,浮遊攪拌培養に適合する遺伝
子の状態に到達した後は,この性質を変化させるような遺伝子の変
化が起きにくいという相矛盾する傾向を有することが必要であっ
た。さらに,得られる細胞は,タンパク質の生産性が高く安定して
いることが要求され,タンパク質を発現する遺伝子については,そ
の機能を害するような変化が起きないことが必要である。いかなる
細胞がこのような望ましい性質を有するかを,あらかじめ予測する
ことは困難である。
しかも,浮遊攪拌培養に成功するには,甲6文献に記載されてい
るように , cDNA を導入した接着 CHO 細胞についても,壁から細

胞をはがした後,根気よくサスペンジョンカルチャーを繰り返し,
最終的によく適合し増殖する細胞をクローニングし」という過程を
経る必要がある。このような努力をしても,本来浮遊培養適合性の
ない細胞であれば,徒労に終わる。
形質転換した CHO dhfr-細胞が,上記の好適な性質を有していた
ことは,まさに偶然であり,公知技術から予測できることではなか
った。
被告が引用する公知技術は,いずれも,形質転換した CHO dhfr-
細胞を浮遊攪拌培養の環境にさらすと,一過性の浮遊培養の可能性
を教示するものの,細胞の増殖性及び組換えタンパク質生産の安定
性を獲得し得ることを教示するものは一切存在しない。本件発明に
おける「浮遊攪拌培養に適合した細胞を樹立」とは,これらの安定
性の獲得がなされることを意味している。
⒝ 被告は,乙46文献について,浮遊培養への馴化による細胞機能
の変化については何の結論も示されていないと主張する。
しかし,乙46文献は,発ガン性を有する2つの付着性細胞(2
Pと3P)を浮遊培養した場合に,発ガン性,染色体,形状などに
変化を生ずるか否かを調べた文献である。そして,例えば,3P株
が浮遊化への馴化によりガン増殖速度が著しく増加したと記載さ
れ,染色体数に関しても,浮遊化への馴化により変化することが記
載されている。すなわち,2P株に関しては,浮遊化により染色体
数が45本から44本,43本へと変化し,3P株に関しても染色
体数の変化が記載されている。このように,乙46文献は,浮遊培
養に適合する過程で染色体数の変化が起こることを示しており,染
色体数の変化は遺伝情報の欠落,重複を意味することから,付着性
の細胞から浮遊攪拌培養に適した細胞を樹立する過程においては,
染色体に組み込まれた組換え遺伝子の安定性が大きな影響を受け得
ることが容易に考えられる。
被告が乙46文献について訳出した部分は,浮遊化する前の2P
株,3P株とも発ガン性を有していたから,発ガン性のない細胞が
発ガン性を有するようになったというような明確な変化ではないた
め,浮遊培養への馴化からどのような結論が導かれるかは明確でな
いことを指摘したものである。本件との関係においては,事実とし
て発ガン性の程度が変化したこと,及び浮遊化のための工程が染色
体の変化(遺伝子の変異)をもたらすとの事実が重要である。
被告は,ウイルスの感受性の変化に関する乙47文献について,
「この変化は,浮遊細胞を評価分析システムに使用するための最良
の方法がまだ決定していないという事実によるものであろう」との
訳文を示し,細胞の感受性が変化した理由を,当時の測定方法の不
備に求め,細胞を浮遊培養したこと自体を理由として掲げていない
点に留意すべきであると主張する。
しかし,乙47文献の原文は , This change may be due to the

fact that ...」であって ,「・・・事実によるものであろう」との訳
は適切ではなく ,「・・・事実によるのかもしれない 。」という,
可能性を否定しない程度の表現である。また,内容的にも,浮遊細
胞と単層培養細胞を用いたウイルス力価の評価方法は,両者とも単
層培養にした後に行っており,実験手技的に同一と考えられ,乙4
7文献の表2の結果は,細胞の感受性の違いを意味すると理解して
よい。
したがって,乙47文献の記載が浮遊培養への馴化により細胞の
機能が変化することを意味するものではないとする被告の主張は,
失当である。
b CHO dhfr-細胞の浮遊化困難性について
乙48意見書においても ,「研究開始当時,私たちは接着依存性細
胞による物質生産は,浮遊化することにより細胞の生産能が低下する
ことを多く経験していたことから,接着状態での大量培養システムの
開発に着手し,マイクロキャリア法によるシステムを完成させたもの
です 。」と当時の技術状況が述べられているように,浮遊化に伴う細
胞の諸性質の変化,導入遺伝子の安定性は,大きな問題としてとらえ
られていた。また,同意見書には ,「正常ヒト細胞株は浮遊培養がま
ったくできない細胞であった」との記載もある。
P4研究員は,当時バイオテクノロジーにつき最先端にあった企業
の一つである東レ株式会社(以下「東レ」という 。)のインターフェ
ロン開発に取り組んでいた研究員であり,東レ技術陣の認識が,当時
の技術水準以下であるはずがない。当時,東レが浮遊培養が難しいと
判断し,マイクロキャリア法を採用したという事実が重要である。
乙48意見書においては,甲20文献の作成当時,被告が引用する
ような文献を知っていれば ,「組換え CHO dhfr-細胞は浮遊化できな
い」とは言わなかったであろうと述べられている。しかし,本件の問
題は ,「浮遊化できない」と断定できるかどうかではなく,大量生産
に使用できるだけの安定した増殖性と生産性を有する浮遊攪拌培養に
適合した細胞が得られることを,容易に推考できたかどうかである。
その判断は,当該公知文献に基づいて本件訴訟の中で直接行うべきも
のである。
P4研究員の博士論文である平成元年の「ヒト正常細胞および遺伝
子組換え動物細胞を用いたヒトインターフェロン産生に関する研究」
(甲44。以下「甲44文献」という 。)には,甲20文献に対応す
る内容が詳しく述べられているところ,甲44文献には,参考文献と
して,引用例2が3回掲げられているから,P4研究員は,甲20文
献の作成当時,引用例2の内容を熟知しており,その上で「組換え
CHO dhfr- 細胞は浮遊化できない」と述べたことになる。乙48意見
書の記載は,この事実と矛盾する。
また ,甲44文献によれば ,P4研究員は ,P6教授を通じて ,Chasin
博士から CHO dhfr-細胞の供与を受けている。もし,当時, Chasin 博
士やP6教授が,乙49鑑定書の記載のとおり, CHO dhfr-細胞が浮
遊化できるとの認識を有していたとすれば,その情報は,P4研究員
にも伝えられていた可能性は十分考えられる。しかし,同研究員が,
上記意見書を作成するに至るまで ,「組換え CHO dhfr-細胞は浮遊化
できない」と認識していたことは,明らかである。
なお,甲20文献は,P4研究員単独の論文ではなく,当時の動物
細胞培養の第一人者であるP9博士との共著であり,P9博士の認識
を示していることに留意すべきである。P8教授は,甲43鑑定書に
おいて,当時のこの領域の第一人者であるP9博士の見解の重要性を
指摘している。また,甲20文献の見解は,P9博士の研究室におけ
る多くの経験に基づいていると理解される。
乙48意見書の評価については,甲6文献を参照していない事実に
留意すべきであり ,甲6文献に記載されたような苦労の過程を知れば ,
CHO dhfr- 細胞の浮遊化は困難であるとの甲20文献作成当時の認識
が間違っていなかったことを確認するものと考えられる。
c 乙49鑑定書の記載
本件発明は,工業的実施を前提とした大量生産技術に関するもので
ある。この場合に,最も重要な点は,使用する細胞の増殖性及び目的
タンパク質の生産性が安定して再現されることである。
これに対し,乙49鑑定書の関心,また,乙49鑑定書が依拠する
文献の関心は,当該細胞が浮遊状態で培養可能かどうかという点にと
どまっている。
乙49鑑定書が, CHO dhfr- 細胞につき長期の浮遊培養が可能であ
ることが公知であった根拠として引用しているのは,引用例2である
ところ,引用例2において,数か月浮遊培養により安定に維持された
ことが記載されているというのは,上記⑶の「 原告の主張 )
( 」イの
とおり,誤解である。引用例2は,付着培養中の細胞を時間をおいて
サンプリングし,生産能を調べたものであり,継続して浮遊攪拌培養
を行った旨は記載されていない。
なお,乙49鑑定書には, CHO dhfr- 細胞の樹立者である Chasin 博
士が昭和63年6月付けで CHO dhfr-細胞を分譲許諾した際の書簡
(甲45)に添付された同年2月25日付けの説明書に,浮遊培養方
法についての記載があり,同日以前においても, Chasin 博士は CHO
dhfr-細胞の浮遊培養が可能であることを述べていた旨の記載がある 。
しかし,上記書簡には,単にサスペンジョン化で生育させるという
だけで,形質転換された CHO dhfr-細胞に関する記載はなく,サスペ
ンジョン化の方法や,サスペンジョン化された後の状況に関する記載
もない。
d P10博士の意見書(甲46。以下「甲46意見書」という 。)の
記載
1980年代後半から1990年代初めにかけて,被告やキリン-
アムジェン社と競争しながら EPO の開発に携わっていた研究者P1
0博士は,腎臓由来の BHK 細胞の方が, EPO の生理活性発現に好ま
しいであろうとの判断から, BHK 細胞による開発を行ったが, CHO
dhfr-細胞及び L929 細胞の検討も行った 。そして ,甲46意見書には ,
本人の経験として, CHO dhfr- 細胞は付着性が強く,大量生産には向
かないと判断したことが記載されている。
P10博士らのグループは, BHK 細胞に関して,浮遊培養ではな
く,マイクロキャリア法の開発に進んでいる。当時,元来浮遊性細胞
であるナマルバ細胞(非組換え細胞)については浮遊培養が行われて
いたが,付着性の細胞に浮遊培養を試みることは,困難が予想された
からである。
被告と GI 社のグループを除き,1980年代に動物細胞による生
理活性タンパク質の生産に取り組んだ企業は ,キリン-アムジェン社 ,
東レ及びP10博士らの所属する雪印乳業株式会社のいずれも,付着
性細胞を付着性のまま培養する方向を選んでいる。これが当時の技術
水準であったことが明らかに認められる。
イ 「進歩性の欠如② 」(上記「 被告の主張 )
( 」イ)について
(ア ) 引用例6の公知文献該当性
a 昭和55年最高裁判決は,出願公開が刊行物に該当するか否かの判
断において ,「複写物が公衆からの要求に即応して遅滞なく交付され
る態勢が整っている」ことを要件とし,また,昭和61年最高裁判決
も,オーストリア国出願のマイクロフィルムについて ,「公衆がディ
スプレースクリーンを使用してその内容を閲覧し,普通紙に複写して
その複写物の交付を受けることができる状態になった 」ことをもって ,
刊行物該当性を認めた。
すなわち,刊行物が「頒布された」時とは,公衆に閲覧可能となっ
た時又は複写物の入手が可能になった時である。
例えば,ただ1部しか存在しない論文が国立国会図書館に備え付け
られ,閲覧と複製が許される場合を想定すれば,受入日をもって刊行
日とすることは不合理であり,やはり公衆に閲覧可能とされた日を基
準とするのが自然である。
b 本件については,国立国会図書館に受け入れられた日ではなく,閲
覧可能になった日付に基づいて新規性の判断がなされなければならな
い。そして,本件において,引用例6が国立国会図書館において閲覧
可能になったのは,昭和63年3月12日以降であった。
c 被告は,引用例6が昭和63年3月5日に特許庁資料館に受け入れ
られたと主張する。
しかし,当時,特許庁では,受け入れた雑誌を職員閲覧室へ保管す
るものと,各審査室へ配布するものとに仕分けして配布しており,引
用例6は,審査第4部食品加工の審査室に配布される雑誌であった。
この配布に要する時間,当時は特許庁の新庁舎の建設中で各部署が複
数のビルに分散していたこと,昭和63年3月5日が土曜日であった
ことを考慮すると,同日に受け入れられた引用例6が担当審査部に届
くには少なくとも1週間を要したと考えられる。すなわち,審査官の
利用は同月12日以降となる。
このように,引用例6は,本件優先権主張日前において,審査官す
ら閲覧できる状態になっていなかったのであるから ,「その複写物が
公衆からの要求に即応して遅滞なく交付される態勢が整って」いなか
ったことになる。
また,当時,職員保管室で保管される雑誌と異なり,審査室に保管
されている雑誌について公衆が閲覧することができるシステムは存在
しなかったのであるから,その点においても ,「その複写物が公衆か
らの要求に即応して遅滞なく交付される態勢が整って」いなかったも
のである。
d 引用例6は,昭和63年3月10日に日本農芸化学会により刊行さ
れることが予告されていた文献であり,同会においては,引用例6の
各会員への到着が同日からあまり遅れないように,同月8日から郵便
局に持ち込み,第3種郵便による発送を委託した。郵便局の取扱いで
は,同月9日から発送されたと考えられるので,会員への到着は,同
月10日以降であった。これに対し,国立国会図書館と特許庁資料館
に限っては,会員への発送とは別に,同月8日より前に発送の手続を
した。
その結果,引用例6は,国立国会図書館及び特許庁資料館という特
定の国家機関には,同日以前に受け入れられていたが,これは,不特
定多数の者への交付を前提とする刊行物の頒布とは異なる事実関係で
あり,この特定の国家機関が受領しただけで,公知文献に該当するも
のではない。
また,刊行元において公衆に頒布した刊行物の1部が特許庁に受け
入れられた場合であれば,その受入日をもって刊行日の立証に用いる
ことは合理的であるかもしれないが,本件のように,一般向けの刊行
日に先行してただ1部だけ(あるいは2部だけ)が特定の機関に納入
され,当該機関では,これを公衆に対し遅滞なく公開する態勢が整っ
ていなかったという特別な事情の下では,刊行日の認定は,公衆へ公
開する態勢が整った時点を基準とすべきであり,それが昭和55年最
高裁判決及び昭和61年最高裁判決に沿う解釈である。
したがって,引用例6が頒布された日は,昭和63年3月10日以
後であると見るのが正しい。
e 昭和38年最高裁判決の事案は ,フランス特許が対象であるところ ,
フランス特許は,少なくとも外国では既に広く頒布された刊行物であ
り,特許庁資料館への受入れより先に日本国内の誰かが入手していて
も不自然ではない性質の刊行物であった。すなわち,外国で既に流通
している刊行物の日本国内における流通日を確定することが,昭和3
8年最高裁判決の意味であった。しかも,昭和38年最高裁判決は,
当該事案に関しても不合理であるとの印象は拭い難く,後の外国出願
公開に関する昭和55年最高裁判決及び昭和61年最高裁判決により
実質的に変更されていると解するのが妥当であり,少なくとも外国頒
布済み文献の場合に限っての先例と見るべきである。
(イ ) 引用例6について
引用例6には , CHO 細胞」と記載されているだけで , CHO
「 「 dhfr-
株」という記載はない。そして , CHO 細胞」と記載されているだけで

は, dhfr 遺伝子を有する CHO 細胞であるか , CHO dhfr-細胞」である

かは特定できない。また,引用例6と引用例7の作成者が共通であると
いうことだけで,引用例6の「 CHO 細胞」が「 CHO dhfr- 細胞」である
ことを本件優先権主張日前に特定することはできない。
また,引用例6には, CHO 細胞をどのような条件で浮遊培養したの
かの記載も,浮遊攪拌培養に適合した細胞株が樹立された旨の記載もな
い。そして,本件優先権主張日前において, CHO dhfr- 株を浮遊攪拌培
養に適合させることが困難であると当業者に認識されていたのであるか
ら,当業者が引用例6を読んだとしても,それだけで本件発明における
浮遊攪拌培養に適合した CHO dhfr- 株が樹立されたと認識することは困
難であった。せいぜい別の細胞株に関する報告であり,又は細胞株の樹
立には至らない一時的な活性発現の報告にすぎないと認識したにとどま
ったであろう。
(ウ ) 意に反する公知
a 仮に,被告が主張するように,引用例6に記載された細胞が実質的
に「 CHO dhfr- 細胞」を意味すると解釈されるとしても ,「意に反す
る公知」の規定が適用されるべきである。
日本農芸化学会が引用例6の刊行日を予告している場合,刊行日と
特許発明の新規性の関係は当然に考慮されていると理解し,刊行日よ
り前に要旨集が刊行されることはないと予測することは,合理的であ
り,この期待は,保護に値する。
したがって,予定された刊行日より前に引用例6が刊行され,その
ために出願が刊行日後になった場合,意に反する公知の規定が適用さ
れるべきである。
b 被告は,引用例6の日本農芸化学会誌への投稿は,公開目的でなさ
れたのであるから,意に反する公知に該当しないと主張する。
しかし,公開目的での投稿であるとしても,公開日が明確に指定さ
れており,それ以前に公開されることがないと信頼する合理的な理由
がある場合には,当該日付前の公開が意に反することは当然である。
c 被告は,引用例6には CHO 細胞が dhfr-型であることが明記され
ていないから,新規性を否定する公知文献にはならず,したがって,
意に反する公知に該当しないと主張する。
平成11年法律第41号による改正前の特許法では,意に反して公
知となった発明と同一発明のみが救済されるかのような条文の体裁と
なっていたところ,平成11年法律第41号による改正後の特許法に
おいては,進歩性に関する公知資料にも,意に反する公知の規定が適
用されるようになった。しかし,これは,平成11年法律第41号に
よる改正前の特許法が不適切であったのであり,新規性まで否定され
るような発明が救済されるのに,意に反して開示された発明と形式的
な相違があるだけの特許発明が進歩性を欠いて無効にされるというの
は,いかにも不合理である。その不合理を手直ししたのが平成11年
法律第41号による改正である。同改正の趣旨は,改正前の出願によ
る特許発明についても実質的に活かされるべきであり,これは,意に
反する公知の規定の適用に際し,発明の同一性の範囲を実質的に妥当
な解決が得られるように解釈することで実現できる。
仮に,引用例6発明に基づいて,被告が主張するとおり,引用例7
発明を参照して本件特許は無効である,との判断がされるとすれば,
引用例6記載の CHO は,引用例7と同じく, CHO dhfr-細胞を意味
すると認定することが前提となる。その認定を前提とするなら,引用
例6は ,実質的に見て新規性を否定する公知文献であり ,したがって ,
意に反する公知の規定を適用するのが公平の見地から妥当である。
d なお,新規性喪失の例外規定中でも,学会発表や博覧会への出品な
どが,発明者の完全なコントロールの下になされる行為であり,技術
の早期公開を促進する意義を有するのに対し,意に反する公知の場合
には,発明者の予期しない事情の発生による権利喪失から発明者を救
済することが法の目的である。意に反する公知の場合,公知となる内
容や時期につきコントロールできないことにかんがみ,発明の同一性
の判断を厳密に行うことは妥当でない。
ウ 「進歩性の欠如③ 」(上記「 被告の主張 )
( 」ウ)について
引用例8は,用語辞典であって, CHO について概括的な説明をしてい
るだけである。引用例8の浮遊培養に関する記載は , CHO は培養器の壁

に付着し増殖するが,条件を調節すると浮遊培養も可能だ 。」との記載の
みであり,この記載だけでは ,「条件」がいかなるものか不明であるし,
浮遊攪拌培養に適した細胞を樹立することを示唆するものでもない。この
記載は ,CHO 細胞の一般的な性質について述べたものにすぎない 。また ,
CHO を宿主として tPA を生産する方法についての記載もあるが,具体的
な細胞及び培養方法は明らかではない。引用例8は,ジェネンテック社に
言及しているが,ジェネンテック社の特許及び論文を検討すると,サスペ
ンジョン化に至った CHO 細胞は,元来 dhfr 遺伝子を有する CHO K-1 細
胞であると考えられ,本件発明に関係するものではない。また,引用例8
は ,キリンや東レの開発にも言及しているところ ,これらの企業は ,CHO
細胞を付着培養により培養していた。
⑸ 争点⑶ウ(本件特許(請求項1に係る部分に限る 。)は,特許を受けよう
とする発明の構成に欠くことができない事項が記載されていないとして,平
成2年改正前特許法36条4項2号に違反するか 。)について
(被告の主張)
ア 周知技術でない「浮遊攪拌培養を継代して行う」ための解決手段の不記

本件発明は, CHO dhfr-細胞の形質転換細胞を,浮遊攪拌培養に適した
細胞として樹立することを目的としているが,それを実現する手段として
請求項1に記載されているのは ,「浮遊攪拌培養を継代して行うことによ
り」ということのみである。
しかし,上記⑷の「 被告の主張 )
( 」ア( ア )aのとおり,浮遊培養に適し
た細胞株を樹立するために「浮遊攪拌培養を継代して行う」ことは,本件
優先権主張日前には既に周知技術であった。
よって,本件発明を実施するためには,周知技術にはない,浮遊攪拌培
養を継代して行うための解決手段が,実施可能な表現で特許請求の範囲に
記載されていなければならない。しかし,本件発明の構成要件Bには,そ
のような記載がなく,当業者は実施不可能である。また,単に周知技術を
明示するにすぎない点で,構成要件Bの記載は無意味である。
したがって,本件発明の構成要件Bには,周知技術ではない解決手段が
含まれていないから ,「特許を受けようとする発明の構成に欠くことがで
きない事項」が記載されていない。
イ 所定濃度の核酸を培地中に含有することの不記載
本件訂正請求の際の平成14年6月17日付訂正請求書(乙3の26)
添付の全文訂正明細書(乙3の27)には ,「支持体表面で細胞を生育さ
せた後,核酸を含むα- MEM 培地( GIBCO 社,カタログ No.410-1900)
( 10 %牛血清を含む )・・・に細胞を懸濁し ,浮遊攪拌培養を行う 。 , ま
」「
た,培地は,上述のα- MEM 培地と同程度,もしくはそれ以上の濃度の
核酸を含む培地ならいづれでもよい 。」と記載されている。すなわち,所
定濃度の核酸を培地中に含有することは,本件発明の必須の構成要件であ
る。
それにもかかわらず,本件発明の構成要件AないしCには,いかなる濃
度の核酸を培地中に含有しなければならないかの記載がない。
したがって,本件発明には ,「特許を受けようとする発明の構成に欠く
ことができない事項」が記載されていない。
ウ 上記ア及びイのとおり,本件特許(請求項1に係る部分に限る 。)は,
平成2年改正前特許法36条4項2号に規定する特許請求の範囲の記載要
件を満たしていないから,平成2年改正前特許法123条1項3号の規定
に基づき,特許無効審判により無効にされるべきものである。
(原告の主張)
ア 「周知技術でない『浮遊攪拌培養を継代して行う』ための解決手段の不
記載 」(上記「 被告の主張 )
( 」ア)について
本件優先権主張日前において,付着性の形質転換細胞から浮遊培養に適
した細胞株を樹立した例は,原告の知る限り,存在しなかった。形質転換
細胞でない付着性の細胞について,浮遊攪拌培養を継代して行うことによ
り,浮遊培養に適した細胞株を樹立した例があったとしても,同じ方法を
用いて付着性の形質転換細胞から浮遊培養に適した細胞株を樹立すること
は予測できなかった。したがって ,「浮遊攪拌培養を継代して行うことに
より浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立し」との記載は ,「特許を
受けようとする発明の構成に欠くことができない事項 」として不備はない 。
イ 「所定濃度の核酸を培地中に含有することの不記載 」(上記「 被告の

主張 )」イ)について
核酸の添加は好ましいが,必須ではない。形質転換された細胞は,核酸
を添加することにより増殖が促進されることはあっても,自ら核酸を形成
することができる以上,増殖のために核酸を要求するものではない。本件
特許の実施例では ,増殖を容易にするために少量の核酸を添加しているが ,
これも,当業者が,技術常識に従い,適宜採用し得る培養条件の一態様で
あって,核酸を添加しない培養条件も周知だったのであるから,いずれを
適用するかは当業者が適宜選択する事項にすぎない。核酸の添加を本件発
明の必須要件とする科学的根拠は示されていないのであるから,記載要件
違反には当たらない。
⑹ 争点⑷(損害の発生の有無及びその額)について
(原告の主張)
ア 被告は ,製剤であるエポジンとノイトロジンを国内で販売するとともに ,
原薬である G-CSF 又は G-CSF 製剤を海外の医薬品メーカー(被告の関係
会社)に販売している。
「エポジン」及び「ノイトロジン」について,本件特許の登録日(平成
8年11月7日)以降の販売高は,次のとおりである。
(ア ) エポジンの販売による損害額
本件特許の期間中の各年度のエポジンの売上高は ,次のとおりである 。
平成8年度 168億円
平成9年度 446億円
平成10年度 487億円
平成11年度 535億円
平成12年度 553億円
平成13年度 627億円
平成14年度 661億円
平成15年度 557億円(平成14年12月までの9か月分)
合計 4034億円
(イ ) ノイトロジンの販売による損害額
本件特許の期間中の各年度のノイトロジンの売上高は,次のとおりで
ある。
平成8年度 52億円
平成9年度 126億円
平成10年度 188億円
平成11年度 193億円
平成12年度 182億円
平成13年度 191億円
平成14年度 251億円
平成15年度 247億円(平成14年12月までの9か月分)
合計 1430億円
イ 発明協会発行の「実施料率」第5版によれば,医薬品分野における最近
のイニシャル・ペイメントなしの実施料率平均値は7.1%とされている
ので,本件では,実施料率7%を適用する。
上記ア( ア )のとおり,エポジンの合計売上高は,4034億円であるか
ら,実施料相当額は,282億円である。また,上記ア( イ )のとおり,ノ
イトロジンの合計売上高は,1430億円であるから,実施料相当額は,
100億円である。
したがって ,被告の特許権侵害行為により原告が受けた損害の合計額は ,
特許法102条3項により,合計382億円を下回らないと算定される。
(被告の主張)
エポジン及びノイトロジンの販売先及び販売額は,概要においては,原告
が主張するとおりである。また,発明協会発行の「実施料率」第5版に原告
が主張するとおりの記載があることは認める。その余の事実は,否認する。
第3 争点に対する判断
1 争点⑵(先使用)について
本件については,事案の内容にかんがみ,まず争点⑵から判断する。
⑴ 事実認定
証拠(甲1,4,5,11,乙1,8の1ないし8の3,9,10の1な
いし10の3,11,12,15ないし27,32,35の1ないし35の
3,36の1ないし36の3,37ないし39,40の1ないし40の3,
41,42,63,64)及び上記前提となる事実並びに弁論の全趣旨によ
れば,被告による EPO 及び G-CSF の製造,臨床試験の実施,製造設備の建
設並びに薬事法14条1項の承認の取得について ,次の各事実が認められる 。
ア EPO の製造
(ア ) GI 社との契約の締結
被告は,昭和58年10月, GI 社に資本参加し,昭和59年6月2
9日, GI 社との間で,ヒト EPO の製造技術の開発についての契約を締
結した。同契約においては, GI 社が遺伝子組換え技術を利用したヒト
EPO 生産技術の開発を,被告はその製品の開発研究並びにアジア諸国
及び北米における製造・販売を,それぞれ担当することとされていた。
GI 社は,遺伝子組換え及び関連技術に基づく医薬品等の開発を目的
として設立されたベンチャー企業である(乙15,弁論の全趣旨 )。
(イ ) 種細胞株 CHO DN2-3 α 3 の樹立
GI 社において行われた種細胞株 CHO DN2-3 α 3 の樹立に至る工程
は,次のとおりである(乙8の1,8の3 )。
a 挿入 EPO-cDNA の調製
再生不良性貧血患者の尿からヒト EPO を単離精製し,そのアミノ
酸配列を決定した。次いで,その情報をもとに,ヒトゲノム DNA ラ
イブラリーから EPO-gDNA を,続いてヒト胎児肝細胞 cDNA ライブ
ラリーから EPO-cDNA を,それぞれクローニングした。この cDNA
から,発現ベクターに組み込む挿入 EPO-cDNA を作製した。
b 発現ベクター DN2-3 の作製
哺乳動物細胞用発現ベクターとして設計されたプラスミド pRK1-4
に,上記aの挿入 EPO-cDNA を組み込むことにより,発現ベクター
DN2-3 を作製した。
c 種細胞株 CHO DN2-3 α 3 の樹立
上記発現ベクター DN2-3 を ,チャイニーズハムスター卵巣( CHO)
細胞のジヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)欠損 DUK XB11 株に導入して,
同細胞株を形質転換した。次いで,メトトレキセート( MTX )濃度
を段階的に上げて, EPO-cDNA 及び dhfr-cDNA を遺伝子増幅させ,
その中から高い EPO 生産能を有する細胞を1つ選択分離し,これを
増殖して種細胞株 CHO DN2-3 α 3 を得た(同細胞株は,1個の細胞
から増殖した同じ遺伝子構造を持つ細胞からなることが確認され
た。 。

(ウ ) MCB 及び MWCB の確立
GI 社において行われた種細胞株 CHO DN2-3 α 3 の樹立後, MCB 及
び MWCB の確立に至る工程は,次のとおりである(乙8の3,9,1
6)。
a 付着培養された細胞のトリプシン処理
種細胞株 CHO DN2-3 α 3 は,昭和60年10月10日, GI 社の哺
乳動物細胞遺伝子発現グループから哺乳動物細胞培養グループに渡さ
れた。同種細胞株を,付着培養のままで増殖させた後,同月17日,
トリプシン処理し,同月18日, 10 %ウシ胎仔血清を含む馴化用培
地で浮遊培養を開始した。
b 細胞の浮遊培養への馴化
細胞の浮遊培養では,2ないし4日ごとに細胞浮遊液の一部を除去
し,等量の新鮮な培地と置換する操作を行った。
その後の培養の過程における細胞密度,細胞の生存率及び倍加時間
(世代時間)は,別紙培養経過図1のとおりである。細胞の生長が鈍
化したときには,遠心分離によって細胞を培地から回収し,新鮮な培
地に再懸濁した(別紙培養経過図1の )。

c 生産用培地への移行
浮遊培養開始から29日目である昭和60年11月15日には,細
胞の生存率が約 99 % ,倍加時間が約24時間 ,最終細胞密度が 5 × 105
細胞 /ml となり ,細胞が安定的に増殖できるように馴化されたため ,1
%ウシ胎仔血清を含む生産用培地での培養に移行した 。細胞は ,当初 ,
ほとんど生長が見られなかったが,やがて回復して生長を開始し,倍
加時間は,浮遊培養開始から36日目には50時間,浮遊培養開始か
ら46日目には24時間と,徐々に減少していった。
d マスター・セル・バンク( MCB)の作製及び保存
浮遊培養開始から36日目ないし46日目の間に,徐々に培地容量
を増加させながら培養し,培地容量が 4l スケール,細胞の生存率 98
%,細胞密度が 5 × 105 細胞 /ml となった段階で,細胞を遠心分離し
て集め,凍結保存用培地に再懸濁した。これを凍結用バイアルに 1ml
ずつ200本に分け,緩やかに -70 ℃で凍結した。この凍結バイアル
を液体窒素中に移し ,昭和60年12月4日 ,MCB として保存した 。
e マスター・ワーキング・セル・バンク( MWCB)の調製及び保存
凍結 MCB の1バイアルを解凍し,新鮮な生産用培地に懸濁した。
当初の浮遊培養開始(昭和60年10月18日)から50日目ないし
60日目に,徐々に培地容量を増加させながら培養し,培地容量が 4 l
スケール,細胞の生存率 98 %,細胞密度が 5 × 105 細胞 /ml となった
段階で,細胞を遠心分離して集め,凍結保存用培地に再懸濁した。こ
れを凍結用バイアルに 1ml ずつ200本に分け,緩やかに -70 ℃で凍
結した。この凍結バイアルを液体窒素中に移し, MWCB として保存
した(昭和60年12月18日に調製を終えて保存した 。 。

(エ ) GI 社から被告への MCB 及び MWCB の移転
GI 社は,昭和61年2月ころ,上記( ウ )d及びeで作製した CHO
DN2-3 α 3 の MCB 及び MWCB のうち各60バイアルを,被告に送付
した(乙16 )。
(オ ) 培養工程
MWCB のバイアル中の細胞を解凍し,これを培養して EPO を製造す
る工程(培養工程)においては,生産用培地を用い,バッチ・リフィー
ド法により,細胞をまずスピナーフラスコ中で順次スケールアップしな
がら培養し,最終的に所定の大きさの培養タンクで連続培養を行う。な
お, EPO 生産のための細胞の連続培養期間は,120日までとなって
おり, MCB 及び MWCB の細胞は,120日の連続培養期間中,その特
性が安定していることが確認されている(乙8の3 )。
(カ ) 精製工程
4段階のカラムクロマトグラフィーによって,細胞由来,培養工程由
来及び精製工程由来の不純物を分離除去し, EPO を精製する(乙8の
3)。
(キ ) 1600l 培養タンクを用いた EPO の精製
被告は,昭和61年10月27日から同年11月6日にかけて, GI
社から受領した上記(ウ )d及びeの MCB 及び MWCB を用いて, 1600l
培養タンクにより浮遊攪拌培養を行った後, EPO を精製した。精製さ
れた EPO の精製ロット番号は ,R6J03,R6K01 及び R6K02 であった( 乙
18 )。
(ク ) 組換え DNA 技術応用医薬品の製造のための指針第5章1に基づく
適合確認
被告は,厚生大臣に対し,昭和62年2月16日,組換え DNA 技術
応用医薬品の製造のための指針第5章1に基づき,遺伝子組換えヒト
EPO 製剤の製造に利用される設備,装置及びその運営管理等が同指針
に適合していることの確認を求め,厚生省薬務局長は,被告に対し,同
年4月9日,同指針に適合していることを確認した旨を通知した(乙1
7,37 )。
(ケ ) 治験薬の製造
被告は,昭和62年5月20日から同月25日にかけて,上記( キ )で
精製されたロット番号 R6J03 の EPO を原体として,遺伝子組換えヒト
EPO 製剤の治験薬を製造した 。製造した治験薬のロット番号は ,W7E01
であった(乙19 )。
イ G-CSF の製造
(ア ) 種細胞株 CHO 細胞 657 株の樹立
被告において行われた種細胞株 CHO 細胞 657 株の樹立に至る工程
は,次のとおりである(乙10の3,11,弁論の全趣旨 )。
a 挿入 G-CSF cDNA の調製
G-CSF 産生細胞株 CHU-2 の培養ろ液によりヒト G-CSF を精製し,
その部分アミノ酸配列を決定した 。次いで ,その情報をもとに ,CHU-2
細胞から調製した cDNA ライブラリーから G-CSF cDNA をクローニ
ングした 。この cDNA から ,発現ベクターに組み込む挿入 G-CSF cDNA
を作製した。
b 発現ベクター pV3DR1 の作製
プラスミド pDKCR に上記 G-CSF cDNA 断片を組み込み,さらに,
dhfr の cDNA を含む DNA 断片を組み込むことにより,発現ベクター
pV3DR1 を作製した。
c 種細胞株 CHO 細胞 657 株の樹立
上記発現ベクター pV3DR1 を ,チャイニーズハムスター卵巣 CHO)

細胞のジヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)欠損 DXB11 株に導入して,同
細胞株を形質転換した。次いで,メトトレキセート( MTX)濃度を
段階的に上げて, G-CSF cDNA 及び dhfr-cDNA を遺伝子増幅させ,
その中から高い G-CSF 生産能を有する細胞を 1 つ選択分離し,これ
を増殖して種細胞株 CHO 細胞 657 株を得た( 657」はこの時選択分

離された 1 つの細胞に付した名称である 。 。

(イ ) MCB 及び MWCB の確立
被告において行われた種細胞株 CHO 細胞 657 株の樹立後, MCB 及び
MWCB の確立に至る工程は,次のとおりである(乙11,12 )。
a 細胞の浮遊培養への馴化
前記 CHO 細胞 657 株を,34日間付着培養した後, 10 %ウシ胎仔
血清を含む馴化用培地を用いて,3日ごとに当該培地の置換操作を行
い,通算18日間の浮遊培養の後に,昭和61年11月10日, -80
℃で凍結保存した。
b 凍結保存された 657 細胞株の解凍及び培養
凍結保存した上記aの CHO 細胞 657 株を,昭和61年11月17
日,解凍し, 9cm 径プレートで5日間付着培養した。
c 細胞の浮遊培養への馴化
昭和61年11月22日から6日間, 10 %ウシ胎仔血清を含む馴
化用培地を用いて, 100ml スピナーフラスコで浮遊培養し,細胞が安
定的に浮遊培養できるように馴化した。
d 生産用培地への移行
昭和61年11月28日, 1 %ウシ胎仔血清を含む生産用培地を用
いた細胞の浮遊培養を開始し,同日から47日間,培養液量を徐々に
上げながら ,最終的に 8l スピナーフラスコで培養を行った 。そして ,
昭和62年1月14日, 40l 培養タンクに細胞を移植し,9日間の培
養を行った。
CHO 細胞 657 株の47日間のスピナーフラスコでの培養経過は,
別紙培養経過図2のとおりであり,同細胞 657 株の9日間の 40l 培養
タンクでの培養経過は,別紙培養経過図3のとおりである。
e マスター・セル・バンク( MCB)の作製及び保存
40l 培養タンクでの9日間の培養の後,増殖が順調であることを確
かめて,培養液 3l( 5.3 × 105 細胞 /ml,生存率 92.3 %)を培養タンク
から回収した。細胞を遠心分離して集め,凍結保存用培地に再懸濁し
た。これを凍結用バイアルに 1ml ずつ87本に分け( 1.7 × 107 細胞 /
本,生存率 95.5 % ) -80 ℃で凍結した。この凍結バイアルを液体窒

素中に移し, MCB として保存した( MCB の作製は,昭和62年1月
23日 )。
f マスター・ワーキング・セル・バンク( MWCB)の調製及び保存
上記凍結 MCB の3バイアルを作製の4日後(昭和62年1月27
日 )に解凍し ,100ml スピナーフラスコで培養を開始した 。生存率は ,
解凍直後は 65 %まで低下したが,継代を経て 90 %以上が確保され,
培養開始から16日目に 8l スピナーフラスコ2本から 7l の細胞培養
液を得た。細胞を細胞培養液から遠心分離して集め,凍結保存用培地
に再懸濁した 。これを凍結用バイアルに 1ml ずつ100本に分け ,-80
℃で凍結した。この凍結バイアルを液体窒素中に移し, MWCB とし
て保存した( MWCB 作製は,昭和62年2月12日 )。
(ウ ) 培養工程
MWCB のバイアル中の細胞を解凍し,これを培養して G-CSF を製造
する工程(培養工程)においては,生産用培地を用い,バッチ・リフィ
ード法により,細胞をまずスピナーフラスコ中で順次スケールアップし
ながら培養し,最終的に所定の大きさの培養タンクで連続培養を行う。
なお, G-CSF 原液生産のための細胞の連続培養期間は120日までと
なっており, MCB 及び MWCB の細胞は,120日の連続培養期間中,
その特性が安定していることが確認されている(乙10の3 )。
(エ ) 精製工程
段階のカラムクロマトグラフィーによって,細胞由来,培養工程由来
及び精製工程由来の不純物を分離除去し, G-CSF を精製する(乙10
の3 )。
(オ ) 1600l 培養タンクを用いた G-CSF の精製
a 被告は,昭和62年4月10日から同月28日にかけて,上記( イ )
fの MWCB を用いて, 1600l 培養タンクにより浮遊攪拌培養を行っ
た後, G-CSF を精製した。精製された G-CSF の精製ロット番号は,
R7D02, R7D03 , R7D04 , R7D05 , R7D06 及び R7D07 であった(乙
63 )。
b 被告は,昭和62年10月21日から同年11月8日にかけて,上
記(イ )fの MWCB を用いて, 1600l 培養タンクにより浮遊攪拌培養を
行った後, G-CSF を精製した。精製された G-CSF の精製ロット番号
は, R7J01, R7J02, R7J03, R7K01, R7K02 及び R7K03 であった(乙
22 )。
(カ ) 組換え DNA 技術応用医薬品の製造のための指針第5章1に基づく
適合確認
被告は,厚生大臣に対し,昭和62年3月9日,組換え DNA 技術応
用医薬品の製造のための指針第5章1に基づき,遺伝子組換えヒト
G-CSF 製剤の製造に利用される設備,装置及びその運営管理等が同指
針に適合していることの確認を求め,厚生省薬務局長は,被告に対し,
同年6月5日,同指針に適合していることを確認した旨を通知した(乙
21,39 )。
(キ ) 治験薬の製造
a 被告は,昭和62年9月8日から同月9日にかけて,上記( オ )aで
精製されたロット番号 R7D05 の G-CSF を原体として,遺伝子組換え
ヒト G-CSF 製剤の治験薬(第Ⅰ相試験用)を製造した。製造した治
験薬のロット番号は, T758I09 であった(乙64 )。
b 被告は,昭和63年3月22日から同月24日にかけて,上記( オ )
bで精製されたロット番号 R7J01 の G-CSF を原体として,遺伝子組
換えヒト G-CSF 製剤の治験薬(第Ⅱ相試験用)を製造した。製造し
た治験薬のロット番号は, T874C24 であった(乙23,24 )。
ウ 臨床試験
(ア ) 薬事法の規制
医薬品を製造するためには,目的物について,品目ごとに,薬事法1
4条1項の厚生大臣の承認を受けなければならないものとされている。
そして,同項の承認を受けようとする者は,申請書に臨床試験の試験成
績に関する資料等を添付して申請しなければならないものとされている
(同条3項 )。
(イ ) 遺伝子組換えヒト EPO 製剤の臨床試験
a 被告は,厚生大臣に対し,昭和61年11月21日,健常人による
安全性及び生体内動態の確認を目的とする遺伝子組換えヒト EPO 製
剤の臨床試験(第Ⅰ相試験)についての第1回治験計画届書を提出し
た。同治験計画届書において,治験の実施期間は,同年12月から昭
和62年2月までとされていた(乙36の1 )。
b 被告は,厚生大臣に対し,昭和62年4月22日,腎性貧血患者に
対する有効性及び安全性について評価・検討することを目的とする遺
伝子組換えヒト EPO 製剤の臨床試験(第Ⅱ相試験)についての第4
回治験計画届書を提出した。同治験計画届書において,治験の実施期
間は,同年5月から昭和63年10月までとされていた(乙36の
2)。
c 被告は,昭和62年10月20日,恩賜財団済生会川内病院のP1
1に対し,遺伝子組換えヒト EPO 製剤のロット番号 W7E01 の治験薬
を交付した(乙20 )。
d 被告は,厚生大臣に対し,昭和63年2月29日,腎性貧血に対す
る有効性,安全性及び有用性についてメピチオスタンを対照薬として
二重盲検比較試験法により検討することを目的とする遺伝子組換えヒ
ト EPO 製剤の臨床試験(第Ⅲ相試験)についての第12回治験計画
届書を提出した。同治験計画届書において,治験の実施期間は,同年
3月から同年10月までとされていた(乙36の3 )。
(ウ ) 遺伝子組換えヒト G-CSF 製剤の臨床試験
a 被告は,厚生大臣に対し,昭和62年9月24日,健常人での安全
性 ,耐容性及び薬物動態の検討を目的とする遺伝子組換えヒト G-CSF
製剤の臨床試験(第Ⅰ相試験)についての第1回治験計画届書を提出
した。同治験計画届書において,治験の実施期間は,同年10月から
同年12月までとされていた(乙40の1 )。
b 被告は,厚生大臣に対し,昭和63年2月2日,非骨髄性腫瘍(悪
性リンパ腫)患者での臨床的有効性,安全性及び有用性の検討を目的
とする遺伝子組換えヒト G-CSF 製剤の臨床試験(第Ⅱ相試験)につ
いての第2回治験計画届書を提出した。同治験計画届書において,治
験の実施期間は,同月から昭和64年3月までとされていた(乙40
の2 )。
c 被告は,昭和63年5月27日,大阪府立羽曳野病院のP12に対
し,遺伝子組換えヒト G-CSF 製剤のロット番号 T874C24 の治験薬を
交付した(乙24 )。
d 被告は,厚生大臣に対し,昭和63年10月31日,二重盲検比較
試験による臨床的有効性,安全性及び有用性を客観的に評価,検討す
ることを目的とする遺伝子組換えヒト G-CSF 製剤の臨床試験(第Ⅲ
相試験)についての第12回治験計画届書を提出した。同治験計画届
書において,治験の実施期間は,同年11月から昭和64年12月ま
でとされていた(乙40の3 )。
エ 製造設備
(ア ) 培養施設棟の改修及び 1600l 培養タンクの導入
被告は,昭和60年2月ころ,浮間工場の東流B製品倉庫跡を改修す
ることにより,組換え DNA 細胞の培養施設を収容する計画の具体化を
進めていた。同計画は,総工費予算約9億円で,培養設備は,技術移管
を円滑に行うため,培養タンクの規模・仕様を, GI 社の設備と同一の
もの( 40l タンク2基, 160l タンク2基及び 1600 l タンク1基)とされ
た。同計画に基づく工事(生産技術研究所生物棟工事)は,同年4月2
2日から同年9月30日にかけて行われた(乙25,26 )。
EPO 及び G-CSF の製造のためのB棟製造設備の 1600l 培養タンクの
使用は, EPO については昭和61年6月に, G-CSF については昭和6
2年4月に,それぞれ開始された(甲11,乙27 )。
上記ア( キ )の EPO の精製及び上記イ( オ )の G-CSF の精製は,上記
1600l 培養タンクを用いて行われたものである(乙27 )。
(イ ) 培養施設の新規建設及び 2500l 培養タンクの導入
a 被告は,治験薬供給のリスク分散と,発売時の原体生産への対応の
ため,浮間西工場内に新たな生産棟を建設する計画を立案し,昭和6
2年7月27日の取締役会において,同計画は承認された。同計画の
概要は,次のとおりであった(乙32 )。
⒜ 生産棟として ,浮間工場内に ,RC造4階建て ,延べ床面積約 5300
㎡の建物を建設する。
⒝ 培養タンクは, 2000l を基準とし,培養・精製各4系列を設置す
る。
⒞ 建設は ,「第Ⅰ期 」 「 EPO 発売時」及び「第Ⅱ期」の3段階に分

ける。
⒟ 各建設段階における生産能力は,次のとおりとする。
① 第Ⅰ期 培養2系列,精製1系列とし,生産量は, EPO 及び
G-CSF の合計で年間 60g ~ 75g とする。
② EPO 発売時 培養2系列,精製2系列とし,生産量は, EPO
及び G-CSF の合計で年間 120g ~ 150g とする。
③ 第Ⅱ期 培養4系列,精製4系列とし,生産量は, EPO 及び
G-CSF の合計で年間 240g ~ 300g とする。
⒠ 着工は,昭和62年12月,設備の据え付け開始は昭和63年1
1月 ,試運転の開始は昭和64年1月 ,稼働開始は同年5月とする 。
⒡ 第Ⅱ期工事は,建物の内装,設備工事を含めて遺伝子組換えヒト
EPO 製剤の発売から1ないし2年後に実施する。
⒢ 概算費用は,第Ⅰ期が28億8000万円, EPO 発売時に5億
7000万円とする。
b 被告は,日建設計に対し,昭和62年5月,上記aの計画に基づく
生産棟新築工事の設計及び設計監理を依頼した。日建設計は,昭和6
2年7月1日,同工事の設計を開始し,昭和63年1月30日,同設
計を完了した(乙33 )。
c 被告は,上記aの計画のためのタンパク質精製設備及び純水装置等
について,栗田工業に見積りを依頼し,同社は,被告に対し,昭和6
2年11月5日付けで作成した見積書を交付した(乙35の3 )。
d 被告は,上記aの計画のための蒸留水製造装置について,岩谷産業
に見積りを依頼し,同社は,被告に対し,昭和62年11月25日付
けで作成した見積書を交付した(乙35の2 )。
e 被告は,上記aの計画のための各種タンク類及びピュアスチーム発
生機等の培養付帯設備について ,岩井機械に見積りを依頼し ,同社は ,
被告に対し,昭和62年11月30日付けで作成した見積書を交付し
た(乙35の1 )。
f 上記aの計画における培養タンクの容量は,最終的に 2500l と決定
され,被告は, GI 社との間で,昭和63年7月31日, 2500l 培養タ
ンクを購入する契約を締結した(乙34 )。
g 生産棟の建物の建築は,鹿島建設が請け負い,昭和63年5月1日
に着工し,平成元年8月30日に竣工・完成した(乙33 )。
オ 薬事法14条1項の承認
(ア ) 被告は,厚生大臣に対し,昭和63年12月27日,被告方法1を
使用して得た遺伝子組換えヒト EPO 製剤の製造についての薬事法14
条1項の承認の申請をし,厚生大臣は,被告に対し,平成2年1月23
日,上記遺伝子組換えヒト EPO 製剤の製造についての同項の承認をし
た(甲4,乙8の1,38 )。
(イ ) 被告は,厚生大臣に対し,平成元年12月27日,被告方法2を使
用して得た遺伝子組換えヒト G-CSF 製剤の製造についての薬事法14
条1項の承認の申請をし,厚生大臣は,被告に対し,平成3年10月4
日,上記遺伝子組換えヒト G-CSF 製剤の製造についての同項の承認を
した(甲5,乙10の1,42 )。
カ 現在までの,被告による遺伝子組換えヒト EPO 製剤及び遺伝子組換え
ヒト G-CSF 製剤の製造
被告は,現在まで,遺伝子組換えヒト EPO 製剤及び遺伝子組換えヒト
G-CSF 製剤の製造を ,前記ア(オ )及び(カ )並びにイ(ウ )及び(エ )のとおり ,
EPO 及び G-CSF のバイアル中の細胞を解凍して培養し,精製した上で行
っている(乙1 )。
⑵ 上記認定事実に対する原告の反論
ア 原告は,上記⑴イ(ア )b及びcにおいて認定した, G-CSF の製造のため
の種細胞株 CHO 細胞 657 株の樹立に用いた発現ベクターについて,昭和
62年2月16日付けの G-CSF 製造確認申請書 乙21 )
( には ,CHO dhfr-
細胞を形質転換するベクターとして pV2DR1 が記載されているから,昭
和62年2月ころに作製された MCB は,ベクター pV2DR1 を用いて形質
転換された細胞に基づくものであり,その後被告の製品の製造に用いられ
た発現ベクターである「 pV3DR1」とは異なる旨主張する。
そこで検討するに,証拠(乙62の1ないし3)によれば,次の事実が
認められる。
(ア ) ベクターの作製は,東京大学医科学研究所と被告との共同研究によ
り行われた。
(イ ) G-CSF cDNA の由来
G-CSF 産生 CHU-2 細胞のメッセンジャー RNA ( mRNA )から,相補
的 DNA( cDNA)ライブラリーを作製し,いくつかの DNA プローブを
用いてハイブリダイゼーション法によりスクリーニングした結果,6個
の陽性のプラーク(λ V-1 ~λ V-6)が得られた。得られた6個のプラ
ークの中で ,天然型 G-CSF を充分にコードする長さを有する cDNA( λ
V-2 及びλ V-3)が選択された。λ V-2 及びλ V-3 は,①各プラークの
cDNA が用いた DNA プローブと強くハイブリダイズすること,②各
cDNA のサイズの比較,③制限酵素地図による検討等により, G-CSF を
コードする同一の cDNA であると判断された。
(ウ ) 種細胞株 CHO 細胞 657 株の作製
λ V-2 及びλ V-3 のプラーク由来の cDNA から,それぞれベクター
pHGV2( H)及び pHGV3( H)が作製された。これらのベクターは,同一の
cDNA 断片が組み込まれていると判断されてきたことから,全く同一の
プラスミドと考えられていた。
(エ ) ベクターの移管
昭和61年1月, pHGV2( H)と称するベクターが,東京大学医科学研
究所の長田重一助手から被告に移管された。
(オ ) 被告は,上記( エ )で移管された pHGV2( H)と称するベクターを用い
て, CHO 細胞用発現ベクター「 pV2DR1」を作製し,このベクターを用
いて, rG-CSF 生産細胞株 CHO 細胞 657 株を樹立した。
(カ ) 被告が,平成元年, MCB 及び MWCB の各ロットの DNA 及び発現
ベクターについて塩基配列分析を行ったところ,組み込まれていた
G-CSF cDNA 断片は,すべて,当初推定していたものとはわずかな違い
があることが判明した。
すなわち,上記( エ )で移管されたベクターは, pHGV3( H)であり,し
たがって,調製した発現ベクター pV2DR1 は, pV3DR1 と称することが
妥当であると判断された。
(キ ) 被告は,厚生大臣に対し,平成元年12月26日,組換え DNA 技
術応用医薬品等の製造のための指針第4章7に基づき,上記( カ )の事情
を報告し,平成2年2月16日,その旨を中央薬事審議会バイオテクノ
ロジー特別部会に報告した。
上記( ア )ないし( キ )認定の各事実によれば,昭和62年2月16日付け
の G-CSF 製造確認申請書 乙21 )
( に記載されたベクターの名称 pV2DR1」

は , pV3DR1」の誤記であり,上記⑴イ( イ )e及びfで作製された MCB

及び MWCB は,ベクター pV3DR1 を用いて形質転換された細胞に基づく
ものであることが認められるから,原告の上記主張は,採用することがで
きない。
イ 原告は,ベクターの名称の変更に係る書類は,誤記の訂正の名目により
名称の変更を行ったことを示すにすぎず,その変更が誤記の訂正であった
のかどうかは,これらの書類からは不明であると主張する。
しかし,ベクターの名称の変更に係る書類(乙62の1及び2)は,本
件訴訟とは無関係に作成され,厚生大臣に提出された書類であり,原告が
主張するように,現実には pV2DR1 及び pV3DR1 の2種類のベクターが
存在したにもかかわらず,あえてその旨を秘匿し,当初からベクターの名
称が不適切であったとの虚偽の報告をしたと解すべき合理的理由はない。
したがって,原告の上記主張は,採用することができない。
ウ また,原告は,被告公報(特公平6-57156。甲9)及び被告によ
る公開特許公報(特開平5-301899。甲75)に, pV2DR1 が使用
された旨の記載があることを指摘する。
しかし,上記被告公報は,上記ア( カ )の事情が判明する前である昭和6
3年の特許出願(原出願は,昭和61年)に係る特許公報である。
また,上記公開特許公報は,上記ア( カ )の事情が判明した後の特許出願
に係る公開特許公報であるが,同公報には ,「ヒト G-CSF 遺伝子を含むプ
ラスミド pV2DR1(特公平1-5395に記載されるもの。 prIL-6 とほぼ
同じ構造 ) ( 0023 】
」【 )との記載があり,証拠(乙77,78)によ
れば,上記「特公平1-5395」は ,「特公平2-5395」の誤りで
あることが認められるから,上記公開特許公報に「 pV2DR1」との記載が
されたのは,上記ア( カ )の事情が判明する前である昭和61年の特許出願
に係る特許公報(特公平2-5395。乙78)を引用したことによって
生じた誤記であると認められる。
したがって,上記被告公報及び公開特許公報の記載は,昭和62年2月
16日付けの G-CSF 製造確認申請書(乙21)に記載されたベクターの
名称が誤りであった旨の上記認定を左右するものではない。
⑶ 先使用による通常実施権の成否
以上の認定事実に基づいて,被告が,被告方法について先使用による通常
実施権を有するといえるか否かについて検討する。
ア 発明の完成
上記⑴認定の各事実によれば,被告は,遅くとも昭和61年11月6日
には ,被告方法1を使用して EPO を精製していたことが認められるから ,
遅くとも同日には,既に被告方法1に係る発明を完成していたものと認め
られる。また,被告は,遅くとも昭和62年4月28日には,被告方法2
を使用して G-CSF を精製していたことが認められるから,遅くとも同日
には,既に被告方法2に係る発明を完成していたものと認められる。
イ 事業の準備
(ア ) 特許法79条にいう発明の実施である「事業の準備」とは,特許出
願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこ
の者から知得した者が,その発明につき,未だ事業の実施の段階には至
らないものの,即時実施の意図を有しており,かつ,その即時実施の意
図が客観的に認識される態様,程度において表明されていることを意味
すると解するのが相当である(最高裁昭和61年( オ )第454号同年1
0月3日第二小法廷判決・民集40巻6号1068頁参照 )。
上記⑴認定の各事実によれば,被告は,遅くとも昭和61年11月6
日には,被告方法1に係る発明を完成させ,当該発明を実施して EPO
を精製した上,同月21日には,厚生大臣に対し,被告方法1に係る発
明を使用して得られた EPO から製造した治験薬を使用して臨床試験 第

Ⅰ相試験)を行う旨の治験計画届書を提出し,昭和62年2月16日に
は,厚生大臣に対し,組換え DNA 技術応用医薬品の製造のための指針
第5章1に基づき,被告方法1の使用のための設備等が同指針に適合し
ていることの確認を求めたものである。また,被告は,同年3月9日に
は,同指針第5章1に基づき,被告方法2の使用のための設備等が同指
針に適合していることの確認を求め,遅くとも同年4月28日には,被
告方法2に係る発明を完成させ,当該発明を実施して G-CSF を精製し
た上,同年9月24日には,厚生大臣に対し,被告方法2に係る発明を
使用して得られた G-CSF から製造した治験薬を使用して臨床試験(第
Ⅰ相試験)を行う旨の治験計画届書を提出したものである。さらに,被
告は,昭和60年9月30日には, 1600l 培養タンクを備えた培養設備
を完成させ,昭和61年6月には,その培養設備を稼働させて被告方法
1に係る発明を実施し,昭和62年4月には,その培養設備を稼働させ
て被告方法2に係る発明を実施し,同年5月には, 2000l を基準とした
規模の培養タンクを備えた製造設備を建設する計画に基づく工事の設計
及び設計監理を日建設計に依頼し,同年7月27日には,同計画を取締
役会で承認し,遅くとも同年11月には,同計画のための各種設備につ
いて,岩井機械等に見積りを依頼したものである。
これらの事実関係を前提とすれば ,被告は ,本件優先権主張日までに ,
被告方法により製造する製品の販売に向けた活動を行っており,このよ
うな被告による行動は,まさに,被告の当該事業の実施に向けた経済活
動の一環であるから,被告は,被告方法に係る発明につき,事業の即時
実施の意図を有していたというべきである。そして,その即時実施の意
図は,厚生大臣に対して上記指針に適合していることの確認を求めた各
行為,上記各治験計画届書の提出という行為並びに 1600l 培養タンクを
備えた上記培養設備の完成及び稼働並びに 2000l を基準とした規模の培
養タンクを備えた製造設備を建設する上記計画の取締役会での承認及び
その遂行のための上記設計及び見積りの依頼という行為により,客観的
に認識され得る態様,程度において表明されていたものというべきであ
る。
したがって,被告は,本件優先権主張日において,被告方法に係る発
明につき,現に実施の事業の準備をしていたものと認められる。
(イ ) 原告は,医薬品の事業は,医薬品としての安全性及び有効性を備え
ていることが臨床試験により証明され,製造承認を経て,初めて商品と
しての医薬品が存在することになるのであり,臨床試験の段階では,事
業の即時実施は不可能なのであるから,臨床試験を行っていたことは,
試験研究を行っていたというにすぎず ,「事業の準備」には当たらない
と主張する。
しかし,本件発明及び被告方法に係る発明は,いずれも, EPO 又は
G-CSF などの生理活性タンパク質の一般的な製造法に関する発明であ
って,その発明に係る方法を使用して医薬品を製造することを発明の内
容とするものではないから,当該発明の実施としての事業又は事業の準
備に該当するか否かは,基本的には, EPO 又は G-CSF などの生理活性
タンパク質の製造自体が事業又は事業の準備として行われたか否かによ
り判断されるべきものである。しかも,本件において被告は, EPO 及
び G-CSF を製造した後,医薬品としての臨床試験を行う段階に至って
おり,既に被告方法に係る発明の実施を経て,開発が完了し,完成した
医薬品について,その安全性及び有効性を確認する段階にあるのである
から,臨床試験を行っている医薬品につき,薬事法14条1項の承認を
受けて医薬品として製造販売する意図を有し,かつ,その意図が客観的
に認識され得る態様,程度において表明されているというべきである。
このことは,臨床試験が試験研究の性質を有することを考慮しても,変
わるものではないし,仮に,臨床試験の段階に至ってから,医薬品とし
ての安全性及び有効性が確認できず,製造中止を余儀なくされる医薬品
が多数あるとしても,そのような事後的な事情によって影響を受けるも
のでもない。
したがって,原告の上記主張は,採用することができない。
(ウ ) 原告は,被告による EPO の製造においては,糖鎖の結合状態が異
なる EPO が生成していたこと等を指摘し ,本件優先権主張日において ,
事業化のための技術は完成していなかったと主張する。
しかし,本件発明自体, EPO の糖鎖の結合状態を規定するものでは
なく,しかも,弁論の全趣旨によれば,現在においても,被告が製造販
売する遺伝子組換えヒト EPO 製剤には,異なる糖鎖構造を持つものが
含まれていることが認められるから,糖鎖構造の均一化が医薬品として
の事業を行うために必要不可欠な技術であるとは認められず,したがっ
て,本件優先権主張日において,事業化のための技術が完成していなか
った旨の原告の上記主張は,採用することができない。
(エ ) 原告は,被告が導入した 1600l 培養タンクは,バイオテクノロジー
によるタンパク質製造の技術そのものに習熟するための試験研究施設に
すぎず,医薬品の製造設備として国際的基準( GMP 基準)に通用する
施設ではないと主張する。
しかし ,被告は ,上記⑴認定のとおり ,本件優先権主張日前に ,1600 l
培養タンクを用いて EPO 及び G-CSF を製造し,それらを原体として治
験薬を製造していたものであり,また,証拠(乙27ないし31)によ
れば, 1600l 培養タンクを用いて,遺伝子組換えヒト EPO 製剤及び遺伝
子組換えヒト G-CSF 製剤の製品原体を製造していたことが認められる
から, 1600l 培養タンクが試験研究施設にすぎない旨の原告の上記主張
は,到底採用することができず,また, 1600l 培養タンクが国際的基準
( GMP 基準)に通用する施設ではないとしても,上記認定を左右する
ものではない。
ウ 先使用権の範囲
(ア ) 被告方法1
上記⑴認定の各事実及び弁論の全趣旨によれば,被告が本件優先権主
張日に使用していた被告方法1と,被告が現在使用している被告方法1
とは,同一であることが認められる。
原告は ,EPO の糖鎖構造を均一にする製法変更があったのであれば ,
被告が本件優先権主張日に使用していた被告方法1と,被告が現在使用
している被告方法1とは異なると主張するが, EPO の糖鎖構造を均一
にする製法変更があったことを認めるに足りる証拠はないから,原告の
上記主張は,採用することができない。
(イ ) 被告方法2
上記⑴認定の各事実及び弁論の全趣旨によれば,被告が本件優先権主
張日に使用していた被告方法2と,被告が現在使用している被告方法2
とは,同一であることが認められる。
原告は,被告が本件優先権主張日に使用していた被告方法2と,被告
が現在使用している被告方法2とでは, CHO dhfr-細胞の形質転換に用
いられるプラスミドが異なると主張するが,この主張を採用することが
できないことは,上記⑵のとおりである。
⑷ 小括
上記⑴ないし⑶のとおり,被告は,被告方法1及び被告方法2について,
特許法79条所定の先使用による通常実施権を有する。
2 争点⑶ア(新規性の有無)について
被告は,本件発明が引用例1発明ないし引用例4発明と同一であり,請求項
1に係る本件特許は,特許法29条1項3号の規定に違反して特許されたもの
であるから,同法123条1項2号の規定に基づき,特許無効審判により無効
にされるべきものであって,原告は,本件特許権に基づく権利行使をすること
ができない旨主張する。
そこで,まず,引用例1発明ないし引用例4発明と本件発明とを対比して検
討する。
⑴ 引用例1について
ア 引用例1(乙4,昭和62年(1987年)発行)には,次の記載があ
る。
(ア ) 「この報告で,私たちは,ヒト遺伝子の cDNA クローンを発現する
チャイニーズハムスター卵巣( CHO)細胞株から精製された組換えヒ
ト EPO ( rhEPO )の初めての特性付けを記載する 。 (17156頁右

欄12ないし15行)
(イ ) 「精製と EPO 生物学的活性の分析
rhEPO は,ヒト遺伝子の cDNA クローン( Jacob ら,1985)を発
現する CHO 細胞株の培養液から見かけ上均一にまで精製された。 EPO
の cDNA とジヒドロ葉酸還元酵素遺伝子とを含むプラスミド DNA 発現
ベクターを,ジヒドロ葉酸還元酵素欠損 CHO 細胞に同時形質導入し,
メソトレキセート存在下の増殖性で耐性群が選択された( Kaufman ら,
1985 )。クローン DN2-3 が更なる増幅に選ばれ,適切な EPO 発現
レベルが観察されるまで,メソトレキセートの濃度を上げて増殖させる
ことで形質転換体が選択された。安定な形質転換体が,半合成培地と,
完全合成培地の両方で,ローラーボトル中でコンフルエントな単層培養
として,そして深いタンク型バイオリアクターで浮遊培養として維持さ
れた。 rhEPO は, uEPO の精製で以前に記載された方法( Miyake ら,
1977; Krystal ら,1986; Jacob ら,1985)を組み合わせた
連続的クロマトグラフィーによって精製された 。 (17156頁右欄

"MATERIALS AND METHODS"( 材料と方法 」
「 )の1ないし16行)
(ウ ) 「私たちは,ここに,ヒト遺伝子の cDNA クローンを発現する哺乳
動物の培養液から精製された組換えヒト EPO の初めての特性付けを報
告する 。( 17161頁左欄 "DISCUSSION"( 考察 」 の1ないし4行 )
」 「 )
イ 上記アの記載からすると,引用例1には,生理活性タンパク質である
EPO をコードする遺伝子とジヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)をコードする遺
伝子を発現可能な状態で有するプラスミドを,元来付着性であるチャイニ
ーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉酸還元酵素欠損株( CHO dhfr- )細
胞にあらかじめ形質転換して安定な形質転換細胞が選択され,当該安定な
形質転換細胞から「深いタンク型バイオリアクター」を用いた浮遊培養に
よって,目的とする組換えヒト EPO が生産され,取得されたことが記載
されているものと認められる。そして,組織培養の基本的な文献である引
用例5( 乙2 ,昭和51年発行 )に , 動物細胞の大きさと ,すでに in vitro

の培養に成功した細胞でも,末梢血液細胞を除けばすべての細胞が相互に
接触支持しあって集団を作る傾向があることから,これらの細胞を液体培
養液中に単細胞の形で浮遊させながら増殖させるためには,なんらかの方
法で培養液を攪拌し ,その沈下と凝集付着とを防止しなければならない 。」
(69頁31ないし34行)との記載があるとおり,浮遊培養は,通常攪
拌されて行われるものと認められるから,引用例1に記載された「深いタ
ンク型バイオリアクター」を用いた浮遊培養と,本件発明における浮遊攪
拌培養とは同義であり,この点において,本件発明と引用例1発明との間
に相違はないものと認められる。なお,引用例5の上記記載の「末梢血液
細胞を除けばすべての細胞が相互に接触支持しあって集団を作る傾向にあ
る」との部分は,通常の動物細胞が「元来付着性である」ことを述べたも
のであり, CHO dhfr- 細胞も例外ではない。
ウ そうすると,本件発明と引用例1発明とは,本件発明には,生理活性タ
ンパク質を浮遊攪拌培養で生産する際に用いる形質転換細胞が ,「浮遊攪
拌培養を継代して行うことにより樹立された浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞」であることが規定されているのに対し,引用例1発明には ,「浮
遊攪拌培養を継代して行う」という「樹立」工程についての開示及び用い
た形質転換細胞が「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞」として樹立され
た細胞であることについての具体的開示がない点で相違し,その余の点で
一致するものと認められる。
エ 被告は,上記認定に反し ,「深いタンク型バイオリアクター」のような
大量培養装置で浮遊攪拌培養するには,初めにスピナーフラスコのような
小スケールで形質転換体を浮遊攪拌培養し,形質転換細胞が浮遊攪拌培養
で良好に,かつ,安定して増殖することを確認した後,順次培養スケール
を拡大しなければならず,また,細胞培養において適当な時期に培地を交
換しなければ,細胞は栄養不足となり,いずれ死滅してしまうため,形質
転換体を浮遊攪拌培養に適応させる過程で培養液を交換する,すなわち,
「浮遊攪拌培養を継代して行う」ことは自明のことである,として,上記
ア( イ )の「安定な形質転換体が,半合成培地と,完全合成培地の両方で,
ローラーボトル中でコンフルエントな単層培養として,そして深いタンク
型バイオリアクターで浮遊培養として維持された 。」との記載は,その前
提として,既に浮遊攪拌培養を継代して行うことにより,浮遊攪拌培養に
適した形質転換細胞が樹立されていることを意味すると主張する。
しかし,本件明細書の実施例には,浮遊攪拌培養に適した細胞を樹立す
るには10週間を要した旨の記載(4頁)があり,甲28の1文献(平成
2年2月28日発行)には ,「大量培養化に伴い,細胞の必要とする物理
的化学的要求が満たされなければならない。化学的には,細胞環境のモニ
ターと細胞を適切な生理的状態に保つためのコントロールが必要である。
・・・物理的な因子としてはバイオリアクター( bioreactor)の形状,そ
れに与えるエネルギーなどを含んでいる 。・・・ 」(76ないし77頁)
との記載があり , 甲28の2文献 ( 昭和58年 ( 1983年 ) には , 10
) 「
~ 100ml 程度の少量培養を行なっている細胞を, 1 ~ 500l 程度の培養へ
移そうとする場合 ,培養量が多くなればなるほど細胞の増殖度は悪くなる 。
各培養量に応じて至適な培養条件を求めることが必要である 」(25頁)
との記載がある。これらの記載によれば,本件優先権主張日である昭和6
3年3月9日において,当業者には,動物細胞を用いて大型の培養タンク
内で浮遊培養による大量培養を試みるとすれば,細かな実験的試行錯誤が
必要であり,浮遊培養に適した細胞株を樹立するには相当の時間と労力を
要することが認識されていたものと認められる。また,本件明細書及び弁
論の全趣旨によれば,形質転換細胞は,浮遊攪拌培養に適した細胞を樹立
した段階に至る前であっても,一定の増殖性を示すことが認められる。
そして,上記アのとおり,引用例1は,ヒト遺伝子の cDNA クローン
を発現するチャイニーズハムスター卵巣( CHO)細胞株から精製された
組換えヒト EPO の初めての特性付けを報告することを目的とした文献で
あり,組換えヒト EPO を大量に生産することを念頭に置いたものと理解
することはできない。また,上記のとおり,形質転換細胞は,浮遊攪拌培
養に適した細胞を樹立した段階に至る前であっても,一定の増殖性を示す
ことからすれば,単に浮遊培養における増殖性及び組換えヒト EPO の生
産性を確認する程度であれば,当該 EPO の大量生産を念頭に置く場合と
異なり,必ずしも浮遊攪拌培養に適した細胞として樹立された細胞を用い
る必要はない。そうすると,引用例1における上記ア( イ )の「安定な形質
転換体が,半合成培地と,完全合成培地の両方で,ローラーボトル中でコ
ンフルエントな単層培養として,そして深いタンク型バイオリアクターで
浮遊培養として維持された 。」との記載をもって,上記のように,細かな
実験的試行錯誤が必要で,相当の時間と労力を要する「浮遊攪拌培養に適
した形質転換細胞の樹立」工程を行った旨が記載されていると理解するこ
とは困難である。また,引用例1の「深いタンク型バイオリアクター」が
必ずしも大型の培養タンクを意味しているとはいえないし,上記ア( イ )に
おいては,単に,ローラーボトル中での単層培養が維持されたことと深い
タンク型バイオリアクターにおける浮遊培養が維持されたこととが並列的
に記載されているにすぎないことからすれば ,「深いタンク型バイオリア
クター」が,培養スケールの拡大が前提となるような大型の培養タンクを
意味しているとまでは認められない。
したがって,引用例1に記載された「深いタンク型バイオリアクター」
における浮遊培養に関する記載が,その前提として,浮遊攪拌培養を継代
することにより,浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞が樹立されているこ
とを意味する旨の被告の主張は,採用することができない。
⑵ 引用例2について
ア 引用例2(乙5,昭和58年(1983年)発行)には,次の記載があ
る。
(ア ) 「 マウスジヒドロ葉酸還元酵素 dhfr)
( とヒトインターフェロン IFN-

α 5 又は IFN-γ)をコードする配列をウイルスプロモーターの制御下
で有する複合プラスミドは, dhfr- チャイニーズハムスター卵巣細胞に
形質転換された 。 (687頁 "ABSTRACT"( 要約 」
」 「 )の1ないし4行)
(イ ) 「このプラスミドの dhfr- CHO 細胞への形質転換と引き続く MTX
での選択により, 2-10 × 104 I.U. ml-1・ day-1 の HuIFN-α 5 又は HuIFN-γ
を産生する細胞株が得られた。 IFN 合成は構成的であり少なくとも数か
月にわたって維持された 。 (688頁25ないし29行)

(ウ ) 「α 5-2N.05Cl.0I クローンを継続した MTX 存在下で更に増殖させ
た。 IFN 産生は,単層培養では約 30,000units・ml-1・day -1,そして,約 10 6
細胞 /ml の浮遊培養では 100,000units・ ml-1 で安定に推移した 。 (695

頁19ないし23行)
(エ ) 「 0.2 又は 1.0 μ M の MTX による2回目の選別により,単層培養
と浮遊培養の両方で 20,000 ~ 100,000units・ ml-1・day-1 でヒト IFN-γを産
生する幾つかのクローンが得られた 。 (699頁22ないし24行)

(オ ) 「形質転換 CHO 細胞で達成された IFN のレベルは,最も効率のよ
い未修飾のヒト細胞のそれに比べて著しく高いというわけではないが,
産生が構成的であり ,細胞が浮遊状態で増殖し ,繰り返し収穫できる点 ,
生産物は単一の遺伝子に由来し,適当な付加部位があればおそらく糖鎖
が付加されるので,遺伝子的に修飾した真核細胞を使用する利点が今な
おある 。 (702頁21ないし28行)

イ 上記アの記載からすると,引用例2には,生理活性タンパク質であるヒ
トインターフェロン( IFN- α 5 又は IFN- γ)をコードする遺伝子とジヒ
ドロ葉酸還元酵素( dhfr)をコードする遺伝子を発現可能な状態で有する
プラスミドを,元来付着性であるチャイニーズ・ハムスターオバリージヒ
ドロ葉酸還元酵素欠損株( CHO dhfr- )細胞にあらかじめ形質転換して得
られた形質転換細胞を用いて ,当該形質転換細胞から ,浮遊培養によって ,
目的とする組換えヒト IFN- α 5 を 100,000units・ml-1,組換えヒト IFN-γ
を 20,000 ~ 100,000units・ml-1・ day-1 で産生させ,取得したことが記載され
ているものと認められる。そして,上記⑴イのとおり,浮遊培養は,通常
攪拌されて行われるものと認められるから,この点において,本件発明と
引用例2発明との間に相違はないものと認められる。
ウ そうすると,本件発明と引用例2発明とは,本件発明には,生理活性タ
ンパク質を浮遊攪拌培養で生産する際に用いる形質転換細胞が ,「浮遊攪
拌培養を継代して行うことにより樹立された浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞」であることが規定されているのに対し,引用例2発明には ,「浮
遊攪拌培養を継代して行う」という「樹立」工程についての開示及び用い
た形質転換細胞が「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞」として樹立され
た細胞であることについての具体的開示がない点で相違し,その余の点で
一致するものと認められる。
エ 被告は,上記認定に反し,引用例2の上記ア( イ )ないし( オ )の記載によ
れば,引用例2に記載された細胞は,浮遊培養に適した樹立された細胞で
あることが明らかであると主張するので,以下,検討する。
(ア ) 被告は,引用例2の上記ア( イ )の記載の第2文を根拠として,引用
例2に記載された細胞は,浮遊培養に適した樹立された細胞であると主
張する。
しかし,引用例2の上記ア( イ )の記載の第2文に対応する具体的記載
は,「連続的に継代された細胞は少なくとも3ヶ月の間構成的に IFN を
産生した(テーブル1 ) (693頁下から2行ないし最下行)との記

載であり,テーブル1(694頁)の下部の説明には ,「サンプルはコ
ンフルエントな単層培養体から採取した」との記載があることからすれ
ば,引用例2の上記ア( イ )の記載の第2文は,付着培養を行った細胞の
IFN 産生能について述べたにすぎないものと認められる。
被告は,上記認定に反し,引用例2の上記ア( イ )の記載の第2文に対
応する具体的記載は ,「α 5-2N.05Cl.0I クローンを継続した MTX 存在
下で更に増殖させた 。IFN 産生は ,単層培養では約 30,000units・ ml-1・day-1,
そして,約 106 細胞 /ml の浮遊培養では 100,000units ・ml-1 で安定に推移
した 。 (695頁19ないし23行)との記載であると主張する。

しかし,被告が指摘する上記記載が,引用例2の上記ア( イ )の記載の
第2文に対応する具体的記載であるとすれば,引用例2の上記ア( イ )の
記載の第2文の「数か月にわたって」に対応する具体的記載があるはず
であるところ,被告が指摘する上記記載には, IFN 合成が維持された期
間に関する記載が全くないから,被告が指摘する上記記載は,引用例2
の上記ア( イ )の記載の第2文に対応する具体的記載とは認められない。
(イ ) また,被告は,引用例2の上記ア( イ )の記載の第1文について,原
文では , 細胞株 」は , strain」と表現されており ,細胞株( cell strain)
「 「
とは,最も一般的には ,「初代培養からでもまたは細胞系からでも,選
択あるいはクローニングによって特異な性質あるいは(遺伝的)標識を
もつようになった培養系統を指す。特殊な性質あるいは標識は,その後
の継代培養中維持されるものでなくてはならない 。」との意味で用いら
れているから,引用例2を読んだ当業者であれば,引用例2の筆者が,
当該細胞株を strain と表現したのは,組換えタンパク質を産出するとい
う特殊な性質又は遺伝的標識を持つようになった当該細胞株が,付着培
養と浮遊培養のいずれの場合でも増殖し,その特殊な性質又は遺伝的標
識が,その後の継代培養中も維持されたからにほかならない,と理解す
ると主張する。
たしかに,細胞株( cell strain)とは,一般的に,初代培養から,又
は細胞系から ,選択又はクローニングによって特異な性質又は 遺伝的 )

標識を持つようになった培養系統を指し,特異な性質又は標識は,その
後の継代培養においても維持されるものでなければならないものと認め
られる(乙67)が,引用例2の上記ア( イ )の記載の第1文は ,「この
プラスミドの dhfr- CHO 細胞への形質転換と引き続く MTX での選択に
より ,・・・を産生する細胞株が得られた 。」と記載しているのであり,
当該記載によれば,細胞株が「特異な性質又は標識」を備えるに至った
契機は,形質転換及び MTX での選択の2点であるから,上記記載にお
ける「 細胞株 」の「 特異な性質又は標識 」とは ,強い MTX 耐性を持ち ,
目的とする生理活性タンパク質の産生能が高い,という性質を意味して
いるものと理解される。したがって,引用例2の上記ア( イ )の記載の第
1文は,上記性質がその後の継代培養においても維持されるものである
ことを意味するが,当該細胞株が,付着培養と浮遊培養のいずれの場合
でも増殖することを意味するものとまで理解することは困難である。
(ウ ) さらに,被告は,引用例2の上記ア( オ )の「細胞が浮遊状態で増殖
し,繰り返し収穫できる」との記載が,組換えタンパク質を産出すると
いう特殊な性質又は遺伝的標識を持つようになった当該細胞株が,付着
培養と浮遊培養のいずれの場合でも増殖し,その特殊な性質又は遺伝的
標識が,その後の継代培養中も維持されたことを意味すると主張する。
しかし,引用例2の上記ア( オ )の上記記載は,上記ア( ウ )及び( エ )の
記載を前提とした記載であると考えられるところ,上記ア( ウ )及び( エ )
の記載には,浮遊培養において IFN 産生が維持された期間や,培養施
設の規模といった具体的な記載はなく,むしろ,上記ア( エ )は, MTX
による2回目の選別に関する記載にすぎない 。また ,上記⑴エのとおり ,
形質転換細胞は,浮遊攪拌培養に適した細胞を樹立した段階に至る前で
あっても,一定の増殖性を示すことからすれば,単に浮遊培養における
増殖性及び組換えヒト IFN の生産性を確認する程度であれば,当該 IFN
の大量生産を念頭に置く場合と異なり,必ずしも浮遊攪拌培養に適した
細胞として樹立された細胞を用いる必要はない。そうすると,引用例2
の上記ア( オ )の上記記載をもって,上記⑴エのように,細かな実験的試
行錯誤が必要で,相当の時間と労力を要する「浮遊攪拌培養に適した形
質転換細胞の樹立」工程を行った旨が記載されていると理解することは
困難である。
(エ ) したがって,引用例2に記載された細胞が ,「浮遊攪拌培養に適し
た形質転換細胞」として樹立された細胞であることが明らかであるとい
う被告の主張は,採用することができない。
⑶ 引用例3について
ア 引用例3(乙6,昭和62年(1987年)発行)には,次の記載があ
る。
(ア ) 「 ヒト IL-2 pSV703 から )
( と選択マーカーマウス DHFR pSV2-DHFR

から[15])の発現単位の両方を含む第3のプラスミドが構築され pSV720
と名付けられた 。 (48頁左欄16ないし20行)

(イ ) 「組換え IL-2 は, 5 %の FCS , 0.2 μ M の MTX と 150㎍/ml のプロ
リンを含む浮遊培地(ギブコ社)を用いて攪拌フラスコでの浮遊培養に
より取得された 。 (48頁右欄5ないし8行)

(ウ ) 「 CHO dhfr- 細胞はプラスミド pSV720 (図1)で形質転換され,引
き続いて選択培地で培養された 。 (49頁左欄27ないし29行)

(エ ) 「組換え IL-2 は,通常,組換え CHO クローン 32 の 1 リットルの
浮遊培養から精製された 。 (49頁左欄43ないし44行)

(オ ) 「 ヒト IL-2 を大量に生産する CHO 株の単離は ,この ,ヒト天然 IL-2
に近いあるいは同一の構造を有するリンフォカインの,ほぼ無限の供給
を可能とする。産生レベルは,ヒト末梢リンパ球の刺激後に観察される
よりも少なくとも2桁高く, Jurkat[ 28]由来の高産生細胞株よりも1桁
高い。ここに記載された CHO 細胞株の利点は IL-2 の産生が持続的であ
り,刺激を必要としないことである。この研究で得られた 5 × 104U/ml
までの IL-2 産生のレベルは,これまでに報告されている形質転換 CHO
細胞における 2 × 102U/ml や,形質転換 L 細胞における 1.5 × 103U/ml
[ 12]に比較して好ましいものである 。 (50頁右欄10行ないし51

頁左欄2行)
イ 上記アの記載からすると,引用例3には,生理活性タンパク質であるヒ
ト IL-2 をコードする遺伝子とジヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)をコードする
遺伝子を発現可能な状態で有するプラスミドを,元来付着性であるチャイ
ニーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉酸還元酵素欠損株( CHO dhfr- )
細胞にあらかじめ形質転換して得られた形質転換細胞を用いて,当該形質
転換細胞から,浮遊培養によって,目的とする組換えヒト IL-2 を産生さ
せ,取得したことが記載されているものと認められる。そして,上記⑴イ
のとおり,浮遊培養は,通常攪拌されて行われるものと認められるから,
この点において,本件発明と引用例3発明との間に相違はないものと認め
られる。
ウ そうすると,本件発明と引用例3発明とは,本件発明には,生理活性タ
ンパク質を浮遊攪拌培養で生産する際に用いる形質転換細胞が ,「浮遊攪
拌培養を継代して行うことにより樹立された浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞」であることが規定されているのに対し,引用例3発明には ,「浮
遊攪拌培養を継代して行う」という「樹立」工程についての開示及び用い
た形質転換細胞が「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞」として樹立され
た細胞であることについての具体的開示がない点で相違し,その余の点で
一致するものと認められる。
エ 被告は,上記認定に反し,引用例3においては,本件明細書の実施例よ
り大量の培養スケールで,大量,持続的かつ無限の IL-2 産生を可能とす
る安定した形質転換細胞が取得されているのであるから,その前提として
浮遊攪拌培養に適した形質転換 CHO 細胞が樹立されていたことが明らか
であり,また,浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立するために,浮
遊攪拌培養を継代して行うことも当然のことであると主張する。
しかし,引用例3は,組換えプラスミドで形質転換された CHO 細胞株
により産生された組換えヒトインターロイキン2の特性を報告することを
目的とする文献であることが認められ(乙6 ),また,引用例3には,上
記ア( オ )の「無限の供給 」 「産生が持続的」との記載に対応する具体的な

記載はないのであるから,これらの記載は,実際に浮遊培養を行った結果
に基づく記述ではないものと認められ,引用例3には,組換えプラスミド
で形質転換された CHO 細胞株が浮遊培養でも一定の増殖性を示すことが
記載されているにとどまるというべきである。また,上記⑴エのとおり,
形質転換細胞は,浮遊攪拌培養に適した細胞を樹立した段階に至る前であ
っても,一定の増殖性を示すことからすれば,単に浮遊培養における増殖
性及び組換えヒトインターロイキン2の生産性を確認する程度であれば,
当該ヒトインターロイキン2の大量生産を念頭に置く場合と異なり,必ず
しも浮遊攪拌培養に適した細胞として樹立された細胞を用いる必要はな
い。そうすると,引用例3の記載をもって,上記⑴エのように,細かな実
験的試行錯誤が必要で,相当の時間と労力を要する「浮遊攪拌培養に適し
た形質転換細胞の樹立」工程を行った旨が記載されていると理解すること
は困難である。
したがって,被告の上記主張は,採用することができない。
⑷ 引用例4について
ア 引用例4(乙44,昭和62年(1987年)発行)には,次の記載が
ある。
「チャイニーズハムスター卵巣細胞( CHO)を用いた場合でも,たと
え,さきに述べた天然型 hG-CSF とまったく同様の精製工程を用いたとし
ても, CHO 細胞が 10mg 以上 /l という高発現株であるため,精製回収量は
10 倍以上も向上した 8)。現在著者らはこの CHO 細胞株をサスペンジョン
化し,低血清培地からきわめて高い回収率で r-hG-CSF を得ている。以上
述べてきたように,遺伝子工学を用いて hG-CSF の高発現株が得られ,大
腸菌,動物細胞のいずれにおいても大量培養,大量精製に成功しており,
純化 r-hG-CSF の入手が可能となった 。 (504頁右欄27行ないし50

5頁左欄4行)
イ 引用例4に参照文献8として引用された「第9回日本分子生物学会要旨
集 3A-39 」(乙45,昭和61年発行)には,次の記載がある。
「 SV40 初期プロモーター下流にシグナルペプチド領域を含む cDNA を
接続し,更にマウス DHFR 遺伝子を連結した発現プラスミドをリン酸カ
ルシウム法にて CHO 細胞( DHFR-)に形質転換した。表現型が DHFR+
となったクローンを選別し ,10nM の MTX 含有選択培地で培養 ,更に MTX
の濃度を 50nM, 100nM と順次上昇させて MTX 耐性細胞を得た 。 (4な

いし11行)
ウ 上記ア及びイの記載からすると ,引用例4にいう「 CHO 細胞 」は ,CHO
dhfr- 細胞を指すものと認められる。また,弁論の全趣旨によれば,引用
例4にいう「サスペンジョン化」とは,浮遊攪拌培養に供したことを指す
ものと認められる。そうすると,引用例4には,生理活性タンパク質であ
るヒト G-CSF をコードする遺伝子とジヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)をコ
ードする遺伝子を発現可能な状態で有するプラスミドを,元来付着性であ
るチャイニーズ・ハムスターオバリージヒドロ葉酸還元酵素欠損株( CHO
dhfr- )細胞にあらかじめ形質転換して得られた形質転換細胞を用いて,
浮遊攪拌培養により,低血清培地から,極めて高い回収率で,目的とする
組換えヒト G-CSF を取得したことが記載されているものと認められる。
エ そうすると,本件発明と引用例4発明とは,本件発明には,生理活性タ
ンパク質を浮遊攪拌培養で生産する際に用いる形質転換細胞が ,「浮遊攪
拌培養を継代して行うことにより樹立された浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞」であることが規定されているのに対し,引用例4発明には ,「浮
遊攪拌培養を継代して行う」という「樹立」工程についての開示及び用い
た形質転換細胞が「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞」として樹立され
た細胞であることについての具体的開示がない点で相違し,その余の点で
一致するものと認められる。
オ 被告は,上記認定に反し,引用例4の「 CHO 細胞株をサスペンジョン
化し,低血清培地からきわめて高い回収率で r-hG-CSF を得ている 。」と
の記載及び「以上述べてきたように,遺伝子工学を用いて hG-CSF の高発
現株が得られ,大腸菌,動物細胞のいずれにおいても大量培養,大量精製
に成功しており」との記載によれば,形質転換細胞である CHO 細胞株を
サスペンジョン化し,大量培養に成功しているのであるから,その前提と
して浮遊攪拌培養を継代して行うことにより,安定した CHO 細胞株の培
養に成功し,その結果として浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞を樹立し
たことは明らかであると主張する。
しかし ,引用例4の上記 ・・・動物細胞のいずれにおいても大量培養 ,

大量精製に成功しており」との記載は,引用例4の「マウス C127 細胞を用
いた場合 ,図 1-d に示したように ,1.2l の培養上清( 蛋白量として 600mg)
から,二段階という簡単な精製法で 7.9mg の純化 rhG-CSF が得られてい
る。」との記載を指すものと認められ,浮遊攪拌培養に供された形質転換
CHO 細胞から回収された r-hG-CSF についての記載であるとは認められな
い。また,上記⑴エのとおり,形質転換細胞は,浮遊攪拌培養に適した細
胞を樹立した段階に至る前であっても,一定の増殖性を示すことからすれ
ば,単に浮遊培養における増殖性及び組換えヒト G-CSF の生産性を確認
する程度であれば,当該 G-CSF の大量生産を念頭に置く場合と異なり,
必ずしも浮遊攪拌培養に適した細胞として樹立された細胞を用いる必要は
ない。そうすると,引用例4の記載をもって,上記⑴エのように,細かな
実験的試行錯誤が必要で,相当の時間と労力を要する「浮遊攪拌培養に適
した形質転換細胞の樹立」工程を行った旨が記載されていると理解するこ
とは困難である。
したがって,被告の上記主張は,採用することができない。
⑸ 小括
上記⑴ないし⑷によれば,本件発明と引用例1発明ないし引用例4発明と
は,本件発明には,生理活性タンパク質を浮遊攪拌培養で生産する際に用い
る形質転換細胞が ,「浮遊攪拌培養を継代して行うことにより樹立された浮
遊攪拌培養に適した形質転換細胞」であることが規定されているのに対し,
引用例1発明ないし引用例4発明には ,「浮遊攪拌培養を継代して行う」と
いう「樹立」工程についての開示及び用いた形質転換細胞が「浮遊攪拌培養
に適した形質転換細胞」として樹立された細胞であることについての具体的
開示がない点で相違し,両者が同一であるとはいえないから,本件発明が新
規性を欠くとはいえない。
3 争点⑶イ(進歩性の有無)について
次に,被告が主張する,本件発明についての進歩性欠如の有無について検討
する。
⑴ 引用例5について
ア 引用例5(乙2,昭和51年発行)には,次の記載がある。
(ア ) 「 動物の浮遊培養はマウスのリンパ芽球腫細胞を用いた Owen ら 1

953)の成功に始まる。続いて Earle およびその協同研究者(195
4)は振とう培養器を開いて L 細胞が浮遊培養に適していることを見
出し,その後本法は各種の継代培養された株細胞にも応用できることを
明らかにした。また roller tube 法によりサルの腎細胞の浮遊培養が証明
され( Graham ら,1955 ) McLimans ら(1957 a)は spinner

法による動物細胞の浮遊培養を確立した。同時に必要に応じては抗生物
質生産に使用するような発酵器( fermentor )による大きなスケールの
タンク培養( McLimans ら ,1957 b ; Ziegler ら ,1958; Rightsel
ら,1960 ),あるいは特別な装置を用いた培養液の自動交換による
一 定 条 件 下 の 長 期 間 培 養 が 可 能 で あ る こ と が 証 明 さ れ た ( Graff と
McCarty,1957; Cooper ら,1959; Cohen と Eagle,1961
; McCoy ら,1962; Peraino ら,1970 )。
われわれの研究室でも,1959年以来 HeLa S-3 細胞を主体とした
浮遊培養を実施,培養の保存と維持ばかりでなく各種の生化学的あるい
は分子生物学的実験に使用して多大の効果をあげているので( Mueller
ら,1962;梶原,1965;梶原,1970 ),われわれの培養方
法や条件あるいは注意事項を中心として,動物細胞の浮遊培養法につい
て述べる 。なおわれわれは本法で ,L,H.Ep.-2,BHK,Chinese Hamster
Ovary, Chinese Hamster Lung, L-5178Y,われわれの研究室で胎児ラ
ット肺から分離した ML-2(上皮細胞 ) ML-3(線維芽細胞)の諸細胞

も単層培養と同様な増殖能を示すことを認めている 。 (69頁14な

いし29行)
(イ ) 「 動物細胞の大きさと ,すでに in vitro の培養に成功した細胞でも ,
末梢血液細胞を除けばすべての細胞が相互に接触支持しあって集団を作
る傾向があることから,これらの細胞を液体培養液中に単細胞の形で浮
遊させながら増殖させるためには,なんらかの方法で培養液を攪拌し,
その沈下と凝集付着とを防止しなければならない。もし細胞がこの新条
件に適応できなければその浮遊培養は不可能である 。しかし多くの場合 ,
継代培養の確立された株細胞では,このような環境の変化に耐えて比較
的速かに新しい条件に適応するか,あるいは適応しうる細胞だけが選択
的に生き残り,安定した培養に発展して増殖を継続できるようになる。
したがって対数期にある発育旺盛な単層培養細胞を用い,トリプシンや
EDTA などの処理をなるべく短くし,かつ細胞相互の支持能力を利用す
るため,細胞濃度をできるだけ高くして培養を始めるのが,浮遊培養に
成功するコツである。少なくとも 5 × 104 個 /ml の濃度から開始するこ
とが望ましい。また浮遊培養開始後の数日は細胞数の増加よりその生死
に注目すべきである。
もし細胞が浮遊培養に適応しにくく,細胞の死亡率が増加するか,細
胞の凝集がひどく大きな細胞塊( clump)を作る傾向にある時には,健
全な細胞あるいは細胞塊を作りにくい細胞だけを選択して培養を更新す
べきである。そのためには細胞浮遊液を短時間単層培養に移し,細胞塊
の少ない生細胞だけが早期に培養瓶に付着するのを待って不用となった
培養液とともに好ましくない細胞を除去,残った細胞を機械的あるいは
酵素的に集め,新しい浮遊培養を始めればよい。 HeLa では3~4時間
の単層培養でこの目的を達することができる。この方法をくり返せば最
終的には浮遊培養に適応した細胞だけが残り,その目的を達成すること
ができる。この状態に達した細胞は,長い単層培養の後でもその性質を
変えず,浮遊培養にただちに移行できるのが普通である 。 (69頁3

1行ないし70頁14行)
イ 上記ア( イ )において,何らかの方法で培養液を攪拌し,その沈下と凝集
付着を防止しながら,動物細胞を「液体培養液中に単細胞の形で浮遊させ
ながら増殖させる 」培養とは ,浮遊攪拌培養を指すものと認められ ,また ,
細胞を浮遊培養し,その環境の変化に耐えて新しい条件に適応して生き残
った細胞を選択する方法を繰り返すこととは,浮遊攪拌培養を継代して行
うことを指すものと認められる。そして,上記ア( イ )において,最終的に
は浮遊培養に適応した細胞だけが選択的に生き残り,安定した培養に発展
して増殖を継続できるようになることとは,浮遊攪拌培養に適した形質転
換細胞の樹立を指すものと認められる。
ウ したがって,引用例5は,上記2において認定した,本件発明と引用例
1発明ないし引用例4発明との相違点である,生理活性タンパク質を浮遊
攪拌培養で生産する際に用いる形質転換細胞が ,「浮遊攪拌培養を継代し
て行うことにより樹立された浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞」である
ことを開示しているものと認められる。
⑵ 容易想到性について
そこで,次に,当業者が,本件発明を,上記2で認定した引用例1発明な
いし引用例3発明及び上記⑴で認定した引用例5発明に基づいて,容易に発
明をすることができたといえるか否かについて検討する。
ア 引用例2(乙5)には , IFN 産生は ,
「 ・・・約 106 細胞 /ml の浮遊培養
では 100,000units・ml-1 で安定に推移した 。 (上記2⑵ア(ウ ))との記載及

び「単層培養と浮遊培養の両方で 20,000 ~ 100,000units・ ml-1・day-1 でヒト
IFN-γを産生する幾つかのクローンが得られた 。 (上記2⑵ア( エ ))との

記載のとおり,浮遊培養下において,安定な増殖性と,単層培養での生産
性に匹敵する高いタンパク質産生能を示すいくつかのクローンが得られた
ことが記載されている。この記載は,上記2⑵エ( ア )のとおり,浮遊攪拌
培養に適した形質転換細胞の樹立を直接示す記載であるとはいえないが,
形質転換 CHO dhfr-細胞を用いた浮遊培養における組換えヒト IFN の大
量生産の可能性を強く示唆する記載である。
イ 引用例3(乙6)には ,「組換え IL-2 は ,・・・攪拌フラスコでの浮遊
培養により取得された 。 (上記2⑶ア(イ ))との記載 ,
」 「組換え IL-2 は,
通常 ,組換え CHO クローン 32 の 1 リットルの浮遊培養から精製された 。」
(上記2⑶ア( エ ))との記載及び「産生レベルは,ヒト末梢リンパ球の刺
激後に観察されるよりも少なくとも2桁高く, Jurkat[ 28 ]由来の高産生細
胞株よりも1桁高い 。・・・この研究で得られた 5 × 104U/ml までの IL-2
産生のレベルは ,これまでに報告されている形質転換 CHO 細胞における 2
× 102U/ml や,形質転換 L 細胞における 1.5 × 103U/ml[12]に比較して好
ましいものである 。 (上記2⑶ア( オ ))との記載のとおり,当該形質転換

細胞が,少なくとも 1l 程度の浮遊攪拌培養には十分耐えられ,他の形質
転換細胞での IL-2 産生量に匹敵する生産性を示したことが記載されてい
る。この記載は,上記2⑶エのとおり,浮遊攪拌培養に適した形質転換細
胞の樹立を直接示す記載であるとはいえないが ,「ヒト IL-2 を大量に生産
する CHO 株の単離は,この,ヒト天然 IL-2 に近いあるいは同一の構造を
有するリンフォカインの,ほぼ無限の供給を可能とする 。・・・ここに記
載された CHO 細胞株の利点は IL-2 の産生が持続的であり,刺激を必要と
しないことである 。 (上記2⑶ア( オ ))との記載とも相まって,形質転換

CHO dhfr-細胞を用いた浮遊培養における組換えヒト IL-2 の大量生産の可
能性を強く示唆する記載である。
ウ 引用例1(乙4)には ,「安定な形質転換体が ,・・・深いタンク型バ
イオリアクターで浮遊培養として維持された 。 (上記2⑴ア( イ ))との記

載のとおり,十分に浮遊攪拌培養に耐えられる形質転換細胞が得られたこ
とが記載されている。この記載は,上記2⑴エのとおり,浮遊攪拌培養に
適した形質転換細胞の樹立を直接示す記載であるとはいえないが,形質転
換 CHO dhfr-細胞を用いた浮遊培養における組換えヒト EPO の大量生産
の可能性を強く示唆する記載である。
エ 証拠(甲3,乙2)及び弁論の全趣旨によれば,引用例5は,昭和51
年に発行され,昭和59年までに第8版まで版を重ねた組織培養の分野で
広く読まれた基本的な文献であることが認められるから,引用例5の記載
は,本件優先権主張日前の動物細胞の組織培養技術についての技術常識を
示すものというべきである。
オ そして,引用例1ないし3に記載された前記示唆に基づいて,引用例2
に記載された「浮遊培養下において,安定な増殖性と,単層培養での生産
性に匹敵する高いタンパク質産生能を示すいくつかのクローン」 上記

ア),引用例3に記載された「少なくとも 1l 程度の浮遊攪拌培養には十分
耐えられ ,他の形質転換細胞での IL-2 産生量に匹敵する生産性を示した 」
細胞(上記イ)及び引用例1に記載された「十分に浮遊攪拌培養に耐えら
れる形質転換細胞 」(上記ウ)を,それぞれ,大量培養に耐えられる程度
の高い安定性を有する「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞」として樹立
された細胞としようとすることは,当業者にとって自然に想起し得ること
であり,また,その手法として,上記エのとおり従前から技術常識として
確立した一般的手法を用いることは,当業者が容易に想到し得るものであ
る。
カ したがって,本件発明は,引用例1発明ないし引用例3発明のいずれか
に対して,引用例5発明を組み合わせることにより,当業者が容易に発明
をすることができたものというべきである。
⑶ 原告の主張について
ア 引用例5について
(ア ) 原告は,引用例5が発行された昭和51年当時には,動物細胞に遺
伝子工学を適用してタンパク質の大量生産を行う研究はまだ存在してお
らず, CHO dhfr- 細胞もまだ存在していなかったことを指摘し, CHO
dhfr- 細胞を用いたタンパク質の生産に引用例5発明を組み合わせるこ
とは困難である旨主張する。
しかし,引用例5の上記⑴ア( イ )の記載は ,「末梢血液細胞を除けば
すべての細胞が相互に接触支持しあって集団を作る傾向があることか
ら,これらの細胞を液体培養液中に単細胞の形で浮遊させながら増殖さ
せるには,なんらかの方法で培養液を攪拌し,その沈下と凝集付着とを
防止しなければならない 。」として,末梢血液細胞を除く通常の動物細
胞一般を念頭に置いた上で ,「もし細胞がこの新条件に適応できなけれ
ばその浮遊培養が不可能である」として,浮遊培養が不可能な細胞も存
在することを指摘しながら ,「しかし多くの場合,継代培養の確立され
た株細胞では,このような環境の変化に耐えて比較的速かに新しい条件
に適応するか,あるいは適応しうる細胞だけが選択的に生き残り,安定
した培養に発展して増殖を継続できるようになる」として,継代培養の
確立された株細胞では,多くの場合,浮遊攪拌培養に適した細胞を樹立
することができる旨を指摘しているものである。
このように,引用例5においては,末梢血液細胞を除く通常の動物細
胞一般を念頭に置いた記載がされていることからすれば,引用例5自体
が,遺伝子組換えを行った動物細胞を念頭に置いていなかったとしても ,
形質転換された CHO dhfr-細胞も ,動物細胞に由来する細胞である以上 ,
引用例1ないし3に記載された細胞を,前記の示唆に基づき,浮遊攪拌
培養に適した形質転換細胞として樹立された細胞としようとする当業者
が,基本的文献である引用例5に記載された従前からの一般的手法を用
いることは,容易であるというべきであり,原告の上記主張は,採用す
ることができない。
(イ ) また,原告は,甲43鑑定書を挙げて,引用例5は少数の成功例を
記載したにすぎないと主張する。そして,甲43鑑定書には,引用例5
の理解について ,「付着細胞を浮遊細胞に変換する方法が記述されてい
るが,ごく一部の成功例の話と捉えることが妥当であろう 。」との記載
があり ,その根拠としては , 浮遊化が成功した研究例は報告されるが ,

失敗した例は報告されない。成功例からだけ研究の状況を推し量るのは
事実と隔たるということは研究全般でいえることである 。」との記載が
ある。
しかし,引用例5には,上記⑴ア( ア )のとおり,既に,15年以上に
わたり,動物細胞の浮遊培養に関する多数の成功例が,種々の細胞及び
条件で報告されていることが記載されており,引用例5の筆者自身も,
10年以上にわたり,動物細胞の浮遊培養を,現実に種々の細胞で行っ
ていることが記載されているのであり,ごく一部の成功例を紹介したも
のにすぎないと理解することが合理的であるとはいい難い。また,上記
のように ,「浮遊化が成功した研究例は報告されるが,失敗した例は報
告されない」ことを前提としたとしても,引用例5が,上記⑵エのとお
り,組織培養の分野で広く読まれた基本的な文献であることにかんがみ
れば,引用例5の上記⑴ア( イ )の記載を読んだ当業者が,ごく一部の成
功例について,あたかも一般的な手法であるかのように紹介したものに
すぎないと理解するとは考えられない。仮に,引用例5がごく一部の成
功例を紹介したものにすぎないと理解されるとしても,引用例5には,
動物細胞の浮遊培養に関する成功例として,ジヒドロ葉酸還元酵素
( dhfr)を有する通常の CHO 細胞が示されているのであるから,当業
者は ,当該成功例に基づく積極的示唆により ,形質転換された CHO dhfr-
細胞に引用例5に記載された手法を用いようと容易に想起し得るものと
いうべきである。したがって,原告の上記主張は,採用することができ
ない。
(ウ ) さらに,原告は,引用例5の記載について,工業的生産において必
要とされるような,浮遊攪拌培養における増殖性等の性質の安定性まで
考慮して記載されたものではないと主張し,また,引用例5には,付着
性の組換え CHO dhfr-細胞を浮遊化させても,導入された遺伝子が安定
に細胞中に保持,再現され,目的タンパク質が安定に生産されることは
示唆されていないから,引用例5発明と引用例1発明ないし引用例3発
明を組み合わせても,目的タンパク質の大量かつ安定的な生産という効
果は予想できなかったと主張する。
しかし,引用例5には,上記⑴のとおり,浮遊攪拌培養に適応した細
胞が選択的に生き残り,安定した培養に発展して増殖を継続できる旨の
記載があるから,浮遊攪拌培養における増殖性等の性質の安定性につい
ての記載があるというべきである。また,引用例5には,付着性の組換
え CHO dhfr-細胞を浮遊化させた場合に,目的タンパク質が安定に生産
されることは記載されていないが ,引用例2及び3には ,浮遊培養下で ,
組換え CHO dhfr-細胞が高いタンパク質産生能を示したことが記載され
ており,引用例1にも,浮遊培養下で,安定な形質転換体が維持された
ことが記載されているから,これらの引用例と組み合わせるべき引用例
5に原告が指摘するような記載がなくとも,上記⑵の判断を左右するも
のではない 。したがって ,原告の上記主張は ,採用することができない 。
イ 甲28の1文献について
原告は,甲28の1文献の「浮遊培養法で細胞が増殖できるようになる
かは細胞株( cell lines)によって大きく異なる 。 (73頁6ないし7行)

との記載を根拠に,たとえ継代培養の確立された株細胞であっても,浮遊
化できるか否かについては,専門家の意見も分かれるところであったと主
張する。
しかし,甲28の1文献の上記記載は,引用例5の記載と矛盾するもの
ではないし,甲28の1文献は,いかなる細胞が浮遊培養で増殖できるか
に関し ,「いくつかの細胞,とくに血球系由来の細胞は浮遊培養でよく増
殖する。その他にも順化や選択により浮遊培養が可能になる例がある。し
かし,一方ヒト二倍体細胞株( WI-38, MRC-5)は,浮遊させた状態では
全く培養できない 。 (72頁7行ないし73頁1行)と記載しており,

浮遊化ができない細胞としては,ヒト二倍体細胞株を挙げるのみである。
そもそも,継代培養により浮遊化することが困難な細胞株が一部にあると
しても,そのことにより,当業者が,引用例5に記載された従前からの一
般的手法を用いることを断念するものでないことは明らかである。
したがって,原告が指摘する甲28の1文献の上記記載は,上記⑵の判
断を左右するものではなく,上記主張は採用できない。
ウ 甲28の2文献について
原告は,甲28の2文献の「単層培養の系に adapt している細胞を浮遊
培養の系に移し,長期間維持することは通常とても困難なことであり,ま
れに成功しても細胞の増殖度は余り良くない 。 (291頁左欄27行な

いし右欄1行)との記載を根拠に,1980年代の専門家の見解は,付着
性細胞を浮遊化することは一般に困難である,というものであったと主張
する。
しかし,甲28の2文献は,導入部分において ,「細胞の大量培養につ
いては,近年いくつかの報告がなされているが,大量培養法には大きく分
けて単層培養法と浮遊培養法とがある。ここでは主として現在筆者らが実
際に試みているところの,ヒト由来細胞を用いての大量浮遊培養法につい
て述べることにする 。 (291頁左欄10ないし15行)と記載されて

いるとおり,主としてヒト由来細胞に関する記述であるから,これに接し
た当業者が,動物由来細胞全般について,引用例5に記載された従前から
の一般的手法を用いることができないと認識するものとは認められない。
したがって,原告が指摘する甲28の2文献の上記記載は,上記⑵の判
断を左右するものではなく,上記主張は採用できない。
エ 浮遊化に際しての導入遺伝子の安定性について
原告は,浮遊化に際して,導入遺伝子に変化が生じ,目的とする生理活
性タンパク質の生産性が変化する可能性を指摘し,浮遊攪拌培養に適合す
る遺伝子の状態に到達した細胞においても組換えタンパク質生産の安定性
を獲得し得ることは,公知技術からは予測不可能であると主張する。
しかし,上記ア( ウ )のとおり,引用例2及び3には,浮遊培養下で,組
換え CHO dhfr- 細胞が高いタンパク質産生能を示したことが記載されてお
り,引用例1にも,浮遊培養下で,安定な形質転換体が維持されたことが
記載されているから ,当業者は ,引用例1ないし3に基づいて ,CHO dhfr-
細胞に導入した遺伝子(のタンパク質生産の安定性)が浮遊化に際しても
維持されていることを理解することができる。そうすると,これを更に進
めて ,「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞」として樹立された細胞とし
た場合においても, CHO dhfr- 細胞に導入した遺伝子のタンパク質生産の
安定性が維持されているのではないかと推測することは,当業者にとって
容易であるというべきである。
なお,当業者において,浮遊化に際しての導入遺伝子の変化を危惧し,
目的とする生理活性タンパク質の生産の安定性が獲得されるかどうかに疑
問を持つことがあったとしても,そのことは,上記結論を左右するもので
はない。なぜなら,仮に,導入遺伝子の変化が危惧され,目的とする生理
活性タンパク質が安定的に生産されるかどうかに疑問があったとしても,
引用例1ないし3に記載された細胞を,前記示唆に基づき,更に発展させ
て,「浮遊攪拌培養に適した形質転換細胞」として樹立された細胞としよ
うと考えること自体は,当業者にとって自然なことであり,その手段とし
ても,まず,引用例5に記載された従前から確立した一般的手法を用い,
導入遺伝子の変化の問題がどの程度影響を及ぼすかを検討することも,当
業者にとって自然なことであると考えられるからである。したがって,原
告の上記主張は,採用することができない。
オ 甲20文献について
原告は,甲20文献の「組換え C127 細胞および CHO 細胞は,いずれ
も接着依存性の細胞で浮遊化はできない 。 (20頁左欄16ないし17

行)との記載を指摘し,本件優先権主張日において,組換え CHO dhfr- 細
胞は浮遊化できないと考えられていたと主張する。
しかし,甲20文献は,マイクロキャリア法を用いた組換え C127 細胞
及び CHO 細胞によるタンパク質の生産に関する文献であり,浮遊化に関
しては,上記のとおり ,「浮遊化はできない 。」との記載があるのみであ
って,その根拠は全く記載されていない。
そうすると,甲20文献の上記記載は,引用例1ないし3及び5の前記
記載など多数の公知文献の見解と反するものであり,その根拠も示されて
いないから,引用例1発明ないし引用例3発明と引用例5発明とを組み合
わせて本件発明に想到することを阻害するに足るものではなく,原告の上
記主張は,採用することができない。
カ 甲46意見書について
原告は,甲46意見書に,P10博士の経験として, CHO dhfr-細胞は
付着性が強く,大量生産には向かないと判断したとの記載があることを指
摘する。
原告が指摘するように,甲46意見書には ,「小型のスピナーフラスコ
を使用して CHO dhfr- 株が浮遊培養できるかどうかを試したことがありま
すが,培養時間の経過とともに細胞凝集塊を生じて浮遊し,また,フラス
コ壁面にも付着して増殖するために,均質な培養は難しく,バイオ医薬品
の製造に必要なマスターセルバンクやワーキングセルバンクの作成にあた
り,細胞のクローン化操作を経て均質なセルバンクを作成するにも不利で
あると判断して,その先の検討は行いませんでした。このような細胞にエ
リスロポエチン遺伝子を導入し,浮遊攪拌培養で高密度に細胞を培養して
エリスロポエチンを安定して大量生産することは考えにくいことでした 。」
との記載がある。
しかし,引用例5は,上記⑴ア( イ )のとおり,動物細胞の浮遊培養に際
し,細胞の凝集がひどく細胞塊を作る傾向がある場合があることを指摘し
た上で,その場合の解決策も開示しているのであるから,甲46意見書の
ように付着性の細胞である旨の記載は,引用例1発明ないし引用例3発明
と引用例5発明とを組み合わせて本件発明に想到することの阻害要因とな
るものではなく,原告の上記主張は採用できない(なお,P10博士が,
医薬品の製造のために必要なセル・バンクのための均質性の確保が困難で
あると判断して,浮遊攪拌培養を用いることを検討しなかったとしても,
医薬品の製造のために必要なセル・バンクのための均質性の確保は,本件
発明の技術的課題ではないから,本件発明の進歩性の判断には影響しな
い。 。

キ 甲17文献及び甲18文献について
原告は,キリン-アムジェン社が浮遊攪拌培養法を採用せず,ローラー
ボトル法を採用して EPO の大量生産を行った旨の甲17文献及び甲18
文献の記載を指摘し,キリン-アムジェン社は,組換え CHO dhfr-細胞を
浮遊攪拌培養する可能性を見出していなかったと主張する。
たしかに ,甲18文献には , 容量の大きいタンク培養は効率がよいが ,

スケールアップに伴い,製造条件の再検討が必要となる。微量で効果を発
揮する一方,生産スピードが求められる医薬品の製造(治験でも相当量の
供給が必要になった)では,培地,攪拌,精製などで実験室レベルの条件
をそのまま移行できるローラーボトルをシステムとして高度に自動化する
方が得策と,キリンは判断した 。」との記載があり,医薬品の製造を念頭
に置く場合,キリン-アムジェン社が,このように製造条件の再検討が必
要となる浮遊攪拌培養法を回避し,実験室レベルの条件をそのまま移行で
きるローラーボトル法を採用したことは,当業者の選択し得る対応の一つ
であるといえる。他方,引用例5に接した当業者が,動物細胞を安定して
継続的に増殖させるために,そこに記載された浮遊攪拌培養を継代して行
うという一般的手法を用いることも ,容易に選択し得る対応の一つであり ,
本件発明のように,医薬品の製造をその直接の目的としない場合には,よ
り一層容易に試みるものであるといわなければならない。
したがって,甲17文献及び甲18文献の記載が上記⑵の判断を左右す
るものではなく,原告の上記主張は,採用できない。
⑷ 上記⑴ないし⑶のとおり,本件発明は,引用例1発明ないし引用例3発明
のいずれかに対して,引用例5を組み合わせることにより,当業者が容易に
発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定に違反して特
許されたものであるから,同法123条1項2号の規定に基づき,特許無効
審判により無効にされるべきものである。
4 まとめ
上記1のとおり,被告は,被告方法について,特許法79条所定の先使用に
よる通常実施権を有するから,被告による被告方法の使用が本件特許権の侵害
に当たることを理由とする本件損害賠償請求は,理由がない。また,上記3の
とおり,本件特許(請求項1に係る部分に限る 。)は,同法123条1項2号
の規定に基づき,特許無効審判により無効にされるべきものであるから,原告
は,同法104条の3第1項の規定により,被告に対し,本件特許権を行使す
ることができない。
第4 結論
以上によれば,原告の本訴請求は,その余の点を判断するまでもなく,理由
がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第29部
裁判長裁判官 清 水 節
裁判官 山 田 真 紀
裁判官 東 崎 賢 治
被 告 方 法 1 説 明 書
1 被告方法1
被告方法1は,平成2年1月23日付けで厚生大臣の製造承認を受けた EPO
の製造方法である 。なお ,後記2の被告方法1の概要のうち ,後記2⑴エの MCB
及び MWCB の確立の工程までは,昭和59年5月から昭和60年12月までの
間に GI 社によって行われ,昭和61年2月に当該 MCB 及び MWCB が被告に移
転され,それ以後の工程は被告が行った。
2 被告方法1の概要
⑴ 種細胞株 CHO DN2-3 α 3 の樹立
ア 挿入 EPO-cDNA の調製
再生不良性貧血患者の尿からヒト EPO を単離精製し,そのアミノ酸配列
を決定した。次いで,その情報をもとにヒトゲノム DNA ライブラリーから
EPO-gDNA を,続いてヒト胎児肝細胞 cDNA ライブラリーから EPO-cDNA
を ク ロ ー ニ ン グ し た 。 こ の cDNA か ら , 発 現 ベ ク タ ー に 組 み 込 む 挿 入
EPO-cDNA を作製した。
イ 発現ベクター DN2-3 の作製
哺乳動物細胞用発現ベクターとして設計されたプラスミド pRK1-4 に,前
述の挿入 EPO-cDNA を組み込んで,発現ベクター DN2-3 を作製した。
ウ 種細胞株 CHO DN2-3 α 3 の樹立
発現ベクター DN2-3 を,チャイニーズハムスター卵巣( CHO)細胞のジ
ヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)欠損 DUK XB11 株に導入して,同細胞株を形質
転 換 し た 。 次 い で , メ ト ト レ キ セ ー ト ( MTX) 濃 度 を 段 階 的 に 上 げ て ,
EPO-cDNA と dhfr-cDNA を遺伝子増幅させ,その中から高い EPO 生産能を
有する細胞を1つ選択分離し,これを増殖して種細胞株 CHO DN2-3 α 3 を
得た(同細胞株は1個の細胞から増殖した同じ遺伝子構造を持つ細胞からな
ることを確認している 。 。

エ MCB 及び MWCB の確立
種細胞株 CHO DN2-3 α 3 をまず馴化用培地で29日間浮遊培養し,その
後生産用培地で順次スケールを上げて浮遊培養し, 4l のスケールで培養して
得られた細胞を遠心分離により集めた。次いで,この細胞を,凍結保存用培
地に再懸濁させ,これを凍結用バイアルに 1ml ずつ分注して200本のバ
イアルに入ったマスター・セル・バンク( MCB)を作成した( MCB の作成
は,昭和60年12月4日である 。 。

MCB の細胞については,形態学的特性,増殖特性,細胞遺伝学的特性,
核型,アイソザイム,造腫瘍性及び EPO 生産能の特性を調べるとともに,
無菌性試験など多くの試験を行って安全性を確認した。
続いて,作製された MCB のうち,1本のバイアルの細胞を解凍して,上
記生産用培地で順次スケールを上げながら浮遊培養し, 4l のスケールで培養
して得られた細胞を遠心分離により集めた。次いで,この細胞を,凍結保存
用培地に再懸濁させ,これを凍結用バイアルに 1ml ずつ分注して200本
のマスター・ワーキング・セル・バンク( MWCB)を得た。 MWCB の細胞
についても, MCB と同じ特性及び安全性の確認を行った。
オ MCB 及び MWCB の保管及び管理
MCB 及び MWCB は,液体窒素中に保管・管理された。保管中の MCB に
ついては5年を期限として,また, MWCB については2年を期限として,
定期的に,増殖特性,細胞遺伝学的特性, EPO-cDNA の安定性及び EPO 生
産能の生物学的特性を調べ,安定性を確認している。
⑵ 培養工程
EPO を生産する必要に応じて, MWCB のバイアル中の細胞を解凍し,これ
を培養して EPO が製造される。この培養においては,生産用培地を用い,バ
ッチ・リフィード法により,細胞をまずスピナーフラスコ中で順次スケールア
ップしながら培養し,最終的に所定の大きさの培養タンクで連続培養を行う。
なお ,EPO 生産のための細胞の連続培養期間は ,120日までとなっており ,
MCB 及び MWCB の細胞は,120日の連続培養期間中は,上記特性が安定し
ていることが確認されている。
⑶ 精製工程
4段階のカラムクロマトグラフィーによって,細胞由来,培養工程由来及び
精製工程由来の不純物を分離除去し, EPO を精製する。
3 MCB 及び MWCB の確立の工程の詳細
⑴ 高い EPO 産生能を有する細胞を選択して細胞株 CHO DN2-3 α 3 を得るま
での工程(上記2⑴ウ)は,プラスチックの培養皿/フラスコで行われ,得ら
れた細胞株は,ウシ胎仔血清を 10 %含む培地で付着培養された。その後,種
細胞株 CHO DN2-3 α 3 を,馴化用培地で安定的に浮遊培養できるように馴化
させ,次いで,生産用培地で安定的に増殖できるように馴化させ, MCB を作
製した。
この工程において用いられた3種類の培地は,次のとおりである。なお,い
ずれの培地にも核酸は含有されていない。
① 馴化用培地( 10 %ウシ胎仔血清を含む 。)
② 生産用培地( 1 %ウシ胎仔血清を含む 。)
③ 凍結保存用培地
⑵ MCB 及び MWCB の確立までのプロセス
ア 付着培養された細胞のトリプシン処理
付着培養されていた CHO DN2-3 α 3 の細胞に ,昭和60年10月17日 ,
トリプシン処理を行い,細胞を容器の器壁からはがして,馴化用培地で浮遊
培養を開始した。
イ 細胞の浮遊培養への馴化
細胞の浮遊培養では,2ないし4日ごとに細胞浮遊液の一部を除去し,等
量の新鮮な培地と置換する操作を行った。
その後の培養の過程における細胞密度,細胞の生存率,倍加時間(世代時
間)は,別紙培養経過図1のとおりである。細胞が生長しにくくなったとき
には ,遠心分離によって細胞を培地から回収し ,新鮮な培地に再懸濁した 別

紙培養経過図1の )。

ウ 生産用培地への移行
浮遊培養開始から29日目には ,細胞の生存率が約 99 % ,倍加時間が約 24
時間,最終細胞密度が 5 × 105 細胞 /ml となり,細胞が安定的に増殖できる
ように馴化した。
そこで,生産用培地での培養に移行した。細胞は,当初,ほとんど生長し
ないが,やがて回復し,生長を開始し,浮遊培養開始から36日目には倍加
時間が 50 時間に,浮遊培養開始から46日目には倍加時間が 24 時間になっ
た。
エ マスター・セル・バンク( MCB )の作製及び保存
浮遊培養開始から36日目ないし46日目に徐々に培地容量を増しながら
培養し,培地容量が 4l スケール,細胞の生存率 98 %,細胞密度が 5 × 105
細胞 /ml となった段階で,細胞を遠心分離して集め,凍結保存用培地に再懸
濁した。これを凍結用バイアルに 1ml ずつ200本に分け,緩やかに -70 ℃
で凍結した。凍結バイアルを液体窒素中に移し, MCB として保存した。
オ マスター・ワーキング・セル・バンク( MWCB)の調製及び保存
凍結 MCB の1バイアルを解凍し,新鮮な生産用培地に懸濁した。当初の
浮遊培養開始から50日目ないし60日目に徐々に培地容量を増しながら培
養し,培地容量が 4l スケール,細胞の生存率 98 %,細胞密度が 5 × 105 細
胞 /ml となった段階で,細胞を遠心分離して集め,凍結保存用培地に再懸濁
した。これを凍結用バイアルに 1ml ずつ200本に分け,緩やかに -70 ℃で
凍結した。凍結バイアルを液体窒素中に移し, MWCB として保存した(昭
和60年12月18日に調製を終えて保存した 。 。

被 告 方 法 2 説 明 書
1 被告方法2
被告方法2は ,平成3年10月4日付けで厚生大臣の製造承認を受けた G-CSF
の製造方法である 。なお ,後記2の被告方法2の概要のうち ,後記2⑴エの MCB
及び MWCB の確立の工程までは昭和58年2月から昭和62年2月までの間に
被告によって行われ,その後の工程も,被告が保管している MCB 及び MWCB
を用いて必要に応じて行い, G-CSF を製造している。
2 被告方法2の概要
⑴ 種細胞株 CHO 細胞 657 株の樹立
ア 挿入 G-CSF cDNA の調製
G-CSF 産生細胞株 CHU-2 の培養ろ液によりヒト G-CSF を精製し,その部
分アミノ酸配列を決定した。次いで,その情報をもとに, CHU-2 細胞から
調製した cDNA ライブラリーから G-CSF cDNA をクローニングした。この
cDNA から,発現ベクターに組み込む挿入 G-CSF cDNA を作製した。
イ 発現ベクター pV3DR1 の作製
プラスミド pDKCR に G-CSF cDNA 断片を組み込み ,さらに ,dhfr の cDNA
を含む DNA 断片を組み込んで,発現ベクター pV3DR1 を作製した。
ウ 種細胞株 CHO 細胞 657 株の樹立
発現ベクター pV3DR1 を,チャイニーズハムスター卵巣( CHO)細胞の
ジヒドロ葉酸還元酵素( dhfr)欠損 DXB11 株に導入して,同細胞株を形質
転換した 。次いで ,メトトレキセート( MTX)濃度を段階的に上げて ,G-CSF
cDNA 及び dhfr-cDNA を遺伝子増幅させ,その中から高い G-CSF 生産能を
有する細胞を 1 つ選択分離し,これを増殖して種細胞株 CHO 細胞 657 株を
得た( 657」はこの時選択分離された 1 つの細胞に付した名称である 。 。
「 )
エ MCB 及び MWCB の確立
種細胞株 CHO 細胞 657 株を,まず馴化用培地で3日ごとに18日間浮遊
培養し,いったん凍結した。解凍後,5日間の付着培養の後,6日間浮遊培
養し,その後,生産用培地で順次スケールを上げて浮遊培養し,最終的に 8 l
のスピナーフラスコで培養を行った。その後, 40l の培養タンクに移転し,
生産用培地で培養して得られた細胞を培地から遠心分離して集めた 。次いで ,
この細胞を,凍結保存用培地に再懸濁させ,これを凍結用バイアルに 1ml
ずつ分注し,87本のバイアルに入ったマスター・セル・バンク( MCB)
を作成した( MCB の作成日は,昭和62年1月23日である 。 。

MCB の細胞については,形態学的特性,増殖特性,細胞遺伝学的特性,
核型 ,アイソザイム ,造腫瘍性及び G-CSF 生産能の特性を調べるとともに ,
無菌性試験など多くの試験を行って安全性を確認した。
続いて,作製された3本のバイアルの細胞を解凍して,上記生産用培地で
順次スケールを上げながら浮遊培養し, 8l のスピナーフラスコで培養して得
られた細胞を遠心分離により集めた。次いで,この細胞を,凍結保存用培地
に再懸濁させ,これを凍結用バイアルに 1ml ずつ分注して100本のマス
ター・ワーキング・セル・バンク( MWCB)を得た。 MWCB の細胞につい
ても, MCB と同じ特性及び安全性の確認を行った。
オ MCB 及び MWCB の保管及び管理
MCB 及び MWCB は,液体窒素中に保管・管理された。保管中の MCB に
ついては5年を期限として, MWCB については3年を期限として,定期的
に,形態的特徴,増殖特性,細胞遺伝学的特性, G-CSF cDNA の安定性及び
G-CSF 生産能の生物学的特性を調べ,安定性を確認している。
⑵ 培養工程
G-CSF を生産する必要に応じて, MWCB のバイアル中の細胞を解凍し,こ
れを培養して G-CSF が製造される 。この培養においては ,生産用培地を用い ,
バッチ・リフィード法により,細胞をまずスピナーフラスコ中で順次スケール
アップしながら培養し ,最終的に所定の大きさの培養タンクで連続培養を行う 。
なお, G-CSF 原液生産のための細胞の連続培養期間は120日までとなって
おり, MCB 及び MWCB の細胞は,120日の連続培養期間中は,上記特性が
安定していることが確認されている。
⑶ 精製工程
4段階のカラムクロマトグラフィーによって,細胞由来,培養工程由来及び
精製工程由来の不純物を分離除去し, G-CSF を精製する。
3 MCB 及び MWCB の確立の工程の詳細
⑴ 高 い G-CSF 産生能を有する1個の細胞を選択し,これを増殖して細胞株
CHO 細胞 657 株を得る工程(上記2⑴ウ)では,選択された細胞を34日間
付着培養した後,18日間浮遊培養し,得られた細胞株をいったん凍結保存し
た。その後,凍結保存していた CHO 細胞 657 株を解凍し,馴化用培地で安定
的に浮遊培養できるように馴化させ,次いで,生産用培地で安定的に増殖でき
るように馴化させ, MCB を作製した。
この工程において用いられた5種類の培地は,次のとおりである。なお,い
ずれの培地にも核酸は含有されていない。
① 馴化用培地⑴( 10 %ウシ胎仔血清を含む 。)
② 付着培養用培地
③ 馴化用培地⑵( 10 %ウシ胎仔血清を含む 。)
④ 生産用培地( 1 %ウシ胎仔血清を含む 。)
⑤ 凍結保存用培地
⑵ MCB 及び MWCB の確立までのプロセス
ア 細胞の浮遊培養への馴化
CHO 細胞 657 株を,34日間付着培養した後,上記⑴①の馴化用培地⑴
を用いて3日ごとに18日間の浮遊培養を行い,昭和61年11月10日に
-80 ℃で凍結保存した。
イ 凍結保存された 657 細胞株の解凍・培養
昭和61年11月17日, CHO 細胞 657 株を解凍し, 9cm 径プレートで
5日間付着培養した。
ウ 細胞の浮遊培養への馴化
昭和61年11月22日から6日間 ,上記⑴③の馴化用培地を用い ,100ml
スピナーフラスコで浮遊培養し,細胞が安定的に浮遊培養できるように馴化
した。
エ 生産用培地への移行
昭和61年11月28日,生産用培地を用いた浮遊培養を開始し,同日か
ら47日間,培養液量を徐々に上げながら,最終的に 8l スピナーフラスコ
で培養を行った。昭和62年1月14日, 40l 培養タンクに移植し,9日間
培養を行った。
「 657」株の47日間のスピナーフラスコでの培養経過は,別紙培養経過
図2のとおりであり , 657」株の9日間の 40l 培養タンクでの培養経過は,

別紙培養経過図3のとおりである。
オ マスター・セル・バンク( MCB )の作製及び保存
40l 培養タンクでの9日間の培養の後 ,増殖が順調であることを確かめて ,
培養液 3l( 5.3 × 105 細胞 /ml,生存率 92.3 %)を培養タンクから回収した。
細胞を遠心分離して集め,凍結保存用培地に再懸濁した。これを凍結用バイ
アルに 1ml ずつ87本に分け( 1.7 × 107 細胞 /本,生存率 95.5 % ) -80 ℃で

凍結した。凍結バイアルを液体窒素中に移し, MCB として保存した( MCB
の作製は,昭和62年1月23日 )。
カ マスター・ワーキング・セル・バンク( MWCB)の調製及び保存
3本の凍結 MCB を作製の4日後に解凍し, 100ml スピナーフラスコで培
養を開始した。生存率は,解凍直後は 65 %まで低下したが,継代を経て 90
%以上が確保され ,培養開始から16日目に 8l スピナーフラスコ2本から 7l
の細胞培養液を得た。細胞を細胞培養液から遠心分離して集め,凍結保存用
培地に再懸濁した。これを凍結用バイアルに 1ml ずつ100本に分け, -80
℃で凍結した。凍結バイアルを液体窒素中に移し, MWCB として保存した
( MWCB 作製は,昭和62年2月12日 )。

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