平成14(ネ)675民事訴訟 特許権
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裁判所 |
東京高等裁判所
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裁判年月日 |
平成14年10月10日 |
事件種別 |
民事 |
法令 |
特許権
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キーワード |
特許権16回 優先権15回 実施5回 差止3回 侵害1回
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主文 |
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事件の概要 |
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判決文
平成14年(ネ)第675号 特許権侵害差止請求控訴事件(原審・東京地方裁判
所平成11年(ワ)第15238号)
平成14年7月9日口頭弁論終結
判 決
控訴人(原告) アンティキャンサー インコーポレイテッド
訴訟代理人弁護士 花 岡 巖
同 新 保 克 芳
同 星 野 隆 宏
補佐人弁理士 大 屋 憲 一
同 松任谷 優 子
被控訴人(被告) 国
指定代理人 森 脇 江津子
同 下 岡 守 彦
同 今 野 弘 之
同 田 中 達 郎
同 馬 場 祐次朗
同 山 本 良 夫
同 鈴 木 康 正
同 高 井 修 逸
被控訴人(被告) 武田薬品工業株式会社
訴訟代理人弁護士 品 川 澄 雄
同 吉 利 靖 雄
被控訴人(被告) 大鵬薬品工業株式会社
訴訟代理人弁護士 松 尾 翼
同 森 島 庸 介
同 西 村 光 治
同 奥 野 泰 久
同 内 田 公 志
同 奈良橋 美 香
被控訴人(被告) 日本新薬株式会社
訴訟代理人弁護士 石 川 正
同 平 野 惠 稔
同 魚 住 泰 宏
主 文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定め
る。
事 実 及 び 理 由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
原判決を取り消す。
被控訴人国は,浜松医科大学等の国立大学又は国の施設において,原判決別
紙目録記載の実験動物を使用してはならない。
被控訴人大鵬薬品工業株式会社は,原判決別紙目録記載の実験動物を使用し
てはならず,また同動物を使用して行われる実験に対し,試料を供給してはならな
い。
被控訴人武田薬品工業株式会社及び同日本新薬株式会社は,原判決別紙目録
記載の実験動物を使用して行われる実験に対し,試料を供給してはならない。
訴訟費用は,第一,二審とも被控訴人らの負担とする。
仮執行宣言
2 被控訴人ら
主文1,2項と同旨
仮執行免脱宣言(被控訴人国)
第2 事案の概要
本判決においても,原判決の用語例に従い又は準じて,「本件特許権」,「本件
特許発明」,「本件動物」,「本件明細書」,「構成要件②」,「被控訴人製薬会
社3社」,「被告マウス」などという。
1 本件は,実験動物に関する本件特許権を有する控訴人が,「被控訴人国が国
立浜松医科大学において行った実験で使用した被告マウスは,本件特許発明の技術
的範囲に属するものであり,上記実験は,被控訴人国において,被控訴人製薬会社
3社からそれぞれ委託を受けて実験を行ったものであって,この3社の行為は,被
控訴人国の行為と同視することができ,被控訴人国と共同不法行為になるものであ
る。」旨を主張して,被控訴人国及び被控訴人大鵬薬品株式会社に対して被告マウ
スの使用の差止めを,被控訴人製薬会社3社に対して被告マウスを使用して行われ
る実験に対し試料を供給することの差止めをそれぞれ求めた事案である。
この請求に対し,原判決は,被告マウスが本件特許発明の構成要件②「前記動物
が前記動物の相当する器官中へ移植された脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織
塊を有し,」を充足しないとして,控訴人の請求をいずれも棄却した。
そこで,控訴人から本件控訴の提起がされたものである。
2 当事者の主張は,次の3及び4のとおり,当審における当事者の主張の要点
を付加するほか,原判決の「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」及び「第3
争点に関する当事者の主張」のとおりであるから,これを引用する。
3 当審における控訴人の主張の要点(控訴理由の要点)
構成要件②にいう「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」に継代したものを含まな
いとした原判決は,誤っており,取り消されなければならない。被告マウスにおい
ても,腫瘍細胞は周辺の他の腫瘍細胞や間質組織,細胞外マトリックス成分等を伴
った塊として同所移植されているから,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有
しているのである。
(1) 本件特許発明の本質
(1-1) 本件特許発明の特徴は,ヒト腫瘍組織を細胞単位で同所移植した場合
に比べて,塊として同所移植すると,移植された腫瘍組織が飛躍的に「転移」する
ところにある。腫瘍細胞を単独でなく,周辺の他の腫瘍細胞や間質組織,細胞外マ
トリックス成分等を伴った組織の塊として同所移植することが,従来行われていた
単離細胞(培養細胞の懸濁液)の同所移植との違いであり,それがマウスに高い確
率で腫瘍転移を生じさせることを実証し,ヒト腫瘍の研究のためのモデルマウスと
して確立したことが,本件特許発明の本質なのである。腫瘍細胞のまわりに間質細
胞などが存在する構造(三次元的構造)で移植することが「塊として」の移植とい
う意味であり,その間質細胞がヒト由来のものか,マウス由来のものかは問わない
のである。本件特許発明は,ヒトから直接得られた腫瘍組織であっても,あるい
は,それを維持保存した(継代した)腫瘍組織であってもよいのであり,大事なこ
とは,腫瘍細胞を単独ではなく間質細胞などの組織と一体として移植することにあ
る。そもそも,新鮮な組織をそのままマウスに同所移植した場合も,その組織中の
間質細胞はマウス由来のものに変わるのである。はじめから間質細胞がマウス由来
のものに置換されていても,いなくても,塊として移植することで間質細胞を伴っ
た腫瘍細胞を同所移植することが本件特許発明の本質である。
ヒトの新鮮な組織を継代せずに移植することが本件特許発明であるとする原判決
は,本件特許発明の本質を誤解したものである。
(1-2) 原判決は,その「争点1について」の(1)においては,本件特許発明が
実験動物の発明である以上,製造方法のいかんを問わず,明細書の記載に限定され
ないという正しい特許解釈をしている。ヒトの新鮮な組織を継代せずに同所移植し
たヌードマウスも,継代してから同所移植したヌードマウスも,当該ヌードマウス
において間質細胞などの変換が起こるから,「モデル動物」としては実質的に差は
ない。したがって,上記解釈基準によれば,「『ヒト器官から得られた腫瘍組織
塊』はマウスの皮下で継代されたものを含むか」という争点について,継代したも
のを除くとする判断は出てこないはずであり,原判決は取消しを免れない。
(2) 訂正明細書の記載
(2-1) 原判決は,「本件特許発明には,継代し,これによって,ヒトの腫瘍
組織が他の生物のそれに置き換わることの発想はないというべきである。」と認定
する。
なるほど,本件明細書に記載されている実施例は,ヒトから採取した腫瘍組織を
直接マウスに移植するものであり,継代された腫瘍組織については触れるところが
ない。しかし,そうだからといって本件特許発明が継代された腫瘍組織を対象とし
ないというのは全く根拠がない。
なお,本件特許発明は,腫瘍組織を塊として同所移植することで転移能の高い実
験動物を得たものであり,腫瘍組織を維持保存する継代の技術とは次元が異なるか
ら,本件明細書に継代の思想について記載がないのは当然のことである。
(2-2) 本件明細書には,「ここに使用されるヒト腫瘍組織には,・・・外
科的に得られた新鮮な試料の組織が含まれる。」との記載があり,「ヒトの腫瘍組
織」には,ヒトの腫瘍組織から採取した新鮮な(継代しない)試料が「含まれる」
というのであって,新鮮な試料に限られないことが明示されている。
また,腫瘍組織を塊のまま移植することにより腫瘍組織が本来もつ三次元的構造
が維持されることを述べているのであって,「新鮮な」腫瘍組織に限って三次元的
構造が維持されると述べているのではない。
このように,本件明細書には,本件特許発明で使用される「ヒト腫瘍組織」は,
ヒトの腫瘍組織から直接得られた新鮮なものに限られないことが明示されている
し,腫瘍組織を細胞単独で移植するのではなく,組織の塊のまま移植するという本
件特許発明の特徴が何より示されている。
本件明細書の記載に基づき,本件特許発明の対象とする腫瘍組織がヒトの腫瘍組
織から直接得られた場合に限られ,マウスの皮下で継代された腫瘍組織が対象外で
あるとする原判決の誤りは明らかである。
(3) 継代
(3-1) 継代は,癌研究の分野で広く使われている汎用の技術であり,その目
的は,腫瘍の維持,保存にある。継代は,ヒト腫瘍としての本質を変えないからこ
そ広く行われてきたものである。
これに対し,本件特許発明は,転移能のある実験動物を得るための解決手段を提
供するものであり,原腫瘍組織を維持保存して使用することを排除するものではな
い。したがって,たとえ明細書の実施例には継代した腫瘍組織を移植する例が記載
されていなくても,継代された腫瘍組織が含まれることは明らかである。
ところが,原判決は,本件特許発明の本質を理解して継代された腫瘍組織を含む
か否かを検討するのではなく,本件特許発明はヒトから採取した腫瘍をそのまま移
植した場合に限るとまず限定した上で,継代した腫瘍がそのまま移植した場合と同
等か否かを検討するという誤謬に陥っている(維持保存された腫瘍組織が,ばらば
らの細胞に比してより優れた転移モデルを提供するという本件特許発明の特徴を具
えている点で同一であれば,原組織と実質的に同一であるから,その他の点を取り
上げて同等であるか否かを論ずるのは全くの誤りである。)。
そして,原判決は,本件特許発明をはじめから直接新鮮な腫瘍を移植する場合に
限るとの誤った前提に立って,新鮮な腫瘍組織の間質細胞が継代によってヒト由来
のものからマウス由来のものに変わると,三次元的構造が変化したというのであ
る。しかし,継代によっても,間質細胞などの周辺組織を抱えているという意味で
の三次元的構造に変化はないのである。
(3-2) 原判決は,甲第14号証の記載を根拠に,「1996年の時点におい
ても,皮下で継代したものが,同位移植した腫瘍組織とは異なる性質を有すること
が明らかにされている。」とする。これは明らかな誤解であり,つまり,甲第14
号証は,単に生着率に言及したもので,当該腫瘍の質的な変更を意味しない。ま
た,細胞の同所移植の先行研究を紹介したものであり,腫瘍組織を塊として同所移
植することは何ら言及されていない。皮下移植では転移しないが同所移植では転移
するという報告を紹介したものにすぎない。原判決がいうように,「皮下で継代し
たものが,同位移植した腫瘍組織とは異なる性質を有すること」の根拠になるもの
ではない。
(3-3) 本件特許発明の発明者らは,本件特許発明の出願後に発表した甲第1
3号証において,「これらのモデルは,腫瘍の継代により,大きなコホートを形成
することができる。」と記載しており,継代することは予定されていた。これに引
き続き,甲第26号証938頁において,継代した腫瘍組織を用いた例も発表して
いる。
慶応大の久保田教授と本件発明者らの共同研究である甲第10号証でも,継代し
た腫瘍を用いた実験を行っている。
本件特許発明前(1986年)にフィドラー(Fidler)らは,転移能の高い培養
細胞株を選択していた,つまり継代した腫瘍組織を用いていた。
したがって,本件特許発明の実施において継代した腫瘍組織を同所移植に用いる
ことは,当業者であれば至極当然のことであり,誰も疑念を挟むことはなかった。
浜松医大も,自らの継代した腫瘍組織の同所移植について,フー(Fu)らの方法,
すなわち本件特許発明に従ってと述べている(甲4,19)。これは,原判決の認
定と明らかに違うところである。
(3-4) 甲第11号証(ペンマン宣誓書)は,継代が普遍的な技術であり,継
代によって悪性の細胞を選択していくこと,p53遺伝子が見つかることもよくあ
ることであって,要は,マウス間質組織は常に本来のヒト材料と置き換えられるこ
とを明らかにしている。
本件特許権の優先権主張日の時点において,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍
組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊と同等のものとして知られていたことを
示すものであり,原判決の判断は誤りである。
(3-5) 以上のとおり,原判決は,本件特許発明の本質を理解しないまま,本
件特許発明をヒトの腫瘍組織を直接移植する場合に限るとの前提を立てて,継代さ
れた腫瘍組織と比較するという点で誤っており,さらに,継代によってヒトの腫瘍
組織の本件特許発明のいう「三次元的構造」の特徴が変化するという点で誤りであ
って,その結果,「本件特許権の優先権主張日の時点において,ヌードマウスの皮
下で継代した腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊と同等のものとして知
られていたということはできない」と誤った判断をし,「本件特許発明の特許請求
の範囲の解釈として継代された腫瘍組織が当然に含まれるとはいえない。」との判
断をしたのも誤りである。
(4) 被告マウスの検討
(4-1) 原判決は,被告マウスの検討の部分においても,ヒトの器官から採取
した腫瘍組織塊そのままの組織が維持されているかを問題にするという誤謬を犯し
ている。
ヒトの器官から直接採取した腫瘍組織塊と比較すると,被告マウスにおいては,
組織の一部が変化し,特に間質組織がマウスのものに変化していると認められるこ
と,組織中に存在するp53癌抑制遺伝子が変異することにより,癌細胞が悪性度
を増し,より高率に肝転移を起こすことが認められること,ヒトの器官から直接採
取した腫瘍組織塊をヌードマウスに移植した本件特許発明の方法に対し,被告マウ
スでは,腫瘍組織塊の生着率,転移率に相当な差があることが認められること,被
告マウスにおいては,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままの組織が維持さ
れているのではないことが認められることについては,その認定自体は,特に控訴
人として異を唱えるものではない。継代によってこれらの事象が起こることはむし
ろ当然である。しかし,だからといって,継代前の腫瘍組織と継代後の腫瘍組織が
異なると考える者は誰もいない。継代後の腫瘍組織も,「腫瘍細胞が,周辺の他の
腫瘍細胞や間質組織,細胞外マトリックス成分等を伴った塊」という特徴は維持さ
れており,継代前のヒトの腫瘍組織と何らの差もないのである。
(4-2) 原判決は,間質細胞がヒト由来からマウス由来に変わると三次元的構
造が変わると短絡している。
(4-3) 原判決は,本件特許発明中に,継代により組織がマウスのそれに置き
換わることの発想が存しない以上,本件明細書における「三次元的構造が維持され
る」とは,ヒト腫瘍組織そのままであるためにその組織構造が維持されていること
を指すと解するほかないというべきであるなどと判示する。しかし,そのような限
定自体が間違いである。また,継代による腫瘍細胞の株化ということが行われるの
は,試料として必要なときに備えて腫瘍を維持保存するためであるから,実験動物
に関する本件特許発明において継代した腫瘍を用いることは当然のことであって,
その想定がないという原判決は誤りである。塊として同所移植する限り,ヒトの腫
瘍をそのまま移植しようが,いったんマウス皮下で継代したものを移植しようが,
本件特許発明にほかならず,被告マウスで間質細胞が変換されていても癌細胞とし
ての組織的特徴は維持されているのであるから,「ヒト器官から得られた腫瘍組織
塊」に該当する。
(5) 入村鑑定書
入村達郎教授の鑑定書(甲28)は,ヒト腫瘍をマウス皮下で継代した後に,ヒト
由来の間質組織及び間質細胞がマウス皮膚由来のものと完全に置き換わってしまっ
たとしたら,もはや同所移植とはいえず,本件特許発明は及ばないとのクレーム解
釈に立つものではあるが,継代によって,ヒト由来の間質組織とマウス皮膚由来の
間質組織が完全に置換するという説明は,根拠が薄弱であるとして,結局,マウス
の皮下で継代された腫瘍塊には,ヒトの間質組織や細胞外マトリックス成分を伴う
から,本件特許発明の「ヒトの器官から得られた腫瘍組織塊」に含まれるというも
のであり,クレーム解釈は控訴人のそれとは異なるものの,この入村見解によって
も,原判決が取り消されるべきことになる。
4 当審における被控訴人国の主張の要点
入村達郎教授の鑑定書(甲28)は,本件特許発明のクレーム解釈について,控
訴人の主張と異なる立場に立つものである上,本件争点の前提である同所移植の概
念及びその効果についての理解を誤ったものであり,その記載にも矛盾があり,正
確な検証を行った形跡もないのであって,本件において参考とされるべきものでは
ない。
第3 当裁判所の判断
1 被告マウスの作成方法等についての認定判断は,原判決の22頁11行目な
いし23頁20行目(第4の1)のとおりであるから,これを引用する。
2 そこで,構成要件②のうちの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,マウ
スの皮下で継代されたものを含むかという争点,ひいては被告マウスはこの要件を
充足するかという点について,検討する。
(1) この争点については,当裁判所も,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」
は,マウスの皮下で継代されたものを含まず,被告マウスは,「ヒト器官から得ら
れた腫瘍組織塊」を有しないので,構成要件②を充足せず,したがって,控訴人の
本訴請求は理由がなく,これを棄却すべきものと判断する。その理由は,以下に付
加するほかは,原判決が27頁5行目ないし34頁14行目まで(第4の3(2)。
ただし,31頁1行目の「かえって,」から4行目までを除く。)に説示するとお
りであるから,これを引用する。
(2) 本件明細書の記載について
(2-1) 本件特許発明の技術的範囲を画する「ヒト器官から得られた腫瘍組織
塊」の意味するところについては,原判決が適切に認定したとおりである。要する
に,本件明細書の特許請求の範囲には,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」と記
載されているだけであり,これを定義する内容の記載は,同部分はもとより本件明
細書全体をみても存在しない。そして,本件明細書には,ヒトの器官から採取した
腫瘍組織塊をヌードマウスなど他の動物において継代させた上で得られた腫瘍組織
塊などを示唆する記載は見当たらず,原判決摘示の本件明細書の記載(原判決27
頁12行目ないし28頁14行目)に照らせば,「ヒト器官から得られた腫瘍組織
塊」とは,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままのものを意味するものと認
められるのである。
(2-2) 上記の点に関し,控訴人は,本件明細書に,「ここに使用されるヒト
腫瘍組織には,・・・外科的に得られた新鮮な試料の組織が含まれる。」との記載
があることを根拠として,本件特許発明で使用される「ヒト腫瘍組織」(A)は,ヒ
トの腫瘍組織から直接得られた新鮮なもの(B)に限られないことが明示されている
と主張する。
しかし,「AにはBが含まれる」というときの「含む」は,一般にAがあるもの
(B)を成分,要素として持つことを意味するにとどまるから,直ちに「B以外の要
素が存在する」ということはできない上,他に,それ以外の要素が存在することを
示唆する本件明細書の記載も見当たらないのであるから,控訴人の主張は採用の限
りではない(なお,控訴人の指摘部分は,「ここに使用されるヒト腫瘍組織には,
例えばヒトの腎臓,肝臓,胃,・・・・に生ずる病理学的に診断される腫瘍である
外科的に得られた新鮮な試料の組織が含まれる。」と記載されているのであるが,
「例えば」は,腎臓以下の臓器を例示したものと解されるので,「ヒト腫瘍組織」
に含まれるものの例示として「新鮮な試料の組織」が位置づけられているものとも
解されない。)。
(2-3) なお,控訴人の主張中には,本件発明者らが甲第13,第26号証に
おいて継代について記載しており,継代することは予定されていたと主張する部分
があり,本件明細書に記載はないが継代が当然予定されていたと主張する趣旨であ
るとも解し得る。
しかし,上記書証は,控訴人も認めるとおり,本件出願後のものである上,前記
のとおり,本件明細書には継代について示唆すらされていないことにも照らせば,
記載するまでもなく当然のこととして,継代された腫瘍組織塊が本件特許発明の構
成に含まれるものと認めることはできない。
(3) 継代の慣用技術性について
(3-1) 原判決の28頁最終行ないし31頁最終行から2行目までの「イ 原
告の主張について」の部分の判示をみると,原判決のこの判示は,次のような考え
方から検討をしたものと理解される。すなわち,本件明細書の記載に関しては前記
(2)のとおりであるといわざるを得ないものの,本件明細書に継代についての直接
的な記載がなくても,本件特許権の優先権主張日当時において,当業者が「ヒト器
官から得られた腫瘍組織塊」との記載をみれば,ヒトの器官から採取した腫瘍組織
塊そのままのものに限らず,「ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊をヌードマウス
など他の動物の皮下に移植することによって継代させた結果の腫瘍組織塊」などま
でをも含むものと理解するほどの知見があったとすれば,本件特許発明の技術的範
囲の認定に影響する可能性があると考え,控訴人(原告)による「継代が慣用技術
であった」旨の主張を取り上げて,本件特許権の優先権主張日の時点においてヌー
ドマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊と同等の
ものとして知られていたかどうかについて検討したものと理解される。
(3-2) 控訴人は,継代は癌研究の分野で広く使われている汎用の技術で,そ
の目的は腫瘍の維持保存にあり,ヒト腫瘍としての本質を変えないからこそ広く行
われてきたものであって,本件特許発明において原腫瘍組織を維持保存して使用す
ることを排除するものではないので,明細書の実施例には継代の点が記載されてい
なくても,継代された腫瘍組織が含まれることは明らかである旨を主張する(前記
(2)における,本件発明と継代の技術とは次元が異なるから本件明細書に継代の思
想について記載がないのは当然のことであるとの主張,後記(4)における,継代
は,必要なときに備えて腫瘍を維持保存するためであるから,本件特許発明におい
て継代した腫瘍を用いることは当然のことである旨の主張も,同旨のものと解され
る。)。
控訴人の上記主張は,本件明細書には継代された腫瘍組織塊についての記載はな
いが,本件特許権の優先権主張日当時において,「ヒト器官から得られた腫瘍組織
塊」との記載から,継代された腫瘍組織塊をも含むものと当業者が理解するほどの
知見があったか,すなわち,本件特許権の優先権主張日の時点においてヌードマウ
スの皮下で継代した腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊と同等のものと
して知られていたかどうかという前記(3-1)の原判決が検討した点に関するもの
であると解される。
この点について,原判決は,(3-1)に掲記の判示部分において,本件証拠とな
った文献の記載を検討し,「継代の技術は,本件特許権の優先権主張日以前から知
られた技術であり,その組織あるいは細胞の維持を目的としてされるものであった
が,その生化学的,免疫学的特性が維持されることは知られていたとしても,組織
の三次元構造及び転移に関する性状が維持されることが知られていたとはいえな
い。」とし,本件特許権の優先権主張日(1988年10月5日)の時点におい
て,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊
と同等のものとして知られていたということはできないものと認定した。この認定
は,原判決挙示の証拠等に照らし,相当として是認し得るものである。したがっ
て,優先権主張日の当時,知られていなかった以上,継代された腫瘍組織塊が当然
に含まれるものということはできない。
したがって,控訴人の上記主張は採用することができない(なお,継代の目的に
ついては,原組織の単なる維持保存のみにとどまらず,継代することにより,生着
率や転移能力を向上させることは慣用技術であることを控訴人も認めるところであ
る(例えば,控訴人(原告)第七準備書面)。)。
(3-3) 控訴人は,また,原判決が,本件特許発明はヒトから採取した腫瘍を
そのまま移植した場合に限るとまず限定した上で,継代した腫瘍がそのまま移植し
た場合と同等か否かを検討するという誤謬に陥っている旨の非難をする。
しかし,本件明細書の記載によれば,前記(2)のとおりに認定されるのであり,
これと同旨の認定をした上で,原判決が前記の判示をしたことに誤りはないこと
は,(3-1)に説示したことから明らかである。しかも,原判決の説示をみれば明
らかなように,原判決は,本件特許発明はヒトから採取した腫瘍をそのまま移植し
た場合に限るということを理由として,控訴人(原告)の主張を排斥したものでは
ないのであるから,控訴人主張のような誤りはない。
なお,控訴人の主張は,維持保存された腫瘍組織が,ばらばらの細胞に比してよ
り優れた転移モデルを提供するという本件特許発明の特徴を具えている点で同一で
あれば,原組織と実質的に同一であるから,この点から直ちに同一性を肯定すべき
で,原判決のような論じ方をするのは誤りであるというようにも解されるが,控訴
人の主張は,本件特許発明の特徴,本質,効果などの抽象化されたレベルから同一
性を論じるもので,採用するに足りるものではない。
(3-4) 控訴人は,原判決が「本件特許権の優先権主張日の時点において,ヌ
ードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊と同等
のものとして知られていたということはできない」との誤った判断をした旨を主張
し,具体的には,(a) 原判決が甲第14号証の記載を根拠にするのは明らかな誤
解であること,(b) 本件特許発明の発明者らによる甲第13,26号証及び慶応
大の久保田教授と本件発明者らによる甲第10号証において,継代に関する記述が
あることなどから,本件特許発明の実施において継代した腫瘍組織を同所移植に用
いることは,当業者であれば至極当然のことであり,誰も疑念を挟むことはなかっ
たこと,また,浜松医大も,Fuらの方法,すなわち本件特許発明に従ってと述べて
いる(甲4,19)こと,(c) 甲第11号証(ペンマン宣誓書)は,継代が普遍
的な技術であることなどを明らかにしており,本件特許権の優先権主張日の時点に
おいて,ヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組
織塊と同等のものとして知られていたことを示すものであることなどを主張する。
そこで,検討するに,上記(a)の控訴人の主張は,原判決31頁1行目の「かえ
って」から同4行目までの部分をいうものと解される。しかし,原判決が判断対象
としたのは,「本件特許権の優先権主張日の時点においてヌードマウスの皮下で継
代した腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊と同等のものとして知られて
いたかどうか」という点であって,原判決の上記の部分は,余事記載であり,甲第
14号証の内容に関する控訴人の主張の当否はともかく,いずれにしても原判決の
結論を左右するものではない(当裁判所は,上記説示を引用しない。)。
次に,上記(b)に挙げられた甲第13,26,10,4,19号証については,
いずれも本件出願後(優先権主張日後)のものであって,その内容をみても,これ
らから直ちに,本件特許権の優先権主張日の時点においてヌードマウスの皮下で継
代した腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊と同等のものとして知られて
いたことを認めるには足りないのであって,原判決に誤りがあるとはいえない。
(c)についても,甲第11号証(ペンマン宣誓書)の内容を検討しても,原判決
が,「本件特許権の優先権主張日の時点において,ヌードマウスの皮下で継代した
腫瘍組織塊がヒト器官から得られた腫瘍組織塊と同等のものとして知られていたこ
とを示すものでもない。」とした認定に誤りはあるとは認められない。
よって,控訴人の上記主張は採用の限りではない。
(4) 被告マウスの検討について
(4-1) 控訴人は,原判決が,本件明細書における「三次元的構造が維持され
る」とは,ヒト腫瘍組織そのままであるためにその組織構造が維持されていること
を指すと解するほかないというべきであると判示した点が間違いであると主張す
る。
しかし,本件証拠及び弁論の全趣旨によれば,「三次元的構造が維持される」と
の記載がそれ自体で,何らの説明も要せずに一義的に内容を確定し得るようなもの
ではないことが認められる。そして,原判決も指摘するとおり,本件明細書には,
「三次元的構造が維持される」との記載はあるが,その意味は記載されておらず,
本件明細書を精査しても,ヒトの腫瘍組織のどのような構造がどのように維持され
ることをもって三次元的構造が維持されるというのか明らかでない。そこで,前認
定の「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の意味のほか,本件明細書の記載を参酌
して検討すると,「三次元的構造が維持される」とは,ヒト腫瘍組織そのままであ
るためにその組織構造が維持されていることを指すと解するほかないとする原判決
の認定は,是認し得るものである。
(4-2) 控訴人は,上記のほか,(a) 被告マウスの検討の部分においても,
ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままの組織が維持されているかを問題にす
るという誤謬を犯していること,(b) 継代は,試料として必要なときに備えて腫
瘍を維持保存するためであるから,実験動物に関する本件特許発明において継代し
た腫瘍を用いることは当然のことであって,その想定がないという原判決は誤りで
あること,(c) 原判決は,間質細胞がヒト由来からマウス由来に変わると三次元
的構造が変わると短絡していること,(d) 継代後の腫瘍組織も,「腫瘍細胞が,
周辺の他の腫瘍細胞や間質組織,細胞外マトリックス成分等を伴った塊」という特
徴は維持されており,継代前のヒトの腫瘍組織と何らの差もないこと,(e) 塊と
して同所移植する限り,ヒトの腫瘍をそのまま移植しようが,いったんマウス皮下
で継代したものを移植しようが,本件特許発明にほかならず,被告マウスで間質細
胞が変換されていても癌細胞としての組織的特徴は維持されているのであるから,
「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」に該当することなどを主張する。
しかし,(a),(b)の点は,既に説示したところから採用し得ないことが明らか
である。
そして,(c)ないし(e)は,要するに,腫瘍組織塊として同所移植する限り,そ
のまま移植しようが,いったん継代しようが,また,被告マウスで間質細胞がマウ
ス由来のものに変換されようが,癌細胞としての組織的特徴は維持されているの
で,本件特許発明にほかならないという見解に基づいて,原判決を非難するもので
ある。
しかし,ヒトの器官から直接採取した腫瘍組織塊と比較すると,被告マウスにお
いては,組織の一部が変化し,特に間質組織がマウスのものに変化していると認め
られること,組織中に存在するp53癌抑制遺伝子が変異することにより,癌細胞
が悪性度を増し,より高率に肝転移を起こすことが認められること,ヒトの器官か
ら直接採取した腫瘍組織塊をヌードマウスに移植した本件特許発明の方法に対し,
被告マウスでは,腫瘍組織塊の生着率,転移率に相当な差があることが認められる
こと,被告マウスにおいては,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのままの組織
が維持されているのではないことが認められることについては,控訴人も異を唱え
るものではなく,むしろ当然であるとしている(控訴理由書17頁)。これらの点
を含め,原判決が32頁3行目ないし33頁4行目においてした認定は,証拠に照
らして首肯することができるものである。これによれば,被告マウスにおいて,ヒ
ト腫瘍組織塊が本来もつ三次元的構造が維持されている組織塊が存在することにつ
き,証明がないというべきであり,結局,被告マウスは「ヒト器官から得られた腫
瘍組織塊」を有するものとは認められない。これと同旨をいう原判決に誤りはな
く,控訴人の上記主張は,採用することができない。
(5) 入村鑑定書について
控訴人は,入村達郎教授の鑑定書(甲28)を援用し,継代によって,ヒト由来の
間質組織とマウス皮膚由来の間質組織が完全に置換することは根拠薄弱であって,
マウスの皮下で継代された腫瘍塊には,ヒトの間質組織や細胞外マトリックス成分
を伴うから,被告マウスは,本件特許発明の「ヒトの器官から得られた腫瘍組織
塊」に含まれるとの趣旨を主張する。
そこで,検討するに,本件全証拠によっても,マウスの皮下で腫瘍塊を継代した
場合に,ヒトの間質組織がマウスの間質組織に完全に置き換わり,ヒトの間質組織
が完全に消滅してしまうものか否かは,これを確定することができない。しかし,
少なくとも相当程度の間質組織(細胞)がヒトのものからマウスのものに置き換わ
ることは当事者間に争いがないほか,被告マウスの組織がどのようなものであるか
は,前記(4)で認定判断したとおりである(原判決引用部分を含む)。これに照ら
せば,たとえ一部においてなおヒトの間質組織が残存しているとしても,被告のマ
ウスにおいては,ヒト器官から得られた腫瘍組織塊そのままの組織とは異なる組織
に変化し,三次元的構造も変化しているとの前記認定に変わりはなく,被告マウス
が「ヒトから得られた腫瘍組織塊」を有するものとはいえないとの認定を覆すに足
りるものではない。
3 以上説示したように,被告マウスは,構成要件②を充足しないので,その余
の点について判断するまでもなく,控訴人の被控訴人国に対する本訴請求は理由が
なく,したがって,控訴人の被控訴人製薬会社3社に対する本訴請求もいずれも理
由がないことに帰する。結局,控訴人の前掲主張をすべて斟酌して検討しても,控
訴人が主張する原判決を取り消すべき事由は見当たらない。
4 結論
以上によれば,控訴人の被控訴人らに対する本訴請求をいずれも棄却すべきもの
とした原判決は相当であって,本件控訴は,理由がなく,棄却されるべきである。
よって,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第18民事部
裁判長裁判官 永 井 紀 昭
裁判官 古 城 春 実
裁判官 田 中 昌 利
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