平成29(ネ)10015特許権侵害差止請求控訴事件
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裁判所 |
控訴棄却 知的財産高等裁判所 東京地方裁判所
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裁判年月日 |
平成29年7月20日 |
事件種別 |
民事 |
当事者 |
控訴人デビオファーム 被控訴人沢井製薬株式会社川端さとみ
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対象物 |
オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び使用 |
法令 |
特許権
特許法100条1項1回
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キーワード |
実施85回 特許権6回 無効6回 審決3回 無効審判2回 差止2回 侵害1回
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主文 |
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。 |
事件の概要 |
か,原判決に従い,原判決で付された略称に「原告」とあるのを「控訴人」に,
「被告」とあるのを「被控訴人」に,適宜読み替える。) |
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判決文
平成29年7月20日判決言渡
平成29年(ネ)第10015号 特許権侵害差止請求控訴事件
(原審・東京地方裁判所平成27年(ワ)第28698号)
口頭弁論終結日 平成29年5月18日
判 決
控 訴 人 デビオファーム
インターナショナル エス アー
同訴訟代理人弁護士 大 野 聖 二
大 野 浩 之
木 村 広 行
多 田 宏 文
同訴訟代理人弁理士 松 任 谷 優 子
被 控 訴 人 沢 井 製 薬 株 式 会 社
同訴訟代理人弁護士 小 松 陽 一 郎
川 端 さ と み
山 崎 道 雄
藤 野 睦 子
大 住 洋
中 原 明 子
原 悠 介
前 嶋 幸 子
三 嶋 隆 子
主 文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30
日と定める。
事 実 及 び 理 由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,別紙被控訴人製品目録記載1~3の各製剤の生産,譲渡,輸入
又は譲渡の申出をしてはならない。
3 被控訴人は,別紙被控訴人製品目録記載1~3の各製剤を廃棄せよ。
第2 事案の概要(以下,用語の略称及び略称の意味は,本判決で付するもののほ
か,原判決に従い,原判決で付された略称に「原告」とあるのを「控訴人」に,
「被告」とあるのを「被控訴人」に,適宜読み替える。)
1 事案の要旨
本件は,発明の名称を「オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び
使用」とする発明についての特許権(特許第4430229号。以下「本件特許権」
といい,その特許を「本件特許」という。)の特許権者である控訴人(一審原告)
が,被控訴人(一審被告)の製造,販売等する別紙被控訴人製品目録記載1~3の
各製剤(以下,併せて「被控訴人各製品」という。)は,本件特許の願書に添付し
た明細書(以下「本件明細書」という。)の「特許請求の範囲」の請求項1に係る
発明(以下「本件発明」という。)の技術的範囲に属する旨主張して,被控訴人に
対し,特許法100条1項及び2項に基づき,被控訴人各製品の生産等の差止め及
び廃棄を求めた事案である。
原判決は,「本件発明等における『緩衝剤』には,外部から添加したシュウ酸の
みならず,オキサリプラチン水溶液において分解して生じるシュウ酸も含まれる」
という原告の主張を採用できなければ,外部からシュウ酸を添加していない被控訴
人各製品は,本件発明等の技術的範囲に属しない一方,原告の上記主張を前提とす
ると,本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものと認められるとして,
控訴人の各請求をいずれも棄却したため,控訴人は,これを不服として本件控訴を
提起した。
2 前提事実(当事者間に争いのない事実,当裁判所に顕著な事実並びに文中掲
記の証拠及び弁論の全趣旨により認定できる事実)
以下のとおり補正するほかは,原判決の第2の1に記載のとおりであるから,こ
れを引用する。
⑴ 原判決2頁15行目の「次の特許権」から16行目の「という。」までを
)
「本件特許権」と改める。
⑵ 原判決2頁21行目の「特許請求の範囲請求項1」の後に「(以下,単に
「請求項1」といい,他の請求項についても同様に略称する。」を加える。
)
⑶ 原判決2頁21行目の「(以」から23行目までを「。」と改める。
⑷ 原判決3頁24行目の「原告は,」から4頁3行目の「確定していない。」
までを,次のとおり改める。
「ホスピーラ・ジャパン株式会社は,特許庁に対し,本件特許が無効であると主
張して,特許無効審判請求をし(無効2014-800121号事件),原告は,
同審判において,請求項1について訂正請求をした(以下,同訂正請求による訂正
を「本件訂正」という。)ところ,特許庁は,平成27年7月14日,本件訂正を
認めた上で,本件訂正後の請求項1に記載の発明(以下「本件訂正発明」という。)
に無効理由がない旨の審決をした(甲8)。
その後,ホスピーラ・ジャパン株式会社は,同審決に対する取消訴訟を知的財産
高等裁判所に提起し(当庁平成27年(行ケ)第10167号。甲9),同裁判所
は,平成29年3月8日,本件訂正発明の要旨認定の誤りを理由として,同審決を
取り消すとの判決をしたが,本件口頭弁論終結時において,同判決は確定していな
い。
本件訂正発明は,以下の構成要件に分説される。」
3 争点及び争点に関する当事者の主張
争点及び争点に関する当事者の主張は,次のとおり,当審における主張を補足す
るほかは,原判決の第2の2及び3に記載のとおりであるから,これを引用する。
(当審における当事者の主張)
1 控訴人
本件発明の構成要件B,F及びGに係る「緩衝剤」は,次のとおり,外部から添
加された「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」に限られるものではなく,オキサ
リプラチン水溶液が分解するときに発生する解離シュウ酸を含むものである。
本件発明は,凍結乾燥物質に関する欠点を克服したものであり,乙7発明
に係るオキサリプラチン水溶液の欠点の克服を目的とするものではない。
すなわち,本件明細書の段落【0012】~【0016】には,凍結乾燥物質を
再構築した水溶液についての記載(段落【0013】~【0016】)及び凍結乾
燥物質の製造工程が複雑で経費がかかる点を指摘した記載(段落【0012】)が
あり,これを受けて,段落【0017】には「すぐに使える形態の製薬上安定なオ
キサリプラチン溶液組成物を提供することによりこれらの欠点を克服することが,
本発明の目的である。」と記載されている。乙7発明の実施品は既に製薬上安定で
あるから,同段落の「これらの欠点」とは,凍結乾燥物質に関する欠点を意味する。
そして,段落【0012】~【0016】に対応する段落【0030】~【00
32】のうち,段落【0030】及び【0031】の前段は,凍結乾燥物質につい
ての記載であるから,これに続く段落【0031】の後段も,凍結乾燥物質につい
ての記載と理解するのが自然である。同段落の後段には,「オキサリプラチンの従
来既知の水性組成物よりも製造工程中に安定である」との記載があるが,これは,
従来のオキサリプラチンの凍結乾燥物質の再構築をした水性組成物を意味するもの
である。仮に,本件発明がオキサリプラチン溶液中の不純物の減少を問題としてい
るのであれば,その旨の記載があるはずであるが,本件明細書にそのような記載は
ない。
乙7発明は,オキサリプラチンの濃度,pH,安定性等により特定された構成で
あるのに対し,本件発明は,全く新たな技術的思想に基づいてシュウ酸の量等に着
目した構成を採用したものであり,本件発明は,乙7発明の欠点を克服したもので
はない。
乙7の1は,本件明細書に多数列挙された公報の一つにすぎず,その中から乙7
発明だけを抜き出して,本件発明は,乙7発明の欠点を克服したものと解釈するこ
とはできない。
⑵ 構成要件B,F及びGの「緩衝剤」の意義について,本件明細書の段落
【0022】には,「緩衝剤という用語は,本明細書中で用いる場合,オキサリプ
ラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACH
プラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延さ
せ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」と記載されている。
オキサリプラチン溶液が被告の主張するとおりの化学平衡状態に達するとしても,
解離シュウ酸が存在しなければ,化学平衡は,ジアクオDACHプラチンを更に生
成する方向に移動することになるのであるから,解離シュウ酸の存在によりジアク
オDACHプラチンの生成が「防止」され,「遅延」しているということができる
のであって,解離シュウ酸は,「緩衝剤」の定義に当てはまる。
以上のとおり,本件発明の「緩衝剤」の意義については,本件明細書に明確に定
義されているのであるから,これに従って解釈されなければならない。
⑶ 請求項1には「緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,(構
」
成要件F)と記載されているところ,本件発明の緩衝剤の量が溶液組成物中の濃度
によって特定されているのであるから,「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」を
固形物に限定することは相当ではなく,電離により生じたシュウ酸イオンも「シュ
ウ酸またはそのアルカリ金属塩」に含まれると解すべきである。
⑷ 請求項1には,「緩衝剤・・・を包含する安定オキサリプラチン溶液組成
物」と記載されている。「包含」とは,「包み込み,中に含んでいること」を意味す
るので,本件発明の「緩衝剤」は,オキサリプラチン溶液組成物に含まれる全ての
緩衝剤を意味し,その中には解離シュウ酸も含まれる。本件特許の特許請求の範囲
においては,「包含」と「付加」(請求項10) 「混合」
, (請求項11~14)とを
意識的に書き分けているのであるから,本件発明の「緩衝剤」は外部から付加した
ものに限られない。
⑸ 請求項1には,「緩衝剤の量が・・・の範囲のモル濃度」(構成要件G),
と記載され,本件明細書の段落【0023】には,「緩衝剤は,有効安定化量で本
発明の組成物中に存在する。緩衝剤は,・・・の範囲のモル濃度で存在するのが便
利である」と記載されている。
このように,緩衝剤の量は,添加した量ではなく,溶液組成物中の濃度として特
定され,溶液組成物中に存在するかどうかが重要であるとされている。そして,溶
液組成物中の添加シュウ酸と解離シュウ酸は,いずれもシュウ酸であってその作用
効果は同一であるから,本件発明の「緩衝剤」は,添加シュウ酸であるか,解離シ
ュウ酸であるかを問わず,シュウ酸であれば足りる。
⑹ 実施例18(b)は,比較例ではなく,シュウ酸が添加されない場合の実施
例である。
このことは,本件明細書の段落【0050】に「実施例18」と記載されている
ことから明らかである。段落【0050】において「比較のために」と記載されて
いるのは,シュウ酸又はそのアルカリ塩を添加していないものを比較のために挙げ
ることを意味しているにすぎず,段落【0073】における「比較例18」との記
載は,実施例18(a)と実施例18(b)とを比較した例であることを意味する
にすぎない。
実際上,実施例18(b)では,シュウ酸等は添加されていないが,溶液中のジ
アクオDACHプラチン及びジアクオDACHプラチン二量体から推計される解離
シュウ酸の量を加えると,溶液中のシュウ酸は,構成要件G(a)の下限である5
☓10-5Mを超える。
また,実施例18(b)とほぼ同様の効果があることが示されている実施例1及
び8において添加シュウ酸又は添加されたシュウ酸ナトリウムは,構成要件G(a)
の下限の5☓10 -5 Mより少ないが,これは,溶液中の解離シュウ酸を考慮した
ものであり,溶液中の解離シュウ酸の量を加えると,シュウ酸の量は5☓10 -5
Mを超えるのであるから,実施例1及び8も,比較例ではなく,実施例である。
同様に,他の実施例においても,添加シュウ酸又は添加されたシュウ酸ナトリウ
ムのモル濃度は,本件明細書の段落【0023】に記載されたモル濃度の数値より
小さくなっているが,これは,解離されたシュウ酸の濃度が考慮されているからで
あり,このことは当業者であれば容易に理解できる。
このように,各実施例においても,解離シュウ酸の量を考慮することが当然の前
提とされている。
2 被控訴人
構成要件B,F及びGに係る「緩衝剤」は,次のとおり,外部から添加された
「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」を意味し,オキサリプラチン水溶液が分解
するときに発生する解離シュウ酸を含まない。
⑴ オキサリプラチンは,水中で分解すると,オキサリプラチンからシュウ酸
基が脱離して,ジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体を生
じ,脱離したシュウ酸基は,水性溶液中でシュウ酸イオンとして存在することとな
る。
オキサリプラチン水溶液からなる製剤については,既に乙7発明が存在するとこ
ろ,本件発明は,このような先行技術や技術常識を前提とした上で,オキサリプラ
チンの水性溶液の形態をした製剤において,「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」
を「緩衝剤」として加えることにより,水溶液中のオキサリプラチンが分解し,有
害な不純物であるジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体が
生成することの抑制等を目的とする発明である。
本件明細書においては,先行技術として乙7の1が開示され(段落【0010】,
)
オキサリプラチンの水溶液中において不純物が生成されるという問題及び有意に少
ない量しか不純物を生成しないより安定なオキサリプラチン溶液組成物を開発する
という課題についての説明がされ(段落【0013】~【0016】,さらに,本
)
件発明の組成物が,オキサリプラチンの従来既知の水性組成物よりも製造工程中に
安定で,ジアクオDACHプラチン等の不純物が少ない旨が記載されている(段落
【0031】)のであるから,本件発明が,乙7発明を含む従来既知のオキサリプ
ラチン溶液組成物における不純物生成の問題を克服,改善することを目的とする発
明であって,専ら凍結乾燥物質を水に溶かしたものについての欠点を克服するため
の発明などではないことは明らかである。
⑵ オキサリプラチンの水溶液では,シュウ酸を添加しなくてもオキサリプラ
チンの一部がジアクオDACHプラチン及び解離シュウ酸に自然分解し,また,ジ
アクオDACHプラチンからジアクオDACHプラチン二量体が生成され,平衡状
態に至る。このことは本件特許の出願当時に知られていた。
この反応は可逆反応であることから,オキサリプラチン溶液が平衡状態になった
後に,シュウ酸を加えると,新たな反応が進行し,オキサリプラチンが更に生成さ
れ,ジアクオDACHプラチンの濃度が減るので,この場合には,オキサリプラチ
ン水溶液を「安定化」し,不純物の生成を「防止」したといえる。
しかし,外部からシュウ酸を加えない限り,平衡状態が継続するだけなので,オ
キサリプラチン水溶液は「安定化」されず,不純物の発生は「防止」も「遅延」も
されない。
また,「緩衝剤」の「剤」とは,一般に「各種の薬を調合すること,また,その
薬」を意味するので,「緩衝剤」とは,「緩衝作用を有するものとして調合された薬」
を意味すると解するのが自然である。オキサリプラチンの分解により自然に生成さ
れる解離シュウ酸は,調合することが想定し難いので,「緩衝剤」には当たらない。
⑶ 本件発明の「緩衝剤」は「シュウ酸」又は「シュウ酸のアルカリ金属塩」
であることから,緩衝剤として「シュウ酸のアルカリ金属塩」のみを選択すること
も可能であるが,オキサリプラチンの分解により自然に生じた解離シュウ酸は「シ
ュウ酸のアルカリ金属塩」ではないから,「シュウ酸のアルカリ金属塩」は添加さ
れたものを指すと解するほかない。そうすると,「シュウ酸のアルカリ金属塩」と
並列的に規定される「シュウ酸」についても同様に添加されたものを意味すると解
するのが自然である。
⑷ 控訴人は,請求項1の「包含」という用語を根拠に,本件発明の「緩衝剤」
は,オキサリプラチン溶液組成物に含まれる全ての緩衝剤を意味し,解離シュウ酸
も含むと主張するが,「包含」される対象は「緩衝剤」であるから,「緩衝剤」の意
義がその前提として問題とされるべきである。本件発明の「緩衝剤」に解離シュウ
酸が含まれない以上,「包含」という用語を根拠として,本件発明の「緩衝剤」に
解離シュウ酸も含まれるとの結論を導き出すことはできない。
⑸ 控訴人は,請求項1に「緩衝剤の量が・・・の範囲のモル濃度」と記載さ
れていることを根拠に,溶液組成物中の解離シュウ酸も含まれると主張するが,本
件明細書に記載されたモル濃度は,添加シュウ酸及び添加されたシュウ酸ナトリウ
ムの質量で換算したモル濃度を意味すると解すべきである。
⑹ 控訴人は,各実施例においても,解離シュウ酸の量が考慮されていると主
張するが,実施例1~17は,全てシュウ酸等を添加する例であり,本件明細書の
記載中には,解離シュウ酸を考慮に入れたものは存在しない。そして,安定性の評
価も,添加シュウ酸及び添加されたシュウ酸ナトリウムのモル濃度のみに基づいて
行われており,シュウ酸イオンは考慮されていない。
他方,控訴人が実施例であるとする「実施例18(b)」は,比較例である。こ
のことは,本件明細書の段落【0050】に「比較のため」と,段落【0073】
に「比較例18の安定性」とそれぞれ記載され,シュウ酸濃度と安定性の関係を示
す表(表4~7)には,実施例1~17までしか記載されていないことからも明ら
かである。
第3 当裁判所の判断
当裁判所は,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ
酸に限られ,解離シュウ酸を含まないものと解されるから,解離シュウ酸を含むの
みで,シュウ酸が添加されていない被控訴人各製品は,構成要件B,F及びGの
「緩衝剤」を含有するものではなく,したがって,本件発明の技術的範囲に属せず,
本件訂正発明の技術的範囲にも属しないものと判断する。
その理由は,次のとおりである。
1 本件発明の内容及び意義
(1) 本件発明に係る特許請求の範囲の記載は,前記第2の2で引用した原判決
「事実及び理由」の第2の1⑵イのとおりであり,本件明細書(甲2)には次の各
記載がある。
【発明の詳細な説明】
・「本発明は,製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物,癌腫の治療における
その使用方法,このような組成物の製造方法,およびオキサリプラチンの溶液の安
定化方法に関する。(段落【0001】
」 )
・「Ibrahim等(豪州国特許出願第29896/95号,1996年3月
7日公開)(WO96/04904,1996年2月22日公開の特許族成員)(判
決注:乙7発明に対応する豪州国出願である。乙7の1)は,1~5mg/mLの
範囲の濃度のオキサリプラチン水溶液から成る非経口投与のためのオキサリプラチ
ンの製薬上安定な製剤であって,4.5~6の範囲のpHを有する製剤を開示する。
同様の開示は,米国特許第5,716,988号(1998年2月10日発行)に
見出される。(段落【0010】
」 )
・「オキサリプラチンは,注入用の水または5%グルコース溶液を用いて患者へ
の投与の直前に再構築され,その後5%グルコース溶液で稀釈される凍結乾燥粉末
として,前臨床および臨床試験の両方に一般に利用可能である。しかしながら,こ
のような凍結乾燥物質は,いくつかの欠点を有する。中でも第一に,凍結乾燥工程
は相対的に複雑になり,実施するのに経費が掛かる。さらに,凍結乾燥物質の使用
は,生成物を使用時に再構築する必要があり,このことが,再構築のための適切な
溶液を選択する際にそこにエラーが生じる機会を提供する。例えば,凍結乾燥オキ
サリプラチン生成物の再構築に際しての凍結乾燥物質の再構築用の,または液体製
剤の稀釈用の非常に一般的な溶液である0.9%NaCl溶液の誤使用は,迅速反
応が起こる点で活性成分に有害であり,オキサリプラチンの損失だけでなく,生成
種の沈澱を生じ得る。凍結乾燥物質のその他の欠点を以下に示す:
(a) 凍結乾燥物質の再構築は,再構築を必要としない滅菌物質より微生物汚染の
危険性が増大する。
(b) 濾過または加熱(最終)滅菌により滅菌された溶液物質に比して,凍結乾燥
物質には,より大きい滅菌性失敗の危険性が伴う。そして,
(c) 凍結乾燥物質は,再構築時に不完全に溶解し,注射用物質として望ましくな
い粒子を生じる可能性がある。(段落【0012】【0013】
」 , )
・「水性溶液中では,オキサリプラチンは,時間を追って,分解して,種々の量
のジアクオDACHプラチン(式I),ジアクオDACHプラチン二量体(式II)
およびプラチナ(IV)種(式III ):
【化3】
【化4】
を不純物として生成し得る,ということが示されている。任意の製剤組成物中に存
在する不純物のレベルは,多くの場合に,組成物の毒物学的プロフィールに影響し
得るので,上記の不純物を全く生成しないか,あるいはこれまでに知られているよ
り有意に少ない量でこのような不純物を生成するオキサリプラチンのより安定な溶
液組成物を開発することが望ましい。(段落【0013】~【0016】
」 )
・「したがって,前記の欠点を克服し,そして長期間の,即ち2年以上の保存期
間中,製薬上安定である,すぐに使える(RTU)形態のオキサリプラチンの溶液
組成物が必要とされている。したがって,すぐに使える形態の製薬上安定なオキサ
リプラチン溶液組成物を提供することによりこれらの欠点を克服することが,本発
明の目的である。(段落【0017】
」 )
・「より具体的には,本発明は,オキサリプラチン,有効安定化量の緩衝剤およ
び製薬上許容可能な担体を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物に関する。」
(段落【0018】)
・「オキサリプラチンは,約1~約7mg/mL ,好ましくは約1~約5mg/mL ,
さらに好ましくは約2~約5mg/mL ,特に約5mg/mL の量で本発明の組成物中
に存在するのが便利である。(段落【0022】
」 )
・「緩衝剤という用語は,本明細書中で用いる場合,オキサリプラチン溶液を安
定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよび
ジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる
酸性または塩基性剤を意味する。したがって,この用語は,シュウ酸またはシュウ
酸のアルカリ金属塩(例えばリチウム,ナトリウム,カリウム等)等のような作用
物質,あるいはそれらの混合物が挙げられる。緩衝剤は,好ましくは,シュウ酸ま
たはシュウ酸ナトリウムであり,最も好ましくはシュウ酸である。(段落【002
」
2】)
・「緩衝剤は,有効安定化量で本発明の組成物中に存在する。緩衝剤は,約5☓
10-5M~約1☓10-2Mの範囲のモル濃度で,好ましくは約5☓10-5M~5
☓10-3Mの範囲のモル濃度で,さらに好ましくは約5☓10-5M~約2☓10-
3
Mの範囲のモル濃度で,最も好ましくは約1☓10-4M~約2☓10-3Mの範囲
のモル濃度で,特に約1☓10-4M~約5☓10-4Mの範囲のモル濃度で,特に
約2☓10-4M~約4☓10-4Mの範囲のモル濃度で存在するのが便利である。」
(段落【0023】)
・「前記の本発明のオキサリプラチン溶液組成物は,本明細書中でさらに詳細に
後述するように,現在既知のオキサリプラチン組成物より優れたある利点を有する
ことが判明している,ということも留意すべきである。凍結乾燥粉末形態のオキサ
リプラチンとは異なって,本発明のすぐに使える組成物は,低コストで且つさほど
複雑ではない製造方法により製造される。(段落【0030】
」 )
・「さらに,本発明の組成物は,付加的調製または取扱い,例えば投与前の再構
築を必要としない。したがって,凍結乾燥物質を用いる場合に存在するような,再
構築のための適切な溶媒の選択に際してエラーが生じる機会がない。本発明の組成
物は,オキサリプラチンの従来既知の水性組成物よりも製造工程中に安定であるこ
とが判明しており,このことは,オキサリプラチンの従来既知の水性組成物の場合
よりも本発明の組成物中に生成される不純物,例えばジアクオDACHプラチンお
よびジアクオDACHプラチン二量体が少ないことを意味する。 (段落【003
」
1】)
・「表1Aおよび1Bに記載された実施例1~14の組成物は,以下の一般手法
により調製した:
注射用温水(W.F.I. (40℃)を分取し,濾過窒素を用いて約30分間,
)
その中で発泡させる。
必要とされる適量のW.F.I.を,窒素中に保持しながら容器に移す。最終
容積を満たすために残りのW.F.I.を別に取りのけておく。
適切な緩衝剤(固体形態の,または好ましくは適切なモル濃度の水性緩衝溶液
の形態の)を適切な容器中で計量して,混合容器(残りのW.F.I.の一部を含
入する濯ぎ容器)に移す。例えば,磁気攪拌機/ホットプレート上で,約10分間,
または必要な場合にはすべての固体が溶解されるまで,溶液の温度を40℃に保持
しながら混合する。(段落【0034】【0035】
」 , )
・「注:実施例8~14の組成物のために用いられた密封容器は,20mL透明ガ
ラスアンプルであった。
* シュウ酸は二水和物として付加される;ここに示した重量は,付加されたシュウ
酸二水和物の重量である。(段落【0042】
」 )
・「表1C二(判決注:「二」は「に」の誤記と認める。)記載した実施例15お
よび16の組成物は,実施例1~14の組成物の調製に関して前記した方法と同様
の方法で調製した。(段落【0042】
」 )
・「注:実施例15~16の組成物のために用いられた密封容器は,20mL透明
ガラスアンプルであった。
* シュウ酸は二水和物として付加される;ここに示した重量は,付加されたシュウ
酸二水和物の重量である。(段落【0044】
」 )
・「表1Dに記載した実施例17の組成物は,実施例1~14の組成物の調製に
関して前記した方法と同様の方法で調製したが,但し,(a)窒素の非存在下で
(即ち酸素の存在下で)密封容器中に溶液を充填し,(b)充填前に密封容器を窒
素でパージせず,(c)容器を密封する前に窒素でヘッドスペースをパージせず,
そして(d)密封容器はアンプルよりむしろバイアルであった。 (段落【004
」
4】)
・「注:実施例17の溶液組成物1000mLを,5mL透明ガラスバイアル中に充填
し(4mL 溶液/バイアル),これをWest Flurotec ストッパーで密封し(以後,実
施例17(a)と呼ぶ),実施例17の残りの1000mL溶液組成物を5mL 透明ガラ
スバイアル中に充填し(4mL 溶液/バイアル),これをHelvoet Omniflexストッ
パーで密封した(以後,実施例17(b)と呼ぶ)」
。(段落【0046】)
・「* シュウ酸は二水和物として付加される;ここに示した重量は,付加された
シュウ酸二水和物の重量である。(段落【0047】
」 )
・「実施例18
比較のために,例えば豪州国特許出願第29896/95号(1996年3月7日公開)(判
決注・乙7発明に対応する豪州国出願である。乙7の1)に記載されているような
水性オキサリプラチン組成物を,以下のように調製した:」(段落【0050】)
・「23本のアンプルをオートクレーブ処理せずに保持し(以後,実施例18(a)
と呼ぶ),即ちそれらを最終滅菌せず,残り27本のアンプル(以後,実施例18
(b)と呼ぶ)を,SAL(PD270)オートクレーブを用いて,121℃で15分間オート
クレーブ処理した。(段落【0053】
」 )
・「実施例1~17の組成物に関する安定性試験
実施例1~14のオキサリプラチン溶液組成物を,6ヶ月までの間,40℃で保
存した。この試験の安定性結果を,表4および5に要約する。 (段落【0063】
」 )
・「実施例15および16のオキサリプラチン溶液組成物を,9ヶ月までの間,
25℃/相対湿度(RH)60%および40℃/相対湿度(RH)75%で保存した。こ
の試験の安定性結果を,表6に要約する。(段落【0067】
」 )
・「実施例17(a)および17(b)のオキサリプラチン溶液組成物を,1ヶ
月までの間,25℃/相対湿度(RH)60%および40℃/相対湿度(RH)75%で
保存した。この試験の安定性結果を,表7に要約する。(段落【0070】
」 )
・「これらの安定性試験の結果は,緩衝剤,例えばシュウ酸ナトリウムおよびシ
ュウ酸が,本発明の溶液組成物中の不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよ
びジアクオDACHプラチン二量体のレベルを制御する場合に非常に有効である,
ということを実証する。(段落【0072】
」 )
・「比較例18の安定性
実施例18(b)の非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物を,40℃で1ヶ月間
保存した。この安定性試験の結果を,表8に要約する。(段落【0073】
」 )
(2) 以上を総合すると,本件発明は,従来からある凍結乾燥粉末形態のオキ
サリプラチン生成物及びオキサリプラチン水溶液の欠点を克服し,すぐに使える形
態の製薬上安定であるオキサリプラチン溶液組成物を提供することを目的とする発
明であり(段落【0010】【0012】~【0017】,オキサリプラチン,有
, )
効安定化量の緩衝剤であるシュウ酸又はそのアルカリ金属塩及び製薬上許容可能な
担体である水を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物に関するものである(請
求項1,段落【0018】 。そして,この緩衝剤は,構成要件Gの範囲のモル濃
)
度で上記組成物中に存在することでジアクオDACHプラチンやジアクオDAC
Hプラチン二量体といった不純物の生成を防止し又は遅延させることができ(請
求項1,段落【0022】 【0023】 ,これによって,本件発明は,従来既知
, )
の前記オキサリプラチン組成物と比較して優れた効果,すなわち,①凍結乾燥粉
末形態のオキサリプラチン生成物と比較すると,低コストで,かつさほど複雑で
ない製造方法により製造することができ,また,投与前の再構築を必要としない
ので,再構築のための適切な溶媒の選択に際してエラーが生じる機会がなく,②
乙7発明を含むオキサリプラチンの従来既知の水性組成物と比較すると,製造工
程中に安定であり,生成されるジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプ
ラチン二量体といった不純物が少ないという効果を有するものである(段落【0
030】 【0031】 ,と認められる。
, )
これに対し,控訴人は,本件発明の目的は,凍結乾燥物質に関する欠点を
克服したものであり,乙7発明に係るオキサリプラチン水溶液の欠点の克服を目的
とするものではないと主張する。
ところで,凍結乾燥物質形態のオキサリプラチンは,注入用の水又は5%グル
コース溶液を用いて患者への投与の直前に再構築されて利用されるものであり(段
落【0012】,凍結乾燥物質を適切な溶液に溶かして溶液組成物にした状態で,
)
長期間保存した上で,患者への投与を行うことは予定されていなかったところ,乙
7発明は,使用時の再構成操作における間違った操作のリスクを排除し,すぐに使
用でき,医薬として容認できる期間貯蔵した後でも,オキサリプラチン含有量が最
初の含有量の少なくとも95%を占めるオキサリプラチン注射液を製造することを
目的とするものである(乙7の1)。
本件明細書においては,凍結乾燥物質形態のオキサリプラチンのみならず,乙
7発明に対応する豪州国特許出願第29896/95号(WO96/04904)
に係るオキサリプラチン水溶液について従来技術として挙げた上で(段落【00
10】,凍結乾燥物質の再構築における不具合のみならず,オキサリプラチンの水
)
溶液中において不純物が生成されるという問題についての説明がされ(段落【00
12】~【0016】 ,
) 「上記の不純物を全く生成しないか,あるいはこれまでに
知られているより有意に少ない量でこのような不純物を生成するオキサリプラチン
のより安定な溶液組成物を開発することが望ましい。 (段落【0016】
」 )と記載
されている。また,本件明細書の段落【0030】には,「現在既知のオキサリプ
ラチン組成物」との記載があり,凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチンに対する本
件発明の利点について記載されており,段落【0031】には,第1段落で,凍結
乾燥物質を用いる場合に存在する再構築のための適切な溶媒の選択に際してエラー
が生じる機会がないことが記載されているが,第2段落で,本件発明の組成物が,
オキサリプラチンの従来既知の水性組成物よりも製造工程中に安定で,ジアクオD
ACHプラチン等の不純物が少ない旨が記載されている。さらに,本件明細書で,
従来技術として挙げられたもののうち,オキサリプラチン水溶液であることが明示
されているものは,乙7発明のみであり(段落【0007】~【0012】,後記
)
6のとおり,実施例においても,「実施例18」として,「比較のために」,乙7発
明のような水性オキサリプラチン組成物を調製し(段落【0050】~【005
3】,オートクレーブ処理した実施例18(b)のアンプルについて,実施例1~
)
17と同様に40℃で1か月間という安定性試験を行って,ジアクオDACHプラ
チン,ジアクオDACHプラチン二量体及び不特定不純物の濃度を測定している
(段落【0053】【0063】~【0074】。
, )
これらの記載を総合すると,本件発明は,従来技術である乙7発明を踏まえた上
で,乙7発明を含む従来既知のオキサリプラチン水性組成物における不純物生成の
問題点を克服,改善することをも目的とする発明であって,乙7発明のオキサリプ
ラチン水溶液より少ない量でしか不純物を生成しないオキサリプラチン水溶液に関
するものであるということができる。
2 「緩衝剤」の意義
⑴ 解離シュウ酸が不純物の生成を防止又は遅延させるかどうかについて
前記1認定のとおり,構成要件B,F及びGの「緩衝剤」の意義について,本件
明細書の段落【0022】には,「緩衝剤という用語は,本明細書中で用いる場合,
オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアク
オDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかま
たは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」と記載されている。
そこで,解離シュウ酸が,オキサリプラチン溶液を安定化し,不純物の生成を防
止又は遅延させるという作用効果を有するかどうかについて検討するに,この点に
ついて,控訴人は,解離シュウ酸が存在しなければ,化学平衡は,ジアクオDAC
Hプラチンを更に生成する方向に移動することになるのであるから,解離シュウ酸
の存在によりジアクオDACHプラチンの生成が「防止」され,「遅延」している
ということができると主張する。
しかし,オキサリプラチン水溶液において,水溶液中のオキサリプラチンの一部
は,水と反応して分解し,ジアクオDACHプラチン及びシュウ酸となるが,水溶
液中のジアクオDACHプラチン及びシュウ酸の一部は,反応してオキサリプラチ
ンとなるところ,①オキサリプラチンの分解に係る平衡状態が生じるよりも前の段
階では,水溶液中のオキサリプラチンの量は減少し,ジアクオDACHプラチン及
びこれの一部から生成されたジアクオDACHプラチン二量体並びにシュウ酸の量
は増加していく(乙8の1,乙16の1~3,乙26,27,32,乙33の1・
2)のであって,オキサリプラチンの分解により生成された解離シュウ酸の存在が,
不純物であるジアクオDACHプラチン等の生成を防止し又は遅延させているとは
評価できない。
オキサリプラチン水溶液が,②オキサリプラチンの分解に係る平衡状態に至った
段階では,オキサリプラチンと水の反応によるオキサリプラチンの分解の速度と,
ジアクオDACHプラチン及びシュウ酸の反応によるオキサリプラチンの生成の速
度とが等しくなり,ジアクオDACHプラチンの一部から,ジアクオDACHプラ
チン二量体が生成され,その結果,水溶液中のオキサリプラチン及びシュウ酸の量
(濃度)は,いずれも一定の値となり,不変となる(乙8の1,乙16の2・3,
乙26,27,32,乙33の1・2)。この段階において,オキサリプラチンの
量が減少しないのは,平衡状態に達したからであり,オキサリプラチンの分解によ
り生成された解離シュウ酸の存在が,不純物であるジアクオDACHプラチンやこ
れから生成されたジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止し又は遅延させて
いるとは評価できない。
前記②の段階にあるオキサリプラチン水溶液から,解離シュウ酸の一部を取り除
けば,ル・シャトリエの原理(化学反応が平衡状態にあるとき,濃度,圧力,温度
などの条件を変化させると,その変化をやわらげる方向に反応が進み,新しい平衡
状態になること。乙6,乙16の2)によって,シュウ酸の量を増加させる方向,
すなわち,オキサリプラチンが分解してジアクオDACHプラチンとシュウ酸が生
成される方向の反応が進行し,新たな平衡状態に至ると考えられるが,この新たな
平衡状態に至るまでの段階は,前記①の段階と同様,水溶液中のオキサリプラチン
の量は減少し,ジアクオDACHプラチン及びこれの一部から生成されたジアクオ
DACHプラチン二量体並びにシュウ酸の量は増加していき,新たな平衡状態に至
れば,前記②の段階と同様,水溶液中のオキサリプラチン及びシュウ酸の量(濃度)
は,いずれも一定の値になり,不変となる。平衡状態にあるオキサリプラチン水溶
液から,解離シュウ酸の一部を取り除けば,オキサリプラチン水溶液中のオキサリ
プラチンが更に分解して減少するという事実は,解離シュウ酸が,オキサリプラチ
ン水溶液中におけるオキサリプラチンの分解とジアクオDACHプラチン及びシュ
ウ酸の反応の平衡状態を構成する要素の一つであることを示しているにすぎず,こ
れをもって,オキサリプラチンの分解により生成された解離シュウ酸の存在が,不
純物であるジアクオDACHプラチン等の生成を防止し又は遅延させているとは評
価できない。
以上のとおり,解離シュウ酸の存在は,オキサリプラチンの分解の結果生じるも
のであって,不純物の生成を防止し又は遅延させているとは評価できない以上,解
離シュウ酸を,オキサリプラチンの分解を防止し又は遅延させ,不純物の生成を防
止し又は遅延させるものということはできない。
⑵ 「剤」の意義について
本件発明の「緩衝剤」は,「酸性または塩基性剤」と定義されている(本件明細
書の段落【0022】)が,広辞苑第六版によると,「剤」とは「各種の薬を調合す
ること。また,その薬。」を意味するから,「酸性または塩基性剤」は,「各種の薬
を調合した薬であって,酸性又は塩基性であるもの」を意味すると考えることが
自然である。そして,解離シュウ酸は,オキサリプラチンの分解によって自然に
生成されるものであって,薬として調合することが想定し難いから,本件発明の
「緩衝剤」には当たらず,本件発明の「緩衝剤」は,添加したものに限られると考
えるのが自然である。
3 「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」の意義
本件発明の「緩衝剤」として「シュウ酸のアルカリ金属塩」を選択した場合を考
えると,この場合,オキサリプラチン水溶液中には,オキサリプラチンが分解して
生じた解離シュウ酸と「シュウ酸のアルカリ金属塩」が同時に存在するところ,オ
キサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸は「シュウ酸のアルカリ金属塩」に
該当しないことが明らかであるから,緩衝剤は,オキサリプラチン水溶液に添加さ
れる「シュウ酸のアルカリ金属塩」を指すと解するほかない。そうすると,「シュ
ウ酸のアルカリ金属塩」と並列に記載されている「シュウ酸」についても,オキサ
リプラチンが分解して生じた解離シュウ酸を除き,オキサリプラチン水溶液に添加
されるシュウ酸を意味すると解することが自然である。
これに対して,控訴人は,電離により生じたシュウ酸イオンも「シュウ酸または
そのアルカリ金属塩」に含まれると主張するが,上記のとおり「シュウ酸のアルカ
リ金属塩」が外部から添加されるものと解される以上,これと並列して記載されて
いる「シュウ酸」についても同様と解するのが自然である。
4 「包含」の意義
控訴人は,請求項1には,「緩衝剤・・・を包含する安定オキサリプラチン溶液
組成物」と記載されているところ,「包含」とは,「包み込み,中に含んでいること」
を意味するので,本件発明の「緩衝剤」は,オキサリプラチン溶液組成物に含まれ
る全ての緩衝剤を意味し,その中には解離シュウ酸も含まれると主張する。
しかし,「包含」という文言の意味を控訴人の主張するとおりに解するとしても,
「緩衝剤を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物」とは,「緩衝剤をつつみこ
み,中に含む安定オキサリプラチン溶液組成物」を意味するにすぎず,これに
よって,当該組成物中の「緩衝剤」の由来について,添加されたものに限るか否
かの解釈が当然に定まるものではなく,本件発明の「緩衝剤」を外部から添加さ
れたものに限るとの解釈をとることが,上記文言と矛盾することにはならない。
同様に,「緩衝剤」は添加されたものに限るとの解釈をとったとしても,「緩衝剤
の量」という文言を添加された緩衝剤の量を意味すると解釈することが,控訴人
指摘の請求項1の文言と矛盾するとはいえない。
したがって,請求項1が「包含」という表現を用いていることをもって,本件
発明の「緩衝剤」に解離シュウ酸が含まれることを示しているということはできな
い。
また,控訴人は,本件特許の特許請求の範囲においては,「包含」と「付加」(請
求項10) 「混合」
, (請求項11~14)とを意識的に書き分けていると主張する。
しかし,請求項10は,「オキサリプラチンの溶液の安定化方法」,請求項11~
14は,請求項1~9のいずれかの組成物の「製造方法」であって,「付加」との
記載は,緩衝剤を水性溶液に付加すること,「混合」との記載は,緩衝剤を,担体
及びオキサリプラチン,又は,担体のみと混合すること,という構成要件に含まれ
ているのに対し,本件発明における「包含」との記載は,組成物を構成する物を記
載したものであるから,「付加」及び「混合」は,外部からの添加を意味し,「包含」
は,外部からの添加を必ずしも意味しないものとして,意識的に書き分けられたも
のとは,評価できない。
5 緩衝剤の量の特定に関する記載について
控訴人は,請求項1に「緩衝剤の量が・・・の範囲のモル濃度」(構成要件G),
と記載され,本件明細書の段落【0023】に「緩衝剤は,・・・の範囲のモル濃
度で存在するのが便利」と記載されているように,緩衝剤の量は,溶液組成物中の
濃度として特定されているのであるから,溶液組成物中に存在するかどうかが重要
であり,オキサリプラチン溶液組成物中の添加シュウ酸と解離シュウ酸が同一の作
用効果を有する以上,両者を区別すべきではないと主張する。
しかし,解離シュウ酸が,オキサリプラチンの分解を防止し又は遅延させ,不純
物の生成を防止し又は遅延させるものということはできないことは,前記判示のと
おりであり,添加シュウ酸と解離シュウ酸とがオキサリプラチン溶液組成物中にお
いて同一の作用効果を奏するということはできない。
また,本件発明において「緩衝剤」が組成物中に「存在する」とは,「緩衝剤」
が組成物に「包含」されるということと同義であり,これによって,当該組成物中
の「緩衝剤」の由来について,添加されたものに限るか否かの解釈が当然に定まる
ものではなく,本件発明の「緩衝剤」を外部から添加されたものに限るとの解釈を
とることが,上記の請求項1及び本件明細書の段落【0023】の文言と矛盾する
ということにはならない。
6 本件明細書に掲げられた実施例について
次に,本件明細書に掲げられた各実施例について検討する。
⑴ 控訴人は,実施例18(b)は,シュウ酸が添加されない場合の実施例で
あると主張し,①本件明細書の段落【0050】に「実施例18」と記載されてい
ること,②溶液中の不純物から推計される解離シュウ酸の量を加えると,実施例1
8(b)の溶液中のシュウ酸は,構成要件G(a)の範囲内に含まれること,③実
施例18(b)とほぼ同様の効果を示している実施例1及び8は,実施例であるこ
と,④他の実施例においても,添加シュウ酸又は添加されたシュウ酸ナトリウムの
モル濃度は,本件明細書の段落【0023】に記載されたモル濃度の数値より小さ
くなっているが,これは,解離されたシュウ酸の濃度が考慮されているからである
ことを主張する。
確かに,本件明細書の段落【0050】には「実施例18」との記載はあ
るが,他方で,本件明細書における実施例18(b)に関する記載をみると,「比較
のために,例えば豪州国特許出願第29896/95号(1996年3月7日公開)
に記載されているような水性オキサリプラチン組成物を,以下のように調製した」
(段落【0050】前段)と記載され,また,実施例18の安定性試験の結果を
示すに当たっては,「比較例18の安定性」との表題が付された上で,実施例1
8(b)については「非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」と表現されている
(段落【0073】 。そして,豪州国特許出願第29896/95号(1996
)
年3月7日公開)は,乙7発明に対応する豪州国特許であり,同特許は水性オキサ
リプラチン組成物に係る発明であって,本件明細書で従来技術として挙げられる
もの(段落【0010】)にほかならない。
上記各記載を総合すると,実施例18(b)は,「実施例」という用語が用いら
れているものの,その実質は本件発明の実施例ではなく,本件発明と比較するため
に,「非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」,すなわち,緩衝剤が用いられていな
い従来既知の水性オキサリプラチン組成物を調製したものであると認めるのが相当
である。
また,本件明細書をみると,乙7発明と実質的に同一であると推認される実施例
18(b)において生成される不純物の量と比較して,シュウ酸を添加した実施例
(ただし,実施例1及び8を除く。なお,実施例1及び8は,後記のとおり,本件
発明の技術的範囲に含まれる実施例ではない。)において生成される不純物の量は
有意に少ないことが示されている(本件明細書の【表8】~【表14】。
)
そうすると,実施例18(b)は,本件発明の実施例ではなく,比較例として
記載されているというべきである。
実施例1及び8は,添加シュウ酸又は添加されたシュウ酸ナトリウムのモ
ル濃度が構成要件Gに係るモル濃度の数値の範囲外であり(甲2),本件発明の実
施例ではないというべきである。
すなわち,実施例1及び8において添加された緩衝剤のモル濃度は,いずれも
「0.00001M」(1☓10 -5 M)である(本件明細書の【表1】 【表2】
, ,
【表8】 【表9】
, )ところ,本件発明に係る特許出願時,本件特許請求の範囲請求
項1は,「オキサリプラチン,有効安定化量の緩衝剤および製薬上許容可能な担体
を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物。」というものであって(甲2,乙3),
その後の補正等の経過の中で,製薬上許容可能な担体が水であり,緩衝剤がシュウ
酸又はそのアルカリ金属塩であり,しかも,その緩衝剤の量が構成要件Gのとおり
の範囲のモル濃度であるとの限定がされ,本件発明に係る特許が登録されたもので
あると認められる。実施例1及び8は,当初の本件特許請求の範囲請求項1に係る
発明においては数値限定がなかったために実施例であったが,前記補正により「5
☓10-5 M」以上との数値限定がされたため,構成要件Gを満たさないものとし
て,本件発明の実施例から除外されたものと認められる。
このように,実施例1及び8は,本件発明の実施例であるとは認められないので
あるから,実施例1及び8と実施例18(b)における不純物の量に有意な差がな
いとしても何ら不自然ではない。
本件明細書に記載された実施例1~17には,シュウ酸又はシュウ酸ナト
リウムが添加されていることが明記され,添加シュウ酸又は添加されたシュウ酸ナ
トリウムのモル濃度のみが数値として記載されており(【表8】~【表13】 ,解
)
離シュウ酸のモル濃度の測定値も推定値も記載されていない。本件発明の構成要件
Gに係るモル濃度の数値は,本件明細書【0023】に記載されたモル濃度の各範
囲のうち,最後の範囲と各「約」を除いたものであり,本件明細書には,本件発明
に係る特許出願時から【表8】~【表13】の記載がある(甲2,乙3)から,当
業者は,この構成要件Gに係るモル濃度の数値は,本件明細書に記載されている添
加シュウ酸又は添加されたシュウ酸ナトリウムのモル濃度の数値と理解するので
あって,解離シュウ酸のモル濃度の推定値を足し合わせた数値が,前記の構成要件
Gに係るモル濃度とされていると理解するとは考えられない。
また,一定の数値の範囲を限定した特許発明につき,その数値の範囲内において
当該発明を実施すれば,実施例といえるのであって,明細書に記載される実施例が,
その数値の範囲の上限及び下限を画するものである必要性はなく,当業者が,明細
書に記載された実施例が,必ず前記の数値の範囲の上限又は下限を画するものであ
ると理解するとは考えられない。
このように,実施例1~17については,解離シュウ酸は考慮されていないとい
うべきである。
以上のとおり,実施例1,8及び18(b)は,本件発明の実施例という
ことはできない。これらを除いた実施例については,前記のとおり,いずれもシュ
ウ酸が添加されたものであり,解離シュウ酸は考慮されていない。
7 小括
以上判示したところを総合すると,本件発明における「緩衝剤」としての「シュ
ウ酸」は,添加シュウ酸に限られ,解離シュウ酸を含まないものと解され,被控訴
人各製品は,解離シュウ酸を含むものの,シュウ酸が添加されたものではないから,
「緩衝剤」を含有するものとはいえず,構成要件B,F及びGの「緩衝剤」に係る
構成を有しない。
したがって,被控訴人各製品は,その余の構成要件について検討するまでもなく,
本件発明及び本件訂正発明の技術的範囲に属しない。
第4 結論
以上の次第で,控訴人の本件各請求は,その余の点を判断するまでもなく,いず
れも理由がなく,原判決は,結論において相当であるから,本件控訴を棄却するこ
ととして,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官
森 義 之
裁判官
片 岡 早 苗
裁判官
古 庄 研
別紙
被控訴人製品目録
1 オキサリプラチン点滴静注液50mg「サワイ」
2 オキサリプラチン点滴静注液100mg「サワイ」
3 オキサリプラチン点滴静注液200mg「サワイ」
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