平成30(ワ)38504特許権侵害差止等請求事件
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裁判所 |
請求棄却 東京地方裁判所東京地方裁判所
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裁判年月日 |
令和3年3月30日 |
事件種別 |
民事 |
対象物 |
止痒剤 |
法令 |
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キーワード |
特許権30回 実施15回 無効11回 侵害8回 進歩性4回 差止3回 拒絶査定不服審判2回 審決2回
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主文 |
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,A事件及びB事件ともに,原告の負担とする。 |
事件の概要 |
本件は,発明の名称を「止痒剤」とする発明について特許を受け,当該特許
発明についての特許権を有する原告が,医薬品の製造販売業者である被告らに20
対し,被告らがそれぞれ製造,販売及び販売の申出(以下,これらの行為を併
せて「製造販売等」という。)している止痒剤は,特許請求の範囲に記載され
た構成の各要件を文言上充足する,又は,特許請求の範囲に記載された構成と
均等なものであると主張して,特許法(以下「法」という。)100条1項及
び2項に基づき,各被告に対し,当該止痒剤の製造販売等の差止め及び当該止25
痒剤(その半製品を含む。)の廃棄をそれぞれ求めるとともに,不法行為に基
づき,A事件被告に対しては損害金6億2210万円の一部請求として100
0万円及びその遅延損害金の,B事件被告に対しては損害金3億2105万円
の一部請求として1000万円及びその遅延損害金の,各支払を求める事案で
ある。
被告らは,その止痒剤の製造販売等は,文言侵害,均等侵害のいずれにも当5
たらない上,上記特許には無効理由が存する,あるいは,上記特許権は存続期
間が経過したなどとして争っている。これに対し,原告は,特許権は延長登録 |
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判決文
令和3年3月30日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成30年(ワ)第38504号 特許権侵害差止等請求事件(A事件)
平成30年(ワ)第38508号 特許権侵害差止等請求事件(B事件)
口頭弁論終結日 令和3年1月21日
5 判 決
A事件及びB事件原告 東レ株式会社
(以下「原告」という。)
10 A事件原告訴訟代理人弁護士 重 冨 貴 光
長 谷 部 陽 平
鷲 見 健 人
B事件原告訴訟代理人弁護士 畠 山 慎 市
黒 川 由 子
15 上記両事件原告訴訟代理人弁理士 皆 川 量 之
A事件被告 沢井製薬株式会社
20 B事件被告 扶桑薬品工業株式会社
上記両名訴訟代理人弁護士 小 松 陽 一 郎
原 悠 介
千 葉 あ す か
25 主 文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,A事件及びB事件ともに,原告の負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
(A事件)
5 1 A事件被告は,別紙被告製剤目録記載1の製剤を製造し,販売し又は販売の
申出をしてはならない。
2 A事件被告は,別紙被告製剤目録記載1の製剤及びその半製品を廃棄せよ。
3 A事件被告は,原告に対し,1000万円及びこれに対する平成31年1月
18日(A事件被告に対する訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の
10 割合による金員を支払え。
(B事件)
1 B事件被告は,別紙被告製剤目録記載2の製剤を製造し,販売し又は販売の
申出をしてはならない。
2 B事件被告は,別紙被告製剤目録記載2の製剤及びその半製品を廃棄せよ。
15 3 B事件被告は,原告に対し,1000万円及びこれに対する平成31年1月
18日(B事件被告に対する訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の
割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,発明の名称を「止痒剤」とする発明について特許を受け,当該特許
20 発明についての特許権を有する原告が,医薬品の製造販売業者である被告らに
対し,被告らがそれぞれ製造,販売及び販売の申出(以下,これらの行為を併
せて「製造販売等」という。)している止痒剤は,特許請求の範囲に記載され
た構成の各要件を文言上充足する,又は,特許請求の範囲に記載された構成と
均等なものであると主張して,特許法(以下「法」という。)100条1項及
25 び2項に基づき,各被告に対し,当該止痒剤の製造販売等の差止め及び当該止
痒剤(その半製品を含む。)の廃棄をそれぞれ求めるとともに,不法行為に基
づき,A事件被告に対しては損害金6億2210万円の一部請求として100
0万円及びその遅延損害金の,B事件被告に対しては損害金3億2105万円
の一部請求として1000万円及びその遅延損害金の,各支払を求める事案で
ある。
5 被告らは,その止痒剤の製造販売等は,文言侵害,均等侵害のいずれにも当
たらない上,上記特許には無効理由が存する,あるいは,上記特許権は存続期
間が経過したなどとして争っている。これに対し,原告は,特許権は延長登録
の出願により存続期間が延長されたものとみなされ,当該特許権の効力が上記
の止痒剤の製造販売等に及ぶものであるなどと主張している。
10 1 前提事実(当事者間に争いがないか,末尾掲記の各証拠及び弁論の全趣旨に
より容易に認定できる事実)
当事者
ア 原告は,医薬品の製造販売を業とする株式会社である。
イ 被告らは,医薬品の製造販売を業とする株式会社である。
15 原告の特許権とその存続期間の延長登録出願
ア 原告は,下記1の特許権(以下「本件特許権」という。)の特許権者で
あったが,平成29年6月29日,本件特許権について,その特許発明の
実施に下記2の処分(以下「本件処分」という。)を受けることが必要で
あるために,その特許発明の実施をすることができない期間があったとし
20 て,その存続期間の5年の延長を求めて,存続期間延長登録の出願(特許
出願2017-700154。以下「本件延長登録出願」という。)をし
た(甲3,乙ロ32)。これにより,本件特許権の存続期間は延長された
ものとみなされた(法67条の2第5項本文)。
記
25 1 発明の名称 止痒剤
特許番号 特許第3531170号
出願番号 特願平10-524506号(以下,「本件特
許出願」といい,その願書に添付された特許請
求の範囲を「本件特許請求の範囲」,明細書を
「本件明細書」という。)
5 出願日 平成9年11月21日
優先日 平成8年11月25日
2 延長登録の理由となる処分
医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法
律(以下「医薬品医療機器等法」という。)14条1項に規定する
10 医薬品に係る同項の承認
延長登録の理由となる処分を特定する番号
22900AMX00538000
延長登録の理由となる処分の対象となった医薬品
販売名 レミッチOD錠2.5㎍(以下「原告製剤」という。)
15 有効成分 ナルフラフィン塩酸塩
延長登録の理由となる処分の対象となった医薬品について特定された
用途
次の患者におけるそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に
限る。) 血液透析患者,慢性肝疾患患者
20 イ 原告は,平成30年3月5日付けで,本件延長登録出願について拒絶査
定を受けたことから,同年6月1日,同査定について拒絶査定不服審判
(審判2018-7539号)を請求した。
これに対し,特許庁は,令和2年3月30日付けで,上記拒絶査定不服
審判の請求は成り立たない旨の審決をした。(乙イ19)
25 本件特許請求の範囲
ア 本件特許請求の範囲は,請求項の数が36あり(甲2),このうち請求
項1記載の発明(以下「本件発明」という。)は,「下記一般式(I)
[式中, は二重結合又は単結合を表し,R 1 は炭素数1から5のアルキ
ル,炭素数4から7のシクロアルキルアルキル,炭素数5から7のシクロ
5 アルケニルアルキル,炭素数6から12のアリール,炭素数7から13の
アラルキル,炭素数4から7のアルケニル,アリル,炭素数1から5のフ
ラン-2-イルアルキルまたは炭素数1から5のチオフェン-2-イルア
ルキルを表し,R 2は水素,ヒドロキシ,ニトロ,炭素数1から5のアル
カノイルオキシ,炭素数1から5のアルコキシ,炭素数1から5のアルキ
10 ルまたは-NR 9 R 10 を表し,R 9 は水素または炭素数1から5のアルキ
ルを表し,R 10 は水素,炭素数1から5のアルキルまたは-C(=O)
R 11 -を表し,R 11 は,水素,フェニルまたは炭素数1から5のアルキ
ルを表し,R 3 は水素,ヒドロキシ,炭素数1から5のアルカノイルオキ
シまたは炭素数1から5のアルコキシを表し,Aは-XC(=Y)-,-
15 XC(=Y)Z-,-X-または-XSO 2 -(ここでX,Y,Zは各々
独立してNR 4 ,SまたはOを表し,R 4 は水素,炭素数1から5の直鎖
もしくは分岐アルキルまたは炭素数6から12のアリールを表し,式中
R 4 は同一または異なっていてもよい)を表し,Bは原子価結合,炭素数
1から14の直鎖または分岐アルキレン(ただし炭素数1から5のアルコ
20 キシ,炭素数1から5のアルカノイルオキシ,ヒドロキシ,弗素,塩素,
臭素,ヨウ素,アミノ,ニトロ,シアノ,トリフルオロメチルおよびフェ
ノキシからなる群から選ばれた少なくとも一種以上の置換基により置換さ
れていてもよく,1から3個のメチレン基がカルボニル基でおきかわって
いてもよい),2重結合および/または3重結合を1から3個含む炭素数
2から14の直鎖もしくは分岐の非環状不飽和炭化水素(ただし炭素数1
5 から5のアルコキシ,炭素数1から5のアルカノイルオキシ,ヒドロキシ,
弗素,塩素,臭素,ヨウ素,アミノ,ニトロ,シアノ,トリフルオロメチ
ルおよびフェノキシからなる群から選ばれた少なくとも一種以上の置換基
により置換されていてもよく,1から3個のメチレン基がカルボニル基で
おきかわっていてもよい),またはチオエーテル結合,エーテル結合およ
10 び/もしくはアミノ結合を1から5個含む炭素数1から14の直鎖もしく
は分岐の飽和もしくは不飽和炭化水素(ただしヘテロ原子は直接Aに結合
することはなく,1から3個のメチレン基がカルボニル基でおきかわって
いてもよい)を表し,R5は水素または下記の基本骨格:
15 のいずれかを持つ有機基(ただし炭素数1から5のアルキル,炭素数1か
ら5のアルコキシ,炭素数1から5のアルカノイルオキシ,ヒドロキシ,
弗素,塩素,臭素,ヨウ素,アミノ,ニトロ,シアノ,イソチオシアナト,
トリフルオロメチル,トリフルオロメトキシ,メチレンジオキシからなる
群から選ばれた少なくとも一種以上の置換基により置換されていてもよ
い)を表し,R 6 は水素,R 7 は水素,ヒドロキシ,炭素数1から5のア
ルコキシ,炭素数1から5のアルカノイルオキシ,もしくは,R 6 とR 7
は一緒になって-O-,-CH 2 -,-S-を表し,R 8 は水素,炭素数
1から5のアルキルまたは炭素数1から5のアルカノイルを表す。また,
5 一般式(I)は(+)体,(-)体,(±)体を含む]で表されるオピオ
イドκ受容体作動性化合物を有効成分とする止痒剤。」というものである。
なお,以下において,上記一般式(Ⅰ)については,その記載を省略す
る。
イ 本件発明を構成要件に分説すると,次のとおりとなる。
10 A 一般式(Ⅰ)で表されるオピオイドκ受容体作動性化合物(以下「本
件化合物」という。)を有効成分とする
B 止痒剤。
被告らの行為
ア A事件被告は,別紙被告製剤目録記載1の製剤について,平成30年6
15 月15日付けで使用基準の薬価(薬価基準)に収載されて以降,その製造
販売等を行っている。
イ B事件被告は,別紙被告製剤目録記載2の製剤(以下,同目録記載1の
製剤と併せて「被告ら製剤」という。)について,平成30年6月15日
付けで使用基準の薬価(薬価基準)に収載されて以降,その製造販売等を
20 行っている。
被告ら製剤の構成及び被告ら製剤と本件発明との対比
ア 被告ら製剤は,本件発明に対応させると,いずれも次の構成を有してい
る。
a 1錠中にナルフラフィン塩酸塩2.5㎍(そのフリー体であるナルフ
25 ラフィン(以下「ナルフラフィン(フリー体)」という。)として2.
32㎍)を含有する
b 止痒剤。
イ 被告ら製剤と本件発明とを対比すると,構成aのうち,ナルフラフィン
塩酸塩については構成要件Aの「一般式(Ⅰ)で表されるオピオイドκ受
容体作動性化合物」(本件化合物)に当たらないが,ナルフラフィン(フ
5 リー体)については本件化合物に当たり,構成bは構成要件Bの「止痒
剤」に当たる(被告ら製剤において,ナルフラフィン塩酸塩とナルフラフ
ィン(フリー体)のいずれが構成要件Aの「有効成分」に当たるかについ
ては,当事者間に争いがある。)。
先行文献の存在
10 特許番号特許第2525552号の特許公報は,本件特許権の優先日より
前の日である平成8年8月21日に発行された(乙ロ1。以下,上記特許公
報に開示された発明を「乙ロ1発明」という。)。
2 争点
被告ら製剤は本件化合物であるナルフラフィン(フリー体)を「有効成
15 分」とするものか
被告ら製剤は本件発明に記載された構成と均等なものか
本件発明は進歩性を欠き無効にされるべきものか
本件延長登録出願により存続期間が延長されたものとみなされた本件特許
権の効力は被告ら製剤の製造販売等に及ぶか
20 本件延長登録出願に基づく延長登録は無効ないし一部無効にされるべきも
のか
原告による本件特許権の行使は権利濫用となるか
先使用権の存否
損害の額
25 3 争点についての当事者の主張
被告ら製剤は本件化合物であるナルフラフィン(フリー体)を
「有効成分」とするものか)について
【原告の主張】
構成要件Aの「有効成分」とは,体内で吸収されて薬理作用を奏する部分
を意味するところ,被告ら製剤は,人体への投与後,ナルフラフィン(フリ
5 ー体)がナルフラフィン塩酸塩から遊離して生体に吸収されて止痒効果を奏
するから,被告ら製剤において構成要件Aの「有効成分」に当たるのはナル
フラフィン(フリー体)である。このことは,被告ら製剤の添付文書に「ナ
ルフラフィン塩酸塩2.5㎍(ナルフラフィンとして2.32㎍)」というよ
うにフリー体が併記されていることからも裏付けられる。
10 【被告らの主張】
構成要件Aの「有効成分」とは,体内での作用とは関係なく,投与前の医
薬品の段階で製剤に含まれる成分のうち薬効を示す成分を意味するところ,
被告ら製剤においては,投与前の医薬品の段階で製剤に含まれる成分のうち,
薬効を示す成分はナルフラフィン塩酸塩であるから,被告ら製剤において構
15 成要件Aの「有効成分」に当たるのは,ナルフラフィン塩酸塩である。
(被告ら製剤は本件発明に記載された構成と均等なものか)につい
て
【原告の主張】
仮に,被告ら製剤において,ナルフラフィン塩酸塩が構成要件Aの「有効
20 成分」に当たるとしても,止痒剤に含有される本件化合物がフリー体の状態
であるか,酸付加塩の状態であるかは本件発明の本質的な部分ではないこと
(第1要件),ナルフラフィン(フリー体)を有効成分とするか,ナルフラ
フィン塩酸塩を有効成分とするかによって止痒の薬理作用は変わらず,いず
れによっても本件発明の目的を達し,同一の作用効果を奏すること(第2要
25 件),医薬品に用いられる原薬の開発は,まず薬効及び当該薬効に関わる薬
理作用を奏する化合物(被告ら製剤でいえばナルフラフィン(フリー体))
が見いだされ,次いで塩や結晶系などのスクリーニングが行われるのであっ
て,化合物に付加される塩の存在は薬理作用に関与しないという技術常識に
照らせば,被告ら製剤の製造時において,本件化合物をナルフラフィン塩酸
塩に置換することは極めて容易であること(第3要件),本件化合物の止痒
5 作用は本件発明によって初めて公知となったものであり,被告ら製剤は,本
件特許出願当時において,公知技術と同一又は当業者(その発明の属する技
術の分野における通常の知識を有する者。以下も同様。)において容易に推
考できたものではないこと(第4要件),及びナルフラフィン塩酸塩を有効
成分とする止痒剤が本件特許出願に対する審査手続で特許請求の範囲から意
10 識的に除外されたものであるなどの特段の事情は存在しないこと(第5要
件)からすれば,被告ら製剤は本件発明に記載された構成と均等なものであ
るというべきである。
【被告らの主張】
ア オピオイドκ受容体作動性化合物は従来技術として既知の物質であるこ
15 となどに照らすと,従来技術を参酌した当業者は,本件発明を,酸付加塩
という構成に変更することにより,異質かつ予測できない効果を有するこ
ととなると理解しないとはいえない。すなわち,酸付加塩という構成に変
更すると,本件発明とは別の本質的部分を有することとなるものであり,
本件発明と被告ら製剤とは本質的部分を異にするものというべきであるか
20 ら,被告ら製剤は,均等侵害の第1要件を充足しない。
イ また, 本件発明は乙ロ1発明に基
づき容易に発明することができたものであるから,被告ら製剤は,均等侵
害の第4要件を充足しない。
ウ さらに,本件発明については,本件明細書で明確にフリー体と酸付加塩
25 とを置き換えることができる記載となっており,ナルフラフィン塩酸塩を
有効成分とする被告ら製剤が意識的に除外されていることは明らかである
から,被告ら製剤は,均等侵害の第5要件を充足しない。
エ したがって,被告ら製剤は本件発明に記載された構成と均等なものであ
るとはいえない。
(本件発明は進歩性を欠き無効にされるべきものか)について
5 【被告らの主張】
ア 本件発明は乙ロ1発明に基づき容易に発明することができたこと
乙ロ1発明は,「一般式(Ⅰ)で表されるモルヒナン誘導体又はその
薬理学的に許容される酸付加塩」というものであるところ,乙ロ1発明
の「一般式(Ⅰ)で表されるモルヒナン誘導体」は,文言上,本件発明
10 の「オピオイドκ受容体作動性化合物」を含んでいる。そうすると,そ
の意味において,乙ロ1発明は,本件発明を含むことになり,具体的に
医薬用途として開示されている化合物が一致する点において乙ロ1発明
に本件発明が開示されていることとなるから,本件発明と乙ロ1発明と
は,本件発明においては医薬用途が止痒剤に特定されているのに対し,
15 乙ロ1発明においては医薬用途が特定されていない点においてのみ相違
しているといえる。
しかるに,本件発明の優先日当時,公知文献であった「Annals of
the New York Academy of Sciences 1988年525巻(291頁以
下)」(乙ロ4),「Pharmacology biochemistry and behavior 19
20 9 3 年 4 4 巻 1 号 ( 4 5 頁 以 下 ) 」 ( 乙 ロ 5 ) , 「 Trends in
Pharmacological Sciences 1986年7巻2号(69頁以下)」(乙
ロ6)及び「The FASEB journal 1995年3月9巻3号 A98 574」
(乙ロ7)において,オピオイドκ受容体作動性化合物がボンベシンに
よって誘発されたラット等のグルーミング(引っ掻き行動)の抑制に有
25 効 で あ る こ と が 指 摘 さ れ て お り , 「 Journal of Pharmacological
Methods 1983年10巻(107頁)」(乙ロ8)及び「European
Journal of Pharmacology 1995年275巻3号(229頁以下)」
(乙ロ9)において,ボンベシン等によって誘発されたラット等のグル
ーミングが痒みに由来することが知られていた。そうすると,当業者に
おいては,オピオイドκ受容体作動性化合物にそう痒症状の改善作用を
5 有する用途が見いだされることにつき容易に想到することができたとい
える。
したがって,本件発明は,乙ロ1発明に乙ロ第4号証ないし同第9号
証の各文献に開示された公知技術及び周知技術を適用して容易に発明す
ることができたものであるから,進歩性を欠き無効にされるべきもので
10 ある。
イ 本件発明には顕著な効果がないこと
本件発明は公知の物質についての用途発明であるところ,本件明細書に
は,オピオイドκ受容体作動性化合物であるナルフラフィン(フリー体)
の止痒作用について,高度な創作性を裏付ける顕著な効果の記載がないか
15 ら,本件発明は進歩性を欠き無効にされるべきものである。
【原告の主張】
ア 本件発明は乙ロ1発明に基づき容易に発明することができたものではな
いこと
本件発明と乙ロ1発明とは,被告らが主張する点だけでなく,本件発
20 明の化合物がオピオイドκ受容体作動性化合物であるのに対し,乙ロ1
発明の化合物がモルヒナン誘導体である点においても相違している。
また,本件発明においては医薬用途が止痒剤に特定されているのに対
し,乙ロ1発明においては医薬用途が特定されていないという相違点に
ついては,次の諸点を指摘することができる。すなわち,乙ロ第4号証
25 ないし同第9号証の各文献には,止痒剤(ヒトの痒みの治療薬)に関す
る公知技術が何ら提示されていない。また,本件発明の優先日当時,ボ
ンベシンによって誘発されるグルーミングの行動原理は科学的に明らか
にされておらず,特定の化合物がボンベシンによって誘発されるグルー
ミングを抑制したからといって,当該化合物がそう痒症状の改善に有効
であるとはいえなかった。他方で,本件発明の優先日当時,オピオイド
5 κ受容体作動性化合物であっても,ボンベシンによって誘発されるグル
ーミングに対して抑制効果を示さないものが多数存在していた。さらに,
乙ロ第4号証ないし同第7号証の各文献に記載された化合物は無視し得
ない副作用を有しており,上記各文献に開示された技術を乙ロ1発明に
適用することについては阻害要因が存在する。
10 これらによれば,上記各文献には上記相違点に係る技術が開示されて
いるとはいえず,また,上記各文献に開示された技術を乙ロ1発明に適
用する動機付けがないというべきである。
したがって,本件発明は乙ロ1発明に基づいて容易に発明をすること
ができたものではない。
15 イ 本件発明には顕著な効果があること
本件発明の優先日当時,オピオイドκ受容体作動性化合物であってもボ
ンベシンによって誘発されるグルーミングに対して抑制効果を示さないも
のが存在する一方,オピオイドκ受容体作動作用を有しない化合物であっ
てもボンベシンによって誘発されるグルーミングに対して抑制効果を示す
20 ものが存在していたことから,オピオイドκ受容体作動作用とボンベシン
によって誘発されるグルーミングに対する抑制効果とは必ずしも結びつけ
られておらず,オピオイドκ受容体作動作用が止痒作用・効果を有すると
いう公知技術・周知技術は存在しなかった。しかも,本件発明の優先日当
時,オピオイドκ受容体作動性化合物を人体に投与してその止痒効果を確
25 認した例は存在しなかったから,本件明細書において本件発明の化合物を
人体に投与してその止痒効果が確認されている以上,本件発明が顕著な作
用効果を有することは明らかであって,この点からしても,本件発明は乙
ロ1発明に基づいて容易に発明をすることができたものではない。
争点 (本件延長登録出願により存続期間が延長されたものとみなされた
本件特許権の効力は被告ら製剤の製造販売等に及ぶか)について
5 【原告の主張】
ア 医薬用途特許につき医薬品医療機器等法上の処分を理由とする延長登録
出願がされた場合,法68条の2の「政令で定める処分の対象となった
物」は当該医薬品の有効成分及び効能・効果によって特定されるから,上
記延長登録出願により存続期間が延長された特許権の効力は,政令で定め
10 る処分の対象となった医薬品と有効成分及び効能・効果が一致する医薬品
の製造販売等に及ぶと解すべきである。
これを本件についてみると,本件延長登録出願は特定のオピオイドκ受
容体作動性化合物を有効成分とする止痒剤に関する医薬用途特許について
されたものであり,医薬品医療機器等法上の処分である本件処分を理由と
15 するものであるところ,本件処分の対象となった原告製剤と被告ら製剤と
は,有効成分を同じくし,いずれも止痒剤であって,血液透析患者におけ
るそう痒症の改善(既存治療で効果不十分な場合に限る。)の範囲で効
能・効果が一致する。
したがって,本件延長登録出願により存続期間が延長されたものとみな
20 された本件特許権の効力は被告ら製剤の製造販売等に及ぶというべきであ
る。
イ また,仮に法68条の2の「政令で定める処分の対象となった物」を医
薬品の成分,分量,用法,用量及び効能・効果によって特定するとしても,
医薬用途特許発明についての本質,技術的特徴,作用効果は医薬品の有効
25 成分と効能・効果(用途)にあり,有効成分以外の成分その他の要素は医
薬用途特許発明の本質,技術的特徴,作用効果と直接的に関係するもので
はない。そうすると,政令で定める処分の対象となった医薬品と,同医薬
品と有効成分及び効能・効果が一致する医薬品とは実質同一なものという
べきであるところ,前記アのとおり,原告製剤と被告ら製剤とは有効成分
及び効能・効果が一致するから,本件延長登録出願により存続期間が延長
5 されたものとみなされた本件特許権の効力は被告ら製剤の製造販売等に及
ぶというべきである。
ウ さらに,被告ら製剤の添加物は,その製造販売承認申請時において,錠
剤ないし口腔内崩壊錠の添加物として通常用いられる周知・慣用な添加物
であって,被告ら製剤は,周知・慣用技術に基づき,原告製剤に異なる添
10 加物を付加し,又は原告製剤の添加物を異なる添加物に転換し,若しくは
脱落させたものである上,被告ら製剤は,原告製剤に製剤的な機能を新た
に付加するものではなく,口腔内崩壊特性にも実質的な差異は認められな
いから,原告製剤と被告ら製剤との差異は,僅かなもの又は全体的にみて
形式的なものにすぎない。
15 したがって,被告らが主張する後記の判断枠組みを前提にしたとしても,
被告ら製剤は,本件処分の対象となった原告製剤と実質同一なものである
から,本件延長登録出願により存続期間が延長されたものとみなされた本
件特許権の効力は,被告ら製剤の製造販売等に及ぶというべきである。
【被告らの主張】
20 ア 法68の2の「政令で定める処分の対象となった物」は,医薬品の成分,
分量,用法,用量及び効能・効果によって特定すべきであり,存続期間が
延長された特許権の効力は,原則として,これらの要素によって特定され
た医薬品についての「当該特許発明の実施」の範囲に及ぶと解すべきであ
るところ,被告ら製剤と原告製剤とは,被告ら製剤には原告製剤のものと
25 は異なる添加物が配合されている点,及び,被告ら製剤の効能・効果から
は慢性肝疾患患者が除外されている点において,本件処分で定められた成
分及び効能・効果に関する差異があることになる。そうすると,被告ら製
剤が原告製剤と実質同一なものと認められない限り,本件延長登録出願に
より存続期間が延長されたものとみなされた本件特許権の効力は,被告ら
製剤の製造販売等に及ばない。
5 イ しかるに,被告ら製剤は,本件処分より前に原告製剤のものとは全く異
なる独自の添加物を配合することにより製剤化されたものであって,本件
処分の申請時における周知・慣用技術に基づき,一部において異なる成分
を付加し,あるいはこれに転換等したものではない。また,被告ら製剤は
原告製剤において安定性を担保している成分を使用しておらず,被告ら製
10 剤と原告製剤とは,医薬品としての本質的特徴である技術的特徴が相当異
なっていることに加え,被告ら製剤の効能・効果からは慢性肝疾患患者が
除外されている点において効能・効果の一部も異なっている。これらを併
せ考慮すると,原告製剤と被告ら製剤の差異が僅かなもの又は全体的にみ
て形式的なものにすぎないとはいえず,被告ら製剤が,原告製剤と実質同
15 一なものとして,本件延長登録出願により存続期間が延長されたものとみ
なされた本件特許権の効力範囲に属するとはいえないというべきである。
ウ したがって,本件延長登録出願により存続期間が延長されたものとみな
された本件特許権の効力は,被告ら製剤の製造販売等に及ばないというべ
きである。
20 (本件延長登録出願に基づく延長登録は無効ないし一部無効にされ
るべきものか)について
【被告らの主張】
ア 本件発明の実施に本件処分を受ける必要があったとは認められないこと
本件処分の対象である原告製剤はナルフラフィン塩酸塩を有効成分とす
25 るものであるところ,ナルフラフィン塩酸塩は本件化合物に含まれないか
ら,原告製剤は本件発明を充足しない。
そうすると,本件発明の実施に本件処分を受ける必要があったとは認め
られないから,本件延長登録出願に基づく延長登録は,その要件を欠くも
のとして無効にされるべきものである。
イ 本件延長登録出願で延長を求める期間が本件発明の実施をすることがで
5 きなかった期間を超えていること
原告は,本件処分を受けるより前に,本件処分の対象となった原告製
剤と同一の有効成分及び用途等を有するカプセルについて承認処分を受
けており,本件処分は,カプセルからOD錠への剤形追加承認処分とい
うことになるところ,一般的に,剤形追加承認処分を受けるためには,
10 生物学的同等性試験を行うことで足りるとされており,同試験自体は通
常多くの日数を要せず,その審査期間も1年弱程度であるとされている。
そうすると,本件発明について,臨床試験の期間と審査期間を加えた
「実施をすることができなかった期間」は1年であるというべきである。
仮に本件発明について「実施をすることができなかった期間」が1年
15 であるとはいえないとしても,特許第5337430号,特許第554
9586号及び特許第5648480号の各特許権について,本件延長
登録出願と同一の処分を理由として,延長期間を1年11か月26日と
する延長登録がされていることから,本件延長登録出願に基づく延長期
間もこれと同じ期間とすべきである。
20 したがって,本件延長登録出願に基づく延長登録は,延長期間が1年
又は1年11か月26日を超える部分について無効にされるべきである。
【原告の主張】
ア 本件発明の実施に本件処分を受けることが必要であったと認められるこ
と
25 原告製剤において薬効となる薬理作用を奏する成分(有効成分)はナ
ルフラフィン(フリー体)であるから,原告製剤は,ナルフラフィン
(フリー体)を有効成分とする止痒剤であり,本件発明の技術的範囲に
属する。
また,仮に,原告製剤の有効成分がナルフラフィン塩酸塩であるとし
ても,原告製剤において止痒作用を発揮する成分はナルフラフィン(フ
5 リー体)であり,ナルフラフィン(フリー体)により止痒効果を生じさ
せる医薬品である点において,原告製剤は,本件発明の技術的範囲に属
する止痒剤と実質同一である。
したがって,本件発明の実施に本件処分を受けることが必要であった
と認められる。
10 イ 本件延長登録出願で延長を求める期間が本件発明の実施をすることがで
きなかった期間を超えていることについては,争う。
(原告による本件特許権の行使は権利濫用となるか)について
【被告らの主張】
特許請求の範囲に「酸付加塩」の記載がない本件発明には,ナルフラフィ
15 ン塩酸塩に係る構成は含まれないと解すべきであるところ,原告は,「酸付
加塩」の記載の有無がクレーム解釈上も影響することを認識していたにもか
かわらず,本件訴訟を提起した。その上,原告は,本件延長登録出願につい
て,本件発明にはナルフラフィン塩酸塩を有効成分とする原告製剤は含まれ
ず本件発明の実施に本件処分が必要であったとは認められないことを理由と
20 して拒絶審決がされた後においても,本件訴訟を維持している。これらの原
告の行為は,権利の濫用として許されない。
【原告の主張】
被告らの上記主張は争う。
(先使用権の存否)について
25 【被告らの主張】
本件延長登録出願により存続期間が延長されたものとみなされる特許権の
対象となる特許発明は,本件発明の「止痒剤」という用途が更に「OD錠」
という用途に限定された「ナルフラフィン塩酸塩を有効成分とする止痒剤の
OD錠」になると解すべきである。しかして,被告らは,この限定された特
許発明を知らないで,本件延長登録出願の前に,ナルフラフィン塩酸塩を有
5 効成分とする止痒剤のOD錠を独自に開発し,安定性試験や生物学的同性等
試験も行って後発医薬品の製造販売承認申請を行った上,承認後には上市し
ている。これらによれば,このような被告らの製造販売等の行為については,
法79条を類推適用して,先使用権が認められるべきである。
【原告の主張】
10 被告らの主張は,延長登録制度の趣旨にも,先使用権制度の趣旨にも,文
理解釈にも反するもので,独自の見解といわざるを得ず,採用する余地のな
いものである。
(損害の額)について
【原告の主張】
15 ア 原告は,A事件被告による本件特許権の侵害により,原告製剤の販売に
係る逸失利益その他の損害を被ったために,専門家である弁護士に委任し
てA事件被告に対して本件訴訟を提起せざるを得なくなったものであり,
本件訴訟の複雑さ等を考慮すると,原告が本件を解決するために支出した
弁護士費用に係る損害は2000万円を下らず,その損害の総額は,上記
20 弁護士費用相当額も含めて6億2210万円を下らない。本件訴訟では,
これらの損害の総額のうち,弁護士費用相当額の一部である1000万円
の賠償を求める。
イ 原告は,B事件被告による本件特許権の侵害により,原告製剤の販売に
係る逸失利益その他の損害を被ったために,専門家である弁護士に委任し
25 てB事件被告に対して本件訴訟を提起せざるを得なくなったものであり,
本件訴訟の複雑さ等を考慮すると,原告が本件を解決するために支出した
弁護士費用に係る損害は2000万円を下らず,その損害の総額は,上記
弁護士費用相当額も含めて3億2105万円を下らない。本件訴訟では,
これらの損害の総額のうち,弁護士費用相当額の一部である1000万円
の賠償を求める。
5 【被告らの主張】
原告の上記主張は争う
第3 当裁判所の判断
1 争点 (被告ら製剤は本件化合物であるナルフラフィン(フリー体)を「有
効成分」とするものか)について
10 前記前提事実 アのとおり,本件発明の特許請求の範囲は「一般式(Ⅰ)
で表されるオピオイドκ受容体作動性化合物を有効成分とする止痒剤」とい
うものであり,本件発明は「止痒剤」という医薬品の製剤を組成する「有効
成分」に関する発明であるところ,本件特許権に関する特許公報(甲2)に
掲載された本件明細書の記載内容を見ても,この構成要件Aの「有効成分」
15 という用語について特段の定義をした記載は見当たらない。そうすると,本
件発明において,この「有効成分」という用語は,医薬品の分野における当
業者が理解する通常の意味で用いられているというべきである。そこで,以
下,同用語の意味を明らかにするべく,医薬品に関する文献等の記載につい
て検討する。
20 後記括弧内掲記の証拠等によれば,医薬品に関する文献等において,医薬
品の製剤の「有効成分」について,次のとおり記述されていることが認めら
れる。
ア 「active constituent 有効成分 医薬品の組成は有効成分とその他の
成分に分けられる。有効成分は薬の効果(たとえば鎮痛)をもたらすもの
25 であり,その他の成分(たとえば色素,香料,甘味剤,充塡剤)は,その
有効成分を患者が服用しやすい医薬品(製剤)に仕上げるものである。」
(「英和・和英 医薬実用英語ハンドブック」。乙イ15)
イ 「有効成分 薬剤に含有される成分の中で薬効を示す成分のこと。飲み
やすくする矯味薬,形状をととのえる賦形剤は含まれない。」(「医薬実
務用語集 第9版」。乙イ14)。
5 ウ 「医薬品の有効成分である原薬は,そのほとんどが固体の結晶として単
離され,医薬品(製剤)開発に供されるが,一概に結晶といっても,低分
子原薬が取り得る形態は様々であり,単一結晶であるフリー体,あるいは
複合結晶である水和物,溶媒和物,塩および共結晶,さらにそれぞれの結
晶多形が存在する可能性があり,多くの候補形態の中から開発に最適な原
10 薬形態すなわち開発形態を選択することが望ましい。開発形態を探索する
ために候補化合物の原薬形態スクリーニングを実施し,それにより見出さ
れた複数の候補形態の中から良好な物性と安定性を有する原薬形態を選択
し,その後の製剤開発を進めるのが製薬企業で実施されている一般的なア
プローチである。」,「医薬品の原薬形態とは,有効成分である原薬の固
15 体状態を表現する用語であり,(中略)同一の有効成分であっても様々な
形態を取り得ることが想像されるが,(中略)実際に利用されている原薬
形態のうち,単一成分の結晶であるフリー体あるいは複合成分の結晶であ
る水和物および塩が大勢を占めている。」(「ファインケミカルシリーズ
医薬品原薬の結晶化と物性評価:その最先端技術と評価の実際」の「第1
20 編」の「第4章 原薬の開発形態検討」。甲95)
エ 「添加剤は,製剤に含まれる有効成分以外の物質で,有効成分及び製剤
の有用性を高める,製剤化を容易にする,品質の安定化を図る,又は使用
性を向上させるなどの目的で用いられる。製剤には,必要に応じて,適切
な添加剤を加えることができる。」(「第十七改正日本薬局方」(平成2
25 8年3月7日厚生労働省告示第64号)の製剤総則の[1]製剤 )
これらの記述によれば,医薬品の分野において,製剤は,主に単一成分の
結晶であるフリー体又は複合成分の結晶である水和物及び塩の形態をとって
いる原薬を有効成分として,これに,色素,香料,甘味剤,充塡剤,矯味薬,
賦形剤などの添加剤を加えて組成されたものをいうと認められる。
そうすると,「止痒剤」という製剤を組成する「有効成分」に関する発明
5 である本件明細書の記載に接した当業者としては,通常,この構成要件Aの
「有効成分」とは,添加剤を加えて製剤として組成される基となる原薬のこ
とをいうものと理解するといえ,同「有効成分」との文言については,同様
の意義を有するものと解するのが相当である。
これを被告ら製剤についてみると,証拠(甲A1,甲B1)によれば,被
10 告ら製剤はいずれもナルフラフィン塩酸塩を原薬として,これに添加剤とし
てアスパルテーム(L-フェニルアラニン化合物),結晶セルロース,トレ
ハロース,ヒドロキシプロピルセルロース及びL-ロイシンを加えて組成さ
れたものであると認められるから,被告ら製剤において構成要件Aの「有効
成分」に当たるものは,本件化合物であるナルフラフィン(フリー体)では
15 なく,その酸付加塩であるナルフラフィン塩酸塩であるというべきである。
これに対し,原告は,構成要件Aの「有効成分」とは,体内で吸収されて
薬理作用を奏する部分を意味し,被告ら製剤においては,ナルフラフィン
(フリー体)がこれに当たる旨主張し,その添付文書にも「ナルフラフィン
塩酸塩2.5㎍(ナルフラフィンとして2.32㎍)」というようにフリー体
20 が併記されていることを指摘し,上記主張に沿う説明や用例が記載された文
献(甲74,75,77ないし88)を提出している。
しかしながら,上記説示のように,当業者は,通常,構成要件Aの「有効
成分」とは,添加剤を加えて製剤として組成される基となる原薬のことをい
うものと理解するのであって,構成要件Aの「有効成分」との文言は,同様
25 の意義を有するものと解されるところ,被告ら製剤において,投与前の医薬
品に含まれているのがナルフラフィン塩酸塩であると認められる以上,被告
ら製剤において,ナルフラフィン(フリー体)が構成要件Aの「有効成分」
に当たるとはいえない。また,添付文書の上記括弧書き中の記載(「ナルフ
ラフィン塩酸塩2.5㎍(ナルフラフィンとして2.32㎍)」という記載)
に接した当業者においては,構成要件Aの「有効成分」について上記の理解
5 に基づいて当該記載を見るのであるから,被告ら製剤において同「有効成
分」に当たるものは,ナルフラフィン塩酸塩であると理解するというべきで
ある。さらに,原告の主張に沿う上記の説明や用例は,製剤に関するものと
はいえない(甲74,75,77,78)か,製剤に関するものといえると
しても,製剤の組成について述べたものとはいえない(甲79ないし88)
10 から,
したがって,被告ら製剤は,本件化合物であるナルフラフィン(フリー
体)を「有効成分」とするものとは認められず,構成要件Aを充足しないこ
ととなる。
2
15 前記1で判示したとおり,被告ら製剤はナルフラフィン塩酸塩を有効成分
とするものであることから,本件発明と被告ら製剤とは,本件発明に記載さ
れた構成を有する止痒剤が本件化合物を有効成分とするものであるのに対し,
被告ら製剤は本件化合物の酸付加塩であるナルフラフィン塩酸塩を有効成分
とするものである点において相違することとなる。
20 しかしながら,特許請求の範囲に記載された構成中に他人が製造等をする
製品と異なる部分が存する場合であっても,①上記部分が特許発明の本質的
部分ではなく,②上記部分を上記製品におけるものと置き換えても,特許発
明の目的を達することができ,同一の作用効果を奏するものであって,③上
記のように置き換えることに,当業者が上記製品の製造等の時点において容
25 易に想到することができたものであり,④上記製品が特許発明の特許出願時
における公知技術と同一又は当業者がこれから上記出願時に容易に推考でき
たものではなく,かつ,⑤上記製品が特許発明の特許出願手続において特許
請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないと
きは,上記製品は,特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして,
特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である(最高裁平成1
5 0年2月24日第三小法廷判決・民集52巻1号113頁)。
そして,出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の
上記製品と異なる部分につき,上記製品に係る構成を容易に想到することが
できたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合におい
て,客観的,外形的にみて,上記製品に係る構成が特許請求の範囲に記載さ
10 れた構成を代替すると認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった
旨を表示していたといえるときには,上記製品が特許発明の特許出願手続に
おいて特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの上記製品
と特許請求の範囲に記載の構成とが均等なものといえない特段の事情が存す
るというべきである(最高裁平成29年3月24日第二小法廷判決・民集7
15 1巻3号359頁)。
そこで検討するに,証拠(甲2)によれば,本件明細書の発明の詳細な説
明には,次の記載のあることが認められる(当該記載部分については,特許
出願から設定登録までの間に補正はなされていない。)。
「技術分野
20 本発明は,各種の痒みを伴う疾患における痒みの治療に有用なオピオイド
κ受容体作動性化合物およびこれを含んでなる止痒剤に関する。」
「背景技術
痒み(そう痒)は,皮膚特有の感覚で,炎症を伴う様々な皮膚疾患に多く
見られるが,ある種の内科系疾患(悪性腫瘍,糖尿病,肝疾患,腎不全,
25 腎透析,痛風,甲状腺疾患,血液疾患,鉄欠乏)や妊娠,寄生虫感染が原
因となる場合や,ときには薬剤性や心因性で起きることもある。
(中略)
このようなそう痒の治療には,内服剤として抗ヒスタミン剤,抗アレルギ
ー剤などが主に用いられ,また外用剤としては,抗ヒスタミン剤,副腎皮
質ステロイド外用剤,非ステロイド系抗消炎剤,カンフル,メントール,
5 フェノール,サリチル酸,タール,クロタミトン,カプサイシンなど保湿
剤(尿素,ヒルドイド,ワセリンなど)が用いられる。しかし内服剤の場
合,作用発現までに時間のかかることや,中枢神経抑制作用(眠気,倦怠
感),消化器系に対する障害などの副作用が問題となっている。一方,外
用剤の場合では,止痒効果が十分でないことや特にステロイド外用剤では
10 長期使用における副腎機能低下やリバウンドなどの副作用が問題となって
いる。
オピオイドと痒みについては,オピオイドが鎮痛作用を有する一方で痒み
のケミカルメディエーターとしても機能することが知られていた。(以下,
略)
15 このように,従来よりオピオイド系作動薬は痒みを惹起し,その拮抗薬が
止痒剤としての可能性があるとされてきた。しかし,オピオイド系拮抗薬
を止痒剤として応用することは現在までのところ実用化されていない。
本発明の目的は,上記の問題点を解決した止痒作用が極めて速くて強いオ
ピオイドκ受容体作動薬およびこれを含んでなる止痒剤を提供することに
20 ある。」
「発明の開示
本発明はオピオイドκ受容体作動性化合物およびこれを有効成分とする止
痒剤である。」
「発明を実施するための最良の形態
25 (中略)
本発明でいうκ受容体作動薬はオピオイドκ受容体に作動性を示すもので
あればその化学構造的特異性にとらわれるものではないが,μおよびδ受
容体よりもκ受容体に高選択性であることが好ましい。より具体的には,
オピオイドκ受容体作動性を示すモルヒナン誘導体またはその薬理学的に
許容される酸付加塩が挙げられ,中でも,一般式(Ⅰ)(中略)で表され
5 るオピオイドκ受容体作動性化合物またはその薬理学的に許容される酸付
加塩であ(中略)る。
(中略)
上記κ受容体作動薬の中で,一般式(Ⅰ),(Ⅲ),(Ⅳ),(Ⅴ),
(Ⅵ)および(Ⅶ)で表される物質に対する薬理学的に好ましい酸付加塩
10 としては,塩酸塩,硫酸塩,硝酸塩,(中略)等があげられ,中でも塩酸
塩,臭化水素酸塩,リン酸塩,酒石酸塩,メタンスルホン酸塩等が好まれ
るが,もちろんこれらに限られるものではない。」
これらの記載によれば,本件発明の目的は,各種の痒みを伴う疾患にお
ける痒みの治療のために止痒作用が極めて速くて強いオピオイドκ受容体
15 作動薬を有効成分とする止痒剤を提供することにあるところ,本件明細書
には,まさしくその有効成分となるオピオイドκ受容体作動薬として,本
件発明に記載された本件化合物のほかに,その薬理学的に許容される酸付
加塩が挙げられることが,「オピオイドκ受容体作動性化合物またはその
薬理学的に許容される酸付加塩」というように明記されているほか,同化
20 合物に対する薬理学的に好ましい酸付加塩の具体的態様(塩酸塩,硫酸塩,
硝酸塩等)も明示的に記載されている。
そうすると,出願人たる原告は,本件明細書の記載に照らし,本件特許出
願時に,その有効成分となるオピオイドκ受容体作動薬として,本件化合物
を有効成分とする構成のほかに,その薬理学的に許容される酸付加塩を有効
25 成分とする構成につき容易に想到することができたものと認められ,それに
もかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかったというべきである。
そして,本件発明につき,出願人たる原告の主観的意図いかんにかかわらず,
第三者たる当業者の立場から客観的にその内容を把握できる徴表である本件
明細書においては,本件化合物の薬理学的に許容される酸付加塩という構成
は,まさしく,各種の痒みを伴う疾患における痒みの治療のために止痒作用
5 が極めて速くて強いオピオイドκ受容体作動薬を有効成分とする止痒剤を提
供するという本件発明の目的を達成する構成として,当該目的と関連する文
脈において,特許請求の範囲に記載された本件化合物と並んで,明示的,具
体的に記載されているものである。
これらによれば,出願人たる原告は,本件特許出願時に,本件化合物の薬
10 理学的に許容される酸付加塩を有効成分とする構成を容易に想到することが
できたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかったものである
といえ,しかも,客観的,外形的にみて,上記構成が本件発明に記載された
構成(本件化合物を有効成分とする構成)を代替すると認識しながらあえて
特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるものというべき
15 である。
そうすると,本件発明については,本件化合物の酸付加塩であるナルフラ
フィン塩酸塩を有効成分とする被告ら製剤が,本件特許出願の手続において
特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの,被告ら製剤と
本件発明に記載された構成(本件化合物を有効成分とする構成)とが均等な
20 ものといえない特段の事情が存するというべきである。
したがって,被告ら製剤は,本件発明に記載された構成と均等なものとし
て,本件発明の技術的範囲に属するということはできない。これに反する原
告の主張は,上記説示に照らし,採用の限りでない。
3 結語
25 以上によれば,被告ら製剤は,本件化合物であるナルフラフィン(フリー
体)を「有効成分」とするものとは認められず,構成要件Aを充足しないこと
となり,また,本件発明に記載された構成と均等なものとして,本件発明の技
術的範囲に属するということもできない。原告は,その他縷々主張するが,そ
の主張内容に照らしてこれらを慎重に精査しても,そのいずれについても,上
記説示を左右するに足りるものはない。
5 よって,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求はいずれも
理由がないから,これらを棄却することとして,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第47部
10 裁判長裁判官 田 中 孝 一
裁判官 横 山 真 通
裁判官 西 尾 信 員
別 紙
被告製剤目録
1 ナルフラフィン塩酸塩OD錠2.5㎍「サワイ」
5 2 ナルフラフィン塩酸塩OD錠2.5㎍「フソー」
以 上
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