平成20(行ケ)10045審決取消請求事件
判決文PDF
▶ 最新の判決一覧に戻る
裁判所 |
請求棄却 知的財産高等裁判所
|
裁判年月日 |
平成20年9月10日 |
事件種別 |
民事 |
当事者 |
被告特許庁長官鈴木隆史 原告サムコ株式会社
|
法令 |
特許権
特許法29条2項6回 特許法36条6項1号3回 特許法159条2項1回
|
キーワード |
審決42回 刊行物41回 拒絶査定不服審判2回
|
主文 |
原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。 |
事件の概要 |
本件は,原告が,その特許出願についての拒絶査定に対する不服審判請求を成り
立たないとした審決の取消しを求めた事案である。 |
▶ 前の判決 ▶ 次の判決 ▶ 特許権に関する裁判例
本サービスは判決文を自動処理して掲載しており、完全な正確性を保証するものではありません。正式な情報は裁判所公表の判決文(本ページ右上の[判決文PDF])を必ずご確認ください。
判決文
平成20年(行ケ)第10045号 審決取消請求事件
平成20年9月10日判決言渡,平成20年7月16日口頭弁論終結
判 決
原 告 サムコ株式会社
訴訟代理人弁理士 小林良平,市岡牧子
被 告 特許庁長官 鈴木隆史
指定代理人 小川武,岡和久,綿谷晶廣,中田とし子,森山啓
主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 原告の求めた裁判
「特許庁が不服2006−18457号事件について平成19年12月10日に
した審決を取り消す。」との判決
第2 事案の概要
本件は,原告が,その特許出願についての拒絶査定に対する不服審判請求を成り
立たないとした審決の取消しを求めた事案である。
1 特許庁における手続の経緯
(1) 出願手続(甲第6号証)
出願人:株式会社サムコインターナショナル研究所(原告の商号変更前の名称)
発明の名称:IC用絶縁膜の作成方法
出願日:平成8年11月27日
出願番号:特願平8−332854号
-1 -
(2) 拒絶査定(甲第7∼第9号証)及び本件手続
拒絶理由通知発送日:平成18年4月4日
意見書提出日:平成18年5月31日
拒絶査定日:平成18年7月13日
審判請求日:平成18年8月24日(不服2006−18457号)
審決日:平成19年12月10日
審決の結論:「本件審判の請求は,成り立たない。」
審決謄本送達日:平成20年1月9日
2 本願発明の要旨
審決が対象とした発明は,本件特許出願に係る明細書(甲第6号証。以下「本願
明細書」という。)の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(以下「本願発
明」という。なお,請求項は全部で3項である。)であり,その要旨は次のとおり
である。
「【請求項1】フロンガスと炭化水素ガスとの混合ガスを原料ガスとし,プラズマ
重合により両ガスの共重合体から成る絶縁膜を成膜するIC用絶縁膜の作成方
法。」
3 審決の理由の要旨
審決は,本願発明は,特開平8−83842号公報(甲第5号証。以下「刊行物
1」という。)に記載された発明(以下「刊行物1発明」という。)に基づいて,
当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項により
特許を受けることができないとした。
審決の理由中,刊行物1発明の認定の部分及び本願発明と刊行物1発明との対比
・判断の部分は,以下のとおりである(略称を本判決指定のものに改めた部分があ
る。)。なお,審決の「甲第2号証」は,本訴甲第2号証と共通である。
-2 -
(1) 刊行物1発明の認定
・・・刊行物1には,・・・段落0007の「非晶質炭素膜を半導体装置の層間絶縁膜に使
用する」との記載,および,・・・段落0008の「CH 4,C 2H 4,C 2H 2などの炭化水素
系ガス,・・・同時にCF 4,C 2F 8,C 2F 4,C 2F 2・・・等のフッ素系ガスを流入させ,
同様にプラズマでフッ素ラジカル,イオンを発生させて,非晶質炭素膜中にフッ素を含有させ
る」との記載から,CH 4,C 2H 4,C 2H 2などの炭化水素系ガスをプラズマ化し,生成され
た炭素のラジカル分子,イオンなどを基板上で反応させて非晶質炭素膜を形成するとともに,
同時にCF 4,C 2F 8,C 2F 4,C 2F 2等のフッ素系ガスを流入させ,同様にプラズマでフッ
素ラジカル,イオンを発生させて,非晶質炭素膜中にフッ素を含有させることにより,比誘電
率を低下させた非晶質炭素膜を形成し,この非晶質炭素膜を半導体装置の層間絶縁膜として用
いることが記載されている。
上記記載によれば,炭化水素系ガスをプラズマ化し,非晶質炭素膜を形成するとともに,同
時にフッ素系ガスを流入させてプラズマ化することにより,非晶質炭素膜にフッ素を含有させ
ていることから,炭化水素系ガスとフッ素系ガスとの混合ガスをプラズマ化して,フッ素含有
非晶質炭素膜を生成しているものと認められる。
さらに,CF 4,C 2F 8,C 2F 4,C 2F 2等のフッ素系ガスについては,本件審判請求人が
拒絶理由に対する意見書に添付した甲第2号証(「化学大辞典」東京化学同人 1989 p
2086)に記載されているように,塩素を含むクロロフルオロカーボンとともに,塩素を含
まないフルオロカーボンも,慣用名として「フロン」が使用されていることからみて,刊行物
1に記載のCF 4,C 2F 8,C 2F 4,C 2F 2等のフッ素系ガスは,慣用名の「フロン」ガスに
該当するものである。
そうすると,刊行物1には,「炭化水素系ガスとフッ素系ガスであるフロンガスとを混合ガ
スとしてプラズマ化し,フッ素含有非晶質炭素膜を形成して,半導体装置の層間絶縁膜とする
方法」の発明(刊行物1発明)が記載されていることになる。
(2) 本願発明と刊行物1発明との対比・判断
本願発明と刊行物1発明とを対比すると,・・・段落0013∼0014の「図1は,本発
-3 -
明の非晶質炭素膜を絶縁材料に用いることを特徴とした半導体装置の断面模式図である。まず
公知の技術でトランジスタをシリコン基板105上等に形成し,アルミニウム等の電極材料を
堆積後,公知のリソグラフィ技術により配線にパターンを形成する」との記載からみて,刊行
物1に記載の「半導体装置」には「トランジスタ」が含まれるから,上記「半導体装置」は本
願発明1の「IC」に相当する。また,本願発明も,刊行物1発明も,ともに,同じ低誘電率
絶縁膜を得ることを目的としている。
そうすると,両者は,「フロンガスと炭化水素ガスとの混合ガスを原料ガスとし,プラズマ
化して絶縁膜を成膜するIC用絶縁膜の作成方法」の点で一致し,以下の点で相違する。
相違点
成膜される絶縁膜が,本願発明では,「プラズマ重合によるフロンガスと炭化水素ガスとの
共重合体から成る絶縁膜」であるのに対し,刊行物1発明では,「フッ素含有非晶質炭素膜」
である点。
検討
刊行物1発明のフッ素含有非晶質炭素膜は,・・・炭化水素系ガスとフッ素系ガスとの混合
ガスをプラズマ化して,フッ素含有非晶質炭素膜を生成しており,プラズマにより炭素のラジ
カル分子,イオン及びフッ素のラジカルを形成し,基板上で反応させて成膜している点で,本
願発明が採用する製造方法によるものと同一の反応プロセスにより絶縁膜が形成されていると
認められる。また,本願発明も,刊行物1発明も,ともに,同じ低誘電率絶縁膜を得るという
同じ発明の効果を奏しており,膜質に違いがあるとは認められない。
この点に関し,出願人は塩素を含まない単なるフッ化炭素と,塩・フッ化炭素とで化学プロ
セスが異なる旨主張するが,フロンには,これら両者が含まれるので,この主張は,特許請求
の範囲の記載に基づかない主張であって,採用できない。
よって,刊行物1発明のフッ素を含有する非晶質炭素膜を,本願発明の,プラズマ重合によ
り両ガスの共重合体から成る絶縁膜とすることは,当業者が容易になし得るものである。
第3 当事者の主張の要点
-4 -
1 原告主張の審決取消事由
(1) 取消事由1(刊行物1発明の認定の誤り)
審決は,「CF 4 ,C 2 F 8 ,C 2 F 4 ,C 2 F 2 ・・・等のフッ素系ガスを流入さ
せ,同様にプラズマでフッ素ラジカル,イオンを発生させて,非晶質炭素膜中にフ
ッ素を含有させる」との記載のある刊行物1に関し,「CF 4,C 2F 8,C 2F 4,
C2F2等のフッ素系ガスについては,本件審判請求人が拒絶理由に対する意見書に
添付した甲第2号証(『化学大辞典』東京化学同人 1989 p2086)に記
載されているように,塩素を含むクロロフルオロカーボンとともに,塩素を含まな
いフルオロカーボンも,慣用名として『フロン』が使用されていることからみて,
刊行物1に記載のCF 4,C 2F 8,C 2F 4,C 2F 2等のフッ素系ガスは,慣用名の
『フロン』ガスに該当するものである」とした上,刊行物1発明を「炭化水素系ガ
スとフッ素系ガスであるフロンガスとを混合ガスとしてプラズマ化し,フッ素含有
非晶質炭素膜を形成して,半導体装置の層間絶縁膜とする方法」の発明と認定し
た。
確かに,平成元年10月20日株式会社東京化学同人発行の「化学大辞典」(甲
第2号証)の「フロン」の項には,「フルオロカーボン,クロロフルオロカーボン
の慣用名」(2086頁)と記載されている。
しかしながら,平成10年株式会社岩波書店発行の「理化学辞典第5版」(CD
−ROM版)(甲第1号証)の「フロン」の項には「炭化水素のクロロフルオロ置
換体類.デュポン社の商品名をフレオン(Freon)という.代表的なものにフロン22
(CHClF 2, 融点-160℃,沸点-40.8℃),..などがある.」と記載されており,また,
昭和56年3月9日森北出版株式会社発行の「化学辞典第1版」(甲第15号証)
の「フロン」の項には,「冷媒,熱媒,溶媒あるいは噴霧剤などの用途に使用され
るメタン,エタンなどのフッ素置換体の総称で,わが国における慣用名。多くの場
合フッ素以外にも塩素をも含むのでクロロフルオロカーボンとも称される。」(1
120頁)と記載されている。
-5 -
そうすると,「フロン」は必ずしも塩素を含まないフルオロカーボンを意味する
わけではなく,塩素を含むクロロフルオロカーボンを指すことが多いといえるので
あり,CF 4,C 2F 8,C 2F 4,C 2F 2等のフッ素系ガスが慣用名の「フロン」ガ
スに該当するとはいえない。したがって,CF 4,C 2F 8,C 2F 4,C 2F 2等のフ
ッ素系ガス(フルオロカーボンガス)を流入させることは記載されているが,クロ
ロフルオロカーボンを流入させることは記載されていない刊行物1に基づき,刊行
物1発明を「炭化水素系ガスとフッ素系ガスであるフロンガスとを混合ガス」とす
るものとした審決の認定は誤りである。
そして,審決は刊行物1発明の認定を誤った上,本願発明と刊行物1発明と対比
し,相違点について判断しているのであるから,審決は判断の前提を誤っていると
いうべきである。
(2) 取消事由2(手続的瑕疵)
ア 本件特許出願の審査の過程で,拒絶理由通知に対し原告が提出した意見書
(甲第8号証)の記載,及びこれに対する拒絶査定(甲第9号証)の備考欄の記載か
ら,審査官は,本願発明の原料ガスであるフロンガスと,刊行物1の原料ガスであ
るCF 4とは相違するものと認めていたことがわかる。
これに対し,審決は,上記のとおり,塩素を含むクロロフルオロカーボンととも
に,塩素を含まないフルオロカーボンも「フロン」に含まれると認定し,「出願人
(判決注・原告)は塩素を含まない単なるフッ化炭素と,塩・フッ化炭素とで化学
プロセスが異なる旨主張するが,フロンには,これら両者が含まれるので,この主
張は,特許請求の範囲の記載に基づかない主張であって,採用できない。」と判断
した。
イ しかしながら,仮に,「フロン」に,塩素を含むクロロフルオロカーボン及
び塩素を含まないフルオロカーボンの両方が包含されるとすると,本願発明1の課
題を解決するための手段として,発明の詳細な説明に,塩素を含むクロロフルオロ
カーボン及び塩素を含まないフルオロカーボンを用いることがそれぞれ記載されて
-6 -
いなければならないが,本願明細書の発明の詳細な説明には,塩素を含むクロロフ
ルオロカーボンを原料ガスとして用いることにより成膜速度を速くすることができ
ることのみが開示され,塩素を含まないフルオロカーボンを用いることは全く記載
されていない。
そして,本願明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載は,本願発明の要旨と同
一であるから,特許請求の範囲には,発明の詳細な説明に記載された発明の課題を
解決するための手段が反映されていないことになり,発明の詳細な説明に記載した
範囲を超えて特許を請求していることになる。
このように,「フロン」が,塩素を含むクロロフルオロカーボン及び塩素を含ま
ないフルオロカーボンの両方を包含すると認定し,塩素を含まない単なるフッ化炭
素と,塩・フッ化炭素とで化学プロセスが異なる旨の主張が特許請求の範囲の記載
に基づかない主張であるとされるのであれば,審判官は,拒絶査定の理由とは異な
る特許法36条6項1号(平成14年法律第24号による改正前のもの。以下同項
同号につき同じ。)の拒絶の理由を発見したということになるから,審判において
改めてその旨の拒絶理由を通知すべきであった。
ウ この点につき,被告は,審決は,拒絶理由通知で示された特許法29条2項
に基づいて結論を導いており,審判合議体が同法36条6項1号の拒絶理由通知を
しなかったことに手続上の瑕疵はないと主張する。
しかしながら,甲第2号証のように,塩素を含むクロロフルオロカーボンととも
に,塩素を含まないフルオロカーボンも「フロン」に含まれるとする立場があると
しても,「フロン」の用語法として,クロロフルオロカーボンの慣用名であるとす
る立場(甲第1,第15号証)もあることは否定し得ない事実である。
しかるところ,上記のとおり,本願発明の原料ガスであるフロンガスと刊行物1
の原料ガスであるCF 4とが相違するものと認めていた審査官は,「フロン」をク
ロロフルオロカーボンの慣用名であるとする立場に拠っていたのであり,これに対
し,審決は,クロロフルオロカーボンとフルオロカーボンの両方が「フロン」に含
-7 -
まれるとするものであるから,審査段階と審決とでは,「フロン」の定義を異にす
ることになる。そして,本件では,「フロン」の定義が異なれば,刊行物1発明の
認定を異にすることになるから,仮に,審決が特許法29条2項に基づいて結論を
導いているとしても,審査段階とは異なる拒絶の理由に基づくものというべきであ
り,改めて拒絶理由通知をすることが必要であるというべきである。
エ しかしながら,審判段階で拒絶理由通知はなされていないから,審決は特許
法159条2項,50条に違背し,手続上の瑕疵を有するものである。
2 被告の反論の要点
(1) 取消事由1(刊行物1発明の認定の誤り)に対して
甲第2号証には「フロン」の用語法につき,「フルオロカーボン,クロロフルオ
ロカーボンの慣用名」との記載があるが,このような用語法を開示する文献は,甲
第2号証の他にも様々な分野で多数存在している(乙第1∼第8号証)から,上記
の用語法に基づく判断も正しいというべきである。
原告は,「フロン」が必ずしも塩素を含まないフルオロカーボンを意味するわけ
ではなく,塩素を含むクロロフルオロカーボンを指すことが多いと主張するが,審
決が前提としている「フロン」の理解が誤りであると主張するものではないから,
原告の主張によっても審決の判断の前提に誤りはない。
したがって,原告の主張は失当であり,取消事由1は理由がない。
なお,仮に,原告の主張が,本願発明における「フロン」は,塩素を含むクロロ
フルオロカーボンのみの慣用名として使用するというものであるというのであれ
ば,本願明細書中にそのような「フロン」の定義がなければならないが,そのよう
な定義はないから,失当である。
(2) 取消事由2(手続的瑕疵)に対して
ア 原告は,審決は手続上の瑕疵を有すると主張するが,審決は,拒絶理由通知
において通知しているとおり,特許法29条2項に基づいて,結論を導いており,
-8 -
審判合議体が特許法36条6項1号の拒絶理由を通知しなかったことに手続上の瑕
疵はない。
イ また,原告は,審査段階と審決とで「フロン」の定義を異にしており,「フ
ロン」の定義が異なれば,刊行物1発明の認定を異にすることになるから,審決が
特許法29条2項に基づいて結論を導いているとしても,審査段階とは異なる拒絶
の理由に基づくものというべきであり,改めて拒絶理由通知をすることが必要であ
るとも主張する。
しかしながら,本件特許出願に係る拒絶理由通知書(甲第7号証)に,「引用文
献1(判決注・刊行物1)の【0007】∼【0020】・・・には,それぞれフルオロカ
ーボンガスと炭化水素ガスとをプラズマ重合させて,半導体装置の絶縁膜を形成す
ることが記載されており,本願明細書に記載された従来技術によって公知の引用文
献3(判決注・本訴甲第14号証)記載の同じフロン類であるフロンガス,CFC
−113,CFC−12のプラズマ重合物を,同じ半導体装置用絶縁膜の用途に用
いることは当業者が適宜なし得た事項である。」との記載があり,さらに,拒絶査
定(甲第9号証)で,上記拒絶理由通知書の記載を引用しているとおり,審査官
も,審決と同様,フルオロカーボンガスをCFC−113,CFC−12(クロロ
フルオロカーボンガス)とともに「同じフロン類であるフロンガス」と認識してい
るのであるから,審査段階と審決とで「フロン」の定義を異にしているとの主張は
誤りである。
また,そもそも,クロロフルオロカーボンとともに,フルオロカーボンも「フロ
ン」に含まれるとの記載がある甲第2号証は,拒絶理由通知に対する意見書ととも
に原告自身が提示したものであるから,原告は,遅くとも意見書提出時までには,
「塩素を含むクロロフルオロカーボンとともに,塩素を含まないフルオロカーボン
も『フロン』に含まれるとする立場」があることを熟知していたはずであり,この
ような「フロン」の用語法に基づく点についても防御の手段を検討することが十分
可能であった。
-9 -
したがって,原告に対し,審判合議体が改めて拒絶理由通知をする必要はなく,
原告の上記主張も失当である。
第4 当裁判所の判断
1 取消事由1(刊行物1発明の認定の誤り)について
(1) 原告は,「フロン」は必ずしも塩素を含まないフルオロカーボンを意味する
わけではなく,塩素を含むクロロフルオロカーボンを指すことが多いといえるので
あり,CF 4,C 2F 8,C 2F 4,C 2F 2等のフッ素系ガスが慣用名の「フロン」ガ
スに該当するとはいえないから,フルオロカーボンガスを流入させることは記載さ
れているが,クロロフルオロカーボンを流入させることは記載されていない刊行物
1に基づき,刊行物1発明を認定した審決は,判断の前提を誤ったものである旨主
張する。
(2) 「フロン」の意義
ア 以下の各文献には,「フロン」について次のような記載がある。
(ア) 平成10年株式会社岩波書店発行「理化学辞典第5版」(CD−ROM
版)(甲第1号証)の「フロン」の項
「フロン 炭化水素のクロロフルオロ置換体類。・・・」
(イ) 平成元年10月20日株式会社東京化学同人発行の「化学大辞典」(甲第
2号証)
「フロン フルオロカーボン,クロロフルオロカーボンの慣用名」 (2086頁右欄)
(ウ) 昭和56年3月9日森北出版株式会社発行の「化学辞典第1版」(甲第1
5号証)
「フロン 冷媒,熱媒,溶媒あるいは噴霧剤などの用途に使用されるメタン,エタンなどの
フッ素置換体の総称で,わが国における慣用名。多くの場合フッ素以外に塩素をも含むのでク
ロロフルオロカーボンとも称される。・・・」 (1120頁右欄)
(エ) 平成3年7月20日実践教育機械系研究会発行の「実践教育」6巻1号所
収の稲田正作著「オゾン層は救えるか(Ⅱ)」と題する記事(乙第1号証)
「フロンとは フロンという名称は,日本だけで使われているものです。フッ素と炭素の化
合物を意味するフルオロカーボン(fluorocarbon)を省略した和製英語ですから,『フロン』
と言っても外国では通用しません。フロンは次の3種類に大別されています。
(1)フルオロカーボン
(2)クロロフルオロカーボン
(3)ヒドロクロロフルオロカーボン
(1)はフッ素(フルオロ)と炭素(カーボン)の化合物であることを,(2)は塩素(クロロ)と
フッ素と炭素の化合物であることを,また,(3)は,さらに水素(ヒドロ)と塩素,フッ素,
炭素の4種類の元素の化合物であることを意味しています。」 (54頁左欄)
(オ) 平成元年4月15日日本熱物性研究会発行の「熱物性」3巻1号所収の蒔
田董著「フロン規制と代替フロンの熱物性」と題する論文(乙第2号証)
「フロン(flon)という名称は,JISにも採用され,本邦ではフッ素を含むハロゲン化炭化
水素類の総称となっているが,国際的には通用しない和製語である。」 (21頁左欄)
(カ) 昭和57年2月28日財団法人日本規格協会発行「JISエネルギー管理
用語(その1)」(乙第3号証)
「フロン ふっ化炭化水素の総称。冷媒として使用される。」 (23頁)
(キ) 特開平7−74156号公報(出願人・日本電気株式会社)(乙第5号
証)
「【請求項1】 塩素系ガスと臭素を含むガスとを混合したガスを主要ガスとしたアルミニ
ウムのプラズマエッチングにおいて,前記主要ガスに窒素ガス又はフロンガスを全流量の20
%以下添加することを特徴とする半導体装置の製造方法。
・・・・・
【請求項4】 フロンガスとしてCF 4ガス,CHF 3ガス,C 2F 6ガスのいずれかを用いる請
求項1ないし3いずれかの半導体装置の製造方法。」 (2頁左欄2∼14行)
(ク) 特開平5−226298号公報(出願人・セイコーエプソン株式会社)
(乙第6号証)
「本発明の半導体装置の製造方法は,・・・該トレンチ形成後の該半導体基板にC nF 2n+2
(nは自然数)と酸素の混合ガスのプラズマによるエッチングを加える工程を含むことを特徴
とし,C nF 2n+2はCF 4またはC 2F 6またはC 3F8またはC 4F 10またはC 5F 12であることを
*
特徴としている。・・・基本的にはフロンガス(C nF 2n+2)を用いるため,弗素ラジカルF
*
が発生し,F とシリコン基板の化学反応によりエッチングが進行する。」 (段落【0009】
∼【0010】)
(ケ) 平成8年9月30日株式会社日刊工業新聞社発行の「マグローヒル科学技
術用語大辞典第3版」(乙第7号証)の「フロン」の項
「フロン flon〔有機〕フルオロカーボンのこと。その中でもとくにメタンとエタンの水素
原子のすべてがフッ(弗)素,塩素にとって替わられた化合物.用途は,冷媒,エアゾールプ
ロペラント,発泡剤,溶剤,エッチング剤などである。」 (1639頁右欄)
イ 上記ア(ア)∼(ケ)の各文献における「フロン」に関する説明のうち,「フロ
ン」を「クロロフルオロカーボン」に限定していると理解されるのは,(ア)の文献
のみであるということができ((ウ)の文献については,「多くの場合フッ素以外に
塩素をも含むのでクロロフルオロカーボンとも称される。」とされているが,この
記載からは「フロン」が「クロロフルオロカーボン」に限定されるものでないこと
は明らかである。),しかも,(ア)の文献は,本件特許出願に係る出願日後に発行
された刊行物であるから,その記載が,本件特許出願当時における当業者の技術常
識を示すものであると即断することもできない。
これに対し,その余の文献は,いずれも本件特許出願に係る出願日前に発行され
た辞典類,基礎的な解説書又は特許公開公報(明細書)等であり,それぞれフルオ
ロカーボンが「フロン」に含まれることが記載されているのであるから,本件特許
出願当時,単に「フロン」といった場合,通常,フルオロカーボンを含む意味で用
いられていると解するのが当業者の技術常識であったものと認められる。
(3) 本願明細書の記載
本願明細書(甲第6号証)には,「フロンガス」に関する次の記載がある。
「なお,フロンガスとしては,CFC−113,CFC−12等を用いることができる。炭化
水素ガスとしては炭素数3以下の低級炭化水素のガス,すなわち,メタン,エタン,エチレ
ン,アセチレン,プロパン,プロピレンを用いることができる。ここで炭素数3以下としたの
は,炭素数4以上となると,原料が液体となり,反応器への導入が困難となるためである。炭
素数3以下の低級炭化水素ガスの中でも,特に不飽和結合を有するエチレン及びアセチレン等
が高い成膜速度を得る上で有利である。」(段落【0007】)
そして,上記記載において,フロンガスとして例示されているCFC−113と
CFC−12はクロロフルオロカーボンに属するものであるということができる
が,これはあくまで例示であるから,このような記載があるからといって,直ち
に,本願発明の「フロン」が,クロロフルオロカーボンを意味し,フルオロカーボ
ンを含まないと理解することはできない。
また,本願明細書中に,本願発明の「フロン」が,「クロロフルオロカーボン」
を指し,「フルオロカーボン」を含まないことを明らかにするような記載は存在し
ない。
そうすると,本願明細書においても,「フロン」の語は当業者の技術常識に基づ
く通常の用法として,すなわち,フルオロカーボンを含む意味で用いられているも
のと解さざるを得ない。
(4) 以上によると,審決が,本願発明の「フロン」を,クロロフルオロカーボン
に限定されず,フルオロカーボンを含むものとして理解したことは相当であり,原
告の主張を採用することはできないから,取消事由1は理由がない。
2 取消事由2(手続的瑕疵)について
(1) 原告は,本件特許出願の審査をした審査官は,本願発明の原料ガスであるフ
ロンガスと,刊行物1の原料ガスであるCF 4とが相違すると認めていたとした上
で,審決が,原告の主張に対し,「出願人(判決注・原告)は塩素を含まない単な
るフッ化炭素と,塩・フッ化炭素とで化学プロセスが異なる旨主張するが,フロン
には,これら両者が含まれるので,この主張は,特許請求の範囲の記載に基づかな
い主張であって,採用できない。」と説示したことを捉え,審判官は,拒絶査定の
理由とは異なる特許法36条6項1号の拒絶の理由を発見したということになるか
ら,審判において拒絶理由を通知すべきであったにもかかわらず,審判段階で拒絶
理由通知はなされていないから,審決は同法159条2項,50条に違背すると主
張する。
しかしながら,同法50条の「審査官は,拒絶をすべき旨の査定をしようとする
ときは,特許出願人に対し,拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して,意見書
を提出する機会を与えなければならない。」との規定,及び同法159条2項の
「第五十条・・・の規定は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の
理由を発見した場合に準用する。」との規定によれば,拒絶査定不服審判におい
て,拒絶査定による拒絶の理由とは異なる拒絶の理由により,拒絶査定を維持し,
審判請求を不成立とする審決をする場合には,審判請求人に対し改めて拒絶理由通
知をする必要があるものの,仮に,審判合議体が,拒絶査定による拒絶の理由のほ
かに,これと異なる拒絶の理由を発見したとしても,その異なる拒絶の理由を,審
決における拒絶の理由とするのでなければ,審判請求人に対し,その異なる拒絶の
理由を改めて通知する必要がないことは明らかである。
しかるところ,本件特許出願に対する拒絶査定(甲第9号証)は,本件特許出願
を「平成18年3月29日付け拒絶理由通知書に記載した理由」により拒絶すべき
としたものであり,当該拒絶理由通知書(甲第7号証)には,拒絶の理由として,
刊行物1のほか,特開平8−236517号公報及び特開平8−24560号公報
を引用し,本願明細書に記載された請求項1∼3に係る発明は,上記各引例に記載
された発明に基づき当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許
法29条2項の規定により特許を受けることができない旨の記載がある。そして,
審決も,本願発明が刊行物1発明に基づいて,当業者が容易に発明をすることがで
きたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない
としたものであることは,上記のとおりであり,したがって,審決における拒絶の
理由は,拒絶査定による拒絶の理由に含まれるものであって,これと異なる拒絶の
理由ということはできない。
(2) もっとも,上記拒絶査定には,「備考」として以下の記載がある。
「本願請求項1に係る発明は,引用例1(判決注・刊行物1)と対比すると以下の点で相違す
る。
請求項1に係る発明では,フロンガスと炭化水素ガスとの混合ガスを原料ガスとし,プラズ
マ重合により両ガスの共重合体から成る絶縁膜を成膜するのに対して,引用例1では,CF 4
とCH4とをプラズマ装置中で重合させている点
上記相違点について検討すると,引用例3(判決注・特開平8−24560号公報)には,
フロンCFC−113と炭化水素を重合させて膜を形成することが記載されており,結合エネ
ルギーが異なる以外に共通点が多いCF 4に代えて,プラズマ重合することが知られているC
FC−113を用いることは,単なる転用に過ぎず,半導体素子の保護膜用のPSG膜に替わ
る保護膜として,CFC−113自体からプラズマ重合させた膜を用いることは,周知である
(この点について,特開昭53−84682号公報参照)。」
この記載は,刊行物1発明のCF 4(フルオロカーボン)を,「フロンCFC−
113」に転用(置換)することの容易性について言及するものと認められ,この
記載のみからすれば,原告主張のとおり,拒絶査定においては,フルオロカーボン
が本願発明の「フロン」とは異なるものであると認識していたと考えられないでも
ない。
しかるところ,拒絶理由通知の制度趣旨は,審査官又は審判官が出願を拒絶すべ
き理由を発見したときに,出願人に対してその旨を通知することにより,出願人に
意見を述べる機会及び手続補正をする機会を与えて,特許出願制度の適正妥当な運
用を図ることにあるから,拒絶査定において,フルオロカーボンが本願発明の「フ
ロン」とは異なるものであるとされていたと仮定して,そのことにより,フルオロ
カーボンもクロロフルオロカーボンと同様「フロン」に含まれるものであることを
前提とする審決の判断が,原告にとって全く予期し得ぬ不意打ちに当たり,その旨
を通知するのでなければ,原告の防御権行使の機会を奪い,その利益保護に欠ける
ことになるものとすれば,上記(1)のとおり,審決の拒絶の理由が,拒絶査定にお
ける拒絶の理由に含まれるものであるとはいえ,改めて拒絶理由の通知をすること
が必要であったと解する余地もある。
しかしながら,上記拒絶理由通知書(甲第7号証)には,「引用文献1(判決注
・刊行物1)の【0007】∼【0020】,引用文献2(判決注・特開平8−23651
7号公報)の【0008】∼【0023】には,それぞれフルオロカーボンガスと炭化水素
ガスとをプラズマ重合させて,半導体装置の絶縁膜を形成することが記載されてお
り,本願明細書に記載された従来技術によって公知の引用文献3(判決注・特開平
8−24560号公報)記載の同じフロン類であるフロンガス,CFC−113,
CFC−12のプラズマ重合物を,同じ半導体装置用絶縁膜の用途に用いることは
当業者が適宜なし得た事項である。」との記載があり,この記載によれば,審査官
(拒絶査定と同一の審査官である。)は,フルオロカーボンガスを,CFC−11
3,CFC−12(クロロフルオロカーボンガス)と「同じフロン類であるフロン
ガス」と認識していたことが認められるから,そもそもフルオロカーボンが本願発
明の「フロン」とは異なるものであると認識していたということ自体が疑わしくな
る。
また,その点は措くとしても,本件特許出願当時,単に「フロン」といった場
合,通常,フルオロカーボンを含む意味で用いられていると解するのが当業者の技
術常識であったものと認められることは,上記1(2)イのとおりであり,現に,上
記拒絶理由通知に応じて原告自身が意見書(甲第8号証)とともに提出した上記1
(2)ア(イ)の文献にも,「フロン」がフルオロカーボンとクロロフルオロカーボンの
慣用名であることが明記されているのである。上記意見書(甲第8号証)の記載に
よれば,原告が,本願発明の「フロン」を「分子中にフッ素の他,塩素を含」むも
の,すなわち,クロロフルオロカーボンとしていることが認められるが,そうであ
るならば,上記のとおり,本件特許出願当時,単に「フロン」といった場合,通
常,フルオロカーボンを含む意味で用いられており,上記拒絶理由通知書にもその
旨の記載がある以上,原告としては,意見書の提出と併せて,本願明細書の「フロ
ン」との記載を,原告自身の意図するところに合わせて改めるべく,手続補正をす
べきであったのであり,そのようにすることに格別の障害があったと認めることは
できない。
そうすると,フルオロカーボンもクロロフルオロカーボンと同様「フロン」に含
まれるものであることを前提とする審決の判断が,原告にとって全く予期し得ぬ不
意打ちに当たり,その旨を通知するのでなければ,原告の防御権行使の機会を奪
い,その利益保護に欠けることになるものとは到底いうことができず,この点から
も,審判合議体が,改めて拒絶理由の通知をすることが必要であったということは
できない。
(3) 以上によれば,審決に,拒絶理由通知の懈怠の手続的瑕疵があった旨の原告
の主張を採用することはできないから,取消事由2は理由がない。
第5 結論
以上の次第で,取消事由はいずれも理由がないから,原告の請求を棄却すべきで
ある。
よって,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第4部
裁判長裁判官
石 原 直 樹
裁判官
榎 戸 道 也
裁判官
杜 下 弘 記
最新の判決一覧に戻る