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平成10(行ケ)26審決取消請求事件

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裁判所 東京高等裁判所
裁判年月日 平成11年12月16日
事件種別 民事
法令 特許権
特許法29条2項1回
民事訴訟法61条1回
特許法64条1回
キーワード 審決47回
実施22回
進歩性14回
無効6回
特許権2回
新規性1回
主文
事件の概要

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判決文

平成10年(行ケ)第26号 審決取消請求事件
平成11年12月2日口頭弁論終結
         判      決
   原      告    三井化学株式会社
   代表者代表取締役    【A】
   訴訟代理人弁護士    小坂志磨夫
   同           櫻井彰人
   同    弁理士    【B】
   被      告    ホーヤ株式会社
   代表者代表取締役    【C】
   被      告    ホーヤレンズ株式会社
   代表者代表取締役    【D】
   被告ら訴訟代理人弁護士 品川澄雄
   同       弁理士 【E】
   同           【F】
   同           【G】
         主      文
  原告の請求を棄却する。
  訴訟費用は原告の負担とする。
    事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
 1 原告
   特許庁が平成8年審判第20562号事件について平成9年12月17日に
した審決は、訂正請求を認容した部分を除き取り消す。
   訴訟費用は被告らの負担とする。
 2 被告ら
   主文と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
  原告は、発明の名称を「チオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹
脂の製造方法」とし、昭和59年3月23日に特許出願、平成8年9月2日に設定
登録された特許第2090299号発明(以下「本件発明」という。)の特許権者
である。
  被告らは、平成8年12月6日に当時の本件発明の特許権者であった三井東圧
化学株式会社(原告に吸収合併済)を被請求人として本件発明に係る特許の無効の
審判を請求し、特許庁は、同請求を平成8年審判第20562号事件として審理し
た結果、平成9年12月17日に「訂正を認める。特許第2090299号発明の
特許を無効とする。」との審決をし、その謄本を平成10年1月14日に原告に送
達した。なお、上記審決の「訂正を認める。」の部分は、本件発明につき平成9年
6月10日に上記三井東圧化学株式会社によってなされた訂正請求に対するもので
ある。
2 特許請求の範囲
 イソシアナート基を有する化合物と、メルカプト基を有する化合物とを-NCO
基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重合法により反応させることを
特徴とするチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法。
3 審決の理由
 別紙審決書の理由の写しのとおり、本件発明は、特開昭58-127914号公
報(審決の甲第1号証の8、本訴の甲第3号証、以下「引用例1」という。)、米
国特許第3356650号明細書(審決の甲第1号証の3、本訴の甲第4号証、以
下「引用例2」という。)及び米国特許第3310533号明細書(審決の甲第1
号証の4、本訴の甲第5号証、以下「引用例3」という。)に記載された発明(以
下、審決認定に係る引用例1に記載された発明を「引用発明1」のようにいい、引
用例2、3に記載された発明についても同様にいう。)に基づいて当業者が容易に
発明することができたから、本件特許は、特許法29条2項に違反したものであっ
て無効であると認定判断した。
4 本件明細書の記載
 本件明細書には、本件発明について、次のとおりの記載がある。
(1) 「本発明はチオカルバミン酸S-アルキルエステル系のレンズ用樹脂の製造方
法に関するものである。プラスチックレンズは、無機ガラスレンズに比べて、軽量
で割れにくく、染色が可能であるため、近年日本ではメガネレンズ、カメラレンズ
や光学素子に著しい勢いで普及している。現在、この目的に広く用いられている代
表的な樹脂としては、ジエチレングリコールビスアリルカーボネート(以下この重
合物をDAC樹脂と略す)をラジカル重合させたものがある。・・・DAC樹脂の
最大の欠点は、無機レンズに比べて屈折率が低く・・・レンズに加工した場合、レ
ンズの厚みが大きくなることである。」(1欄8行目ないし2欄3行目)
(2) 「高屈折率を与えるレンズ用樹脂の一つとして、・・・ウレタン樹脂は公知で
ある。しかしながらこれらのウレタン系樹脂は、高屈折率を得るには限界があり、
たとえ得られたとしても屈折率がND20℃=1.60付近またはそれ以上を有す
る樹脂を得るためには芳香族系のイソシアナートや、ハロゲン原子を多く使用せね
ばならず、そのため着色等の外観や耐候性の外に切削性研磨性に問題が生じる。こ
れに対し、本発明方法で製造されるチオカルバミン酸S-アルキルエステル系樹脂
を用いた場合は屈折率ND20℃=1.60以上のものが得られ、また着色等の外
観や耐候性等に問題が生じることが殆んどない。また、前述のウレタン系樹脂で
は、3官能以上の化合物を入れないと切削性及び研磨性等の加工性に劣るが、本発
明方法で製造される樹脂では必ずしも3官能以上の3次元架橋剤を入れなくてもレ
ンズ用樹脂として必要な切削性及び研磨性等の加工性が良好なものが得られる。」
(2欄20行目ないし3欄17行目)
(3) 「このようにして得られる樹脂は、樹脂中にS原子をチオカーバメート基とし
て有しているため、公知のレンズ用樹脂と比べ、レンズに加工した場合、屈折率が
高いほかに、次のような特徴を有している。1.強じんなプラスチックレンズが得
られる。2.無色透明な樹脂が得られる。3.耐衝撃性にすぐれている。4.切削
性、研磨性が良好で加工性にすぐれている。5.成形重合時の収縮率が比較的少な
い。6.比重が比較的小さく軽量である。などである。」(5欄19行目ないし2
9行目)
第3 原告主張の審決の取消事由の要点
  審決の理由[1]、[2]は認める。同[3]の〔当事者の主張〕の項のう
ち、6頁4行目から16行目までは争い、その余は認める。同〔証拠関係〕、〔甲
各号証の記載事実〕、〔乙各号証、参考資料1~13および資料1~2の記載事
実〕の各項は認める。同〔第1無効事由についての判断〕の(本件特許発明)のう
ち、55頁8行目から19行目まで、58頁1行目から2行目まで、6行目から8
行目まで、60頁9行目から61頁19行目まで、62頁5行目の「そして、」か
ら18行目まで、63頁11行目から64頁14行目まで及び65頁3行目の「T
gや」から5行目までは争い、54頁13行目から55頁7行目及び64頁16行
目は、本件発明の要旨を特許請求の範囲に記載されたとおりと形式的に説示してい
るものとしての限りでのみ認め、その余は認める。同〔第1無効事由についての判
断〕の(先行発明との対比・判断)のうち、65頁7行目から12行目まで、16
行目から18行目まで及び66頁5行目から18行目までは認め、その余は争う。
同〔第1無効事由についての判断〕の(進歩性判断に関する補足事項)のうち、7
1頁2行目から5行目まで及び8行目から17行目までは争い、その余は認める。
同〔結び〕は争う。
  審決は、審理不尽の違法を犯し(取消事由1)、本件発明の要旨の認定を誤り
(取消事由2)、かつ、本件発明の進歩性の判断を誤ったものであって(取消事由
3)、違法であるから、取り消されるべきである。
1 取消事由1(審理不尽)
 審決には、平成9年8月27日に被告ホーヤレンズ株式会社製品開発課の
【H】、【I】作成の平成8年12月2日付実験証明書(審判甲第5号証、本訴甲
第6号証、以下「甲第6号証実験証明書」といい、この実験を「甲第6号証実験」
という。)に関する口頭審理のみを開催し、原告に対して何らの釈明を求めず、本
件発明、特に、原告大牟田研究所の【J】作成の平成9年5月22日付実験報告書
2(審判乙第6号証、本訴甲第7号証、以下「甲第7号証実験報告書」といい、こ
の実験を「甲第7号証実験」という。)について技術説明をする機会をも設けるこ
となく審理を終結した審理不尽の違法がある。上記審理不尽は、審決の結論に重大
な影響を与えたものである。
2 取消事由2(本件発明の要旨の認定の誤り)
  本件発明の要旨は、「イソシアナート基を有する化合物とメルカプト基を有す
る化合物とを-NCO基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重合法に
より反応させることを特徴とする高屈折率を与えるチオカルバミン酸S-アルキル
エステル系レンズ用樹脂の製造方法。」であるものと解すべきである。そして、本
件発明の目的物質であるレンズ用樹脂は、メガネ用レンズの素材としてのみ用いら
れるわけではなく、メガネ、カメラを始めとした光学機器・光学素子用等各種レン
ズ用の素材として用いられるのであるから、目的物質に係る高屈折率以外の切削研
磨性等の諸特性は、各用途に応じて生ずる種々の要請に応える製造上の工夫によっ
て定めればよいことである。
  ところが、審決は、本件発明の一部の実施例の実験結果にすぎないものを根拠
に、「本件特許発明により製造された樹脂は、屈折率が1.55~1.64程度で
あり、比重が1.30~1.44程度であるが、Tgや熱変形温度が低く、-20
℃に冷却してはじめて良好な切削性と研磨性を示すものである」(65頁1行ない
し5行)と認定したうえで、目的物質における高屈折率以外の属性をも本件発明の
要旨に取り込んでいる。
  したがって、審決は、本件発明の要旨の認定を誤ったものである。
3 取消事由3(進歩性の判断の誤り)
(1) 一致点の誤認と相違点の判断の誤り
 イ (一致点「レンズ用樹脂」の誤認)
 審決は、本件発明と引用発明1との対比につき、「両発明は、・・・レンズ用樹
脂を製造する点で一致しており」(審決66頁1行ないし4行)と認定したが、誤
りである。
 本件発明の目的物質は、プラスチックレンズと称される一般的光学レンズ(眼
鏡、カメラ、光学素子など)用樹脂に限定されている。これに対して、引用発明1
のコンタクトレンズ用樹脂は、以下のとおり、その特殊性のゆえに、本件発明の目
的物質である一般的光学レンズのカテゴリーに含まれない。
コンタクトレンズにおいては、それが直接生体に接した状態で使用されるという
特殊性から、その素材の研究開発は、酸素透過性や湿潤性などの生体適合性に優れ
た素材の探索に主力が注がれるのであり、引用発明1は、これらの特性を持った樹
脂を提供することを目的としている。また、コンタクトレンズの理想的な屈折率
は、同レンズが直接角膜の上に装着するものであることから、涙の屈折率(1.3
36)に近いものであり、屈折率の高いものより屈折率が低いもののほうがよい。
これに対し、本件発明は、DAC樹脂の最大の欠点である屈折率の低さを改良して
高屈折率を与えるレンズ用樹脂の製造方法を提供することを目的としており、生体
適合性などは全く考慮されていない。
ロ (一致点「チオカルバミン酸エステル」の誤認)
 審決は、引用例にジイソシアネートとポリチオール(なお、「チオール基」と
「メルカプト基」は同義である。)を反応させることが明記されていると認定した
うえ、これを前提に、本件発明と引用例記載のコンタクトレンズ用樹脂の製造方法
との対比において、「両発明は、・・・チオカルバミン酸エステル・・・で一致し
ており、」(66頁1行ないし4行)と認定した。しかし、審決が前提とした認定
は誤っており、したがって、これに基づく一致点の認定も誤りである。
 引用例1には、①Q1-W(CkF2k0)p(CqF2q)Zという(式Ⅲ)
について、上記式の「Q1 およびZがイソシアナート基-NCOである場合、本発
明の装置の製造に使用できる重合体は・・・ポリオール、・・・ポリチオー
ル・・・のようなポリ求核化合物との反応によって製造できる」(13頁左下欄1
2行目ないし19行目)、②「低分子量ポリ求核化合物の代表例には、水、アルキ
レングリコール、・・・および相当するアミノおよびチオール化合物がある」(同
右下欄1行目ないし16行目)との記載がある。
しかし、上記①には「ポリチオール」、②には「チオール化合物」と記載されて
いるのみで、具体的記載は一切存在せず、また、①に続く記載は、「形成される重
合体はそれぞれポリウレタン、ポリ尿素、ポリチオ尿素およびポリアミンである」
(同19行目ないし末行)というものにすぎないことからみるならば、当業者は、
引用例1にジイソシアナート化合物とポリチオール化合物との重合によって形成さ
れるポリチオウレタンが例示されているとは認識しない。
 また、仮に引用発明1の予定している高分子がウレタン結合や尿素結合を一部含
むとしても、それらの結合は単にペルフルオロオキシアルキレン単位の単量体を繋
いで高分子量化させるだけのものであって、当該高分子はペルフルオロオキシアル
キレン単位を主たる構造とするポリマーであるから、ペルフルオロポリエーテル系
高分子に属すると解すべきである。
したがって、引用例1にジイソシアネート化合物とポリチオール化合物との反応
が明記されているとの審決の認定は誤りである。
ハ (相違点3についての判断の誤り)
 審決は、引用例2、3の記載を根拠に、「・・・ポリチオール化合物としてアル
キルジチオールを用いることにより、チオカルバミン酸S-アルキルエステル系樹
脂を製造することは当業者が容易に想到し得ることである。」と認定したが、誤り
である。
 本件発明は、前述のとおり、単なる樹脂を製造するのではなく、「レンズ用樹
脂」、しかも「高屈折率を与えるレンズ用樹脂」の製造方法を提供するものである
から、進歩性の判断においても、「高屈折率を与えるレンズ用樹脂」を各引用例か
ら当業者が容易に想到しうるか否かという点から判断すべきである。そして、引用
例2、3には、ポリチオールを使用した例示がなく、「レンズ用樹脂」すら示唆す
る記載がないから、引用発明2、3を本件発明の進歩性判断の資料とすることはで
きないはずである。
(2) 効果についての判断の誤り
 イ (屈折率の予測性の判断の誤り)
 審決は、「プラスチックの屈折率がローレンツ-ローレンツの式からほぼ正確に
予測できることは、・・・本出願前周知であり、硫黄(2価)の原子屈折率は7.
80と大きく、これを含むプラスチックの屈折率が1.55~1.64程度 である
ことは当業者が計算により予測できることである」(審決69頁5行ないし12
行)と認定判断した。
しかし、ローレンツ-ローレンツの式からプラスチックの屈折率を求めるには、
当該プラスチックを構成する原子の種類、原子の結合次数(単結合、二重結合ある
いは三重結合)、並びに各原子の隣に結合している原子の種類など具体的な化学構
造が予め特定されていなければならず、単に「硫黄を含むプラスチック」というだ
けで具体的化学構造が特定されていない場合には、当該プラスチックの屈折率を予
測することは不可能なのである。
 したがって、審決の上記認定判断は誤りである。
ロ (切削性、研磨性の判断の誤り)
 甲第7号証実験で使用した機械を当業者が見れば、そこでの実験が、常温で切断
し、常温で研磨することによって行われたものであることは容易に理解できる。と
ころが、審決は、甲第7号証実験のうちの実施例1の追試実験が-20℃で行われ
たとの誤った認定をした結果、本件明細書の実施例1、3、4、5、6で得られた
レンズ成型品について、Tgが30℃以下で樹脂の耐熱性が低く、50℃付近でも
変形したり、ゴム状で形状が維持できなかったりするものであり、実施例のすべて
のものが-20℃に冷却してはじめて切削性と研磨性が良好であるといえるもので
ある旨誤った認定判断をするに至った。
 また、審決は、甲第7号証実験中「実施例1の追試験」として行われたものにお
いて、ジブチルチンジラウレートが触媒で用いられたことに関連して、実施例1に
おいては、本来触媒を使用していないとの前提に立って、実施例1の反応は、上記
触媒を用いた上記追試験のものより不完全で、重合度が低く、そのため切削性や研
磨性も、同追試験で得られた樹脂より劣ると、触媒を必要に応じて適宜用いること
を当然とする、本件発明に係る特許出願当時の技術水準を無視する誤った認定をし
た。
(3) 本件発明のパイオニア性の看過
 本件発明の最大の特徴は、ウレタン樹脂に対する硫黄原子の導入、すなわち、硫
黄原子(S)をチオール基(メルカプト基)(-SH)の形で導入し、「イソシア
ナート基を有する化合物」と重合させて「チオウレタン樹脂」とすることにあり、
かくしてチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂を初めて提供した
点にある。そしてこのことは、わが国のみならず、広く世界のプラスチックレンズ
業界に画期的な変革をもたらした。本件発明のパイオニア性は、その新規性及び進
歩性を争う被告ら自身が昭和61年3月以降原告から原料物質を購入し、原告の技
術指導の下に昭和63年2月に本件発明の実施品であるレンズ用樹脂の商品化に初
めて成功したこと並びにその後も平成5年5月まで原告の技術指導が続けられた事
実からも明らかである。ところが、審決は、このような視点を欠如したまま、一片
の追試実験の片言を捉えて抱いた誤解に基づいて、典型的なパイオニア発明である
本件発明の本質を見誤ったものである。
 本件発明の場合、その特許性は「チオウレタン結合の形で硫黄原子を導入したこ
とによる高屈折率を与えるレンズ用樹脂の製造方法」を提案した一点を以て十分に
評価され、それ以外のレンズ用樹脂としての性状である透明性やアッベ数などの光
学的特性やTg、熱変形温度、切削性及び研磨性等の性質を取り上げて本件発明の
特許性を評価することは、およそ無意味な議論にすぎない。これらの個々の性状
は、具体的なレンズ製品用樹脂の製造に当たって選択の対象とされれば足りる。と
ころが、審決は、本件発明に記載された一部の実施例を追試したにすぎない実験結
果に基づいて、これを本件発明のレンズ用樹脂の物性に一般化して認定する誤りを
犯した。
第4 被告の反論の要点
  審決には何らの違法もない。
1 取消事由1(審理不尽)について
  平成9年8月27日の口頭審理において、審判長は原告に対し、口頭審理にお
ける甲第6号証実験証明書の補足説明及び甲第7号証実験報告書との対比説明につ
いて意見があれば書面を提出するように指示しており、原告は、必要であれば甲第
7号証実験報告書を説明する機会を設けることができた。ところが、上記口頭審理
後に原告が提出した平成9年9月17日付上申書及び平成9年11月26日付上申
書のいずれにも、原告が甲第7号証実験報告書について説明の機会を得たいとの積
極的意思表示はされていない。
  上記平成9年9月17日付上申書において原告が求めた口頭審理は、本件発明
の技術的背景の説明のためのものである。しかし、本件発明の技術的背景の説明
は、本件特許成立前の審査、異議及び審判において既に再三されており、更には本
件審判における答弁書においてもされているので、これ以上説明の機会を設ける必
要がないとした審判の合議体の判断は極めて妥当である。
  原告には、本件審判において審理終結後に審理再開を申し立てた形跡もない。
審理終結通知は、当事者に対し資料の追加提出のため、審理再開の申立てをする機
会を与える趣旨で設けられている制度であるから、原告が真に口頭審理による技術
説明を欲していたのなら、審理終結通知後であっても、審理再開を申し立てること
ができたはずである。
2 取消事由2(本件発明の要旨認定の誤り)について
  審決は、本件発明の要旨は特許請求の範囲に記載されたとおりのものであると
認定しており、審決の認定に誤りはない。
3 取消事由3(進歩性判断の誤り)について
(1) 一致点の誤認と相違点判断の誤りについて
 イ (一致点「レンズ用樹脂」について)
(イ) 引用発明1は、広く眼科装置(ophthalmic device)に関するものであって、
本件発明の所望態様である眼鏡レンズを包含する。
 一方、本件発明は、レンズ用樹脂の製造方法に関するものであって、そこにいう
レンズに対する限定はなく、レンズには視力矯正用レンズの一種であるコンタクト
レンズも含まれるから、本件発明のレンズ用樹脂は、視力矯正用レンズの他の一種
である眼鏡レンズと同様、コンタクトレンズをも含むものである。
(ロ) 引用発明1におけるコンタクトレンズと本件発明におけるメガネレンズと
は、視力矯正用具という点で共通している。このように引用発明1と本件発明とは
同一の技術分野に関するものであるから、これを本件発明の進歩性判断の資料とし
た審決の認定は正当である。ちなみに、本件公告公報1頁に記載の国際特許分類
は、主分類がC08G18/38(イソシアネートまたはイソチオシアネートの重
合生成物・・・酸素以外に異種原子を含むもの)、副分類がG02B1/04(有
機物質によって特徴付けられた光学要素)であり、この分類も被告の主張を支持し
ている。
(ハ) 本件発明は「高屈折率を与える」ことを構成要件とはしておらず、他方、引
用例1には、得られたレンズがすべて低屈折率であると明記されてはいない。
ロ (一致点「チオカルバミン酸エステル」について)
(イ) 引用例1には、「使用できる低分子量ポリ求核化合物の代表例には、・・・
アルキレングリコール、・・・ポリヒドロキシアルカン・・・のような・・・ポリ
ヒドロキシ化合物、・・・および相当するアミノおよびチオール化合物がある。」
(13頁右下欄1行目ないし16行目)との記載があり、そこに掲げられた各種ポ
リヒドロキシ化合物(ポリオール)に相当するチオール化合物、すなわち、アルキ
レンジチオール、ポリメルカプトアルカンのようなポリチオール化合物を使用でき
ることが明記されている。化学分野の明細書においては、同種の性質を有する2種
の化合物たるA及びBを説明する際に、化合物Aについて具体的化合物a1、a
2、a3・・・を例示しておけば、重複を避けるため、化合物Bについては、「相
当する」(“corresponding")化合物と記載するだけで、化合物Aの具体的化合物
a1、a2、a3・・・に相当する化合物b1、b2、b3・・・が記載されてい
ると取り扱うのが化学特許分野における実務慣行である。引用例1においても、ポ
リオールとポリチオールとが同じく活性水素化合物であるため、ポリオールについ
て具体的化合物を例示した後、ポリチオールについては「相当するチオール化合
物」と記載することにより、ポリオールに相当するポリチオールの具体例を例示し
ているのである。
(ロ) 引用例1の「形成される重合体はそれぞれポリウレタン、ポリ尿素、ポリチ
オ尿素及びポリアミンである」(13頁左下欄19行目ないし末行)との記載部分
を、そのすぐ上の「Q1 およびZがイソシアナート基-NCOである場合、本発明
の装置の製造に使用できる重合体は・・・ポリオール、・・・ポリチオール・・・
のようなポリ求核化合物との反応によって製造できる」(同欄12行目ないし19
行目)との記載部分と合わせて読めば、ジイソシアネートとポリオールとからポリ
ウレタンが製造されること及びジイソシアネートとポリチオールとからポリウレタ
ンと同種の重合体が得られることは明らかであり、しかも、前記のようにジイソシ
アネート化合物との反応に供せられるポリチオール化合物が具体的に例示されてい
るから、「ポリチオウレタン」という記載はなくても、引用例1はポリチオウレタ
ンを具体的に開示していると解すべきである。
 なお、引用例1の上記「ポリチオ尿素」(同欄末行)の記載は、「ポリチオウレ
タン」の誤記と解せられる。
(ハ) 原告は、引用例1記載の高分子化合物は、ペルフルオロポリエーテル系高分
子に属すると解すべきであると主張しているが、引用例1記載の高分子化合物のう
ち、多官能イソシアネート化合物であるジイソシアネートと多官能チオール化合物
であるポリチオールとの反応により得られた高分子化合物は、多数のチオウレタン
結合を有することが明らかであるから、ポリチオウレタンと解するのが当然であ
る。
ハ 本件発明は、レンズ用樹脂の製造方法の発明であるから、「樹脂の製造方法」
に関する発明を記載した引用発明2、3は、本件発明の進歩性判断の資料となり得
る。
(2) 効果についての判断の誤りについて
 イ (屈折率について)
  樹脂の屈折率は、主として、その樹脂を得るために用いられたモノマーの屈折
率に依存することはよく知られているところであるから、樹脂の屈折率は、樹脂自
体の構造を見るまでもなく、使用したモノマーの屈折率によって予測できる。
 本件明細書によれば、m-キシリレンジイソシアナート(m-XDI)0.05
0モルにジエチレングリコール、すなわち、(2-ヒドロキシエチル)エーテル0.
050モルを反応させて得られた比較例1のポリウレタン樹脂の屈折率1.56に
対して、ジエチレングリコールである(2-ヒドロキシエチル)エーテルのヒドロ
キシ基をメルカプト基に置き換えた(2-メルカプトエチル)エーテルを用いた以
外は比較例1と同一条件で得られた実施例1のポリチオウレタン樹脂の屈折率は
1.62である。そして、硫黄の原子屈折が酸素の原子屈折より高いこと及び(2
-メルカプトエチル)エーテルの屈折率が1.521で、(2-ヒドロキシエチ
ル)エーテルの屈折率1.446より高いことが知られているから、比較例1に対
する実施例1の上記屈折率の向上は、ヒドロキシ基がメルカプト基に置換されてい
ることに基づいて容易に予測できる程度のものである。
ロ (切削性、研磨性について)
 甲第6号証実験と甲第7号証実験を対比すると、生成物の屈折率と比重とは同様
であり、また耐熱性(Tg)も似ているが、甲第6号証実験によれば生成物の常温
における切削加工及び研磨性は著しく不良である。他方、甲第7号証実験報告書で
は、切削加工及び研磨性は良好と記載されているが、切削研磨時の温度は一切記載
されていない。しかし、甲第7号証実験において、離型は-20℃で行われている
から、切削加工及び研磨時の温度も離型の温度と同じく-20℃であると判断する
のは至極当然のことである。しかも、原告は、審判において被告のこのような判断
に対し、度重なる反論の機会がありながら一度たりとも反論しなかった。このよう
な状況の下に、審決は、本件発明の実施例が-20℃に冷却して初めて切削性と研
磨性が良好であるといえるものと認定したものであり、その認定は正当である。
 化学反応において触媒を使用するのは最適の条件で最良の物性を具えた目的物を
好ましい収量で得るためにほかならない。ところが、原告は、本件明細書では触媒
を使用することを開示していない実施例について、甲第7号証実験ではわざわざ触
媒を使用したのであるから、触媒を使用した場合が触媒を使用しない場合に比べて
より好ましい結果が得られること、換言すれば、審決が認定したとおり、触媒を使
用しない場合に得られた樹脂は、触媒を使用した実験よりも不完全で重合度が低
く、そのため、切削性や研磨性も劣ると考えることは経験則に基づく判断として妥
当なものである。
(3) 本件発明のパイオニア性について
 イ 引用例1には、素材としてのポリチオウレタン樹脂のみならず、用途として
の「レンズ用途」までもが記載されている。したがって、ポリチオウレタン樹脂に
初めてレンズ素材としての用途を見いだしたという主張に基づく本件発明のパイオ
ニア性は、引用例1の記載によって明確に否定される。また、本件発明の実施品
は、決して商業化されていないし、また、商業的成功をも奏していない。原告が自
らの主張の根拠にしているのは、本件発明の生成物ではなく、後願発明の生成物で
ある。
ロ レンズを評価するうえでの重要な物性は、屈折率に限られるわけではない。透
明性などの光学的性質や、Tg、熱変形温度、切削性及び研磨性等も、屈折率と並
んで重要である。本件発明に対する特許性の判断において、これらの物性を屈折率
とともに評価した審決に誤りはない。
第5 当裁判所の判断
1 取消事由1(審理不尽)について
  原告は、審決について、甲第6号証実験証明書に関する口頭審理のみを開催
し、原告に対して何らの釈明を求めず、本件発明、特に甲第7号証実験報告書につ
いて技術説明をする機会を設けることなく審理を終結した審理不尽の違法がある旨
主張する。しかし、審判長は、事件が審決をするのに熟したときは審理を終結でき
るのであり、事件が審決をするのに熟したかどうかは審判長の裁量に属する事項で
あるから、本件発明、特に甲第7号証実験報告書について技術説明をする機会を設
けることなく審理を終結したとしても、そのことをもって直ちに違法であるという
ことはできない。
  のみならず、乙第1号証によれば、審判長は、平成9年8月27日に行われた
口頭審理において、原告に対し、被告従業員がした甲第6号証実験証明書と甲第7
号証実験報告書の対比説明に対して意見があれば書面を提出するように指示したこ
とが認められるから、本件審判において甲第7号証実験報告書について原告が技術
説明をする機会が与えられていなかったということもできない。また、本件審判に
おいて本件発明の効果を含む技術の内容が争点とされていたことは原告にとっても
明白であった以上、原告において必要と考えれば書面等により本件発明についての
技術説明をする機会は十分あったものというべきであるから、審判長においてこと
さら本件発明についての技術説明を促さなかったとしても、それをもって本件発明
について技術説明をする機会を与えなかったということもできない。
  原告は、本件発明ないし甲第7号証実験報告書について技術説明をするための
口頭審理がされなかったことをもって違法と主張するものとも解されるけれども、
審判長は、職権により審判を書面審理によるものとすることもできるのであるか
ら、口頭審理をしなかったことをもって直ちに違法ということはできない。
  平成9年8月27日の口頭審理より後に原告により提出された上申書(乙第
2、第3号証)にも、甲第7号証実験報告書について口頭による説明の機会を得た
いとの積極的意思は表明されていない。
  以上のとおりであるから、原告の主張は、採用することができない。
2 取消事由2(本件発明の要旨の誤認)について
 審決は、本件発明の要旨を、特許請求の範囲に記載されたとおりの「イソシア
ナート基を有する化合物とメルカプト基を有する化合物とを-NCO基/-SH基
=0.5~3.0モル比の割合で注型重合法により反応させることを特徴とするチ
オカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法。」と認定してい
ることは、審決の理由54頁14行目ないし55頁1行目及び64頁16行目の記
載から明らかである。そして、甲第2号証の1(本件公告公報)、2(特許法64
条の規定による補正の公報)によれば、本件発明の要旨は上記審決の認定のとおり
のものであることが認められるから、審決の認定に誤りはない。
  原告は、本件発明の要旨を「イソシアナート基を有する化合物とメルカプト基
を有する化合物とを-NCO基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重
合法により反応させることを特徴とする高屈折率を与えるチオカルバミン酸S-ア
ルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法。」であると主張する。しかし、発明の
要旨の認定は、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてされるべ
きであり(最高裁判所平成3年3月8日判決・民集45巻3号123頁参照)、本
件においては、特許請求の範囲に記載のない「高屈折率を与える」との要件を付加
すべき特段の事情は認められないから、原告の主張は、採用することができない。
3 取消事由3(進歩性の判断の誤り)について
(1) 構成の容易推考性について
イ 一致点「レンズ用樹脂」について
 甲第2号証の1、2によれば、本件発明は、レンズ用樹脂の製造方法の発明であ
って、コンタクトレンズ用樹脂の製造方法も含まれるものと認められる。
 この点に関して、原告は、本件発明の目的物質は、プラスチックレンズと称され
る一般的光学レンズ(眼鏡、カメラ、光学素子など)用樹脂に限定されている旨主
張する。しかし、甲第18号証の資料6(特開昭57-136601号公報)によ
れば、同資料には、「本発明は、ポリウレタンを樹脂素材とする新規なプラスチッ
クレンズに関するものである。プラスチックレンズとしては、・・・眼鏡用レン
ズ、・・・コンタクトレンズなどがあり、」(1頁左下欄11行ないし16行)、
「本発明は、・・・眼鏡レンズ、コンタクトレンズ等の光学レンズ部品に適した新
規なウレタン樹脂を提供することを目的としている。この発明の他の目的
は、・・・・すぐれたプラスチックレンズを提供することにある。」(2頁左上欄
11行ないし16行)との記載があり、甲第19号証の1(「Plastics 
age 第32巻10月号」株式会社プラスチックス・エージ昭和61年10月1
日発行)によれば、同証には、「プラスチックレンズの応用 Ⅰ.眼鏡レンズ 
Ⅱ.コンタクトレンズ」(表紙)、「1940年代、PMMA(判決
注・Poly-methylmethacrylateであって、プラスチックと認める。)レンズ(ハード
コンタクトレンズ・・・)は、・・・一応実用化の時代に入った」(146頁左欄
末行ないし中欄4行)、「1960年・・・含水したPHEM
A(Poly-hydroxyethylmethacrylate(判決注・プラスチックと認める。))のCL
(ソフトコンタクトレンズ・・・)開発の基礎が発表された。」(同頁中欄22行
ないし27行)との記載があることが認められ、以上の記載によれば、プラスチッ
クレンズにはプラスチックのコンタクトレンズが含まれるものというべきである。
なお、上記甲第19号証の1は、本件発明に係る特許出願後の文献であるが、上記
引用に係る記載に関しては、その内容に照らせば、上記出願当時においても、当業
者は同記載と同様の認識を持っていたものと認められるところである。
 そして、本件明細書には、本件発明について、コンタクトレンズ用樹脂の製造方
法が除かれるとか、眼鏡、カメラ、光学素子等に限定されるとかという趣旨の記載
はないから、原告の主張は、採用することができない。
 したがって、コンタクトレンズ用樹脂の製造方法である引用発明1と本件発明と
が、レンズ用樹脂を製造する点で一致しているとした審決の認定に誤りはない。
ロ 一致点「チオカルバミン酸エステル」について
(イ) 甲第3号証(引用例1)によれば、引用例1には、①「式ⅢのQ1およびZ
が共に反応性基である場合、本発明の装置を製造できる重合体は反応性基Q1に好
意的な(すなわち反応性)の2個またはそれ以上の基を有する共反応体との反応に
よって製造できる。Q1およびZがイソシアナート基-NCOである場合、本発明
の装置の製造に使用できる重合体はヒドロキシル、アミノ、チオールおよびカルボ
キシル当量約2500まで、好ましくは約200から1250までを有するポリオ
ール、ポリアミン、ポリチオールおよびポリカルボン酸のようなポリ求核化合物と
の反応によって製造できる。」(13頁左下欄8行目ないし19行目)、②「使用
できる低分子量ポリ求核化合物の代表例には水、アルキレングリコール・・・ポリ
ヒドロキシアルカン・・・のような他のポリヒドロキシ化合物、化合物XXIXお
よびXXXなどのようなペルフルオロポリエーテルジオールおよび相当するアミノ
およびチオール化合物がある。使用できるポリカルボン酸の例としては、・・・p
-フタル酸などがある。」(同頁右下欄1行目ないし19行目)との記載があること
が認められ、上記記載によれば、引用例1には、原料が特定のジイソシアナートで
ある場合に、これとポリチオールを反応させることが記載されているというべきで
ある。一方、弁論の全趣旨によれば、ジイソシアナートとポリチオールを反応させ
れば、チオカルバミン酸エステル系樹脂が製造されることが認められる。
  以上の事実によれば、引用発明1は、イソシアナート基を有する化合物と、チ
オール基(メルカプト基)を有する化合物とを反応させることによりチオカルバミ
ン酸エステル系樹脂を製造するものであることが認められる。
(ロ) もっとも、引用例1には、上記①に続いて、反応によって形成される重合体
をあげており、その中にはポリチオウレタンは明示されていない。しかし、引用例
1には、ジイソシアナートとポリチオールを反応させることが記載されているこ
と、ジイソシアナートとポリチオールを反応させれば、チオカルバミン酸エステル
系樹脂が製造されることは前記認定のとおりであるから、反応によって形成される
重合体として上記ポリチオウレタンが明示されていないことは、前記(イ)の認定を
左右するものではない。
 なお、原告は、上記①、②には具体的記載は一切存在しない旨主張する。しか
し、上記②の記載によれば、「相当する・・・チオール化合物」とは、ポリヒドロ
キシ化合物として例示されているアルキレングリコール、ポリヒドロキシアルカン
等に相当するチオール化合物をいうものと認められるから、当業者は、引用例1に
は、ポリヒドロキシ化合物中でアルキレングリコール、ポリヒドロキシアルカン等
が占めている位置に相当する位置にあるチオール化合物、すなわち、アルキレンジ
オチール、ポリメルカプトアルカン等が開示されていると認識するものと認められ
るところである。
また、原告は、引用発明1の高分子はペルフルオロオキシアルキレン単位を主た
る構造とするポリマーであるから、ペルフルオロポリエーテル系高分子に属すると
解すべきである旨主張する。しかし、ジイソシアナートとポリチオールを反応させ
た場合、これにより得られた高分子は、多数のチオウレタン結合を有することは明
らかであるから、それはポリチオウレタンということに何の問題もない。
ハ 相違点(1)について
 甲第18号証(原告作成の技術説明書)及び弁論の全趣旨によれば、イソシアナ
ート基とチオール基の反応は重付加反応であり、イソシアナート基1モルに対して
チオール基1モルが反応することが認められる。そうすると、いずれかが過剰であ
れば、その分が未反応のまま残存することになるなどの不都合が予想されることは
自明である。したがって、イソシアナート基とチオール基のいずれもが過剰になら
ない1/1に近い値、すなわち、0.5~3.0の間にある値を設定することは、
当業者が容易に想到できたことと認められる。
ニ 相違点(2)について
 甲第3号証によれば、引用例1には、「本発明の装置は、重合される物質を所望
の形状の型に装入し、次いでその中に重合を起こさせることによって製造できる。
所望の最終形状を有する装置はこの方法で得ることができる。」(14頁右下欄1
5行目ないし18行目)との記載があること及び重合の際に加圧等をすることをう
かがわせる記載はないことが認められ、上記記載によれば、引用発明1は、注型重
合法によるものであることが認められる。
ホ 相違点(3)について
(イ) 甲第4(引用例2)、第5号証(引用例3)及び弁論の全趣旨によれば、引
用例2、3には、イソシアナート化合物と反応するポリチオールとして、1,2-
エタンジチオールのようなアルキルジチオールを用いることが記載されていること
及びイソシアナート化合物とアルキルジチオールを反応させれば、チオカルバミン
酸S-アルキルエステルが形成されることが認められる。上記認定事実の下では、
引用発明1において、ポリチオール化合物としてアルキルジチオールを用いること
により、チオカルバミン酸S-アルキルエステルを製造することは、当業者が容易
に想到し得たものということができる。
(ロ) 原告は、引用例2、3には、ポリチオールを使用した例示がなく、「レンズ
用樹脂」を示唆する記載もないから、引用例2、3を本件発明の進歩性判断の資料
とすることは誤りである旨主張する。
  しかし、引用例2、3には、樹脂の製造方法として、ポリチオールとしてアル
キルジチオールを用いることが開示されている以上、引用発明2、3の樹脂の製造
方法が「レンズ用」のものとして開示されていないことや、そこにポリチオールを
使用した例示がないことによって、樹脂の製造方法に係る発明である点では共通す
る引用発明1のポリチオールにこれを適用することが、想到困難となるとは考えら
れない。
 また、原告は、本件発明が「高屈折率を与えるレンズ用樹脂」の製造方法を提供
するものであることを前提として、進歩性の判断においても、「高屈折率を与える
レンズ用樹脂」を各引用例から当業者が容易に想到しうるか否かという点から判断
すべきである旨主張する。しかし、「高屈折率を与える」ことが本件発明の要旨と
認められないことは、前記2の認定のとおりであるから、原告の主張は、前提を欠
くものであって失当である。
へ 以上の事実によれば、「イソシアナート基を有する化合物と、メルカプト基を
有する化合物とを-NCO基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重合
法により反応させることを特徴とするチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レ
ンズ用樹脂の製造方法。」という本件発明の構成は、引用発明1ないし3から当業
者が容易に想到することができたものと認められる。
(2) 効果の顕著性について
 イ 屈折率について
 (イ) 乙第11号証(「高分子 33巻3月号」社団法人高分子学会昭和59年
3月1日発行)によれば、プラスチックの屈折率がローレンツ-ローレンツの式か
らほぼ正確に予測できることは、本件発明の出願時において技術常識であったこと
が認められる。そして、本件発明によって製造されたプラスチックレンズが、ロー
レンツ-ローレンツの式から予測される範囲を超えていることを認めるに足りる証
拠はない。そうすると、本件発明によって製造されたプラスチックレンズの屈折率
は、当業者が計算により予測できる程度のものであると推認されるから、本件発明
によって製造されたプラスチックレンズ用樹脂の屈折率は、当業者が予測できた程
度のものといわざるを得ない。
 そして、このことは、原告自身が、審判において、審判事件答弁書の中で、「高
分子物質の屈折率は、その物質を構成している原子及びモノマーによってその原子
屈折及び分子屈折等から計算により概ね実測値に近いものとして求めることができ
る。・・・即ち、高分子物質を構成する原子のそれぞれの原子屈折の和と、モノマ
ーの繰り返し単位構造中の分子容等により、Lorentz-Lorentz式を
用いて、その物質の屈折率(計算値)を算出することが可能である。」(乙第6号
証5頁8行ないし14行)、「高分子物質の屈折率は、既に述べたように、一般に
そのモノマーの屈折率あるいは構成原子の原子屈折率に依存するとされていること
は技術常識であり、そのことがレンズ用プラスチック素材の開発における一つの指
標とされているのである」(15頁下から6行ないし3行)と主張し、本訴におい
て、技術説明書の中で、「新しい素材の開発は、原子屈折の大きな原子の導入、あ
るいは単量体(モノマー)の結合様式などを組み合わせて、高屈折率を有するであ
ろう分子構造を想定し、その想定した高分子化合物の推定屈折率をローレンツ-ロ
ーレンツ式により求めることから始まる。・・・硫黄原子(7.80)は、塩素原
子(5.967)や臭素原子(8.865)と同等の原子屈折を有しているので、
硫黄原子の導入は樹脂の高屈折率化に有効であると推察することができる。」(甲
第18号証11頁6行ないし14行)と説明していることからも裏付けられるとこ
ろである。
(ロ) もっとも、原告は、ローレンツ-ローレンツの式からプラスチックの屈折率
を求めるには、当該プラスチックの具体的な化学構造があらかじめ特定されていな
ければならないから、本件発明によって製造されたプラスチックレンズ用樹脂の屈
折率は、当業者が予測できなかった旨主張する。
  しかし、本件発明の構成が、引用発明1ないし3から当業者が容易に想到する
ことができたことは前認定のとおりである。そして、引用発明1ないし3に基づい
て当業者が想到できた本件発明の構成である製造方法は、当然、引用例1ないし3
に種々記載されている、具体的な化学構造を特定された「イソシアナート基を有す
る化合物」と、具体的な化学構造を特定された「メルカブト基を有する化合物」と
を反応させるものであるから、それによって製造されるチオカルバミン酸S-アル
キルエステル系レンズ用樹脂の具体的な化学構造も、種々想定はされるものの、い
ずれも予め特定できるものであることは明らかである。そして、いったん具体的な
化学構造が特定された以上、そのチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ
用樹脂の屈折率を予測することは容易であることは、前認定のとおりである。
  原告の主張は、結局のところ、本件発明の構成が引用発明1ないし3から容易
に想到することができなかったことを前提とするものであって、その前提において
失当である。
ロ 切削性、研磨性について
(イ) 甲第6号証によれば、本件明細書の実施例1、4及び6には、切削性、研磨
性に劣り、常法により玉摺加工しようとしても、ダイヤホール(φ100)が融け
た樹脂で目詰まりし、切削加工できないものが含まれていることが認められる。
  もっとも、甲第7号証には、甲第7号証実験において本件発明の実施例1、4
及び6を追試したところ、得られたブラスチックレンズ用樹脂は切削性、研磨性が
良好であった旨の記載がある。しかし、同証によれば、上記追試は、重合触媒とし
てジブチルチンジラウレートを使用したものであることが認められるにもかかわら
ず、本件明細書には、触媒としてジブチルチンジラウレートを使用することについ
ての記載がなく、かつ、その使用が自明であると認めるに足りる証拠もない。した
がって、このような重合触媒を使用した実験報告書である甲第7号証の記載をもっ
て、甲第6号証実験が本件明細書の実施例1、4及び6の正確な追試ではないとい
うことはできない。
  また、甲第8号証(原告機能性材料研究開発センター ファインケミカルプロ
セスグループ 【J】作成の平成10年4月27日付実験報告書)には、本件明細
書の実施例1及び4について、切削性、研磨性が良好であった旨の記載がある。し
かし、同証及び乙第7号証の2によれば、眼鏡レンズの研磨は、通常は、甲第6号
証実験のように玉摺機を用いてダイヤモンド砥石により行うものであるのに対し
て、甲第8号証の記載の根拠となる実験は、これとは異なる平面研磨機を使用した
ものであることが認められるから、同証の記載は甲第6号証の記載を根拠とする前
記認定を左右するに足りるものではない。なお、甲第8号証には、本件明細書の実
施例6についての実験の記載がないから、同証は、実施例6に関する前記認定に反
するものではない。
  以上のとおり、本件発明によって製造されたプラスチックレンズ用樹脂には、
切削性、研磨性が劣るものが含まれているから、本件発明は、製造されたものの切
削性、研磨性について、当業者が予測できない効果を奏するものということはでき
ない。
(ロ) のみならず、甲第3号証によれば、引用例1には、「得られた装置は所望な
らば当業界に既知の技術を用いて機械加工および(または)研磨できる。」(90
頁右下欄下から3行目ないし末行)との記載があることが認められ、上記記載によ
れば、引用発明1によって製造されたものは、常温で切削、研磨できるものである
ことが認められる。そうすると、本件発明によって製造されたプラスチックレンズ
用樹脂が、常温で切削、研磨できるものであるとしても、本件発明は、引用発明1
と比べて、切削性、研磨性の点において特有の効果があるということはできない。
 したがって、本件発明は、この点においても、製造されたものの切削性、研磨性
について、当業者が予測できない効果を奏するものということはできない。
(ハ) 前記(イ)、(ロ)認定のとおりであるから、本件明細書の実施例のすべての樹
脂が-20℃に冷却して初めて切削性と研磨性が良好である旨の審決の認定判断の
当否にかかわらず、本件発明によって製造されたものの切削性、研磨性は、当業者
が予測できない効果を奏するものではないというべきである。
(3) 本件発明のパイオニア性について
  原告は、①本件発明の最大の特徴は、ウレタン樹脂に対する硫黄原子の導入に
あり、かくしてチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂を初めて提
供した点にある、②本件発明の場合、その特許性は「チオウレタン結合の形で硫黄
原子を導入したことによる高屈折率を与えるレンズ用樹脂の製造方法」を提案した
一点を以て十分に評価される旨主張する。しかし、引用発明1は、ウレタン樹脂に
対する硫黄原子の導入として、チオウレタン結合の形で硫黄原子を導入したレンズ
用樹脂であること、チオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造
方法が、引用発明1ないし3から当業者が容易に想到することができたこと及び本
件発明によって製造されたレンズ用樹脂の屈折率は当業者が予測できなかった顕著
な効果とはいえないことは前認定のとおりである。そうすると、本件発明は、原告
主張に係る最大の特徴において進歩性がないものといわざるを得ない。
また、原告は、被告ら自身が原告の技術指導の下に昭和63年2月本件発明の実
施品であるレンズ用樹脂の商品化に初めて成功し、平成5年5月まで原告の技術指
導が続けられた旨主張する。しかし、本件発明の構成が引用発明1ないし3から当
業者が容易に想到することができたものであり、しかもその効果は当業者が予測し
得たものと判断される以上、仮に本件発明の特許請求の範囲の記載に合致する方法
によって製造された物の一部には優れたレンズ用樹脂も存在するとしても、そのこ
とをもって本件発明に進歩性があるということはできない。
 したがって、原告の主張は、採用することができない。
4 以上のとおりであるから、原告主張の取消事由は、いずれも理由がなく、その
他審決には、これを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
第6 よって、本訴請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担に
つき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
   東京高等裁判所第6民事部
       裁判長裁判官   山  下  和  明
        
          裁判官   山  田  知  司
 
          裁判官  宍  戸  充

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