ホーム > 知財人材インタビュー企画 > 元ホンダF1エンジニア 弁理士 上田和弘さん
成田 さて、F1参戦が終わって通常の研究開発に戻られたとのことですが、弁理士になろうと考えたのはいつ頃ですか?
上田 30歳を過ぎた頃からでしょうかね。
成田 何かキッカケとかあったのですか?
上田 はっきりとしたキッカケがあったわけではないのですが、そうですねえ、何というか、もう少し自分の意思でまとめられる仕事がしたいと思い始めたのがキッカケでしょうか。
成田 と言いますと?
上田 車の仕事は楽しかったですし、大きな組織ですから、大きな仕事もできますし、仕事自体には不満はなかったですし、好きでした。 でも、大きな組織ですから当然ですが、どうしても自分の意思を入れることができる仕事は全体の一部分になってしまうのですね。 あと、根回しとかも必要になってきますよね(笑) そういう意味で、もう少し小さくてもいいので、ある程度すべて自分でやれる仕事がしてみたいなあと思うようになっていました。わがままなんですね(笑)
成田 なるほど。そうすると、小さなベンチャー企業に転職するといったことも考えていたのでしょうか?
上田 考えたこともありましたね。例えば本田宗一郎さんが創業したころのホンダのような会社がないかなあと思っていたときもありました。
成田 他にも選択肢があったなかで、弁理士を選んだ理由は?
上田 そうですね、今までの技術を活かせる専門職ということと、独立できる可能性もあったからですね。 それから弁理士試験の勉強を初めて、2001年に合格しました。
成田 会社に勤めながらの勉強は大変だったのではないですか?
上田 そうですね、けっこう苦労しました。
成田 当時も和光にお勤めだったのですか?
上田 最初は和光に研究所があったのですが、それが栃木に移転になりました。私は家が和光の近くにあったので、半年間ぐらいですが、栃木まで新幹線通勤していた時期もありました。
成田 それは通勤も大変でしたね。
▶ 次ページ「特許事務所への転職」7月28日(月) -
7月28日(月) -
7月29日(火) - 東京 港区
7月29日(火) -
7月30日(水) -
7月30日(水) -
7月31日(木) -
7月31日(木) - 東京 港区
厚生労働省:政府のAI戦略から医療AIに関する具体施策について ~新しい科学的発見、国民生活の向上に繋がるAI活用の可能性と課題~
7月28日(月) -
8月5日(火) - 大阪 大阪市
8月5日(火) -
8月5日(火) -
8月6日(水) -
8月6日(水) -
8月8日(金) -
8月5日(火) - 大阪 大阪市
〒101-0032 東京都千代田区岩本町3-2-10 SN岩本町ビル9階 特許・実用新案 意匠 商標 外国特許 外国意匠 外国商標 訴訟 鑑定 コンサルティング
Floor 16, Tower A, InDo Building, A48 Zhichun Road, Haidian District, Beijing 100098, P.R. China 特許・実用新案 意匠 商標 外国特許 外国意匠 外国商標 訴訟 鑑定 コンサルティング
大阪府大阪市北区西天満3丁目5-10 オフィスポート大阪801号 特許・実用新案 意匠 商標 訴訟 コンサルティング