ホーム > 知財人材インタビュー企画 > 元ホンダF1エンジニア 弁理士 上田和弘さん
成田 ここからは番外編ということで、F1の話をじっくり聞かせてくださいっ!(前のめり)
上田 はい(笑)
成田 さきほど「実際にやってみたら大変だった」とおっしゃっていましたが、F1に携わっていたときは、どのような生活だったのですか?
上田 イギリスのラングレーという、ロンドンから車で30分ほどの町に前線基地があって、普段はそこに滞在していました。その周辺に社宅もありました。
成田 「ラングレー」って、テレビで聞いたことがあります!
上田 はい(笑) グランプリウィークになると、木曜日にサーキット入りして、日曜日にレースが終わると、撤収して帰ってくるという生活です。
成田 ずっとイギリスに滞在していて日本には帰ってこないのですか?
上田 ときどきは帰ってきました。労働協約で1回の出張は最長でも3か月までと決められていましたので。
成田 ラングレーの周辺にはF1チームのファクトリーもあるのですか?
上田 あります。当時はマクラーレンとロータスにエンジンを提供していたので、マクラーレンやロータスのファクトリーにはよくいきました。
成田 レースがない日はどんな仕事をしているのですか?
上田 レースがだいたい2週間に1回で、レースが終わってかえってくると、レースで起きた問題点を解決したり、改良すべき点を明らかにして、それをまたエンジンにフィードバックするという繰り返しです。他には、ドライバーの要望がチームの担当エンジニアから上がってきて、それを反映させたりとかもします。
成田 日本の研究所ともやりとりするのですか?
上田 ええ、していましたよ。現地のデータを日本の研究所にフィードバックして、対策してもらうことはしていました。
成田 データを送るといっても、、当時はインターネットなんて無いですよね?
上田 ないですよ。主にFAXと電話です。生データを全て送ることはできないので、データの解析は基本的に現場でやって、解析結果を日本に送るというやり方でした。
成田 やっぱりそうですよね。生データを送るのは不可能ですよね。データ解析についても、今のようにコンピューターパワーがあったわけではないですし、大変だったのではないですか?
上田 大変でしたよ。グラフを書くのも、ペンレコーダを使っていましたしね(笑)
成田 ペンレコーダーって、ペンを持ったアームがウィンウィンと音を立てながら動いて紙にグラフを描くあれですね。私の世代でも、ギリギリ見たことがあるか無いかくらいです(笑)
上田 それです(笑) その頃から考えると、今の技術はすごくて。ほんとうに技術の進歩はすごいですね。我々弁理士も頑張らなければ、ですね(笑)
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